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interview with Phew

interview with Phew

The Diva in The Underground

――アンダーグラウンドのディーヴァ、Phew

野田 努    photos : Yasuhiro Ohara   Sep 28,2010 UP

「なんでいまさら」っていうのがあったんですよ。アーント・サリー時代に誰にも評価されなくて、メディアとまではいなくても、そういうモノに対する幻滅というか......だから、インタヴューに来る人すべてに対して攻撃的だった(笑)。

なるほど。僕はでも、高校生のときにフューさんの「終曲/うらはら」を買って聴いて、ものすごく好きになって、で、コニー・プランクとホルガー・シューカイが参加した『Phew』も買って聴いて、で、アーント・サリーのアルバムをものすごく聴きたかったんですけど、すでに廃盤となっていて聴けなかったんです。中古でもかなり高値がついていて。再発盤でようやくちゃんと聴けましたね。それまでは友だちが雑誌の『ZOO』とかの文通コーナーで知り合った人からテープを送ってもらったり、ライヴのカセットテープを買ったりして。

Phew:はははは。海賊カセット、一時、売ってましたね。

ハハハハ。〈PASS〉で出すきっかけは何だったんですか?

Phew:〈PASS〉レコードの後藤(美孝)さんという方がアーント・サリーのライヴを神戸に見に来たんです。そのときに「〈PASS〉で何かやりませんか?」と言ってくれたんですけど、アーント・サリーが解散することが決まっていたんですね。だったら、後藤さんの知り合いに「坂本龍一という人がいてて、いっしょにやりませんか」ということで、はじまったんですね。私は坂本龍一さんのことはあんま知らなくて、イメージしていたのはフュージョンの人だったんです。実際に当時はキリンとかやって、渡辺香津美なんかといっしょにやっていたし。

そうでしたよね。

Phew:「でも、ぜんぜんフュージョンとかではなくて」っていう説明を受けたのを憶えています。

それで、その後はドイツのコニーズ・スタジオで『Phew』(1981年)を録音するわけですよね。僕ね、当時、音楽雑誌をよく読んでいたから、フューさんのインタヴューもけっこう読んだんです。で、当時のフューさんのインタヴューの発言って、とにかく恐いというか、トゲがあるというか。

Phew:トゲだらけでしたね(笑)。

「ホルガー・シューカイはどうでしたか?」みたいな質問で、「いや、別に」みたいに答えていて。

Phew:そんなこと言ったかな?

正確にはどうだったかまでは憶えてませんが、たしかそんなような、質問に対してすごくぞんざいな態度というか......、やっぱあの頃は構えていたんですか?

Phew:「なんでいまさら」っていうのがあったんですよ。甘えというのもあったと思うんですけど、でも、アーント・サリー時代に誰にも評価されなくて、メディアとまではいなくても、そういうモノに対する幻滅というか......だから、インタヴューに来る人すべてに対して攻撃的だった(笑)。

ハハハハ。本当にそんなインタヴューでしたよ。

Phew:実際に、私はマニアだったから、カンなんか値段の高い輸入盤で買って......、大好きだったわけですよ。コニー・プランクにしたって、クラフトワークにしたってね。だけど、インタヴューに来る人たちが何にも知らないわけです。全国流通の音楽雑誌の人たちが、そういう音楽のことをまったく知らない。だから取材で大好きな音楽の話ができるわけじゃない、「だったら......」という感じで(笑)。

なーるほど(笑)。

Phew:いまそういう仕事をしている人たちのなかには音楽が好きな人がいっぱいいると思うし、レコード会社にもそういう人がいると思うんですけど、80年当時はほとんどいなかったと思います。自分で見つけてきた音楽について書くのではなくて、有名になったから近寄ってきたみたいな人が多くて。

まあ、僕もカンを意識しはじめたのは『メタル・ボックス』や『Phew』以降でしたけどね。だって音楽雑誌にもほとんど載ってなかったですから。

Phew:でも実はそういうの、日本に入ってきてたんですよ。高かったけど。

では、『Phew』のあとに活動を休止してしまうのも、そのあたりの業界への幻滅が原因だったんですか?

