Home > Interviews > interview with Da Lata - ロンドン発ラテンの冒険
当時は日本でもブラジル音楽はほんとうに大きな影響力があったんだ。それは素晴らしいことだったよ。シーン自体が爆発的に盛り上がってきていて、古いブラジル音楽に対する新鮮で大きな興味が湧き上がってきていた。
![]() Da Lata Fabiola Agogo Records/Pヴァイン |
■2011年にクリス・フランクと話し合い、ダ・ラータを再始動することになったそうですが、そこに至るいきさつ、心境について教えて下さい。
PF: 2010年か、あるいは2011年に、クリスとニーナとの関係が終わった。その頃、同じく僕も離婚した。それで、僕たちはただ、ふたりでこれから何をすべきなのか話していたんだ。ちょうど“N.Y.J.”と“Ronco Da Cuica”は、ライセンス自体は僕たちが所有しているもので、この2曲を出発点に新しいアルバムを制作してみようということにしたんだ。幸いにも、僕にはアルバム制作に取り掛かるだけの経済的余裕があった。こうしてダ・ラータはまた歩きはじめたんだけれど、それはある意味で破局してしまった僕たちにとって良いセラピーだったと思うよ。これから僕たちは何をしていくべきなのだろうか。このまま椅子に座って泣きながら、過去の間違ってしまったことについて後悔するのか。それとも、何かポジティヴなことをやってみるのか。ネガティヴな状況において、ポジティヴなものを生み出す努力をしてみるのか。もちろん、経済的余裕とチャンスがあるなら、選択肢はポジティヴなことをやってみるということしかなかった。
■そうして、ニュー・アルバム『Fabiora』が完成するのですが、このタイトルにはどういった意味があるのでしょうか?
PF:これには面白い話があるんだ“Fabiola”はいくつかのラテン系の国で女の子につけられる名前なんだ。あるとき本を読んでいて、この名前に言及している部分を見つけて、興味深いなと思った。それで、家に帰って、グーグルで“Fabiola”を調べたら、カトリック教会では聖ファビオラといって、困難な関係や壊れた結婚についての聖人なんだ。このストーリーがカヴァー・アートのコンセプトになったんだ。ルイスというデザーナーが素晴らしい仕事をしてくれたんだけど、僕らふたりのことも表してくれて、それはある意味良かったと思うよ。
■ところで、『Fabiora』をリリースする前に、まずシングルでザ・ジャムの“Going Underground”をカヴァーしましたね。どういった意図でこのカヴァーを行ったのでしょう?
PF:バトゥの頃にも、僕はよくジョークでブラジリアン・ヴァージョンの“Going Underground”をやろうって言ってたんだ。僕はこの曲が若い頃からずっと好きだったからね。で、『Fabiora』を作りはじめたとき、「OKやってみよう」ということになった。あっという間にできて、この制作で最初にできた曲だった。だけど、すでに”Ronco Da Cuica”を入れる予定だったから、1枚のアルバムに2曲もカヴァーを入れたくないという理由で、別にシングルとして発表することにした。これは、ある意味でダ・ラータが「また戻ってきたよ」という挨拶だったし、同時に政治的な意味合いも含んでいる。僕たちがこの曲に取り掛かっていた頃、ちょうどロンドン・オリンピックのセレモニーが開催され、そこでブリティッシュ・ポップ・カルチャーを代表する曲のコラージュのひとつとして、“Going Underground”がかかったんだ。でも、“Going Underground”の歌詞は実はかなり反体制的で、反抗的なものなんだ。なんたってジャムだからね。だから僕にとって、オリンピックでこの曲がかかっている光景は何か皮肉的なものとして見えた。英国文化として誇りに思う曲だけれど、そのスタンスとしてはこういう企業的なイベントに対してアンチな姿勢を取っているんだ。だから、この曲のリリースには、そうした意味合いも込められている。
このアルバムを作りはじめたときに、僕らが感じていたことは、このアルバムにはアティチュードがあるということ。ある意味では、これは僕たちが個人的にいる場所について音楽にしているものなんだ。そして、それと同時に、僕たちが世界の情勢の中で政治的にどのようなスタンスをとっているかということでもある。このアルバムは、戦うといことについて、色々な難しい問題がある状況でも諦めずにやっていくんだ、ということについて歌っているんだ。
■リリアナ・チャチアン、オリ・サヴィリなど、過去のメンバーは主にロンドン在住のブラジル系ミュージシャンが多かったと思いますが、今回はメンバーがいろいろ入れ替わっていますね。昔からダ・ラータでやっているトリスタン・バンクスやトニ・エコノミデスほか、ダビデ・ジョヴァニーニ、フィン・ピータース、ジェイソン・ヤード、マイク・パトゥーなど、以前から交流のあるミュージシャンが含まれていますが、同時にいままでとは異なるフィールドの人たちも集められているように思います。また、マイラ・アンドラージはじめ、より国際色豊かなメンバーとなっていますね。
