「ele-king」と一致するもの

interview with Kuro - ele-king

 昨年リリースの TAMTAM のアルバム『Modernluv』は、それまでバンドが経てきた音楽的変遷の最新報告として、既存のファン以外を含む多くのリスナーにその魅力を知らしめることとなった。そのリリース時にも ele-king ではメンバーの高橋アフィとKuroにインタヴューを敢行し、豊富な音楽的バックグラウンドや卓越したセンスに迫ることができたが、今回はヴォーカル担当の Kuro による初のソロ・アルバム『JUST SAYING HI』の発売に際して、彼女の単独インタヴューをお届けする。
 バンド活動と並行して制作されたという本作、一聴して聞き取れるのは内外の最新系R&Bやヒップホップ、各種ビート・ミュージックとの強い共振だ。TAMTAMにおけるバンド・アンサンブル志向を一旦脇に置き、自身による奔放な作曲を交え気鋭のトラックメイカーたちを集結して制作されたその内容は、単に「ヴォーカリストのデビュー作」と呼称するにとどめることのできないヴァーサタイルな魅力に溢れている。
 ソロ活動開始のきっかけや各種トラックメイカーのチョイス、彼等との興味深いやりとり、自身の音楽的興味の現在、いまを生きる女性アーティストとしてのライヴリーな視点、作詞家としての美学とその矜持など、さまざまなトピックについて語ってくれた。


自分を爆発させたい、みたいな感覚があって。頭を空っぽにして、気分やノリみたいなものを大事に歌おうと思いました。ピッチを守ることとかより「オラッ」って勢いを出したいと思って。

ソロ活動は以前からやろうと思っていたんでしょうか?

Kuro:TAMTAM の活動をメインにしつつ、誰かとコラボしたりソロだったり、バンド以外の活動も増やしていきたいとは思っていたので、いつか良いタイミングがあればやりたいなとは思っていました。それを今年やることになったのは、レーベルの方から年の頭に提案をもらったというのがきっかけですね。

元々ソロ用の曲も作っていたんでしょうか?

Kuro:バンド用かソロ用かは別にして新曲のデモは定期的に作っていましたね。でも、今回それらの曲は結局全て入れなかったんです(笑)。正式にソロ・アルバムを作るとなって色々方針が見えてきてから作ったものですね。

「これはバンド向け」これは「ソロ向け」と差別化して曲を作ることはあまりしない?

Kuro:TAMTAM のデモを作るときは、ドラムや鍵盤、ギターとか、バンドの編成をなんとなく念頭に置いて作りますね。

今回はそういうのをとっぱらって作った?

Kuro:自分で作ったトラックに関してはそうですね。打ち込んだものが最終版になるというつもりで作曲したと思いますし、ベースレスだったりドラムの音色もエレクトリックが前提だったり。トラックメイカーに頼んだ曲についてはアレンジも含めヴォーカル以外は基本お任せにする形だったので、自分は歌に関連することだけに集中するという意味でまったく違う作り方でした。それぞれの方に作ってもらったトラックへ自分で作ったメロディーとコーラスラインと歌詞を集中して載せていくという工程でした。

もらったトラックを元にキャッチボールをする感じ?

Kuro:そうです。自分が仮歌を録音して送り返したものに対して、少し調整してもらったりしています。

なるほど。いわゆるシンガーソングライター的な作り方とソロ・ヴォーカリストへの楽曲提供的な制作法の中間のような形だったんですね。

Kuro:まさにそうですね。

昔からソロ・シンガー的なスタイルに憧れはありましたか?

Kuro:それが全然なかったんですよね(笑)。自覚的に音楽を作り始めたのはバンドが最初なので、メンバーと一緒に曲を作って歌うヴォーカル担当という意識が強くて、そもそも「シンガーです」というつもりが最初は特になくて。デビューしてから友達が増えていくに従って、ようやく徐々に世の中にはシンガーソングライターというソロ活動の世界があるんだな、とか実感できたような感じなので。

リスナーとしてはR&Bソロ・シンガーの音楽を好んで聴いていたんでしょうか?

Kuro:そうですね。TAMTAM はバンド形態ではありますけど、昔からリスナーとしては打ち込みトラックのものもバンドも分け隔てなく聞いていますし、ネオ・ソウル、レゲエやR&B、ヒップホップなどのポップ・ソングが歌のバックグラウンドにはあると思います。でも当時は「ソロ・シンガーになりたい、歌でやっていきたい!」とかは一度も思ったことないですね。特にフォーク的なシンガーソングライターと自分は距離があるなあと思っていました。

自分のジャンル的好みとして?

Kuro:好みの問題もあるかもしれないですが、自分が歌うことを除けば好きなアーティストは多いので、単純に自分との相性ですかね。

今回、トラックメイカーに発注せず自身でトラックも含め作っている曲も2曲(“HITOSHIREZ”“FEEL-U”)ありますね。これはどんな機材で作っていったんでしょうか?

Kuro:元々 TAMTAM のデモ作りでも使っているんですけど、DAWは Ableton Live です。

打ち込みやダンス・ミュージック制作に適したDAWですよね。

Kuro:そうですね。でも、最初に買ったときはそういう判断軸はなくて単にバンドのみんなが使っているから程度の理由だったんですけど。いま思うとMIDI編集がスムーズだし、音源多いし便利で良かったなって。

通常のバンド用のデモ制作とは別に、いわゆるビートメイク的なことは前からやっているんですか?

Kuro:趣味的な感じなら結構やってます。それをこれまで世の中に出していることはあんまりないんですけどね。TAMTAM の最新アルバムに入っている“Nyhavn”が打ち込みだったり、生と打ち込みのミックスした曲があったりはします。

ビヨンセがコーチェラで「女性のヘッドライナー少なすぎない?」って言ったとき、はっとした部分はありました。日本のバンドに置き換えて考えると女性人口が圧倒的に少なくて、さらに女性が歌うバンドで自身で曲を書く人となるとほとんどいないんですよね。男性が女性をプロデュースしていることも多いし。

近頃DTMも大きく市民権を得て、色んなジャンルの人が自らの音楽を自宅で作っていますよね。DAWの発展や普及と歩調をあわせて日本のインディー音楽も凄く多様に展開してきたなあと思います。

Kuro:私が生まれた頃よりハードルは格段に下がっているでしょうね。デモを作るだけで色々操作法を覚えていきますし、最近は YouTube とかで簡単にハウツー動画を見られたりするので、自分たちもそんな中で TAMTAM での制作含めて、どういう音像を作りたいかということへかなり意識的になっていると思います。

この2曲、ほかトラックメイカーの人たちとも違うソリッドなカッコよさがあるなあと感じました。

Kuro:ありがとうございます。確かに自分でも自分以外の人が作らなさそうな曲ができたなという気がしていて。トラップを土台にしたり、普段バンドでできないことをやろうと思って作業していたんですが、でき上がったものを聴くと結果的に TAMTAM の曲に通じる要素も多い気がして(笑)。嬉しい発見だったし、自分の個性や癖が浮き彫りになったようにも思いました。

実際の作業も全てひとりで?

Kuro:ミックスの面では自分の知識だけだと自信を持ちきれなかったので、TAMTAM メンバーの高橋アフィさんを若干頼りました。イメージする音像に近づけたかったし、普段やらないということもあって色んな人の意見を聞きたかったので。

それ以外の曲におけるトラックメイカーの人選や発注はどのように進めていったんですか?

Kuro:最初は自分で全曲トラックを作ってみようかなとか、TAMTAM のメンバーを交えて生演奏の曲も作ろうかなとかいろいろ考えていたんですが、来年バンドのアルバムを出せればという予定もあって、あまり手一杯になってしまうのもよくないなと思って。で、これまでの活動で実際に出会ったり自分が好きで聴いていたトラックメイカーの人たちに頼んでみるのが面白いかも、と思って。なので、まずは近しい人からお願いしていった感じです。

初めはどなたに声を掛けたんでしょうか?

Kuro:ji2kia さん。以前彼の音源を聴いてすごくカッコいいなと思っていたから、まず連絡して。「良さそうなストックがあれば歌をのせたいので、聞かせて欲しい」って言ったら、それなら新しく作るよって言ってくれて。その次は ODOLA。“Metamorphose Feat. Kuro (TAMTAM)”という彼らの曲でフィーチャリング・オファーしてくれた経緯があったし、いい後輩って感じで慕ってくれるので。

Shin Sakiura さんは?

Kuro:Shin さんは今年の3月にTAMTAMで共演したのがきっかけですね。そのイベントでのライヴをみて、こういうメロウな楽曲で1曲は思い切りエモーショナルに歌ってみたいって思って。トラックメイクはもちろん、ギタリストとしても素晴らしい方です。

EVISBEATS さん。

Kuro:EVISBEATSさんは実はこの中では唯一お会いしたことのない方なんですが、レーベルのスタッフに曲の方向性を伝えたらアイデアとして頂いて、それですごく良さそう! と思ってお声掛けして。制作にあたっても対面でなくメールでやりとりさせていただいた感じです。普段ヒップホップのアーティストにトラックを提供していることが多い印象だったので、今回は歌とラップの中間的なものを狙えたらいいなと思っていて。そしたら凄くいいトラックが来て。ただ、エヴァーグリーンな感じのトラックで自分の歌がうまくハマるのかは心配だったんですけど、完成したら自分でも初めてなぐらいオープンな雰囲気の、器の大きい曲になって。こういうところがEVISBEATSさんパワーなのかなと感動しました。

君島大空さん。

Kuro:トラックメイカーの方に声を順次掛けていくなかでアルバムの最終的なバランスもなんとなく想像ができるようになって。で、あえて全然テイストの違う作風の人に頼んでも面白いかもと思って、君島くんに声をかけました。彼にお願いした“虹彩”だけは自分の作ったデモが先にあって、それのリアレンジをしてもらうような形で作ってもらいました。ギターをがっつり入れてくれて、かなり雰囲気が変わりました。

「こういう音楽性で」というイメージを各トラックメイカーへ発注の段階で伝えたんでしょうか?

Kuro:発注にあたって私と各トラックメイカーの間に共通言語があったほうがいいなと思っていたから、リファレンス的な音源を渡しながら依頼しました。「このアーティストのこの曲の雰囲気が好きだ」っていう、自分の趣味を伝えるようなプレイリストをいくつか作って相談していきましたね。全曲に共通するトーンとして、バンドでの曲よりもフロアユースなものにしたかったので、そのあたりも意識して伝えました。

たしかにアタックの強い低音感を含めて全体的に現場での鳴りが意識されている印象を受けました。一方で ji2kia さんや君島さんの曲にはアンビエント的なテイストも感じます。

Kuro:そうですね。順序的に制作の最初の方に見えてきたのがそのふたりの曲だったんですが、それがわりとアンビエント寄りのものでした。それはそれで凄くいいなと思ったんですけど、自分の嗜好として完全にそういうタイプでもないので、もう少しぱきっとしたピースも入れたいと思って、Shin さんの曲でそういう相談をしたりしましたね。

そういった制作法だと、最終的に全体をまとめ上げるのがなかなか一筋縄ではいかなさそうですね。

Kuro:私も最初はそう思っていたんです。バラバラで聴いていると疲れるようなアルバムではなくてスムーズに繰り返し聴けるものにしたかったので。色んな人に頼んだっていうことで正直不安はあったんですけど、最終的に自分が歌うと予想以上に自分の色でまとめることができたのは、歌う人間として嬉しかったです。それでいて、やはり各曲違うテイストがあってそれぞれ味わえるみたいな感じになったかなと。もちろんトラックメイカーさんやエンジニアさんのチューニング力はあるものの、ですね。

ミックスはどういった形で?

