Home > Interviews > interview with For Tracy Hyde - 10年代日本を駆け抜けたシューゲイズ・バンド、1stから解散までを振り返る
バンドの終わりは美しい。もちろん、そうではないこともある。ひょっとしたら、そうではないことの方が多いかもしれない。しかし、少なくともFor Tracy Hydeの終わりは美しかった。2023年3月25日、東京・渋谷WWW Xでのラスト・ライヴを見て、そう感じた。
いわゆる「東京インディ」のバンド群が、関西のシーン、あるいはSoundCloudやBandcamp、ブログやソーシャル・メディアとの相互作用の中で、不思議でユニークな音楽を作っていた2012年の東京にFor Tracy Hydeは現れた。シューゲイズ、ドリーム・ポップ、ギター・ポップ、マッドチェスター、ブリット・ポップ、渋谷系から、はたまたアニメやゲームまでを養分にしていた彼らは、インターネット・カルチャーの申し子でもあった。そして、周囲のバンドが失速し疲弊しフェイドアウトしていった10年強の間、2016年のデビュー・アルバム『Film Bleu』の発表以降、着実に最高傑作を更新していき、ファンダムを国外に築き上げもした。
最後まで「青い」音楽を奏で続けたFor Tracy Hydeは、一方で自分たちの表現そのものを問い、自身の内面にも踏み込んでいき、その青さはどんどん深みを増していった。その時々の国内外の政治的な状況、音楽シーンの潮流や動向に向き合い、疑問や違和感すら音楽に反映させていった。それは例えば、ラスト・アルバム『Hotel Insomnia』に収められた“House Of Mirrors”を聴いてもよくわかる。夏botはこの曲について、「ソーシャル・メディアやスマートフォンを媒介にしたナルシシズムについての曲だ」と説明する。
国内シーンへの貢献、東アジアや東南アジアのバンドとの繋がり、フォロワーに及ぼした影響の大きさ、ファンダムの厚さといった点で、For Tracy Hydeというバンドの音楽、彼らが存在したことの意義はとても大きい。彼らがいなかったと仮定してみると、現在のシーンの風景は、現在のそれとちがうものだっただろう。そのことは彼らが解散したいま、ファンのひとりひとりが噛み締めているはずだ。
3月29日には、最後の作品にして最高傑作になった『Hotel Insomnia』がヴァイナルでリリースされた。これに合わせて、主宰者である夏bot(ギター/ヴォーカル)、メンバーのMav(ベース)、eureka(ヴォーカル)、草稿(ドラム)へのラスト・インタヴューを届ける。東京でいちばん美しいロック・バンドの軌跡を辿り直した、ロング・インタヴューになった。
2023年3月25日、渋谷WWW Xでのラスト・ライヴ
アジア圏の音楽に触れてくれるのは結局、アジア人だけなんじゃないか? という思いは払拭しきれませんでした。白人主体のインディ・ロック・シーンにおいて、東洋人として一撃を喰らわせるには至らなかったんじゃないかなと。(夏bot)
■1月5日に解散が発表されて、衝撃を受けました。Twitterではトレンド入りしましたね。
夏bot:しましたね(笑)。あれはびっくりしました。
■驚いたし、残念でした。どんな反響がありましたか?
夏bot:印象に残ってるのは、「ライヴを一度見たかった」という声が多かったことです。いやいや、我々けっこうやってましたよと(笑)。
Mav:「いつまでもあると思うな、親とバンド」ってやつですね。
夏bot:アイドル界隈の方は「推しは推せるときに推せ」とよくおっしゃいますからね。
Mav:最後のライヴをやってから「解散しました」と言う人もいるじゃないですか。あれは嫌なので、ちゃんとお別れする機会を作れたのはよかったです。
夏bot:「事後報告はしない」というのは、ポリシーとしてあったので。唐突な解散は、ファン心理として気分がよくないですね。
eureka:友人には以前から話してたので、「発表したんだ」、「頑張ったね」と言ってもらいました。
夏bot:DMが殺到したんでしょ?
