「Man」と一致するもの

 2025年1月、ロサンゼルス(以下、LA)を襲った山火事は現地に住む多くの音楽家たちの生活を奪い、コミュニティを離散させた。そんななか、LAの音楽シーンを支えてきたインターネット・ラジオdublabの日本ブランチであるdublab.jpは、支援と連帯を示すためのチャリティ・コンピレーションを制作。『A Charity Compilation in Aid of the 2025 LA Wildfires -resilience-』と銘打たれた作品には、岡田拓郎、王睘 土竟(荒内佑 + 千葉広樹)、食品まつり a.k.a. FoodmanBUSHMIND、Daisuke Tanabe、Albino Sound & Daigos (D.A.N)、SUGAI KEN、優河、Ramza×hotaru、TAMTAM嶺川貴子、白石隆之など、主に日本の有志たちによる楽曲が収録されている。

 ここまでジャンルレスに多彩な顔ぶれが揃うコンピレーションも珍しいが、それこそがLAの音楽文化の豊かさを表しているとも言える。そして、あまりに豊かで横断的であるがゆえに、シーンを俯瞰的に観測することは容易ではなく、相関図を作ってみたところで線が入り組みすぎてしまうだろう。

 では、現地の事情に詳しい人たちに、彼らの視点でシーンを切り取って語ってもらおうというのが今回の鼎談企画だ。語り手は、コンピレーションにも参加している岡田拓郎、dublab.jpの発起人であり自身のレーベル〈rings〉から現行LAシーンの作品もリリースしている音楽評論家の原雅明、そしてコンピレーションのプロデューサーでありdublab.jpの現代表の玉井裕規。なぜ私たちはLAの音楽に惹かれるのか、その答えが朧げに見えてきた。

LA的感性の根底にある「リスニング」志向

レコードが好きな人たちが好む音楽と、プレイヤーがやりたい音楽、クラブ・カルチャーの人が聴きたい音楽とが全部交差してシーンとして成立しているというか。(岡田)

玉井:今年1月にLAの山火事が起こった当初、報道からは断片的な情報しか入ってこなかったので、dublab.jpではLA現地のdublabやその周辺のコミュニティから状況を教えてもらって、よりリアルな実態を把握するための記事や支援団体に繋げるための記事を出したりしたんです。
それから、現地のメンバーと定期的に連絡をとるなかで、現地でも報道が減って風化していたり、保険金や支援金を受けるのにも複雑で長期的な対応を迫られるだとか、家を失った人たちのその後の生活とか、それこそ壊滅状態になってしまった音楽シーンのことなど、たくさん課題をたくさん聞いていて。
大金を集められるわけではないけれど、我々から現地の音楽コミュニティに対して、音楽によって支援できることはないかと考えてチャリティのコンピレーションを作ろうということではじまったのが今回の「A Charity Compilation in Aid of the 2025 LA Wildfires -resilience-」です。準備期間も要しましたが、結果として発生から5ヶ月が経ってからのリリースになったことは、ニュース性よりも長期的な支援を訴える上では良かったんじゃないかと思っています。

 参加アーティストは、dublabと関係があったり、LAの音楽カルチャーに影響を受けている方々に声をかけていった結果、本当に幅広い顔ぶれになりました。昨年LAでレコーディングされてらっしゃった岡田拓郎さんもその参加アーティストのひとりです。


玉井裕規(dublab.jp)

岡田:僕がLAに行ったのは2023年の5月が初めてです。Temporal Drift の北沢洋祐さんとは繋がっていて、元々2020年にちょろっと行ってみようと予定していましたがパンデミックになってしまい、ちょうど渡航のためのPCR検査などが必要なくなったのがそのタイミングでした。アメリカに行くのもそのときが初めてで、パンデミックが落ち着いてきて、生きてる間にいろんなところ行ってみよう! みたいな気持ちで向かったので、特にレコーディングのために行ったわけでもありませんでした。
 現地に着いたら、たまたまいろんなミュージシャンに会えたり、集まれば演奏したり録音しはじめたりみたいな感じで、もう音楽の生活への根づき方にびっくりして。
 Yohei(鹿野洋平)さんのことも知っていたので連絡して自宅にお邪魔したら、ちょうどPhi-Psonicsのセスさん(Seth Ford-Young)が「近くにいるから遊びに行くよ」ってことでコントラバスを持って来てくれて。
 Yoheiさんの家は庭がスタジオなんですよ。そこでせっかくだからセッションして録音しようよって、旅の写真を撮るような感じで半日ジャムって遊んでもらいました。そのときの録音のひとつが今年リリースした「The Near End, The Dark Night, The County Line」に収録されてます。


