Home > Regulars > チクチクビー、チクチクビー > 第4回 人々を音楽にする仕事
今年、初めての休みに三軒茶屋まで散歩して...とはいえ、やはり仕事がらみで浜田淳に会った。入稿し終えたばかりの『裏アンビエント・ミュージック 1960-2010』(INFAS)にどうしても差し替えたい盤があり、彼にミッキー・ハートのCDを売ってもらったのである。本来ならば振込みを確認してから送ってもらうというシステムに従うべきなんだろうけれど、校了までのわずかな時間に入手しなければ間に合わないので、直接会って売ってもらうことにしたのである。そのついでにどっちがどれだけワールドカップについて知らないかを確認し合い(多分、僕の勝ち)、くだらない話題のオン・パレードで時間は過ぎていった。あまり時間を気にせず、人と話をしたのが久しぶりだったので「休んだー」という実感が残った1日だった。
浜田淳 (著) ジョニー・B・グッジョブ 音楽を仕事にする人々 カンゼン |
その時、浜ちゃんが『ジョニー・B・グッジョブ』(カンゼン)という本をくれた。「いつの間に書いたの?」「1年かかりましたよー」とかなんとか。借金を返すために夜も昼も働いていたことは知っていたので、その合間を縫って完成させたことは本当に感心してしまう。「音楽を仕事にする人々」という副題からもわかる通り、音楽業界で働く無名の人ばかりを対象にしたインタヴュー集である(要はスタッズ・ターケル×猪瀬直樹)。その時は装丁が湯村輝彦だということに嫉妬を覚え、デザインについての話も弾んだ。僕なら湯村輝彦には「乾き」を求めるけれど、浜ちゃんのそれは違っていた。彼が求めたのは「説明がいらない」だった。なるほどなー。
それからしばらく校了作業が続き、ようやく『ジョニー・B・グッジョブ』を開くことができた。そして、あっという間に閉じてしまった。読み終わってから500P以上あったことに気がついた。どうやら夢中で読んでしまったらしい。音楽業界というところには、とにかく多種多様な仕事があって、その人たちがどういう仕事をどうやってやっているのか、そういうことがまずは面白かったんだと思う。商業音楽だけでなく、音楽教師やブラック・ビジネスにも範囲は延びている。まえがきに実用書だと書いてあったのもなんとなくわかったような気がした。あくまでも個人の体験談として語られているので、自分がそこに身を置けるかどうかというシミュレイションができるような気がするからである。いままでより近くしか感じられた仕事もあるし、逆に遠のいて感じられた例もある。サックスのリペアマンがいまだにサックスを理解できないというくだりや、ステージの袖にいるととにかく落ち着かないと話す舞台監督など「たたき上げ」と題された章がとりわけ個人的には共感するところが多かった。PAの人も含めて自分の性格がこの辺りの仕事に向いているのだろうか? この章に入れてもおかしくないプロデューサーという人がいたら読んでみたかったなと思う。
公式版 すばらしいフィッシュマンズの本 INFASパブリケーションズ |
「音楽を仕事にする人々」とするなら、しかし、僕はもっと有名な人や、ここで基調をなしている「儲かっていない人」ばかりにする必要はなかったと思う。儲かることもあるから「仕事」なんだし、成功している人の話から浜田淳が何も引き出せなかったとは思わないからである。そういう人たちの話はたしかにつまらないことが多いし、この本ではそうではないから吐き出される言葉にリアリティがあるということもわかる。だけど、それによって描き出されるのは彼が何度も強調しているように「声なき声」ではあっても、けして「仕事」ということではない。たとえば『すばらしいフィッシュマンズの本』(INFAS)でZAKのインタヴューを読むと、こんな人にはとうてい太刀打ちできないということがよくわかる。自分がそこに身を置くべきではないというシミュレイションも可能になる。ZAKのインタヴューを「仕事」の話として読むのは無茶かもしれないけれど、そこから「態度」を読み取ることは容易なことである。たとえば『ジョニー・B・グッジョブ』には「自分が誰かの役に立っているのなら......」という考え方が何度か出てくる。それは、僕にはその仕事をしながらどこかで崩壊していく自分もあり、それを食い止めるために自分自身を支える言葉として使われているというニュアンスも少なからずは含まれているように感じられる。ZAKの言葉にはそのような含みはいっさいない。「仕事」にはそのような無限の広がりもある。そこを切り捨ててしまったのは、やはり惜しいことだと僕は思う。「音楽業界における声なき声」。正しい副題をつけるとするならば、こうではなかっただろうか。せっかく曽我部恵一にミュージシャンとしてではなく無名のレーベル経営者として語らせ、それこそ自分を保つのに必死になっているとしか読めない元レコードショップ店員まで載せたのだから。
クラムボンのマネジメントをやることになる豊岡歩とデ・デ・マウスのマネジメントはできないと判断する永田一直の対比、ムダなことばっかりやってると楽しそうに話すレーベル経営の松谷健とムダなことは極力やらないと話すプロデューサー、又場聡の対比など、どちらの気持ちも理解できると思える時、この本はとても輝きを増して感じられる。どんな仕事をどういう風にやりたいのかということがあまりにもリアルに、あるいは自分自身への選択肢として迫ってくるようで、「なに、この本、ゲームにできるんじゃないの?」と思うぐらいである。仕事とアイデンティティを切り離そうとした小泉・竹中政権の余韻はまだ残っているかもしれないけれど、近代的自我と仕事を一致させようとしている人はまた増えているとも聞く。本書はどう考えても後者の感覚を補強するものであり、そうではない方向へと誘う人の言葉は1行も出て来ない。ブラック・ビジネスの人は微妙だけど、いずれにしろ著者がそれ以外の可能性に思い至っていないことは確かだろう。音楽だけではなく、どの分野に行っても誰かの奴隷にならなければ成功はできない国にいて、その通りにするか、それを飛び越すか、あるいは......。
CD関係
■DJヨーグルト&コヤス『Chill Out』 (サード・イヤー)*企画
■ロマンポルシェ『盗んだバイクで天城越え』 (ミュージック・マイン)*コント出演(初回DVD)
■イルリメ『360°サウンド』 (カクバリズム)*ライナー
■パトリック・パルシンガー『インパッシヴ・スカイズ』 (ミュージック・マイン)*ライナー
■V.A.『クリックス&カッツ 5』 (ミル・プラトー/ディスクユニオン)*ライナー