Home > Interviews > interview with Shuta Hasunuma - 蓮沼執太の考える音楽、そしてノイズ
ぼくたちは音を耳だけで聴いているわけではないんです。いろんなシチュエーションがあって「あ、いい音だ」って思うんですね。いい音だと思って録っても、たいていいい音にならない(笑)。
■蓮沼さんの音楽のもうひとつ大きな特徴として、電子ノイズがありますよね。アンダーグラウンドでは珍しくない試みですが、蓮沼さんはより広い層に、クリーンなものだけではない音の魅力を伝えようとしているように感じました。
蓮沼:どんな音楽にもノイズは存在します。オーケストラにもノイズはありますし、極論をいえば生きているだけで社会にはノイズはある。それが音楽作品にも入ってくるんじゃないかな……。それと、エラーや失敗、ミスは通常ネガティヴなこととしてとらえられますが、ぼくはそういう偶然起きたことを面白く思うタイプなんです。グリッチももともとはエラーからはじまっていますよね。30代に入ってからアナログ・シンセサイザーを使うようになったんですが、サイン波をいじるだけでグリッチが発生するんですよ。それを変調させることでいわゆるシンセの音になっていく。そのアナログのアルゴリズムが身体的にわかってきて、その観点から見てもやはりどんな音にもノイズは含まれている。100%ピュアなものってないのではないかと思いますね。
電子音のいいところは、基本的に出しっぱなしなところです(笑)。音楽の世界でそんなものってほかにないですよね。とくに初期のシンセサイザーは電源につないだら、オシレーターはずっと鳴らしっぱなしで、それをどう制御していくかみたいなところがある。ふつう、音はポンとアタックがあって、徐々に消えていくものですが、電子音はずっとブーンと鳴りつづける。大げさにいえばそこに永遠性があります。そこにも惹かれますね。
■蓮沼さんの音楽では、そうした電子音ときれいなピアノの旋律が一緒になっていたりします。それらは蓮沼さんのなかで同列ですか?
蓮沼:空間性のない電子音と空間性を含む生楽器の響きは音として同列ですね。もしかしたらぼくの場合はもう少しサウンド寄りに捉えているかもしれません。
■サウンド寄りというのは?
蓮沼:音楽になっていないというか(笑)。いや、音楽として成立してはいるんですけれど、いわば「弱い音楽」で、非音楽的な要素が多い状態がいいな、と。
■「弱い音楽」って素敵なことばですね。
蓮沼:最近ほんとうにそう思っていて。音楽が溶けていく状態というか。
どんな音楽にもノイズは存在します。オーケストラにもノイズはありますし、極論をいえば生きているだけで社会にはノイズはある。それが音楽作品にも入ってくるんじゃないかな……。
■新作はソロ・アルバムですが、多くのゲストが参加してもいます。各々の個性がけっこう出ているように感じたんですが、それぞれどういう流れでオファーしていくことになったのでしょうか。
蓮沼:今回の曲は2018年ころからつくりはじめているんですが、当時はブルックリンに住んでいました。日本にいたころよりは仕事をおさえていましたので、わりと自分の音楽をつくる時間がとれて、未完のものがたくさん溜まっていったんです。そこで、「この音だったらジェフ・パーカーに弾いてもらったほうがいいかもしれない」のようにアイディアが浮かんで、オファーしていった流れです。
■なるほど、では以前セッションした録音が残っていて、それを流用したのではなく、新作のためにオファーしていったのですね。
蓮沼:灰野敬二さんとの曲(“Wirkraum”)はセッションから生まれていて、そういう経緯でした。灰野さんとはコロナ禍に何度か一緒にライヴをしたことがあって、そのときのリハーサルですね。灰野さんは歌うのみでギターは弾かないというルールがあって、このリハをやったときは笛を吹いたりしていらっしゃったんですが、こんな機会はなかなかないですからずっとレコーダーをまわしていました。3時間くらいのセッションでしたが、それをチョップして、さらにぼくが音を重ねて完成させましたね。
■それは日本で?
