「S」と一致するもの

interview with IR::Indigenous Resistance - ele-king

私たちにとってダブはスタイルではなく、アティチュードである。私たちは、音楽やその他の手段による抵抗や抗議、社会正義の主張が、植民地的・資本主義的・白人的な流れの中で制度化され、無力化され、活力を奪われた世界に住んでいる。ダブは、このような同化と融和のプロセスのB面なのだ。

 インディジェナス・レジスタンス(IR::Indigenous Resistance、以下「IR」)は、地球上の音楽シーンにおいて際立った存在感を放つダブ・アーティスト/アクティヴィスト集団だ。世界各地で反植民地主義と先住民の権利のために活動するIRのアクションは、音楽のみならず、絵画・書籍・映像・ストリートアートなど多岐にわたっている。おもな拠点のひとつはウガンダにあり、ジャングルの奥深くに創造的なアートスペース「Atuadub Shrine」がある。

 彼らは80年代のテクノ/ハウスや90年代のレイヴ・カルチャーの影で台頭してきた。IRとしての作品は2002年のザ・ファイアー・ディス・タイム『Krikati / Galdino / Remembering Galdino』(IR1)にはじまり、最新作の『Mongolia African Ancestral Travel M.A.A.T. 』(IR73)に至る。彼らの活動はきわめてアンダーグラウンドなもので、実態は依然として謎に包まれている。中心人物のひとりであるアマスタラは、人々がIRの全体像を把握しづらいのは彼らが意図的に行っていることだという。

アマスタラ:私たちはアクションのたびにチームを組み替え、世界同時多発的に、また、非中央集権的な組織作りを通じて、バビロンを混乱させることを目指している。たとえば、西パプア解放運動を支援するイベントでは、コロンビア、ブラジル、エチオピア、ウガンダ、インドネシアの共謀者や協力者と協力して同時開催を実現した。私たちが「African Anarchists」という曲の中で言及しているように、現在アフリカと呼ばれている地域には、古代において、中央集権的な王国ではなく、自治的な村々がゆるやかにつながった連合体によって統治されていた地域があった。私たちはこれを組織のモデルとして気に入っている。

「IRにとってダブとは?」とアマスタラに尋ねると、IRの音楽の本質であり、たんなるジャンルではなく抵抗のアティチュードである。そして「音の周波数を使った混乱でバビロンを震え上がらせること」だと答えてくれた。

アマスタラ:ジャマイカのダブ・レゲエは、デトロイト・テクノ、ハードコア・パンク、アフリカ音楽、そして南太平洋のソロモン諸島や北アメリカの先住民族の固有の音楽の伝統と同様に、私たちにとって大きなインスピレーションとなっています。私たちがこれらの影響を受けているのは、その根底にある深い原理があるから。つまり、私たちにとってダブはスタイルではなく、アティチュードなのです。エコーやリバーブ・エフェクトを使うことだけがダブではない。IRにとってダブとはたんなる音楽ジャンルや手法ではなく、本質。ダブとはあらゆるものの本質なんだよ。私たちは、音楽やその他の手段による抵抗や抗議、社会正義の主張が、植民地的・資本主義的・白人的な流れの中で制度化され、無力化され、活力を奪われた世界に住んでいる。ダブは、このような同化と融和のプロセスのB面なのだ。
 ダブは抑圧的なシステムに問題を引き起こしながらも、人類の向上に役立つようなやりかたでシステムに挑む。「バビロンを震え上がらせること」の重要性を、私たちはとくに強調したい。それは、音の周波数がどのように使われうるか、また使われるべきかという私たちの常識を完全に混乱させる。この混乱こそがダブをまったくもって美しくしているのであり、人生の美しさと奔放な複雑さを肯定しているのです。

 最新アルバム『Mongolia African Ancestral Travel M.A.A.T. 』に収録され、先行シングルとなった「Dreams Are Dub But Genocide Is A Reality」は、日本人アーティスト、マサヤ・ファンタジスタとの共演。モンゴルでの偶然の出会いが、コラボレーションの契機になったという。ウランバートルのレコード店〈ドゥンゴル・レコーズ〉のオーナーを通じて知り合ったアマスタラとマサヤは、共通する音楽理念やモンゴル文化への理解を通じて友情を深めた。

アマスタラ:そう、本当に美しい出会いだった。それは私たちが「自然なダブの流れ(natural dub flow)」と呼ぶものです。2023年の夏、マサヤはドゥンゴル・レコーズの音楽スペース兼カフェの公式オープニングでプレイするために来ていた。マサヤはじつに静かで温かみのあるダブを醸し出していて、音楽の話になると、すぐに似たようなつながりがあることに気づいた。彼は私たちの音楽仲間であるデトロイト・テクノの反逆者アンダーグラウンド・レジスタンスとも関係が深かった。フェラ・クティのドラマー、トニー・アレンを日本に連れてきたときの責任者のひとりがマサヤだったと聞いて、さらにその絆は深まった。私がフェラ・クティ本人と個人的なつながりがあることを知って、彼は本当に驚き大喜びした。こうしてマサヤ・ファンタジスタはこのプロジェクトに参加することになりました。

Masaya Fantasista

「Dreams Are Dub But Genocide Is A Reality」(夢はダブだが虐殺は現実だ)。重いテーマを扱ったこの曲で、先入観を覆すためにマサヤがもたらしたジャズの要素を取り入れたのだとアマスタラはいう。

アマスタラ:マサヤがこの曲に加えたジャズのエレガンスは、私たちが歌詞を書いた意図とも一致していた。ジェノサイド(大量虐殺)のようなトピックが音楽の焦点になると、人々はそれがパンクやノイズのような攻撃的な音楽ジャンルと結びついていると考えがちだ。私たちはパンクやノイズが大好きだけど、この先入観を覆したかった。トラックの最初の行が「彼らは優しく抱きしめ合った(They embraced tenderly)」なのはそのためだ。同時に、世界中で起こっているジェノサイドのさまざまな事例を、多くの人が予想するような形ではなく、ストーリーテリングの手法で語れるようにしたかった。
 マサヤのソウルフルなジャズのエレガンス、バッド・ブレインズのパンクの影響、バントゥー(Bantu)とダンシャ(Dhangsha)のノイズ、不協和音、ベース・ミュージックへの新しいアプローチ、エイドリアン・シャーウッド、マーク・スチュワート、ソイ・ソスのようなインダストリアル・ダブの影響、そして伝統的なアフリカのジャンベ・ドラムとモンゴルの馬頭琴。この曲の歌詞を書いているとき、私たちの魂に響いた曲のひとつがバニー・ウェイラーの「Bide Up」だった。ソウルフルなエレガンスと美しさに満ちた曲で、華麗なフルート、パーカッション、そして精神的な敬虔さと逆境に対する勝利に焦点を当てた歌詞に支えられたルーツ・レゲエ・トラックです。

 アルバムのハイライトとなる「A Fiery Kumina Groove For Thomas Sankara & Fela Kuti」(トーマス・サンカラとフェラ・クティのための燃えるようなクミナ・グルーヴ)には、ダブ空間に鳴り響くテクノ・ビートとともに、アフリカ起源の音楽のエレメントが色濃く込められている。

アマスタラ:アフリカ音楽の要素は、私たちの音楽に大きな役割を果たしている。ウガンダの伝統的なフルートや、ジャンベやケテ・ドラムなどの打楽器だけでなく、過去にはエチオピア西部のヌエル族やアヌアク族の伝統音楽で使われている撥弦楽器の親指ピアノも使ったことがある。これらの楽器は、エチオピア西部の土地収奪をテーマにしたIRの楽曲で演奏されています。また、強制的に奴隷にされたアフリカ人が海を越えて持ち込んだアフリカ音楽の伝統を活用していることも重要だ。ジャマイカのクミナやナイヤビンギの太鼓の伝統、そしてアフロ・コロンビアの重要な伝統である太平洋岸のマリンバ。クミナはコンゴから強制的に奴隷にされたアフリカ人がジャマイカに持ち込んだ精神的な儀式です。私は個人的にクミナの儀式を目撃したことがあり、そこには強烈な催眠術のようなドラミングがあり、参加者は踊りながらトランス状態に入っていきます。この儀式を目の当たりにするのはすばらしくうっとりする体験で、私はいつもこれを音楽のトラックに取り入れたいと考えていました。私たちの経験では、伝統のスピリットを真に感じれば、それは難なくダブに流れ込む。作為的なダブとは対照的な「自然なダブの流れ(natural dub flow)」なのです。

モンゴルのアンダーグラウンドにもアクセスするIR

2023年の夏、マサヤはドゥンゴル・レコーズの音楽スペース兼カフェの公式オープニングでプレイするために来ていた。マサヤはじつに静かで温かみのあるダブを醸し出していて、音楽の話になると、すぐに似たようなつながりがあることに気づいた。彼は私たちの音楽仲間であるデトロイト・テクノの反逆者アンダーグラウンド・レジスタンスとも関係が深かった。

 IRのスローガンのひとつ「ダブ・リアリティ」。
 「ダブ」と「現実」。一見すると相反するふたつの要素だが、彼らの言葉を借りるなら、IRはB面(ダブ)から見えるヴィジョンを通じて地球上の現実と人類の歴史を掘り下げ、同時に音楽としてのダブを拡張している。

 IRが行っていることは「全地球をダブにする」ことだと私には思える。
 アフリカを拠点に世界中の先住民との交流を続けるIRのダブは、ヘヴィなベースとエコー・チェンバーを武器に、はかりしれないパワーと知識とスピリットが注ぎ込まれた音楽なのだ。

 最後に、つい先日完成したIRによる短編映画を紹介しよう。
 アフリカの映画監督ジョシュア・アリベットとIRの3度目の共同制作であり、ジャマイカ出身のアマスタラがモンゴルを「もうひとつの故郷」とする体験を描いた『Mongolian Dub Journey』に触発されている。映画の舞台はウガンダだが、モンゴル文化がアフリカの背景に溶け込む様子が印象深い。
 ここでもIRは先住民族への暴力や抵抗運動への連帯を訴え、社会正義の可能性を問いかけている。

Under The Moon, We Return To Water : An Indigenous Resistance Dub Suite

■アルバム 情報

Indigenous Resistance
IR 73 Mongolia African Ancestral Travel M.A.A.T.

https://dubreality.bandcamp.com/album/ir-73-mongolia-african-ancestral-travel-m-a-a-t

