[※前編からつづく]
あの本で打ち出したかった所信表明というか、そのひとつは、「ジャズはいまもばっちり健在である」と皆に示したかった、ということで。
■あなたの本を読んで、アメリカのジャズの過去数ディケイドの動向がとてもヴィヴィッドに把握できました。あなたは全米各地に飛び、ミュージシャンに直接取材し、いくつものショウを観て、さまざまな文脈や繫がりを提供している。もちろんあの本を読んですべてが理解できるなどとは思っていませんが、レコード評だけではわからない、幅広いコネクションが見えたと思っています。
ネイト・チネン(Nate Chinen、以下NC):そう言ってもらえると嬉しいです。間違いなく、それは意図でしたね。というのも、音楽の背後にはじつに多くの素晴らしいストーリーが潜んでいるわけで。
■たとえばヴィジェイ・アイヤーを取り上げた章は、彼のような出自の人にしか語れないアメリカのジャズのストーリーがあり、多くを学ばせてもらいました。
NC:なるほど。ですから、この本の全体図を計画するに当たって私に大事だった点は……章ごとに入れ替わる構成なんですよね。基本的に、ある章ではミュージシャンの肖像を描き、次の章ではアイデア/概念について探る、といった具合に。ですが確実にやりたかったのは、アーティストの略歴を取り上げる際も、それぞれのプロフィールの背後にアイデアが存在する、ということでした。そんなわけで、ブラッド・メルドーについて書いた章も、ジャズの伝統を相手にしながらも、ちゃんと「その人だ」とわかるパーソナルなヴィジョンを作り出す際の葛藤についての話になっていますし、ヴィジェイ・アイヤーの章は、とある文化的遺産と、クラシック音楽やジャズの体制とのシンセーシスについての話になったわけです。で、そのアプローチの仕方は本の焦点を定めるという意味でとても役に立ちましたし、それだけではなく――ですから、私が心底好きで、プロフィールを書きたいアーティストは他にもたくさんいますよ! けれども彼らを取り上げなかったのは、彼らの背後にあるアイデアはすでに他の場で論じられているので、敢えてここでは述べなかった、という。
どんな植物も、ちゃんと根が張っていないとすぐ枯れてしまうのは、周知の通りですよね(苦笑)? ですから歴史を学ぶのはとても大切です。私のやりたかったことのひとつがそれ、読み手に文脈をもたらすことでしたね。
■アーティストのプロフィールと言えば、エスペランサ・スポルディングやメアリー・ハルヴァーソンといった女性ミュージシャンにそれぞれ1章が設けられていることも本書の特徴です。これまでのジャズ史では女性ミュージシャンが不当に軽視される、またはヴォーカリストなどに役割が限定されるといった現実はあったと思います。いま、歴史の中であらためて注目すべき女性ミュージシャン、もしくはこのトピックに関連してあなたが重要視している動向などはありますか?
NC:イエス。言うことがじつに多い質問ですね! まずひとつめの質問、あらためて注目すべき/もっと称賛されるべき女性は、歴史上に数多くいます。たとえばちょうどいま、リッキー・リカーディの書いたルイ・アームストロングの初期を綴った素晴らしい本を読んでいるところなんですが、あの時期について知れば知るほど、リル・ハーディン(※アームストロングの2番目の妻。ピアニスト/作曲家/シンガー/バンド・リーダー)がどれほど重要な存在だったかがわかります。なので、彼女はそんなひとりです。それから、『Playing Changes』原書版の出版直前に、ジェリ・アレンが世を去りました。あのとき、痛烈な悲しみと共に悟りましたね、自分はおそらく彼女のことを、ウィントン・マルサリス時代についての文脈でもっと大きく取り上げるべきだった、と。彼女は本に登場しますが、彼女に1章割いてもおかしくなかった。