Kuro:オケのミックスは各トラックメイカーさんに9割型お願いしました。その後、歌録り、歌とオケとのミックス、マスタリングの3つは big turtle STUDIOS でやりました。そのお陰でさらにまとまったと思います。いま思い出したんですが、“TOKIORAIN”は最終ミックス終了の2時間前にそれまでとまったく違うオケのステムが ji2kia さんから送られてきてめちゃくちゃびっくりしました(笑)。最初は4つ打ちのビートが全体に敷かれているような曲だったんですが、もっと冒険的なものがマスタリング当日に送られてきて。でも、それがとても良かった。

それは焦りますね(笑)。でもその効果もあって、アルバム終盤に向けて凄くよい流れになっている気がします。

Kuro:そうですよね。

一部の曲でギターとトランペットの生演奏も入っていますね。特に“FOR NOTHING”でのアイズレー・ブラザーズのようなギター・ソロは強烈です。

Kuro:そうそう、凄い勢いのあるテイクですよね(笑)。TAMTAMのライヴ・サポートをやってくれている Yuta Fukai 君に弾いてもらって。今回、制作期間中TAMTAMでカナダへツアーに行っていて、それが終わった後サンフランシスコに住んでいる Fukai くんのお姉さんの家に泊まりに行ったんです。そこでくつろいでいるときに録ったのがこのギター(笑)。特にフレーズも決め込まずに2~3テイクちゃちゃっと弾いてもらって、いちばんよかったひとつを選ばせてもらいました。最後の方でしれっと爆発的なソロをぶちこんでいて、プレイバックしたときは笑っちゃいました。

全編構築的な印象のアルバムの中で、あそこだけ生のセッション感があって面白いです。トランペットはどなたが? 曲に陰影を与えるようなプレイが素晴らしいですね。

Kuro:今回あえて私が吹かずに、友達の堀君(Kyotaro Hori)に頼みました。以前から彼のトランペットが凄く好きで。技巧的な奏者ならたくさんいると思うんですけど、わかりやすく海外アーティストで例えて言うとクリスチャン・スコットみたいな。そういうセンスを持っているジャズ・トランペッターは貴重だなと思っていて。これもとくにフレーズを決めず、アドリブ的に3テイクくらい吹いてもらったんですが、どれもめちゃくちゃ良くて。歌詞で表現したかったことを楽器の音色ひとつで広げてもらったような気がしています。

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テレビドラマとかワイドショー見て気持ち悪いと思って消したり、しかもそれが世間的には人気番組だと知って、生きにくいなーと思ったり。「世の中そういうものだよね」って言うほうが共感を呼ぶのかもしれないけど、「そういう世の中間違ってるよね」と気づかせてくれる物語が好きですね。

フィジカルな感覚ということでいうと、これまでフィーチャリング・ヴォーカルでソロ参加している曲とくらべて、歌声に肉体性が増していると感じました。あと単純に凄く巧くて、スゲーって思って。

Kuro:それは嬉しいです。

レコーディングにあたって意識的にヴォーカルの鍛錬をしたんでしょうか?

Kuro:鍛錬というような鍛錬はしていないですけど、歌い方の差でいうと、以前は「フィーチャリングで呼ばれたからには、人様の作品だしちゃんとしなきゃ」みたいな思考だった。それに比べると今回は逆に自分を爆発させたい、みたいな感覚があって。頭を空っぽにして、気分やノリみたいなものを大事に歌おうと思いました。ピッチを守ることとかより「オラッ」って勢いを出したいと思って。TAMTAMのライヴも最近そんな感じですけど。

体を動かすように歌っている感じがしました。

Kuro:そうですね、実際踊ったり体動かしながら歌録りしましたね。

少し話題を変えて。今作を聴いてまず思ったのは、欧米のR&Bの最前線との音楽的共振でした。最近のご自身のリスニングのモードがそういったものなんでしょうか? レーベルの資料にも H.E.R. やシドの名前が書いてありますが、そういったシンガーに共感する部分がある……?

Kuro:そうですね、ただいわゆる“ディーヴァ系”みたいなものは最近はあまり聴いていなくて。ジョルジャ・スミスや H.E.R、マヘリアのようなポップ・シンガーは聴いていて気持ちいいし好きですけど、「歌唱力」が魅力の中心に来すぎると自分の趣味とは少しだけ違うかもと感じることがあります。むしろトラップだったり、女性の歌ものでもソランジュや IAMDDB みたいな、ディーヴァっぽさからズレたものを聴くことが多いです。シドもその部類だと思って。でもいまって歌ものとラップとのの境目もだんだんなくなってきていますよね。

確かに。

Kuro:バンドの生音と打込み系の境もなくなってきていたり。私も普段はバンドをやっていますけど、好んで聴くのは打込み系の方が多いかもしれないですね。

それはどうしてそうなっていったんだと思いますか?

Kuro:新譜を聴くのが好きなんですが、打込み系のほうがカジュアルに楽曲リリースされているイメージがあって、数も多いので自然と……(笑)。バンド系は満を持して大作を出す、みたいなイメージまだまだあります。特に国内。もちろん例外はあるし、あくまで傾向ですけど。

リアルタイムで情報を早く摂取していくっていうのは以前から意識的にやってきたことなんでしょうか?

Kuro:学生時代とかは1枚のCDを何回も聴いたりすることもありましたけど、サブスクや配信になったせいか、自分で作曲をするようになったからかわかりませんが、新しい音楽好きというところに拍車がかかった感じはあります。あとはやっぱり、TAMTAM のメンバーにニュー・リリースを聴きまくる高橋アフィさんがいるので、周りの人はその影響を受けざるを得ないというのもありますね(笑)。

北米ツアー中に見つけた絵葉書で、スヌープ・ドッグのポートレートが書かれたものがあって、それに「JUST SAYING HI」って書いてあって。スヌープが好きだし「あ、これいいじゃん」って(笑)。

ちょっと話題を変えて……先日来日して大きな話題になったジャネール・モネイなどもそうですが、自立した新しい女性アーティスト像がいまR&Bやダンス・ミュージックのシーンでクローズアップされていて、これまでにないクールなアーティスト観を提示してくれていると思っているんですが。

Kuro:うんうん。

もしかするとそれをポップ・カルチャーにおける新しいフェミニズムの興隆と捉えることも可能かと思うんですが、Kuro さんはそういったものへ呼応していこうという意識はあったりしますか?

Kuro:幸運なことに自分の活動や周りで音楽をしている人は、古いジェンダー感覚を持つ人は少ないように思えます。TAMTAM のバンド・メンバーも、良くも悪くも中性的な人間が多いですし。なので、自分が呼応って意味だといままではなかったんです。ただビヨンセがコーチェラで「女性のヘッドライナー少なすぎない?」って言ったとき、確かにはっとした部分はありました。例えば日本のバンドに置き換えて考えると女性人口が圧倒的に少なくて、さらに女性が歌うバンドで自身で曲を書く人となるとほとんどいないんですよね。男性が女性をプロデュースしていることも多いし、TAMTAM もそう見られることもあったり。

なるほど。

Kuro:今回はその意味で、シンガーとしての作品でもあるんですけど、ソングライターとしての自分のスタンスを周りに伝えることはかなり積極的にやっています。普段 TAMTAM でおこなっていることと同じではあるんですが、自立したミュージシャンである自分を主張しているつもりです。

国内外含め社会一般的的には保守化が進んでいるという意識はある?

Kuro:世間一般の話になると、違和感を覚える、間違っていると思うことは増えましたね。とある民放のテレビドラマとかワイドショー見て気持ち悪いと思って消したり、しかもそれが世間的には人気番組だと知って、生きにくいなーと思ったり。女性でもLGBTでも男性でも、ステレオタイプな見方がさも常識的なもののように描かれているとひいてしまいます。「世の中そういうものだよね」って言うほうが共感を呼ぶのかもしれないけど、「そういう世の中間違ってるよね」と気づかせてくれる物語が好きですね。

以前 TAMTAM の『Modernluv』リリース時のインタヴューでも話したと思うんですが、Kuro さんの書く歌詞は、どちらかというとそういう社会的なイシューよりも個人の感情の機微や街の風景といったものを描いているという印象があって。今回はそれがさらに研ぎ澄まされた感じがします。

Kuro:それは嬉しいです。音楽に乗せる歌詞はそういうものが多いですね。自分が歌詞を好きになったきっかけは「あれが正しい、これが間違っている!」ということを言うものじゃなく、単純に美しさだったので。今回は特に、制作期間とツアーで北米に行っていた期間が被っていることもあって、街を歩きながら歌詞を考えたりして、その景色や気分で書きたくて。

なるほど。

Kuro:特に“PORTLAND”という曲はそういう雰囲気が色濃く出ていると思います。ツアーの行程が全て終わった後っていうのもあったし開放的なマインドでした。ポートランドはご存じの通り全米有数のリベラル・シティでもあるので刺激も多くて。自分の部屋ではかけない歌詞が書けた気がします。

自分が置かれる環境によって創作がかなり左右される?

Kuro:自分のメンタルに左右されますね。気分や思考の癖を変えるために、環境を変えようとすることがあります。単純にネタ探しってこともあるけど、これまでの TAMTAM の曲もどこかに行ったり、誰かと話してできることが多かったです。自分の部屋でスマホいじって……みたいな環境にずっといるとよく行き詰まる。

たしかに、今の東京の雰囲気からはこの歌詞は出てこないだろうなと思いました。

Kuro:ああ~、そうだと思います。

一方で他の曲、とくに“HOTOSHIREZ”や“MICROWAVE“、“TOKIORAIN”などは、ラヴ・ソングの形を取りながら、その向こう側に先行きの分からない不安感や刹那的な感覚もある気がして。「この先どうなるかわからないけど今夜は遊ぼう」的な、若干逃避的な気分を嗅ぎ取ったりしたんですけど。

Kuro:ああ、なるほど……たしかにその3曲は都内で歌詞を書いてますね(笑)。東京は湿度が高いし、ちょっとした陰鬱さが似合うというか……。

それも含めてやはりどこかに日本的な要素を感じ取れる気がするんです。恋愛における心の機微とか、どこか湿度のある風景描写とか、そういうものが歌詞として抑制的な曲調に乗せられると特にそれを感じて。

Kuro:うんうん。

ざっくりした言い方で恐縮なんですが、ユーミンっぽさっていうか……。それは結構意識している?

Kuro:今回具体的に狙ったりはしていないですが、自分が歌詞を書き始めた頃の理想にはありましたね。情景描写がとても綺麗で、自分のことのように思えてくる素朴なトピックとか。むごいことでも綺麗に表現をするとか。

聞き手の感覚として、ラヴ・ソングを書くってすごくエネルギーが必要な作業なんじゃないかなって思ってしまうんです。子供の頃にユーミンを聴いて「この人はどんなすごいドラマチックな恋愛をしているのかしら?」とか思ったりしたけど、いまになってあれはいわゆる恋愛体質だとかどうとかいうより、むしろポップス作家としてのプロフェッショナリズムの為せるものなのかなとおもったりして。

Kuro:それはとても分かりますね。私自身も恋愛のトピックは多くても、ラヴ・ソングの体裁を借りていることが多いです。

短編小説的に、美しいフィクションとして提示する?