蓮沼:日本ですね。
■ジェフ・パーカーとは以前から面識があったんでしょうか? 4曲目でジャズ的なムードが来たなと思ったら彼が参加していたので驚きました。
蓮沼:共通の知人がいました。連絡先を教えてもらって、「聴いてみてほしい」とデモを渡したんです。そうしたら「いいよ」という反応で嬉しかったですね。ジェフ・パーカーの大ファンなんです。
■“Selves” では、小山田さんがけっこうロッキンなギタープレイをされていますよね。小山田さんとはどういう経緯で?
蓮沼:小山田さんとは2020年に渋谷で即興演奏をやったことがあって、互いに「いいね」「またやろう」という話になっていたんです。今回の制作中にそのときのレコーディングを聴いて、「この部分いいな」と思うものがあって。それで、「この感じで一緒にできませんか?」とお尋ねしたらOKしてくださったんです。ある程度 “Selves” の骨格をつくって小山田さんにお渡ししたら、ギターを入れて返してくださいました。
■それはいつごろですか?
蓮沼:去年の末くらいだったと思います。
■そうすると、おそらく新作『夢中夢』をつくっているのと近いタイミングですよね。
蓮沼:そうそう、ちょうど新作をつくっているというお話も聞きました。
■“Sando” にはコムアイさんと、雅楽演奏者の音無史哉さんが笙で参加されています。
蓮沼:じつはこの曲はもともと、表参道のクリスマス・イルミネーションのためにつくった曲だったんですよ。完全にコミッションで。コムアイさんにはそのとき声を入れてもらって、異なるアレンジでじっさいに街で流れていたんですよね。コロナ中でしたが。でもそれだけでは終わらせたくないなという思いがあって、しっかりアレンジしなおしました。
音無さんはフィルにも参加してもらっているんですが、このときはまだ加入前ですね。ティム・ヘッカーが雅楽をやったことがありましたよね。そのとき音無さんもレコーディングに参加していたんです。今回の曲と合いそうだと思ってお声がけしました。
■音無さんは最後の曲にも参加していますね。この2曲と、新垣睦美さんが三線、三板(さんば)などで参加されたエレクトロニカの “Fairlight Bright”。この3曲がアルバムに独特の質感をもたらしていると思いました。
蓮沼:九州大学の城一裕さんという方がいて。The SINE WAVE ORCHESTRA というプロジェクトなどをやられているんですが、九大のスタジオにフェアライトCMIがあると伺って、かなり触らせてもらいました。その音でつくったのが “Fairlight Bright” です。ただ、そのままだとたんにフェアライトなだけだなと思って、新垣さんに参加していただきました。新垣さんも以前、『メロディーズ』を出したときのツアーの沖縄公演で参加していただいていたんですね。それで相談して快諾いただいて。
■“Vanish, Memoria” ではグレッグ・フォックスが、なんともいえないドラムを叩いていますね。彼もおそらくニューヨーク在住ですよね。
蓮沼:ほんとうになんともいえないドラムですよね(笑)。ぼくがブルックリンにいるときに知り合って、友人のひとりです。今回の曲は、もともとは蓮沼執太フィルのために書いてもらった曲なんです。でもタイミングが合わなくてレコーディングができていなかった。お気に入りの曲でしたので、なんとかしたいと思い、ドラムは残しつつ、管楽器や弦楽器のパートをすべてシンセに変換して、石塚周太くんにギターをお願いして、という流れで完成させました。この曲のグレッグと石塚くんにかんしては、最初にひとが決まっているかたちでしたね。
■多くの方とコラボされているアルバムですが、いちばん大変だったのはどの曲でしょう?
蓮沼:コラボレーションの曲ではないですが、2曲目の “Emergence” かなあ。ビート主体の曲なんですが、これは苦労しました。通常の曲であれば、ふだんから素材をたくさんつくっていますので、その素材さえよければわりとすぐ完成させられるんですよ。でもこの曲は、なかなか完成に向かわない素材ばかりで。5つのセッション・ファイルを組み替えて無理やり1曲にしたのが “Emergence” なんです。それぞれ完成を夢見ていた5つの素材が一緒になった曲ですね。「emergence」ということばには「創発」という意味があって、異なるものが合わさることでそれぞれちがう要素が独自の働きをするというような考え方があるんです。セッション自体は5つともそれぞれ生きていたんですが、それを一気にまとめたほうがよさが際立つというか、足し合わせることでコントラストや不思議な展開が生まれました。これまで曲づくりでそういうことはあまりしたことがなかったので、大変でしたね。
基本的には音楽は人間ありきですよね。そこで、人間中心的すぎることをいい加減そろそろ見なおしたほうがいいのではないかと考えるようになりました。コロナも大きかったですね。アテンション・エコノミーというか、行きすぎた資本主義はどうにかならないか、みたいなこともコロナ中には考えていました。
■アルバム・タイトルについてもお伺いしたいのですが、ひとを意味するピープルに否定の「un-」がついています。直訳すると「非‐人びと」といいますか、これにはどのような意図が?
