Home > Interviews > interview with Takkyu Ishino - 2010年のテクノ・クルージング
あとね、あんま密室的なものにしたくなかったっていうのもあるかもね。やっぱね、密室的なものをもって夏にプロモーションするのはきつい。密室的なことを何度も言わなきゃならないじゃん。それが精神衛生上、良くないんだよね(笑)。
![]() 石野卓球 / CRUISE Ki/oon |
■ところで、カガミくんが亡くなったよね。石野はすごく近しい仲だったからさ。
石野:もちろん。
■やっぱ、そこで思うところはあったと思うんだけど。
石野:もちろんショックだし、あいつのキャラのなかから"死"っていうイメージが出てこないっていうか、そういうものからもっとも遠い存在だったでしょ。
■ホントにそうだよね。
石野:ただね、「こいつ歳を取らないな」とは思っていたんだよね。こんなこと言って誤解されたくないけど、死んでホントにそれが永遠になっちゃったよね。
■どちらかといえば天才肌というか、自分を持っている人だったからね。
石野:そうだね。
■ちょうど今回の作品を作っている途中じゃない、彼が亡くなったのは。
石野:まったくそうだったね。ちょうどアイツから、アイツが死ぬ何日か前にメールでmp3が送られてきてさ、よく送ってくれていたんだよ。何も書かずにただ音源だけ送ってくるっていうさ。で、聴いたらちょっといままでとは違うネクスト・ステップな感じの曲もあったからさ、アルバムを作るとも言っていたし、「ああ、がんばっているんだな」と思っていたところだったからさ。
■今回の『クルーズ』に影響してはいない?
石野:気持ちのうえでは絶対にあるけど、具体的にはない。でも、あれだけ近しい人間で、あれだけ長いあいだいっしょに過ごしてきたから、何にもないって言ったら嘘だよね。もしかしたら、俺の気持ちは自分の意識していないところで出ているのかもしれないけどさ。
■そうか......。
石野:ラヴ・パレードのこないだの事故といっしょだよ。それと近いっていうかさ。もちろんカガミの死とはぜんぜん別物なんだけど。
■ラヴ・パレードの事故も悲しい出来事だったけど、あれはどうなの? ラヴ・パレードが悪いわけでもないんでしょ?
石野:もちろん。でも、俺が最後に行ったのは2006年のエッセンでやったやつかな。そのときに「うわ、もうずいぶん違うものになっているな」というのは感じていた。ベルリンのラヴ・パレードが2000年代のなかばぐらいになくなったじゃん。ベルリンのラヴ・パレードは最後まで行ってたんだけど、それでも最後の頃はもう別のものになっていたし、ベルリンを離れた時点で、ラヴ・パレードの役割はもう終わっていたと思うんだよね。実際に権利も売っているし、別の人がやっているし、違うのは当然なんだけど。
■もうピースな感じは残っていない?
石野:うちらが知っているラヴ・パレードではないよ。ドクター・モテなんかまったく関係ないし、よさこい祭りみたいな感じ。
■エスカレートし過ぎていた?
石野:ていうか、たんなるテクノ祭り。テクノ祭りでもないか、たんなるでかいダンス・イヴェント。うちらが知っているラヴ・パレードは、なんでこれがはじまったのかを多少なりとも意識して参加していたじゃん。だけどそれがもうまったくなくなっていたっていうさ。もはや意識する人がまったくいないっていうか。そう思ったけど。
■それでもまさかって感じだったでしょ。
石野:いや、もう、びっくりしたよ。今年の二大びっくりだよ。20人の死者の数って......だって、20人ってもう災害レヴェルっていうかさ、テクノ・パーティっていううちらが慣れ親しんだものから20人死ぬっていうのが、さっきのカガミの話じゃないけど、結びつかないっていうかさ。だからこそ、ショックっていうかさ。あとさ、ドイツの音楽シーン、テクノ・シーンやダンス・シーンに落とす影は尾を引くんじゃないかなっていう。
■マスコミからのネガティイヴなキャンペーン?