Indigenous Resistance
IR 71 Dreams Are Dub But Genocide Is A Reality + E book A Mongolian Dub Sublime

https://dubreality.bandcamp.com/album/ir-71-dreams-are-dub-but-genocide-is-a-reality-e-book-a-mongolian-dub-sublime

Hoyo Moriya - ele-king

 東京を拠点に活動するシンガーソングライター・森谷抱擁が、 world’s end girlfriend主催のレーベル〈Virgin Babylon Records〉より最新シングル“密儀”を発表。

 本日5月2日、Bandcamp Friday(パンデミック以降定期開催されている、手数料受け取りを免除することで売上のほぼ全額がアーティストやレーベル側に行き渡るキャンペーン)の開催にあわせてBandcampにて先行リリース。各種ストリーミング・サーヴィス上では5月17日より配信開始されるとのこと。

 ピアノ、ストリングス、ドラム、そして唄。最小限の構成で展開される、幽玄な雰囲気に満ちた楽曲です。

Artist : 森谷抱擁
Title : 密儀
Label : Virgin Babylon Records
Release Date : 2025.5.2 (Bandcamp) / 2025.5.17 (Streaming)
Format : Digital
Stream / Buy : https://virginbabylonrecords.bandcamp.com/track/--142

──全編4分57秒。聴き手を灯りなき礼拝へと導く、儀式的ポストクラシカル。
本作では、彼が探究する『幻視日本』がいっそう鮮明に表現されている。
ささやく霊のような歌声、端正な古語調の詞。
ほの暗く幽玄な「密儀」の世界が立ち現れる。
(Virgin Babylon Records)


歌詞(英訳)
作詞・作曲:森谷抱擁

密儀 The Rite

目を閉じれども
Eyes closed,

目を開けども
Eyes open,

昏き夜にも
Even in the dark of night,

確かなもの
Something certain remains.


重たき扉
A heavy door

こじ開ける時
Prised open,

愛しあなたを
To seek you, my love,

求め翔ぶよ
I fly toward you.


雨夜の中を
In the rainy night,

光はしる
Light shines through,

愛の密儀
The mystery of love,

今はじまる
Beginning now.


実る果実
The ripened fruit,

ふたり齧る
Bitten by both,

ふたり齧る
Bitten by both.


幼生の時
In the time of the larvae,

繭の日月
Through cocooned days,

越えてぼくらは
We emerge,

翅を得たの
Wings gained.


耳元なぞる
The voice of obsidian

黒曜のこゑ
Tracing the edge of my ear,

潤んだ星に
Hands reaching

手を触れるよ
Toward the wet star.


雨夜の中を
In the rainy night,

光はしる
Light shines through,

愛の密儀
The mystery of love,

今はじまる
Beginning now.


夜の蜜が
The nectar of the night,

いま弾ける
Now bursts forth,

いま弾ける
Now bursts forth.

interview with Nate Chinen - ele-king

[※前編からつづく]

あの本で打ち出したかった所信表明というか、そのひとつは、「ジャズはいまもばっちり健在である」と皆に示したかった、ということで。

あなたの本を読んで、アメリカのジャズの過去数ディケイドの動向がとてもヴィヴィッドに把握できました。あなたは全米各地に飛び、ミュージシャンに直接取材し、いくつものショウを観て、さまざまな文脈や繫がりを提供している。もちろんあの本を読んですべてが理解できるなどとは思っていませんが、レコード評だけではわからない、幅広いコネクションが見えたと思っています。

ネイト・チネン(Nate Chinen、以下NC):そう言ってもらえると嬉しいです。間違いなく、それは意図でしたね。というのも、音楽の背後にはじつに多くの素晴らしいストーリーが潜んでいるわけで。

たとえばヴィジェイ・アイヤーを取り上げた章は、彼のような出自の人にしか語れないアメリカのジャズのストーリーがあり、多くを学ばせてもらいました。

NC:なるほど。ですから、この本の全体図を計画するに当たって私に大事だった点は……章ごとに入れ替わる構成なんですよね。基本的に、ある章ではミュージシャンの肖像を描き、次の章ではアイデア/概念について探る、といった具合に。ですが確実にやりたかったのは、アーティストの略歴を取り上げる際も、それぞれのプロフィールの背後にアイデアが存在する、ということでした。そんなわけで、ブラッド・メルドーについて書いた章も、ジャズの伝統を相手にしながらも、ちゃんと「その人だ」とわかるパーソナルなヴィジョンを作り出す際の葛藤についての話になっていますし、ヴィジェイ・アイヤーの章は、とある文化的遺産と、クラシック音楽やジャズの体制とのシンセーシスについての話になったわけです。で、そのアプローチの仕方は本の焦点を定めるという意味でとても役に立ちましたし、それだけではなく――ですから、私が心底好きで、プロフィールを書きたいアーティストは他にもたくさんいますよ! けれども彼らを取り上げなかったのは、彼らの背後にあるアイデアはすでに他の場で論じられているので、敢えてここでは述べなかった、という。

どんな植物も、ちゃんと根が張っていないとすぐ枯れてしまうのは、周知の通りですよね(苦笑)? ですから歴史を学ぶのはとても大切です。私のやりたかったことのひとつがそれ、読み手に文脈をもたらすことでしたね。

アーティストのプロフィールと言えば、エスペランサ・スポルディングやメアリー・ハルヴァーソンといった女性ミュージシャンにそれぞれ1章が設けられていることも本書の特徴です。これまでのジャズ史では女性ミュージシャンが不当に軽視される、またはヴォーカリストなどに役割が限定されるといった現実はあったと思います。いま、歴史の中であらためて注目すべき女性ミュージシャン、もしくはこのトピックに関連してあなたが重要視している動向などはありますか?

NC:イエス。言うことがじつに多い質問ですね! まずひとつめの質問、あらためて注目すべき/もっと称賛されるべき女性は、歴史上に数多くいます。たとえばちょうどいま、リッキー・リカーディの書いたルイ・アームストロングの初期を綴った素晴らしい本を読んでいるところなんですが、あの時期について知れば知るほど、リル・ハーディン(※アームストロングの2番目の妻。ピアニスト/作曲家/シンガー/バンド・リーダー)がどれほど重要な存在だったかがわかります。なので、彼女はそんなひとりです。それから、『Playing Changes』原書版の出版直前に、ジェリ・アレンが世を去りました。あのとき、痛烈な悲しみと共に悟りましたね、自分はおそらく彼女のことを、ウィントン・マルサリス時代についての文脈でもっと大きく取り上げるべきだった、と。彼女は本に登場しますが、彼女に1章割いてもおかしくなかった。ですから、彼女は……その貢献の深さは、ミュージシャンや聴き手にはつねに明白だった、そういうミュージシャンのひとりだったわけですが、批評家としてつい、「ああっ、自分は何でこうしなかったんだろう?」と感じずにいられない。この本で展開される対話の中心にもっと近いところに彼女を据えれば良かった、本当にそう思います。間違いなく、彼女はそれにふさわしい人でした。それから……存命中にカーラ・ブレイに関する記事を書く素晴らしい機会にも恵まれましたし、まだ、じつにたくさんの女性がいます。かつ、私はジョージ・ウィーンとコラボしたので、穐吉(秋吉)敏子がどれだけ早い時期にニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演したかも知っています。初めてニューポートに出たとき、彼女はまだ若いピアニストだったんですよ! もちろん、いまやジャズ・マスターですし、重要なバンド・リーダー/作曲家として非常に長い間活躍されてきた方です。もちろん、彼女は日本で称えられているでしょうし、ここアメリカでも名は知られているとはいえ、今後もっと称えられる必要のある存在だと思います。で、この本がアメリカで初版された2018年以来、私が強く感じるのは……ということは、そんなに昔の話ではないわけですよね? でも、その7年ほどの間ですら、我々は本当に素晴らしい、音楽界の女性による仕事をもっともっと目にしてきた。もちろん、彼女たちはいつだって存在していました。ですが、いまはもうちょっとその受容度が高くなっているんじゃないか、と。ですから、中にはバンドを結成して、「あれ、このバンド、何で男だらけなんだ?」と思う人だっているかもしれません(苦笑)。

(笑)

NC:たぶん、我々はそこを考え直すべきでしょうね。でも、私が貢献している〈WRTI〉(※フィラデルフィアの非営利ラジオ局)で、つい最近リニー・ロスネスを迎えてポッドキャストをやったばかりなんですが、本当に素晴らしいグレイトなバンド、アルテミスについてリニーに話を聞きました。あれは興味深かったですね。彼女たちは『ダウンビート』誌読者投票で最優秀ジャズ・アンサンブル賞を2 年連続獲得し、〈ブルーノート〉からの3枚目を出したばかりです。ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルやヴィレッジ・ヴァンガードに出演し、ツアーも回り……という具合で、とても成功しているわけです。ところがリニーと話した際に、彼女は「いまだにプロモーターからの抵抗に出くわす」と述べていた。それって、完全に後ろ向きな姿勢ですよね? つまりプロモーターの感覚は、「我々のフェスにはもう女性パフォーマーが他に出演するから、アルテミスは要らないか……」みたいな(苦笑)。とにかくそういった、まだ調整しなくちゃいけない感覚が存在するわけです。変化は散発的に訪れるもので、我々が求めるよりもそのスピードはときにずっとスローですが、過去数年で確実にいくらかのシフトチェンジが起きたと思っていますし、その動きは大いに歓迎されています。

アリス・コルトレーン、彼女は現在では、20年ほど前とはまったく違う意味を備える存在なわけです。

本書は21世紀のジャズが中心になっています。一方で、現在のジャズをジャーナリスティックに紹介するだけでなく、つねに過去との関係が、つまり歴史への眼差しが織り込まれている点が特徴にもなっています。加えて、その「歴史」が博物館的ないわゆる「ケン・バーンズ・ジャズ史観」ではなく、現在のジャズを起点に置くことで見えてくる系譜がある、という点がさらに特徴的だと感じました。その上でお聞きしたいのですが、音楽はただ楽しければいいという意見がある一方、あなたにとって「歴史」を学ぶことにはどんな必要性や重要性があると考えていますか?