Kuro:それができていれば良いなあと思いますね。でも一方で“HITOSHIREZ”のようにトラップっぽい曲だと、作家的というより、より自分が主体で書いたかもしれないです。トラップって、瞬間の瞬発力を感じるものがよくて、ポップス的な作詞の仕方をしてしまうと妙に器用で嘘くさく見えてしまうというか。最初はなかなか歌詞を書くのが難しかったんですけど、トピックが見つかってからは勢いでガーって勢いで書いちゃいました。こういうビートだと言葉のスピード感が大事な気がしました。

先程話した刹那的感覚にも通じる話なんですが、アルバム・タイトルの『JUST SAYING HI』って、すごくポジティヴなフレーズにも聞こえつつ、とりあえず「ハイ!」って言わざるを得ない的なニュアンスにもとれるよな……と思ってしまったたんですが、このタイトルってズバリどういった意味が込められているんでしょうか?

Kuro:今回、実際に曲が上がってない状態で先にアルバム・タイトルとトラックリストをつけようと思って、内容的な部分や主張を反映しすぎないタイトル付けにしたんです。ソロ第一弾だし単純に「クロです! よろしく!」みたいな挨拶っぽい感じにしたくて。あと、たまたま北米ツアー中に見つけた絵葉書で、スヌープ・ドッグのポートレートが書かれたものがあって、それに「JUST SAYING HI」って書いてあって。スヌープが好きだし「あ、これいいじゃん」って(笑)。

そうだったんですね。つい悲観的な性格が出て深読みしてしまいました(笑)。

Kuro:(笑)。アーティスト名も初めは Kuro って名前じゃなくて、ソロ・プロジェクト用の別名をつけようと思って色々考えていたんですけど、悩んでこねくり回していくうちにどんどん偽物っぽく思えてしまって(笑)。Kuro だから Kuro でいいし、アルバム・タイトルも単純明快っていう感じを目指しました。

最後の質問です。今後ライヴ含めソロ活動はどういう形で展開していきそうでしょうか?

Kuro:TAMTAM のアルバムを来年出したいって心に決めて並行して新曲を作ったりしているので、そんなにガシガシとソロばっかりとかは思ってないんですけど、ありがたいことにイベントに声をかけてもらったりするので、そういう場所にはなるべく出ていきたいなと思っています。フィーチャリングも楽しいのでたくさんしたいです。

ソロ名義のライヴはどういう編成になるんでしょうか?

Kuro:最初はラップトップ一台でとかも考えたですけど、この夏旭川に TAMTAM の小編成版でライヴをしに行ったとき、このアルバムに入っているソロ曲もいくつかやってみたんです。ベースとドラムと、私が鍵盤を弾く3人編成で、かつオケも流して演奏するっていう編成をアフィさんが提案してくれて。完全に生楽器にコンバートしちゃうんじゃなくて、あえてオケも交えてゴチャっとした出力のライヴが面白いなあって思っています。

確かにそれはカッコ良さそう。

Kuro:あとは Shin くんがギターとマニピュレーションやっていいよと言ってくれているので、2人セットもありかなって思っています。ひとりでオケをポン出しして歌うとかはまだ、楽しくやれるかわからないな。幸いにも面白がって協力してくれる人がいるので、ソロ活動とはいえども周りにいる誰かしらを巻き込んでワイワイと活動していきたいなと思っています。

Sequoyah Murray - ele-king

 アトランタといえばいまじゃトラップのいわば聖地だが、セコイア・マーレイ(Sequoyah Murray)を虜にしたのはグライムスだった。そして彼はエレクトロニック・ミュージックに興味を抱き、地元のDIYコミュニティや即興/ジャズのシーンに出入りした。マーレイが今年の5月に〈スリル・ジョッキー〉からリリースしたデビューEP「Penalties Of Love(恋の罰)」は、“黒いアーサー・ラッセル”としてこぞって評価されているが、22歳になったばかりの若者の才能には、もっとさまざまな感覚が詰まっているという点において自由で、魅惑的かつ新鮮であることが先日リリースされたばかりのファースト・アルバム『Before You Begin』によって明らかになった。
 3オクターヴほどの音域を行き来しながら、バリトンヴォイスを自在に操るマーレイのヴォーカリゼーションは、ありし日のビリー・マッケンジーのようである。たしかにアーサー・ラッセル風だった「Penalties Of Love」とはまた違って、『Before You Begin』はグライムスの影響から来ているのであろうシンセポップ風の曲もあることも一因となって、色気と荘厳さを兼ね備えたマッケンジーを彷彿させる。つまり、イヴ・トゥモアがデヴィッド・ボウイならこやつはロキシー・ミュージックだ。恋がはじまったら、やがて終わりゆくであろうその甘美な時間は、しかし終わってはならない、断固として。

 両親ともに音楽家で、家にはプロのドラマーの父が作ったスタジオがあるという恵まれた環境で育ったセコイア・マーレイはポップスも大好きで、とくにビヨンセのファンであることを公言している。終わってはならない甘美な時間はポップスの本質でもあり、本作においてはミルトン・ナシメントとトロピカーナからの影響もあるそうだ。色気に満ちた声と実験性のあるポップ・サウンド(ゴスペル、アフロ、ラテン的サイケデリア)との素晴らしい結合は、この先大きな舞台にも昇りそうではあるが、ある記事によると今年ベルリンでマイク・バンクスに感銘を受けたというから、この若者はまだまだいろんなものを吸収していきそうである。
 近年はOPNであるとかローレル・ヘイローであるとか、ドレイクやジェイムス・ブレイクもしかりだが、ゼロ年代後半に脚光を浴びはじめた人たちもすっかりベテランと呼べるような年になって、そして同時に今後10年に重要な働きをしそうな若い世代が出はじめている。が、それにしても“Penalties Of Love”はキラーすぎる。

プライベート・ウォー - ele-king

 国境なき記者団(RSF)の発表によるとシャルリー・エブド襲撃事件が起きた15年に世界中で殺害されたジャーナリストの数は110人に及び、紛争地以外でジャーナリストが殺されるという傾向はこの年から強くなったという。昨年はトルコの領事館でサウジアラビアのジャマル・カショギや、ブルガリアでEUの不正会計を調べていたビクトリア・マリノバと同じくスロバキアのヤン・クツィヤクが殺され、アメリカでもキャピタル・ガゼット紙が襲撃されるなど殺害されたジャーナリストの数でアメリカが世界第5位に入るという現象まで起きている。それ以前はやはり戦場や紛争地帯が主な殺害場所であった。世界中で88人のジャーナリストが犠牲になったという12年は圧倒的にシリア、そして、ソマリアとパキスタンでジャーナリストの多くが亡くなり、そのなかのひとりである英サンデー・タイムズの特派記者メリー・コルヴィンがシリアで死亡するまでを追った伝記映画が『プライベート・ウォー』である。彼女は明らかに戦争中毒だった。レバノン、イラク、チェチェンと紛争地帯を渡り歩き、86年と11年にはカダフィ大佐への取材に成功している。

 タミール・タイガーと接触するところから話は始まる。MIAの父親が指導層にいたことで知られるスリランカの武装グループであり、この時、銃撃戦に巻き込まれたことでコルヴィンは左目を失う。なかなか痛ましい始まりではあるものの、カメラが彼女の内面や葛藤に踏み込んでいく気配はない。コルヴィンに引っ張り回されて、いつのまにか自分も戦場に立っているような気がしてくる撮り方が続く。それこそキャサリン・ビグローがアカデミー賞をゲットした『ハート・ロッカー』(08)がイラク戦争を批判する目的で戦争中毒を扱ったのに対し、戦争そのものに深く考察を加える様子はなく、映画の主題はあくまでもジャーナリズムの意義に当てられている(監督自身は「ジャーナリズムへのラブレター」とコメントしている)。そして、それも、哲学や思想が彼女の戦争中毒を飾り立てるわけでもなく、なんというのか、「こんな女性がいたよ」といったクールな捉え方で、良いも悪いもなく、必要以上に心を揺さぶろうとする場面も差し挟まれない。メリー・コルヴィンの行動を広くパブリックに問うものではないという意味で『プライベート・ウォー』というタイトルにしたということなのだろうか。だとすれば、それこそ安田純平を巡って激しく巻き起こった自己責任論に直結してしまうタイトルである。

 2年後、コルヴィンはイラクにいる。大勢の人々がクエート人の遺体を掘り返している。サダム・フセインが処刑を実行したかどうかを確かめるためで、予想通り遺体は発見され、遺族たちは大きく泣き崩れる。これもコルヴィンのスクープとなる。ロンドンに戻ったコルヴィンはPTSDと向き合うことになり、治療のために入院するものの、作品のトーンは変わらない。戦場にいる時とまったく雰囲気が切り替わらない。マシュー・ハイネマン監督は「彼女の人生はゆっくりとコントロール不能なスパイラルに陥ってしまった」と表現している。そして、それは監督自身が麻薬カルテルや戦争ドキュメンタリーなどを重ねて撮ってきたことで「奇妙なスリルを感じ、心に闇が宿るような体験をしたこと」に通じるものがあると話している。そう、ハイネマンはシリア内戦を扱った『ラッカは静かに虐殺されていく』(17)というドキュメンタリー映画で大きな注目を浴びた監督であり、同作はハリウッド・セレブたちにある種の熱狂を呼び起こしたと伝えられている。そして、そのハイネマンが初めて手掛ける劇映画のプロデューサーに就任したのがシャーリーズ・セロンと、主役のメリー・コルヴィンを演じたのはロザムンド・パイクだった。セロンがフュリオサ大隊長の役で砂漠の大戦闘を繰り広げた『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』(15)はいまだ記憶に新しい。パイクも『ゴーン・ガール』(14)のことばかり言われるけれど、『プライベート・ウォー』の前には『ベイルート』(18)でやはりレバノン内戦を扱った映画に出演し、ヴァニティ・フェアに『プライベート・ウォー』の元になる記事が掲載されてから、コルヴィンにずっと興味を持っていたというのである(またしてもヴァニティ・フェア!)。ハイネマンも、セロンも、パイクもいわばコルヴィンと同じ「コントロール不能なスパイラル」に足を踏み入れているのだろう。彼らだけではない。コルヴィンが再びアフガニスタンの地を踏んだ時、観客も少なからず気分が落ち着いたのではないだろうか。戦場が非日常には感じられない空気があるとしたら、この作品は少なくともそれを表現することには成功している。戦場が怖くなくなってしまう感覚はクライマックスをクライマックスと感じさせない流れをつくり出していく。