ですから、彼女は……その貢献の深さは、ミュージシャンや聴き手にはつねに明白だった、そういうミュージシャンのひとりだったわけですが、批評家としてつい、「ああっ、自分は何でこうしなかったんだろう?」と感じずにいられない。この本で展開される対話の中心にもっと近いところに彼女を据えれば良かった、本当にそう思います。間違いなく、彼女はそれにふさわしい人でした。それから……存命中にカーラ・ブレイに関する記事を書く素晴らしい機会にも恵まれましたし、まだ、じつにたくさんの女性がいます。かつ、私はジョージ・ウィーンとコラボしたので、穐吉(秋吉)敏子がどれだけ早い時期にニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演したかも知っています。初めてニューポートに出たとき、彼女はまだ若いピアニストだったんですよ! もちろん、いまやジャズ・マスターですし、重要なバンド・リーダー/作曲家として非常に長い間活躍されてきた方です。もちろん、彼女は日本で称えられているでしょうし、ここアメリカでも名は知られているとはいえ、今後もっと称えられる必要のある存在だと思います。で、この本がアメリカで初版された2018年以来、私が強く感じるのは……ということは、そんなに昔の話ではないわけですよね? でも、その7年ほどの間ですら、我々は本当に素晴らしい、音楽界の女性による仕事をもっともっと目にしてきた。もちろん、彼女たちはいつだって存在していました。ですが、いまはもうちょっとその受容度が高くなっているんじゃないか、と。ですから、中にはバンドを結成して、「あれ、このバンド、何で男だらけなんだ?」と思う人だっているかもしれません(苦笑)。
■(笑)
NC:たぶん、我々はそこを考え直すべきでしょうね。でも、私が貢献している〈WRTI〉(※フィラデルフィアの非営利ラジオ局)で、つい最近リニー・ロスネスを迎えてポッドキャストをやったばかりなんですが、本当に素晴らしいグレイトなバンド、アルテミスについてリニーに話を聞きました。あれは興味深かったですね。彼女たちは『ダウンビート』誌読者投票で最優秀ジャズ・アンサンブル賞を2 年連続獲得し、〈ブルーノート〉からの3枚目を出したばかりです。ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルやヴィレッジ・ヴァンガードに出演し、ツアーも回り……という具合で、とても成功しているわけです。ところがリニーと話した際に、彼女は「いまだにプロモーターからの抵抗に出くわす」と述べていた。それって、完全に後ろ向きな姿勢ですよね? つまりプロモーターの感覚は、「我々のフェスにはもう女性パフォーマーが他に出演するから、アルテミスは要らないか……」みたいな(苦笑)。とにかくそういった、まだ調整しなくちゃいけない感覚が存在するわけです。変化は散発的に訪れるもので、我々が求めるよりもそのスピードはときにずっとスローですが、過去数年で確実にいくらかのシフトチェンジが起きたと思っていますし、その動きは大いに歓迎されています。
アリス・コルトレーン、彼女は現在では、20年ほど前とはまったく違う意味を備える存在なわけです。
■本書は21世紀のジャズが中心になっています。一方で、現在のジャズをジャーナリスティックに紹介するだけでなく、つねに過去との関係が、つまり歴史への眼差しが織り込まれている点が特徴にもなっています。加えて、その「歴史」が博物館的ないわゆる「ケン・バーンズ・ジャズ史観」ではなく、現在のジャズを起点に置くことで見えてくる系譜がある、という点がさらに特徴的だと感じました。その上でお聞きしたいのですが、音楽はただ楽しければいいという意見がある一方、あなたにとって「歴史」を学ぶことにはどんな必要性や重要性があると考えていますか?
