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エジプトはカイロ出身で、現在は、ベルリンを拠点とするエレクトロニック・ミュージック・アーティストのズリの新作が、あのエンプティセットのジェイムズ・ギンズバーグがファウンダーを務めるブリストルのレーベル〈Subtext〉からリリースされた。ジェイムズ・ギンズバーグは本作のミックスも手掛けている。
『Lambda』は2020年10月にカイロで制作開始され、2023年7月にベルリンで完成した。はじめに断っておく。本作は間違いなく彼の最高傑作である。なぜか。これまでの解体と再構成を同時におこなうようなディコンストラクション的なサウンドをさらに推し進め、解体と「優雅さ」を同時に共存させるような音響空間を構築しているからである。絶縁体の隙間から漏れ出るノイズと綺麗な空気のなかを漂うアンビエントが並列に鳴っているとでもいうべきか。
結論へと至る前に、まずはズリの経歴を簡単に振り返っておくべきった。ズリは本名を Ahmed El Ghazoly という。彼はその活動初期においてカイロで地元のラッパーたちにビートを提供して経験を積んだ。その後、カイロでも急成長中のアンダーグラウンド・ダンス・ミュージックに関心を移し、イベントのプロモートや、DJとしても精力的に活動を展開する。いわば現場からの叩き上げといってもいい。その点、頭でっかちの実験音楽家ではない点も信頼がおける点だ。
とはいえ私のようなオタクなリスナーがズリのことを知ったのはリー・ギャンブルが主宰するレーベル〈UIQ〉から2018年に出たアルバム『Terminal』だったと思う。10年代尖端音楽の代表のひとりといっていいリー・ギャンブルが見出した音という点に最初は惹かれたのだ。じっさいその音を聴いてみると、ヒップホップとジャングルが高密度に圧縮・解体(押しつぶされていくような)サウンドを展開しており、そのうえアブストラクトかつコラージュ的なトラックに仕上がっていて衝撃を受けた。まさに10年代尖端音楽が爛熟期に入ったと実感したものである。
2019年以降は、ズリとラマ(ふたりは2019年に連名で『Noods Mixtape』をリリース)とともにレーベル〈irsh〉を発足させ、2020年に自身のシングルやコンピレーション・アルバム『did you mean irish』をリリースしていく。2022年には『did you mean irish vol. 2』を発表した。
ズリはベルリンに拠点をしさらに精力的に活動を展開していく。昨年、同郷のカイロのアンダーグラウンド・レーベル〈Nashazphone〉よりリリースされた『Digla Dive - Live』はIDM、ヒップホップ、ジャングルなどをカオティックにミックスしたような強烈なアルバムで、まさに『Terminal』の進化形のような音で驚いたものだ。この音楽家は長い時間かけて自身のサウンドを深化させているのだなと思った。
『Digla Dive - Live』から1年待たずにリリースされた本作『Lambda』は、いわばカオスの先にある美麗かつロマンティック、そして分解と再構成を繰り返すようなアンビエンスとサウンドスケープを実現しているアルバムであった。彼の音の向こうに眠っていた「優雅さ」が全面化したようなアルバムとでもいうべきか。彼は本作で明らかに新たな音の領域を探究し見出しているといえよう。
アルバムには全12曲が収録されており、どの曲もノイズとアンビエントと電子音と声が解体され再構築され音楽と音の中間領域の池に浮かぶ花たちのように浮遊している。インダストリアル、テクノ、アンビエント、トリップホップなどがバラバラに解体され、その果てに再構成されていくような仕上がりなのだ。アルバムのオープナーである “Release +ϕ” では本作の音響の質感(透明、解体的な質感というべきか)を見事に提示し、作品世界へとリスナーを誘う(エンド・トラック “Release -ϕ” と対になっていることは明白で、アルバム自体が円環を描くように構成されているといえよう)。
いわばどのトラックも電子音がコナゴナに粉砕され再構成されていくようなディコンストラクト的な音響世界を展開している。まったく方向性は異なるが長谷川白紙の傑作『魔法学校』の横に置いてみてもいいかもしれない。
なかでも MICHAELBRAILEY を招いた8曲目 “10000 (Papercuts pt. 1) ” に注目してほしい。声と音とノイズとメロディの境界線が曖昧になり、同時にクリアでシャープな音像を実現しているのだ。デジタルの粒子が空間に漂うような未来的ポップ・ソングだ。MICHAELBRAILEY は3曲目 “Syzygy” ではヴォーカルに加えてサウンド・メイクにも関わっており、ズリとの密接な協働関係を窺わせる。また、あのコビー・セイ(!)をヴォーカルに起用した12曲目 “Ast” も印象に残るトラックだ。カラカラと乾いた音でリリカル・ミニマル・メロデイが鳴り、そこにヴォイスが絡みつく。
ズリ単独の曲 “Trachea” も加工されたヴォイスに、どこか切迫感のあるアンビエントを絡める見事なトラックを展開する。“Fahsil Qusseer” では、ズリの父親の手紙を朗読する。この曲では自身の声とテープ録音された声が融解していく。過去と現在の境界線が曖昧になっていく。
どの曲もバラバラに解体されたアンビエントのような音でありながら、 MICHAELBRAILEY、コニー・セイや Abdullah Miniawy らのヴォーカル/声が発するポップネスもあり、実験一辺倒ではない聴きやすさもある。
まさに一筋縄ではいかない仕上がりのアルバムだ。優雅にして不穏、不穏にして美麗、解体的にして再構築的なサウンドスケープなのである。いくつもの相反する要素が交錯・共存しつつ、全体としては美麗な音響空間が生成されているわけだ。
いわばズリが、自身の人生を振り返るように鳴らす音が、単純な「ひとつの人生」に帰結せずに、ノイズとアンビエンスのはざまから無数の音が生成されるように、複数の人生が立ち上がってくるようなサウンドに思えたのだ。いわば解体と再構築を繰り返し、つねに未知の領域へと進化/深化する「尖端音楽」の現在形。たとえば今年リリースされたベン・フロストの新作と合わせて聴いてもよいアルバムかもしれない。
デンシノオト