eureka:海外の方から「なんでフォトハイは終わっちゃうの?」とDMが飛んできてたんですが、「(理由は)書いてあるよ~」と思ってました(笑)。
夏bot:英語の声明文も出したからね。
草稿:「もったいないね」とも言われましたね。うちらくらいの規模感のバンドっていない気がするので、貴重だったのかなって。大体バンドって、上に行くか下に行くかじゃないですか。でも、うちらは境界線上にいたから。
夏bot:良くも悪くも、ずっと中堅感を出してましたから。
■(笑)。2月8日のラブリーサマーちゃんとの対バンでも「そういえば、我々解散するんですよ」みたいなノリでしたし、「ANGURA」のインタヴューでも「あっけらかんとしてます」と言っていたので、整理できた上での解散だと思いました。
夏bot:ここに至るまでのプロセスが長かったので、いまさら思うことがあんまりないんです。
■去年の8月に解散が決まっていたそうですね。理由は明確に書いてありましたが、「現行の体制で足並みを揃えて活動を継続すること」が困難だとありました。メンバーのペースや生活との兼ね合い、ということでしょうか?
夏bot:音楽に対する姿勢ですかね。僕はマジで会社を辞めたいと思ってるんですけど、そうなりたいと思ってるのが僕だけだったので、埒が明かないなと。
■夏botさんのコメントが興味深かったです。「ひとつのバンドで何十年も活動を継続したり、アルバムを10作以上もリリースしたり、といった長きに渡る活動は端から眼中にな」かったと。
夏bot:それはほんとに考えたことがなくて。僕はビーチ・ボーイズが好きなんですけど、彼らは特に中盤から終盤にかけて駄作に近いものが多いですよね。数十年単位で活動を継続してく中でクリエイティヴなスパークを維持するのは、どう考えても不可能だと思ってます。特にジャンルの性質としても長々と、必要以上に活動を継続するのは美しくないと思ってたので、どこかでスパっと終わらせようと思ってました。
■そうだったんですね。
夏bot:実際、以前も「終わらせようかな」というタイミングがありましたし。セカンド・アルバム(『he(r)art』)のリリース直後とか、サード・アルバム(『New Young City』)を出してコロナ禍に突入した頃とか、モチベーションが下がったことがあったんです。なので、自然な成り行きではあるのが正直なところですね。
■バンドって永続できるものではないですよね。
草稿:どこかのライブハウスで「長くやるのもいいと思うんだよね」という話を夏botにしたら、「いや、それはちがうんじゃない?」と返されたことを覚えてますね。
夏bot:重鎮になりたくない、在野で居続けたい気持ちがあるんです。やっぱ人間、偉ぶり始めたら終わりだなと(笑)。ハングリー精神や探求心って、立場が安定するとなくなるので。実際、バンドが終わることになり、高校時代から使ってたMacBookを買い替えて、手を付けては諦めてを繰り返してたLogicを最近めちゃめちゃ使ってるんです。創作意欲がいつになく湧いてるんですね。安定した立場に身を置きつつあったバンドがなくなるとなったとき、音楽に対する探求心が改めて湧き上がったり、逆境に立ち向かってく気持ちが掻き立てられてて。活動期間が長くなるのは、クリエイターとして望ましくないんじゃないかな? と。
■区切りを付けたことで、次のことが考えられるようになったんですね。
eureka:私の場合、For Tracy Hydeに加入して生活が音楽に飲み込まれてく感覚があって、「ライヴでどうしたらちゃんとできるか」とかを四六時中考え続ける感じになってたので、一回リセットして、改めていろんなアーティストの音楽を聴いたりしたいんです。音楽と暮らしを、いい塩梅でやっていけたらいいなと思ってます。
