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sound cosmology - 耳の冒険

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第1回 FULXUS

松村正人 Dec 05,2009 UP

FULXUS!

  フルクサスとは「流れる」「浄化する」「下剤をかけ(排泄す)る」といった複数の語義をもつ便利な言葉であり、フルクサスという集団の活動の本質を伝える(マチューナスはフルクサスの理念を「マニュフェスト」にさえまとめた)ように見せかけ、その反面技法やスタイルを意味せず、アーティストが作品を作品化するまでの意識の流れをそのまま放りだしたり、説明もなく課程を見せつけるようなものである。私は、当時は、いや、現在でもフルクサスはフルクサスそのものが延命させてきたと同語反復的にいわざるをえない。コンセプチュアル・アート、ミニマリズム、シミュレーショニズムなら意味はわかるが、フルクサスの場合はそこに属したといわれるアーティストの活動の累積からおのおの解釈するしかなく、曖昧模糊とした全体の輪郭が歴史的位置づけを拒むことになった。それはまるで音楽を言語に移しかえるときのバグを私におもわせる。事後的な作品の歴史的位置づけやデータや周辺情報や他作品との類似を書かずにむきだしの音楽を論じつづけるのはことのほかむずかしい。音楽の外にでれば音楽は止んでいて、そのただなかにいたときの感覚は霧が晴れるようにしだいに消える。私は感覚の断片をかき集めとりあえず書くのだけど、それが音楽とピッタリ重なることはない。フルクサスの流動性と音楽はその意味で似ている。


新しいアルバムを発表し、去る11月には素晴らしいライヴを披露した小野洋子もフルクサスだった。
Photo by Kiyoaki Sasahara (c) YOKO ONO 2009

 マチューナスはフルクサスの宣言のなかでそのことを謳ってもいた。「音楽的であること」彼はフルクサスはアートだけでなくパフォーミング・アート(「イヴェント」と呼ばれた)や詩や舞踏に音楽を併置したインターメディア主義をその言葉で宣し、「的」を加えることで音楽のもつ時空間性を彼らの活動に担保した。もちろんジョン・ケージの影響は多分にあった。誰もが知っている「4'33"」をデヴィッド・テュードアがウッドストック・ホールで初演した52年の4年後、ウェスト・ヴィレッジのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチでケージが講座をもったとき、その生徒には「ハプニング」を最初にはじめたアラン・カプローがいて、前述の「インターメディア」の概念を提唱したディック・ヒギンズや、フルクサスの中核でありながら繊細でミニマルな質感の作家だったジョージ・ブレクトや一柳慧もいて、その一柳慧の妻だった小野洋子はマチューナスが61年に経営に乗りだし、のちに破綻したAGギャラリーですでに展覧会を開き、彼女は彼女のロフトでラ・モンテ・ヤングのコンサートを開催してもいた。三章からなり、三章すべてに「休止」とだけ指示したケージの「4'33"」は沈黙と生活音と音楽の境界線をとりはらった名作だと、私は「4'33"」とデュシャンの「泉」の両方をわかりやすく述べた文章を中学二年の国語の教科書で読んで驚いたが、のちにフルクサス・メンバーとなる彼らにはケージの思想は驚異だったろう。また勇気づけられもしただろう。ビートルズはもうデビューしていて、アートの価値観をゆさぶる動きが日々起き、オーネット・コールマンが『ジャズ来るべきもの』を経て61年の『フリー・ジャズ』でのちのムーヴメントの一の矢を放ち、それに反応した弁護士だったバーナード・ストールマンは〈ESP-Disk〉を設立しフリージャズの狂騒が地下から街角にあふれ、64年のジャズの十月革命に実を結んだ60年代前半、ポスト・モダンを間近に控えた最後の前衛の時代に彼らはNYの地霊に守れて、巨視的なケージの「神」(ニコ動用語と本来の語義の中間のニュアンスです)の目に映らない些末なアイデアをナンセンスかつスピーディかつマッシヴでありながらバラバラな手法で貫き、貫きとおす行為そのものを作品として投げだしたのだった。

 その精神的支柱はケージだったが大立て者はやはりマチューナスだった。マチューナスは60年代はじめ、ヨーロッパを中心にキュレーターとしていくつかの国際展を企画しながら、62年ドイツのヴィスバーデン市立美術館で行った「フルクサス国際現代音楽祭」で、彼の二番目のアンソロジーのタイトルとしてあたためていたフルクサスの名称をはじめて使った。その展覧会は欧州各都市を巡回し、主旨に共鳴したアーティストを巻きこんでいった。NYに戻ったマチューナスは彼のロフトをフルクサスの本部とし、活発に活動をはじめた。

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