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90年代のバブル景気の余韻とその崩壊から忍び寄る空虚さ。ゆっくりと変わりゆく時代のなかのほんの一瞬のモラトリアムなムードから生まれたいわゆる「98年世代」を代表するバンドのひとつにスーパーカーがある。
スーパーカーの魅力には、作品ごとに新たな音楽的邂逅を果たしてきた折衷主義は言うにおよばず、ある種の青春性、青春の蒼さとその煌めきがある。中村弘二の囁くような幽玄とした歌声。石渡淳治の文学的なリリック、フルカワミキがもたらすフェミニンな調和、そしてそれらを天高く昇華させる田沢公大によるダイナミックなビート。個々が描く"アオハル・ユース"な世界観が乱反射するように、バンドは化学反応を起こした。そしてその結果、彼らは「失われた10年を生きるボーイズ&ガールズのピーターパン・シンドローム」そのものを体現したとも言える。僕を含め当時のユースたちは彼らの音楽に自分自身を重ね、永遠の純真無垢を祈っていた。
バンドは解散し、メンバーも年齢を重ねたことで、その後のソロ・ワークにスーパーカーのような青春性を見出すことはできなくなったものの、イルこと中村弘二の作品にはいまもなお、少年的なところがある。クラフトワークのライヴ盤のタイトルを拝借して自身の新作に使ってしまうように、中村弘二はいまでも純粋に音楽を愛する人間で、彼自身のサイトのレコメンド・コーナーでは、自らが影響を受けた音楽作品などについて少年が初めてロックのレコードを手にした瞬間のように目を輝かせながら語っている。そういった無垢な佇まいと折衷主義的な態度から見える彼の少年性は、スーパーカー時代からまったく変わることがない。
新作は、前作『∀』に収録の、向井秀徳の歌をフィーチュアリングした"死ぬまでダンス"でも顕著に表れている、ミニマル・テクノ/クリック・ハウスからの影響が色濃く出ている。総じてロッキンなエレクトロ・ハウス仕立ての曲が目立っている。これまでにも"フライング・ソーサー"や"デッドリー・ラヴリー"など、似たような趣向の曲は数多くあった。が、アルバムのタイトルが表している通り、ここに収録された新曲は、どれも音数は必要最小限まで削ぎ落とされている。曲の展開や音色による抑揚の上下も抑えられ、まるで鋭く滑空するために最適なフォルムを突き詰めた飛行機のように美しい流線型を描いている。グランジ調の曲も2曲ほどあるが、そのどちらもミニマルな仕上がりとなっている(このあたりはThe XXからの影響も感じられた)。
前々作『ロック・アルバム』と前作『フォース』では、往年のスーパーカー・ファンが思わず顔を赤らめてしまうような、初々しいシンプルなギター・ロック調の曲が多く見られた。そのような懐古主義的なものよりも、この新作で表現されている、しっかりと前を向いて前進しようとする冒険的な音楽のほうが間違いなく彼には合っている。「アイ・ワナ・ダンス・ウィズ・ユー」と歌った直後に「アイ・ドント・ワナ・ダンス・ウィズ・ユー」と歌ったり、相変わらず突拍子もないフレーズが多く飛び出すが、それもまた、彼らしいと言えば彼らしい。スーパーカーはもうこの世には存在していないが、中村弘二の音楽は前進している。『ミニマル・マキシマム』を聴きながら「死ぬまでダンス」することに思いを巡らしたい。
加藤綾一