草稿:僕は仕事が好きなので、仕事とバンドだったら仕事を取っちゃうんですよね。今後は仕事に集中できるな、という思いはあります。夏botが言ったとおり、同じ環境で続けてくのはよくないと思います、環境が変わった数だけ人間は成長すると思いますし。でも、居心地のよい場所がなくなったのは残念ですね。いまさらドラムが上手くなったような気がするんですけど(笑)。
■だらだら続けて馴れ合いになったら、バンドとしては危機的状況ですからね。
夏bot:馴れ合ってる感じはなかったと思います。良くも悪くも、メンバー同士そんなに仲が良くない(笑)。
一同:(笑)。
Mav:「遊ぼうぜ」、「飲みに行こうぜ」とかはないからね。
夏bot:ツンケンしてるとか空気が悪いとかではなくて、シンプルに普段の生活で関わりがないってことですね。
草稿:趣味も全員守備範囲がちがいますね。
eureka:一緒に仕事をしてる同僚たち、みたいな気持ちでした。
■夏botさんのコメントには「バンドとしての活動の一つの到達点」ともありましたよね。
夏bot:そうですね。ライドのマーク・ガードナーというバンド内外で共通してヒーローと見なされてる方と一緒に仕事をすることが経験できたり、アジア・ツアーをおこなったり、シンガポールのフェス(Baybeats)に出られたり、自分たちの規模感や音楽性のバンドだとまずないような活動がいろいろと経験できたので。もちろん継続してさらなる高みに到達する可能性はあるんですけど、100%あるわけではない。特にコロナ禍以降、音楽業界が停滞気味で、規模が縮んでしまった感が否めないので。そうなったとき、一か八かの賭けに出るより、ここらで一旦区切った方がいいなと。
■なるほど。
夏bot:あと去年、ソブズのラファエル(・オン)から「アメリカ・ツアーが斡旋できるかもしれない」という話があったのですが、メンバーに切り出したとき、アメリカに行きたいと思った人間が僕以外にいなかった。
■個々の仕事や生活との兼ね合いで?
夏bot:ええ。僕には音楽活動する上でアメリカとイギリスをツアーで回れるくらいまで行くというのは大きな目標としてあるので、アメリカ・ツアーがこのバンドで望めないとなった時点で、自分の中で整理が付いたことも大きかったです。なので到達点だし、これ以上はあるかもしれないけど、それが必ずしも自分が望んだ形ではないかもしれない、ということで引き際かなと。
■実際、アルバムもライヴも素晴らしいので残念ではありますが、ここで終わることに対する説得力は感じます。
Mav:ライヴのクオリティはいまがいちばんいい、高いよね。
夏bot:ここ最近、本当に悔いがないですね。
■ピッチフォークに『Hotel Insomnia』のレヴューが載った後、解散の報が載ったのは驚きました。
草稿:レヴューが載った当日じゃなかった?
Mav:コントみたいだった(笑)。
夏bot:ピッチフォークは独立性を保ってるので、事前のやりとりはまったくなかったんです。なので、たまたまそういう因果だったという。外からは相当、不思議な見え方をしてたと思います。
Mav:ピッチフォークに載ったから解散する、みたいな(笑)。
夏bot:海外ファンがほんとにそういう冗談を言ってたよ(笑)。
■『Hotel Insomnia』のレヴューはバンドへの理解と知識に基づいた、かなりしっかりとした内容でしたね。
夏bot:ええ。ただ、ライターはアジア系の方だと思います。アジア圏の音楽に触れてくれるのは結局、アジア人だけなんじゃないか? という思いは払拭しきれませんでした。白人主体のインディ・ロック・シーンにおいて、東洋人として一撃を喰らわせるには至らなかったんじゃないかなと。
