「Low」と一致するもの

8月のジャズ - ele-king

 カナダのトロント出身のバッドバッドノットグッドは、純粋なジャズ・バンドということではなく、基本的にインストのジャム・バンドであり、ジャズのほかにもオルタナ・ロックやパンク、ヒップホップやファンクなどのさまざまな要素が混在している。自在な即興演奏が彼らの軸で、活動初期は実際のライヴ・レコーディングを音源としてリリースしていた。ナズからジェイムズ・ブレイクに至る独特のカヴァーやパンクのような縦ノリのライヴが話題を呼び、2010年代初頭から着実にファンを増やしていく。


BADBADNOTGOOD
Mid Spiral

XL Recordings / ビートインク

 基本的にはベース、キーボード、ドラムスのトリオとして出発したが、ゴーストフェイス・キラーとの共演などほかのアーティストとのコラボレーションも増え、メンバー交代やサックス奏者の加入などの変遷を経て、進化を続けている。2016年の『IV』あたりからは、演奏技術だけでなく作曲やアレンジ面での成長が著しく、ミック・ジェンキンスやシャーロット・デイ・ウィルソンといったラッパーやシンガーたちとのコラボにより、単なるインスト・バンドではなくトータルの音楽性で聴かせるバンドへと変貌してきている。そうした成果が表れたのが2021年の『Talk Memory』で、ブラジルのレジェンドであるアルトゥール・ヴェロカイほか、ララージテラス・マーティン、カリーム・リギンズ、ブランディ・ヤンガーら多彩なゲストを招き、特にヴェロカイがアレンジしたストリングス・セクションとの融合による素晴らしい世界を披露していた。

 それから3年ぶりの新作が『Mid Spiral』で、もともと3枚のEPでリリースされた連作を1枚にまとめたアルバムとなっている。今回はシンガーなどが入らず、インスト・バンドとしてのバッドバッドノットグッドに原点回帰したものだ。そして、特徴として挙げられるのはラテンであり、ヴェロカイとの共演が作用したのかどうかはわからないが、中南米的なリズムや音楽構造が随所に表れている。スペイン語のカウントではじまる “Juan’s World” が筆頭で、土着的なフルートやパーカッションをフィーチャーしたラテン・ジャズ/フュージョン調のナンバー。今回はトロントやロサンゼルスのセッション・ミュージシャンもいろいろと録音に参加しているが、パーカッション奏者はラテン系のミュージシャンで、そうした人選からもラテンを意識している点がうかがえる。

 “Sétima Regra” も同様にラテン風味のメロウなジャズ・ファンク/フュージョンで、1970年代のデオダートあたりのアレンジに近いところを感じさせる。“Your Soul & Mine” や “First Love”、“Audacia” も1970年代の〈CTI〉のジャズ・ファンクやフュージョン的だが、隠し味的にラテンのエッセンスが加わっている。ボサノヴァのリズムの“Sunday Afternoon’s Dream” にしても、スローなジャズ・ファンクとシャッフル・ビートを行き来する “Eyes On Me” にしても、もラテン音楽特有のメロウなフィーリングが溢れている。前面にラテン色を打ち出すのではなく、ジャズやファンクなどとミックスさせて洗練した味付けを施した作品が多いようだ。ゆったりとしたスピリチュアル・ジャズ調の “Celestial Hands” にも仄かなラテン・アクセントが加わり、クルアンビンがスピリチュアル・ジャズをやったような作品となっている。


Thandiswa
Sankofa

King Tha Music / Universal Music

 ンドゥドゥゾ・マカティーニマルコム・ジヤネリンダ・シカカネと、ここのところ南アフリカ共和国出身のミュージシャンによる作品を紹介してきているが、キング・ターの異名を持つタンディスワ・マズワイも南アフリカ出身のシンガー・ソングライター。1990年代よりボンゴ・マフィンというグループで活動し、クワイト系のダンス・バンドとして南アフリカのゲットーの若者たちの間で絶大な人気を得て、数々の音楽賞も受賞してきた。アメリカなどワールド・ツアーもおこない、スティーヴィー・ワンダーやチャカ・カーンなどのビッグ・スターとも共演を果たすが、タンディスワは2000年代半ばに脱退。ソロ・シンガーに転向してリリースした最初のアルバム『Zabalaza』(2004年)は、全体的にはネオ・ソウル風のアルバムではあるが、南アフリカに根付くジャズやフォーク・ミュージックの要素を取り入れた自身のルーツを主張するものだった。
 高評価を得た『Zabalaza』に続くセカンド・アルバムの『Ibokwe』も大きなセールスを記録し、この2枚でタンディスワはソロ・シンガーとしても大きな成功を収めることになる。南アフリカはじめ欧米でも高い評価を得ることになった彼女の作品は、ジャズ、ファンク、レゲエなどに、クワイトからムバカンガ、コーサ音楽といった南アフリカ周辺を起源とする音楽の要素を交えたもので、しばしば政治的なメッセージを孕む。1976年のソウェト蜂起の年に反アパルトヘイト運動家でジャーナリストの両親のもとに生まれ、ヨハネスブルグのソウェトで育ってきた彼女は、幼い頃から人種差別、貧富や社会的格差が身近にあり、そうした背景が彼女に政治や社会へ目を向けた歌を作ることへと向かわせた。妹のヌツキィとノムサもシンガーやアーティストとして活動するが、特にヌツキィは詩人/作家として社会活動にも参加するなど、家族全員がアクティヴィストとしての顔を持つ。

 南アフリカの巨星のヒュー・マセケラほか、ミシェル・ンデゲオチェロ、ポール・サイモンら大物アーティストと共演をしてきたタンディスワは、2016年の『Belede』ではビリー・ホリデイを意識したようなジャズ・シンガーへの道を歩きはじめる。そして、この度リリースされた新作『Sankofa』では、ミシェル・ンデゲオチェロと同郷のンドゥドゥゾ・マカティーニを共同プロデューサーに迎え、ヨハネスブルグ、セネガルのダカール、ニューヨークで録音をおこなった。
 反アパルトヘイト活動家のスティーヴ・ビコの演説を引用した “Biko Speaks” はじめ、『Sankofa』には政治的なメッセージに彩られている。“Kunzima: Dark Side Of The Rainbow” の終わりでは南アフリカ議会での嘲笑のような音声がコラージュされ、現在の南アフリカ政府への政治不信を示している。“With Love To Makeba” は南アフリカ出身の偉大なるシンガーであるミリアム・マケバに捧げたものであり、反アパルトヘイト活動に傾倒した彼女が国外追放され、その後ギニア大統領の庇護を受けてギニアに移り、音楽活動を継続していった経緯などについても触れている。ちなみに『Sankofa』とは、西アフリカのガーナの言葉で「過去からの学びを未来へ生かす」というような意味。アフリカ系アメリカ人とアフリカのディアスポラの重要なシンボルである鳥の形を示すものとしても知られる。南アフリカ、セネガル、アメリカと3か所で録音し、ミシェル・ンデゲオチェロというアフリカ系アメリカ人の視点も加え、タンディスワの汎アフリカ主義が主張となって表れたアルバムと言えよう。

 音楽的に『Sankofa』の軸をなすのはジャズとアフリカ民謡で、そこにクワイトやムバカンガといった新しい南アフリカの音楽を融合している。“Emini” はマリ音楽のようなビートを持ち、そこにエレクトリックなアプローチを交えたもの。“Dogon” では西アフリカのコラやンゴニといった固有の楽器が用いられるが、これらセネガルのミュージシャンとのセッションはンドゥドゥゾ・マカティーニによってまとめられている。“Children Of The Soil” はアルバム中でもっともスピリチュアルなナンバーで、ビリー・ホリデイとミリアム・マケバの両者から影響を受けたような歌唱を披露する。アフリカの大地から生まれた子どもたちが、政治や貧困に苦しめられる、そんな苦難を歌にした作品であり、黒人奴隷の悲哀を歌にしたビリー・ホリデイやアパルトヘイトと戦ったミリアム・マケバへと繋がるものだ。タンディ・ントゥリのピアノをフィーチャーした “Xandibina Wena” もディープなジャズ・ヴォーカル作品で、動物的で野性的な甲高い歌声が心に残る。


Kavyesh Kaviraj
Fables

Shifting Paradigm

  カヴィエシュ・カビラジはミネソタ州のツイン・シティーズ(ミネアポリス~セントポール)を拠点とするピアニスト/作曲家で、『Fables』はデビュー・アルバムとなる。オマーンでインド人両親の元に生まれた彼は、2歳のころにはすでにピアノをはじめたという早熟児で、南インドのカルナータカ音楽と北インドのヒンドゥスターニー音楽を学んでいった。音楽家である父からはクラシックと現代音楽に関するレッスンを受け、10代に入るとインドに移り住んでスワルナブーミ音楽アカデミーに入学。2016年にツイン・シティーズへ移住し、アメリカで本格的な音楽教育を受ける。2019年からバークリー大学でジャズ専門コースを選択し、ダニーロ・ペレス、ケニー・ワーナー、ジョアン・ブラッキーンらに師事する。2020年に音楽修士の学位を取って卒業してからは、ジャズを主戦場にしつつもR&Bやヒップホップ、ファンク、ゴスペル方面のセッションにも参加してきた。現在はセント・トーマス大学でピアノ学部の教師を務めるほか、カールトン・カレッジやウォーカー・ウェスト・ミュージック・アカデミーで客員講師を務めるなど、おもに音楽教育家として活動する一方、自身の音楽制作やバンド活動もおこない、そして発表したのが『Fables』である。

 『Fables』のメンバーはカヴィエシュ・カビラジ(ピアノ、キーボード)以下、ジェフ・ベイリー(ベース)、ケヴィン・ワシントン(ドラムス、パーカッション)、ピート・ホイットマン(サックス)、オマー・アブドゥルカリム(トランペット)で、楽曲によってゲスト・シンガーやストリングスが加わる。抒情的なメロディによるモーダルな “Who Am I”、ブラジリアン・リズムを取り入れたジャズ・サンバ調の “Saudade”、ダイナミックなピアノが飛翔感に満ちた演奏を展開する “Rain”、変則的なリズムが躍動する “They Cannot Expel Hope” などが並ぶなか、“Lullabuy” ではインド固有の木管楽器であるバーンスリーをフィーチャーしていて、インド系のカヴィエシュらしい楽器使いと言えよう。ここでのバーンスリーとタブラのようなパーカッション、ストリングスとピアノによるラーガ的な美しいアンサンブルは、幼少からインド音楽を学び、ジャズの世界でも研鑽を積んできたカヴィエシュだから出せるものだろう。


Frank London
Brass Conspiracy

Tzadik

 ニューヨーク出身のフランク・ロンドンはクレズマーのトランペット奏者である。クレズマーは中央~東ヨーロッパで広まったアシュケナージ(ユダヤ人)による音楽で、ギリシャやルーマニアなどの民謡や、バロック音楽、ドイツやスラブ地方の民俗舞踊音楽、ユダヤの宗教音楽などがミックスされた民間音楽として親しまれた。19世紀後半にはアメリカにも広まり、1910~20年代にはジャズと結びついてビッグ・バンドで演奏されるなど、ポピュラー音楽のひとつとして人気を得た。その後、第二次世界大戦中にアメリカにおけるクレズマーは人気の低下を迎えてしまうが、1970年代以降はリヴァイヴァルし、近年はジャズやファンク、ロック、パンクなどと結びついて新たなファン層を拡大している。改革派ユダヤ人の家庭に生まれたフランク・ロンドンは、10歳のころからトランペットをはじめ、1980年にニュー・イングランド音楽院でアフリカ系アメリカ人音楽の学士号を取得。ニューヨーク州立大で音楽講師を務めるほか、クレズマティクスやハシディック・ニューウェイヴなどのクレズマー・バンドで演奏した。デヴィッド・バーンと戯曲家のロバート・ウィルソンによるオペラ『 The Knee Plays』では、指揮者と音楽監督も務めている。そして、自身のバンドであるクレズマー・ブラス・オールスターズを結成し、2000年からアルバム・リリースもおこなう。ほかにもフランク・ロンドン・クレズマー・オーケストラ、フランク・ロンドン・ビッグ・バンド、フランク・ロンドン・アンサンブル、フランク・ロンドン・グラスハウス・オーケストラなどジャズやクレズマー系のバンドを多数率いるなど、ニィーヨークにおけるクレズマー音楽の第一人者的存在と言えるだろう。これまでラ・モンテ・ヤング、アイザック・パールマン、ジョン・ケイル、アレン・ギンズバーグ、ガル・コスタ、レスター・ボウイ、イギー・ポップ、ピンク・フロイド、ジョン・ゾーン、メル・トーメ、ユッスー・ンドゥールなど、さまざまなジャンルの多士多彩な面々と共演してきた。

 レコードも精力的にリリースしているフランク・ロンドンだが、2024年はまずジ・エルダーズというバンドを率いて『Spirit Stronger Than Blood』をリリース。ニューヨークのフリー・ジャズや前衛音楽を代表する老舗レーベルの〈ESPディスク〉からリリースされたというのが興味深いのだが、内容的にはクレズマーよりもジャズ寄りのもので、ゴスペルやスピリチュアル・ジャズ的な要素が濃いものだった。録音時期は2023年の7月と1年ほど前のものだったが、続いてリリースしたのが最新作の『Brass Conspiracy』である。“Engraftamento” はミスティックなムードのラテン・ジャズ作品で、キップ・ハンラハンの作品に近いイメージを持つ。1980年代にフランク・ロンドンはジャック・ブルースなどと共にキップ・ハンラハンのグループで演奏していたこともあり、そうした時代も彷彿とさせる。一方、“Rube G Funk” はジャズ・ファンクで、大衆音楽であるクレズマーと結びついてジャム・バンド的なセッションを繰り広げる。ジャズとクレズマーのわかりやすい魅力が詰まった演奏と言えるだろう。

interview with Toru Hashimoto - ele-king

 私たちは皆、「Free Soul」以後のパラダイムにいる。何を大げさなことを、と思うかも知れないが、こればかりは確実にそうなのだ。音楽を楽しむにあたって、そこに聞こえているグルーヴや、ハーモニーの色彩、耳(肌)触りを、その楽曲なり作り手であるアーティストの「思想」や「本質」に先んじる存在として、自分なりの星座盤とともに味わい、愛で、体を揺らすというありようは、現在では(どんなにエリート主義的なリスナーだとしても、あるいは、当然、どんなに「イージー」なリスナーだとしても)多くの音楽ファンが無意識的に共有するエートスとなっている。だからこそ、その革新性にかえって気付きづらいのだ。しかしながら、そうした音楽の楽しみ方というのは、元々は1990年代に少数のトレンドセッターたちによって試みられてきた、(こういってよければ)「ラジカル」な価値転換によって切り開かれてきたものなのである。その事実を忘れてしまってもいまとなってはそこまで困ることはないだろうが、同時に、その事実を丁寧に噛み砕きながらリスニング文化のこれまでを振り返ってみる行為にも、思いの外に巨大な楽しみがあるものだ。
 そう。Free Soulとは、あなたと私にとって、紛れもない「空気」なのだ。それも、いざ思い切り吸い込んで味わってみれば、その爽快感と美味が病みつきになってしまうたぐいの。
 いまから30年余り前。Free Soulという「発明」は、いったいどうやって成されたのか。「発明家」橋本徹は、そのときにどんなことを考え、何を提案しようとしていたのか。そしていま、どんな思いでFree Soulという我が子と対面するのか。30周年を記念する「ベスト・オブ・ベストFree Soul」なコンピレーション・アルバム2作品=『Legendary Free Soul ~ Premium』(Pヴァイン)と、同『Supreme』(ソニー)の発売に際し、じっくりと話を訊いた。

マニアの狭いコミュニティの中での評価とかレア度とかで何を載せるのかを決めるんじゃなくて、どういうふうに紹介するか、もっといえばどういうふうに「見せる」かということをすごく意識していました。

橋本さんは「Free Soul」というコンセプトを立ち上げる前に「Suburbia」のシリーズや同名のレコード・ガイドを展開されていますが、どういった経緯でFree Soulというコンセプトが生まれてきたんでしょうか?