NC:ジャズの歴史と我々との関係は、つねに複雑です。というのも、過去の中で生きることだけを望むリスナーだっているくらいですしね(笑)。で、私の本もある程度までは――自分にとってのあの本で打ち出したかった所信表明というか、そのひとつは、「ジャズはいまもばっちり健在である」と皆に示したかった、ということで。というのも、「ああ、もう新しいことは何も起きていないよね。ジャズは○△のディケイドから勢いが衰えて……」という声をさんざん耳にしてきたからです。人によってはそれは60年代以来ですし、あるいは70年代と言う人もいますが。けれども、歴史を学ぶことの重要性は何か? というあなたの質問に答えれば、ジャズというのは先人のやってきたことの上に積み重なってきた音楽です。文脈、および連続性(continuum)ですね。で、ジャズの連続性とはアフリカ文化からやって来たものである、その点を思い起こす必要があると思います。先祖を称え、代々の家系を忘れないというこの概念は、ジャズを作り出したものの中核にあるわけですし。そして、ジャズが成熟し進化するのに伴い、その芸術形態をルーツ・起源から引き離そうとする勢力も存在してきました。指導者(メンター)の教えや直接伝授のスタイルからの乖離とも言えますね、というのもいまや、教則本やハウツーのヴィデオ映像はいくらでもありますし、制度化されたジャズ教育も学校/院でおこなわれていますから。ゆえに、根が深くてややこしく絡み合ったルーツ・システムにはタッチせずに、かなり高度な技能の数々を習得することも可能です。ところが、私の経験から言わせてもらえば――これは本当に信じていますが――私が取材させてもらったミュージシャン、「この人のやっていることは本当に、自分の心をつかんで離さない」と感じる人々の音楽を聴くと、彼らは皆、過去について、そうした昔のコミュニケーションの様式・スタイルについてじっくり考えてきた人ばかりです。たとえ自らの作品を通じてそれをやっていないとしても、彼らはその様式を実体験したことがある。ですから私にとってそれはとても、とても重要ですし、どういうわけか、若いミュージシャンが「自分にそんなもの必要ない」と考えながらシーンに登場するとしたら、それはジャズのためにならないだろう、そう思います。というのも、そういったルーツ・システムに関わらずにいると、その人自身のルーツも、本当に浅いものになってしまいます。どんな植物も、ちゃんと根が張っていないとすぐ枯れてしまうのは、周知の通りですよね(苦笑)? ですから歴史を学ぶのはとても大切ですし、私のように音楽について執筆する人間にとっては、間違いなく重要です。そうした理解が必要ですから。また、聴き手にとっても――別に「必要」ではありませんが、その音楽の出どころ・来歴をもっと知れば、どれだけリスニング体験が豊かになることか。私のやりたかったことのひとつがそれ、読み手に文脈をもたらすことでしたね。それによって、もうちょっとだけ理解が深まる、という。

『Playing Changes』の原著刊行から7年が経過しました。この間、ジャズの世界にはさまざまな新しい動きが起こりました。それについて聞かせてください。まず、UKのジャズ・シーンの興隆について、どう捉えていますか?

NC:ああ、すごいですよね。ですから、本の中で少なくともその動向のヒントを示せて、本当に良かったなと(苦笑)。あの本が出版された時点では、ヌバイア・ガルシアは観たことがありました。彼女はアルバム『Nubya's 5ive』を出したばかりでしたが、いやほんと、以降も本当に素晴らしい仕事を続けています。でも、他にもじつに多くの連中がいる。だから、いまロンドンで起こっていることはとても豊かなストーリーですし、そこには独自の複雑な文化的次元が備わっている。ですから、あのシーンに焦点を当てた本を誰かが書いてくれることを切に願っています。というわけで、本の出版以降のUKジャズの動向を見守るのはとてもクールでしたし、特に、英国生まれのブリティッシュ・ミュージシャンとして、アフロ・カリビアンなディアスポラの伝統から影響を引っ張ってきている面々に興味があります。シャバカもそうですし、ヌバイアもそうです。というのも、ここアメリカ合衆国では、アフリカン・アメリカンの経験を考えるのはごく当たり前ですが、それ以外にも色々な経験があるわけです。たとえばシャバカの場合はバルバドスですし、ヌバイアはガイアナとトリニダード・トバゴと、本当に豊かです。ロンドンはじつにコスモポリタンな都市だと思いますし、即興音楽がロンドンで集合した、その様は――しかもダブ・ミュージックやエレクトロニック/クラブ・ミュージックの歴史からも影響を受けているわけで、仮に私があの本をもう何年か後に書いていたとしたら、UKジャズは間違いなく、もっと大きな部分を占めていただろうと思います。それに近いのが、〈インターナショナル・アンセム〉およびマカヤ・マクレイヴンジェフ・パーカー周辺ですね。本の中でも少し触れたとはいえ、あのシーンも本の出版以降伸び続けてきてきたので。で、今日だと、いわゆる「スピリチュアル・ジャズ」にまつわる会話が非常に盛んで、それもたどっていくのが興味深いルートです。それまでジャズを聴いたことのなかったたくさんの人々が、いかにしてファラオ・サンダースアリス・コルトレーンという筋道経由でジャズに触れることになったか、その点を考えるのはとてもおもしろい。というのもその因子は、70年代に起きたある種アフロセントリックな、スピリチュアル志向の、民族自決的なものだったわけです。つまり当時の、大半が白人だったジャズ批評家の関心事の中心ではなかった。そう思うと、興味深いコレクティヴ的な動きが続いていますし、そこは私も魅了される点です。ですからアリス・コルトレーン、彼女は現在では、20年ほど前とはまったく違う意味を備える存在なわけです。

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「ムーヴメント」と呼んでいいのかわかりませんが、昨年、自分が思いついたタームに「ソフト・ラディカルズ」というのがあります。たとえばカルロス・ニーニョやアンドレ3000の音楽のことで、アリス・コルトレーンと強く繫がっています。

昨年はナラ・シネフロのアルバム『Endlessness』も話題になりました。

NC:じつに美しいアルバムです。大好きですし、スペシャルな作品だと思います。かつ、とても興味深いドキュメントにもなっていますね。というのも――「これは『ジャズ』・アルバムなのか? たぶんそうではないのでは?」と思わされたので。あれはジャズを理解し、ジャズを大事にしている、そんな人にしか作れない作品だ、というフィーリングはあります。ですが、あの作品は属していると思うんですよね、この……まあ、この傾向を「ムーヴメント」と呼んでいいのかわかりませんが、昨年、自分が思いついたタームに「ソフト・ラディカルズ」というのがあります。たとえばカルロス・ニーニョアンドレ3000の音楽のことで、アリス・コルトレーンと強く繫がっています。非常に瞑想的で、エレクトロニクスの要素も取り入れているとはいえ、派手さやスピード感を求めてではなく、非常に抑制された用い方でやっている。というわけで、ナラ・シネフロの作品はとても良かったです。

アメリカではイマニュエル・ウィルキンスやドミ&JD・ベックなど、新しい世代が台頭してきました。アメリカの動きで、新世代の台頭という点で、ここ7年の間で特に注目してきたものはなんでしょうか?

NC:ドミ&JD・ベックの名前が挙がりましたが、〈NPRミュージック〉向けに書いた文章の中で、彼らを「ヴァイラル・ジャズ」の例として分析したことがあるんですよ(笑)。もちろんそれはややふざけたタームですが、インターネットの活発なメタボリズム上で活動している音楽、という概念でしょうかね(笑)? ですから、ドミ&JD・ベックもそうですし、サンダーキャットもその部類に入ると思います。つまりこの、非常に……ハイパーに熟練していて、反応も極めて敏速な、刻々と変容していく類いの音楽というか。すごく興味をそそられます。しかもそれは、若い世代に対して独特なアピールを放っている。ですので、それがひとつの流れとしてあります。そして、イマニュエル・ウィルキンス。彼は私にとって、久々に出会った、最もエキサイティングなアーティストのひとりです。イマニュエルとジョエル・ロス、そして彼らの周辺の一群のミュージシャンは、私がこよなく愛するものの実に多くを体現してくれていると思います。先ほども話に出ましたが、伝統や先達の世代と本当に深く関与し、しかしそれと同時にじつに今日的な視野をちゃんと備えている、そんな成長中の若いミュージシャンに出会うと……しかも彼らは、スウィング・ジャズの伝統とフリーな即興ジャズ〜前衛との間でかつて起きた分断、いわば内部/外部の隔たりにもこだわりがない。イマニュエルはそのすべてを愛し享受していますし、コンセプチュアルに物事を考えている。思うに彼は、私の大好きなミュージシャンのひとり、アンブローズ・アキンムシーレの中に見出したのと同じアイデア、その延長線上にいるのではないかと。つまりこの……これは芸術的な音楽だが、と同時にアクセスしやすい音楽でもある、という感覚ですね。でも、やはりアートなんです。とんでもなく野心的だし、さまざまな関連を生んでいて、コンセプチュアルでもある、と。ですから彼らは、私にとってとてもスリリングなことをやっている連中です。同じことはもちろん、セシル・マクロリン・サルヴァントについても言えます。ですからいま挙げたアーティストたちは、絶対に中途半端では終わらせない、というか。彼らのやることはつねに、色々な思いを喚起しますし……テクニックという面でも興奮させられる。純粋に、音楽的なコンテンツとしてワクワクしますね。ですが、それと同時に、いくつものアイデアを喚起してくれる。そこは、とても興奮させられます。

フリー・ジャズは永遠に、これまでも/これからも今日性があると思います。

アイデアが豊富といえば、ジャズ・ドラムからラップ、プロダクションまで自ら手がけるカッサ・オーヴァーオールの活躍にも目を見張るものがあります。

NC:彼はとにかく――抜群ですね。彼も、一連のミュージシャンの素晴らしい例のひとつだと思います。つまり、つねに新しいことをやっているものの、伝統はきちんと学んでいる、という。彼はジェリ・アレンのバンドで長く叩いてきましたし、音楽院でも学びました。ですから彼は正統的なジャズ・ミュージシャンですが、インディペンデントなヒップホップ・プロデューサーの頭脳を備えているし、優れたラッパーでもある。アイデアに満ちあふれた人ですし、しかも楽しい「ショウ」のやり方を心得てもいる。そこは、大事だと思います。

コロナ禍とBLM運動の高まりもこの7年の間に起きた大きなトピックでした。1960年代には公民権運動と連動してフリー・ジャズが盛んになりましたが、現在、たとえばイレヴァーシブル・エンタングルメンツのように、BLM運動の高まりと連動するようにフリー・ジャズにあらためて注目するミュージシャンも出てきました。この点について、つまりフリー・ジャズのアクチュアリティについてどのように考えていますか? 必ずしも、「聴きやすい」音楽ではありませんよね?