NC:ジャズの歴史と我々との関係は、つねに複雑です。というのも、過去の中で生きることだけを望むリスナーだっているくらいですしね(笑)。で、私の本もある程度までは――自分にとってのあの本で打ち出したかった所信表明というか、そのひとつは、「ジャズはいまもばっちり健在である」と皆に示したかった、ということで。というのも、「ああ、もう新しいことは何も起きていないよね。ジャズは○△のディケイドから勢いが衰えて……」という声をさんざん耳にしてきたからです。人によってはそれは60年代以来ですし、あるいは70年代と言う人もいますが。けれども、歴史を学ぶことの重要性は何か? というあなたの質問に答えれば、ジャズというのは先人のやってきたことの上に積み重なってきた音楽です。文脈、および連続性(continuum)ですね。で、ジャズの連続性とはアフリカ文化からやって来たものである、その点を思い起こす必要があると思います。先祖を称え、代々の家系を忘れないというこの概念は、ジャズを作り出したものの中核にあるわけですし。そして、ジャズが成熟し進化するのに伴い、その芸術形態をルーツ・起源から引き離そうとする勢力も存在してきました。指導者(メンター)の教えや直接伝授のスタイルからの乖離とも言えますね、というのもいまや、教則本やハウツーのヴィデオ映像はいくらでもありますし、制度化されたジャズ教育も学校/院でおこなわれていますから。ゆえに、根が深くてややこしく絡み合ったルーツ・システムにはタッチせずに、かなり高度な技能の数々を習得することも可能です。ところが、私の経験から言わせてもらえば――これは本当に信じていますが――私が取材させてもらったミュージシャン、「この人のやっていることは本当に、自分の心をつかんで離さない」と感じる人々の音楽を聴くと、彼らは皆、過去について、そうした昔のコミュニケーションの様式・スタイルについてじっくり考えてきた人ばかりです。たとえ自らの作品を通じてそれをやっていないとしても、彼らはその様式を実体験したことがある。ですから私にとってそれはとても、とても重要ですし、どういうわけか、若いミュージシャンが「自分にそんなもの必要ない」と考えながらシーンに登場するとしたら、それはジャズのためにならないだろう、そう思います。というのも、そういったルーツ・システムに関わらずにいると、その人自身のルーツも、本当に浅いものになってしまいます。どんな植物も、ちゃんと根が張っていないとすぐ枯れてしまうのは、周知の通りですよね(苦笑)? ですから歴史を学ぶのはとても大切ですし、私のように音楽について執筆する人間にとっては、間違いなく重要です。そうした理解が必要ですから。また、聴き手にとっても――別に「必要」ではありませんが、その音楽の出どころ・来歴をもっと知れば、どれだけリスニング体験が豊かになることか。私のやりたかったことのひとつがそれ、読み手に文脈をもたらすことでしたね。それによって、もうちょっとだけ理解が深まる、という。
■『Playing Changes』の原著刊行から7年が経過しました。この間、ジャズの世界にはさまざまな新しい動きが起こりました。それについて聞かせてください。まず、UKのジャズ・シーンの興隆について、どう捉えていますか?
NC:ああ、すごいですよね。ですから、本の中で少なくともその動向のヒントを示せて、本当に良かったなと(苦笑)。あの本が出版された時点では、ヌバイア・ガルシアは観たことがありました。彼女はアルバム『Nubya's 5ive』を出したばかりでしたが、いやほんと、以降も本当に素晴らしい仕事を続けています。でも、他にもじつに多くの連中がいる。だから、いまロンドンで起こっていることはとても豊かなストーリーですし、そこには独自の複雑な文化的次元が備わっている。ですから、あのシーンに焦点を当てた本を誰かが書いてくれることを切に願っています。というわけで、本の出版以降のUKジャズの動向を見守るのはとてもクールでしたし、特に、英国生まれのブリティッシュ・ミュージシャンとして、アフロ・カリビアンなディアスポラの伝統から影響を引っ張ってきている面々に興味があります。シャバカもそうですし、ヌバイアもそうです。というのも、ここアメリカ合衆国では、アフリカン・アメリカンの経験を考えるのはごく当たり前ですが、それ以外にも色々な経験があるわけです。たとえばシャバカの場合はバルバドスですし、ヌバイアはガイアナとトリニダード・トバゴと、本当に豊かです。ロンドンはじつにコスモポリタンな都市だと思いますし、即興音楽がロンドンで集合した、その様は――しかもダブ・ミュージックやエレクトロニック/クラブ・ミュージックの歴史からも影響を受けているわけで、仮に私があの本をもう何年か後に書いていたとしたら、UKジャズは間違いなく、もっと大きな部分を占めていただろうと思います。