Phew:ていうか、あらゆる要素です。自分が出したモノがわりと注目されてしまって、だけど、自分のなかにはその準備がなかったんですよね。多くの人に聴いてもらいたいとか、そういう感覚がまったくなかったんです。それが、時代のなかで「変な少女」みたいなね(笑)、ちょっと「変わった少女」みたいな扱いですよね。そのへんのことも、自分のなかで最初に「もうこれで食べていくんだ」ぐらいの覚悟があれば大人の対応もできたと思うんですけど、なんだかわけのわからないままに、「変な女の子」という扱いを受けて、来る取材も、コマーシャルの出演とか、グラビア雑誌のモデルとか......。

えー、そんなのもあったんですね。

Phew:いっぱいありましたね。ぜんぶ断りましたけど。

さすがっす。

Phew:いや、だから、出て行く用意がなかったんですよ。かといって、音楽はやっていきたいなという気持ちがあって。それをやるにはもっとしたたかさが必要だったんですよね。時代のなかの象徴的な何某みたいなことはできなかった。

『Phew』を出されたあとに、ご自身で辞めることを決めたんですね。

Phew:次にどういうものをやったらいいのかというのが、像を結ばなかったんです。誰とこういうことをやってとか、イメージが浮かばなかったんです。ショービジネスを否定したところからはじまったパンクだったのが、ニューウェイヴになってショービジネスになってしまったじゃないですか。スリッツがソニーと契約して、ポップ・グループもメジャーと契約して、で、「契約金がいくら」「どひゃー」みたいなね。そういう風になっていった。だから、ものすごく幼稚な感覚なんですけど、「私のファンタジーは終わった」みたいなね、81年にはそう思ってました。ロンドンではニュー・ロマンティックのムーヴメントがあって、いっぽうでスロッビング・グリッスルみたいな人たちはどんどん地下に潜っていった。で、私は......どっちかというと地下のほうかなって(笑)。

まあ、80年代はパンクのDIYもインディ・ブームになっていきますしね。

Phew:85年ぐらいからですか、それが商売になるからですよね。

それでも、『View』(1987年)によってカムバックしたのは、表現に対する欲望みたいなものを抑えきれなかったというのがあったんですね?

Phew:そうですね。時代とはまったく別のところでやっていくぞという意思表示が『View』ですね。当時は、それこそバンド・ブーム、インディ・ブームでした。それらとはまったく違うところでやっていきたいという気持ちでしたね。だから音楽的にもオーソドックスというか......。

なるほど。そして『View』以降は、わりと精力的な活動をされていますよね。とくに90年代後半あたりからはすごくありません?

Phew:そんなことはないですよ。毎年出しているわけではないし。

ソロだけではなく、ノヴォ・トノやモストやビッグ・ピクチャーみたいな別プロジェクトもやってますし、先日dommuneで演奏した山本精一さんとの『幸福のすみか』(1998年)もありました。

Phew:ああ、そういうのは増えましたね。

山本(精一)さんや大友(良英)さんのような人たちと共演されたり......そういった精力的な活動の背景には何があったんですか?

Phew:ライヴハウスで活動するなかで、人に伝わることをやらないとダメだなというのがあって、で、嘘がなくて人に伝えられるものということを考えていたときにモストが生まれた。初期パンクのスタイルで、ストレートな音ですよね。はじまりは、山本さんなんかとスラップ・ハッピーの前座をやったときに、1曲パンクをやって、気持ちよかったというのがあるんですけど。だけど、アルバムを作って、ライヴを続けていくっていうことは、そういうことですね。

いやー、でもフューさんのパンク・ソングはいいっすよ。

Phew:そうですかね。

僕、アーント・サリーのアレとかすごい好きだったなー。なんて曲名だっけな......。

Phew:"すべて売り物"。

そう、"すべて売り物"!

Phew:ハハハハ。

文:野田 努(2010年9月28日)

『Five Finger Discount(万引き)』発売記念ライヴ!

10.1 (fri) Shibuya CLUB QUATTRO
OPEN 18:00 START 19:00
3,300YEN (adv.drink fee charged@door)

Phew
with
石橋英子(p)、ジム・オルーク(b,syn)、向島ゆり子(vl)、山本精一(g)、山本達久(drs)、山本久土(g)
Special Guest:七尾旅人

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