『プライベート・ウォー』とは関係なく、続けて『ハミングバード・プロジェクト』を観に行った。監督のキム・グエンは題材の見つけ方がユニークで、彼の名前だけで僕はいつも観てしまう。とくに『魔女と呼ばれた少女』(12)は近年、アフリカを舞台にした映画ではベストに思えた作品である。ゼロ年代と比べて大作も減り、アフリカに対するヘンな幻想が再燃しているなか、同作が運んできた現実とファンタジーの融合は実に斬新だったし、続いて北アフリカのパイプラインをデトロイトの管理会社がモニターで監視するという『きみへの距離、1万キロ』(17)にはグローバリズムを生々しく体感させられ、奇抜な設定だけで呑み込まれてしまった。遠い距離を移動することがグエンの作品に共通するテーマのようで、それは『ハミングバード・プロジェクト』でも順当に繰り返されている。今度はニューヨークからカンザスまで地下ケーブルを引く話である。実話を元にしていて、それだけといえばそれだけ。株取引のために通信の速度を上げるのが目的で、「0.001秒の男たち」という副題は、観ていると、あーなるほどと思えてくる。ジェシー・アイゼンバーグ演じるヴィンセント・ザレスキは証券会社で働きながら地下にケーブルを引くことで飛躍的に株取引のスピードを早められると考え、アレクサンダー・スカルスガルド演じるシステム・エンジニアや投資家の大御所を口説いて大掛かりなプロジェクトを秘密裏にスタートさせる。この計画にサルマ・ハエック演じる社長のエヴァ・トレースが気づくかどうか。株取引のスピードを上げることに関してはトレースもかなり汲々としたものがあり、彼女は終始一貫、鬼のような経営者ぶりを見せる。『プライベート・ウォー』が戦争中毒なら『ハミングバード・プロジェクト』はまさに資本主義中毒である。戦争中毒と違って、資本主義社会に生きている者なら誰もがコントロール不能なスパイラルの入り口には立たされているわけで、その果てにいる人間たちを『ハミングバード・プロジェクト』は映し出していく。

 原作は、『マネー・ショート』(15)や『マネー・ボール』(11)を書いたマイケル・ルイス(今度はヴァニティ・フェアではなかった)。高速取引の実態を暴いた『フラッシュ・ボーイズ』(文藝春秋)がアメリカで刊行されると、株の高速取引は違法になったといい、これはこれでジャーナリズムのパワーを再認識させられるエピソードといえる。株の高速取引というのは、誰かが株を買おうとして発注をかけると、その株を買い終わる前に、対象となる株と同じ株を安く仕入れて、その株を掴ませてしまうことである。いってみれば時間を止める薬を手に入れて、自分の都合のいいようにパッパと株の配置を替えて、利益を上げるようなものである。それを回線の速さとアルゴリズムで実現していく。『ハミングバード・プロジェクト』が描くのはそのようなインフラ・マジックで、法律ができる前に新たな稼ぎ方をひねり出すという意味ではフロンティアの開拓である。日本の新自由主義者たちは既得権益を攻撃し、政府に規制を緩和させてビジネス・チャンスを得ようとするものが大半だろうけれど、この作品で展開されているのは誰かの分け前を分割して自分のところに引き寄せるのではなく、何もなかったところからお金を生み出そうという精神といってもいい。そして、キム・グエンが果たして、彼らをどのように描いているかというと、ハイネマンが描いたメリー・コルヴィンと同じように「この人は生きた!」という満足感を伴ったものになっている。彼らのやっていることにまったく否定的ではないし、ある種の青春映画のようなムードさえ漂わせている。そう、『プライベート・ウォー』と『ハミングバード・プロジェクト』を2本立て続けに観て、何かの中毒ではない僕はまるで「生きていないのではないか」という思いが残るほどであった。なんというか、自分を見失いそうである。

 ちなみに『プライベート・ウォー』の主題歌はアニー・レノックスが手掛けている。この作品を観て。彼女は8年ぶりに曲を書いたという。


『プライベート・ウォー』予告編

『ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち』予告編

Looprider - ele-king

 『バンドやめようぜ!』でお馴染みのイアン・F・マーティンのレーベル〈Call And Response Records〉の新たなリリースは、東京ストーナー・ロックの新世代、Looprider(ループライダー)が待望の新作『Ouroboros(ウロボロス)』。ベースレスの3人編成となったLoopriderの新境地は、メロディアスな側面が際立っており、Borisの面影もちらほら。ぜひ注目して欲しい。
 なお、アルバムのリリースにともない、9月22日(日)に東高円寺二万電圧でリリース記念イベントの開催も発表。ゲストアクトとして Melt-Banana、GROUNDCOVER.、P-iPLEが出演。東京のアンダーグラウンドなノイズ・ロック・シーンを体験しよう。

アーティスト: Looprider
タイトル: Ouroboros
発売日: 2019.10.02 on sale 品番: CAR-49
価格: 2,000円 (税抜)
レーベル:C​all And Response Record
https://callandresponse.jimdo.com/
https://looprider.com/


リリースイベント

2019.9.22 (Sun)
東高円寺二万電圧

Call And Response Records presents Looprider “Ouroboros” Release Party
Open: 18:00
Start: 18:30
Adv: 2,500円+1 drink
Door: 3,000円+1 drink
Acts: Looprider, Melt-Banana, GROUNDCOVER., P-iPLE

アス - ele-king

 タイトルだけを観て最初に考えたことはダヴィッド・モロー監督『正体不明 THEM』(06)と何か関係があるのかなということ。ルーマニアの初代大統領チャウシェスクは国の人口を増やすために堕胎と離婚を国民に禁じ、結果、ルーマニアの人口は増え、GDPを上げることに成功する(日本会議や安倍晋三には教えたくない政策だなあ)。しかし、無理に子どもを産ませれば歪みが出るのは当然で、子どもを育てられなくなる親はもちろんいるし、ルーマニアではストリート・チルドレンが社会問題化していく。そうした子どもたちのエイズ感染率の高さや、政府の特殊部隊として孤児たちが戦闘訓練を受けていたことも明るみに出るなど独裁政権の末路は壮絶なものとなる(本誌でも話題になったクリスティアン・ムンジウ監督『4ヶ月、3週と2日』(07)はチャウシェスク政権下で堕胎を試みることがどれだけ困難であったかを扱ったルーマニア映画)。『正体不明 THEM』はそうした史実を背景に持つ地味なフランスのホラー映画で、スパニッシュ・ホラーの評価を高めたアメナーバル監督『アザーズ』(02)の世界的なヒットを意識した演出だったことは明らかだった。「THEM」というタイトルがそもそも『アザーズ』を言い換えたとしか思えないし、少女とゾンビばかりでなく、「誰のことを怖がるか」ということがこの時期はホラー映画のトレンドになっていた。カメラに映っていたあれや『ミスト』のあれ、外の世界は放射能か化学兵器で全滅してしまったと言い張る農夫とか(あれはもっと後か……)。ちなみに僕がその当時、一番怖かったのはパク・チャヌク『Cut』(04)に出ていたエキストラ役でした。あの男は……怖かった。

「この世で一番怖いモンスターは自分自身ではないか」とジョーダン・ピール監督は考えたという。恐ろしいのは「THEM」ではなく「US」だと。海沿いの遊園地に遊びにきた黒人一家はそれなりに裕福な暮らしをしているようで、休みには別荘に出かけていく。別荘地には知り合いの白人一家もいて、彼らはビーチに寝そべり、裕福な人たちが言いそうな悪態をつき、この人たちは誰の役にも立っていない人たちなんだろうなということが印象づけられる。夜になると、家の外に誰かが立っていることに家族は気がつく。父親のゲイブ・ウイルソン(ウィンストン・デューク)は自分たちの家の敷地内から出て行けと彼らに向かって怒鳴るが、彼らは一向に立ち去る気配を見せない。それどころか、彼らは玄関を壊し始め、家の中へと押し入ってくる。それはウィルソン一家とまったく同じ4人家族。つまり、自分たち自身だったのである。監督のジョーダン・ピールが一昨年、『ゲット・アウト』でいきなりビッグ・ヒットをかましたことは記憶に新しい。(以下、ネタばれ)『ゲット・アウト』を観て、ジョン・フランケンハイマーが66年に撮った『セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身』が下敷きになっていると思った人は多いことだろう。カリフォルニアのヒッピー・カルチャーを変な角度から眺めることのできる『セコンド』は個人とアイデンティティの結びつきを絶対のものとしてではなく、最近でいえば『殺し屋1』のように書き換えることが可能だという認識のもとにつくられた作品で、キャリアの初期に『影なき狙撃者』(62)という大作を撮ったフランケンハイマーがさらにテーマを深めた傑作であった。僕が驚いたのは、『ゲット・アウト』だけでなく、『US』もまた『セコンド』にインスピレイションを得ている作品だということで、1粒で2度おいしいというか、カニエ・ウエストが単純に自分を黒人と同定できない時代につくられたブラック・ムーヴィーとして、奇妙なシンクロニシティを感じてしまったことである。マイケル・ジャクソンのように白人と黒人を対立項として扱えば議論が成立するという土壌の上にはもはやいない。『US』ではとにかく自分が襲ってくるのである。

 ジョーダン・ピールは映画のプロパーではなく、アメリカではむしろ『キー&ピール』というコメディ番組の製作者として知られている。『キー&ピール』の持ちネタにバラク・オバマが世界情勢について何かコメントすると、隣でオバマの本音が炸裂するというコントがあり、オバマがしたたかだったのは彼らをホワイトハウスに呼んで、このコントを一緒に演じてしまったことである(安倍晋三にはとてもできない芸当!)。ジョーダン・ピールはここでもひとりの人間を相反する要素に分解して見せている。カニエ・ウエストが何を言っているのかまるで一貫性がなく、全体としては整合性がないように、ジョーダン・ピールが描き出す人物像も統一された人格からはほど遠い。しかも、一方はかなり暴力的である。『US』は中盤以降、そうした自分への暴力行為の範囲がどんどん拡大し、別荘仲間であるタイラー夫妻の家にウィルソン一家が駆けつけたところで最初のクライマックスに達する。スマート・スピーカーを使ったギャグや軽妙洒脱なヴァイオレンスなど、このパートには見どころがたくさんあるのだけれど、このところどんな作品に出ても絶賛されるエリザベス・モス(映画『ザ・スクエア』でのコンドームの奪い合いとか)がここでも素晴らしい演技を見せ、鏡を見てニヤリとするシーンはトラウマ級のインパクトに感じられた。本当は主演のルビタ・ニョンゴを絶賛してしかるべきなんだろうけど(実際、熱演ではあった)、しかし、個人的にはモスに全部持っていかれちゃった感じです。ああ、モスちゃんに噛まれてみたい……なんて。

 ひとりの人格をふたつに分けて扱うのとは対照的に、この作品には一卵性双生児のタレント、タイラー姉妹が起用され、ふたりなのにひとり分の役割しか与えられていない。これもかなり意図的な演出なのだろう。また、この作品にはアメリカ大陸を横断する人間の鎖が登場するなど格差社会を批判する要素が持ち込まれているのは確かだけれど、そうなると最後のオチも複雑な入れ子構造になっていて、どこがどういう批判になっているのかすっきりはしなくなってくる。それこそカニエ・ウエストが「黒人は自ら奴隷になったとしか思えない」的な発言と重ねて考えると映画的な主体がどこにあったのかは少し混乱してくるし、説明的なところも気になり始める。問題意識は十分に伝わってくるし、ひとひねり加えたい気持ちはわかるけれど、最後は少し面白くし過ぎたのではないだろうか。そして、エンドロールにスティーヴン・スピルバーグの名前があったことはジョーダン・ピールがどこに向かうかを示唆していたようで、ある種の不安がこっそりと忍び寄ってくるのであった。

『アス』予告編

vol.120:私たちの親がしたことと反対のことを - ele-king


Via gothamis

 先週の金曜日(9/20)、ブロードウェイを歩いていると若者ばかり、すごい行列が出来ていた。またアイドルか何かのサイン会か、シュプリームかキースが新しいアイテムをリリースしたのかぐらいにしか見ていなかったのだが、後で聞くと、クライメート・ストライクのデモ行進だった。