橋本:Suburbiaでは、フリーペーパーの時代から、基本的にソフトでスマート、スウィートでソフィスティケートされた音楽――具体的には、フレンチやボッサ、カクテル感覚のジャズ、映画音楽、ソフトロックなど――を新しい感覚で楽しむことを提案していたんです。それで、渋谷のDJ Bar Inkstickでやっていたパーティや、TOKYO FMの番組「Suburbia’s Party」の集大成的なものとして、1992年末に『Suburbia Suite; Especial Sweet Reprise』という本を出したんですが、いろんな中古レコード・ショップが本に載っているタイトルを掻き集めて売るようになったり、各レコード会社から再発の相談を受けたり、とても大きな反響があって。まずはそれが前段階ですね。

それまではあくまでメーカー側主導のリイシューが主流だったことからすると、リスナーの側が作ったカタログ本が再発のきっかけになったというのはかなり革新的なことですよね。

橋本:そうですね。業界からリスナーへと情報が降りてくる従来のルートとは反対の矢印だったんです。そしてそれは、1990年代のいろんなカルチャー・シーンで同時に起こっていたことでもありますね。ありがたいことにたくさんのリイシュー監修のオファーをいただいて、すごく充実した1993年を過ごしていたんですが、そもそもSuburbiaで紹介していた音楽というのは、僕の嗜好の中のあくまで一部分だったんです。次第に、自分がリスナーとして熱心に聴いていたUKソウルやアシッド・ジャズと共振するテイストと、一冊目のレコード・ガイドで提示した過去の音楽の新たな解釈とか、当時の東京ならではのリスニング・スタイルを合流させていきたいなと思うようになって。

そこで、70年代のソウル・ミュージックとその周辺の音楽をFree Soulというタームとともに提案するようになった、ということですね。

橋本:はい。一冊目のSuburbia本の続編や縮小版みたいなものをもう一度やるよりも、そのときの自分の熱い気持ちを反映したコンセプトにしたいと思っていたんです。ある種のコントラストを見せたかったということですね。そこから、1994年の3月に「Free Soul Underground」というDJパーティをはじめて、翌月に二冊目の本『Suburbia Suite; Welcome To Free Soul Generation』と、Free Soulのコンピレーション・シリーズ第一弾である『Impressions』と『Visions』が出たんです。もともと、『Impressions』と『Visions』も、〈BMG〉のディレクターがサントラ~ラウンジ系のレコードの再発企画を持ちかけてきたのに対して、こちらから「次はソウルで行きませんか?」と逆提案したものなんです。

周囲からの反応はどんなものでしたか?

橋本:最初の頃は「え? ソウル?」みたいな反応がかなりありましたね。けれど、NANAの小野英作くんがデザインしてくれたロゴやアートワークの魅力も大きかったと思うんですが、若い女性含めて、それまでソウル・ミュージックに馴染みのなかったリスナーがこぞって手に取ってくれたんです。

まさに、「切り口」の勝利。

橋本:そういう意味では、僕が1992年に初めて手掛けたコンピレーション『'Tis Blue Drops; A Sense Of Suburbia Sweet』が好評だったというのも、前夜的な流れとしてとても重要でした。ウィリアム・デヴォーンとかカーティス・メイフィールドのメロウ&グルーヴィーな曲が入っているんですが、いかにもソウルっぽいヴィジュアルは避けて、スタイリッシュで洒落たジャケットにしたんです。

それまで、ソウルやブラック・ミュージックのファンといえば、一方ではマニアックなおじさんたちが蠢いていて、片や六本木あたりのディスコでちょっとやんちゃな人たちが楽しんでいて……というイメージだったわけですよね。

橋本:そうそう。頑固なコレクター的な世界と、「ボビ男」くん的な世界がほとんど(笑)。そういうイメージが強固にあったからこそ、いわゆる渋谷系的なセンスと重なり合うヴィジュアル面での工夫がとても重要だったんです。

その辺り、Suburbiaの活動と並行して出版社に勤めていた橋本さんならではのエディトリアルなセンスを感じます。

橋本:そういう感覚はフリーペーパーの時代から特に意識せずとも自然と大切にしていましたね。マニアの狭いコミュニティの中での評価とかレア度とかで何を載せるのかを決めるんじゃなくて、どういうふうに紹介するか、もっといえばどういうふうに「見せる」かということをすごく意識していました。だからこそ、当時ブラック・ミュージックの大御所の評論家の方から「まったく、重箱の隅をつついて……」みたいな小言も言われましたけどね(笑)。

日常の全てが幸せなわけではないけど、前向きなマインドになれたり、輝く瞬間があって。そういうありふれた日常を励ましてくれるのがFree Soulであり、『LIFE』だったんじゃないでしょうか。

ご自身のソウル原体験はどんな感じだったんですか?

橋本:80年代前半にイギリスのインディ・シーンから出てきたアーティスト、例えばアズテック・カメラやペイル・ファウンテンズ、エヴリシング・バット・ザ・ガールなどの影響元を探っていくうちにっていう流れですね。いちばん大きかったのはスタイル・カウンシル。ポール・ウェラーはソウルからの影響を特に頻繁に公言していたし、実際にカーティス(・メイフィールド)をカヴァーしているので、高校生くらいから自然と興味を持つようになったんです。オレンジ・ジュースもアル・グリーンのカヴァーをやっていたりとか。そこからまずはマーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイ、スティーヴィー・ワンダー、ビル・ウィザース、スライ(&ザ・ファミリー・ストーン)あたりを好きになって。

日本で言うところの「ニューソウル」系ですね。

橋本:はい。一応は当時出ていたブラック・ミュージック評論家の方たちの本も買って読んだりはしていたんですけど、激賞されているものがあまり刺さらなかったり、反対に、自分が素晴らしいと感じたものが軽視されたり無視されていたりして(笑)。やっぱり、物差しというか価値観が違うんだなとその時点から思っていました。

レアグルーヴとの出会いはいつ頃ですか?

橋本:80年代後半、大学生の頃でした。ダンス・ジャズやアシッド・ジャズのムーヴメントもあまり時差なく日本に伝わってきて、自分と近い感覚だなと感じていましたし、フィロソフィー的にもシンパシーを抱くようになっていきました。

DJという存在を意識するようになったのは?

橋本:少し後、1990年前後だと思います。大学3、4年くらいから渋谷や青山、西麻布あたりの小箱に遊びに行くようになって、徐々に意識するようになりました。けど、その頃は後に自分でもDJをするようになるとは思っていなかったですね。むしろ、〈アーバン〉とか〈チャーリー〉とか、UKのいろんなレーベルから出ているレアグルーヴ系のコンピレーションを通じて、コンパイラーという存在に先に興味を持っていました。もともとプライベートな選曲テープを作るのが好きだったので、それと同じ感覚で楽しんでいましたね。「これはバズ・フェ・ジャズっていう人が選曲していて、こっちはジャイルス・ピーターソンがやっているんだな」っていうふうに。

ある種の統一的なセンスを元に、一見無関係そうな曲を並べるっていうコンピレーションのあり方自体が新鮮だったということですよね。

橋本:そうです。当時は、単純にビッグヒットを並べただけとか、単体アーティストのベスト盤にしても、律儀に年代順に並べたものばかりだったので。いちばんわかりやすいのがジェイムス・ブラウンのベスト盤ですね。既存のものは、ほとんどが「プリーズ、プリーズ、プリーズ」はじまりなわけですよ。こっちはもっとファンキーなものを聴きたいのに(笑)。だからこそ、クリフ・ホワイトがレアグルーヴ~ヒップホップ世代に受けそうな曲を中心に選んだコンピ『イン・ザ・ジャングル・グルーヴ』(1986年)が新鮮だったんです。後にFree Soulでアーティスト単体のコンピを出すにあたっても、そういった発想にはかなり影響を受けていると思います。

音楽ファンの全員がそのアーティストのことをクロノジカルに研究したいと思っているわけじゃないですもんね。

橋本:まさにそうですよね。

ロックを中心とした旧来の音楽ジャーナリズムやエリート主義的な音楽リスナーのコミュニティでは、それって「不都合な真実」でもあったわけですよね。それを、レコード好きの視点から鮮やかに提示してみせちゃったというのは、ある意味でパラダイム転換だったと思うんですよ。

橋本:評論的な観点から音楽を聴く人なんて、音楽好きの中でもごく一部だけでしょう。大勢の人はあくまで感覚先行で聴いているんですよね。Free Soulが大事にしてきたのも、まさにそういうリスニングのあり方なんです。

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やっぱりFree Soulの全盛期である90年代半ばの熱気や輝きがダイレクトに感じられるようなものにしましょうという話になって。

今回の30周年コンピレーションを聴いても、改めてFree Soul的な感覚の核には、オーガニックなサウンドというか、反デジタル的なカラーがあるなと感じたんですが、そういう志向には、1990年代当時の主流シーンへのアンチテーゼも込められていたんでしょうか?

橋本:じつはそこはあまり意識していなかったんです。単純に、僕の好みがそういう生っぽいサウンドだったということですね。いわゆるネオ・アコースティック系のサウンドが原体験にあるので、どうしても生楽器の質感への愛着が選曲に反映されがちなんじゃないかと思います。だから、一口に70 年代ソウルといっても、同時期のシンガーソングライターものとの接点にあるような音楽が特に好きなんですよね。象徴的な例を挙げるとしたら、アイズレー・ブラザーズ。彼らの例えば、キャロル・キングやジェイムス・テイラー、スティーヴン・スティルスやトッド・ラングレンのカヴァーをやったりしている時期が好みなんですよ。

ちなみに、その辺りの作品も旧来のディスクガイドの評価だと……。

橋本:ほとんど相手にされていないどころか、綺麗にスルーされていたり(笑)。でも、自分にとっては本当に大切な曲たち。ラティモアのアル・クーパー “ジョリー” のカヴァーも昔は完全に敵視されていたし、リロイ・ハトソンやダニー・ハサウェイみたいに大好きな声の持ち主が、「歌が弱い」って切られていたり。テリー・キャリアーにしても全く無視されていたり、といった感じだったんですけど、自分は死ぬほど好きで。だから、その人が感覚的に好きであれば、なんでもFree Soulと言えちゃうんですよね。でもその一方で、アコースティック・ギターのカッティングとか、心地よい16ビートのグルーヴとか、ある種のスタイルを指す言葉として広まっていったのも確かですね。

“ジョリー” のオリジネーターであるアル・クーパーとか、他にもトッド・ラングレンとか、エレン・マキルウェインとか、メリサ・マンチェスターとか、ロック~フォーク~ポップス系、あるいはコーク・エスコヴェードのようなラテン系のアーティストの曲に、ソウルの視点から光を当ててみせたというのも、とても大きな意義があったと思います。

橋本:ブルー・アイド・ソウルって言葉が好きだったんですよね。でも基本的に、旧来のロック批評というのは、特定のアーティストをカリスマ的な存在として絶対視するようなものが多かったですからね。だから、当時はベテランのロック・ファンからもいろいろと言われたりしました(笑)。

先ほども渋谷系の話が少し出ましたけど、リアルタイムの音楽シーンとの連動感もとても印象に残っています。小沢健二さんの『LIFE』(1994年)なんて、モロにFree Soul的なサウンドですよね。

橋本:当時からそれはよく指摘されましたね。「何々の曲が引用されている」ということ以上に、あのアルバムで表現されていた街の空気感だったり、当時の20代の若者たちが感じていた気持ちっていう面で、すごく共鳴するところがあったんだと思います。もちろん、日常の全てが幸せなわけではないけど、前向きなマインドになれたり、輝く瞬間があって。そういうありふれた日常を励ましてくれるのがFree Soulであり、『LIFE』だったんじゃないでしょうか。

いきなり生々しい質問になっちゃいますが、第一弾リリースの『Impressions』と『Visions』ってどれくらい売れたんですか?

橋本:『Visions』は把握していないんですけど、『Impressions』はイニシャルは2,000枚弱だったんですが、1990年代の後半の時点で3万枚を超えたと聞きました。

CD売上の全盛期とはいえ、旧曲を集めたコンピでそれは相当すごい数字ですよね。

橋本:この間、稲垣吾郎さんがパーソナリティをやっているTOKYO FMの『THE TRAD』っていう番組のFree Soul特集にゲストに呼ばれて出演したんですが、彼も当時『Impressions』を買ったって言っていました。その後も、渋谷のタワーレコードでFree Soulのジャケットがずらっと並んでいるのを仲間と手分けして集めていたらしくて。

へえ! 当時のSMAPのあのサウンドはプロダクション・チームに限らずちゃんと一部メンバーの志向と合致していたってことなんですかね。それこそ時代に共有された空気の濃さを感じさせる話ですね。

橋本:ちなみに、売上数で言うと、共にHMV渋谷の邦楽売り場でも売上チャート1位になった、〈ポリドール〉の『Parade』(1995年)と『Lights』(1996年)の方がもっと売れているんですよ。特に『Lights』はジャクソン・シスターズが入っている効果もあってか、2000年代初頭の時点で5万枚以上売れていると聞きました。アーティスト単体ものだと、アイズレー・ブラザーズのコンピ二枚(1995年)、『メロウ・アイズレーズ』と『グルーヴィー・アイズレーズ』はかなり売れましたね。それ以上に爆発的に売れたのが、1999年にFree Soulベストを編んだジャクソン・ファイヴでしたけど。

いやはやすごいなあ。

橋本:さっきの『LIFE』の話しかり、Free Soul的なサウンドとか価値観っていうのは、1990年代の時代的なムードと深いところで響き合っていたんだと思うんです。バンド・ブームやユーロビートが収束したあと、渋谷系に限らず、同時代の邦楽アーティストの曲に横揺れのグルーヴが浸透して行きましたよね。もちろんそこには、ニュー・クラシック・ソウルの流行とか、他にも要因があったと思いますけど。

そういう意味では、1995年という早い段階から『Free Soul '90s』というシリーズを立ち上げて、同時代の曲をコンパイルしていったというのも、とても重要な動きだったと思います。

橋本:同時代のシーンとの連動という意味でもプラスでしたし、旧曲のコンピであるそれまでのFree Soulのシリーズとも良い補完関係を築けましたね。「古いものの掘り起こし」である以上に、あくまで「90年代の感覚から楽しむ」という、現在から過去を見渡したときに輝いているものに光を当てるというパースペクティヴがベースにあることを、カヴァーやサンプリングを通してわかりやすく提示できましたので。

橋本さんはその後、「Cafe Apres-midi」や「Mellow Beats」、「Jazz Supreme」や「Good Mellows」など、Free Soul以外にもたくさんのシリーズを手掛けられていくわけですが、それぞれのシリーズをどう差異化していったんでしょうか?

橋本:自分の中で明確な線引きがあるわけじゃないんですよね。もちろん、カフェで聴いて心地よい音楽というコンセプトや、ジャズとヒップホップの蜜月をテーマにしたりとか、大きなくくりはありますけど、あくまでその時代々々の感覚で選曲していくイメージで。あえて各シリーズの境目をグラデーション状にして互いにイメージが広がっていくようにしたり、リスナーが親和性を感じられるようにしたりすることもありましたし。贅沢を承知で言わせてもらうと、僕の手掛けてきたコンピレーション全てを連続した物語として捉えてくれたらすごく嬉しいという気持ちがあって。

1990年代当時に、学生の頃からイギリスの音楽に親しんできた東京の普通の若者が過去の音楽をこうやって再解釈して提示したっていうこと自体がいまやひとつの歴史だと思うし、そこで提示されたパースペクティヴがいかにフレッシュだったのかというのを伝えられればと思っていて。

今回のFree Soul 30周年コンピ盤はどういうコンセプトで選曲されたんですか?

橋本:まず、〈Pヴァイン〉の山崎真央さんから「30周年で何かやりましょう」と声をかけてもらって、アイデア出しをしたんです。そのときはもっと現代寄りのコンセプトを提案したんですが、話し合っているうちに、やっぱりFree Soulの全盛期である90年代半ばの熱気や輝きがダイレクトに感じられるようなものにしましょうという話になって、2作品合計4枚にわたって人気曲やキラーチューンを惜しげもなく入れる方向に転換していきました。結果的に、Free Soulのまさに「ベスト・オブ・ベスト」的な選曲になりましたね。

Free Soulシリーズを初めて知るリスナーにもビシバシ響きそうな選曲だと思いました。

橋本:そう、セレクションを見れば自明なように、今回いちばん大事にしているのは、「次世代につなぐ」という意識なんです。昔からのFree Soulファンにニュー・ディスカヴァリーを提示するというよりは、このアニヴァーサリーのタイミングで、若い世代にFree Soulは魅力的だと思ってもらえるようなものを形として残しておきたいという気持ちになれたというか。音楽好きの若い人たちはすごく多いし、好奇心や興味もたくさん持っていると思うんですが、ただ点と点があるだけじゃ伝わりづらいので、それを繋いで線にしてみせたり、星座を描いてみせたり、あるカラーを提示するっていうことができればいいなと思っていて。

「なんでもあり」的に断片化した今のメディア環境や情報流通の速度からしても、そういう行為の重要性はかえって大きくなっている気がします。

橋本:そうなんですよね。正直、僕らの世代からしたら「まだこの曲をプッシュするのか」って思ってしまいがちだし、自分の最新の関心に基づいてプレゼンテーションしたくなるところなんだけど、もっと俯瞰して次へ繋ぐっていうことを大切に考えると、「確かにド直球もありなのかな」と思えるようになってきたんです。1990年代当時に、学生の頃からイギリスの音楽に親しんできた東京の普通の若者が過去の音楽をこうやって再解釈して提示したっていうこと自体がいまやひとつの歴史だと思うし、そこで提示されたパースペクティヴがいかにフレッシュだったのかというのを伝えられればと思っていて。これまでFree Soulという看板を背負っていろんな経験をさせてもらった身としても、これはやり続ける価値のあることだよなっていう気持ちがありますね。

ある種の責任感のような?