それに近いのが、〈インターナショナル・アンセム〉およびマカヤ・マクレイヴン~ジェフ・パーカー周辺ですね。本の中でも少し触れたとはいえ、あのシーンも本の出版以降伸び続けてきてきたので。で、今日だと、いわゆる「スピリチュアル・ジャズ」にまつわる会話が非常に盛んで、それもたどっていくのが興味深いルートです。それまでジャズを聴いたことのなかったたくさんの人々が、いかにしてファラオ・サンダースやアリス・コルトレーンという筋道経由でジャズに触れることになったか、その点を考えるのはとてもおもしろい。というのもその因子は、70年代に起きたある種アフロセントリックな、スピリチュアル志向の、民族自決的なものだったわけです。つまり当時の、大半が白人だったジャズ批評家の関心事の中心ではなかった。そう思うと、興味深いコレクティヴ的な動きが続いていますし、そこは私も魅了される点です。ですからアリス・コルトレーン、彼女は現在では、20年ほど前とはまったく違う意味を備える存在なわけです。
[[SplitPage]]「ムーヴメント」と呼んでいいのかわかりませんが、昨年、自分が思いついたタームに「ソフト・ラディカルズ」というのがあります。たとえばカルロス・ニーニョやアンドレ3000の音楽のことで、アリス・コルトレーンと強く繫がっています。
■昨年はナラ・シネフロのアルバム『Endlessness』も話題になりました。
NC:じつに美しいアルバムです。大好きですし、スペシャルな作品だと思います。かつ、とても興味深いドキュメントにもなっていますね。というのも――「これは『ジャズ』・アルバムなのか? たぶんそうではないのでは?」と思わされたので。あれはジャズを理解し、ジャズを大事にしている、そんな人にしか作れない作品だ、というフィーリングはあります。ですが、あの作品は属していると思うんですよね、この……まあ、この傾向を「ムーヴメント」と呼んでいいのかわかりませんが、昨年、自分が思いついたタームに「ソフト・ラディカルズ」というのがあります。たとえばカルロス・ニーニョやアンドレ3000の音楽のことで、アリス・コルトレーンと強く繫がっています。非常に瞑想的で、エレクトロニクスの要素も取り入れているとはいえ、派手さやスピード感を求めてではなく、非常に抑制された用い方でやっている。というわけで、ナラ・シネフロの作品はとても良かったです。
■アメリカではイマニュエル・ウィルキンスやドミ&JD・ベックなど、新しい世代が台頭してきました。アメリカの動きで、新世代の台頭という点で、ここ7年の間で特に注目してきたものはなんでしょうか?
NC:ドミ&JD・ベックの名前が挙がりましたが、〈NPRミュージック〉向けに書いた文章の中で、彼らを「ヴァイラル・ジャズ」の例として分析したことがあるんですよ(笑)。もちろんそれはややふざけたタームですが、インターネットの活発なメタボリズム上で活動している音楽、という概念でしょうかね(笑)? ですから、ドミ&JD・ベックもそうですし、サンダーキャットもその部類に入ると思います。つまりこの、非常に……ハイパーに熟練していて、反応も極めて敏速な、刻々と変容していく類いの音楽というか。すごく興味をそそられます。しかもそれは、若い世代に対して独特なアピールを放っている。ですので、それがひとつの流れとしてあります。そして、イマニュエル・ウィルキンス。彼は私にとって、久々に出会った、最もエキサイティングなアーティストのひとりです。イマニュエルとジョエル・ロス、そして彼らの周辺の一群のミュージシャンは、私がこよなく愛するものの実に多くを体現してくれていると思います。先ほども話に出ましたが、伝統や先達の世代と本当に深く関与し、しかしそれと同時にじつに今日的な視野をちゃんと備えている、そんな成長中の若いミュージシャンに出会うと……しかも彼らは、スウィング・ジャズの伝統とフリーな即興ジャズ〜前衛との間でかつて起きた分断、いわば内部/外部の隔たりにもこだわりがない。イマニュエルはそのすべてを愛し享受していますし、コンセプチュアルに物事を考えている。思うに彼は、私の大好きなミュージシャンのひとり、アンブローズ・アキンムシーレの中に見出したのと同じアイデア、その延長線上にいるのではないかと。つまりこの……これは芸術的な音楽だが、と同時にアクセスしやすい音楽でもある、という感覚ですね。でも、やはりアートなんです。とんでもなく野心的だし、さまざまな関連を生んでいて、コンセプチュアルでもある、と。ですから彼らは、私にとってとてもスリリングなことをやっている連中です。同じことはもちろん、セシル・マクロリン・サルヴァントについても言えます。ですからいま挙げたアーティストたちは、絶対に中途半端では終わらせない、というか。彼らのやることはつねに、色々な思いを喚起しますし……テクニックという面でも興奮させられる。純粋に、音楽的なコンテンツとしてワクワクしますね。ですが、それと同時に、いくつものアイデアを喚起してくれる。そこは、とても興奮させられます。
