Home > Interviews > interview with RITTO - 沖縄RAP!
沖縄に移り住んで2年になる。本島を南北に貫く主幹道路、国道58号線。観光地をつなぐ格好のドライヴルートは「わ」ナンバーで渋滞し、米軍占領時に整備された元軍道は、那覇軍港や普天間飛行場、嘉手納基地を結び、軍用車両と「Y」ナンバーが行き交う。沖縄県の面積の約10パーセントを占める米軍関連施設。道沿いに延々と続く米軍基地フェンス。柵に取り囲まれたかのような町並みや、その上空ぎりぎりを爆音で飛び去る軍用機に、いまだ慣れないでいる。
たしかに沖縄は「リゾート」だ。カラッと晴れた日は本当に気持ちがいいし、その心地よさを楽しむ余裕だってある。でも、それだけじゃない。普天間基地移設問題が全国的に報じられるようになって以降は、どんなに沖縄に疎い人でも知るところだろう。
かつての琉球王国はいま、日本という島国のなかの島でありながら、すぐ近くに米国があり、お隣中国からにらまれている。戦争と侵略......、多難の道を歩み続けてきた。過去を背負い続ける人の悲しみを、移住して初めて、肌で感じている。"すべての武器を楽器に"沖縄県の音楽家、喜名昌吉の歌詞だ。プリントされたステッカーが、県内のレコ屋や服屋に並べられていた。そして、地元の人はきっとこう言う。「沖縄に来て良かったね。最高でしょう?」と。ここには、決して絶望で終わらせない、底抜けのタフネスがあるように思えてならない。
沖縄のラップ・シーンが盛り上がっている。牽引するのが、リット(RITTO)。石垣生まれ、那覇育ち、生粋の琉球人MCだ。2月に、ファースト・アルバムとなる『AKEBONO』を赤土レックよりリリース。発売からおよそ2週間で、初回プレス分が完売した。昨年のUMBで沖縄代表に選ばれ、3回戦で優勝者・R指定と対戦、惜しくも敗れたが、同大会のベスト・バトルとも称された。そんな経緯もあって、コアなヒップホップ・リスナーからは、すでに一目置かれていた。
ゆるさの中にあふれる闘志 具志堅用高 カンムリワシ
適当なようで適当じゃない 目を見りゃわかる いかれたヴァイヴ
"ボツ空身"
RITTO AKEBONO AKAZUCHI REC. |
バトルあがりのすきのない緊張感、研ぎ澄まされたリリシズムに、『イルマティック』の頃のナズを思わせると言った人がいた。矢継ぎ早に繰り出される言葉、強いパンチラインに、ウータン・クランのゴーストフェイス・キラーを思わせると言った人がいた。その一方で、レイドバックした中にある凄み、自由度の高いフロウと間に、MFドゥームを重ねる人もいた。あ、「南のボス・ザ・MC」と評する人もいたな。本人は恐縮していたけれど。ストイシズムを貫いてはいるが、安易にダークネスには陥らない。「極東」の「南」の情熱とソウルを注入する。「今日はほんとにいい天気っすね。気持ちいいな」チルした普段の姿は、とても穏やかだ。「ちゃす!」ライヴの合間にみせる別の顔は、ユーモラスで、お茶目でさえある。
「お前の目、何でそんなにピュアなんだよ」MSCのMC漢が言ったそうだ。「俺らは毎日、東京で戦ってるのに......」。沖縄の人と音楽に魅せられ、ここを何度も尋ね、滞在するMCがいることを知っている。あるMCは「自分は沖縄に住むべきだ」とさえ言っていた。ビッグ・ジョーは今年、沖縄でのレギュラーイヴェントをスタートさせた。ここはいま、本当にアツい。まさに、沖縄で言うところの「ヤッケー」だ。まだ知らない人は是非、リアルな沖縄を体感してほしい。リットと、赤土レックの代表・トオルに話を訊いた。
参加者:リット(赤土レック)、トオル(赤土レック)、DJカミカズ(クロックワイズ・レコーディングス)
リット:本土の人は、沖縄をリゾートだと思ってるから。
トオル:俺たちは真逆だもんね。
リット:そこに疑問を感じないかな? 沖縄の問題っていろいろあるじゃないですか。本土には、「沖縄は国からお金をいっぱいもらってるんだから」っていう考えもあると思うんですよ。
■ラップをはじめた経緯は?