NC:フリー・ジャズは永遠に、これまでも/これからも今日性があると思います。あの音楽に備わったまじりけなしの確信、そこに惹き付けられる聴き手の一軍は、きっとつねにいるでしょう。いやだから、ノイズ・ロックやハードコア・パンク、実験的なエレクトロニック・ミュージックが大好きな人たちはいますし、そういった面々はマシュー・シップやサン・ラー・アーケストラなども好きですし。ああいう、極端な……そうですね、ああいう音楽をやる確信、そして規制に対する抵抗とでもいうか(苦笑)。それは、一種のオルタナティヴです。ですが、あなたは質問の中で、プロテストの次元にも触れています。これはリベレーション・ミュージックということですし、あの発想は……前衛だけに留まりませんが、しかし、前衛音楽においてとりわけパワフルな表現を発見した、という。そうなった理由は部分的に、実験音楽家たちの世界の見方もある意味関わっていると思います。今日、こうして取材を受けている当日(2025年3月21日)に、ワダダ・レオ・スミスとヴィジェイ・アイヤーの新作アルバムが出たところです。『Defiant Life』(〈ECM〉)という作品で、昨日、ふたりに話を聞くことができました。で、それは単にひとつの音楽作品にそういうタイトルを付ける、というだけの話ではないんですよね。そこには本当にディープで力強い、革命的思想および抵抗への打ち込みぶりがある。それと共に、この音楽には愛に対するコミットメントもある。つまり、愛はそれそのものが一種のレジスタンスになり得る、というアイデアです。昨今の風潮においては、とりわけそうです。ですからプロテスト、あるいは解放を求める闘争について考えるとき、即興奏者はしばしば、方向性を示してくれると思います。彼らは寛大で思いやりのある、ポジティヴな社会的関与の仕方とはどんなものになり得るか、そのモデルを音楽で示してくれるからです。それは、とてもパワフルだと思います。

新しい世代には、サックス奏者のゾー・アンバのような人物もいますね。彼女を語る際、しばしばアルバート・アイラーが引き合いに出されてきました。

NC:ゾー・アンバはフリー・ジャズのサクソフォン奏法の伝統にアクセスしていますが、すさまじくワイルドで、まったく手に負えません(笑)。で……彼女は、あのサウンドと共に出現した、という。とても若い、発展中のアーティストですが、あっという間に前衛という難題を課せられた。にもかかわらず、彼女は自分の居場所を自ら切り開きました。ですから彼女は、その音を聴いた途端に注視せざるを得なくなる、そういう人の一例だと思います。そして私にとって最もエキサイティングな点と言えば、彼女はまだキャリア曲線の端緒にいるところです。ですから彼女は、何でも吸収するスポンジのように、つねに発展・成長していることは傍目にもわかる。しかし現時点ですでに、本当に新たな、こちらの関心を引き寄せずにいられない即興奏者でもある。近いうちにぜひ、彼女をまた観たいですね。

ゾー・アンバは、その音を聴いた途端に注視せざるを得なくなる、そういう人の一例だと思います。

先ほど「昨今の風潮」とおっしゃいましたが、偶然とはいえ『Playing Changes』の原著はトランプ政権第1期が始まったあたりまでを描いていますが、日本翻訳版はバイデン政権を経て再びトランプが政権を握った頃に出版されることになりました。

NC:私の落ち度じゃないですよ(笑)!

(笑)はい。で、2016年のトランプの大統領就任は、ジャズの世界にも少なからぬ影響をもたらしました。故ジェイミー・ブランチの “Prayer For Amerikkka” のような明示的な曲から、あからさまではないものの陰鬱な雰囲気を放つ曲まで、さまざまなリアクションがあったと思います。いま、トランプが2期目に入り、これまでになく分断と排除が進むことが予想されます。実際、ついこの間、ワシントンDCのBLMのペイントが消されるという信じ難い出来事が現実になりました。

NC:ええ。

ジャズの世界にも、9年前よりさらに過酷な影響がもたらされることが予想されますが、この時代に、アメリカのジャズにはどんな未来が待ち構えていると思いますか? ジャズのコミュニティにいる者たち、ジャズを愛する人々が留意すべきこと、音楽を聴く際に考えるべきことなどについて、チネンさんが考えていらっしゃることについてお聞きしたいです。

NC:私の思いは、ふたつの異なる軌道を進んでいます。第一に、それは私自身、そして私の家族もよく考えてきたことです。これは我々にとって、まず何よりもお互いを大切にし合う時期だと思います。ニュースや物事の展開に、つい打ちのめされてしまいがちですよね。とりわけいまのように、じつに憂慮すべき事態が、しかもとんでもないスピードで起きている場合は。ですから第一に、お互いをしっかりいたわり合うことだと思います。そして音楽は、その面で我々を助けてくれる。音楽の中には、じつにたくさんの滋養分が含まれていますから。そしてコミュニティという意味でも、我々はお互いを支え合える。ですからその質問に対する最初の答えはそれですね。とりわけ、我々が大事にしている価値観が危機にさらされ、権威側によって積極的に解体されている、そんなふうに感じる時期において、お互いをいたわるのはなおのこと重要です。そしてもうひとつ、私に浮かぶ考えといえば、いま、この時期がどれだけダークであっても――(それまでになく真顔で)本当に、とても陰鬱です――我々にはこの音楽を作り出したミュージシャンたちという具体例があるわけです。それは耐久力の、抵抗の、そして美しい何かを生み出してみせた苦闘の具体例です。再びルイ・アームストロングを例に出しますが、彼の子ども時代の境遇を知れば知るほど……まず何より、あの環境・状況から彼が抜け出してみせたこと自体が奇跡です。そして、彼のその後の生き様や身の処し方を考えると、あれだけの輝き、精神面での寛大さ、そして喜びをもって振る舞えたのは、輪をかけて奇跡的です。一体どうして、彼にはあんなことができたんだ? と驚嘆します(笑)。ですから本当に、彼は我々にとっての最も偉大なアメリカ人だったと思います(笑)。いや、心底、そう思うんです。というのも、彼がどんな人生を送ってきたかを知れば知るほど、とにかくもう信じられない、嘘でしょう?……という思いに陥りますから。けれども、彼の世代のミュージシャンのじつに多くが――1920年代を生きた人々、そしてそれに続いた世代である30年代、40年代、50年代、60年代にかけて、本当に多くの苦闘がありましたし、対象を絞った抑圧が非常に多かったわけで――生き残れなかった人間もたくさんいた。ですが、音楽は生き残った、それはわかるはずです。ですから彼らアーティストは、どうやったら絶対に諦めずにいられるか、その例を示してくれたと言えます。私はそこからインスピレーションを引いています。本当に、いまは怖い時代だなと思います――ここ、この国(アメリカ)は戦々恐々な雰囲気だ、そう言いましょう。それでも、希望を失うわけにはいきませんから(笑)! その意味で、音楽はとても助けになります。

Brian Eno, Robert Del Naja, and more - ele-king

 イギリス・ロンドンの音楽フェスティヴァル〈Field Day〉は今年も開催される。が、しかし、2024年にその運営企業であるスーパーストラクチャ・エンターテインメント(Superstruct Entertainment)は世界最大級の投資会社のひとつであるKKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ社)へ買収された。〈Boiler Room〉へのキャンセルと同じく、この買収に端を発する抗議の声が各所で上がっているようだ。

 というのも、スーパーストラクチャ社の親会社であるKKRは、FIDF(Friends of the Israel Defense Forces、イスラエル国防軍友の会)への寄付、軍事関連企業の所有など、さまざまな問題を抱えているからだ。つまりは音楽フェスで生まれる利益が、結果的にはアパルトヘイトとジェノサイドを支援することにつながっている、という構図になる。

 そこで、〈Field Day〉へKKRと可能な限り公的に距離を置くことを求める公開書簡が提示され、50名以上のアーティストが署名している。現時点ではブライアン・イーノやロバート・デル・ナジャ(マッシヴ・アタック)をはじめ、ベン・UFO、アイ・ジョーダン、ミスター・スクラフ、TSVI、オム・ユニットといった音楽家たちが賛同を示したようだ。

 公開書簡では、この買収がけっして〈Field Day〉の選択ではないことに理解を示しつつも、

「可能な限りKKRから公的に距離を置くこと」
「倫理的なプログラミングおよび提携方針を採用すること」
「BDS(ボイコット、投資撤退、制裁)のガイドラインを尊重し、遵守すること」
「上記すべてに関してアーティストや従業員と対話すること」

などが求められている。 公開書簡の原文については、こちらの署名フォームを参照いただきたい。

DJ Koze - ele-king

 DJコッツェと言えば、2000年代後半、私が『remix』誌の編集をやっていた頃、来日、もしくは電話取材でヨーロッパのテクノやハウスのアーティストに「いまそのプレイがおもしろいDJは?」と訊いたときに、かなりの確立で彼の名前がでることが多かった記憶がある。当時の卓越したDJプレイは〈コンパクト〉からのミックスCD『All People Is My Friends』(2004年)として記憶されている。ダウンテンポからテクノ、ハウスへと展開、それぞれの曲はたぶん他の人がかけたら意外とバラバラになりそうなものなのだが、ひとつのストーリーを秀逸に作り出していて、どこかコラージュ感のあるミックスCDでもある。同時代、例えば同じく〈コンパクト〉のミヒャエル・マイヤーのミックスCDなどにしても、当時と言えばDJプレイにしてもよりミニマルなスタイルが主流だったことを考えれば、それなりに衝撃を与えたことも腑に落ちる内容でもある。そのコラージュ・センスはドイツ産のミニマルなディープ・ハウスを土台にしながら、珍妙な音が交叉する前述の『Kosi Comes Around』や別名義のアドルフ・ノイズでリリースした、実験的なアンビエント作『Wo Die Rammelwolle』(2005年)にも存分に生かされている(ここでの彼のユーモアは、ちょっとKLF『Chill Out』を彷彿とさせる)。

 そのDJプレイ、そしてアーティストとしてのコラージュ・センス、双方が垣間見れる、ある意味で彼のいいとこ取りとなるのがDJミックス『DJ-Kicks』(2015年)で、その出自でもあるヒップホップ色の強い作品で、サイケデリックなダウンテンポを中心にハウスやテクノへとつながれていく。その曲のほとんどは本人によってエディットが施されており、それらが「素材」と言うよりも「楽曲」として存在感をしっかりと宿しながら1枚のミックスCDとして彼の世界観でまとめられていた。ここでの世界観を構成する音の混ざり合いは、ミックスというよりも、さまざまな要素を塗り込めるように構築されていて、コラージュという感覚の方が相当しいと思う。しかもそこから浮き立つフィーリングは、おとぎ話の世界に迷い込んだJ・ディラがキノコにあてられて徘徊しているかのような、どこかユルユルととぼけてユーモラスな、メルヘンな感覚とでも言いたくなるサイケデリアがあり、それが彼のサウンドを強烈に独自のものにしている。

