Home > Interviews > interview with RITTO - 沖縄RAP!
家のトラブルで借金があって、それを返さないといけないっていう使命があったんですよ。「俺、どうすればいいんだろう?」って、ラップもなよなよしてて。外をふらふら歩いてたときに「バトルあるよ」って言われて。髪の処理も何もしてなかったんで、頭ボーボーなんですよ(笑)。
RITTO AKEBONO AKAZUCHI REC. |
■アルバムはどうやって作られたんですか?
リット:最初は、トラック集めでしたね。
トオル:俺らの環境にトラックメーカーがいなかったからな。ゼロに近い。
■時間がかかった?
リット:かかったっすね。スティルイチミヤと仲が良くて、田我流に「アルバム出したい」って言ったら、ヤングGがすぐに作ってくれて。「疾走感のある曲にしよう」って"風音"ができて。それが『AKEBONO』のはじまりですね。
トオル:田我流との出会いがキーポイントになってますね。山梨にいながらこれだけ作品出してる。東京に染まってないし、むしろ、俺らより田舎モンだし。実際に行ってみても、相当田舎だった。それでもできるんだっていう自信になりましたね。
■田我流と知り合ったのはいつですか?
リット:5年前くらい。ポポ・ジョニーっていう大好きなレゲエ・アーティストが「山梨のラッパーがいるよ」って紹介してくれて。沖縄に自分探しの旅に来てたみたいで。そのとき、俺はイケイケだったんで、「何だ?」ってフリースタイルしかけたら、田我流もガンガン詰めてきて、ケンカになりそうなくらいアツくなっちゃって。それから友だちになりましたね。
でも、最近まで田(でん)ちゃんとは連絡とってなくて。で、〈ラヴ・ボール〉にたまたま田我流のCDがあって、聴いたら「こいつ面白いね。呼ぼうぜ」ってなって。ポポ・ジョニーに「田我流ってわかるか?」って聞いたら、「お前、友だちよ。田ちゃんだよ」「え! 田ちゃんって田我流なの?」って。すぐに電話して(笑)。
「覚えてる?」「覚えてるよ。どうしたの?」「お前のCD聴いた。良かったよ。沖縄来るか?」って言ったら、飛んで来てくれて。〈ドンタコス〉っていう自分のイヴェントに出てもらった。それが一昨年の7月。それ以来、本土との架け橋になってくれてる。勇気もらいましたね。
トオル:地元のこと歌ったり、YouTubeで山梨の案内したり、山梨のNHKに出たり、地元密着のあったかいアーティストだなと思って。それで、俺らも「自分たちでやろう」みたいな。
■アルバムのタイトルにもなってる那覇市曙は、リットさんの地元の地名ですよね。港があって、倉庫が立ち並ぶような。
リット:工業地帯。元々、石垣島とか宮古島とか、離島の人たちが多く住んでる場所で。ヤクザ屋さんの事務所も結構あって。変な人が多かったですね。
トオル:怪しいよな(笑)。ゲットーだよな? 潮風で車がすぐダメになるし、家賃も安いし。
リット:昼と夜でまったく違いますからね。車も道知ってる人しか通らないっすよ。
■『AKEBONO』には日の出のような意味合いもあるんですか?
リット:ちっとあるっす。でも、盤面の太陽は夕日なんですよ(笑)。好きなんですよ。(沖縄本島の)西側に住んでるから。
イエスノー言える 玉を込める 引き金ひいて 腰動かして イク瞬間 呼吸合わせて イったらなぜか涙流れて やーのソウル わーに吸い込まれ わーのソウル やーに吸い込まれ ......
"ボツ空身"
■"ボツ空身"は血生臭く、ハードボイルドですよね。冒頭、「2011年、波乱の年、人生かけて挑んだ年、あらかじめ言い訳なし、われ貫く意地、ここにあり」というリリックがあります。何があったんですか?
トオル:激動だったよな。みんなが腹決めた年ですね。リットは仕事しながら、音楽と両立させてたんですけど、「もう辞めよう」って。音楽を仕事にしないとスピード上がらんし、やりたいこともできん。俺も、この頃から本気でクラブをやって、クラブをライフスタイルにしようって思いましたね。
リット:「ラッパーにならんといけん」って決断した年でした(笑)。
■「空身」って「身ひとつ」みたいなことですか?
リット:そうっす。適当っすよ(笑)。
■でも、あの曲からは並々ならぬ緊張感が伝わってきますよね。トラックを手がけるDJコージョーはどんな人なんですか?
リット:北海道の人ですね。いまは、沖縄の伊是名島に住んで、さとうきびを作る仕事をしてます。ああいうトラックを作る人とは思えない感じで、のほほんとしてる。
■9曲目"ボツ空身"から12曲目"女 -HITO-"への流れは凄まじいですよね? 身震いしました。
リット:アルバムができる過程で、やってて楽って思えたスタイルが、9曲目からラストなんですよね。そのなかに、オリーヴさん(オリーヴ・オイル)との出会いがあったりして。
■オリーヴ・オイルとは、どういう出会いだったんですか?
トオル:自分たちがやってるイヴェントにエル・ニーニョで来たときですね。ヒカルさん(DJヒカル)に紹介してもらったっす。2011年ですね。このイヴェントから、オリーヴさんがめっちゃ沖縄に来るようになって、遊ぶようになって、音も制作するようになって。
リット:実は、だいぶ前に、オリーヴさんが沖縄でライヴやってるのを見たことがあって、その時からハマってました。「あのちっちゃい人、何?」って。
トオル:感覚も"島んちゅ(島人)"だし。
〈オイルワークス〉のオリーヴ・オイルは、沖縄でじつによく見かけるアーティストのひとりだ。それはもちろん、赤土クルーをはじめ、彼の音を愛する人たちがイヴェントに招待しているからなのだけど、オリーヴ・オイルもまた、この地を気に入っているように思えてならない。
現在、福岡を拠点に活動を続けるオリーヴ・オイルは、奄美諸島・徳之島出身だ。ちなみに、現在、沖縄在住で、赤土クルーの「パイセン」ことDJヒカルと同郷だ。思えば琉球王国は、奄美群島までもを統治していた時代があった。歴史的には複雑な背景もあるようだけど、文化や思想など、近しいところがあるのも事実。これは勝手な想像だけど、南国の楽園の設計を夢見る彼が、沖縄に親しみを覚えると同時に、何かしらの可能性を見ているのかもしれない。
■ライヴでもオリーヴ・オイルのトラックをよく使ってますよね?
リット:イメージが一番湧きやすい。言葉がフワッと出てくるんですよ。
DJカミカズ:優しさなんじゃないですか?
リット:そうそう、人的な。あの人、不思議だよな。
■"NINGEN State Of Mind"の曲作りはどうやって進めたんですか?
リット:スタジオで、オリーヴさんのトラックのストックを聴いて、曲を選んで。でも結局、一番手こずりましたね。言葉がどんどん出てくるんですけど、最終的にそれをまとめる必要ないかもしれんって思っちゃう。初めての感覚でしたね。「曲に溺れる」って思いました。何回も録り直しました。オリーヴさんはデカかったな。有名人だと思ってましたけど、すんなり入り込めた。自分にとってプラスになる表現が見つかった感じでしたね。
年を重ねて今のストーリー居心地いい 大事な力抜きスッピンでハプニング (中略) 気持ちは走りドンピシャ 浮かび弾けたソウルはドープ閃きの和 揺れるマイフロウ
"NINGEN State Of Mind"
取材:加藤由紀(2013年3月22日)