岡田拓郎

玉井:LAでは庭にスタジオを構えることは珍しくないですよね。Yoheiさんは素晴らしい作曲家でありプロデューサー、かと思えばローディーとしてブレイク・ミルズや斉藤和義、ロバート・プラントのツアーに参加していたりと、すごくフットワーク軽く活動している人で僕も正体がつかめていないのですが(笑)、元々はレコードの再発レーベルをやりたくてアメリカに渡った人なんですよね。

岡田:僕が個人的に好きなLAのシーンに対して抱いているイメージって、レコードが好きな人たちが好む音楽と、プレイヤーがやりたい音楽、クラブ・カルチャーの人が聴きたい音楽とが全部交差してシーンとして成立しているというか。そういう場所って世界を見てもあまりないと思うんです。すごく実験的なことをやったとしても、最終的にはリスニング・ミュージックとして楽しめる録音物に落とし込むというか。
 エクスペリメンタルと呼ばれるような音楽も僕は好きですが、そういった音楽は例えばインディ・ロックやポップス好きにはときに厳し過ぎる側面があると言いますか。LAではそういう音楽でも、あくまでリスニング作品として楽しめるものが多いように感じます。LAのいまのシーンで活躍している人たちが持っているおおらかなムードが、そういう作品づくりを可能にするんじゃないかと思います。ああいう空気感があると、出てくる音楽は当然変わってくるだろうなと。

原:dublab.jpで放送をスタートさせた2013年当初、LAのメンバーからは「どんな放送でも必ずアーカイヴしろ」としつこく言われたんですよ。まだ慣れないなかで内容がグダグダな番組もあって、こんなの残したくないよって言ったんですけど(笑)。当時はすべてのデータをLAのサーバーに保存する決まりになっていたので、提出しないわけにはいかなくて。渋々やっていたけれど、続けていくうちにアーカイヴすることの価値の大きさがわかってきました。LAには、必ずレコーディングして残す、という習慣のようなものが根付いているように感じます。例えば、カルロス・ニーニョは即興的なセッションをやったとして、その素材を使ってあれこれ編集したものをプライベートプレスでもいいから必ずレコードとして残すんですよ。そういう、リスニングの楽しみがわかっているというか、リスナー側のことをしっかり理解している人が多いなと思いますね。
 ミュージシャンって、どうしても演奏することがゴールになってしまいがちな節があると思うんですが、LAでは演奏とレコーディングが対になっている。その大切さをよくわかっているから、優れたレコーディング・エンジニアが育つし、質の高いスタジオが維持されてるんではないでしょうか。


原雅明

コロナ禍以降、ひとりで音楽を作ったりクラブでの演奏以外の活動が模索されたなかで、競争から離れるミュージシャンが増えて、その受け皿としてLAがあったという面もある気がします。(原)

そういう文化の源流になっているものは何なんでしょうか?

玉井:まずLAにはジャズやポップスなどのシーンと平行して、映画産業に紐づいた音楽産業がありますよね。

岡田:映画の(劇伴などの)仕事があることで、ミュージシャンたちがクラブ回りをする以外の食い扶持を得ることができたというのはLAらしい環境ですよね。

玉井:譜面が読めるミュージシャンが圧倒的に多いエリアとよく言われてたそうですからね。

原:仕事があるからLAにいる、ということは大いにあると思います。いまだったら、例えばNetflixから仕事をもらえるとか。コマーシャルなものとインディペンデントなもの、両方があって往来できるから、ネイト・マーセローやブレイク・ミルズみたいな人たちが大きい仕事もしながら実験的な作品も自由に作れているわけですよね。
日本でもそういう状況がもっとあればいいなと思うんですけどね。そうすれば、それこそ岡田さんみたいなアーティストがもっと活動しやすくなる。

岡田:そうですね。シカゴ時代のジム(・オルーク)さんのように、自分の作品を作りつつ、プロデュース、エンジニア業を行ったり来たりできたらなあとこの10年間やってきたところはあります。僕みたいなタイプのミュージシャンはLAにいけばいくらでもいると思いますが、日本の土壌だとまあまあ大変ですね(笑)。
 LAはコミュニティという単位で動くという意識も強いと思うので、コマーシャルなところにもクリエイティヴなまま関わることができている気がしますね。例えばプレイヤーはその現場に合わせてスタイルをいろいろ変えて合わせていくというよりは、そのプレイヤーのカラーが欲しいからその現場に呼ばれ、集まると言いますか。ジェイ・ベルローズとかメジャーな人とやっても、小さなクラブでプレイしても全然スタイルは変わらない。これって当たり前のようでいて、いざ自分の国のプロダクションの仕組みを省みるとなかなか難しいことだったりもする。これはLAに限ったことではありませんが。

