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紙ele-kingに掲載されていた2010年の彼のベストにはZsにOPNにマウント・キンビー、あるいは灰野敬二による静寂までもが並んでいる。それらを彼は「とんでもなくマニアックな表現や音がポップな形になった作品」だと説明している。OPNをポップだと表現する感性が間違っていないことは、アントニー・ハガティが"リターナル"を純然たる歌ものとしてカヴァーしていることが証明しているが、逆に言えば彼はマニアックなだけの、言い換えれば自分本位な音の実験に終始することにも不満を覚えているとも言える。
スーパーカーの楽曲を中村弘二が再構築したアルバムを出すというこの企画を聞いたとき、彼にとってスーパーカーは過去のものになっていると勝手に思い込んでいたから、まずは驚き、次にいまの彼の知識と技術を動員してかつてバンドが鳴らしていた意味を解体するような音の実験を想像した。この第一弾は、IDMを取り入れて大胆な変化を遂げる『FUTURAMA』以前の、バンドがまだ「瑞々しいギター・ロック」と呼ばれていた頃の楽曲を対象としている。それらオリジナル・ヴァージョンは、ここ数年の中村弘二の音楽とはかなり遠いものである。
が、左右のチャンネルにドラムが振り分けられた冒頭の"Walk Slowly"からそうした先入観は小気味良く裏切られる。中村弘二の巧妙な音の配置の実験やクラブ・ミュージックの手法の導入はあるのだが、しかしいしわたり淳治が書いた歌詞を分解するようなこともなければ、メロディを損なうこともない。多くの曲はiLLでみせたミニマリズムにもとづくサウンド・デザインを応用しているとはいえ、たしかにこれはスーパーカーなのだ。
本作の聴きどころはアレンジと録音である。音数を絞りつつ反復と細かな音の出入り、それから生音とエレクトロニクスの配分にかなり意識を傾けているように思える。アンビエントのような音響空間を作っている"Drive"から、波の音が導入になっている"Dive"などはエレクトロニカへのアプローチが生かされ、"OOYeah"はエレクトロ・ハウス、"Wonderful World"はエレガントなシンセ・ポップに仕立てられている。"Trip Sky"では彼らしいサイケデリックなトリップ感が際だっているが、これ見よがしにサウンドの大胆さを強調することもない。謙虚で、奥ゆかしいアレンジに徹している。ミニマル・テクノ風の"Lucky"はオリジナルからもっとも遠いサウンドになっているが、その楽曲が放つフィーリング――この場合、思春期特有の憂鬱だ――自体は変わらない。彼がこの頃の自分たちの曲にいまどういう想いがあるのか僕にはわからないが、それはもはや彼(ら)だけのものではなくなった、ということに自覚的になっているのではないだろうか。ラストに収録されているデビュー・シングル"cream soda"も面白い。いま聴いてもなお甘酸っぱいバンドの思春期を代表するこの曲は、大きくアレンジを変えずに、よりノイジーな生々しさを際立たせている。やはりこの曲はノイジーなギター・サウンドがよく似合っていると思う。
実験的とはいえ、レフトフィールドに振り切ることは敢えてやらずに、アルバムはあくまでもポップ・ミュージックとして成立している。結果として本作は、やや複雑な回路を持つアルバムになった。過去の楽曲を取り上げること自体が聴き手のノスタルジーを刺激するものであるし、とくにスーパーカーのように当時若い層から熱烈に支持されたバンドならなおさらだろう。が、中村弘二は原曲のムードは残しつつ音の冒険をしっかりコントロールすることで、ノスタルジーに回収されることを周到に避けているようだ。素材は古いものだが、音が過去を振り向いていない。それらの歌をかつてと同じように口ずさむことができるのは、世代的にスーパーカーを聴いてきた僕としてはやはり嬉しいものだが、ここでは懐かしさよりもその新しい姿に対する興奮が上回るのである。
木津 毅