石野:それもあるだろうし、関わっている人たちの気持ちに落とす影だよね。「いままで通りに、それはそれで楽しみましょう」っていう風にはならないからさ。けっこうボディブローでじわじわくると思うから。
■ニュースを観て、「まだこんなに人が集まるんだ」とも思ったけどね。
石野:だから、最初のモットーを理解してないからそれだけ集まるんだよ。もちろんはじまって20年も経ってさ、20年も経てば世代交代もしているし、いま20歳の子にしたら生まれたときからあるものだからさ、理解しろっていうほうが無理だしさ、コントロールしているのはモテとかそういう初期の人ではなくて、金で買い取って請け負っている人たちだからさ。あとは町にどれだけ金を落とすかっていうかさ。
■しかし、ホントに大きな事件が続いたものだね。
石野:そうだね、うちのなかではね。いますぐには変わらないけど、なんか象徴的なことかなとも思うよ。
■どういう象徴なの?
石野:楽天的な考えが難しくなってしまうというかさ。それで楽天的な考えが否定されるのが嫌だけどね。
■俺はちょうど静岡に帰っているときにニュースで知った。
石野:俺はアンディからメールで知ったんだけど、警察はそこで止めてしまってはパニックになるから、続けさせたらしいんだけど、ただ、いまは客も何が起きたのか携帯とかでわかっちゃうからさ、結局、11時で終わって、ウェストバムはやらなかったっていう話だけどね。だってさ......オルタモントよりも人が死んでいるんだよ。
■やるせないよな。それではまた話を変えましょう。結局、フル・アルバムは控えているの?
石野:うん。夏はフェスもあるし、〈WIRE〉もあるし、賑やかなことがいっぱいあるからそれが終わってから、本腰を入れて作ろうと思っているんだけど。そのあいだに気持ちも変わるだろうから、どんなものになるのかぜんぜんわからない。まあ、次もミニ・アルバムでいいかな(笑)。その形態、俺はけっこう好きだよ。
■ハハハハ。
石野:果たして、フル・アルバムって需要があるのかなって思うし。
■あるでしょ。
石野:アマゾン知ってるよね?
■もちろん。
石野:DVD付けたほうがCDだけよりも安くなるの知ってる? たとえば石野卓球ソロ・アルバム、初回限定DVD付きのほうが通常盤より安くなってしまうんだよ。
■ああ、再販制度によって。
石野:それっておかしいでしょ。だから、電気のときはDVD付きにして値段を下げていたんだけど。でもさ、それやってると、フル・アルバム出す度に映像を付けなきゃならないって、映像がマストになっているって、変な状況でしょ。それは違法ダウンロードとはまた別のところでの歪みだよね。
■こないだレインコーツにインタヴューしたんだけど、俺らの頃って、レインコーツなんか日本盤出てなかったじゃん。で、しかも円が安かったから、UK盤なんて2800円ぐらいしたじゃん。
石野:もっとしたじゃん。静岡なんか3800円だったよ。
■いや、それはドイツ盤でしょ。リエゾン・ダンジュールズがそれぐらいだったと思うんだよね。UK盤は2800円だったと思うんだよ。それで、日本盤が2500円でしょ。当時は外盤って、汚いモノってイメージがあったじゃない。
石野:俺はそれはないよ。UK盤を買って、嬉しくて、中身のにおいをクンクン嗅いでいたけどな。「いいニオイだなー!」って(笑)。
■えー、ホント?
石野:俺は日本盤は、ジャケットの紙が厚くて、あか抜けてないなーと思ってたくらいだから。
■マジ?
石野:ぺらぺらな感じがいいじゃない。
■とにかく当時は、高校生にとって2800円ってものすごく高かったからさ。
石野:当時とは物価が違うけど、たしかにいま2800円って言っても高いよね。
■それでミニ・アルバムなんだよね。素晴らしい発想だね。今年は〈WIRE〉も10周年で。
石野:いや、違うよ、えーと、12周年だよ。
■そうか、12年かー、それすごいよな。
石野:ねぇ。ひと周りだもんね。こんな続くと思ってなかったもん。
■〈メタモルフォーゼ〉もそうだけど、続くものは続いているのがすごいよ。
石野:不況だから、大変なところもあるけど、でも、こればかりはさ、行かないとわからないという"体験"だからね。ただ、こっちも続けるためにやってきたわけじゃないからさ。それが続いたのは副産物として嬉しいね。
■やっぱ感慨深い?