原:なぜLAに音楽家が集まるのかということについては、気候が温暖で居心地がいいこともやっぱり大きいと思いますね。古くはストラヴィンスキーやマイルス・デイヴィスもキャリアの晩年はLAに移住していたりするわけですけど。ニューヨークのような場所は緊張感があってそれはそれで良いけれど、それが辛くなってきた人はLAの穏やかな環境に移っていくという動きが、近年のアメリカのジャズシーンでも現れていますよね。

岡田:LAとニューヨークで、やっぱりミュージシャンのカラーの違いは明らかにありますよね。

原:ありますね。ニューヨークはヒエラルキーがあって、ランク付けがつねにされているようなところがあります。それが収入にも直結していくような緊張感がある。それがやりがいと感じられる人もいるけれど、疲弊する人も当然いるわけです。それがコロナ禍以降、ひとりで音楽を作ったりクラブでの演奏以外の活動が模索されたなかで、競争から離れるミュージシャンが増えて、その受け皿としてLAがあったという面もある気がします。スピリチュアルな方面に目覚めるミュージシャンも多かったですし。

玉井:そういうムーヴメントやコミュニティも、今回の山火事で破壊されてしまったわけですよね。火災発生直後から、多くのアーティストたちは「GoFundMe」というクラウドファンディングのプラットフォームを使って各々が支援金を募る動きが活発だったんですけれど、いま、そういう形で資金を得ていた人々が政府からの補助金を受給しにくいという事態になっていたり、申請作業自体が非常に煩雑でそのやりとりだけで相当の時間を要するということも言われていたりするんですよ。
 そうなってくると、人材がどんどんLAから出ていってしまうんですよね。例えば、日本でもファンが多いファビアーノ・ド・ナシメントなども。LAの音楽産業から人材や頭脳の流出がすでにはじまってしまっている気がします。

岡田:僕が面識のあるLAの人たちは、みんな直接火災の被害は受けていなくて家屋も無事なんですけど、灰の被害がひどすぎて結局土地を離れてしまっている人が結構いますね。Tenporal Driftのパトリック(Patrick McCarthy)さんは火災の直後、しばらくは家を離れなくてはならなかったと言っていました。

原:マッドリブの家も焼けてしまって、機材やレコード・コレクションも失われたらしいですが、ちょっと信じられない損害ですよね。

岡田:ジェフ・パーカーとよく一緒にやってるポール(Paul Bryan)も、同じくスタジオの機材が燃えてしまったと聞きました。

原:この火災が今後どういうかたちで、どれくらいの損失を出すのか、まだ全く予想がつかない。

玉井:にもかかわらず、現地でも山火事に関する報道はほとんどされなくなってしまっているらしく、支援の動きが盛り下がってしまうことが心配です。

改めて振り返る、2000年代〜2010年代のLAシーン

そういうムーヴメントやコミュニティも、今回の山火事で破壊されてしまったわけですよね。LAの音楽産業から人材や頭脳の流出がすでにはじまってしまっている気がします。(玉井)

原さんがLAのシーンを意識したり、関わりはじめた当初のこともお聞きしたいです。

原:LAのdublabが立ち上がるのが1999年ですが、それよりも前に、dublab創設者のフロスティ(Mark “Frosty” McNeill)とは知り合っていたんです。彼はその頃から日本のアンダーグラウンドな音楽をやたら掘っていて。そういう作品のリリースに僕が携わっていたからか、直接コンタクトしてきたんですね。Rei Harakamiを聴かせたらのめりこむようにファンになってた。dublabがスタートしてからは、すぐに竹村延和を出演させたり。