橋本:そうかもしれませんね。あの当時、「フリー・ソウル・ルサンチマン」って言葉がよく使われたくらいで(笑)、他のDJやコレクターやマニアの人たちからしてみれば、ひがみややっかみも含め「なにがFree Soulだよ、やりたいことやって」っていう気持ちもあったと思うんです。もともと好きだったものが、突然出てきたFree Soulっていう言葉のせいで他人のもの、一般的なものになってしまったような気持ちを抱いた人もいるだろうし、実際、労力とお金をかけて同じような領域を僕以上に深く掘っている人だっていたはずなんですよね。そういう中で自分はたまたま、やりたいことをやらせてもらえる恵まれた立場だったので、ちょっとでも注目されなくなったらすぐにやめちゃうんじゃなくて、そういう人たちに対しての責任も果たしたいなという気持ちもありますね。

手掛けられた仕事の数々に触れていても、なおかつこうしてお話を伺っていても、橋本さんの30年余りの仕事って、聴く人の時間の積み重ねやライフステージの変化に並走してくれている感じがするんですよね。クラブ・カルチャーに限らず、ライフステージの変化によって音楽とかカルチャーから離れちゃう例って、本当にたくさんあるじゃないですか。でも、Free SoulやCafe Apres-midiは、移り変わりや変化の中でも、気づけばそこにある感じがして。

橋本:それは自分でも意識している部分ですね。僕は歌も歌えないし楽器も弾けないし、ただレコードが好きなだけでいろんな提案をしてきたわけですけど、音楽ファンとして時々の生活のシチュエーションやシーンと結びつけて提案するというスタイルこそが自分の立ち位置だと思ってやってきたんです。僕が選んだ音楽を聴いてもらうことによって、日々の暮らしの中である情景とかシチュエーションが素敵なものになったり、大切な瞬間が再生されるようになったら、すごく嬉しいですね。

音楽を愛し続けるのも、案外エネルギーがいることですよね。若い頃に熱烈な体験をしていたりすると、加齢とともに余計にそう思ってしまう気もします。

橋本:周りからも、レコード買うのをやめてしまったっていう声が聴こえてきたりするんですけど、そういう話を聞くと、前までは「え~」って思っていたけど、僕も50代になって結婚をして初めてその気持ちが理解できました(笑)。けど、せっかく大好きだった音楽から離れちゃうのはやっぱり残念じゃないですか。一回やめてしまった習慣をまたはじめるのは本当にエネルギーがいりますけど、だからこそ、サブスクでもコンピでもいいから、もっとみんな毎日のシチュエーションの中で気軽に音楽に触れて欲しいなと思いますね。

単純に心がウキウキしたり、リラックスしたり……って、あまりにも当たり前のことかもしれないですが、よくよく考えればめちゃくちゃスゴいことですよね。育児しながらBGMとして聴いてもいいし、家事や通勤の最中に聴いてもいいし。

橋本:そうそう。まさにFree Soulなんて、そういうときに輝いて聴こえたり、胸に沁みたりするエヴァーグリーンな音楽だと思いますしね。僕自身、あくまでカジュアルに手にとってもらいたいなと思ってやってきましたし、つねにイージーリスナーズに優しいっていう意識を大切に、クリエイティヴと向き合ってきましたから。Suburbiaの最初のフリーペーパーのサブキャッチからして、トット・テイラー主宰の〈コンパクト・オーガニゼーション〉に倣って、“Earbenders for Easy Listeners”だったくらいですし。

そして、あくまでパッケージで出すというのも改めて意義深いと思います。ストリーミングは間違いなく便利だしイージーリスナーズに優しいけれど、音楽という文化によりコミットしているという実感を促す装置という視点でいっても、なんだかんだ「物体を所有すること」の価値は減じてないと思うんです。

橋本:もしかすると、ライトなリスナーの方ほど、「モノ」に敏感かもしれないなと最近思うことがありますね。「なんかカッコいい」とか「お洒落だな」で全然いいと思うし、雰囲気で聴いていいと思うし、レコード会社もあきらめずに、そういう人たちへぜひ音楽を届けるべきですよね。

橋本徹(SUBURBIA)
編集者/選曲家/DJ/プロデューサー。サバービア・ファクトリー主宰。渋谷の「カフェ・アプレミディ」「アプレミディ・セレソン」店主。『Free Soul』『Mellow Beats』『Cafe Apres-midi』『Jazz Supreme』『音楽のある風景』シリーズなど、選曲を手がけたコンピCDは350枚を越え世界一。USENでは音楽放送チャンネル「usen for Cafe Apres-midi」「usen for Free Soul」を監修・制作、1990年代から日本の都市型音楽シーンに多大なる影響力を持つ。最近はメロウ・チルアウトをテーマにした『Good Mellows』シリーズや、香りと音楽のマリアージュをテーマにした『Incense Music』シリーズが国内・海外で大好評を博している。

interview with Fontaines D.C. (Conor Deegan III) - ele-king

 2019年の『DOGREL』の衝撃から5年、4枚目のアルバム『Romance』へと至る道、フォンテインズD.C.はもはや単純にポスト・パンクという言葉でくくれるようなバンドではない。レーベルが変わり、バンドの立つステージは大きくなり、周囲の環境も変わった。アイルランドを離れてのツアー生活、3枚のアルバムのプロテュースを務めたダン・キャリーのレコーディングから、アークティック・モンキーズやゴリラズを手がけるジェイムズ・フォードとともにフランスの大きく古いスタジオで収録した4thアルバム。作曲方法も変わり、年齢を重ねた感性も変化しバンドはまた違うものになっていく。変わらないのは暗さを抱えた憧れるようなフォンテインズのロマンだけだ。00年代後半のニュー・メタルのサウンドを解釈した “Starburster” の衝動に、80年代のギター・ポップ・バンドのようなきらめきを持った “Favourite”。それらは心を躍らせ、そうして自問自答を繰り返すフォンテインズの渦の中に返っていく。アルバムのなかで繰り広げられる探求、「ロマンスとは場所なのかもしれない」。最初に配置されたタイトル・トラックのなかで響くグリアンのその声がアルバム全体を通してずっと頭に残り続ける。場所と記憶と概念、そして感情、それらが交じり合うポイントにこそロマンスはあるのかもしれない。それは決して甘いだけのものではなく闇を感じさせもするもので……。

 23年2月の単独公演以来、フジロックのために来日したフォンテインズ。だが取材を予定していたカルロス・オコンネルは現れず、取材時刻から少し遅れてギターのコナー・カーリー、 ベースのコナー・ディーガン、 そしてドラムのトム・コールの3人が到着。カルロスが時間内に来ることは難しいという状況のなかで、カルロスに代わり急遽ベーシストのコナー・ディーガンがこのインタヴューに答えてくれた。彼は終始ご機嫌で、撮影の待ち時間に「パーパパッパパッパパー、パパパッパー」とフィッシュマンズの “LONG SEASON” を口ずさみながら歩き回っていた(取材後1時間ほどしてカルロスとグリアン・チャッテンが姿を見せ、撮影はメンバー全員でおこなわれた)。ディーガンが口ずさむ唄のように季節は変わり、ダブリンのこのバンドは新たな段階に入っていく。来夏の4万人規模の公演も決まり、大きくなっていくフォンテインズに4thアルバム『Romance』のその探求について話を聞いた。

過去のいろんな時代から見た未来というか、過去の時代に想像していたような未来の姿を表現したかった。残念だけどいまの時代に未来を想像しても、いい感じの未来が見えて来そうにないからさ。でも過去のある地点、たとえば90年代に思い描かれていた未来っていうのはもっと面白く、もっといいものだったような気がするんだよ。

今日はよろしくお願いします。フォンテインズとしては去年2月の単独公演以来の来日で。そのときとは季節も変わってまた違うかと思いますが、日本の夏の印象はどうですか?

コナー・ディーガン(Conor Deegan、以下CD):そうだね冬に来たときとは全然違う体験をさせてもらっているよ。なんていうかな前に来たときはもうちょっと穏やかな感じだったから。いまはまぁちょっと暑いよね。暑すぎ。

来てからどこかに行ったりしましたか?

CD:まだどこにも行ってないんだ。なにしろ着いてからまだ13時間くらいだから。

変化といえばバンドとしてもレーベルが〈XL Recording〉に変わりましたよね。音楽的に、あるいはその他の面でも違いを感じるところはありますか?

CD:うん、変化はいろんな面で感じているよ。仕切り直しっていうか新たなスタートを切りたいって考えていたから。音楽自体もそうだけど、それ以前に創作に対する空気が変わったって感じかな。〈XL〉は伝統あるレーベルで、いろんなバンドと契約してきた歴史があるから独特な空気があると思う。その一部になれたっていうのは光栄だし、うまくいっているんじゃないかって感じてる。もちろん前のレーベルもよかったんだけどね。

XLに所属しているアーティストで影響を受けた人はいますか?

CD:最初に名前を挙げるとしたら当然、キング・クルールかな。あと、影響を受けたっていうんならプロディジーも。

XL以外の人だと、最近はどんな音楽を聴いているんですか?

CD:ちょっと待って見てみるから(スマホを取り出してSpotifyの画面を見せる)。うん、いまはこんな感じかな。J・ディラ、チャーリー・XCX。あとはジェシカ・プラットの新しいアルバム『Here in the Pitch』、これはめちゃくちゃよかったよね。それにテス・パークス。

当時、ビートルズがメロトロンを使って表現しようとしたのは未来の音だったはずなのに、いまそれを聴いて僕らが感じるのが懐かしさなんだって思うとなんだか変な感じだけど。

今回からプレスショットの感じも変わりましたよね? いままでの落ち着いたものから一気にポップになったような感じで。あなたとグリアンがプレゼンのパワポの資料にスパイス・ガールズの写真が並んでいて~みたいなことを言っていたインタヴューの動画を見て……

CD:(笑)違う、違う。あれは冗談だよ、冗談。マジじゃないから。

あっそうだったんですね(笑)。実際はどんな感じだったんですか? かなりモードを切り替えたみたいな印象がありますけど、どのような意図であのプレスショットを撮ったんですか?

CD:僕たちが考えたことというか話し合ったことは「違った未来についての視点」を表現したいってことだったんだ。過去のいろんな時代から見た未来というか、過去の時代に想像していたような未来の姿を表現したかった。残念だけどいまの時代に未来を想像しても、いい感じの未来が見えて来そうにないからさ。でも過去のある地点、たとえば90年代に思い描かれていた未来っていうのはもっと面白く、もっといいものだったような気がするんだよ。映画の『12モンキーズ』(1996年/テリー・ギリアム監督)でも素晴らしい想像力で未来を描いていたし、1920年代の『メトロポリス』(1927年/フリッツ・ラング監督)も凄かった。そういう20世紀の映画のなかで描かれたような未来っていうのが大きなインスピレーションのもとになっている。グリアンのクリップで止めた髪っていうのはまさに1920年代の映画を参考にしているし、僕のとかカルロスの髪形はそれよりも先の時代、90年代に考えられていた未来の姿になっていると思うんだ。

過去から見た未来の表現っていうのは凄く面白いですね。未来のことでありながら同時にノスタルジックな感覚もあるという。話を聞いていて、アルバムに収録されている “Starburster” についてカルロスが「14歳のときに大好きでその後聴かなくなった曲をいま、再び愛するみたいなもの」と言っていたのにも近いものがあるのかなと思ったのですが、この過去と未来が交わるような感覚というのは曲を作る上でもありましたか?

CD:ノスタルジックっていうのはそうだね。“Starburster” にはそのアティチュードがあると思う。でもノスタルジックってだけじゃなくサウンド的にはもっと暗くて悲観的な部分もあってそれが混ざったような感じなんだけど。たとえば曲の真ん中くらいの部分にメロトロンを使ったところがあるんだけど、僕らにとってメロトロンの音は凄く懐かしさを感じさせる音なんだ。60年代のビートルズ気分になるみたいな。でもそれをもう少し、溶けたような感じにいじっていくと、喪失感のある、何かを失ったような感じにもなって……ダーク・ヴァージョンのノスタルジアって感じかな。当時、ビートルズがメロトロンを使って表現しようとしたのは未来の音だったはずなのに、いまそれを聴いて僕らが感じるのが懐かしさなんだって思うとなんだか変な感じだけど。
あとは90年代後半から00年代前半にかけてのニュー・メタル、たとえばコーンとかトゥールみたいな音楽の影響もある。そういう音楽を聴いていたときは子どもだったからその曲の持つテーマとかムーヴメントとかをよくわかっていなかったんだけど、いま聴くとミソジニーだって思えるところもあって。そういうよくない部分を取り除いてサウンドのクールなアイデアをいまの時代に合わせて再構築したって感じかな。

この言葉にはいろんな側面があって単にロマティックなものだけじゃないと思うから。毎日の生活のなかでロマンを感じるものだったり、人生における大切なものだと感じるようなものでもある。「ロマンス」には言葉にできない、きちんととらえられないような感情があって、痛みや悲劇的な側面だってあるんだ。

先行シングルとして発表された “Favourite” はこれまでのフォンテインズの曲とは印象が全然違って、80年代のギター・バンドみたいな疾走感や青春感がある曲でした。最初に聴いたときにこの曲からアルバムがはじまるのかなと思っていたのですが、実際には最後の曲で。アルバムはダークな “Romance” からはじまりますが、この曲順にはどんな意図があるのですか?

CD:アルバム全体のテーマとして「ロマンス」を探求するっていうのがあったんだ。ロマンスという概念はなんなんだってアルバムのなかでもう一回考えているみたいな。この言葉にはいろんな側面があって単にロマティックなものだけじゃないと思うから。毎日の生活のなかでロマンを感じるものだったり、人生における大切なものだと感じるようなものでもある。「ロマンス」には言葉にできない、きちんととらえられないような感情があって、痛みや悲劇的な側面だってあるんだ。だから “Romance” という曲からアルバムをはじめることで全体を通してそうした感情を探し、理解していく形にしたいって思いがあった。 ロマンスのポジティヴな面とネガティヴな面、両方に触れたアルバムになるように。
“Favourite” が最後なのは「ロマンス」という言葉の持つポジティヴな感情をアルバムの終わりで提示したかったからなんだ。「ロマンス」というものを探求した上で、僕たちにはそれができるんだってメッセージを最後に伝えたいって思いがあった。


photographer: YUKI KAWASHIMA collage: Ria Arai

レコーディングはどんな感じだったのでしょうか? 今回はジェイムズ・フォードとのフランスでのレコーディングだったということですが。

CD:うん。僕らにとってこれが初めてのイングランド外でのレコーディングだったんだ。大きな古いフレンチ・ハウスで、まぁ言ってしまうと幽霊が出そうな感じの場所だったんだけど。70年代の素晴らしい機材がいっぱいある大きな部屋で、音楽にインパクトを残せるようなスペースがたくさんあった。いままで僕らは小さな部屋の限られた空間のなか、ライヴ・セッティングで生々しさを閉じこめたみたいなレコーディングをしていたんだけど、今回は部屋の大きさに引っ張られてサウンドの大きさも変わっていったんだ。たとえばU2みたいにアリーナやスタジアムに響かせるような曲を録るにはレコーディングのやり方を変えなくちゃいけないよね。そんなふうに引っ張られていった結果としてアルバムの音も大きなサウンドになったと思う。

最近出演したフェスの映像などを見てもバンドとしてどんどん大きくなっているように感じていますが、曲作りにおいて1stアルバムを発表した当時と変化したような部分はありますか?

CD:曲作りに関して言うと、最初の頃はひとつの部屋に集まって演奏しながらみんなで作っていくってスタイルだった。ラップトップで誰かがデモを作ったのを持ち込んでみたいなことはやってなかったから。ライヴのための曲作りで、誰かの演奏がインスピレーションになってそこから曲が生まれたりもした。でも活動を続けていく内にツアーに出ることも増えて、みんなで一緒に集まって曲を作るってことが難しくなっていったんだ。だからここ数年はホテルの部屋でひとりで曲を作ることがほとんどになった。ラップトップで音楽を作るといろんな楽器を使うことができるよね? 実際には演奏できなくてもシンセとかストリングスとかトランペットとかを簡単に追加できる。昔は自分たちで演奏できないものは作れなかったけどいまは違って、選択肢がかなり広がった。そこから今度はライヴで実際に演奏するために調整するって過程が入ったりするわけだけど。とにかく、昔と違った形で曲を作っているっていうのは確かだね。このアルバムの曲は特にそうで、大胆なサウンドがたくさん入っている。そういう仕上がりになっていると思うよ。

今回のアルバムの曲で、ライヴで演奏するときに印象が異なったような曲はありましたか?