フリー・ジャズは永遠に、これまでも/これからも今日性があると思います。
■アイデアが豊富といえば、ジャズ・ドラムからラップ、プロダクションまで自ら手がけるカッサ・オーヴァーオールの活躍にも目を見張るものがあります。
NC:彼はとにかく――抜群ですね。彼も、一連のミュージシャンの素晴らしい例のひとつだと思います。つまり、つねに新しいことをやっているものの、伝統はきちんと学んでいる、という。彼はジェリ・アレンのバンドで長く叩いてきましたし、音楽院でも学びました。ですから彼は正統的なジャズ・ミュージシャンですが、インディペンデントなヒップホップ・プロデューサーの頭脳を備えているし、優れたラッパーでもある。アイデアに満ちあふれた人ですし、しかも楽しい「ショウ」のやり方を心得てもいる。そこは、大事だと思います。
■コロナ禍とBLM運動の高まりもこの7年の間に起きた大きなトピックでした。1960年代には公民権運動と連動してフリー・ジャズが盛んになりましたが、現在、たとえばイレヴァーシブル・エンタングルメンツのように、BLM運動の高まりと連動するようにフリー・ジャズにあらためて注目するミュージシャンも出てきました。この点について、つまりフリー・ジャズのアクチュアリティについてどのように考えていますか? 必ずしも、「聴きやすい」音楽ではありませんよね?
NC:フリー・ジャズは永遠に、これまでも/これからも今日性があると思います。あの音楽に備わったまじりけなしの確信、そこに惹き付けられる聴き手の一軍は、きっとつねにいるでしょう。いやだから、ノイズ・ロックやハードコア・パンク、実験的なエレクトロニック・ミュージックが大好きな人たちはいますし、そういった面々はマシュー・シップやサン・ラー・アーケストラなども好きですし。ああいう、極端な……そうですね、ああいう音楽をやる確信、そして規制に対する抵抗とでもいうか(苦笑)。それは、一種のオルタナティヴです。ですが、あなたは質問の中で、プロテストの次元にも触れています。これはリベレーション・ミュージックということですし、あの発想は……前衛だけに留まりませんが、しかし、前衛音楽においてとりわけパワフルな表現を発見した、という。そうなった理由は部分的に、実験音楽家たちの世界の見方もある意味関わっていると思います。今日、こうして取材を受けている当日(2025年3月21日)に、ワダダ・レオ・スミスとヴィジェイ・アイヤーの新作アルバムが出たところです。『Defiant Life』(〈ECM〉)という作品で、昨日、ふたりに話を聞くことができました。で、それは単にひとつの音楽作品にそういうタイトルを付ける、というだけの話ではないんですよね。そこには本当にディープで力強い、革命的思想および抵抗への打ち込みぶりがある。それと共に、この音楽には愛に対するコミットメントもある。つまり、愛はそれそのものが一種のレジスタンスになり得る、というアイデアです。昨今の風潮においては、とりわけそうです。ですからプロテスト、あるいは解放を求める闘争について考えるとき、即興奏者はしばしば、方向性を示してくれると思います。彼らは寛大で思いやりのある、ポジティヴな社会的関与の仕方とはどんなものになり得るか、そのモデルを音楽で示してくれるからです。それは、とてもパワフルだと思います。
■新しい世代には、サックス奏者のゾー・アンバのような人物もいますね。彼女を語る際、しばしばアルバート・アイラーが引き合いに出されてきました。
NC:ゾー・アンバはフリー・ジャズのサクソフォン奏法の伝統にアクセスしていますが、すさまじくワイルドで、まったく手に負えません(笑)。で……彼女は、あのサウンドと共に出現した、という。とても若い、発展中のアーティストですが、あっという間に前衛という難題を課せられた。にもかかわらず、彼女は自分の居場所を自ら切り開きました。ですから彼女は、その音を聴いた途端に注視せざるを得なくなる、そういう人の一例だと思います。そして私にとって最もエキサイティングな点と言えば、彼女はまだキャリア曲線の端緒にいるところです。ですから彼女は、何でも吸収するスポンジのように、つねに発展・成長していることは傍目にもわかる。しかし現時点ですでに、本当に新たな、こちらの関心を引き寄せずにいられない即興奏者でもある。近いうちにぜひ、彼女をまた観たいですね。
ゾー・アンバは、その音を聴いた途端に注視せざるを得なくなる、そういう人の一例だと思います。
■先ほど「昨今の風潮」とおっしゃいましたが、偶然とはいえ『Playing Changes』の原著はトランプ政権第1期が始まったあたりまでを描いていますが、日本翻訳版はバイデン政権を経て再びトランプが政権を握った頃に出版されることになりました。
NC:私の落ち度じゃないですよ(笑)!