 こうした彼のユーモラスなコラージュ感はまさしく、次作の『Knock Knock』(2018年)へと結実する。2009年に自身の〈パンパ〉を設立以降は、シングル単位では他のアーティストも含めてダンサブルで良質なディープ・ハウス・サウンドをリリースしつつ、自身の作品に関してはこうしたコラージュ~ダウンテンポへとさらに歩みをすすめている。まだハウスだった『Amygdala』(2013)から『DJ Kicks』を挟んでの前作『Knock Knock』(2018年)では、カットアップを効果的に援用した、ダウンテンポがアルバムの大部分を占めることになる。そしてその後、この作品で意気投合したロイシン・マーフィーとのコラボ、プロデュース作となった『Hit Parade』(2023年)がリリースされることになる。コロナ禍を挟んで制作され、彼のユーモア溢れる実験が詰まったサイケデリックなカットアップ・ダウンテンポのサウンドを、彼女の歌声によってポップ・ソングとして昇華させた、オリジナリティ溢れる作品となった。が、しかし、リリース直前、マーフィーのFacebook上でのトランスフォビアな発言が徒となり、作品自体の評価は失速……。

 それから2年、前作からは8年ぶりに届けられたDJコッツェの新作『Music Can Hear Us』は、やはりロイシン・マーフィー作品のプロデュースに手応えがあったと見え、ほぼ歌モノと言っていいアルバムになった。前半にはダウンテンポ、そして終盤に真骨頂とも言えるダンス・トラックを携えており彼の集大成といった趣もある。タブラがエキゾチックな空気感を浮き立たせるインスト曲からはじまり、次いでアフリカはサハラ砂漠周辺のいわゆるデザート・ブルースの要素を強く感じさせる “Pure Love” は、先行カットされデーモン・アルバーンをフィーチャーし話題となった。アルバム全体は、こうしたさまざまなローカリティの音がコラージュされているが、しかしながらそれが決してワールド・ミュージック的な現地の音とのハイブリッドといった感覚のサウンドになることはない。あくまでも漂う要素といった感覚で、それは蜃気楼の向こう側というか、夢のなかで見たここではないどこかと言った感触を醸し出す。このあたりのバランス感覚が彼のコラージュ・センスの肝要な部分で、メルヘン・チックな世界観も相まって、夢で見た存在しない地に強い懐かしみを憶えるような、そんな郷愁が本アルバムを貫き、アルバム全体を魅力的なものにしている。

 デーモン・アルバーン以外のシンガーは比較的、彼の周辺、〈パンパ〉やドイツ/オーストリアのアーティストが多く起用されている。コズミックな電子音が後ろを飛び回るフォーク “Der Fall”、コッツェ流のデンボウ・トラックと言えそうな “Die Gonddel” では、〈パンパ〉からアルバムをリリースするシンガー/プロデューサーのソフィア・ケネディがドイツ語で歌い、また同じく〈パンパ〉リリース組からはアダが参加し “Unbelievable” では歌声も披露している。アルバム前半のハイライトと言えそうな、ウォーミーでメロウなダウンテンポ “Wie schön du bist” では、普段はフォーキーな音楽性の、ザ・デュッセルドルフ・デュスター・ボーイズが参加。この曲は、初期のカニエ・ウェストやJ・ディラを彷彿とさせる早回しのヴォーカル・サンプル・ループが印象的だが、このサンプル・ネタはドイツのSSW、ホルガー・ビーゲが1978年に発表したアルバム『Wenn der Abend kommt』に収録の “Bleib Doch” からの一節だそうだ。またこうしたドイツ語の歌詞の他にも、〈ニンジャ・チューン〉のソフィア・クルテシスが歌う “Tu Dime Cuando” や、ソープ&スキンことアンヤ・フランツィスカ・プラシュクが歌う “A Dónde Vas?” “Vamos A La Playa” といった楽曲は、スペイン語の歌詞となっている。単にソウルのネタを持ってくるのではないこうしたネタ選びや、音としての多言語の歌詞は前述のアフリカやアジアだけでなく、その中心のない本作の無国籍感を補完、世界観を作り出す秀逸な要因となっている。
 アルバム終盤に収録されている先行シングルとしてリリースされた “Brushcutter” は、マーレー・ウォーターズのルーディーな歌声が響き渡り、比較的DJコッツェにしては珍しいレイヴィーなブレイクビーツ・ハウス。同じくシングル・カットされている “Buschtaxi” は、その痙攣するブレイク(往年の長めのやつ)がピーク・タイムへと一気にフロアを引き込むテクノ・トラック。ギターのカッティングが心地よいアフロ・ハウス “Aruna” という、ラスト前の3曲は本作のダンスフロアへの対応も適切であることを証明している。
 しかし、驚いたのはラスト・トラック “Umaoi” である。この楽曲にはアイヌの伝統歌「ウポポ」を継承する、北海道は旭川拠点の女性ヴォーカル・グループ、マレウレウが参加している。ガムランを彷彿とさせる鉄琴が印象的なイントロに続いて、その優しげな歌声にベースラインが入ってくると、メロウなダウンテンポへと収束する。その歌声は音が停まるとともに夢から覚めてしまったような、そんな温かな余韻をこのアルバムにもたらせている。
 郷愁とユーモアに彩られた独自の世界観を作り出す、サイケデリックで縦横無尽なコラージュ・センス。DJコッツェは、彼の強烈なサウンドの個性を発する実験的サウンドを同居させながら、ポップ・ソングとして楽曲を成立させる、唯一無二のスタイルをここで完成させたと言っていだろう。そういえばこのコラージュ・センス、無国籍感、たまに見せるすっとぼけているのだか確信犯なのだが一瞬わからなくなる感じは、どこかホルガー・シューカイを思い出す。ぜひ本作が気にいったらシューカイがテープ・コラージュで作り出した1979年のファースト・ソロ『Movies』を聴いてみることもオススメしたい。

Emma-Jean Thackray - ele-king

 ロンドンのマルチ・アーティスト、エマ・ジーン・サックレイがグランジ、ポップ、ソウル、Pファンク、ジャズなど多岐にわたる影響を反映したという19曲入のアルバム『WEIRDO』を、ジャイルス・ピーターソンのレーベル〈Brownswood Recordings〉よりリリース。全楽曲の作詞・作曲・演奏・編曲をサックレイが務めた。

カッサ・オーヴァーオールを客演に迎えた先行シングル“It’s Okay (feat. Kassa Overall) ”なども話題を集めた本作は、パートナーの死という痛ましい出来事を経て生み出されたそうだ。トラックリストに目を向けると、“Save Me”や“Wanna Die”といった悲痛なタイトルから“Tofu”や“Thank You For The Day”のような明るい印象のものまでが並列化されている印象を受ける。まるで、人生における喜怒哀楽、日常と非日常を等価値なものとして受け止めるように。

 その音楽性はもちろんのこと、大いなる悲しみを超えて復帰する人間の力強さを感じられる作品としても聴けるような仕上がりになっているのかもしれない。

Artist : Emma-Jean Thackray
Title : WEIRDO
Label : Brownswood Recordings
Release Date : 2025.4.25
Format : LP / CD / Digital
Stream / Buy : https://emmajeanthackray.lnk.to/weirdo

Tracklist
1. Something Wrong With Your Mind
2. Weirdo
3. Stay
4. Let Me Sleep
5. Please Leave Me Alone
6. Save Me
7. Maybe Nowhere
8. What Is The Point
9. Black Hole ft. Reggie Watts
10. In Your Mind
11. Tofu
12. Fried Rice
13. Where’d You Go
14. Wanna Die
15. Staring At The Wall
16. I Don’t Recognise My Hands
17. It’s Okay ft. Kassa Overall
18. Remedy
19. Thank You For The Day


 ヴィジョナリーなマルチ・インストゥルメンタリスト/プロデューサー/ボーカリストであるエマ・ジーン・サックレイが、本日、自身史上最も大胆かつジャンルにとらわれない作品『Weirdo』を、Brownswood Recordings / Parlophoneよりリリースした。本作はUK音楽界における最重要アーティストのひとりであるサックレイによる、極めて個人的かつ勝利のステートメントであり、作曲、演奏、プロデュース、録音、ミックスのすべてを彼女自身が南ロンドンの自宅で手がけている。

 本作は、グランジ、ポップ、ソウル、Pファンク、ジャズなど、幅広い影響を取り入れつつ、“変わり者”であることの孤独を探求し、称賛する作品である。『Weirdo』は生き抜く力と個性を讃える勝利の賛歌であり、サックレイの卓越した音楽性と恐れを知らない自己表現の証として位置付けられる。

「このレコードを作ることが、私の命を救ってくれました。自分を完全に見失った状態から、再び自分自身へ戻る方法が必要だったんです。そして私は、音楽こそが自分のすべてであり、それ以外は何も重要じゃない。これまでにも完全に一人でレコードを作ったことはありますが、今回は特別でした。全エネルギーを自分自身に注ぐ必要があったからです。これは“生存のためのレコード”であり、痛みに満ちているけれど、おバカさもある。率直な歌詞と、楽しいグルーヴが同居していて、巨大な実存的問いの隣に、夕食を作ることについての日記のような内容もある。悲しみのダークコメディのようなもの。これは私の人生で最悪の1年を映し出した窓のようであり、絶望の深淵を旅した記録ですが、その先には光もあります」—エマ・ジーン・サックレイ

 本作は、Kassa Overallをフィーチャーした「It's Okay" feat. Kassa Overall」を含む一連の注目シングルによって先行して紹介された。「It’s Okay」は夢見心地で浮遊感に満ちた楽曲で、サックレイの音楽的多様性を如実に示している。「Wanna Die」は、激しいエネルギーと感情的な脆さが交錯した楽曲で、ユーモアあふれるビデオも話題となった。リズム的には遊び心あるビートを基盤にしつつ、生と死を巡る深い省察が織り込まれている。Reggie Wattsを迎えた「Black Hole」は、2023年末に発表され、Pファンクの美味なる一片として、ジャズ、ポップ、ソウルを独自のスタイルで融合させている。最終シングル「Maybe Nowhere」は、ブームバップ調のドラムと反響するボーカルの中で、喪失感のリアルさを描き出す大胆な一曲であり、ラストにはノイズの壁のようなサウンドへと展開する。