蓮沼:人間を否定したいわけではないんです。「人間よ、いなくなれ」ということではない。ただ、「人間はいなくなるのか?」というひとつの問いの、トリガーのようなものになればいなと思ってつけました。2018年に出した蓮沼執太フィルのセカンド・アルバムのタイトルが『アントロポセン』だったんですが、それ以前からパウル・クルッツェンが提唱している人新世という言葉含めて、人類の活動が地球に及ぼす影響だったり、エコロジーに関心がありました。同時期に資生堂ギャラリーで「 ~ ing」という個展もやっているんですが、そのときも本格的に「人間とモノ」とか「人間と社会」の関係性を見直さなければいけない時期に来ているんじゃないか、という思いがありました。当時、それこそ学生のころに読んでいたエコロジーの思想だったり、現代的な資本主義にかんする本をたくさん読み直しました。その後、コロナ禍になってしまいましたけれど、それらの影響がかなり色濃く出たタイトルになっているんじゃないかなと思います。
■読み直していたのは、どういう本でしたか?
蓮沼:12曲目の “Wirkraum”。タイトルは、ユクスキュル&クリサートの『生物から見た社会』(岩波文庫)という本からとりました。「Wirkraum」は、環世界の諸空間のひとつで、作用空間と呼ばれています。目を閉じて手足を自由に動かすとき、われわれは方向と広がりを認識できます。この空間のことを指します。前述のセッションのときに、灰野さんが目を閉じて、両手を回したんです。このとき、ぼくのなかで空間の認識を考える瞬間があって、最終的にこのタイトルになりました。古い本ですので鵜呑みにしているわけではないんですが、ものごとを考えるうえで現代でもヒントになると思います。ほかには、エマヌエーレ・コッチャというひとの『植物の生の哲学』という本だったり。ジル・クレマン、ティム・インゴルド、ティモシー・モートン、竹村真一さんなど。コッチャもそのあたりの思想家たちと同様に語られるような方で、「植物には哲学や思想がある」というようなことをいっています。逆に、フロランス・ビュルガ『そもそも植物とは何か』という著書は、植物には感覚も知性もない、といい切った、鋭い角度の論考でとても興味深い本です。社会学分野だと、京都賞を受賞したブルーノ・ラトゥール『地球に降り立つ』という本もよく読みました。
■とても興味深いです。そういった背景を踏まえてアルバムを聴くと、またちがった音の世界が広がるように思います。
蓮沼:そうした背景はデザイナーの田中せりさんにもお伝えしていて、アートワークにもあらわれていると思います。まずはひとが映らない窓を撮影して。窓って人間がつくったものですよね。その窓からのぞく環境が、時間とともに変化していくものはどうでしょうとご提案いただいて、配信のシングルはそういうふうにしています。
音楽って結局は、人間の可聴範囲で聴ける音でつくられるものですよね。どう考えても人間以外のものに音楽は無理だと思うんです。もちろん植物とか、あるいは酵母に音を聴かせるみたいな実験もあるんですけど、基本的には音楽は人間ありきですよね。そこで、人間中心的すぎることをいい加減そろそろ見なおしたほうがいいのではないかと考えるようになりました。コロナも大きかったですね。アテンション・エコノミーというか、行きすぎた資本主義はどうにかならないか、みたいなこともコロナ中には考えていました。
■そこまでいろいろと深く考えて音楽をつくっている方って、日本ではなかなかいないと思うんですよ。それこそ坂本さん亡きあと、蓮沼さんがそれを担っていくことになるのではないかと、期待をこめて思っています。
蓮沼:いやいや。みんなでやっていきましょう、という感じです(笑)。
■坂本さんの思い出や印象深かった出来事があれば教えてください。
蓮沼:ぼくは坂本さんの息子・娘の世代にあたりますので、坂本さんもおそらくそういう年代の子、という感じで接してくれていたのではないかなと思います。ぼくがニューヨークに引っ越したときもたくさんお世話になりました。ぼくも映画や文学やアートが好きですが、坂本さんにはいつも「どうして、そこまで知っているんですか!?」と驚かされました。そうやってさまざまな分野のお話ができる音楽家はほかにいないですね。たとえば映画監督と映画の話をして共感したりすることはありますが、音楽家と「夏目漱石の……」と明治文学の話にはなかなかならない。
■坂本作品でいちばんお好きなのは?