玉井:それ、99年の放送ですよね。当時聴いていました。

原:その後、コーネリアスが初めてアメリカ・ツアーをしたときにもdublabに出てましたね。
LAに初めて行ったのは2008年。当時雑誌だったTOKIONからの依頼で、世界の各都市の音楽シーンを巡る企画の一環でした。僕はLAを希望したら行かせてもらえた。良い時代ですよね(笑)。ちょうど「LOW END THEORY」がスタートした年で、J・ディラが亡くなってから2年経っていたタイミングですね。そのときに行った「LOW END THEORY」には〈Warp〉からリリースする前のフライング・ロータスが出ていました。ほかにも、ラス・Gが働いていた〈POO-BAH-RECORDS〉やdublabのスタジオに行ったり。
 そこから 2010年になると、いろいろなことが爆発的に生まれていくわけです。フライング・ロータスの『Cosmogramma』が出て、それまでも盛り上がっていたビート・ミュージック・シーンから、アリス・コルトレーンのようなスピリチュアル・ジャズの源流につながっていくものも現れて。一方で、カルロス・ニーニョはジェシー・ピーターソンと『Turn On The Sunlight』を出して、ビート・シーンとは離れた場所でアンビエントやフォークっぽいアプローチに行く。
 『Turn On The Sunlight」は僕がレコードも出したんですが、カルロスいわく「ジョン・フェイヒーとブライアン・イーノが出会ったらこんな音楽になる」って言っていて、当時はそれがよくわからなかったというか「これはどこに向かっている音楽なんだろう?」と思ったりしました(笑)。でも、そこからほどなくして、ニューエイジ・リヴァイヴァルと言われる音楽に注目が集まり、『I Am The Center: Private Issue New Age Music In America, 1950-1990』のようなコンピレーションが〈Light In The Attic〉から出るようになった。
 そして、そういう動きと並行して、カマシ・ワシントンとかオースティン・ペラルタとか、ジャズ・ミュージシャンたちも当時はビート・ミュージックのレーベルだった〈Brainfeeder〉からジャズのアルバム(2015年にカマシ・ワシントン『The Epic』がリリース)を出すということも起きはじめる。
 さっき岡田さんが言っていたような、プレイヤー的な音楽もリスナー的な音楽もすべてが混ざり合っていくような土壌は、こういう動きのなかで完成されていったように見えるんですよね。

アンビエント的なものを内包したジャズというのは確実に出てきていますよね。こういう潮流が現行のLAシーンから生まれたということと、さらにその源流にはアリス・コルトレーンが1970年代に建てたアシュラム(僧院)があるんじゃないかと思います。(原)

そういうクロスオーヴァーな動きを牽引するようなミュージシャンたちは、どんな現場で育成されているのでしょうか?

原:例えば、LAジャズのメッカといわれるレイマート・パークにあるThe World Stageという老舗のジャズ・クラブはワークショップもおこなうコミュニティ・スペースでもあって、カマシやテラス・マーティンなんかも演奏していた。カマシたちが台頭したことで、The World Stageが綿々と続けてきたことにスポットライトが当たるようになりました。その後も、新しいプレイヤーを輩出し続けていて、いまのLAシーンで活躍している人たちにもここで地道に演奏してきたミュージシャンがいます。

玉井:THE PAN AFRIKAN PEOPLES ARKESTRAもThe World Stageのあるサウス・セントラルという地域で生まれていて、そうしたローカルなコミュニティからジャメル・ディーンのような新しい才能が出てきていますよね。

原:The World Stageはコミュニティをサポートして、教育の場になっているイメージですね。UKのトータル・リフレッシュメント・センターにも近い感じかな。

玉井:THE PAN AFRIKAN PEOPLES ARKESTRAのメカラ・セッションというドラマーのドキュメンタリー作品をdublabのフロスティとアレ(Alejandro Cohen)がプロデューサーとして制作しているんですが、ジャズ・スピリットがどうやって継承されていくか、みたいなことが語られていて。その系譜のなかにカマシやジャメル・ディーンたちがいるんだということがわかります。

https://www.pbssocal.org/shows/artbound/episodes/the-new-west-coast-sound-an-l-a-jazz-legacy
The New West Coast Sound: An L.A. Jazz Legacy

音楽が静かになっていく、その心とは?

昨今のLAのコンテンポラリーなジャズ・ミュージシャンたちは、一見オーセンティックでストレートアヘッドなジャズをやっていても、カルロス・ニーニョが提示したような感覚を持ってやっているというのは感じます。皆、極めて静かな演奏をしますよね。(岡田)

原さんから語られた2010年代の動きがその後向かった先のひとつが、昨今のジャズとアンビエントが接近したようなサウンドということにもなるわけですね。

原:「アンビエント・ジャズ」という呼称が適切なのかはわからないのですが、アンビエント的なものを内包したジャズというのは確実に出てきていますよね。象徴的だったのはやはりアンドレ3000がカルロス・ニーニョたちと作った『New Blue Sun』です。ヒップホップ・アーティストがスピリチュアル・ジャズやニューエイジにアプローチしたような作品で、もうこれが決定打になった感じがします。