CD:うーん、今回のアルバムの曲はまだそこまでライヴでやっているわけじゃないからいまのところはなんとも言えない。ただやっぱり観客の反応が入ると印象が変わるよね。過去の曲で言えば2ndアルバムの “Lucid Dream” なんかはまさにそうで、作ったときにはこんなふうにライヴで大きく盛り上がる曲になるだなんて思わなかった。だから今度のアルバムの曲もそんなふうに変化していくと思うよ。“Starburster” はもう何度かライヴで演っているけど1stアルバムとか昔のアルバムの曲とは全然違う盛り上がり方をしていて。モッシュが起こるんじゃなくて合唱が発生するみたいな、そういう変化が起こっているかもしれない。

最後にアルバムのジャケットの話を聞きたいです。アートワークもいままでのものとガラッと雰囲気が変わりましたよね? ハートマークに涙を流した人の顔が写った、ある種異様とも思えるようなアートワークで。これはどういうものなんですか?

CD:このデザインはルー・リンって人が手がけたものなんだけど、僕も最初に見たときはほんとストレンジだなって思った。それこそ従来のものとは全然違う感じのものだったし。でも僕たちがやりたかった音楽、今回のアルバムのテーマを表すものとして考えると、このアートワークは凄くフィットしているって思うんだ。「ロマンスの形っていうのはこういうものなのか?」「本当にこれで合っているのか?」と問いを投げ掛けるようなものになっていて。それってまさに僕たちがこのアルバムでやろうとしていたことだから。ロマンスというものについて問いかけてくる、凄く良いアートワークだと思うよ。

interview with Shun Ishiwaka & Chihei Hatakeyama - ele-king

 10年代後半、いろんなところで彼の名前を見かけるようになった。若くして才を発揮したジャズ・ドラマーの石若駿は今年で活動20周年を迎える。といってもぼくが最初に彼の存在を意識したのはちょっと遅くて、小川充によるローニン・アーケストラ(2019)やAnswer To Remember(2020)のレヴューがきっかけだった。とくに後者のフュージョン・サウンドにおける多彩なアプローチとその技巧派ぶりには大いに驚かされた覚えがある。
 ほかにもCRCK/LCKSやSongbook Trioといったプロジェクトを抱える石若は共演数・参加作品数も尋常ではなく、日野皓正を皮切りにテイラー・マクファーリンカート・ローゼンウィンケルに……いや、ここまではわかるのだけれど、安住をよしとしない彼は軽々とジャズの領域を飛びこえ、くるりに岡田拓郎KID FRESINOにはては米津玄師まで、まさに八面六臂の活躍を見せている(角銅真実作品にもピアノで参加)。おそらく、2010年代後半以降の日本においてもっともその動向が注目されたドラマーが石若駿ではないだろうか。そんな彼がまだ足を踏み入れたことのない分野がアンビエントだった、と。

 打楽器奏者による演奏とアンビエントの組みあわせは、たとえばイーライ・ケスラーローレル・ヘイロー、山本達久と伊達伯欣のようにすでにこれまでも試みられてきているわけだが、こと日本においてはまだまだ探求しがいのあるアイディアかもしれない。石若駿と畠山地平によるほぼ即興そのままだという共作『Magnificent Little Dudes Vol.1』もまた、ふたりにとっての新境地であるのみならず、この列島でエクスペリメンタルな音楽を追究する冒険者たちにとってひとつの指針となりうる作品だ。以下でも語られているように、ドラムスの手数が多くなっているときでも激しすぎない音空間が創出されているのは本作の大きな魅力で、Hatis Noitのヴォーカルがフィーチャーされた “M4” や石若がジャズとクラシカルのあわいを行くようなピアノを演奏する “M7” など、アルバム全体としても趣向が凝らされている。
 なお、「Vol.1」と題されていることからもうかがえるように、10月には『Vol.2』もリリースされることになっている。アウトテイクなしの録音全出し、阿吽の呼吸を堪能したい。

できないことができるようになるときの感じに似てるというか、逆上がりが突然できるようになるみたいな(笑)。(石若)

石若さんは活動20周年記念のイヴェントが決定していますね。くるりやermhoi、KID FRESINOなど多彩な出演者が発表されています。それに向けいまはどんなお気持ちですか? 準備にとりかかっているところでしょうか。

石若:楽しみにしています。セトリももうまもなく決まりそうですが、こういうふうにできたらいいなってイメージはそれぞれ考えているところです。ライブナタリーの制作チームもいろいろ練ってくれているんだろうなと。

石若さんはかなり多くのプロジェクトを抱えています。じっさいのところ、どれくらいのお忙しさなんですか?

石若:東京にいるときは、1日を3、4分割したりしてますね。

そういうとき、気持ちの切り替えはすんなりできるものなんですか?

石若:できますね。あんまり深く考えてないというか、そういうふうに(切り替えることを)考えなくてもできるようになっていった自分もいますね。ありのままでいろんなことができるようになった。

活動20年を迎えることの感慨はありますか?

石若:ついこのあいだ、札幌の道新ホールっていう閉館しちゃう会場でコンサートをやってきまして(6月末閉館)。そのときの共演者が映画『BLUE GIANT』のサウンドトラックでも一緒だったサックスの馬場智章っていう、おなじ札幌出身で、小学校3、4年生くらいのときに札幌ジュニアジャズスクールでジャズをはじめたひとで。あれから数えて20年っていうのもあったし、道新ホールにも小学校のときから出てましたし、20年の重み……って言ったらちょっと違うかもしれないけど、歳を重ねたっていうことが身に染みてジーンと来ましたね。馬場くんとも20年一緒にやってるんだなって思ったし、そんな仲間なかなかいないな、と思いますし。
 今回の「ライブナタリー 石若駿20周年ワッツアップ祭り」については、僕も自分が20周年だって知らなかったんですよ(笑)。ライブナタリーの中に札幌出身で同い年のスタッフがいて、彼から言われて気づいたぐらいで。一緒にやろうって誘ってくれたのもあって今回のライヴが決まりました。ぼくの活動期間は2004年からはじまっていて、その年のなかでいちばん大きなトピックっていうのは日野皓正クインテットのライヴに参加したこと。それが2004年の5月の7日か8日だったかな。そこから数えて20年っていう。結果、いまも日野さんと一緒に活動できてるし、馬場くんとも一緒にやってるし。最近『怪獣8号』ってアニメのサウンドトラックを担当した坂東祐大くんとも、考えてみれば高校1年生のときから15年ほど一緒にやってることになります。そういうふうに15年とか20年、いろんなひとたちとともに音楽をつくってきたな、っていうのは最近いろんなシチュエーションでしみじみ感じますね。

この20年の中でいちばん大きな転機になったことは?

石若:いちばんの転機はやっぱり日野さんに会ったことですかね。最近『リズム&ドラム・マガジン』で20周年イヴェントに関連するインタヴューがあったんですけど、そこで人生について第一章から第五章に分けて説明しているので、もしよかったらそちらを見てください。

今回は畠山地平さんとのコラボレーションですが、畠山さんのことはどの段階で知ったんですか?

石若:最初はInterFMの共演がきっかけなんですけど、2021年でしたっけ。

畠山:2022年の正月かな。

石若:そこで初共演をして。ラジオを企画してくれた「Song X」の方だったり御茶ノ水のRITTOR BASEの方だったり、いろんな方が地平さんと演奏してるのを聴きたいとか、絶対いい放送になると言ってくれて。そうした期待もあったなかでじっさい演奏してみて、すごく手応えがありました。ふだん自分ができなかったような演奏ができる感覚にもなりましたし。
 きっかけはそれなんですけど、じつはその前に高円寺でたまたま一緒に飲みまして。コロナの前で2018年とか17年ごろかな。ちょっと定かではないんですけど。焼き鳥屋でけっこう飲んだあと、飲み足りなくてコンビニの前でもちょっと一杯やったりとかして。そういう思い出もありつつ共演するに至りました。あとは君島大空の「午後の反射光」っていうファーストEPのマスタリング・エンジニアが畠山地平さんということもあって、君島からの話も聞いてましたし、そういう縁を感じる方ですね。

石若さんは、出会うまえから畠山さんや〈White Paddy Mountain〉の作品を日常的に聴いていたんでしょうか?

石若:いや、じつは出会うまでは畠山さんの音楽はぜんぜん聞いたことはなかったんです。でも共演して「最近どういう音楽つくってますか」とか「今度こういうことやるんだけどいいヴァイオリニストいない?」っていう相談をしてくれたりとか、そういうやりとりをとおしてミュージシャン同士としてのつながりが生まれた感覚はあります。一緒に演奏するまではあまり聴いたことがなくて、演奏してから聴き返して「あのとき話してたのはこの音楽だったかな」っていろいろ探したりとかして、だんだん聴くようになっていった感じです。


photo by makoto ebi

地平さんが風だったらぼくは葉っぱだな、というような、立場というかキャラクターとしてのあり方を考えました。(石若)

畠山さんは、石若さんのことをどのタイミングで知ったんですか?

畠山:「石若くんっていうすごいドラマーがいて……」みたいな噂は以前から聞いてて、2010年代の初めくらいから名前は知ってました。石若くんの活動もかなり多岐に渡っているんで、クレジットを見たらドラムが石若くんだったなんてこともありました。そうしたかたちで音源とかは聴いたことがあって、君島大空くんのマスタリングのときも「ポップスなのにすごいドラムが入ってるな」と思ったら、それも石若くんだったっていう。そんな感じで存在は知ってて、2022年に石若くんからラジオの出演依頼が来て共演がはじまったという流れですね。

畠山さんのなかで石若さんのいちばん印象に残っているプレイ、あるいは作品はなんでしょうか。

畠山:いろいろ聴いたんですけど、さっき話したようにやっぱり君島くんの音源はインパクトがあったかな。君島くんは中性的なヴォーカリストで、アンビエント感っていうかリラックス感があって、そこに暴力的というか異世界のようなドラムがぐわっと入ってくるんですけど、それでも曲全体のリラックス・ムードが保たれていて。音はすごく鳴っているはずなのに曲の印象がぜんぜん変わらないのがすごいなと。マスタリングをしてて、これはいったいどうなってるんだ! と思いましたね。

今回のコラボレーションは、具体的にはどういう流れではじまっていったんですか?

畠山:ラジオの放送があって、それを聴いてくれた「Each Story」っていう野外フェスのイヴェンターの方からフェスの出演依頼が来てそうして初めて「Each Story」に出演した際、〈ギアボックス・レコーズ〉の日本支社の担当者が演奏を知って、ぼくもなんとなくふたりでレコーディングしたいな、なんて雑談してたら、その方が〈ギアボックス〉の社長に「これ絶対出したほうがいいんじゃないの?」って言ってくれて、「じゃあ、うちで全部レコーディング代も出すんで、レコーディングしてみませんか?」みたいな感じになって。自然な流れというか、わらしべ長者的にトントン拍子に進んでいくみたいな感じでした(笑)。

アンビエントって基本的にはビートレスな音楽ですが、そこにドラムを入れていくっていう今回の試みについて、石若さんはどう思われましたか?

石若:自分にとってすごく未体験な音楽だとは思ったので、その新鮮さというか、自分でやったことがないものに携わって音楽をつくれる状況が嬉しかったっていうのが最初にあって。ラジオでじっさいに共演したとき、「いままでやったことなかったけど自分はこういう演奏ができるんだ」って発見した感覚もありまして。それは放送されたものを聴いたり演奏したりしてるときもそういうふうに思って。できないことができるようになるときの感じに似てるというか、逆上がりが突然できるようになるみたいな(笑)。まあ、新しい気分でしたね。

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あえてドラムを聴かないようにしてやってみようかなとか、合わせるんじゃなくて反対のことしてみようって音を入れたりとかして、近づいたり離れたりするアプローチをとりましたね。(畠山)

石若さんはふだん日常でアンビエントは聴くんですか?

石若:アンビエントって呼ばれてるものは好きですね。ただ、アンビエント・ミュージックを聴こうっていうふうには聴いてはいないと思いますけど。でもそう呼ばれるであろうものは自然と好きで、よく聴いてるものが多いかもしれないです。詳しいアーティスト名とかはぜんぜん覚えてないんですけど、聴くのは好きです。ぼくはApple Musicユーザーなんですが、ステーション作成という自分の好きなアーティストからどんどん派生していく機能みたいなのがあって、気分じゃないものは飛ばして聴けるんですよね。だけどアンビエントみたいに……僕はアンビエントって呼びたくはないんですけど、みんながアンビエントって呼んでるものは飛ばさず聴くことは多いかもしれないです。

なるほど。今回のコラボレーションをやるにあたって、ドラムを入れていくうえで苦労したこと、あるいは注意したこと、意識したことはありますか?

石若:「自分がなぜそのときにその音色を選択するか」みたいなことを客観的に考えるようになったというか。音に責任を持つことに注意を払ってはいましたね。自分がいま出してる音が地平さんの音像やハーモニーにたいしてどの立ち位置でどの立場になるのか、みたいな。それがたとえば直線的な、面と向かったことなのか、密度みたいなものなのか、高さだったり、という。地平さんが風だったらぼくは葉っぱだな、というような、立場というかキャラクターとしてのあり方を考えました。ただ、それはじっさいにやってみて終わったあとに感じたたとえかもしれないですけど。そういう立ち位置、密度、空間の広さとかにたいしてちゃんと向き合ってる状態であるっていうことは意識してたと思うし、完成してできあがったのを聴くと、「葉っぱと風」みたいな、キャラクターや環境の違いみたいなものになっているのかもしれないな、と思ったり。そういう感覚ですかね。

畠山さんは、今回ドラムが入ってくる前提のなか、どういう点に注意しましたか?

畠山:いつも演奏してる自分のスタイルがいくつかあるかなとは思うんですけど、たとえばアンビエント的なミュージシャンの方とコラボレーションして演奏を同時にするとか、インプロ系の方とやるときには、相手の演奏するスペースについて考えますね。ドローンってあまりにも(音を)埋めちゃうと、相手が演奏するスペースがなくなっちゃったり、この音しか聴こえないという状況になってしまいがちで、それはどうかなと思うので、そういうバランスも考えながら演奏します。石若くんのドラムを聴いたり、一緒に演奏したりしていくと、ドラムとギター・ドローンなので、(双方が)使わないスペースを埋め合ってるっていうのもあって、ふだんの自分の演奏でいちばんやりたい感じのものをそのままぶつけても成立するので、演奏しやすいなと第一に思いました。
 あとは、ふだん以上にドローンの渦みたいな、なんとなくあるリズムというか、周期の流れみたいなものをドラムのリズムに合わせながら演奏したりとか、ディレイのタイミングとかをタップ機能で石若くんが叩いているのに合わせてみたりとか、そんな感じでやりました。あえてドラムを聴かないようにしてやってみようかなとか、合わせるんじゃなくて反対のことしてみようって音を入れたりとかして、近づいたり離れたりするアプローチをとりましたね。演奏は本当にやりやすかったです。

事前の打ち合わせはあったんでしょうか。

石若:レコーディングする前にテイクのコンセプトは共有しながらやりましたね。でもぼくの演奏はコンセプトを共有している状態でもとにかく自由なものなので、テンポだったりフィールというか、そういうものの選択もぼくは地平さんの音を聴こえるがままに演奏してました。ふたりで共有している部分はあったけど、中身はそのときの自然の摂理っていう(笑)。

その共有したコンセプトというのは?

石若:20分間くらいのテイクで、たとえば最初は静かなところからはじまって、このぐらいの熱量になって、またおなじ時間かけて静かに戻ろうとか、そういう感じです。音数多めでとか。音数かなり少なくしてやろうか、とか。

録音したあとのポスト・プロダクション、エディットの比重は大きかったですか?

