Home > Reviews > Album Reviews > Beirut- The Rip Tide
昨年は再上映されたエミール・クストリッツァの代表作であり「旧ユーゴ映画」である『アンダーグラウンド』を久しぶりに再見したが、そこに込められた祖国を失った人びとの怒りの質量に改めて圧倒されてしまった。その抑えようのないものを表現するのはクストリッツァの場合大抵あの騒々しさなわけだが、そのほとんどはあまり脈絡なく頻繁に現れるブラス・バンドが鳴らすロマの音楽をルーツとするバルカン音楽に支えられている。脈絡がないのは逆にいえば、ロマの音楽は伝統的に、というより旅芸人たちの音楽として受け継がれてきた性質上つねに人びとの生活の側で賑やかに鳴っているのが当たり前だったからだ。流浪の民の寝食の傍らにあった喜びや悲しみが、管楽器を鳴らすための人間の息とともにそこではいつだって吐き出されている。
レバノンの首都のベイルートを名乗るザック・コンドンもまた、10代の頃東ヨーロッパを旅して発見したというバルカン音楽やロマ音楽にそうした生活との緊密さを感じ取ったのではないだろうか。彼の作る楽曲の骨格そのものはシンガー・ソングライターの一般的な手法を大きく外れるものではないが、その個性はブラス・バンドの演奏により発揮される。そのふくよかな管弦楽器のアレンジから目に浮かぶものは「市井の人びと」そして「路上」である。東欧の街角で開かれるパーティに、着飾って集まった人びとを踊らせるために登場する楽団の音楽だ。
ディケイドのはじまりがテロの現場となったニューヨークのいち部としてのブルックリンにおいて、その10年を通して「アメリカでないもの」がインディ・ロックと様々な形で邂逅し発展しそして浮上したのはロジカルな展開だったといえるが、ベイルートにとってのブレイクスルーであった2007年の『ザ・フライング・クラブ・カップ』 はシーンの最盛期をとりわけ鮮やかに彩った1枚だった。もしくは、現代版のチェンバー・ポップのヴァリエーションとしても同時代性を持ったアルバムだったが、例えば同じブルックリン拠点の盟友グリズリー・ベアのオーケストラがアカデミックで密室的なテンションを孕んでいることに比べても、もっと鷹揚で野外的な味わいを含んでいた。舞踏音楽であることを強調するかのように繰り返されるワルツのリズムの上でラフに演奏されるホーン類、そしてペーソスに満ち満ちたメロディを朗々と歌い上げるザックの深いヴォーカル。バルカン音楽を主たる参照点としながらもそこだけに留まらず、ヨーロッパの古い大衆音楽のノスタルジックな響きを現代のインディ・ロックに持ち込み、それを彼自身の感情の発露としての歌へと昇華させていた......そこには聴き手を感心させる賢さよりも、胸を打つ情熱があったのだ。
EPを挟んでの4年ぶりの新作。ややシアトリカルにも感じられた『ザ・フライング・クラブ・カップ』の凝ったアレンジメントに比べればずいぶんシンプルで、アルバムを通してテンポや曲調も穏やかになり、落ち着いたムードで統一されている。前作の湿った色気よりも陽光の明るさを感じる。意気揚々と歌う金管楽器や弾むマーチングスネアドラム、華麗なストリングス・アレンジはすっかり彼の音楽的アイデンティティとして確立されており、例えば"ゴーシェン"のようにピアノと歌が基本となっている曲でその自信のほどが窺える。マーチング・バンドが隊列をなしてゆっくりと進んでいくような"ペインズ・ベイ"、物静かなアコースティックの楽器類の演奏がやがて息がたっぷりと楽器へと吹き込まれる逞しいワルツへと展開する"ポート・オブ・コール"、聴きながら歩けば自然と胸を張りたくなる。どれも開放的で、晴れやかな余裕が漂っている。
ザック・コンドンは変わらず、どこか遠い国の......おそらくは東ヨーロッパの街角の路上を夢見ているように聞こえる。ニューメキシコ州の故郷であるサンタ・フェをモチーフにしている曲があることにも表れているが、基本的には彼個人の内省を連想させるリリックが目立つ。しかしそのなかで、「僕は行方不明で まだ見つかっていない/誰にわかるだろう」と歌う曲のタイトルが"ヴァガボンド"、すなわち「放浪者」であることが象徴的だ。彼はロマンティックにも自分の日々にある孤独や迷いとかつての放浪者たちのそれを重ね合わせるように、彼らの音楽を取り込むことでその境目を消していく。このアルバムの開かれた力強さは、そのことに対する彼の誇らしさの表れだろう。路上で音楽とともに生きた人びとの感情の起伏の豊かさが、その音楽にこそ宿っていることを確信しているようだ。
どうしようもなく切ないメロディを持ちながら、やはりゆったり堂々とした演奏の"イースト・ハーレム"が素晴らしい。「イースト・ハーレムで一輪の薔薇がまた萎れる」......ニューヨークの日々の悲しみは、しかしその音楽とともに彼方へと旅に出る。その想像力は日本で生活する我々にも有効だと信じたい。そこで僕たちは、ワルツを踊ることだろう。
木津 毅