リット:「ヒップホップは、簡単にやったら殺される」って思ったんすよ。それはよく覚えてる。
■なぜですか?
リット:わからん。インスピレーション受けましたね。これは危ない音楽だって。人も死ぬし。冷静に見てました。格好もすぐには入れなかったですね。歴史とか、色々勉強しました。それから、じょじょに入っていった感じですね。
■きっかけは何だったんですか?
リット:高校時代に、カルチャーとして、自然と入ってくる感じでした。
■高校はどちらだったんですか?
リット:宜野湾高校ですね。
トオル:俺らサッカーしてたんですよ。サッカーが強くて、誰でも入れるバカな学校でした(笑)。クラスの半分以上が他の高校を一次で落ちて、二次で受かって来たみたいな奴らで、不良が多かったですね(笑)。
沖縄県宜野湾市は、沖縄本島の中南部に位置する地域。普天間飛行場やキャンプ瑞慶覧があり、基地の街でもある。
■最初は、どんなヒップホップを聴いていたんですか?
リット:一番初めに聴いたのは、小学校の頃でしたね。アメリカに行く機会があって、そこで会った白人がクーリオを歌ってたんですよ。「何だろう?」ってずっと気になってて。日本に帰ってきて、じょじょに聴くようになりましたね。
■何でアメリカに行ったんですか?
リット:家族旅行ですね。1ヶ月くらい行ってたんですけど。
■そこからなんですね。
リット:MTVで、何気に聴いてはいましたね。
トオル:リットのお母さんがイケてるんですよ。
リット:「あんた、ラップしなさい!」みたいな。オカー(お母さん)が先に言いましたね。リットって本名なんですけど、ギタリストのリー・リトナーから来てるんですよ。おやじが元々ギター弾きで。クレイジーなんですけど(笑)、音楽のエンジニアやったり、現場に入ったりしてて。もう長いこと一緒には生活してないんですけど、影響は大きいですね。ロックは日頃から聴いてました。音楽はずっと生活の中にありましたね。
■ご両親ともに石垣出身なんですか?
リット:そうですね。俺も石垣で生まれて、小学2年の頃に(沖縄本島に)移住して。
■ご兄弟は?
リット:すげぇ姉ちゃんがいる。パンチがものすごい(笑)。姉ちゃんは流行りの音楽聴いてたよな。
トオル:リットのネエネエ(お姉さん)がリットに流行りの音楽を教えて、リットが同級生に教えて。
リット:モンパチ(MONGOL800)とか、インディーズが流行ってたな。
トオル:俺ら中学生の時、ちょうどピークで。
リット:中学までは、がっつりバンドだったな。ラップもちょくちょくやってましたよ。でも、「ああなりたい」みたいな人がいなかったですね。特に思い入れはなかった。
■音源はどうやって手に入れてたんですか?
トオル:洋服屋ですね。DJが作ってるミックスCDとか。あとはクラブで。まだ高校生がクラブに入れる時代だったんで、高2くらいから行き始めて。
リット:毎週行ってたな。
■那覇ですか?
トオル:沖縄市のコザが多かったっすね。もう今はそのクラブはないんですけど。
沖縄県沖縄市に属し、通称「コザ」と呼ばれる地域。嘉手納基地に隣接している。かつては、米兵相手のサービスを提供する施設が立ち並ぶ歓楽街だった。今も当時の面影を色濃く残し、米兵が多く遊ぶエリアだ。
取材:加藤由紀(2013年3月22日)