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tofubeats First Album Remixes WARNER MUSIC JAPAN INC. |
つい先日デジタルで発売されたトーフビーツの『First Album Remixes』の1曲目が“Don't Stop The Music”の砂原良徳リミックス。新世代の作品にベテランが手を貸した最初のヴァージョンとなった。
トーフビーツからは「現在」が見える。インターネット時代の(カオスの)申し子としての彼の音楽には、90年代を楽しく過ごした世代には見えにくい、重大な問題提起がある。ゆえに彼の楽曲には「音楽」という主語がたくさん出てくる。音楽産業、音楽文化、あるいは知識、音楽の質そのもの。
自分が若かった頃に好きだった音楽をやる若者は理解しやすいが、自分が若かった頃にはあり得なかった文化を理解することは難しい。なるほど、ボブ・ディランは最近ロックンロール誕生以前の大衆音楽をほぼ一発で録音して、発表した。これは、インターネット時代の破壊的なまでに相対化された大衆音楽文化への本気のファイティングポーズなんじゃないだろうか……だとした、さすがディランだ。しかしもう時代の針を戻すことはできない。
インターネット文化には、そもそもヒッピーの聖地近郊のシリコンバレーには、カウンターカルチャーの遺伝子がある、と今さら言うのは、80年代を懐かしんでいるわけではない。僕がUSの若い世代の音楽批評を読んでいてあらためて感じるのはそのことなのだ。ヴェイパーウェイヴの「日本」には、『ニューロマンサー』の「チバシティ」と似たものを感じるでしょう? それはずっとあり続けているのだ。
が、しかし……それを反乱と呼ぶには、瞬く間に資本に取り込まれているのかもしれない。自由であるはずが、意外なほど窮屈だったりするのかもしれない。トーフビーツは、そうしたもうひとつの現実も知っている。親は、子供がライヴハウスに出演することよりも四六時中インターネットにアクセスしているほうを心配するだろう。電気グルーヴが登場したときのように、トーフビーツにも賛否両論の新しい価値観がある。ものすごーく引き裂かれたものとして。
だから電気グルーヴは聴かなきゃいけないみんなの教科書的なものなんですよ。──トーフビーツ
電気グルーヴが教科書ってどうかと思うけど(笑)。──砂原良徳
■今日が初対面っていうのがあまりにも意外でした。
砂原良徳(以下、砂原):ハハハハ!
■当然もう何回も会っているものかと。
砂原:クラブとかの入れ替わりで1回くらいはどっかのイベントでね。
トーフビーツ(tofubeats以下、T):それこそサーカスとかで1回くらい会っていてもおかしくはないんですけど。
砂原:会ってなかったね。
■意外だよね。とにかく、今回のリミックス・アルバム『First Album Remixes』は、まりんが参加したってことが大きなトピックだから。トーフビーツ世代と電気グルーヴ世代がいままで一緒になることって、作品というカタチではなかったよね?
T:そうなんですよね。こっちからソニーに「マスターをください!」って言って“MAD EBIS”をリミックスしたことはあったけど。
砂原:あったねー! それは俺も聴いたよ。
T:実は僕、××(大手メジャーの新人発掘部門)に5年くらいいて。
砂原:あ、そこにいたんだ!
■だってWIREに出てるんだよ。
T:WIRE08の一番上のちっちゃいアリーナに出てて。
■しかも高校生で。
T:それで、てっきりそこからデビューすると思っていたら、ワーナーさんからデビューすることになって。
■このひと(トーフのマネージャーのS氏)もそこだったんだよね。
T:だから、最後の最後に、これまでのリミックスをまとめたアルバムを出しましょうってなって、「“MAD EBIS”のパラをもらえますか?」って聞いたら、「DATがテープしかないから、スタジオに請求するから」という流れでいただいて作ったんですよね。
砂原:俺はそれを何で知ったんだっけな。電気のリミックスをやったんだって経緯を後で聞いたんだけど。
T:そのときに「“Shangri-La”じゃなくていいの?」みたいな話をされたって言いましたよね。
砂原:ははは、自惚れ。
T:ハハハハ!
■あれは何年前?
T:まだ3、4年前ですね。
砂原:ちなみにいまはおいくつなの?