 こういう潮流が現行のLAシーンから生まれたということと、さらにその源流にはアリス・コルトレーンが1970年代に建てたアシュラム(僧院)があるんじゃないかと思います。80年代にはLA郊外のさらに広大な土地に移って、商業的なリリースに背を向けてヴェーダ聖典を学ぶ人びとに向けて音楽活動をおこなっていた。
 フライング・ロータスや、アンドレ3000のバンドでキーボードを弾いているスーリヤ・ボトファシーナなんかは、アシュラムに出入りしていた人たちなんですよ。スーリヤはアリスの愛弟子で、アシュラムで育ったあとに名門のニュースクール大学に行ってジャズを学んでもいる。彼のようなミュージシャンも登場していて、カルロス・ニーニョと当然のようにつながっているわけです。
 『Cosmogramma』もそのきっかけのひとつだけど、アリス・コルトレーンのような音楽が再評価されて、一般的なリスナーにも聴かれるようになったことというのが、大きな流れのなかで影響を及ぼしているんじゃないかと思いますね。

岡田:クラブ・ジャズの文脈でスピリチュアル・ジャズの再評価がされた時代がありましたけれど、今日の視点は少し異なりますよね。それこそアリスの音楽はそこからも漏れてしまっていたと思いますし。

原:カルロスがビルド・アン・アーク(Build An Ark)をはじめたときはそういうクラブ・ジャズの流れで評価されていたわけだけど、それ以降のカルロスはビートを外す方向に行くわけです。おそらくですが、カルロス本人の考えとして、ビートを外さないと次にいけないと思ったんじゃないかと思うんですよね。ビルド・アン・アークはミュージシャンの集まりで、カルロスはほとんど演奏しないけどバンド・リーダー的な影響力があって、例えるならキップ・ハンラハンみたいな存在でもありました。でも、そのままプロデューサーに進むのではなく、プレイヤーとリスナーの中間みたいな居場所を見つけようと模索していたんではと思います。だから、ニューエイジやアンビエント的なものに振り切れば、いろいろなことができると思ったんじゃないかと。

玉井:カルロスが『ユリイカ』のインタヴューで語っていたことですが、「人は成熟するにつれてビート・ミュージックから離れていくものなんだ」みたいな、なかなか過激なことを言っていましたね(笑)。フィジカルに高揚するものではなくて、より自由な音楽の形を自己の内側に求めていたということなんでしょうね。

岡田:アンビエント・ジャズのようなサウンドは、まさにリスニング視点から生まれたものとも言えますよね。例えばマイルス・デイヴィスの黄金クインテットなんかは流動的に伸縮する身体性が注目される印象です。ですが、スタジオ作品においては抑制されていると言いますか、非常にプロデュース的な作品であったりもします。言わずもがな黄金クインテットのライヴは極上ですが、ここにおけるある種のプレイヤーズ・ミュージック的なセッションの部分がその後のプレイヤーや評論家に過度に注目され語られ引き継がれていった部分も少なくないように感じています。
 カルロス・ニーニョがビートを外したっていうのは、こうしたジャズにおけるこういった意味での火花が散るようなプレイヤーズ・ミュージック的なセッションへの再考と実践でもあるように感じています。そしてこれは必ずしも身体性との訣別というわけではありません。ビートこそありませんが、近年の彼の音楽の持つ身体性や自然環境のような流動性は作品を追うごとに増しています。熱を必ずしも外側に放射するのでなく、内的な熱にフォーカスすることもできる。前者が熱を帯びた会話や議論だとするなら、後者は会話もするけど、そんな大きな声も出さなくても会話ができるしそのなかにはビーチベッドでチルしてる人がいても良い感じと言いますか(笑)
 昨今のLAのコンテンポラリーなジャズ・ミュージシャンたちは、一見オーセンティックでストレートアヘッドなジャズをやっていても、カルロスが提示したような感覚を持ってやっているというのは感じます。皆、極めて静かな演奏をしますよね。大きい声を出さなくても会話ができる環境といいますか。

玉井:そういうアプローチはウェストコースト・ジャズでは昔からあるように思っていて、例えばジミー・ジュフリーがやっていたような絶妙な均衡で成り立っているアンサンブルのサウンドって、静謐で、ともすれば眠たくなるような演奏だけれど、それこそ現代のアンビエント・ジャズ的な耳で聴くとすごく良い。そういう音がジェフ・パーカーとか、いまのLAのジャズ・ミュージシャンに継承されているんじゃないかという気もしますね。