 アルバム全体には、強烈なインパクトと即効性を備えた名曲が多数収録されており、そのすべてがサックレイによって作詞・作曲・演奏・編曲されている。『Save Me』のキャッチーさには、初聴で歌わずにはいられない魅力がある。『Thank You For The Day』は、人生の瓦礫の中から生まれた、両手を掲げて歌いたくなるようなアンセムである。サックレイの個性は、短い楽曲群にも強く現れており、特に『Fried Rice』のような作品は、スキットというより日記の断片に近いと彼女自身が述べている。

 『Weirdo』は当初、神経多様性やメンタルヘルスについての瞑想として構想されたが、2023年1月に長年のパートナーを自然死で失うという予期せぬ出来事によって、その方向性が大きく変化した。結果的に本作は、極めて個人的でありながら普遍的な作品へと昇華された。緻密な作曲、剥き出しの感情、そして揺るぎない誠実さに満ちた『Weirdo』は、単なるアルバムではなく、レジリエンスの傑作であり、個性の祝福であり、英国音楽界の最前線に立つアーティストによる大胆な飛躍である。ジャンルと感情の境界を曖昧にしながら、Meshell Ndegeocello、Kate Bush、Nirvanaといったアーティストを彷彿とさせる――しかもダンスフロアで。

 エマ・ジーン・サックレイは、いまや現代音楽における最重要人物のひとりとして語られる存在だが、その道のりは決して常道ではなかった。ウェスト・ヨークシャーで生まれ育ち、Royal Welsh College of Music and DramaおよびTrinity Laban Conservatoireでクラシック音楽を学んだ彼女は、初期キャリアからジャンルの枠を打ち破る音楽性で注目を集めてきた。彼女は低所得の労働者階級家庭で育った。英国国家統計局によれば、俳優、音楽家、作家の92%以上が中〜高所得家庭出身であることを踏まえると、これは極めて稀なケースである。自主制作EP『Walrus』(2016年)やJazz FMアワードを受賞した『Yellow』(2021年)などを経て、サックレイはGlastonburyやロンドン交響楽団との共演など、名立たる会場やフェスティバルでの演奏を通じて、その革新的地位を確立してきた。

 『Weirdo』は、Yussef DayesやKokorokoらを擁する名門Brownswood Recordingsからの新たなスタートとなる。ロンドンの多様な音楽コミュニティに根ざす同レーベルは、ジャンルを越境するアーティストたちの拠点として機能しており、サックレイのような存在にとっては理想的な“ホーム”である。

 またサックレイは、今年、UKおよびヨーロッパでのヘッドライン・ツアーを発表しており、11月にはロンドンKOKOでの公演も予定されている。彼女は先日、Kamasi Washingtonのツアーサポートを終えたばかりで、4月〜5月にはインストアや単独公演も実施予定であり、その後は夏フェス出演も控えている。

Matmos - ele-king

 ドリュー・ダニエルとM.C.シュミットによるボルチモアの電子音楽デュオ・マトモスが、〈Thrill Jockey〉から新作アルバム『Metallic Life Review』を6月20日にリリース。先行シングルとして“Changing States”、直訳すると「変化する国」という意味深なタイトルのトラックがBandcampはじめ各所で公開中。

 もともとはハードコア・パンクやノイズに出自を持ち、これまでに洗濯機の駆動音や医療手術中の作業音など、一風変わったサンプル・ソースを駆使した作品を発表してきたマトモスの新作は、数十年にわたるフィールド・レコーディングのアーカイヴより「金属音」のみを抽出し制作されたとのこと。フライパンやアルミ缶といったありふれた物品の音から地下納骨堂や墓地の門の開閉音まで、ふたりの生活のなかで録音されたあらゆる金属の音が巧みにサンプリング・コラージュされている。

 また、アルバムの後半はキャリア史上初めてスタジオでレコーディングされたとのこと。ドリュー・ダニエル曰く、本作はペダル・スティール・ギター奏者のスーザン・アルコーン、そしてデヴィッド・リンチというふたりの故人に向けて捧ぐ作品でもあるようだ。

 なお、本作はデジタルほか、LPとCD、そしてポストカード・セットでのリリース予定。フィジカルで奏でられた音をデジタル的に加工し、それをまたフィジカル媒体で発売する、という姿勢ひとつとっても彼ららしさを感じる。

Artist : Matmos
Title : Metallic Life Review
Label : Thrill Jockey
Release Date : 2025.6.20
Format : LP / CD / Postcard-Set / Digital
Pre-Order : https://matmos.bandcamp.com/album/metallic-life-review

Tracklist
1. Norway Doorway
2. The Rust Belt
3. Changing States
4. Steel Tongues
5. The Chrome Reflects Our Image
6. Metallic Life Review

4月のジャズ - ele-king

Knats
Knats

Gearbox

 ビンカー・アンド・モーゼス、テオン・クロス、サラティー・コールワール、チミニョなどから、最近はエリオット・ガルヴィンと、〈ギアボックス〉はロンドン、特にサウス・ロンドンのアーティストのリリースが多い。それらの中にはフリー・ジャズやフリー・インプロヴィゼイションに傾倒したリリースも目につくのだが、このたび〈ギアボックス〉から登場したナッツはそれらとは異なるタイプで、ニューカッスルのアポン・タイン出身となる。ベーシストのスタン・ウッドワード、ドラマーのキング・デヴィッド=アイク・エレチによるユニットで、レコーディングにはトランペットのファーグ・キルスビーはじめジョーディ(ニューカッスル地方の人々を指す俗称)のジャズ仲間が参加するなど、形態としてはブルー・ラブ・ビーツに近い。2024年秋ごろからシングルをリリースし、今回ファースト・アルバムを発表するのだが、レコーディングはロンドンのスタジオで行い、ゲストにはアコーディオン奏者のアナトール・マイスターらの名前もクレジットされる。

 ハード・バップ調のホーンを擁した“One For Josh”や“500 Fils”、ジョー・ヘンダーソンの“Black Narcissus”をブロークンビーツ的に斬新に解釈したカヴァーなど、伝統的なジャズのスタイルと現代的なビート感覚を融合した作品集となっていて、エズラ・コレクティヴモーゼス・ボイドなどに共通するようなアーティストと言える。また、鍵盤はフェンダー・ローズなどエレピが主となり、1970年代のフュージョンやジャズ・ファンクのエッセンスが漂う。パーカッシヴなリズム・セクションによるラテン・フュージョンの“Rumba(r)”がその代表だ。アナトール・マイスターのアコーディンをフィーチャーした“Miz”は、ブラジルのアコーディオン奏者であるドミンギーニョスがワギネル・チソやジウベルト・ジルらと共演した『Domingo, Menino Dominguinhos』(1976年)を彷彿とさせるフュージョン調の作品。ミスティカルなスキャット・ヴォーカルを配した“In The Pit”は、1970年頃の欧州産のダークなジャズ・ロックやプログレに通じる。そして、アルバム全体としてスタンとキングの愛する人たちに捧げられていて、スタンは“Tortuga”で母への愛と感謝を示し、“Se7en”ではDJだった父への感情や関係を投影している。ゴスペルや民謡を取り入れた“Adaeze”はキングの亡き姉に対する楽曲で、西アフリカのリズムや楽器を用いている。


Niji
Oríkì

Aeronxutics

 ニジ・アデレエはイースト・ロンドン生まれのピアニスト/作曲家/プロデューサーで、ナイジェリアにルーツを持つ。14歳のときに教会でオルガンを弾いたのが初めての演奏体験で、その後クラシックとジャズのレッスンを受け、ロンドンのジャズやゴスペル・シーンで演奏してきた。セッション・ミュージシャンとしてハリー・スタイルズ、ストームジー、グレゴリー・ポーター、チャーリー・プース、ミシェル・ウィリアムズらのツアーやセッションに参加するなどキャリアを積み、2015年にはファースト・ソロ・アルバムの『Better Days Ahead』をリリースしている。ニューヨークにも拠点を持ち、マジソン・スクエア・ガーデンでNBAのニューヨーク・ニックスの専属オルガン奏者を務めるなど、ロンドンとNYを往来しながら活動を続けているが、近年はモーゼス・ボイドとコラボして“Sounds Of The City”という楽曲もリリースしている。その“Sounds Of The City”も含むアルバムが『Oríkì』で、6年もの歳月をかけて制作されたものだ。

『Oríkì』はアルバムのジャケットにもある曾祖母のマチルダ・タイウォに捧られており、“Mata”というナンバーはそのマチルダの愛称でもある。ニジのルーツであるナイジェリアのヨルバ族のフジ音楽や踊りに多大なインスピレーションを受けており、“A13 Fuji”はダイナミックなアフロ・フュージョンとなっている。アフロノート・ズーのヴォーカルを配した“Jayé (Dance Dance Dance)”はその名の通りダンサブルなアフロ・ディスコで、アフリカ音楽の大地から沸き立つような力強さに満ちている。一方、“Àdùnní”はゆったりと牧歌性に富むメロウな作品で、ココロコあたりに通じる部分を感じさせる。ロンドンのジャズ・シーンにはアフリカをルーツに持つミュージシャンが多く、その代表例がココロコであるが、彼らはジャズとアフリカ音楽を結び、さらにアフリカ音楽から枝分かれしたラテンやレゲエなどを結び付け、ディアスポラである自らのルーツやアイデンティティを探る活動を続けている。ニジもそうしたアーティストのひとりと言える。


Nadav Schneerson
Sheva

Kavana

 ナダヴ・シュニールソンはロンドンを拠点とするユダヤ系のドラマー兼作曲家で、16歳の頃よりトゥモローズ・ウォリアーズでピアノ演奏から作曲など音楽全般を学んだ。現在25歳の彼は、世代的にはヌバイア・ガルシアジョー・アーモン・ジョーンズ、エズラ・コレクティヴらの次にあたり、これからのロンドン・ジャズ・シーンを担う存在である。これまでスティーム・ダウン、グレッグ・フォート、チャーリー・ステイシー、ドン・グローリー、フィン・リースといったアーティストたちと共演してきており、この度リリースするのがファースト・アルバムの『Sheva』である。楽曲は17歳の頃に作曲して温めてきたものもあり、22歳でレコーディングを開始し、その後3年かけて完成させた。レコーディングには、本作リリースの同時期にアルバム『El Roi』を発表した注目のピアニストのサルタン・スティーヴンソンほか、サム・ワーナー(トランペット)、ウィル・ヒートン(トロンボーン)、ジェームズ・エイカーズ(サックス)、アフロノート・ズー(ヴォーカル)らが参加。7人編成のバンドとしてライブ活動も行っていて、本作も全てライヴ・セッションによる録音が行われている。