Via gothamis

https://gothamist.com/news/liveblog-nyc-students-go-strike-demand-action-climate-crisis

 オーストラリア、インド、ドイツ、イギリスなど全世界150カ国で行われるクライメート・ストライクのひとつで、NYの生徒たちはこの日はストライクに参加するため、クラスを休むことが許されている。

 12時にバッテリーパークのフォーレイスクエアからスタート。16歳のスウェーデン人のアクティヴィスト、グレタ・トゥーンベリも参加し、「天候は、私たちが思うよりはやく変化している。私たちの親がしたことと反対のことをしなければならない。いまアクションが必要なのだ」とプラカードを掲げ、NYの道を練り歩く。

 すでにヒーロー扱いのグレタ・トゥーンベリは、9月上旬に二酸化炭素を排出しないヨットに乗り、2週間かけてヨーロッパからNYに到着した。主張するために、わざわざ大西洋を渡らないといけないなんて狂っている、という声もある。しかいま若者は、ソーシャル・メディアとテックツールを使いつつ、真剣に物事を捉えている。彼らには前世代のように夢を見ている暇はなく、恐れも知らない。親たちの尻拭いをしているとも言うが、ゆっくり考えるより行動するしかない。NYにいると、こういったデモ行進によくぶつかり、彼らのなんとかしなければ、と言う訴えが、突き刺さる。


Via gothamis

https://gothamist.com/news/photos-greta-thunberg-nyc-climate-strike

https://globalclimatestrike.net/

https://actionnetwork.org/event_campaigns/us-climate-strikes

 今日イーストハンプトンに住んでいる友だちから、いまNYにいると連絡が入った。仕事を休んで、UNのクライメートウィークに参加しに来ていたのだ。彼はとても興奮していたし、手応えを感じると言っている。


Via gothamis

https://www.climateweeknyc.org/

 トレーダージョーズやホールフーズではプラスティックバッグはもうないし、スターバックスではストローもない。大多数のマーケットはプラスティックの容器は廃止し、すべて紙になっているし、意識の高い人が多いNYは、これが普通なのだろう。ちなみみに、私がたこ焼きパーティを毎月やっているブッシュウィックのバーのストローはパスタだし、たこ焼きのお皿は竹である。

 普段の生活からこうなので、道を歩いているとデモにぶち当たり、いま何かが変わろうとしているのだなと、いやでも気づかされる今日である。ベネフィットショーが行われ、たくさんのサミットやイベントがあり、今週はますますNYがひとつになるのが見えた。

R.I.P. Daniel Johnston - ele-king

 私はかつて外国人にサインをねだられたことがある。ひとりはサーストン・ムーア、もうひとりがダニエル・ジョンストンである。最初にサインしたのはダニエルだった。21世紀になってはいたが、もう何年も前のことだ。だれかにサインを書いたのはじつはこのときがはじめてだった。サイン処女というものがあるなら、この言い方はいまだとジェンダー的によろしくないかもしれないが、私はそれをダニエルに捧げた。私は当時雑誌の編集部員で、取材でダニエルに会ったとき、彼は手渡した号の表紙をしげしげと眺め、この本はあなたが書いたのですかとたずねた。正確にはダニエルが隣のオヤジさんに耳打ちし、オヤジさんが通訳の方に訊ねたのを彼だか彼女だかが私にそう伝えたのだった。私はその質問に、雑誌なので全部私が書いたのではありませんが、編集はしましたと答えた、するとまたオヤジさんがサインをしてくださいとにこやかに述べられた。私はサインなどしたこともなかったので、おどろいてかぶりをふったが、外国では著者が著書にサインするのは至極あたりまえのことなのだと、のちにサーストンに諭され納得したが、そのときは恐縮しきりだった。楷書で書いた私の名前にダニエルは満足そうだった。その印象があまりに強烈で肝心のインタヴューの内容はほとんど思いだせないが、彼のビートルズへの愛の一端にふれた感覚はかすかにのこっている。ポールやジョンの話をするとき、ダニエルはなんというかきらきらと輝くのである。その発光の具合はほかの音楽家との対話ではなかなかえられない曇りのない純度だった。

 ダニエル・ジョンストンは1961年にカリフォルニア州サクラメントで敬虔なクリスチャンの家庭に5人兄弟の末の弟として生をうけた。第二次世界大戦に従軍経験のあるパイロットだった父親の仕事の都合でウエストバージニアに移ったダニエルは当地で熱心に絵を描き、ほどなくして作曲にも手をそめはじめる。たしか9歳のころでした、私はピアノを叩いてホラー映画のテーマ曲をつくりました、とダニエル・ジョンストンは公式ホームページのバイオグラフィで述べている。とはいえ湯水のように湧きでる自作曲を記録するところまでは頭がまわらなかった。彼がカセットテープに自作曲をふきこみはじめたのは十代にはいってしばらくたってから。多感な時期の音楽の影響源はボブ・ディランニール・ヤング、セックス・ピストルズに、もちろんビートルズがいた。おもに友だちにくばるのに録音したカセットテープは双極性障害と統合失調症に悩まされたダニエルの他者との交感のための媒介であるとともに、移り気な自身の精神の記録媒体でもあった、私はいまにしてそのように思うが、録音という行為はおそらく、彼の念頭で瞬く音楽の速度にはおいついてはいなかった。
 ゆえにダニエル・ジョンストンにおいて音楽はしばしば「失われた録音(Lost Recording)」としてたちあらわれる。『The Lost Recordings』とはダニエルの83年のカセットのタイトルだが、そこにはピアノ基調の弾き語りが細かい文字でしたためた日記のようにびっしりつまっている。初期ビートルズを彷彿する楽曲はティーンポップの面持ちで、アレンジの工夫はほとんどみられないものの、作曲のセンスは非凡このうえないが、そのポップでキャッチーなメロディに賞賛をおくろうとしたときにはもう次の歌がはじまっている。愛着も執着もなく、歌ができたから歌う、歌うからまた歌がうまれる、日々の営みにおいて歌は「録る」ときすでに過去のものであり、録音物は失われたものの残像にすぎない――あらかじめ失われゆく才能の底知れなさ、あるいは無垢さと狂気をあわせもつ歌唱でリスナーをなごませつつおののかせたのが『The Lost Recordings』とその続編にあたる『The Lost Recordings II』を発表した1983年だった。この年はジョンストン家がテキサス州ヒューストンに越した年でもあるが、環境が変わり一年発起したのかなにかの堰を切ったのか、同年ダニエルはほかに『Yip / Jump Music』『Hi, How Are You: The Unfinished Album』など、彼のキャリアでも重要作と目されるアルバム(カセット)をたてつづけに発表している。
 ことにあとにあげた2作はあのニルヴァーナのあのカート・コベインに影響を与えたことで、ダニエルの知名度を高めるきっかけにもなった。というのも、『Nevermind』のメガヒットを受けた1992年のMTV主催の「ヴィデオ・ミュージック・アワード」でコベインが『Hi, How Are You』のジャケットをあしらったTシャツを着用したこと、コベインの死後に刊行した『日記(Journals)』の「ニルヴァーナにとってのトップ50」に『Yip / Jump Music』があげていたこと、これらのお墨つきでで、90年代なかばにはダニエルは全国区のカルトスターの座に躍りでたのである。もっともその少し前、80年代終わりから90年代初頭にかけても、ダニエルはハーフ・ジャパニーズのジャド・フェアとの共作『Daniel Johnston And Jad Fair』(1989年)をだしていたし、ユージン・チャドボーンらとのショッカビリーの元メンバー──という紹介がこのご時世にどれだけ伝わるかははなはだ心許ないが──であるクレイマーがボング・ウォーターやらをリリースし意気軒昂だったころの〈シミー・ディスク〉からも、やはりジャドやソニック・ユースの面々らの助力を得て『1990』(1990年)をものしていた。私はダニエルの音楽をちゃんと聴いたのはこのアルバムが最初だったが、「ぼくは悪魔の町に住んでいた──」と歌いだす“Devil Town”にはじまり、神の降臨を言祝ぐ賛美歌風の“Softly And Tenderly”で幕を引くこのアルバムの剥き身の歌心と、宗教心の裏にひそむ、赤むけの怒りや恋情に、60年代のフォークとか70年代のシンガー・ソングライターとか、そういった言い方ではあらわせない産業化以前の音楽のてざわりを感じた憶えがある。当時はそれをあらわすうまいことばもみつけられなかったし、いまでもうまいことばのひとつも書けないわが身を呪うばかりだが、たとえばアラン・ローマックスやハリー・スミスのデッドストックというか、米国建国当時の入植地の空気感が色濃くのこる片田舎の古道具屋の片隅に置き去りのままのSP盤の埃だらけの盤面に刻まれた音楽というか。不易流行はむろんのこと、時空さえ捻れさせるなにかを私はそこに聴いた気がしたのである。

 ロウファイなるタームはいまでは音響と同じく録音の風合いをさすことばになった趣きもあるが、ダニエルやハーフ・ジャパニーズやゴッド・イズ・マイ・コーパイロットやらをさしてロウファイと呼びならわした90年代前半には脱形式的な方法を意味していた。パンクともポストパンクとも、フリーや即興ともちがう、直観的で身体的なその方法論は当時、鵜の目鷹の目でグランジの次を探しもとめる好事家のみならず、熱心なロック・ファンをもにぎわせた記憶もある。すなわちオルタナティヴの一画だったということだが、そのような風潮をあてこんだ唯一のメジャー作『Fun』(1994年)はダニエルの作曲の才と瑞々しい声質に焦点をあてたものの、その背後の野蛮さと狂気をやりすごしていた観なきにしもあらあらず。ふつうのオルタナなる言い方は本来語義矛盾だとしても、ポップな才覚と特異なキャラクター(の無垢さと純粋さ)の図式のなかに整理しすぎてはいなかったか。括弧つきの「アウトサイダー」としてダニエル・ジョンストンを捉えることは至便だがそこで抜け落ちるものもすくなくない。アウトサイダーとはおのおのの実情に即した雑多な振幅そのものであり、ダニエル・ジョンストンほど性も俗も清も濁もあわせもつ歌い手はそうはいないのだから。むろんそのようなことはおかまいなしに、ダニエルは曲を書き歌い、初対面の人間にサインをねだり、また曲を書いた。病状は一進一退をくりかえしたが、人気もおちついた分、理解者の裾野は広がりつづけた。2000年代なかばには、ジャド・フェアとティーンエイジ・ファンクラブら古株からマーキュリー・レヴやらベックやらTV・オン・ザ・レディオやら、オルタナティヴの大立て者が参加し御大トム・ウェイツが〆たカヴァー集+自作曲集2枚組『The Late Great Daniel Johnston : Discovered Covered』(2004年)がでたし、2005年にはジェフ・フォイヤージーグ監督による映画『悪魔とダニエル・ジョンストン』も公開した。めまいのする出来事――そのひとつに、同乗した飛行機乗りだった父親のセスナを墜落させたエピソードがある――に事欠かないドキュメンタリーはグランジやロウファイにまにあわなかった観客にもダニエルの人物像を伝えるのにひと役買ったかもしれない。あれから15年弱、干支がひとまわりするあいだの活動は以前よりは散発的だったが、それでもときおり届くリリースのニュースに、私は健在ぶりを確認してうれしかった、その矢先、ダニエル・ジョンストンは58歳に短い生涯を閉じた。海外メディアが伝えるところによると、彼ののこした音源は優にアルバム一枚分のヴォリュームがあったという。失われた録音はこんごさらに増えていくであろう。私はそれらをリリースするなら、なるべく手をくわえずのままにだしてほしい。おそらくそこには時間と空間を同時に志向する「生の芸術アール・ブリュイット」たる音楽だけが届く場所が記録されているだろう。できればカセットがいいな。