■一方で、ソブズなどは欧米で評価されつつありますよね。
夏bot:ソブズは風穴を空けてくれるんじゃないかなと、期待してる部分は少なからずありますね。
■フォトハイの活動を通じて得た喜びや感慨についてお聞きしたいです。
eureka:言いたいことはたくさんあるんですけど、海外に行ったときにみんながシンガロングしてくれたり、そういうのはすごく嬉しかったですね。国内外問わず、うっとりした熱い視線やキラキラした目で見上げられたことがない人生だったので、私的にそれは初めて見た景色でした。普通に生きてたら経験できないことだと思うので、それが私のいちばんの宝、ファンのみなさんに頂いた景色ですね。
Mav:Baybeatsのステージだったり年始のCLUB QUATTRO(2022年1月10日)だったり、「普通にバンドをやってたら、こんな大勢の人たちの前でやることはなかっただろうな」という場所でやれたのは大きいですね。あとは、僕は9月に仕事の出張でシンガポールに行ったんですけど、最終日の夜にソブズやコズミック・チャイルドが借りてるスタジオに行って、夜通し飲みながら好きな音楽を爆音で流しながらすすめ合ってたんですよ。異国の地でこんなことをやる人生ってあんまないよな……と感慨深かったですね。あとはやっぱり、エゴサしてる瞬間は「生きてる!」って感じ(笑)。
夏bot:結局、インターネットなんだよな~。
Mav:インターネット育ちなので。
■(笑)。
草稿:僕は普段旅行をしないので、バンドの用事がなかったら海外にも、大阪ですら行かなかっただろうし、そんな機会があるバンドにいられただけでよかったと思います。あと最近、バンド界隈の人たちとカードゲームをやってるんですけど、そういうコミュニティができたのもよかった。
Mav:君、バンド界隈の人たちといちばんプライベートで遊んでるよね。
草稿:バンド界隈ってもはや思ってないんだけどね。
夏bot:日本のシューゲイズ・シーンはマジック・ザ・ギャザリングのプレイ人口が多いらしいです。
草稿:みんな、陰キャなんじゃないですかね。外交的な陰キャ、みたいな(笑)。
eureka(ヴォーカル/ギター)
私らしく自分で歌いたいって気持ちでレコーディングに挑んだのがいままでとのちがいですね。私は結局、誰か風に歌っても私の歌にしかならないので、それがいいところだと言われるけど、それを一回全部捨ててみたい気持ちがありました。(eureka)
■ラスト・インタヴューになるので、バンドの歩みを振り返りたいと思います。始まりは2012年、夏botさんが宅録を始めたことと考えていいのでしょうか? とはいえ、バンドで演奏することを前提に制作していたそうですね。
夏bot:大学に入りたての頃にバンドをやってたんですけどすぐ空中分解しちゃって、それがトラウマになってたんです。それで、ひとりでチルウェイヴを作ったりしてたんですね。そんな中、後にBoyishを結成する岩澤(圭樹)くんが「Friends(現Teen Runnings)というバンドがめちゃめちゃかっこいい」と言っててFriendsを好きになり、一緒にライヴを見に行くようになって。その過程でSuper VHSとかミツメとか、いわゆる東京インディのバンドを知っていったんです。同時代の海外シーンと共鳴しながら日本で独自の音楽を作ってるバンドがいることが衝撃だったので、自分もそういうシーンに加われるバンドをやりたいと思ったんですね。2012年の春頃に岩澤くんがBoyishでライヴをするようになったことに刺激を受けて、バンドで演奏できる曲を作るようになりました。
■最初の作品は『Juniper And Lamplight』ですか?