 アルバム・タイトル曲の“Sheva”はヘブライ語で7を指し、ユダヤ教において神聖な意味を持つ。“Sheva”は7拍子で、イスラム特有の変拍子を用いたものだ。このように、アルバム全体でアラビア音楽をモチーフとした作品が並び、“Yalla”に見られるように複雑なリズムを繰り出すナダヴのドラミングが聴きどころのひとつである。“Negev”はエキゾティックでダークな旋律の楽曲で、ピアノやホーン・セクションが緊張感に富むインタープレイを繰り広げる。“Stampede”はモーダルな変拍子曲で、ライヴ・エフェクトをかけたトロンボーンやウードを交え、スピリチュアルな演奏を披露していく。立体的でポリリズミックなナダヴのドラム演奏は、こうした変拍子の楽曲で持ち味を最大限に披露している。


Y.O.P.E
Peer Pleasure

Wicked Wax

 Y.O.P.Eはオランダのベーシストであるヨープ・デ・フラーフを中心とするプロジェクトで、キーボードのアントン・デ・ブルーイン、ドラムのルイ・ポッソーロ、サックスのミゲル・ヴァレンテ、トランペットのアントニオ・モレノなどが参加。シンセやエレクトロニクス、プログラミング担当のトミー・ファン・ロイケンもいて、ジャズとビート・ミュージックやエレクトロニカを融合したスタイルである。2022年にミニ・アルバムの『Lost But Here』を発表し、それ以来となる本作『Peer Pleasure』がファースト・アルバムとなる。

 “Stretch Up, Stress Up, Ketchup, Relax ”は未来と宇宙をイメージした音像がスピーディーに展開していくエレクトリック・フュージョンで、混沌とした世界とスケールの大きなダイナミックな世界が交錯する。フライング・ロータスやルイス・コールをイメージさせる楽曲だ。“My Funny Chaos”はジャズとテクノを融合したスペイシーな楽曲で、フローティング・ポインツ(https://www.ele-king.net/interviews/007206/)などに近いイメージ。“A-Way”や“Lost But Hereはサム・ネラの繊細なヴォーカルをフィーチャーし、トリップ・ホップ的なクールなナンバー。オランダではジェイムスズーの次を担うようなアーティストとなっていくだろう。

青葉市子 - ele-king

 2016年から2017年ごろ、私は下北沢の小さなカフェにいた。収容人数は法的には30人が限界。青葉市子のソロセットがはじまる数分前、私は右側カウンターの奥、空いていた最後の席に腰を下ろした。完売とはいえ、店内は静かだった。初めて訪れるこのカフェには、かすかなざわめきだけが漂っていた。ステージなんてものはなく、ただテーブルと椅子を脇に寄せただけのスペース。よくある、フォークやアウトサイダー・ロック向けの親密な空間作りだ。ロックの狂騒には近づかない、静かな場所。
 『マホロボシヤ』(2016)という作品に惹かれてここに来た。客席を見渡しても、外国人は私だけだった。当時はそんなものだった。いま思えば、それがどれだけ特別な時間だったかがわかる。30人ばかりの視線を真正面から受けて、彼女は少しだけ恥ずかしそうだった。それでも、音楽は私たちを連れ去ってくれた。不安も、戦争も、クラブのビートもない、ただ静かで安全な場所へ。
 けれど、これが私にとって最初の青葉市子のライヴではなかった。初めて彼女を観たのは、灰野敬二率いる不失者のライヴ直後、六本木・Super Deluxe(いまはなき伝説の箱)で行われたツーマンだった。轟音と咆哮とノイズに1時間浸ったあと、彼女の繊細なギターと歌声に包まれる——そんな体験は、日本でしかできなかっただろう。

 2025年。あれから、すべては変わった。2010年のデビューから彼女は日本国内でカルト的人気を積み上げ、私がハマったころには、海外にもじわじわとファンが増えはじめていた。いまやその小さな火種は大きな炎となり、彼女は国内外のホールを満員にする存在になった。もう、あのカフェでの親密な奇跡を再び味わうことはないかもしれない。

 ギターと天使のような声をもって演奏する彼女は、ツアーコストが高騰するこの時代にも、どこへでも行ける。バンドでも電子音楽家でも手が届かない場所にさえ。Boredoms、ピチカート・ファイヴ、灰野敬二、Melt Banana……そんな先人たちと同じく、青葉市子はいま世界に愛され、そして自らもその世界を温かく抱きしめている。2025年、彼女はこれまでのJ-popアーティストたちの誰よりも多い日程を抱え、ワールドツアーに飛び立つ。
 国境なき受容。それは彼女の音楽と美意識をさらに広げた。『Windswept Adan』(2020年)、そして今年の『Luminescent Creatures』では、彼女は仲間たちとともに、まるで印象派の絵画のような音楽を描きはじめた。初期の、ただギターと声だけの、波打ち際か岐阜の田園で録られたかのような録音とは違う。最初のリリースから、彼女のアルバムジャケットは、ライトブルー、ピンク、バニラ、ライトグリーン……そんな淡いパステルカラーで統一されていた。時間に縛られない、テンポも間合いも自由な音楽。それこそが彼女の魔法だった。青葉市子の音楽は、時間の外側に存在している。そしてその救済こそが、ファンたちを彼女に引き寄せ続ける。

 『Luminescent Creatures』。マーケティングではオーケストラルなアルバム、荘厳なシングル「Luciferine」、イントロの“Coloratura”などが推されたが、実際には、より静寂に回帰した作品だ。『Windswept Adan』の色彩豊かな冒険から一転、原点回帰にも似た孤独が漂っている。全11曲中、1分弱のアンビエント曲が2曲。10年前の10分に及ぶ組曲とは対照的だ。ストーリーテリングは健在だが、抑制され、憂いを帯びている。美しい。でも、どこか悲しくて、内気だ。
 “Sonar”“Flag”“Mazamun”——これらは秘密の歌たちだ。子どもがこっそり手紙を畳んでポケットに忍ばせるように、大切な気持ちを守るための歌。だが、完全な孤独には沈まない。“Pirsomnia”や“Aurora”のような、自然と戯れるような小品が、彼女のバランス感覚を救っている。過剰な編曲に頼らず、それぞれの曲の呼吸を守る。そのせいか“Luciferine”の幻想的なワルツがいっそう際立つ。
 アルバムの中心にそびえる“Luciferine”は、エメラルド色の光を放つ。優雅で繊細で、女性的な輝き。これまででもっとも美しい曲のひとつだと思う。感情の高みと親密さ——私が思い出したのは、Sufjan Stevensだった。とくに『Planetarium』(2017年)。規模も質感も、親密さも、大胆さも、まるで姉妹作のようだ。
 『Luminescent Creatures』は、密やかな瞬間と、そっと広がる勇気のあいだを行き来する。そして、音の多様性に足を踏み入れた彼女が、これからどんな鮮やかな景色を見せてくれるのか、私はもう楽しみでならない。


In a small cafe in Shimokitazawa, around 2016 - 2017, that could only hold legally at most 30 people, I sat in the back next to the right side counter arriving only a few minutes before Aoba Ichiko started to play her solo set. Sold out, it was still quiet inside with small murmurs flowing among the patrons of the cafe of which I was visiting for the first time. The stage was a cleared space that is common for folk or off the grid rock cafes that aim for intimate settings without venturing too far into the rock experience.

Brought to this concert by the allure created from her single Mahoroboshiya, I sat as the only foreign patron. This is far from the case now but it does strike a very interesting contrast. I enjoyed the closeness to the performer who emitted bits of shyness at the 30 something attendees staring directly at her in such a small setting but it didn`t prevent the music from taking us away to a safe quiet place with no tribulation, no war, no anxiety, or rhythmic club trappings. But this wasn`t the first concert of hers I went to. No, the first was her dual concert following Haino Keiji`s Fushitsusha at the infamous now extinct Super Deluxe in Roppongi. The stark difference of listening for an hour to the blazing noise, bellowing shrieks and static frequencies of Fushitsusha then followed by the insular stillness of Aoba Ichiko`s strumming and sweet singing was an experience that I realize could only be experienced in Japan.

2025 is a different time for Aoba. From her 2010 debut, she has gradually acquired a cult following within Japan and probably at the same time I first got into her, a foreign audience also has started to slowly catch on. Now that tiny flame as turned into a full blown fire with her filling concert halls both domestic and abroad. A far cry from the cafe experience I may never experience again. Having only a guitar and an angelic

voice allows her mobility in the face of the rising costs of touring. It also allows her reach neither bands nor electronic musicians can ever have as she can perform literally anywhere. Similar to other outsider Japanese artists before her (Boredoms, Pizzicato Five, Haino Keiji, Melt Banana.....), Aoba has become increasingly embraced and supported by the international scene and Aoba herself likewise has embraced it warmly. This year sees her embarking on a tour worldwide packed with more dates than the majority of Jpop performers or bands ever perform.

This embrace of no borders has naturally encouraged her to broaden her sound and aesthetic. Her last major release Windswept Adan (2020) and this year`s Luminescent Creatures have found her surrounded by an assortment of backing musicians assembled for painting expressionist works unlike her raw beginnings of just straight to mic guitar and vocals with no additional effects. From her first release, each album cover literately was designed with just pastel colors (light blue, pink, vanilla, light green etc) and encased with music that was recorded as if on a cliff overlooking the sea or a quiet village somewhere in Gifu surrounded by rice fields. Just her and her guitar. Tempo, pacing and the acknowledgment of time totally free. Such was / is her charm. Aoba`s music exists beyond time and that relief is the golden treasure which binds her fans to her trajectory.