interview with Moonchild - ele-king

 ケンドリック・ラマー、アンダーソン・パーク、フライング・ロータス、サンダーキャット、カマシ・ワシントン、テラス・マーティン、ジ・インターネットなど、さまざまなアーティストたちで賑わうロサンゼルスとその近辺の音楽シーン。現在、世界的にもっとも活況溢れるシーンが形成されているのだが、その中で3人組のネオ・ソウル・グループとして確固たる足取りを残してきたのがムーンチャイルドである。
 マックス・ブリック、アンドリス・マットソン、アンバー・ナヴランからなる彼らは、2012年のデビュー・アルバム『ビー・フリー』に始まり、2014年の『プリーズ・リワインド』、2017年の『ヴォイジャー』と、これまでに3枚のアルバムを発表してきた。アンバー・ナヴランのヴォーカルを中心としたネオ・ソウル的な側面がフォーカスされがちな彼らだが、実は3人は大学でジャズの器楽演奏や作曲などを学び、そこから生まれたグループなので、そのベースにはジャズがあるとも言える。だからムーンチャイルドの楽曲には彼ら自身が演奏するサックス、フルート、トランペット、クラリネットなど多彩な管楽器がフィーチャーされ、その芳醇なアンサンブルが一番の聴きどころなのである。ライヴ演奏を観ると、そうした彼らの魅力がより伝わってくるだろう。
 また、いろいろとゲスト・アーティストがフィーチャリングされ、一体誰の作品なのかよくわからないことが多いいまのアルバム制作だが、ムーンチャイルドの場合はほとんど3人のみで演奏や制作がおこなわれ、自身の音楽や個性に磨きをかけている点も共感が持てる。新しいアルバム『リトル・ゴースト』ではさらに演奏する楽器も増え、さらに成長した彼らの姿が伺える。


ストリングス以外のほとんどすべての楽器を自分たちで演奏したっていうのは確かで、自分たちが演奏したものを自分たちでミックスした。その点でいうと、全工程を3人だけでやっているわけだから手作り感は強くなっているかもしれないね。 (マックス)

ニュー・アルバム『リトル・ゴースト』の完成おめでとうございます。早いものでファースト・アルバムの『ビー・フリー』から数えて4枚目のアルバムとなります。まずデビューからここまでの活動を振り返って、どのように感じていますか?

アンドリス・マットソン(Andris Mattson、以下アンドリス):僕たちの誰も予想していなかった、夢のような旅になったと思ってるんだ。でも、僕たち自身はファースト・アルバムを作っていた頃と何も変わっていない。そして同時に、このメンバーじゃないとできなかったことだと思ってる。

アンバー・ナヴラン(Amber Navran、以下アンバー):完璧な答えね! 私も同意するわ。

南カリフォルニア大学ジャズ科のホーン課程でアンバー、マックス、アンドリスが知り合い、意気投合して演奏や楽曲制作をおこなうようになってムーンチャイルドが結成されました。そうした音楽好きの友人が集まった学生サークル的な雰囲気が、いい意味で現在のムーンチャイルドでも続いているように感じますが、いかがでしょうか?

アンバー:そうね。ミュージシャンは皆、学び続けることが大事だと思っているの。前作から成長して、新しいスキルを身につけたりね。私たちの間に流れている雰囲気は、バンドをはじめたころから変わっていないわ。自分たちの好きな音楽を作って、一緒にひとつのものを作り上げてね。でもあの頃からバンドとしては成長することができて、もっといいバンドになったと思ってる。

楽器演奏や作曲などについて常にスキルを磨くなど、あなたたちはとても向上心を持って音楽に接しているように感じます。だから、アルバムを発表するたびに手掛ける楽器の種類が増え、いまでは3人が3人ともマルチ・ミュージシャンでソングライターとなり、ムーンチャイルドでの対等な関係性を築いているのではないでしょうか。ムーンチャイルドにおける現在の3人の立ち位置、役割はどのようになっているのでしょうか?

アンバー:私はヴォーカルとプロデュースの他に、楽器はサックス、フルート、クラリネットを担当してるわ。

アンドリス:僕もプロデュースをするし、楽器としては主にベース、ギター、トランペットだね。

マックス・ブリック(Max Bryk、以下マックス): 僕らはみんなだいたい同じことをやっているんだよね。僕もプロデュースをやって、ベースも引くしミックスもやる。僕は楽器でいうとアルトサックス、クラリネット、あとはフルートをやることもあるね。

アンバー:曲作りに関しては、私たちは別々に曲を作って持ち寄るの。だから最初は個人で作った曲で、それを他のふたりに聴いてもらって何か足したい要素はないか聞いてみる。曲をふたりに送って、追加したい楽器なんかをシェアして、曲作りをしていく。ここにギターを足したい、ヴォーカルを入れたい、っていう感じでね。マックスが言っていたみたいに、役割としては、私たちはほとんどみんな同じことをしているのよね。

アンドリス:そうだね。ただ、お互いにアドバイスをし合うってことはしない。誰が何をやったらいいっていうのを、別のメンバーが言うことはない。自然に自分から生み出していくんだ。例えばアンバーが最初にビートを送ってきたら、マックスがサックスを加えてみて、とかね。個人のアイディアを持ち寄って、みんなで一緒に、同時に曲を作り上げていくんだ。他のメンバーの動きを見ながら自分で自分の役割を見定めていってるよ。

『リトル・ゴースト』は過去3枚のアルバムの延長線上にあるもので、基本的にはこれまでのムーンチャイルドの世界を押し広げたものだと思います。今回はどのようなヴィジョンを持ってアルバム制作に取りかかりましたか?

アンバー:サウンドとしては前作までの雰囲気を引き継いでいこうと思って作ったけれど、自然と、私たちにとっては新しい曲を思いついたり、新しい楽器を使ったりしたわね。アルバムを作りはじめるときには毎回、ヴィジョンというものは特にないの。そのとき聴いている音楽に自然と影響を受けたりしているのかな? ふたりはどう思う?

アンドリス:毎回新しい楽器に挑戦しようとしているから、それが音楽的な成長に繋がっているんじゃないかな。新しい楽器を習得すると耳も肥えるから、どこの部分にどの楽器を入れるといい感じのサウンドになるだろうっていう感覚が研ぎ澄まされていくんだ。

基本的にムーンチャイルドのアルバムはセルフ・プロデュース作品ですが、『リトル・ゴースト』ではストリングスを除いたすべての楽器演奏も3人でおこなっていて、いままで以上に3人で練り込んで作り上げたアルバムという印象が強いですが、いかがでしょう?

マックス:プロセス自体は、これまでとほぼ変わっていない。これまでも完全にセルフ・プロデュースで作ってきて、今回もそうだからね。ただ、ストリングス以外のほとんどすべての楽器を自分たちで演奏したっていうのは確かで、自分たちが演奏したものを自分たちでミックスした。その点でいうと、全工程を3人だけでやっているわけだから手作り感は強くなっているかもしれないね。

新たな楽器の導入という点では、アンドリスが“トゥー・マッチ・トゥ・アスク”や“ジ・アザー・サイド”などでアコースティック・ギターやウクレレを演奏しているのが新鮮でした。前作の『ヴォイジャー』(2017年)リリース後、ボン・イヴェールのサウンドに傾倒し、彼らが『22・ア・ミリオン』でやっているアコースティック楽器とシンセの電子音の融合にいろいろインスピレーションを受け、それが『リトル・ゴースト』に生かされているそうですね。それに加えて、あなたたちが得意とする管楽器のアンサンブルはもちろんですが、“ホイッスリング”や“スティル・ワンダー”などではシンセやシンセ・ベースなどのエレクトリックな楽器のコンビネーションが、いままで以上にサウンドの大きな比重を占めているなと感じました。これもボン・イヴェールの影響のひとつですか?

アンドリス:そう。その通りなんだ。ボン・イヴェールには影響を受けているね。これまではギターを今回のような形で使うっていうアイディアには思い至らなかったけど、彼の楽器の使い方にはインスピレーションをもらって、試してみたらしっくりきて。他にも影響を受けたミュージシャンはいるけどね、例えば……

アンバー:エミリー・キングなんかもそうよね?

アンドリス:たしかに。リンドラムを使ったのも僕たちにとっては新しい挑戦だったからね。あのアイディアはエミリー・キングのアルバムを聴いてからかも。

ボン・イヴェールやエミリー・キング以外に、音楽家やアーティストに限らず何でも結構ですが、『リトル・ゴースト』を制作する上で影響されたもの、インスピレーションを受けたものはありますか?

アンバー:私は詩をたくさん読むんだけど、それを曲作りに活かしているわね。ナイラ・ワヒード、E・E・カミングス、パーシヴァル・エヴェレット、そしてイエルサ・デイリー=ウォードが私の中のトップ4ね! ふたりは?

アンドリス:僕はそうだな……ちょっと違う観点からいくと、ジョン・バトラー・トリオには影響を受けてるね。前の曲なんだけど繰り返し聴いてるのがあって、なんだっけ……「細かいことは気にしなくていい」、みたいな歌詞の……

アンバー:ベター・ザン”じゃない?

マックス:“ベター・ザン”だろ?

アンドリス:“ベター・ザン”だ!(笑) すごく好きな曲でね、トリオはピアノの使い方もうまいし、インスピレーションをもらっているよね。

そのときの自分たちの気持ちだったり思いつきで自然とサウンドが変わってくるものだから、特に意識はしていなくて、その場で生まれた変化というか。とにかく、僕たちはオーガニックな曲作りの手法を取っているから、すべてが自然発生なんだよ。 (アンドリス)

“スウィート・ラヴ”ではマックスがカリンバを演奏していますが、これはどのようなアイデアから取り入れたのですか? カリンバはムーンチャイルドのオーガニックなサウンドにとてもマッチしていると感じますが。

マックス:単純に、カリンバにはまっていたんだ。ディアンジェロとか、ジェイムズ・ポイザーを聴いていて、1990年代後半のサウンドがいいなと思って。あたたかみのある楽器だし、ライヴでも効果的に使えるんじゃないかと思ったんだ。他の曲でも使ったんだよ、“トゥー・マッチ・トゥ・アスク”とか、“エヴリシング・アイ・ニード”でも使ったね。バンドの雰囲気に合っていて、とてもはまったなと思っているよ。

ストリングス・アレンジはアンドリスが担当して、ホーン・アレンジは3人でおこなっているというのは『ヴォイジャー』と同じかと思いますが、アルバム全体のストリングス・セクションを担当しているカルテット・405はどんなグループなのですか?