畠山:今回エディット的なことは、ドラムとギターにはほぼしてないんですよね。ここをちょっと変えようとか、こことここをつなげようとかっていうのはほぼなくて、もうほんとうに演奏したままなんですよ。それはまさに石若くんのなせる技というか。ぼくは自分の作品でもけっこうエディットするんですけど、今回はギターとドラムにかんしては、ミックスは〈ギアボックス〉のエンジニアの方にやってもらって。ただ、石若くんがピアノでぼくがギターの録音については、ぼくがちょっとループつくったり。そんなにはしてないですけど。

石若さんがピアノを弾かれている曲、ありましたね! ピアノが入ると雰囲気が変わって印象に残ったんですけど、ドラムとギター・ドローン以外の要素も入れるという構想は最初からあったんでしょうか。

畠山:いや、スタジオにピアノがあって、ちょっと遊びで弾いてみたら音がすごくよかったので、いい録音エンジニアもいるし「石若くん、弾けるんじゃないかな?」って思って。ちょっと無茶振りかなと思いつつ「ピアノ弾いてみない?」みたいな感じで誘ったら「やります」って言ってくれて。あのときはどんな気持ちだったのかな?

石若:アンビエント・ミュージックと呼ばれるものにピアノで携わったことがなかったので、急に初体験がみんなの前でおこなわれてよかったですよね。なんというか、メモリアルなテイクになったんじゃないでしょうか(笑)。やってる最中もすごく楽しかったです。自分はクラシック的なピアノも好きだしジャズ的なものも好きだけど、そういったものを連想させないよう導かれた感じはあります。ジャズ・ピアノでもクラシックでもない、どう呼ばれるかわからないことを自然に導かれて弾いてるのかもしれないな、みたいな感覚でしたね。音のチョイスだったり、和音のコードだったり、音色の選択だったり。

ヴォーカルが入ってる曲もありますよね。これも事前に決めていたことなんでしょうか?

畠山:ふたりでちゃんと共有してたわけじゃないんですけど、なんとなくこの演奏に女性ヴォーカルが合いそうだな、みたいな予感があって。昔から知り合いだったハチスノイトさんが歌ってくれました。彼女はロンドンに移住してから、ロンドンやアメリカでライヴをするようになって、自分の歌の幅を拡げてインプロとかいろいろな表現もできるひとで。リリース元の〈ギアボックス・レコーズ〉はロンドンにあるので、レコーディングもロンドンのスタジオでやってると思うんですけど、「どういう歌を入れたらいいの?」って言われたとき、ぼくがどう言ってもその場にはいられないしわからないなと思ったので、プロデューサーで社長のダレルさんと本人のふたりで相談しながら決めてくださいって言って。もうそこはふたりのセンスにお任せするんで、って。それでどんなものができるのかな、って楽しみにしていました。アブストラクトな感じで来るのかなって思ってたんですけど、意外とストレートな歌で来ましたね。でもすごくそれがよかった。

3人でおなじ空間でレコーディングしたわけではなかったんですね。

畠山:録音されたギターとドラムにヴォーカルをオーヴァーダビングしたってことです。石若くんは聴いてみてどうだった?

石若:すごい驚きでした。さっき言った密度とか空間、奥行きみたいなのがさらに何次元も拡がっているような感覚で、びっくりしましたね。でもたしかに、3人で同時に一円でやったら生まれるものじゃなかったかもしれないですね。こういうレコーディングだからさらに予想を上まわるというか、想像を超えたトラックになったんじゃないかなと思います。


photo by yusei takahashi

今回エディット的なことは、ドラムとギターにはほぼしてないんですよね。もうほんとうに演奏したままなんですよ。それはまさに石若くんのなせる技というか。(畠山)

石若さんは先ほど自分の新しい扉ということをおっしゃってましたけど、今回のコラボレーションとこれまでの数々のコラボレーションとでとくに違ったこと、あるいは新しく発見したことってありましたか?

石若:地平さんの音色に導かれて自分のドラミングがどんどん移り変わっていくような、そういうレコーディングの仕方ってあんまりいままでなかったんですよね。たとえばジャズのなかではフリー・ジャズとか、テーマはあるけど中身はインプロで、ということはこれまでやってきたんですけど、それよりもっと広い枠組み……というか枠組みがなくて、地平さんのドローンの重なった音色とハーモニーによって自分のドラミングが変わっていくみたいな体験ができました。アルバム1枚をとおしてそのやり方で演奏したっていうのはこれまでやったことがありませんでしたね。完成したものを聴いても、エディットされた感じではなく、そのとき演奏した一筆書きのような、ここからここまでという時間軸でとらえたものだったので、すごくフレッシュなものが記録されていると同時に濃厚な印象も強いです。さらっと即興でやりました、というものではなく、濃厚なものをフレッシュにできた。いままでにない貴重な体験だったと思います。

畠山さんは今回、石若さんのドラミングでいちばんよかったのはどういうところでしたか?

畠山:ぼくからすると、石若くんのドラムっていうのはつねに素晴らしいんです。ここがっていうよりは、ずっとすごく気持ちいいというか。手数が多くなって盛り上がってるときでもうるさい感じじゃないのが不思議だなと。いつもすごい音楽的なんですよね。ぼくからすると演奏しやすいっていうのは石若くんの性格にもよるのかな。アンビエントだからって考えこんでやっちゃうと逆に考えすぎたことが出ちゃうかもしれない。けど石若くんは感じたままに演奏して返してくれるから、それをもう一度フィードバックするとさらにまた違うかたちで返ってきて、自然なサイクルがありました。

今回のコラボに臨むにあたって、とくに聴いたり参考にしたりイメージしたりしていた音楽ってありますか?

石若:ぼくはとくにはないですね。

畠山:ぼくはその時々のマイブームみたいなものがあって。たまたま裸のラリーズのLPの再発が続いてたときがあって、それでよく聴いてましたね。今回のアルバムには未収録なんですけど「Vol.2」に収録予定の曲でじつはディストーションを使った激しめの曲とかもあるんですよ。ちょっとサイケ・ロック的なアプローチもしてみようかなと。

パート1とパート2に分けた理由はなんでしょうか。

畠山:今回レコーディングは1日だけだったんですね。ゲスト以外は。アルバム1枚分くらい録れればいいなって思ってて。それで何曲か録音したなかから取捨選択して、2テイクだけリリースしてあとはお蔵入り、というつもりで録音したんですけど、プロデューサー兼レーベル社長のダレルさんが気に入って、録音したもの全部出しちゃおうよって(笑)。彼のなかでは最初はボックスを出す気だったみたいですけど、ボックスで出すより2枚に分けた方がいいか、ということで2LPを2回出すのがおもしろそうだねということで、こうなりましたね。

これまでいろいろ考えてプロジェクトを分けてやってきたはずなんですが、それでいいのかなと。よかった部分もあるんですけど、じゃあマイルスはそうやったかな? とか、キース・ジャレットは? とか。(石若)

ちょっと話が逸れてしまうんですが、畠山さんには先日紙版ele-kingのインタヴューで、日本の好きな音楽について語ってもらっています。そこで土取利行さんを挙げていましが、ご自身の音楽性と土取さんの音楽性で通じているものはあると思いますか?

畠山:土取さんの歩みは、最初はフリー・ジャズやフリー・インプロのドラマーで、その後銅鐸や古代の石や笛を演奏したりしていくんですね。そのなかで音楽に宿る精神性のようなものに魅かれていったのかな。ぼくは古代史や邪馬台国が大好きという方向から土取さんの銅鐸の演奏が好きで。古代史好きからすると畝傍山〔編注:うねびやま。奈良県中部に位置する。その東南の橿原で神武天皇が都を開いたとされる〕で銅鐸の演奏! というだけで悶絶モノに興奮しました。土取さんの著書によると銅鐸は楽器だという話なんですね。たしかにそれはあるだろうなと思っています。古代の豊穣のお祭りとかで使われていたと思いますが、どんな雰囲気だったのか想像するだけで楽しいですよね。それで土取さんの銅鐸演奏ですが、あれはパーカッショニスト、ドラマーとしての土取さんの腕ありきの演奏で、現代的なというかアフリカ的なリズムなんですね。そこには若干の違和感がないことはないんですか、まあ古来の日本のリズムもじつは意外とガムランみたいな南方系のリズムかもなと想像したり。というのはこの銅鐸を使っていた民族の子孫はもう残ってないかもしれないんですね。どうやら大和民族に滅ぼされた形跡もある。なので、銅鐸とともに音楽を現代に伝えられずに消えたと、これは最近『人類の起源』という新書を読んで思ったんです。そこには現代に残らなかった遺伝子を持つホモ・サピエンスの話が載っていて、たしかに普通に考えたら、過酷な自然環境や戦争などで滅亡した人びとは普通にいたんだろうなと。なので、銅鐸の演奏がどのようなモノだったのかは完全にミステリーですよね。
 今回のアルバムに戻ると自然なドラミングみたいなところで石若くんと通じるものもあるんじゃないかなとぼくは思うんですよね。自分の音楽にとってどうかというと、もちろんパーカッショニストとギタリストでかなり違うので、直接的にこういう音色に影響受けましたということはないんですけど、音楽と向き合う姿勢やメンタル的なところは好きです。土鳥さんの思想自体をぼくははっきりとはつかみきれてないんで、なんとも言えないところはあるんですけど、演奏から感じる雰囲気には共感する部分があるかもしれません。

おなじ紙版ele-kingには角銅真実さんと蓮沼執太さんの対談も載っているんですが、石若さんは角銅さんと一緒にやられていますよね。石若さんから見て角銅さんの魅力はどこにありますか?

石若:ふだん感じていることをあらためて教えてくれる存在というか……たとえば、グラスを持ったら皮膚が冷たいって感じて、それが冷たいってことがわかることだったり。そういうことをいつも彼女の表現で実感しますね。そういうことを忘れちゃだめだよって気づかせてくれる存在ですかね。やっぱり忘れがちなんですよ。たとえばこうやってだれかの肩をポンって触ったとき、そこにどれくらいの力がかかっていて、それを相手はどう受けてるのか、というようなことをあらためて思い出させてくれるというか。

なるほど。

石若:(角銅さんとは)高校時代から10年、15年くらいになりますかね。東京藝大への入学のタイミングが一緒だったんですよ。ぼくが藝大附属高校の管打楽器専攻に入学したとき、大学1年生の入学式も一緒で、そこからの縁で。角銅さんとは、ぼくがピアノを弾いて彼女の音楽に携わるって関係がメインで、角銅さんのこれまでのアルバムには全部ピアノで参加しています。音楽の関わり方の自由さとか果てしなさみたいなことを、すごく気づかせてくれるというか。いろいろ砕いてくれるひとですよね。悩んだりすると自然に助けてくれる、そんな存在です。

石若さんのお名前はほんとうにいろんなところで見かけますが、個人的に最初に意識したのはAnswer to Rememberのアルバムでした。メイン・プロジェクトという認識でいいんでしょうか。

石若:まあそうですかね。大きな音楽をつくりたいっていう気持ちがあるんです。そろそろAnswer to Rememberの新しいアルバムが出るんですけど(『Answer to Remember II』、8月7日発売)、いまその作業もしていて。なんというか、はみでちゃう音楽みたいな。基盤はジャズなんですけど、やりたいことを実現できる場所っていう感じですね。最近思うのは、これまでいろいろ考えてプロジェクトを分けてやってきたはずなんですが、それでいいのかなと。分けたことを後悔することもあります。たとえば、Answer to RememberのコンサートがあるとしたらSongbookはできない。SMTKのメンツではアンリメの音楽はできない。バンドでつくる音楽もまったく違うんですよね。「このバンドのための曲」っていうふうに分けてつくってきちゃって。だからそういうふうに分けることがよかったのかなと。いや、よかった部分もあるんですけど、じゃあマイルスはそうやったかな? とか、キース・ジャレットは? とか、そんな感じです(笑)。けど、そのとき後悔したとしても、もうちょっと時間が経てばそれでやっぱ正解だったって思うようになるかもしれないし。

石若さんは今後、やってみたいことはありますか?

石若:SONGBOOK PROJECTが10周年を迎えたら、記念に、全曲演奏じゃなくても1から10までの中から抜粋して大編成でホール公演、みたいなことをやりたいですね。

では最後にリスナーに向けて、今回のコラボレーション作品についてメッセージをいただければと思います。

石若:今回のアルバムを聴いて「あれすごいよかったね」とか「すごい好きだった」とか言ってくれるひとが身のまわりに多くて、それにまず感謝したいです。こうして届けられたってこともよかったですし、地平さんと2024年の音楽にこういう作品を刻めたことも嬉しいなって思いますし。ずっと先にこのアルバムを聴いたりとかしても誇れる音楽になってるなと、自分ですごい思いましたね。マスターピースですってことをあらためて伝えたい。あと、ライヴも楽しみにしていただけたら。
 そういえば去年の10月に、地平さんとピットインでライヴをやったんですよ。そしたら喋りがおもしろくなっちゃって、ふたりで目が合っちゃって(笑)。コンビ感もあるかな? と思ったり、またピットインでやろうかって話もあるので、そういうふたりの動向もぜひチェックしていただけたら。

Chihei Hatakeyama & Shun Ishiwaka
Magnificent Little Dudues Vol.2

2024年10月18日(金)デジタル配信!

トラックリスト
1. M3 (feat. Cecilia Bignall)
2. M2
3. M5
4. M6

アルバム『Magnificent Little Dudes Vol.2』予約受付中!
https://bfan.link/magnificent-little-dudes-volume-02

シングル「M6」配信中:
https://bfan.link/m6

今年5月にリリースされ、好評発売中のアンビエント/ドローン·ミュージシャンChihei Hatakeyama(畠山地平)とジャズ・ドラマーの石若駿とのコラボレーション。その第二弾となる『Magnificent Little Dudes Vol.2』のデジタル・リリースが、10月18日(金)に決定したことが明らかになった。

ラジオ番組の収録で出会って以来、ライヴ活動などでステージを共にすることはあった2人だが、今回のプロジェクトが初めての作品リリースとなった。二部作の第一弾、『Magnificent Little Dudes Vol.1』には日本人ヴォーカリストのHatis Noitが「M4」でゲスト参加していた。

そして今回のVol.2について、畠山は次のように話している。

「Vol.2にはセッションの後半が収められています。その日は3月のある日の午後でした。長い冬が終わろうとしているのを感じましたし、日本ではコロナの影響が諸外国より長く続いていたので、そんな マスクを付けた日々も終わろうとしていました。『M3』では私たちの演奏にセシリア・ビッグナルがチェロで参加してくれました。これは遥か昔に私がアメリカ人シンガー・ソングライターのデヴィッド・グラブスから受けた影響が見え隠れしています。彼のアルバムの『ザ・スペクトラム・ビトウィーン』に入っている『Stanwell Perpetual』という曲です。しかしこの曲は私が頭の中で何度も形を変えてしまったので、今回の『M3』とは直接は関係がないように思いえます」。

『Magnificent Little Dudes Vol.2』は10月18日(金)にデジタルで先行リリース。その後、CD /2LP(140g)フォーマットでもリリース予定となっている。

Gastr del Sol - ele-king

 ジム・オルークは、かつて自身が‶音楽の中の時間の問題〟と呼ぶものについて語ったことがある。つまり、音楽は構造的には(映画や文学とちがって)本質的に直線状であるため、前のモチーフや形を参照することでしか時間を遡ることができないということだ。
 『We Have Dozens of Titles』は、ジム・オルークを完全に満足させるような形で時間の問題に注意を向けさせることはないかもしれないが、実はこの作品において、時間は演奏される楽器のひとつのように扱われている。これはある意味ではレアな作品、未発売のトラックとライヴ・レコーディングのコレクションだが、一方ではまったく新しいガスター・デル・ソルのアルバムのように感じられる。さらに言えば、これはバンドとリスナー共々、一緒に過ごしたあの落ち着きのない実験に特徴付けられる1990年代という時間に遡る旅なのだ。100分を超えるアルバムのなかで、馴染み深いもの、予期せぬもの、そして不気味なものが互いにこすれ合い、途切れることなくいつの間にかすり抜けるか、正面からぶつかり合う。

 このようなレンズを通してアルバムに目を向けると、冒頭が“The Seasons Reverse(季節が逆戻り)”のライヴ・ヴァージョンというのは、待ちきれない熱心なリスナーが彼らの考えを知ろうと過剰反応するための安易な餌を、バンド自身が与えてからかっているように感じられる。そしてそれは、いくつかの点において時間の問題を浮き彫りにする選択でもある。“The Seasons Reverse”のスタジオ・ヴァージョンは、ガスター・デル・ソルの1998年のアルバム『Camofleur』のオープニング・トラックであり、今回再びこの曲からはじめるというトリックを使うのは、逆転させることよりもこだまさせること、あるいは参照させる行為であって、聴き手に時間の再構築を促すよりもその瞬間を思い起こすように誘っている。だが、それがライヴ・ヴァージョンであることが、コトを少し複雑にする。本質的にライヴ・ヴァージョンを聴くというのは参照する行為であり、慣れ親しんだ時間を呼び起こしてそれを現在に再配置し、前に進む時にも一緒に携えていくものだ。そしてガスター・デル・ソルは常に動き続けるバンドであり、このヴァージョンではヴォーカル、パーカッション、トランペットの華やかさを剥ぎ取るかわりに、アコースティック・ギターとエレクトロニクスにリズムとスペースを見出している。それでもライヴ・ヴァージョンの録音は、このトラックをその瞬間に固定してより明確に過去に位置付けている。曲の最後で、オルークがフランス語を話す子どもたちとの会話に失敗するサンプルは、スタジオ・ヴァージョンの曲の締めくくりで使われたものと同一であることから、ある瞬間の‶エコーのエコーのエコー〟という山びこ現象を創り出している。