PF:ダ・ラータはバンドではなく、ひとつの家族のようなものだ。核には僕とクリスがいて、ヴィジョンを持ち、方向性をデザインするんだけど、このファミリーはほんとうに大きくて、そしてどんどんと増えていくんだ。いろいろ活動していくなかで、僕たちは同じ音楽観を共有できる仲間を得て、一緒にやってみたい人たちが増えていった。そして、テクノロジーの進化により、たとえ離れた場所にいようとも、共演することが可能になってきた。ダ・ラータの中心は僕とクリス、それから3人目のメンバーとも言えるトニ・エコノミデス。彼はエンジニアで、最終的には僕ら3人がスタジオで曲を完成させた。でも、何人かのアーティスト、たとば“Places We Go”でベースを弾いているマロウ・バーマンはリオに住んでいる。マロウに音源を送って、それに彼のベースを加えて送り返してくる、といった形で制作をおこなった。そうした具合に、イギリス、フランス、アメリカ、カナダ、ブラジルと、いろんな場所のミュージシャンが参加していて、それぞれデータをやり取りして制作していったんだ。
マイラ・アンドラージはいま、パリをベースに活動しているけど、クリスが知り合いだった。彼女は本当に特別なシンガーだけど、アルバムに参加することに同意してくれて、一緒に出来たことは僕たちにとってとても喜ばしいことだった。で、世界的に一流のシンガーと言える彼女が、僕たちの音楽を気に入ってくれて、実際のところ対価なしで参加してくれている。それは本当に素晴らしいことだよ。彼女に限らず、そうして参加してくれたミュージシャンは多い。
それから、ジャンディラ・シルヴァもアルバムで重要な核となるシンガーだ。一般的にロンドンでブラジルのシンガーを探すとなると、たいてい心地よいボサノヴァのようなアーティストを探すことが多い。静かでジャジーなボサノヴァ、イージーリスニング的に座って聴くタイプの音楽だよね。でも、ダ・ラータはそれとは大きく違うバンドだから、もっとパワフルなシンガーのジャンディラに参加してもらった。アルバム制作前にジャンディラを交えてライヴをやったことがあって、それで彼女が最高だとわかって、彼女にとってもこのバンドのフロントがうまくはまったと思う。彼女自身も「すごくいい、私はここでいきいきと、好きに自由にできる」という感じだったよ。実は“Deixa”という曲は、デモ段階ではあからさまにブラジル音楽的すぎるということで、アルバムに入れるつもりは無かった。だけど、ジャンディラがやってきて、彼女が歌うのにピッタリだったからアルバムに収録したんだ。それから“Ronco Da Cuica”のヴォーカルも彼女で録り直したね。
■ミゲル・アットウッド・ファーガソン、リッチ・メディーナなどの参加も面白いです。ミゲルはアルトゥール・ヴェロカイと共演していますが、ブラジル音楽とはそれほど大きな関わりがあるというわけではありません。彼らとはどのような接点から参加してもらうことになったのですか?
PF:このふたりはどちらもクリスの古い友だちの紹介で出会った。クリスがLAにいたことがあって、それでミゲルに会った。僕自身はミゲルに会ったことはないんだけれど、フェイスブックなんかでしばらくやり取りをしていたね。もちろん彼は信じられないほど素晴らしいストリング・アレンジャーで、彼に関わってもらえたことはとても特別なことだった。リッチ・メディーナはロンドンにしばらくいたから、僕はよく知っていて、何度かDJも一緒にやったこともある。でも、逆にクリスは彼に一度も会ったことがないんだ。“Monkeys And Anvils”という曲はもともとインスト・ナンバーとして作ったものだけど、何かほかの要素を加えても面白いと思って、そこでリッチ・メディーナが何か詩の朗読をしてみたらというアイデアを思いついたんだ。リッチがやってくれたことをとても気に入っているよ。彼は本当に美しいディープなバリトン・ヴォイスを持っていて、まるでギル・スコット・ヘロンのようだからね。彼のやることは素晴らしいし、本当にいいやつだよ。
■フォークロアなMPBやアフロ・サンバを軸に、土着的なブラジル音楽の世界を披露したファースト、アフロ・テイストがより顕著となり、そこにウェスト・ロンドン・シーンのクラブ・ミュージック的な要素を融合させたセカンドでしたが、今回のアルバムのテーマやカラーはいかがですか?
PF:ダ・ラータの音楽は、言うなれば「グローバル・ミュージック」であり、それと同時に「ロンドンの音楽」でもある。なぜなら、これらすべてのフレーヴァーやものをロンドンで見つけられる。アフリカのコミュニティ、ブラジルのコミュニティ、すべてを見つけることができるんだ。もはや、そうした異国の音楽は、僕らの世界の一部となっている。これはブラジルの音楽、あれはアフリカの音楽、これはロンドンのクラブ・ミュージック」として区別されて存在しているものではく、すべては同じものの一部なんだ。ある人たちには理解しにくいかかもしれないけれど、僕たちにとってこれらの文化をミックスすることは自然なことなんだよ。
そして、『Serious』(2003年)でのエレクトロニックでプログラミングを多用したクラブ・ミュージック的アプローチに対し、今回のアルバムはナチュラルでオーガニックなサウンドにしようと思った。出来ることなら、みんなを一斉に集めて、じっくりとリハーサルして、大きなスタジオですべてライヴ・レコーディングして、そこにオーヴァーダブを加えたりしかった。でもそれは予算的に不可能だった。だから、すべてはデジタルのデモからはじめている。そこからプログラミングされたドラム・ビートを、次第に生のドラムに入れ替えてといった形で作っていくんだ。僕たちは古典的なレコーディング・スタイルはとっていないけれど、このアルバムを100%オーガニックなものにしたかったから、最終的なすべての録音素材は生演奏で、一切のプログラミングを使っていない。そのために、こういった録音データの交換という方法をとったんだ。
取材:小川充(2013年11月07日)