岡田:思えば、ジェフ・パーカーがETAでやっていたような(ETA IVtetの)セッションって、チコ・ハミルトンとかガボール・ザボのような、ドローンが基調にあってハーモニー的な起伏はできるだけ何も起こらない、当時のジャズ好きからしたら退屈とされてしまった音楽を思い起こさせますね。そしてこのミニマルな感覚は現代のLAジャズに通底するトーンを想起させます。

原:ジェフ・パーカーのソロ・ギター作品について「フリー・インプロヴィゼーション」ではなくて「フリー・コンポジション」とプレスリリースで説明されていた。即興演奏ではなくて、作曲しながら即興演奏しているんだと。それは言い得て妙ですよね。

岡田:これは本当に面白いですよね。カルロスがビートを外したことを踏まえて、その上で再びビートを取り入れ、複数人でお互いの演奏に耳を傾けながら即興的に組み立てていく。一見静かだけど、本当にスリリングで刺激的なサウンドだと思います。

ベーシックな文脈の上に、新たな行き先を提示する

僕はジョシュ・ジョンソンですかね。作品はもちろんですが、彼が去年dublabの番組に出た際の選曲がすごく良かったんですよ。それこそアンビエント・ジャズを俯瞰するような内容で。(玉井)

みなさんがいま追っているLAのアーティストやコミュニティについてもお聞きしたいです。

玉井:僕はジョシュ・ジョンソンですかね。作品はもちろんですが、彼が去年dublabの番組に出た際の選曲がすごく良かったんですよ。それこそアンビエント・ジャズを俯瞰するような内容で、ジョシュア・エイブラムスの新譜とかもかけていて、ジョシュのルーツにシカゴ音響派と呼ばれたような時代の音楽もやはりあるんだろうか、とか。

https://www.dublab.com/archive/frosty-w-josh-johnson-celsius-drop-10-10-24

岡田:トータスをはじめシカゴの音響的な音楽を聴いていたジャズマンがミニマルなジャズをやったら絶対おもしろいじゃん、とかそういうことを考えている人が当たり前にいる世界なんですよね。ゴリゴリにジャズができるけど、タウン・アンド・カントリーも吉村弘も好きみたいな人がたくさんいる。僕もそういう話だけをしていたい……(笑)。

玉井:(ジョシュの選曲のなかで)あとはダニエル・ロテムとかもかけていて。

岡田:多重録音で作ってるひとですよね。すごく良かった!

原:ダニエル・ロテムの作品を出している〈Colorfield Records〉というLAのレーベルはすごく良いですよね。アンビエント・ジャズっぽいものも出しているレーベルなんですが、例えばマーク・ジュリアナやラリー・ゴールディングスの作品も普段の作風とは異なる音響感になっていたりする。レーベルのプロデューサーがピート・ミンという人なんですが、彼は必ずアーティストとマンツーマンでスタジオに入って一緒に作品を作り上げるというスタイルらしくて。

岡田:理想的ですよね。優れたジャズ・プレイヤーにこんな演奏をしてほしい、っていうコミュニケーションをしながら作品を作っていくというのは。ジャズの人たちはみんな演奏力が高いから、言ったことをなんでも体現してくれる。

原:プロデューサーとして正しいことですよね。とりあえず一緒にスタジオ入ろう、っていうのは。

岡田:一対一の〈ECM〉みたいな。

玉井:マンフレート・アイヒャーとマンツーマンは怖いですね(笑)。

最後に、岡田さんが注目しているアーティストは誰でしょうか。

岡田:ディラン・デイというギタリストですね! 彼は本当に面白いギタリストです。日本にはサム・ウィルクスのライヴで来ていましたけど、やばい音を出す人だなと思ってステージの足元を見に行ったら、チューナーしか置いていなかった(笑)。いわゆるデレク・トラックス的な上手さもある人なんですが、マッチョな演奏ではなく、すごく抑制が効いていて。スライド(・ギター)のプレイも時にサイン波の電子音のように聴こえたり。

 プリミティヴなアメリカーナがルーツなんだと思うんですけど、サム・ウィルクスみたいな未来的な志向のあるサウンドにエフェクターなしで入り込めちゃうというのは、ちょっとショックですらありますね。Phi-Psonicsの次の作品にも参加しているらしく、自分のかたちを変えないでどんな音楽にでも入っていけるというのは、いまの時代に珍しいスタイルだと思います。
 ディラン・デイしかり、SMLなどに参加しているグレゴリー・ユールマンとか、ジャクソン・ブラウンの来日公演で観たメイソン・ストゥープスとか、すごく面白いギタリストがLAからたくさん出てきている。トラップが全盛だった2010年代というのは、多くのギタリストはギターの役割について向き合わなくてはいけない時代で、自分もそういうことを考えていた。いま一度、ギターという楽器を楽曲のなかでどう位置づけるか、どうやって新しいサウンドを見つけるかという模索を、彼らもこの10年してきたんじゃないかという気がします。それを経て2020年代に入って新しい可能性を提示しているんじゃないかと。

彼らに共通している特徴を見出すことはできますか?