 このアルバムでも、時間はさほど混乱せず、解決しにくい方法で流れてはいる。当然ガスター・デル・ソルの7年ほどの活動の瞬間に触れる数々の楽曲は、非線形的ではあるものの、独自の響きと鏡に満ち溢れている。そして時計の針をさらに巻き戻してみると、以前のアーティストのレンズを通してガスター・デル・ソルの音楽を眺めることもできるのだ。

 ガスター・デル・ソルはそのルーツを、ジョン・マッケンタイアを通じてシカゴ・シーンの同世代バンドのトータスと、バンディ・K・ブラウンとは前身バンド、バストロのオリジナル・ラインナップとしての役割を通して共有している。そして彼らがたとえ、本質的には決してポスト・ロックであったことはなかったにしても、アコースティック、エレクトロニック、ミュージック・コンクレートの要素をコラージュのようにミックスしていることから、少なくとも同一の一般的な音楽的生態系には置かれている(マッケンタイアは自身のバンド名を、ガスター・デル・ソルの“The C in Cake”のタイトルにちなんで‶The Sea And Cake〟としたほどだ)。彼らはさらに1980年代のデイヴィッド・グラブスを通じてスリントと、そしてケンタッキーのパンク・バンド、スクイレル・ベイト のブライアン・マクマハンとブリット・ウォルフォードとも関係している。言うまでもなく、スリントと同世代のビッチ・マグネットのメンバーとしても短期間活動していたからだ。ガスター・デル・ソルの旅路は、明らかにこれらのバンドが演奏していたロックの領域を避けて通っていたかもしれないが、静けさから大音量へ、あるいはより深遠な音とテクスチュアの衝突へ、時には厳しく暴力的な変化を求める耳を持つという点で一致していた。

 これはまったく別のバンドであるかのように、それぞれの曲にアプローチをする彼らの折衷主義的な習慣に起因している部分もあるのだが、同時にこのような鋭い転換は、我々をガスター・デル・ソルの音楽における時間の問題に立ち返らせることになる。「The Japanese Room At La Pagode」(1995年のトニー・コンラッドとのスプリット・シングル)ではアンビエントなフィールド・レコーディングが激しい電子音に中断され、曲の始まりに登場したピアノとヴォーカルのモチーフが舞い戻って来る箇所がある。曲の序盤ではその逆の転換があり、全く異なる様相で曲の断片が止まると、背後で鳴るフィールド・レコーディングがまるでずっとそこにあって最初から聴こえていたかのように感じられる。
 これと同じようなことがより拡張された、やはり1995年の曲“The Harp Factory On Lake Street”でもみられ、ここでは静寂からクライマックスへと突然何の警告もなく豹変したり、シークエンスの途中で閉幕するかのような沈黙が訪れたりするが、これは異なるペルソナの間でチャンネル・サーフィンするバンドということではなく、作品自体が時間のなかを行ったり来たりしながら点滅しているようだ。このような伝統的な構造の断絶はアヴァンギャルド・ジャズとも多くの共通点があるが、シュトックハウゼンが提唱した、音楽の形式が伝統の直線的な進行やナラティヴからの脱却を試み、各パートが独自の永遠の‶今〟として捉えられる〝モメント形式〟とも似ている。

 時計の針を再び現在まで進めてみると、ジム・オルークは大部分の激しい転換モード、つまり聴衆にマシンの内部構造の仕組みを披露する喜びを捨て去っている。その代わり、彼はリスナーをある場所から別の場所へと気付かせることなく移動させる方法を探求することを好む。アルバムの18分に及ぶ最終トラック“Onion Orange”は、アルバムを現在へと繋ぐ結合組織の役割を担っており、表面上で繰り返されるグラブスのギター・モチーフをゆっくりと繊細に、だが決定的にリスナーをオルークの電子的な操作で表面下へと運ぶのだ。

 このアルバムに入っている音楽を作った当時のデイヴィッド・グラブスとジム・オルークは若くて、多くの点でいまよりも洗練されたミュージシャンではなかった。しかし、いま私たちが聴くことができるアルバムの完成版を編集し、プロデュースし、シークエンスしたのは、年齢を重ねたこの男たちだ。その意味では、現在が過去の状況を操作し続け、エコー(反響)やレファレンス(参照)という言語で機能しているのだ。
 これほど多様でそれぞれの異なる断片を繋ぎ合わせたものとしては、このアルバムは並外れて理路整然としているが、ガスター・デル・ソルの首尾一貫した一貫性のなさこそが本作の連続性というものを手助けしたに違いない。これはまた、過去の作品を巡る旅でもあり、音楽の中にある繋がりや潮流を探求することで突然の衝撃なしに曲から曲へと移り変われるのに加えて、現在からの導きの手が過去についての物語を一緒に紡いでくれている。
 けれども、過去もまた、『We Have Dozens of Titles』を生み出す交渉における積極的な参加者だった。おそらく、ライヴ録音がその性質上、音楽を過去に定着させると同時に慣れ親しんだ形から記憶を逸脱させるものであるからこそ、過去のライヴの瞬間がアルバム全体に散りばめられて現代のアーキテクト(計画立案者)たちを助け、時間を逆行する旅であるかのようにその手で断片を繋ぎ合わせると同時に、新鮮な創造的衝動とその場にとどまることのない意志を吹き込んだのだ。


by Ian F. Martin

Jim O’Rourke has spoken in the past about what he describes as “the problem of time in music”, meaning that, structurally, music (unlike cinema or literature) is essentially linear and can only travel backwards by referencing earlier motifs and shapes.

“We Have Dozens of Titles” might not address the problem of time in a way that could ever fully satisfy O’Rourke, but it’s a work in which time is very much one of the instruments being played. On one level, it’s a collection of rareties, unreleased tracks and live recordings; on another, it feels like a brand new Gastr del Sol album; on still another, it’s a backwards journey through time, returning both band and listener to the state of restless experimentation that characterised their time together in the 1990s: familiar, unexpected and eerie rubbing up against each other, slipping seamlessly by, or colliding head-on throughout the album’s 100+ minutes.

Looking at the album through this lens, the fact it opens with a live version of “The Seasons Reverse” feels almost too easy a bait not to snatch hungrily at, like the band are teasing the eager listener to make too much of the idea. And it’s a choice that highlights the problem of time in a few ways. The studio version of “The Seasons Reverse” is the song that opened Gastr del Sol’s 1998 album “Camofleur”, so repeating the trick here is an act of echo or reference rather than reversal, inviting the listener to recall the moment rather than restructuring time. Being a live version complicates that a little, though. The nature of a live version is to be an act of reference, calling back to a familiar time and relocating it in the present, bringing it along with you as you move forward. And Gastr del Sol were always a band on the move, the version of the song here stripping away the vocals, percussion and trumpet flourishes, finding its rhythm and space in the acoustic guitar and electronics. Nonetheless, a recording of a live version anchors the track in that moment in time, locating it more explicitly in the past. The sample of O’Rourke failing to communicate with some French speaking kids that closes the track is the same one that ends the studio version, creating an echo of an echo of an echo of a moment.

Time flows through the album in less confusing and irresolvable ways too. Of course through the way the tracks touch on moments throughout Gastr del Sol’s seven or so years of activity, albeit in a nonlinear way, full of its own echoes and mirrors. But wind the clock back even further and you can see Gastr del Sol’s music through the lens of earlier artists still.

Gastr del Sol share roots with Chicago scene contemporaries Tortoise through John McEntire and Bundy K. Brown’s role in the band’s original lineup and precursor band Bastro, and if they were never exactly post-rock per se, the collage-like mix of acoustic, electronic and musique concrète elements that they employ at least places them in the same general musical ecosystem (McEntire even named his band The Sea And Cake after Gastr del Sol’s song “The C in Cake”). They also share a connection with Slint through David Grubbs’ time in the 1980s alongside Brian McMahan and Britt Walford in Kentucky punk band Squirrel Bait, not to mention a brief period as a member of Slint contemporaries Bitch Magnet. Gastr del Sol’s journey may have skirted clear of the rock territory these bands played in, but they shared a similar ear for harsh, sometimes violent transitions, whether from quiet to loud or more esoteric collisions of sounds and textures.

Some of this comes down to the band’s eclectic habit of approaching each song as if they were a different band entirely, but these sorts of sharp transitions also bring us back to the matter of time in Gastr del Sol’s music. There’s a point in “The Japanese Room At La Pagode” (from a 1995 split with Tony Conrad) when a stretch of ambient field recording is interrupted by a harsh, electronic squeal that gives way to a return of the piano and vocal motif that began the track. Earlier in the song, the reverse transition occurs very differently, when the song fragment stops and it feels like the background field recording had always been there and was in fact what you’d always been listening to all along.

There are parallels with this in the more expansive “The Harp Factory On Lake Street”, also from 1995, where transitions from quiet to climactic moments happen suddenly and without warning, or closure-like silences fall midway through a sequence — not like a band channel surfing between different personas but as if the piece itself is blinking back and forth in time. This breakdown in traditional structure shares a lot with avant-garde jazz, but also with Stockhausen’s “moment form”, where the structure of the music tried to break free of traditional linear progression and narrative, rather seeing each part as its own eternal now.

Wind the clock forward again to the present and Jim O’Rourke has largely abandoned this mode of harsh transitions: this glee in showing the audience the inner workings of the machine. Instead, he prefers to explore ways of carrying you from one place into another without you even noticing the transition has occurred. The album’s 18-minute final track “Onion Orange” offers some connective tissue to this present in the way it takes Grubbs’ superficially repetitive guitar motif and slowly, subtly, but irrevocably transports the listener via O’Rourke’s electronic manipulations beneath the surface.

The David Grubbs and Jim O’Rourke who made the music on this album were younger and in many ways less sophisticated musicians than they are now, but it’s those older men who compiled, produced and sequenced the finished work we can now listen to. And in that sense, the present continues to pull the strings of the past, working in the language of echo or reference.

It’s a remarkably coherent album for something pieced together from such diverse fragments, though this sense of continuity was surely helped by how consistent in their inconsistency Gastr del Sol always were. It’s also a trip through pieces of the past that seeks out connections and currents within the music which allow songs to transition from one to another without sudden jolts: guiding hands from the present stringing a narrative about the past together.

However, the past is nonetheless an active participant in the negotiation that created “We Have Dozens of Titles”. Perhaps because of the way live recordings, by their nature, both anchor music in the past but also to deviate from a form memory has rendered familiar, these live moments from the past help the album’s present-day architects, spread throughout the album, their hands holding its pieces together as both a trip backwards through time and something infused with a fresh creative impulse and unwillingness to stay put.

DJ Ramon Sucesso - ele-king

 ラモンは私のレーダーに映った。何の前触れもなく、自然に。2トン爆弾が腰に突き刺さるかのように。ウェブ上に蔓延しているバイラル動画が、ドゥーム・スクロール中の私の注意を引いたのだ。各動画は、TikTokのバイラル・アテンション・スパンにぴったりな短いもので、何の変哲もない室内(おそらく彼の寝室)で撮影され、ラモンがパーソナル・デッキの前で最初からコントローラーを操作し、ヴォーカルと散らばったビートをその場で何段階にもミックスしている。コール・アンド・レスポンスのサウンドスケープは瞬く間に合体し、解決への疑念は消え去り、轟音とどよめきのベースビートが鳴り響くたびにカメラが激しく揺れ、404のエラー・イマジネーションは大きく損なわれる。
 ラモン(ブラジル人、21歳)は、リオデジャネイロにほど近いノバ・イグアスのパルハダで生まれ育った。ファベーラ・ファンクのカリオカに膝まで浸かり、ビート・ボーリャから発せられる火花を屈伸させながら、まるで金属鍋の上で熱々のベーコンをジュージューと焼くような揺れのひとつひとつにアフリカの伝統を見せつける。

 ラモンの動画のテイスト(味)は、緊急に冷やした夏のフルーツに似ている。ラモンは、ほとんど忘れられた一族の末裔だ。DJデッキのまわりで何気なく踊りながら、たまにミキサーのツマミに触れ、自分たちが魔法を生み出し、オーディエンスが天才を目撃していると錯覚させるようなUSBメモリ使いのDJたちとは一線を画しているのだ。いまや多くの場合、DJはAIプレイリスト・セレクターと何ら変わりなく、オリジナル・トラック制作者の手柄を横取りしている。それゆえ、DJのスペクタクルはテクニックや才能ではなく、いかにセクシーに見えるか、エキゾチックに見えるか、いかにイヴェントを楽しく見せるかにある。観客を魅了するDJソーダの魅惑的なポゴ 「ジャンプ 」を思い浮かべてほしい。

 ラモンは、おそらく知らず知らずのうちに、実際にDJをしていた本物のDJたちの弟子であり、エレクトロニック/ダンス・ミュージックを革新してきた黒人の長い系譜に連なる革新的な信念の持ち主だ。ジャマイカのサウンドシステム・ヤーマン・ヴァイヴスや初期のニューヨーク・ラップの黄金期に習得された数々のテクニックのエコーが、彼の若い手に反映されている。
 しかし、彼は使徒でもある。機材を使い、マッシュし、スマッシュし、ミックスし、サノスの存在から新しい何かを振動させる。ラモンはDJ機材を選曲マシーンではなく、楽器のように扱う。ラモンは決して動きを止めず、創作に対する彼の精神的な鋭敏な注意は、絶対的に明瞭で白黒はっきりしている。ネット上の動画はどれも短く、ミキシングはダンスフロアの脳をメルトダウンさせるために振り切れている。

 よって、ブラジル行きの飛行機に乗れない私たちの多くが知りたいのは、芝居がかった動画ではなく、彼の長く録音されたミックスがいったいどんなものなのか、ということ。新たなスターダムを知るにはいいタイミングだろう、私はレーベル〈Lugar Alto〉から2023年末の11月にリリースされたリリースを手に入れた。
 最初に言っておく。ベースが鳴っていない。多くの人が彼のミキシング・スペクトラムの幅広い使い方に慣れているいま、ミックスは期待するほどドラスティックではない。私たちは皆、自分のステレオやiPhoneがそれを扱えることを知っている。『Sexta dos Crias』はふたつの長いミックスで構成されている。完全に楽しめるし、彼のユニークなスキルから期待されるべきものだ。しかし、他のダンス・レコードの中で完全に際立っているわけでもない……トラック2の途中までは。
 “Distorcendo a Realidade"では、急にテンションが上がり、彼の動画にあったダーティな雰囲気にへと変化する。ここまで来るのに時間がかかるのはどうかと思うが、だからといってそれまでの数分間が無駄というわけではない。いや、彼の計り知れない才能を判断するには、別のメディア、別の創作形態、圧縮の幅が必要なだけだ。『Sexta dos Crias』の2曲は、ほとんどのミックスがそうであってほしいようなペースで進んでいく。しかも彼はこれをリアルタイムでやっているわけだ! 私がDJプレイにこれほど興奮したのは、ジェフ・ミルズを見て以来のことだ。踊りたい、興奮もしたいし、絶頂に達するほど刺激されたい。DJが実際にデッキでパフォーマンスするのを見ることで、私の注意を惹きつけてほしい。世界中のDJがこのことに注目し、ベッドルームに戻って自分の能力をスパイスアップすることを願う。DJラモンは他の追随を許さない。

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Ramon came on my radar like any genuine sensation should. Spontaneously and without warning. Randomly and like a two ton bomb to the waist. Videos viral in their pervasiveness across the web caught my attention while doom scrolling. Short and perfect for TikTok viral attention span, each video was simply shot in one non-descript inside location ( possibly his bedroom?) with Ramon in front of his personal decks massaging the controllers from the get go, conjuring a multi level on-the-fly mix of vocals and scattered beats. The call and response soundscape quickly coalesces, all doubt of resolution is killed, and the 404 error imagination is severely damaged by the camera shaking violently with each thunderous, throbbing bass beat.
Ramon, Brazilian, 21 years old born and raised in Palhada, Nova Iguaçu, an area close to Rio de Janeiro, knee deep in favela funk carioca flexing the sparks emanating from beat bolha, shows his
African heritage with each tremor that sizzles hot bacon as if on a metal pan.