■(笑)はい。で、2016年のトランプの大統領就任は、ジャズの世界にも少なからぬ影響をもたらしました。故ジェイミー・ブランチの “Prayer For Amerikkka” のような明示的な曲から、あからさまではないものの陰鬱な雰囲気を放つ曲まで、さまざまなリアクションがあったと思います。いま、トランプが2期目に入り、これまでになく分断と排除が進むことが予想されます。実際、ついこの間、ワシントンDCのBLMのペイントが消されるという信じ難い出来事が現実になりました。
NC:ええ。
■ジャズの世界にも、9年前よりさらに過酷な影響がもたらされることが予想されますが、この時代に、アメリカのジャズにはどんな未来が待ち構えていると思いますか? ジャズのコミュニティにいる者たち、ジャズを愛する人々が留意すべきこと、音楽を聴く際に考えるべきことなどについて、チネンさんが考えていらっしゃることについてお聞きしたいです。
NC:私の思いは、ふたつの異なる軌道を進んでいます。第一に、それは私自身、そして私の家族もよく考えてきたことです。これは我々にとって、まず何よりもお互いを大切にし合う時期だと思います。ニュースや物事の展開に、つい打ちのめされてしまいがちですよね。とりわけいまのように、じつに憂慮すべき事態が、しかもとんでもないスピードで起きている場合は。ですから第一に、お互いをしっかりいたわり合うことだと思います。そして音楽は、その面で我々を助けてくれる。音楽の中には、じつにたくさんの滋養分が含まれていますから。そしてコミュニティという意味でも、我々はお互いを支え合える。ですからその質問に対する最初の答えはそれですね。とりわけ、我々が大事にしている価値観が危機にさらされ、権威側によって積極的に解体されている、そんなふうに感じる時期において、お互いをいたわるのはなおのこと重要です。そしてもうひとつ、私に浮かぶ考えといえば、いま、この時期がどれだけダークであっても――(それまでになく真顔で)本当に、とても陰鬱です――我々にはこの音楽を作り出したミュージシャンたちという具体例があるわけです。それは耐久力の、抵抗の、そして美しい何かを生み出してみせた苦闘の具体例です。再びルイ・アームストロングを例に出しますが、彼の子ども時代の境遇を知れば知るほど……まず何より、あの環境・状況から彼が抜け出してみせたこと自体が奇跡です。そして、彼のその後の生き様や身の処し方を考えると、あれだけの輝き、精神面での寛大さ、そして喜びをもって振る舞えたのは、輪をかけて奇跡的です。一体どうして、彼にはあんなことができたんだ? と驚嘆します(笑)。ですから本当に、彼は我々にとっての最も偉大なアメリカ人だったと思います(笑)。いや、心底、そう思うんです。というのも、彼がどんな人生を送ってきたかを知れば知るほど、とにかくもう信じられない、嘘でしょう?……という思いに陥りますから。けれども、彼の世代のミュージシャンのじつに多くが――1920年代を生きた人々、そしてそれに続いた世代である30年代、40年代、50年代、60年代にかけて、本当に多くの苦闘がありましたし、対象を絞った抑圧が非常に多かったわけで――生き残れなかった人間もたくさんいた。ですが、音楽は生き残った、それはわかるはずです。ですから彼らアーティストは、どうやったら絶対に諦めずにいられるか、その例を示してくれたと言えます。私はそこからインスピレーションを引いています。本当に、いまは怖い時代だなと思います――ここ、この国(アメリカ)は戦々恐々な雰囲気だ、そう言いましょう。それでも、希望を失うわけにはいきませんから(笑)! その意味で、音楽はとても助けになります。