岡田:いまはエフェクターでできることが拡張しているなかで、テクノロジーを使ってどんな音を出すかを模索するうちに、どんな変わった音を出すかというペダリストに陥ってしまいがちな時代だと思います。ときに鳥の鳴き真似合戦になってしまっていないか、とか(笑)。彼らはユニークな音も扱うけど、極めてギターをギター的に弾くことで勝負できる人たち。ブルース、ジャズ、カントリーというベーシックなアメリカの音楽史の流れのなかでのエレキ・ギターが、ギターについて本当によく知っていますし、現代の音楽に対してこの古典的な楽器でどうアプローチすれば、どこに向かっていけば面白いのか、について本当によく考えていると思います。そういう文脈がないと、音楽自体がどこへ向かっていけばいいかわからなくなってしまうようにも思う。文脈がないと、結局ペダリストになってしまうとも言えるし。だから彼らのことは、120%支持したいですね。

ストーンはあまりにも高く舞い上がり、あまりにも激しく墜落したため、挫折した希望と閉ざされたユートピアの生きたメタファーとなったのだ。 ――『ガーディアン』書評より

黒人音楽のルールを完全に変え、
サマー・オブ・ラヴの象徴となって
ブラック・ポリティクスをポップスに流し込み、
そして時代の頂点に立った男の、ウィットに富んだ赤裸々な回想録

 2025年6月9日、永眠したスライ・ストーン。『サンキュー またおれでいられることに――スライ・ストーン自叙伝』は、スライの波瀾に満ちた人生の “光と影” を、余すところなく綴った回想録だ。
 キャリア初期のラジオDJやレコード・プロデューサー時代から、60年代末のサンフランシスコ音楽シーンの頂点、そして70~80年代ロサンゼルスの深く重く、混沌とした日々へと物語は進む。舞台はステージであり、豪邸であり、家族や著名人たちとの交遊のなかでもある。ここに描かれるのは、欠落を抱えた人間の姿と完璧なまでの芸術性とのせめぎ合い。
 共著者には、ジョージ・クリントンやブライアン・ウィルソンの回想録にも携わった作家ベン・グリーンマンを迎え、『サンキュー またおれでいられることに――スライ・ストーン自叙伝』は、鮮烈で、ときに恐ろしく、だが最終的には深く肯定的な人生とキャリアの旅路となっている。

[著者]
スライ・ストーン(Sly Stone)
1943年、テキサス州デントンにてシルヴェスター・スチュワートとして生まれ、幼少期にカリフォルニア州ヴァレーホへと移住。ドゥーワップ歌手、ラジオDJ、レコード・プロデューサーとしての短いキャリアを経て、彼は〈スライ&ザ・ファミリー・ストーン〉を結成、その中心人物として活動する。このバンドは、黒人と白人、男性と女性、兄弟姉妹による混成グループであり、ロック、ソウル、ファンクを融合させた革新的なサウンドによって、ポップ・ミュージックの地平を大きく塗り替えた。ウッドストック・フェスティヴァルへの出演で一世を風靡し、「エヴリデイ・ピープル」「サンキュー」「ファミリー・アフェア」といった代表曲は、1960~70年代のアメリカ文化の変遷を映し出すと同時に、その時代を象徴する国民的アンセムとして今なお鳴り響いている。絶頂期から薬物依存に苦しみ、次第に表舞台から姿を消すことになるが、その音楽的影響力はむしろ増すばかりだった。気まぐれで風変わり、唯一無二の閃きを放つスライ・ストーンは、まさにアメリカが生んだ真のオリジナルである。2025年6月9日、ロサンゼルスにて永眠。

ベン・グリーンマン(Ben Greenman)
シカゴ生まれ、マイアミ育ち、その後ブルックリンに移住。『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラー作家であり、ノンフィクションとフィクションの双方を手がける。これまでにクエストラヴ、ジョージ・クリントン、ブライアン・ウィルソン、スティーヴィー・ヴァン・ザントらとの共著を発表、翻訳されたものとしてはクリントンとの『ファンクはつらいよ』(DU BOOKS)、クエストラヴとの『ミュージック・イズ・ヒストリー』(シンコー・ミュージック)がある。批評やジャーナリズムの分野でも活躍し、長年編集者を務めた『ザ・ニューヨーカー』誌をはじめ、『マイアミ・ニュー・タイムズ』など多くの媒体に寄稿してきた。なお、彼もまた、読者のあなたに感謝を捧げたい。