アンドリス:彼らとは以前から友達だったんだけど、今回ストリングスをお願いしようという話になって。一緒に何回かストリングスのパートを録ったんだけど、ただのストリングス・カルテットというよりはオーケストラのようなサウンドの広がりがあるグループでね。その特徴が生かされたサウンドに仕上がったと思う。

『リトル・ゴースト』ではアンバーの楽器演奏の比重がいろいろ増えていますね。これまではシンセなどを一部で手掛けるものの、基本的にはヴォーカルとフルート演奏がメインだったのですが、今回は数々の作曲でローズ、サックス、シンセ・ベース、ドラム・プログラミングなどを手掛け、ムーンチャイルドのサウンドの骨格に大きな役割を果たしています。こうやっていろいろな楽器や機材を手掛けるようになったことについて、アンバーの中で何か変化があったのでしょうか?

アンバー:前作までは、私はピアノで曲を書いてマックスとアンドレスに渡してトラックを作ってもらっていたの。プロデュースというのはやったことがなかったから。でもここ2年ほどでプロダクションにも携わりたいと思ったからそのやり方を学んで、トラックメイキングの部分を人にお願いするんじゃなくて、自分で作れるようになった。そうやって今回の変化が生まれたの。最初に言ったように毎回新しいスキルを習得したいと思っているから、今回はプロダクションを学んで、それを早速生かしたのね。

アンドリス:だから、今回は本当に全員でプロデュースをしたね。

アンバー:すごく楽しかったから、今後もやりたいわ!

『リトル・ゴースト』の特徴を挙げるなら、いままで以上にリズム感が前に出た楽曲作りがおこなわれている点かなと思います。たとえばファンク調の“オントゥ・ミー”や、アコースティック・ギターとタイトなビートが心地よいグルーヴを生み出す“ホワット・ユー・アー・ドゥーイン”は、メンバー3名がすべてドラム・プログラミングに関わっていて、そのスキルが合わさることによってでき上がった楽曲です。“ワイズ・ウーマン”も同様にアンバーとアンドリスのふたりでドラム・プログラミングをおこなっています。いままでのアルバムではこういった楽曲作りはおこなっていなかったと思いますが、今回は新たな作曲手法にアプローチしているのですか?

アンバー:意図的にそうなったわけではないのよね。いままでと違ったテンポの早い曲なんかも、自然と出てきた感じで。

アンドリス:そうだね、そのときの自分たちの気持ちだったり思いつきで自然とサウンドが変わってくるものだから、特に意識はしていなくて、その場で生まれた変化というか。曲作りの段階で3人で色々と試してみるんだ。その中でしっくりきたものを採用する。だから、今回の変化も次のアルバムではもうやらないかもしれないし、「新しい作曲手法」としての認識は特になかったな。とにかく、僕たちはオーガニックな曲作りの手法を取っているから、すべてが自然発生なんだよ。

アンバー:基本的な曲作りのやり方はこれまでと変わっていないけど、私の変化としては曲を書くだけじゃなくて、さっきも話にあがったようにプロデュースも自分でやるようになった。それによってバンドの役割がより対等になったから、今回のアルバムに入っているアップテンポな曲に関しても、3人全員のグルーヴからああいう曲が生まれたのよ。

歌詞はアンバーが作っているのですか? 主にラヴ・ソングが多いのですが、単にあなたが好きだとかストレートなものではなく、たとえば“ワイズ・ウーマン”や“マネー”のように、女性の目線による生き方や人生そのものも含んだもう少し抽象的で広がりのあるものに感じるのですが、それはアンバー自身の人生経験から来ているものなのでしょうか?

アンバー:すべての曲の歌詞が個人的な体験に基づいているもので、プライベートなものなの。それは私自身に起こった体験でもあるし、周りの人たちの体験でもある。まさに人生経験に基づく歌詞ね。抽象的に聞こえたのはきっと、私のいまの人生がそういうモードだからなんじゃないかな(笑)。女性の複雑な心境みたいなものが理解できる年齢になったというか。しっくりくるようになった気がする。自分の気持ちに正直でいられない、みたいな感覚を自分でも経験して、理解できるようになったのね。たぶん、それが今回の変化の理由だと思う。

最後に『リトル・ゴースト』で聴いてもらいたいポイントと、今後の活動予定などをお願いします。

アンドリス:ポイントというのとは少し違うかもしれないけど、3人全員で作ったサウンドを楽しんでほしい。ひとつの曲に対して3人で試行錯誤しながら作り上げたっていう部分をね。どの曲から聴いても、どの順序で聴いてもらってもいい。

マックス:僕はそれぞれの曲のブリッジに注目してほしいと言おうと思ってた。アウトロに向かう部分かな。僕たち全員が色々な楽器を使ってコラボレーションしているっていうのがいちばんよく伝わるのがその部分だと思うし、それが僕たちの特色でもあるからね。

アンバー:私はとにかく、楽しんでほしいわね!(笑) アルバムを聴いたあとにいい気分になってくれたらとても嬉しいわ。


Gloo - ele-king

 ワイリーとハドソン・モホークとの出会い? さもなければカニエ・ウェストとAFXとの鉢合わせとか? まあ、なんでもいいが、イグルーゴースト(Iglooghost)、カイ・ウィストン(Kai Whiston)、ベイビー(BABii)の3人からなるグルー(Gloo)のデビュー・アルバムは、UKクラブ・ミュージックのルーキー・オブ・ジ・イヤー間違いナシの傑出した1枚である(そう、CDを買ってしまった。正確にはシングルCDも付いて2枚です)。
 ルーキー? 厳密にいえば、彼らは新人ではない。おそらく中心になっているのはカイ・ウィストンで、昨日マーキュリーを受賞したデイヴと同じ世代(1学年下?)で、つまり圧倒的に若い。が、この男はすでに〈Big Dada〉から1枚シングルを出していて、昨年はソロ・アルバムを出している。『Kai Whiston Bitch』というのがそのタイトルなのだが、じつにこれも勢いのある、エネルギッシュかつ実験性とポップさを備えたアルバムなのだ。昨年のロテックのアルバムにも通じるモダンIDMであり、アヴァン・テクノであり、エクスペリメンタル・ヒップホップであり、まあ、なんでもいいが、しかし正直にいうと、ぼくは彼らの感性を理解するのに少々時間を要したのである。

 もちろんそれはぼくが年寄りだからにほかならない。彼ら20歳ぐらいの感性によるある種の過剰さは、90年代においてリチャード・D・ジェイムスがやったことと(スタイルは違えど)意味的には似ている気がする。つまり、もしいま日本で現代の『ファンタズマ』を作りたいなどという野心を持った若者がいたら、このあたりを参照のひとつにすると良いだろう。
 イグルーゴーストもまた……90年代に〈Rephlex〉がやったことを現代の文脈でやっていると言えそうだ。ケンモチヒデフミのライヴァルというか、フットワークの実験的かつポップな解釈であり、彼のシングルは〈Brainfeeder〉から2枚出ている(ということは〈Brainfeeder〉はいま〈Rephlex〉的な役目も負っているのだ)。ベイビーはGlooのヴォーカリストで、アルバム『XYZ』には90年代風R&Bが引用されているが(そういえば、JPEGMAFIAの新作にはTLCのメガヒット曲のカヴァーがあった)、もちろん彼らのトラックはノスタルジーには見向きもしない。これはたった“いま”起きていることで、そう、時間は止まってはいない。まったく素晴らしい『XYZ』だが、ひとつだけ難点があるとしたら、このアルバムはぼくに自分が年老いたことをこれでもかと知らしめるということである。このさいソランジュも忘れましょうや。

interview with Joe Armon-Jones - ele-king

 サウス・ロンドンを主な拠点としたUKジャズ・シーンはますます注目を集めている。今年だけを見ても、フジロックでの演奏も記憶に新しいザ・コメット・イズ・カミングの『Trust In The Lifeforce Of The Deep Mystery』をはじめ、ココロコのEP「KOKOROKO」、ヌビヤン・ツイスト『Jungle Run』、そしてエズラ・コレクティヴのデビュー・アルバム『You Can't Steal My Joy』といった話題作が、次々とリリースされた。

 そのエズラ・コレクティヴのメンバーとしても知られるキーボーディスト、ジョー・アーモン・ジョーンズは、アフロビート、ダブ、ブロークンビーツなどの要素が混ぜ込まれた昨年のデビュー・アルバム『Starting Today』が高い評価を得て、シーンの中心人物となった。そんな彼が満を持して放つセカンド・ソロ・アルバムが、この『Turn To Clear View』だ。
 前作同様、〈Brownswood Recording〉からのリリースとなった本作は、サックスのヌビア・ガルシア、ドラムのモーゼス・ボイド、ココロコのベーシストのミュタレ・チャシといった、ヴォーカル以外の参加ミュージシャンも全く同じだが、“Yellow Dandelion”など、ヒップホップ色の強い曲が前作以上に多くなっている。また、驚くべきはその“Yellow Dandelion”へのジョージア・アン・マルドロウの参加だろう。これまで、サウス・ロンドンという地域と関連づけて語られることが多かったジョー・アーモン・ジョーンズが、LAのシーンに接近したのは意外だった。UKジャズ・シーンの深化と広がりが同時に見出せるこのアルバムについて、彼に話を聞いた。

僕が好きなサン・ラーの音楽が嫌いな人もいれば、僕が嫌いなサン・ラーの曲に感動する人もいる。サン・ラーの不思議なところは、各々が楽しめる曲があるということなんだ。そこから入って、徐々に、他のものへの理解を深めていき、その底にある意味を理解していく。

まず、“Yellow Dandelion”にジョージア・アン・マルドロウが参加した経緯を教えてください。

ジョー・アーモン・ジョーンズ(Joe Armon-Jones、以下JAJ):僕は長い間、彼女のファンだった。世界で最も好きなミュージシャンのひとりに入るくらいにね。だから、彼女がロンドンの Bleep Records という所で小さなインストア・ライヴをやったときに観にいって、『Starting Today』を彼女に渡し、何か一緒にできたら嬉しいと伝えたんだ。その1、2日後、ロサンゼルスから連絡をくれて、一緒に何かやりたいと言ってくれたから、彼女にトラックを送った。このトラックは元々、彼女を念頭に置いて作ってあったからね。彼女が参加できなかったら他の人に歌ってもらおうと考えていたけど、トラックを気に入ってくれたから一緒に作業できたんだ。

トラックのファイルを送った後はどのように曲を仕上げていったのですか?

JAJ:僕がセッションを先にやっていたから、曲は録音されていて、僕がミックスした最終版ができていた。だから曲はもうプロダクション過程にあったんだ。彼女には何も撮り直してもらう必要がなかったよ。最初彼女が送ってくれたのはハーモニーとリードラインだったけど、僕が頼んだ通りにやってくれて、必要なものは全て揃っていたから完璧だった。その後から仕上げるのに時間はかからなかったね。

ジョージア・アン・マルドロウの作品、そして、〈Brainfeeder〉をはじめとしたLAのビート・シーンの曲も、普段からよく聴いていますか? 彼女たちや彼らの魅力はなんでしょうか?

JAJ:あのシーンは最高だと思うよ。それに、あのシーンやコミュニティーに対しては強いリスペクトと憧れを感じている。ラス・Gが亡くなったのはとても悲しい出来事だったけれど、あのときにみんなが集まって、彼の家族をサポートして、ラス・Gへの愛情や尊敬の念を表している姿を見ると、どれだけシーンの結束が強く、コミュニティーを基盤としているか分かるよね。アメリカで、そういう繋がりを見ることができて嬉しい。どの国でも、なかなかあそこまでの結束は起きないと思う。友達同士で一緒に仕事をして、お互いを大切に思い合える関係は貴重だ。自分も、それと似たようなロンドンのコミュニティーに属していることを嬉しく思う。

エズラ・コレクティヴでは“Space Is the Place”を二度もカヴァーしていますし、あなたのアルバムのアートワークは2枚とも宇宙的で、スピリチュアルなデザインですね。以前、ele-king のインタヴューでチック・コリアからの影響を語っていただきましたが、サン・ラーについてはいかがですか? 