The taste of a Ramon video is similar to summer fruit chilled for immediate effect. Ramon follows in a line almost forgotten among 2024 USB stick carrying DJs who casually dance around dj decks only once in a blue moon touching the knobs of their mixers to make the dancing public falsely believe they are creating magic and they, the audience , witnessing genius. Often times djs are no different than AI playlist selectors taking the credit for the original track maker’s creation.
Hence the spectacle of Djing isn’t on technique or talent now but how sexy you look or exotic or how fun you make the event seem.
Ramon, most likely unknowingly, is a disciple of the OG DJs who actually DJed, a innovation believer in a long line of Black people innovating electronic / dance music. Echoes of the many techniques mastered before in Jamaican sound system yah-man vibes and the golden age of early NYC rap are reflected in his young hands.

But he is also an apostle. Using the equipment to mash, smash, mix and vibrate out of Thanos existence something new. Ramon treats DJ equipment like an instrument rather than a track selecting machine. Ramon never stops moving and his mental acute attention to creating is black and white with absolute clarity. Each video online is short and mixing is left in the red for dance floor brain meltdown.

So that brings one to wonder what would a longer recorded mix without the video theatrics sound like since most of us can’t grab a flight to Brazil. Just in time to capitalize on his new stardom, we have been graced with this first release put out in November at the tail end of 2023 by label Lugar Alto. I will disappoint you first. The bass ain’t bass-ing. The mix isn’t as drastic as one would hope especially as many people are now used to his wide use of the mixing spectrum. We all know that our stereos and iPhones can handle it. “Sexta dos Crias” comprises only 2 long mixes. Entirely enjoyable and what we should expect from his unique skills. But it also doesn`t stand out entirely from other dance records..... UNTIL mid way through track 2
“Distorcendo a Realidade” which suddenly turns waaaay up and gets grimy dirty resembling his videos. Too bad we have to wait so long but that doesn’t mean the preceding minutes are a waste. No, just a different medium, a different form of creation and compression range to judge his immense talent. The 2 tracks of “Sexta dos Crias” move at a pace that I wish most mixes moved at. Mind you he does this in real time! I haven’t been so excited about DJ work since I saw Jeff Mills. I want to dance but I want to also be excited and stimulated to the point of climax. I want the DJ to earn my attention in watching him actually perform on the decks. I hope all DJs worldwide take note and go back to their bedrooms to spice up their abilities. DJ Ramon is unmatched.

interview with Keiji Haino - ele-king

 灰野敬二さん(以下、敬称略)の伝記本執筆のためにおこなってきたインタヴューの中から、編集前の素の対話を公開するシリーズ。前回(第4回)は、紙版エレキングに掲載したが、第5回は再びウェブ版で。
 今回は、80年代初頭のフレッド・フリスとの出会い、そして初渡米の時のエピソードを語ってもらった。

81年7月21日、池袋の「スタジオ200」でおこなわれた「通俗―異端―音楽実験室 Beat Complex 2」なるイヴェントでフレッド・フリスと初共演しましたが、どういう経緯だったんですか?

灰野:俺の初ソロ・アルバム『わたしだけ?』がピナコテカから出る直前だったけど、マイナーの佐藤隆史さんが俺のいろんな音源を入れたカセットをフリスに送ったら、日本に行った時に共演してみたいと彼が言ったらしい。でも……もしかしたら、それ以前からフリスとやりとりしていた盛岡の即興演奏家・金野吉晃さん(第五列)が、佐藤さんから渡された俺の音源をフリスに送ったのかもしれない。


フレッド・フリス初来日公演チラシ

この時フリスを招聘したのはフールズ・メイト誌の北村昌士さんで、7月10日から日本各地でライヴをやりました。突然ダンボールやグンジョーガクレヨンとも共演したり。翌年には『Live In Japan』というフリスのアルバムも出た。

灰野:この21日は、たぶん佐藤さんか「スタジオ200」が1日だけ公演を買いとってセッティングしたのかもしれないね。

フリスはこの後、フールズ・メイトのインタヴューで「灰野はロックのインプロヴィゼイションの本質をつかんでる非凡なアーティストだ」と絶賛したそうですが、ライヴはどんな感じだったんですか?

灰野:フリスの希望で、最初から最後までずっとデュオだった。フリスはテーブル・ギターで、俺はギターとヴォイス、そして天井からもう1本別のギターをぶら下げた。ギターをただ弾くのではなく、吊り下げたギターにバスケットボールをぶつけて、転がってきたボールを更に手元のギターにこすりつけて別の音を出したり、それを一つのリフとして提示して繰り返した。サウンド・インスタレイションのように思われるだろうけど、当時から俺の中では、あらゆるものはつながっているという意識があって、それら全体が演奏だと思っていた。フリスも当時既に、いろんな方法でギターの音を出していたけど、その後まもなく始めたスケルトン・クルー(Skeleton Crew)では、演奏形態を一段と拡張し始めたよね。この時の俺との共演も大きなヒントになったんじゃないかな。このデュオ・ライヴの音源はディスク・ユニオンの関係者が持っているようだから、いつかリリースされるかもしれないね。


Skeleton Crew 『Learn To Talk』より「It's Fine」(1984)

その後85年にフリスがプロデュースした日本のアヴァン・ロックのコンピ盤『Welcome To Dreamland (Another Japan)』にも、灰野さんの演奏が収録されましたよね。

灰野:俺の曲「As It Is, I Will Never Let It End...」は84年に GOK Studio で録音したもので、本当は30分ぐらいあったものをフリスが3分に編集したんだ。だからフリスは「Scissors (はさみ)」とクレジットされている。

初共演後、フリスとのつきあいは?

灰野:俺の最初の渡米は彼がサポートしてくれたんだよ。82年の7~8月。フリスにアメリカでライヴをやりたいと言ったら、ライヴや宿泊のサポートをするから、前年に出た『わたしだけ?』を10枚持ってきてくれと言われた。関係者に配りたいと。実際、ジョン・ゾーンやデイヴィッド・モス、クリスティアン・マークレイ、アート・リンゼイ、エリオット・シャープなど、当時フリスが親しかったNYのミュージシャンたちは全員、フリスから受け取ったみたい。

まずLAに着いたんでしたっけ?

灰野:そう。実験音楽集団の「LAFMS」 (Los Angeles Free Music Society) のメンバーだったジョン・ダンカンを最初に訪ねた。ジョンとは渡米の2ヵ月前に、例の「通俗―異端―音楽実験室 Beat Complex」のVol.9 で共演しており、彼もいろいろとサポートしてくれたの。
 当時のレートは1ドル=250円で大変だったけど、何よりも準備に一番苦労したんだ。米大使館からヴィザをなかなかもらえなくてね。当時は観光ヴィザでも、東京の米大使館で面接があった。運悪く、その直前にNYで核兵器反対運動の大規模なデモがあり、日本人は歓迎されざる国民というムードになっていたから、それも関係あったんだと思うけど、なかなかヴィザが下りなかった。どういう人間なのかを説明するために、雑誌の記事を10本ぐらいコピーして持って行ったけど、9時から5時まで待たされたあげく面接もなく、翌週また行った。不法滞在をしない証拠として、帰国後のライヴの出演依頼書をライヴハウスの担当者などから書いてもらって。で、やっと45日間のヴィザが下りた。でも、渡米予定日が計画から1週間ズレてしまったため、フリスとジョン・ダンカンがいろいろとお膳立てしてくれていたLAとNYのライヴのスケジュールなどが全部ダメになってしまった。
 LAでは急遽ダンカンが新たにライヴをセッティングしてくれたんだけど、その会場はたくさんの人間がスクワットしている怪しいビルの地下スペースで、かなりのトラブルになった。
 次のオークランドでは、森の中にあるヘンリー・カイザーの自宅に1週間ほど泊めてもらった。ラルフ・レコードからLPを出していたアヴァンギャルド・バンド、MX-80 SOUND のメンバーとヘンリーの自宅でセッションをやったんだけど、そのメンバーの一人がやっている爬虫類屋さんに前日遊びに行った時、そこでニシキヘビにネズミを食べさせるという、俺にとってはとても許せないものを見せられたんだ。俺は激怒して、セッションの時、おそらく宇宙いっぱいの怒りをこめて演奏したら、そいつはビビって途中で逃げていってしまった。ヘンリー・カイザーは笑っていたけどね。


MX-80 Sound 『Crowd Control』より「Why Are We Here」 (1981)

ヘンリー・カイザーとはこの渡米時に初めて会ったんですよね?

灰野:そう。フリスが俺のレコードを事前に渡していてくれたので、泊めてもらえたんだ。彼からは「飛行機に乗る時は、ギターは絶対に預けないで機内に持ち込め」とアドヴァイスされ、それ以来ずっと守っている。
 オークランドの後はNYに行き、最後に再び西海岸のパサディナに移動して、LAから帰国したんだけど、パサディナでは「LAFMS」の中心メンバーのリック・ポッツのところに1週間ほど泊めてもらった。その時にドゥードゥエッツやリック・ポッツとやったセッション・ライヴが、2002年に出た『Free Rock』というアルバムだよ。パサディナは、小さなカフェが1軒あるだけのすごい田舎で、ボーッとして過ごすしかなかった。


Doo-Dooettes with Keiji Haino & Rick Potts『Free Rock』

オークランドの次に行ったNYでは、フリスが待っていたわけですね?

灰野:そう。でも、計画が1週間ズレたせいで、会えるはずだった人たちともほとんど会えず、ライヴもフリスが急遽セットしたものが1度だけになった。エリオット・シャープのバンドのオープニング・アクトをフリスと一緒にやったんだけど、客席は超満員だった。俺はいろいろと鬱憤がたまっていたこともあって、かなりワイルドなプレイになり、フリスもちょっとあたふたしていた。終わった後、フリスは「Keiji is from hell」と言って笑っていたけど、客席にいたフリスのファンからは「フリスはとてもいいやつだから、あんまりいじめないでくれ」と言われてしまった(笑)。

いろいろとトラブルが多く、アメリカはこりごりだと思ったんじゃないですか?

灰野:いや、そんなことはない。そのまま不法滞在しようかなとも思ったぐらいだよ。計画どおりにはいかなかったけど、NYはやはり面白かった。ジョン・ゾーンからも、ライヴが素晴らしかったと言われたし、フリスが配った『わたしだけ?』も評判がよく、共演したがっている奴が多いと聞かされた。単純に、他でやってない音楽、聴いたことのない音楽ということで興味を持たれたんだと思う。実際、そういう空気を自分でも肌で感じた。でも俺は、とりあえず帰国した。いろいろ準備を整えてから改めて渡米しようと思って。

アメリカで活動したいという気持ちは、滞米時に初めて芽生えたんですか?

灰野:いや、既に70年代後半には、アメリカでどれぐらい通用するのかやってみたい、英語以外では絶対に負けないぞ(笑)という気持ちがあった。『No New York』やテレヴィジョンのレコードを聴いて、こういうのが成立するんだったら大丈夫だなと、ある種の自信を持ったんだ。俺はその10年近く前にロスト・アラーフをやってたわけで。これはもうアメリカに行かなくちゃいけないな、勝負してみたいなと。だから、フリスから声がかかって81年に初めて共演した時は、これがいいきっかけになるといいなという期待もあった。

実際行ってみると、西海岸と東海岸は人間の気質も文化もだいぶ違いますよね。灰野さんが活動の場として考えていたのはやはりNYでしょうね。

灰野:そうだね。LAとNYは人間も文化も全然違う。西海岸は気候も人間もあったかい。泊まるところがないんだったらうちに来いよと気軽に声をかけてくれるし。1週間予定がズレたせいで、NYの初日なんて、ひどいところに泊まったんだよ。スタジオ・ヘンリーという地下のライヴハウスの楽屋で石の床に新聞紙を敷いて寝た。スタジオ・ヘンリーの経営者は、グレン・ブランカの『The Ascension』(81年)でドラムを叩いていたスティーヴン・ウィッシャース (Stephan Wischerth) だった。最初の夜、ヘトヘトになって楽屋で熟睡したんだけど、翌日の昼に突然聴こえてきた爆音でたたき起こされた。楽屋から出ると、ジョン・ゾーンとアート・リンゼイとデイヴィッド・モスがリハーサルをやっていた。3人と会ったのは、その時が初めてだった。


Glenn Branca 『The Ascension』より「Light Field (In Consonance)」(1981)

 NYで一番強く感じたのは「速い」ということ。なにもかもが。東京の速度もかなりだけど、レヴェルが違う。気分がガガガーっと押される感じ。煽られるというか。その後何度もNYに行き、ダメな点もいろいろわかったけど、他の街と比べるとやっぱり腐ってもNYだと思う。新陳代謝がすごい。くやしいけど、NYだけはやはり特別だよ。あそこはNYという一つの国だと思う。

予想外のうれしい出会いはなかったんですか?

灰野:オークランドでクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのジョン・シポリナに会えたことがうれしい驚きだった。ヘンリー・カイザーがライヴに連れて行ってくれて、楽屋で挨拶、握手したんだ。そのライヴは、クイックシルヴァーにちょっと関わっていたミュージシャンのバンドにジョン・シポリナも加わったもので、特に面白いとは思わなかったけど、シポリナがギターを弾くシーンは特に大きくフィーチャーされていた。当時彼は地味にソロ活動をしている時期だったけど、伝説的スターのオーラがあった。楽屋で会ってみると、思ったより小柄な人で、ドラッグでボロボロになっている感じではあったけど、やはりカッコ良かったね。


John Cipollina 1981年のライヴから

NYではいろんなライヴを観たんじゃないですか?

灰野:いや、さっき言ったアート・リンゼイ、ジョン・ゾーン、デイヴィッド・モスのトリオ以外には何も観なかった。NYの連中は西海岸みたいに親切に世話をしてくれる感じではなく、ほっとかれていたし。
 レコード屋にも行ったけど、ひどい目にあったんだよ。実は、レコードのトレードをしようと思って、『わたしだけ?』10枚のほかに30枚ぐらいのLPを持って行ってたの。バーズやプロコル・ハルムなどのきれいな日本盤ばかり。ザ・フーとジミヘンの缶セット(『Battle Of The Who & Jimi Hendrix』)もあった。そういうのがあっちではすごく高値で売買されるという情報を耳にしていたから。で、トレードをしてくれるというマンハッタンの中古レコード屋に持っていったら、店員の目の色が変わった。店の在庫のどんなレコードとトレードできそうか調べるので、一時預からせてくれと言われ、全部彼に預けた。数日後に店に行ったら、そいつが、面と向かって「いや、預かってない」と言って、返してくれないんだ。あんた、誰? みたいな感じ。ひどいんだよ。日本では考えられないでしょう。らちがあかないので、フレッド・フリスに相談したら、彼が激怒して弁護士を連れて店に乗り込んでくれ、それでようやく全部取りもどせたんだよ。

 なお、今回は本文を書き上げた後、一つだけ追加質問をさせてもらった。

今日までずっと日本で活動を続けてきたわけですが、この初渡米の後、もし活動拠点をNYに移していたら、その後のキャリアはどうなっていたと思いますか? 希望も含めて想像してください。

灰野:私はこの国、日本に住んでいます。最近、とても日本ということを意識します。もし、私がNYに移って、そこでずっと活動していたら、この戦争に負けた国と言われている民族に対して、戦争に勝った民族の人間たちと共に生きていられることが、私にできたでしょうか。

Sahara - ele-king

 こだま和文との共作『2 Years / 2 Years in Silence』でより広い層へとその名を知らしめたダブ・ユニット、Undefined。その片割れであるサハラによるソロEP「Whole Earth Dub / In The Wall」がリリースされている。リリース元は、本人主宰の〈Newdubhall〉(デジタルで出すのはレーベル初の試みだそうだ)。
 なおSaharaは、8月28日に発売される河村祐介監修のディスクガイド『DUB入門』に掲載された座談会にも参加している。ぜひそちらもチェックを。

国内外の先鋭的なダブ・アーティストをリリースしてきたNewdubhall初のデジタル・リリースはUndefined サハラによるソロ・プロジェクト!