夏bot:その前にBoyishとのスプリット(『Flower Pool EP』)を出しています。それを出したのが2012年9月なので、そこをバンドの始点と仮定しています。
■そこに、メンバーが加わることで発展していった。
夏bot:最終的にベースのMavくん、ドラムのまーしーさん、ギターのU-1というラインナップになり、ラブリーサマーちゃんが参加した時期が1年あって、ラブサマちゃんが脱退してeurekaが加入して、という感じですね。紆余曲折があって、メンバーがかなり入れ替わってます。それ以前も含めるともう3、4人いるんですけど、数えてくとキリがないので。
Mav:初代ドラマーのMacBookとかね(笑)。
■ラブサマちゃんが加入してリリースしたEP「In Fear Of Love」のCDを無料で配布していたことをよく覚えています。夏botさんがおっしゃったとおり、当時の東京インディは面白くて刺激的な時期でしたよね。
Mav:関西のトゥイー・ポップ周りも元気で面白かったよね。
夏bot:そうね。Wallflowerがいて、Juvenile Juvenileがいて、Fandazeがいて……。いまの方がバンドの母数が多くて理解してくださる方も多いんですけど、あの頃ならではの刹那的な輝きがあったなと未だに思い返しますね。仲間が少ない中、みんな試行錯誤して、面白いイヴェントをDIYでやろうとしてる感じがありました。
Mav:いろんな人がZINEを作ったり、オガダイさん(小笠原大)のレーベルのAno(t)raksがネット・コンピを出したり。僕もソロで参加してました。
夏bot:“Youth In My Videotapes”名義でね。
■ソーシャル・メディアの黎明期で、Hi-Hi-Whoopeeに象徴されるブログ・カルチャーを介して情報が広がっていく動きもありましたね。For Tracy Hydeはその後、『Film Bleu』でP-VINEからアルバム・デビューを果たします。このアルバムはいま聴くと、タイトルどおりフレッシュな青さを感じますし、eurekaさんの歌もちょっとちがいますね。
草稿:いま、eurekaはマスクの下でめちゃくちゃ苦い顔をしてます(笑)。
eureka:録り直せるなら録り直したい(笑)。録音したのは加入して2、3週間後で、最初に録ったのは“Sarah”(“Her Sarah Records Collection”)と“渚”だったと思います。録音したものを聴いて、「私ってこんな声なの?」と思ったのがそのままCDになってます(笑)。
夏bot:この頃は「歌に感情を込めないのがいい」という謎のポリシーがあって、それを彼女に強いたらめちゃめちゃ戸惑ってしまって。
eureka:セカンドからは好き勝手に歌ってよくなったんですけど、ファーストのときはとにかく「かわいくならないようにニュートラルな感じで、無感情で歌って」と言われて、全然わからなかったですね(笑)。
夏bot:聴き返したら、演奏もアレンジも全然なってねえなって思っちゃいますね(笑)。唯一、いま聴くことができない自分の作品。でも、不思議と根強く支持してくださる方がいらっしゃるんですよね。
Mav:最近のライヴ物販でも未だにCDが売れるからね。
夏bot:解散を発表してから「ファーストの曲をライヴで聴きたい」という声がめちゃめちゃあるのですが、やりようがない(笑)。
Mav:編成上の都合があるからね。
■音楽的には渋谷系成分が多めに感じられますし、すごくポップでいろいろなことにトライしている印象です。
夏bot:良くも悪くも、海外インディの解像度がめちゃめちゃ低かったと思います。いかんせんプロダクション周りのことを何も知らなかったので、ノウハウがないまま「ザ・1975っぽい音にしたい」とか「ダイヴ(DIIV)みたいな音にしたい」とか、そういう試行錯誤の跡が残ってますね。
Mav:単純に2012年から2016年までの曲が全部入ってるから、作った期間が長いんですよね。
夏bot:(曲が)古いんだよね。
■先日、夏botさんの「新譜案内等に『シューゲイズ』という言葉を入れるだけで出荷枚数が3桁単位で減るという時代が10年くらい前にはありました」というツイートがバズっていたじゃないですか。そのこともファーストのサウンドに関係しているのかなと。
夏bot:その情報は友人のバンドマンがレーベル・オーナーから聞いた話なので僕が直接損害を被ったわけではないんですけど、それでも当時のうちらの担当者も「シューゲイズ」という言葉を使うのを渋ってたので、業界内でそういう認識は共有されてたと思います。レコード屋さんのポップでも「チルウェイヴ×アニメ文化」みたいな不思議な書かれ方をされてて、本質はそこじゃない気がするんだけど、でも「シューゲイズ」って言うわけにはいかないしな、というモヤモヤ感がありましたね。
取材:天野龍太郎(2023年4月24日)