JAJ:サン・ラーが作ったものが全て好きというわけじゃないよ。サン・ラーのレコーディングで、僕が深く感動するものはいくつかあるけど、聴くに耐えられないものもある。でも、そこがサン・ラーの音楽の良いところだと僕はちゃんと認識している。友人の中には、僕が好きなサン・ラーの音楽が嫌いな人もいれば、僕が嫌いなサン・ラーの曲に感動する人もいる。サン・ラーの不思議なところは、各々が楽しめる曲があるということなんだ。そこから入って、徐々に、他のものへの理解を深めていき、その底にある意味を理解していく。それは旅路であって、後になってから、自分が好きなバンドやその他に与えたサン・ラーの影響に気づいていく。先ほど話していたラス・Gも、音楽だけでなくアーティスティックな部分でサン・ラーに影響を受けていたよね。エジブト神話の側面などは、例えば、アース・ウィンド・アンド・ファイアーも影響を受けていた。それは音楽的な影響だけではない。その背景にあるアートワークや世界観などにも影響しているんだ。

前作と合わせて見ると、アートワークはとてもコンセプチュアルに感じられますが、アルバムの曲作りに関しては、全体としてのコンセプトはありましたか?

JAJ:とても曖昧なコンセプトはあったけど、具体的なものはないよ。アルバムが録音されて、曲順が決まってから、アートワークがどのようなものになるかというのが見えてくるからね。

アルバムの最後の曲はアフロビートだけど、そこからヒップホップな感じになる。曲が行きたい方向に自由に向かわせるのさ。例えば、最初から、これはファンクの曲だ、と考えて作曲すると、曲が行きたい方向に行けなくなってしまうかもしれないだろ?

このアルバムの制作期間中、よく聴いていたアーティストや曲があれば教えてください。

JAJ:ジャズやヒップホップシーンの新しい音楽はチェックしている。あとは、キング・タビー、サイエンティスト、ザ・レヴォリューショナリーズやハービー・ハンコックとか、比較的昔のレゲエやファンクをレコードで聴いたり。それと、ブラジルのミルトン・ナシメントも最近よく聴いてるよ。

以前までは、ブロークンビーツとのつながりを指摘するメディアが多かったですが、今作はブロークンビーツの色が前作よりも薄く、ファンクやヒップホップの要素が強いと感じました。また、これまで以上に、全体的にチルアウトな雰囲気もありますよね。それは意識して曲を作りましたか?

JAJ:いまではそう思うけど、作曲しているときは、ひとつのフィーリングに制限されないようにしている。アルバムの最後の曲はアフロビートだけど、そこからヒップホップな感じになる。曲が行きたい方向に自由に向かわせるのさ。例えば、最初から、これはファンクの曲だ、と考えて作曲すると、曲が行きたい方向に行けなくなってしまうかもしれないだろ? だから、そういうジャンルについての言葉は意識しないようにしている。

前作同様、このアルバムでもモーゼス・ボイドとクエイク・ベースのふたりがドラムを担当していますが、シングルになった“Icy Roads (Stacked)”をはじめとして、前作以上にクエイクの存在感が増しているように思います。ですが、日本では、まだ十分に紹介されているとは言い難いです。彼はどんな人物ですか? 

JAJ:日本はまだクエイクに目覚めていないな(笑)。彼は僕がいままで会ったミュージシャンの中で最もすごい人のひとりだ。クエイクのようにドラムを演奏できる奴はいないし、見たことがない。“Icy Roads (Stacked)”ではいくつものドラムのレイヤーが聴こえると思うんだけど、分かるかな? ドラムにエフェクトがかかっていたり、サンプルされたドラムの音も入っている。それは全てクエイクが生でやっているんだ。だから録音セッションのとき、部屋からはドラムしか聴こえないけれど、ブースに入って何が録音されているのかを聴くと、全く違ったものが聴こえてくる。言葉で説明するのは難しいから見てもらうのが一番だけど、カオスパッドやトリガーなどの機材が配置されていて、それが彼独自の音を生んでいる。彼もソロ・プロジェクトをやっていて、サンプルやトリガーやドラムを使った作品を出している。クレイジーだよ。クエイクの音楽は素晴らしいから、日本のみんなにもチェックしてもらいたいな。

ジャイルスはほとんどの場合、自分の好みでない音楽はかけないんだ。好きならかける。嫌いならかけない。すごく単純に聞こえるけれど、忘れがちなことだよ。全てのミュージシャンがそうであるべきだと思う。

そのモーゼス・ボイドとクエイク・ベースはちょうどアルバムの半分ずつドラムを担当していますが、リズム隊が変わると、意識的に変化はありますか?

JAJ:録音には2日間しか使わなかった。スタジオでの作業は2日間だったから。1日目はドラムにクエイク、ベースにミュタレ・チャシで、2日目はドラムにモーゼス・ボイド、ベースにデヴィッド・ムラクポルだった。僕の意識も少しは違ったけど、それはドラマーとベーシストが違うからというだけだよ。そうなるとサウンドも変わってくるからね。だから意識が変わるというよりも、サウンドが変わるという方が正しいと思う。それ以外の参加者はみんな一緒だったし、ラインアップが変わってから2回目の録音をしたときもあったから、同じ曲を演奏したときもあった。

アルバムの最後の曲、“Self Love”には、ナイジェリア出身のオーボンジェイアーが参加しています。彼はどんなシンガーですか?

JAJ:彼はエモーショナルなシンガーだよ。全てのシンガーがそうあるべきなように、彼は感情を音楽に注いでいる。多少陳腐な言い方だけど、彼は音楽の世界に入って没頭することができる。それは実際には難しいことなんだ。自分の意識が妨げになってしまうことが多い。でも、彼はそれができるからすごい。それに、他の人とは違う、彼独自のサウンドも持っているしね。それが素晴らしいところだよね。

“Self Love”の前半は、前作の曲以上にアフロビート感が強い印象ですが、これはオーボンジェイアーの存在が大きいのでしょうか?

JAJ:僕とオーボンジェイアーがこの曲を一緒に作っていたら、そう答えられるけど、この曲とビートは僕が作って、オーボンジェイアーに参加してもらう前に録音もしていたんだ。他の曲が録音されたのと同じ日にこの曲も録音された。また、この曲はアフロビートでもあるけど、4分の3拍子だからアフロビートの変わった演奏方法なんだ。そして曲の中盤以降からはヒップホップのようになる。そういうスタイルなんだ。モーゼスが4分の3拍子のアフロビートを演奏できるか試させたかった。曲が録音された後、僕は曲を聴き返していて、ちょうどその頃にオーボンジェイアーと他のプロジェクトで一緒に作業していたから、彼にヴォーカルを加えてもらおうと考えた。彼も曲を気に入ってくれたから、そこからはふたりで作業した。

4月にリリースされたエズラ・コレクティヴのアルバムではロイル・カーナーが、このアルバムの“The Leo & Aquarius”ではジェストがラップを披露しています。今年はラッパーとのコラボレーションも目立っている印象ですが、彼らとの作業はいかがでしたか?

JAJ:最高だったよ。ジェストもロイル・カーナーもいい奴だから大好きだし、付き合いも長いんだ。だから一緒に音楽を作るのは自然な流れだった。特にジェストとは、何年も前から知っているし、彼と僕は偶然出会うきっかけが何度もあって、今回のアルバムの参加者と同様、僕が知っているミュージシャンとも様々な形で繋がっている。そこで僕は彼にトラックを送ったら、すぐにラップを入れて返してくれたよ。ジェストはイギリスでナンバーワンのラッパーだと思うから、彼が曲に参加してくれたのは、僕にとってものすごく光栄なことだった。

ジェストの〈YNR Productions〉のようなUKのヒップホップは以前から聴いていましたか?

JAJ:ああ、UKヒップホップ全般を以前から聴いていたよ。UKヒップホップからは数々のインスピレーションを受けてきた。特に若い頃はね。スキニー・マン、ルーツ・マヌーヴァ、ロドニー・Pなど、UKヒップホップにはレジェンドがたくさんいるからね。

以前からダブへの影響を公言していますが、普段の曲作りの際に、クラブでの鳴りを意識していますか? 

JAJ:もちろんだよ。特にミキシングの過程ではね。作曲のときも意識するけど、このミックスがクラブやサウンドシステムでどう響くかっていうのを考えて試してから、最終版のミキシングをしている。

「Starting Today in Dub」のように、このアルバムの曲のダブ・ヴァージョンを作る予定はありますか? 

JAJ:もしかしたら作るかもしれないけど、あれは自然にできたものだったからね。曲をいじって遊んでいたら、あの作品ができた。同じことをやろうとは思わないけど、アルバムの曲の別ヴァージョンは作るかもしれない。ダブ・ヴァージョンとは呼ばないかもしれないけれど、誰かにラップを載せてもらってヴォーカル・ヴァージョンと呼ぶとかね。まあこれから様子を見ていくよ。

昨年はマカヤ・マクレイヴンの『Where We Come From (Chicago X London Mixtape)』にも参加しましたね。マカヤとの共演はいかがでしたか?

JAJ:とても素敵な体験だったな。彼と初めて会ったのが、あのギグで彼がロンドンに来たときだった。大勢の前で演奏して即興をしなければいけなかったから、違和感のあるギグになる可能性もあったのに、彼はとても良い姿勢で臨んでいて、雰囲気も素晴らしいものとなった。それ以来、彼とはツアー中にしょっちゅう出くわすんだ(笑)。

あなたはサウス・ロンドンという地域で括られることが多いかと思いますが、UK以外の、LAやシカゴといったアメリカのミュージシャンとの交流も、以前より深まっているのでしょうか? 

JAJ:それは間違いないね。シーンがロンドンという地域を超えて大きくなるにつれ、より多くの人が交流して共演していくのは自然なことだと思う。それと、外国に行きやすくなったから、他の国へ演奏しに行くアーティストも増えている。多くの人が海外へ出て、交流を深めて、ネットワークを作っている。

そういった他の地域のミュージシャンとは、お互いにどのような影響を与え合っていると考えていますか?

JAJ:インスピレーションや労働倫理だね。高い職業倫理を持つ人たちからはインスピレーションを受ける。

今作も〈Brownswood Recording〉からのリリースですが、あなたにとって、レーベル主宰のジャイルス・ピーターソンはどのような存在ですか?

JAJ:ジャイルスのことはとても尊敬しているよ。彼は音楽の領域を、良い意味で広めているからね。彼にはDJの必須要素が備わっている。それは、「気に入らない音楽はかけない」ということだ。DJの中には、人気の曲だからとか、キッズが好きだからという理由で、自分が好きでもない曲を無理にかけている人がいる。でも、ジャイルスはほとんどの場合、自分の好みでない音楽はかけないんだ。好きならかける。嫌いならかけない。すごく単純に聞こえるけれど、忘れがちなことだよ。全てのミュージシャンがそうであるべきだと思う。

最後に、今後の予定を教えてください。

JAJ:『Turn To Clear View』を9月20日に出してからツアーをやる。その後は……また音楽を作っていると思うよ(笑)。

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