T:僕は24です。
砂原:まだ若いもんね。
T:90年生まれです。
砂原:90年生まれ! そうかぁ……。
■それは……って感じだよね(笑)。
砂原:いやでもまぁ、そんなもんなんだろうね。
■24歳のときって何してた?
砂原:電気グルーヴですよ。24歳のころはアルバムでいうと『DRAGON』のときかな。
■ちなみにWIREに出ていながら、いままで面識がなかったじゃない? トーフビーツのなかで電気グルーヴとか砂原さんはどういう存在だったんですか?
T:卓球さんには僕はまだ会ったことないんですよ。
砂原:会ってないんだ。いずれはどっかで会うと思うけどね。
T:WIREは僕、2回出させてもらったんですけど、どっちもあいさつできなくて。
砂原:まぁ、DJしてないときは遊んでるからね。あと、あの日はあいさつしたりいろいろあるんだよね。
T:あとNHKの『MJ』でご一緒したときも、『メロン牧場』で「楽屋挨拶にきたら殴る」っていうのをまだ読んでいなくて、あいさつに行っちゃって、マネージャーさんに「ダメだから」っていわれて(笑)。
砂原:ハハハハ!
T:後から考えて、「そうだ! 『メロン牧場』を読んでなかった!」って。あの日はすごい後悔したんですよ。「ほんと、すいません」って。
■WIREに出てたっていっても、まだ10代だったし、早い時間の出演で、早い時間に帰らなきゃならなかったしね。
T:そうなんですよ。だから帰らされてたんですよね。
砂原:そうかぁ。90年代に生まれたってことは、本当にうちらの音楽を聴いていたときは、4歳とか5歳っていってもウソじゃないっていうことだもんね。僕らのアルバムで『KARATEKA』って作品があるんだけど、あれはパカって開けたところに赤ちゃんが出てくるじゃん? あの世代ってことだもんね(笑)。
T:そうです(笑)。
砂原:恐ろしいな(笑)。
T:いま25周年じゃないですか? だから(電気グルーヴは)僕より年上なんですよ。
■ハハハハ!
砂原:そうだね。まぁ、でもそのくらい時間はたってるよ。だって人間って20年ちょっとでこんなんになっちゃうんだよ(笑)?
T:でもそのときは『DRAGON』だったわけじゃないですか? 僕はまだデビューして間もないですけど、『DRAGON』のときは砂原さんはすでに何枚か出しているじゃないですか?
砂原:でもまぁ、あのときといまじゃ音楽のあり方が違うもんね。もっとリリースすることが主体だったというか。
■そこは今日のテーマですよ。
T:そんな時代に生まれたっていう話ですから。
■いま思うと象徴的だったね。トーフビーツがWIREに出たときに、ちょうど僕が〈マルチネ・レコーズ〉周辺の子たちをWIREに連れて行って。
T:ありましたね。
■まだみんな高校生や大学生でね。4、5人で行ったんだよ。そのときに、みんなが「トーフくんが出てるんで」って言ってて。トーフは神戸で、みんな東京の子どもたちだからね。ネットでは知り合っていても、そんなに会えるわけじゃなかっただろうし。で、僕はそこで初めてトーフに会うんだけど、みんなを引き連れて会場に入ろうとしたときに、ちょうどタサカくんが通りかかって、「なんか引率の先生みたいだね」って言われてね。
砂原&T:ハハハハ!
■おじさんが子どもたちを連れているようにしか見えないよね(笑)。でも、そのときの子供たちがネット・レーベル世代として日本のサブ・カルチャーに大きな影響与える存在になるわけだから。その晩のWIREではそういうことも起きていたんだよ。
T:その頃は、全員まだクラブに行ったことがない歳ですから。まだ18にもなっていなかったし。
砂原:でも本当にはじめるのってそのくらいの歳だったよね? 僕もライブハウスとかに出だしたのって高1とかだよ。中学の3年くらいのときに早いやつは出てたから。それを知って、「これはヤバいな」って焦った記憶があるくらいで。
T:おー。
砂原:高1でライブハウスに出てなかったら、もうやる気がないやつみたいな感じだったよ。
取材:野田努(2015年2月18日)