蓮沼:デイヴィッド・トゥープと即興演奏されたレコーディング作『Garden of Shadows & Light』。かっこいいですよね。
■おお、そこでトゥープとの作品があがるのはなかなかないですね。
蓮沼:すごくいい即興だなと思います。ああいうふうにご自身がやってきた音楽を解体できること、解体して即興でみせることはふつうのひとには絶対にできない。技術をこえたところで、ものすごいことをされています。坂本さんの音楽の展覧会のようなことを考える思考や方向性って、ぼくがサウンド・インスタレーションでやろうとしていること、いわゆる音楽とは異なる美術の手法を導入してどう時空間をつくりあげるかということと、近しいと思うんですね。空間の話もよくしてくださいました。そんな話ができるミュージシャンはほんとうに少ないです。
■蓮沼さんはソロからインスタレーション、フィルまで非常に多くのプロジェクトを抱えておられますが、ご自身の音楽活動の核になるもの、ホームはどこにあると思いますか?
蓮沼:うーん、難しいですね……悩みます。もちろん中心には核がありますが、それらがすごく大きな円を描いて、その円周がホームになっている感じですかね。中心ではなく。つねに自分が動きまわっていて、いつの間にかこことあそこがつながっているというようなことが多くて。移動するホームですよね。
■遊牧民のような。
蓮沼:それも、地図を見て「次は右に行くぞ!」というように動いているのではないというか。問題意識をもってつくることもあれば、たまたま行きつく場合もある。かならずしもレコーディング作品をつくることがホームでもないですし。もちろんレコードをつくることも自分にとってすごくたいせつなことなんですが、ホームではないですね。いろんなところを移動していくホームですね。
■今後のご予定をお聞かせください。
蓮沼:新作が出るころには終わっていますが、恵比寿のPOSTというギャラリーでリリース記念の展示をやります。写真がメインの展覧会で、その写真が撮影された場所でフィールド・レコーディングした音と、『unpeople』の各曲で使ったトラックからひとつの音を選んだものと、片方ずつ鳴っている展示です。そのあとは、『unpeople』のパフォーマンス&インスタレーションをやる予定で、準備をしているところです。
『unpeople』特設サイト
https://un-people.com/
蓮沼執太
1983年東京都生まれ。蓮沼執太フィルを組織して、国内外での音楽公演をはじめ、映画、演劇、ダンスなど、多数の音楽制作を行う。最新のリリースに蓮沼執太&U-zhaan『Good News』(日本 / 2021)。また「作曲」という手法を応用し物質的な表現を用いて、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンス、ワークショップ、プロジェクトなどを制作する。2013年にアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)のグランティ、2017年に文化庁・東アジア文化交流史に任命されるなど、国外での活動も多い。主な個展に「compositions : rhythm」(Spiral、東京 / 2016) 、「作曲的|compositions」(Beijing Culture and Art Center、北京 / 2017)、「Compositions」(Pioneer Works 、ニューヨーク/ 2018)、「 〜 ing」(資生堂ギャラリー、東京 / 2018) 「OTHER “Someone’s public and private / Something’s public and private」(void+、東京 / 2020) などがある。また、近年のパブリック・プロジェクトやグループ展に「Someone’s public and private / Something’s public and private」(Tompkins Square Park 、ニューヨーク/ 2019)、「太田の美術vol.3「2020年のさざえ堂—現代の螺旋と100枚の絵」(太田市美術館、群馬 / 2020)など。
第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。
www.shutahasunuma.com
取材:小林拓音(2023年10月06日)
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