これまで国内外の先鋭的なダブ・アーティストをリリースしてきたNewdubhall。2024年の2作目は、Newdubhall主宰、Undefinedのキーボード、エレクトロニクス、Saharaによるソロ・プロジェクト、2曲のEP“Whole Earth Dub / In The Wall”となる。レーベル発足以来アナログ・リリースが続いたが、ここで初のデジタル・リリース。

そこに存在しないベースラインをクラックル・ノイズとエコーの余韻だけで導き出す静寂なダブ“Whole Earth Dub”。
そしてテープ・エコーのノイズからイメージを膨らませたという、ゆっくりとした鼓動のようなビートと差し色のシンセがホワイトノイズのレイヤーとともにミニマル・ダブの亡霊を呼び出す“In The Wall”の2曲だ。

どちらの曲もこだま和文& Undefined『2 Years / 2 Years in Silence』における「in Silence」サイドの「次」を感じさせるサウンド。マスタリングはレーベル作品にはおなじみのe-mura(Bim One Production)が手がけている。またNewdubhallでは、Undefinedのジ・アザー、ドラマーのOhkumaのソロを9月にリリースする模様だ。

河村 祐介

発売日:8月8日 各種配信、データ販売開始
Sahara
1. Whole Earth Dub
2. In The Wall
released from newdubhall - ndh-d-001
特設サイト:https://solo.newdubhall.com

interview with Louis Cole - ele-king

 USCソーントン音楽学校でジャズを専攻したルイス・コールは、超絶的なテクニックを有するドラマーにしてシンセやキーボード、ベースやギターなどを操るマルチ・ミュージシャン。歌も歌うシンガー・ソングライターで、ミュージック・ヴィデオも自分で作るヴィデオ・アーティスト。シンガー・ソングライターのジェヌヴィエーヴ・アルタディとのエレクトロ・ポップ・デュオであるノウワーで活動する一方、サックス奏者のサム・ゲンデルとのアヴァンギャルドな即興ユニットのクラウン・コアを結成。故オースティン・ペラルタサンダーキャットとのトリオや、クロウ・ナッツというジャズ・グループでの活動。そして、自身のソロ・アルバムから、盟友のサンダーキャット、ジェヌヴィエーヴ・アルタディ、サム・ゲンデル、サム・ウィルクス、ジェイコブ・マンといったアーティストたちの作品への参加と、実に多彩で濃密な活動を続けている。2022年の『Quality Over Opinion』からは “Let It Happen” が第65グラミー賞にノミネート、翌年にはアルバムも第66回グラミー賞でノミネートを果たすなど、世界的にも著名なアーティストへと昇りつめ、ここ数年は自身のビッグ・バンドやノウワーで来日しただけでなく、サンダーキャットのバンドでの来日、フジロック’23のホワイトステージで2日目のトリ、NHK Eテレ「天才てれびくん」へのまさかの出演など、話題を振りまき続けるルイス・コール。

 そんな彼がこれまでとはまたひとつ違う新たなプロジェクトを開始した。それは、オランダのメトロポール・オーケストラとのコラボだ。メトロポール・オーケストラは、ジャズのビッグ・バンドとクラシックの交響楽団が融合した、オランダの超有名オーケストラで、参加作がグラミー賞に24回ノミネートされ、そのうち4回受賞している。1945年に創設され、エラ・フィッツジェラルド、ディジー・ガレスピー、パット・メセニー、ハービー・ハンコック、エルヴィス・コステロ、イヴァン・リンスなどのレジェンドたちと共演した。近年は首席指揮者のジュールズ・バックリーの指揮で、スナーキー・パピー、ジェイコブ・コリアーとの共演作がグラミー賞を受賞。さらにロバート・グラスパー、グレゴリー・ポーター、コーリー・ウォンなどの新世代のスターとも積極的に共演してきた。ノウアーや自身のソロ作ではジャズやエレクトロ・ファンクをベースにポップなスタイルを志向するルイス・コールだが、メトロポール・オーケストラとの『nothing』ではそれとは180度異なる壮大でクラシカルな世界を見せる。結果として、ルイス・コールというアーティストのジャズやポップス、クラシックという枠に収まらないスケールの大きさ、あらゆる方向へ広がる多彩な才能とその奥深さを見せつけるものとなっている。じつはこのプロジェクトはすでに2021年からはじまっていたそうで、そのはじまりからルイス・コールに話を訊いた。

モーツァルト、バッハ、リゲティ、マーラー、エルガー、ヒンデミット……まだまだいるけど、大きいところでいうとそのあたりかな。

ニュー・アルバムの『nothing』はこれまでとは性格の異なる作品で、オランダのメトロポール・オーケストラとの共演となります。2021年からこの共演はスタートして、これまでに数々の公演をおこなってきたのですが、最初はどのようなきっかけで共演が始まったのですか?

ルイス・コール(以下LC):ある日、指揮者のジュールズ・バックリーから連絡が来て、メトロポール・オーケストラのために音楽を書いてみないかと言われたんだ。僕は以前からずっとオーケストラのための音楽を書きたいと思っていたから、その話にすごく興奮した。基本的にはそれがきっかけだね。もちろん「イエス!」と即答したよ。

いろいろなオーケストラがあるなかで、どうしてメトロポール・オーケストラと共演したのでしょう? 基本的にはジャズとポップスの楽団ですが、これまでにロックやブラジル音楽など幅広いジャンルのアーティストとの共演を成功させ、またベースメント・ジャックスやヘンリック・シュワルツのようなエレクトロニック・ミュージック・アーティストとの共演もあります。そうした幅広い音楽に対応できるという点がポイントだったのですか?

LC:それはあまり関係ないかな。僕はただ、彼らが素晴らしいオーケストラであることを知っていて、そして自分はオーケストラの音楽を書きたかったわけだから、正直言ってもし彼らが誰とも共演したことがなかったとしても喜んでやったと思う。でもたしかに、彼らの対応力、たとえばリズム・セクションが速いファンクのグルーヴを演奏してもそれに対応できるということは、曲作りに影響したと思う。それで恐れることなく、遠慮なく書けるぞってなったから。

メトロポール・オーケストラと近年のジャズ系を見ると、スナーキー・パピー、ジェイコブ・コリアー、ロバート・グラスパー、グレゴリー・ポーターなどとの共演が話題を呼び、特にスナーキー・パピーとジェイコブ・コリアーについてはグラミー賞も受賞したのですが、あなたの共演に影響を及ぼしたものはありますか?

LC:いや、ないかな。別に彼らのことが好きじゃないとかそういうわけではなく(笑)。でもまったく今回のインスピレーション源ではなかったね。もっと他のもの……クラシック音楽をかなり聴き込んだ。彼らがあまりクラシックをやらないのは知ってるんだけど、僕にとってオーケストラの響きは本当に素晴らしいもので、クラシックの側面があるものを書きたいという気持ちが昂っていたんだ。というのも、偉大なクラシック音楽にはほかのどんな音楽にも敵わないある種の強度があって、少しでもそこに届きたいっていう思いがあったんだ。

ちなみに今回クラシックを聴き込んだということでしたが、どの辺りの作曲家でしょうか?

LC:モーツァルト、バッハ、リゲティ、マーラー、エルガー、ヒンデミット……まだまだいるけど、大きいところでいうとそのあたりかな。

共演するにあたり、ジュールズ・バックリーとはどのようなミーティングをおこないましたか? また、楽団員とのリハーサルや準備はどのように進めましたか?

LC:最初は僕が作った音楽をちょこちょこ彼に送っていて、話し合いのほとんどは最初のリハーサル後にはじまった。リハーサル後にミーティングをして、演奏を振り返りつつ、変えたいところだったり、改善したい部分なんかを話して。彼との仕事は本当にやりやすくて、というのも僕がアイデアを思いついても、どうやってオーケストラにそれを伝えたらいいのかわかからないから、ジュールズに「もうちょっとこうしたい」とか言うと、彼がオーケストラに正確に伝わるように話してくれるという。彼とオーケストラはお互いにリスペクトし合っていて、とにかく本当に素晴らしかったね。

オーケストラ用に多くの新曲をつくっていますが、これまでの個人プロジェクトやノウアーなどとは曲づくりのプロセスも大きく変わるのではないかと思います。イメージするものもソロ・アルバムと今回では異なると思うのですが、具体的に今回はどのように曲づくりを行いましたか?

LC:自分のパソコンで、たとえばトランペットを模倣した音だったり、ヴァイオリン風の音だったりを鳴らして、とにかくそうやってオーケストラのサウンドを可能な限り忠実に再現するという形でやっていたんだ。たぶんアイデアがずっと前から頭のなかにあったおかげですぐに思いつくところもあったし、もちろん試行錯誤が必要なところもあったけど、基本的にはそうやって何ヶ月もパソコンを前に曲を書いていたね。僕はオーケストラをちゃんとフィーチャーしたかったから、普段とはたしかに違ってたね。上に乗せるだけの重要度が低いレイヤーとして扱いたくなかったんだよ。というのもオーケストラとアーティストのコラボレーションというと、たまに書き方が雑なことがあると思うんだ。やっぱり僕は、オーケストラの演奏をしっかり念頭に置いて思慮深く質の高い書き方をしているものが好きだし、だから自分もちゃんとオーケストラをフィーチャーしたものを真剣に書こうとしたんだ。

これまでのあなたのアルバムは3分程度のポップなナンバーが中心だったと思うのですが、今回は11分を超す “Doesn’t Matter” が象徴的ですが、長い曲や組曲になってるものもあります。そうした点でこれまでとは曲づくりの段階でかなり意識が違うのでしょうか?

LC:うん、違ったね。まず改めて思ったのは、あれだけの数の楽器があるということ。たとえば “Doesn’t Matter” のストリングスの音は本当に好きなんだけど、あの曲が11分になったのは、やっぱりああやってゆっくりと徐々に高まっていく弦楽器の演奏、あれだけ深い演奏というのは、それが十分な効果を発揮するためにはそれ相応の時間を費やす必要があるということで。あの曲にはそういう、少し時間旅行のような感じがあるんだよね。ほかに短い曲もあるけれど、とにかくフィーチャーすべき楽器がたくさんあったし、誰かの演奏を削るようなことはしたくなかった。そしてこの機会を活かして本当に特別なものを書きたかったし、いくつかのアイデアを形にするのに、今回いつもより少し時間がかかったよ。

完全にオーケストラ用の曲がある一方、“Life” や “High Five” などはノウアーのときのような楽曲でもあり、あなたの世界とオーケストラ・サウンドが見事に融合しています。こうした融合において、もっとも意識したのはどんなところですか?

LC:たぶん僕は、とにかくいままで存在しなかったものを作りたかったんだと思う。バンド、オーケストラ、そしてシンガー、その3つ全部が混ざり合ったものが入る余地が、この世界には残されていると思ったんだ。そこにいる全員がフィーチャーされて、しかもまだ作られておらず、この世に存在しないもの。古くてタイムレスなオーケストラのサウンドと、僕が何年もかけて培ってきたファンク調の比較的新しいサウンド、そのふたつの別々の世界を組み合わせられたら最高だなと思った。そう考えるとワクワクしたんだよね。

バンド、オーケストラ、シンガー、その3つ全部が混ざり合ったものが入る余地が、この世界には残されていると思ったんだ。全員がフィーチャーされて、しかもまだ作られておらず、この世に存在しないもの。

先ほど曲作りの準備にあたってクラシックを聴きこんだという話が出ましたが、あなた自身は父親がクラシック音楽のファンで、幼少期よりそうしたものに接してきたと聞いています。そうした経験や知識が今回の曲づくりに生かされていますか?

LC:ああ、それはもう、それがすべてだと言っても過言ではないかもしれない。まだ物心がついていないうちから素晴らしい音楽に触れて、つねにそういったものを聴いて育ったということが、僕の人生でいちばん大きかったかもしれない。父と一緒に音楽を演奏したり、ジャムったりして、全部そこから教わったんだ。

新曲の一方で、“Shallow Laughter” “Bitches” “Let It Happen” は2022年のソロ・アルバム『Quality Over Opinion』の収録曲です。録音時期もさほど離れていないかと思うのですが、ソロ・アルバムと『nothing』においてはどのように違いを意識して録音しましたか? また、アレンジなども大きく変わってくるかと思いますが。

LC:いま挙がった曲を書いているとき、じつはすでにこのプロジェクトのことが念頭にあって、書きながら「これはオーケストラのプロジェクトにいいな」と思っていたんだよ。でも自分のデモ版がすごく気に入っちゃって、『Quality Over Opinion』にレコーディング版を入れて、さらに結局はあのアルバムが先にリリースされることになったというわけなんだ。

ドラムをはじめ楽器演奏については、普段のステージでのプレイと変わってくる部分はありましたか?

LC:歌いながら演奏している曲が多かったから、そこはちょっと難しくて、かなり練習が必要だった。

『nothing』には2021年のスタジオ・セッションから、2022年のノース・シー・ジャズ・フェスティヴァル、2023年のドイツとアムステルダムでのライヴ録音と、さまざまな音源が集められています。『nothing』の位置づけとしては、単発の録音物ではなく、過去3年間の活動の集大成と言えるものなのでしょうか?

LC:そうだと思う。録音の過程は3年に渡っているから、考えてみるととんでもないことだけど。2023年に書いた曲もある。だからいくつもの音源を集めたものではあるけど、面白いことに、頭から最後まで通して聴いたときに、もっともこのアルバムの本領が発揮されるというか。そこに特別な力があると思う。最初は自分でも気づいていなくて、完成して改めて頭から通しで聴いたときに、「ワオ、こんなにうまくいっていたんだ」となって。そこを意識していたわけではないから、そうなるとは思っていなかったんだけどね。

『nothing』は選曲やミキシングについても念入りにおこない、完成までに多くの時間を費やしたそうですね。そうした点もこれまでの作品とは異なるものかと思うのですが、特に苦労したのはどういったことでしょう?

LC:最初にミックスした曲は本当に大変で、「これどうすんだ?」って感じだった。あまりにやることがたくさんあって、あまりに多くのサウンド、70人分の演奏があって。最初にやったのは “Things Will Fall Apart” という曲で、まだ自分の心の準備ができていなかったというか、とにかく大変すぎて、要領を得るまでに数日かかったけど、それ以降はコツを掴んで、徐々に楽になって。それ以前からミキシングは僕にとっては簡単なものではなかったのに、今作の作業の終盤には、正直言ってすごくスムーズにできるようになっていたんだ(笑)。本当に楽しくて最高だったし、最終的には制作過程のなかでもすごく好きな作業になった。それで選曲は最後の最後にやったんだけど、正しい曲順を見つけるまでは、さっきも言ったように、これがちゃんとしたステートメントを持ったひとつの作品だとは自分でも気づいていなくて、曲順を決めて通しで聴いて初めてそのことに気づいたんだよ。決め方としては、まず最後の3曲はこれがいいっていうのは自分のなかで決まっていて、最初の2曲も決まっていたから、あとはその間を埋めていくという作業だったね。

古くてタイムレスなオーケストラのサウンドと、僕が何年もかけて培ってきたファンク調の比較的新しいサウンド、そのふたつの別々の世界を組み合わせられたら最高だなと思った。

録音にはノウワーのジェネヴィーヴ・アルターディはじめ、サム・ウィルクス、ジェイコブ・マン、ライ・シスルスウェイティー、ペドロ・マーティン、フェンサンタなど、日頃からあなたのバンドやプロジェクトで一緒にやっているメンバーも参加しています。こうした面々とメトロポール・オーケストラがジョイントした公演やセッションの風景は、あなたにどう映りましたか?

LC:ものすごく感動的だった。ステージ上でもグッときたけど、リハーサルの段階から結構きてて、これは本当にスペシャルなことだなって思ったね。

ライヴではあなたに倣ってメンバー全員がガイコツ・スーツを着るのが定番となっているそうですね。そうしたライヴならではのアイデアとか、遊びはほかにもあったりするのでしょうか?

LC:ガイコツ・スーツ以外にはこれといってないけど……ガイコツ・スーツにしても最初はリズム・セクションとシンガーたちの分だけ用意していたんだ。というのも最初にオーケストラのディレクターに「オーケストラも着ます?」って聞いたときは、笑いながら「ノー」と言われて(笑)。「いやいや、ないでしょ」っていう。それでじゃあ自分たちだけで着ようとなったんだけど、2021年の最初の公演後に、オーケストラの人たちが着たいって言い出して、それでオーケストラ側が大量購入して全員で着るようになったんだ。

もし、日本でこの公演が実現したら、ぜひ観てみたいです。

LC:そうなったら最高だよね。僕も実現することを願ってる。もちろん簡単なことではないと思うけど、もし実現したら本当に嬉しい。

ERA - ele-king

 ラッパーの ERA による新たな企画、「TIME 2 SHINE」が9月1日、恵比寿 LIQUIDROOM の2階、TIME OUT CAFE & DINER にて開催される。ライヴには ERA に加え CAMPANELLA も登場、DJには SLOWCURV と SULLEN を迎える(フライヤーを手がけたのは wackwack)。強力な出演者たちによって繰り広げられる新しい試みに注目だ。

TIME 2 SHINE
2024年9月1日

LIVE:
ERA
CAMPANELLA

DJ:
SULLEN
SLOWCURV

TIME OUT CAFE & DINER
17:30 OPEN & START
¥3000 + 1DRINK
チケッットの予約は下記より
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSd8FQ4SIJWbM8S7Gw9-aJhz2ZsVedV-04_qczS2QOj00ChSGg/viewform?vc=0&c=0&w=1&flr=0

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