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Antony & The Johnsons

Antony & The Johnsons

Swanlights

Secretly Canadian/P-Vine

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橋元優歩   Nov 18,2010 UP

 iPodにはこんなに容量があるのに、聴きたいものがなにひとつ入っていないように感じることがないだろうか。所詮は自分で集め、取り込んだものだから、驚きや偶然というものが生まれにくい。好きなものはたくさん入っていても、未知のものに揺さぶられるということは稀である。私は私のライブラリという世界の中で、いくつかのレイヤーを設けて曲を分類し、必要に応じて呼び出す。自分の限界がiPodの限界である。

 アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズの"サンキュー・フォー・ユア・ラヴ"は、そこに途方もない力で押し入ってきた。本作の要といえる曲で、先行EPの表題曲でもある。再生するたびに同じように驚く。もちろん入れたのは自分自身だが、なにか自分ではさばききることのできない異物を取り込んでしまった感触だ。あの控えめな、しかし非常にクリアな音質のピアノのイントロ。冒頭の2拍だけで完全に掴まれてしまう。明るく、深いかなしみのにじむ和音である。アルペジオがいち音ずつ心を切り開く。すぐにヴォーカルが入る。その瞬間に視界の色が一変する。ここまで約1秒の出来事だ。そして何度聴いても同じ鮮度でこの体験がある。アントニー・ハガティは、実にすごい声を持っている。
 「あなたの愛に感謝します。けれど、もうたくさん。もう生きるのはじゅうぶんです」、てっきりそんなふうなことを歌っているのかと思った。「アイ・ウォント・トゥ・サンキュー」の「アイ・ウォント・トゥ」が、「ノー・ワン」とか「ノー・モア」のように聴こえるのである。音声としてもそうだし、アントニー・ハガティの歌い方がそのように感じさせる。しかし、リテラルにはまるでそんな表現はない。「苦しみ、迷い、魂が崩壊したときに、私はあなたの愛に感謝を捧げたい」という内容の、短い詩である。
 アントニーはとても複雑な声を持っている。この世にあって、この世の外(ほか)を請い願う声。同時にそれが叶わないことを知っている声。彼は、クイアな存在として知られている。そもそも「ジョンソンズ」という名称自体が1969年のストーンウォールの暴動の首謀者のひとりとして記憶される、ニューヨークの伝説的なドラッグ・クイーン、マーシャ・P・ジョンソンの名から採られている。彼はジョアンナ・コンスタンティンらとともに前衛的パフォーマンス集団を立ち上げ、活動していた。ニューヨークのアンダーグラウンドなシーンでは注目を浴びる存在であった。マーキュリー・プライズを受賞したセカンド・アルバム『アイ・アム・ア・バード・ナウ』はもちろんゲイ雑誌からも高い評価を受けているが、遡る2004年にはゲイ映画への出演を果たし、あの美声を披露してもいる。

 ところが、こうした彼の精力的な活動が、彼の孤独を救うものだとは限らないようだ。前作『クライング・ライト』収録の名曲"アナザー・ワールド"は、「私にはどこかほかの場所、ほかの世界が必要だ」という歌い出しとは矛盾するように、この世界への執着がつづられている。この世を離れたがりつつも、この世に留まりたいのだ。
 そんな彼の分裂した思いを聴いていると、もしかするとほんとに世界は残酷な場所なのかもしれないと思わせられもする。あの泣いているようなヴィブラート、"サンキュー・フォー・ユア・ラヴ"は、間違いなく新作『スワンライツ』の白眉である。"サンキュー・フォー・ユア・ラヴ"......「私はあなたの愛に感謝を捧げたい」というこの一行は、迷いつづけても、世界が壊れてしまっても、そして他の世界を見つけたとしても、唯一約束される行為である。曲は速度を増し、ホーンが加わり、いよいよ衝迫をもって「サンキュー」が叫ばれる。なまやさしい「サンキュー」ではない。ほとんど「サンキュー」ですらない。勤め先の店でこの曲をかけると、店がしんと静まる。いろいろな音楽的嗜好を持った人びとが、一様に耳を奪われているのがわかる。曲が終わると、時間が解凍されたように人びとの気配と物音が戻ってくる。

 いずれの曲も室内楽風のアレンジが施されている。古典調の"ゴースト"は演奏自体もブリリアントだ。また、アイスランド語で歌われるビョークとのデュエット曲もよい。ハーキュリー・アンド・ラヴ・アフェアーやルー・リードとの仕事でも際立っていたが、誰かと一緒に歌うとアントニーのセクシャルな魅力はさらに増してくるようなのだ。

橋元優歩