Luminescent Creatures, despite being somewhat marketed as an orchestrated album with the majestic single Luciferine, and the intro track COLORATURA, the album in reality is more of a retreat from the fuller more playful Windswept Adan. Luminescent Creatures feels at times not that far away from her first records in solitude. Definitely not folk

in concept, this is more a visual ambient record of a film never made. Windswept Adan was 14 tracks but Luminescent Creatures is 11 tracks with 2 mostly ambient tracks just at 1 minute long. A far cry from her 10 minute suites over 10 years ago. Aoba`s storytelling is ever present but subdued by the melancholic atmosphere. Indeed this is a very pretty album but also at times sad and shy. SONAR, FLAG, and maxamun are secret songs. Songs to keep your feelings safe in like a child would with their hidden thoughts on sticky folded paper stuffed in their hands or backpacks. Luminescent Creatures is saved from reaching too far into solitude though playing with fanciful nature in endearing songs like Pirsomnia and aurora. She finds a tranquil balance not allowing additional orchestration to dictate each song and this is exactly why the fantastical waltz chorus of Luciferine stands out so much. With much of the album wrapped in melancholy, Luciferine is the peak and center of the album. The song, begun wading in the luminescence that speaks of the album`s title, emits elegance and femininity beaming emerald light resembling the album cover. The regal brightness of the graceful delicate sound makes it one of the most beautiful songs she has ever written and holds court emotionally to similar triumphant but intimate works by artists like Sufjan Stevens, who was the first artist I thought of when experiencing the peaks and valleys of Luminescent Creatures. Sufjan Stevens`s Planetarium (2017) is definitely a companion album in scope, texture, intimacy, and boldness. Luminescent Creatures feels like a private moment with periods of outward courage. Now that Aoba has her feet wet with sound diversity, I look forward to an even more vivid display of creativity.

型破りの夜 - ele-king

 今年の2月のことである。Zoh Ambaはニューヨーク、ブルックリンの外れ──場所は〈Owl Music Parlor〉で演奏した。開演前、彼女と目が合った瞬間、なにかに見透かされたような気がして、私は思わず笑ってしまった。彼女は一言の躊躇もなく近づいてきて、「Zoh」と名乗った。短く、はっきりと。
 私は東京の音楽メディアで記事を書いていると告げ、編集者から「ぜひ彼女を見てくるように」と言われたことを伝えた。彼女はふっと笑い、少し首を傾けて言った。「サックスで知ったんだろうね」。その言い方には苛立ちと諦め、そしてある種の共感が同居していた。

 たしかに、彼女はサックス奏者だ。自由奔放で、制御不能で、神懸かりのように音を爆発させる──そんなZoh Ambaを私は想像していた。でもその夜、彼女が抱えていたのは、自分の身の丈ほどもあるアコースティック・ギターだった。楽器は違えど、そこにいたのはやはりZohだった。存在感は変わらない。むしろ、より剥き出しで鋭かった。
 オープニングはJohn Roseboro。バンドはなし。ギター一本と声。〈Owl〉の温かい照明の下で、彼のポスト・ボサノヴァ的なプレイが場をやわらかく包み込んでいく。彼の曲は短くて、静かで、驚くほど美しかった。なかでも“How to Pray”と“80 Summers”は、夜にふっと差し込む灯のようで、気がつけば私は、自分の呼吸が浅くなっているのを感じていた。彼は予定よりずっと長くステージに立ち続けた。ついにマイクに向かって尋ねる。「Zoh、もう来る? それとも、僕がもう少し?」
 Zohがステージに現れると、場の空気は瞬時に変わった。ギター、ベース、ドラム──トリオ編成。Zohはストラップをかけ、ギターの弦を強く弾き、叫ぶように歌った。黒のアイライナー、剃り上げた頭。まるで何かを拒絶するかのように。演奏されたのはすべてオリジナル。つい最近、友人と意見がぶつかったことから生まれた曲もあるという。コードは驚くほど単純で、しかし誠実だった。歌詞は詩のようで、“Give Me A Call”や“Child You’ll See”には、彼女の生き方そのものがにじみ出ていた。
 その夜のZoh Ambaは、アメリカーナの風景をまとっていた。ジョン・フェイヒーを思わせるギター、だがそこにはパンクの残響もある。言葉はまっすぐで、ときに観客にも突き刺さった。演奏の途中、席を立った数人に向かって、彼女は軽やかに皮肉った。「おやすみなさい。一番いいところを聴き逃しますね」

 彼女の歌声はときに外れた。ピッチも怪しい。でもそれは、不思議と心地よかった。侘び寂び、とでも言うべきか。不完全なものが持つ美しさ──それは、いまのアメリカでは失われつつある美学だ。ポップスターたちは、すべてをオートチューンに通し、25人のプロデューサーの手を経て完成品を届ける。2024年の選挙以降、シリコンバレーの影はさらに濃くなり、カルチャーさえも制御下に置かれていく。だがZoh AmbaとJohn Roseboroは、そんな回路を一切拒否していた。オートチューンもエフェクトもない。ただ楽器と声。アンプを少しだけ通して、それだけ。彼らはただ、そのままでここにいた。

 Zohはテネシーの山中で育った。森のなかでサックスを吹いていたという。バンジョーとアコースティック・ギター、アパラチアとスモーキー・マウンテン。彼女のルーツには、アメリカの本当の田舎がある。その風景は、2016年以降、政治的に嘲笑の的となってきた。“赤い州”──トランプ支持層──“アメリカの恥”。Zohの出自は、いまやアメリカでもっとも安全に非難できる対象に重なっている。

 それでも彼女は、その土地の音を否定しない。いや、むしろ正面から受け入れている。サックスを置き、ギターを選んだこと──それはただの音楽的選択ではなく、一種の声明だった。民謡的(フォーキー)な、政治の影をかいくぐるような、素朴で誠実な音。そこには、語られぬ抵抗のニュアンスがあった。演奏は政治的スローガンを掲げることもなかった。だがZohの音楽は、彼女自身のルーツをまっすぐに、誰にも媚びることなく肯定していた。

 そう、これはポスト政治でも無政治でもない。むしろ逆だ。彼女の音楽は、あまりに政治的になりすぎたこの国の風景に、あえて何も語らず立ち向かっていた。それはまるで、すべてを語り尽くした後の沈黙のように、重たく、美しかった。

最後にもう一度、彼女の言葉を──
 「そんな小さな心を抱えないで
  上からの声なんか気にしないで
  彷徨いなさい、子よ、君の住処を
  心がすべてを抱えているのだから」

Zoh Ambaは、どんなジャンルにも収まらない。どんな言葉でも彼女を定義できない。ギターを弾こうが、サックスを吹こうが、それは変わらない。〈Owl Music Parlor〉での夜は、そのことを静かに、しかし強く証明していた。

Outside the Box: An Evening with Zoh Amba on Acoustic Guitar
by Jillian Marshall

Zoh Amba performed at the Owl Music Parlor in Brooklyn, New York this February. The musician and I made eye-contact before the show started, and she immediately introduced herself to me. I told her I write for a music magazine in Tokyo, and that my editor recommended that I see check her out. She shook her head in a mix of what seemed to be frustration and understanding, and said that he must know her from her work on saxophone. She was right, although at The Owl she was playing guitar: an instrument nearly as tall as her. But this isn’t to say that she didn’t have a large presence. From that first interaction to the hug she gave me after the show as I was leaving, I was impressed with her honest, no-nonsense attitude that — yes— has defined her both sound as a free-jazz tenor saxophonist and her work on guitar.
Fellow guitarist John Roseboro opened for her, playing solo without his usual backing jazz combo. His beautiful post-Bossa Nova playing and singing cast a gentle glow over The Owl’s cozy atmosphere, and his original pieces (like the stunningly gorgeous “How to Pray” and “80 Summers”) were like delicious little lullabies. Zoh Amba was set to play forty five minutes later, but after an hour of playing John asked into his microphone: “Zoh, when are you coming on? Should I keep playing?”
When Zoh did come on, the established mood gave way to something more charged. Playing in a trio with a bassist and a drummer, Zoh strummed and picked her acoustic guitar while belting into the microphone with her signature black eye-liner and shaved head. Her set was comprised of all originals, some nearly brand new— like one, she explained, that was inspired by disagreement with a friend from just a few weeks prior. The chords were simple and beautiful, and her lyrics (like on “Give Me A Call” and “Child You’ll See”) were poetic homages to authentic living. Although her sound on guitar that night was very folksy — sounding at times like American roots guitarist John Fahey — it retained an avant-garde, anti-establishment, punk- adjacent sensibility... especially since she playfully heckled a few people who got up to leave in the middle of her performance: “Hey, have a good night, but you’re missing out on the best part!”
Perhaps it’s because of her performance’s rawness. At times, her singing was pitchy and even out of tune, yet it was undeniably pretty in a wabi-sabi sort of way. There’s something refreshing— and perhaps even resistance-coded — about human beings making music with instruments and real, unfiltered voices. This is particularly true in today’s America (and world), where pop stars run everything through auto-tune as per the direction of twenty-five producers in a studio, and the presence of tech oligarchs has looms larger than ever since the 2024 election. But Zoh Amba and her guitar (as well as John Roseboro, for that matter) have no such meddling: no autotune, no production affects, no mediation besides some light amplification. They simply show up, and grace the audience with their pure artistry.
Zoh Amba grew up in the mountains of Tennessee, and is famously quoted as saying that she practiced her tenor saxophone in the woods. The thing about Tennessee— a rural state famous for the Appalachian and Smokey Mountain Ranges, as well as American folk music with its banjos and acoustic guitars— is that it’s also a red (republican-leaning) state. Americans associate red states, particularly since Trump’s first election in 2016 when the US’s political divide became officially cataclysmic, with backwater hicks: bad, racist white people who are responsible for America’s political embarrassments. And as I’ve written before, this is the one group in America it remains entirely politically correct (or perhaps even encouraged) to rip apart.

So Zoh Amba putting down the saxophone and picking up the guitar— something she seemed adamant about defending when we chatted before the show— seems somehow political to me. The music she played at The Owl Music Cafe wasn’t necessarily revolutionary in the way of her free jazz on saxophone. But its simplicity, and the authenticity with which she played, were both stirring and provoking. Although her set didn’t reference contemporary American politics or the ways in which rural America is disenfranchised, her set at The Owl Music Parlor seemed like an expression of her heritage: a celebration of those pre-political, beautiful, natural aspects of American folklore, complicated though Americana may be. Ultimately, her set reminded me of how important it is to remember that government is not representative of people, of heart, of culture. As she sang out on “Child You’ll See”, “To carry around such a little mind / Don’t listen to those folks above, just wander child in your abode / The heart is the center, it holds it all.”
Zoh Amba can’t be put in a box, no matter what she plays. Her show at The Owl Music Parlor was a testament to that.

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