石野:......あんまないね。来年あるかどうもわからないしさ、そういうつもりでずっとやっているから。
■ハハハハ。
石野:あんま覚えていないんだよね(笑)。4年前も5年前もぜんぶいっしょくたになっていて。自分の頭のなかでしっかりアーカイヴ化できていないし、だから続いたのかもしれない。テキトーさっていうかさ。
■タフな人間だからな、石野とか瀧みたいな人は。
石野:鈍い人間だって(笑)。それは野田兄もわかると思うけど、静岡の風土が生み出した鈍さっっていうか、俺も野田兄もそうだよ(笑)。
■こないだノブ君に話を訊いたときに、今年の正月に静岡にDJやりに行ったんだって。で、カツヨシと会って、すごい褒め言葉として「俺、全国でいろんな人間見てますけど、カツさんほどずぼらな人間には会ったことないです。カツさん見てるとホントに勇気づけられます」って言ったんだって。そうしたら「え、それどういうこと?」って怒られたって(笑)。
石野:うちらは静岡を出ているから「ずぼら」って気がついてるけど、意外と静岡の人は自分が「ずぼら」ってわかってないんだよね。何故かって言うと、全員ずぼらだから(笑)。
■ハハハハ!
石野:あれすごいよね。政令指定都市で全員ずぼらってさ(笑)。別にがんばる必要もないっていうか、がんばりたきゃ名古屋か東京に行けって感じじゃん(笑)。
■ハハハハ。そういえば『クルーズ』のジャケットは自分で撮った写真を使っているんだよね?
石野:熱海から初島に行く船があって、その船でかっぱえびせんを捲くと鳥がすごい寄ってくるのね。ヒッチコックの『鳥』みたいに。たまたまそのときに撮った写真で、作品の中身に関係のないものをジャケットにしたいっていうのがあって、で、とくに今回は全体的にパーソナルなものにしたいっていうのがあったから、「あ、ちょうど良いのがある」って。初島まで30分ぐらいじゃん。だからこれは後づけだけど、30分ぐらいで"クルーズ"でミニ・アルバムっていう。これはプロモーション・トークだね(笑)。
■いままで、『ベルリン・トラックス』も『スロッビング・ディスコ・キャット』も『カラオケジャック』も、みんな凝ってたじゃない。ある種のギミックというかさ。
石野:それを毎回やったら「次は何?」ってなるじゃん。電気のアー写っていうかさ。それはそれでいいんだけどさ、今回はそういう感じじゃなかった。ギミック的な脅かし的なところもなかったし、派手にしたくないっていうわけじゃないんだけど、なるべくパーソナルなものにしたほうが伝わりやすいかなっていうか。
■やけに清々しい感じじゃないですか。
石野:色は毒々しいよ。
■あー、たしかに色によって見え方が違う写真だね。
石野:あとね、あんま密室的なものにしたくなかったっていうのもあるかもね。やっぱね、密室的なものをもって夏にプロモーションするのはきつい。密室的なことを何度も言わなきゃならないじゃん。それが精神衛生上、良くないんだよね(笑)。
■当たり前の話だけど、同じエレクトロニック・ダンス・ミュージックでも、『ベルリン・トラックス』や『スロッビング・ディスコ・キャット』の頃とはどこか趣が違うよね。
石野:あの頃は外からの刺激がすごかったし、それをカタチにするっていうのもあったけど、それもういまのやり方じゃないかなっていう。
■『スロッビング・ディスコ・キャット』の頃に比べると毒がなくなったのかなという気がしたんだけど。
石野:毒というか、屈折した感覚が減ったのかもしれない。
■ああ、そういうことだね。
石野:屈折したものを表現するとダメージがすごくでかいというか、屈折はなくならないんだけど、それは自然に出てくるものというか、隠そうと思って隠せないというか。ニュートラルにやっていくいと、自分の屈折していない部分が出てくるんだけど、屈折していない部分も出てくるから。そこはもう、作為的にはやらないほうがいいかなっていうね。
■なるほど、ホントにそんな作品だったね。それでは〈WIRE〉、楽しみにしています。今日はどうもありがとう。
文:野田 努(2010年8月05日)