[本文より]
 「連れて行きたい、もっと高くに」。おれが歌うと、観客は最後の言葉を歌い返してくれた、「もっと高くに!」。全員がだ。すげえ。
 そのまま続けさせた。おれがそうした。
 「そう、『もっと高くに』。で、ピースサインを掲げるんだ。大丈夫、何も損はしないから。ただ、うん、やっぱりまだ躊躇してる人がいるみたいだね。承認が要ると思ってるんだろ、自分にとって得になるかもしれないことをするだけなのに」
 「連れて行きたい、もっと高くに」が出て行った。「もっと高くに」が返って来た。言葉の意味するものがぐんと広がった。それはいまや、たんに良い気持ちや良い薬物で自らを上げ続けろ、とは言っていなかった。それはいまや、自分を下げてしまうあらゆるものを打ち負かせ、と言っていた。それは、自らが抱える問題の乗り越え方を教えてくれる一つの指南だった。それは、一つの解決策だった。

目次

前奏(イントロ)

序章 おれがおれにいてほしいなら(イフ・アイ・ウォント・ミー・トゥ・ステイ)

パート1 新しい世界(ア・ホール・ニュー・シング)

1章 家族の話(ファミリー・アフェア)(1943~1955)
2章 青春話は簡潔に(シング・ア・シンプル・ソング)(1955~1963)
3章 やればできるさ(ユー・キャン・メイク・イット・イフ・ユー・トライ)(1946~1966)
4章 社会的弱者(アンダードッグ)(1966~1967)
5章 音楽に合わせて踊れ(ダンス・トゥ・ザ・ミュージック)(1968)
6章 連れて行きたい、もっと高くに(アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイヤー)(1969)

パート2 リッスン・トゥ・ザ・ヴォイス

7章 夏の日の熱き楽しみ(ホット・ファン・イン・ザ・サマータイム)(1969~1970)
8章 人は皆、誰もがスター(エヴリバディ・イズ・ア・スター)(1970~1971)
9章 おれ、笑顔だったろ(ユー・コート・ミー・スマイリン)(1971~1972)
10章 いずれ(イン・タイム)(1972~1973)
11章 するって言ってくれ(セイ・ユー・ウィル)(1974)
12章 スモール・トーク(1974)

パート3 思い出せ、自分が誰なのか(リメンバー・フー・ユー・アー)

13章 クロスワード・パズル(1975~1979)
14章 ファンクはより強靱に(ゲッツ・ストロンガー)(1980~1983)
15章 クレイジー(1984~1986)
16章 変調の時(タイム・トゥ・モジュレート)(1987~2001)
17章 復活劇(カミング・バック・フォー・モア)(2001~2011)
18章 もしもこの部屋が喋れたなら(イフ・ディス・ルーム・クッド・トーク)(2012~現在)

後奏(アウトロ)

スライの謝辞
ベンの謝辞

Selected Discography

索引

Pulp - ele-king

 1995年という年は、いまとなっては当時の1965年と同じくらい遠い過去になった。1995年、グラストンベリー・フェスティヴァルのメインステージに、ストーン・ローゼズの代役として突如ヘッドライナーとして登場したパルプにとって、それはバンドの飛躍を意味したものだったが、同時に、イギリスのポップ・カルチャーにおける決定的な出来事でもあった。当時リリースされたばかりのシングル「Common People」は、その瞬間にして90年代を象徴するポップ・ソングとしての地位を確立したのだった。
 あのときの勝利は、周縁に追いやられてきた人びと、置き去りにされてきた人びと──インディ・キッズ、労働者階級、学校でいじめられ、スーパーマーケットの駐車場で暴力を受けていたような“変わり者”たちにとっての正当性の回復のようにも感じられた。
 あれから30年──2025年に(あまりうまく隠し通せなかった)シークレット・セットとして同じステージに戻ってきた彼らは、明らかに年齢を重ね、白髪も混じった風貌のバンドとなっていた。もっとも、ジャーヴィス・コッカーはもともと“老けた若者”のような佇まいで、彼の身体がようやく年齢に追いついただけとも言える。その意味では、彼の佇まいはあまり変わっておらず、2025年のパルプのライヴは、驚異と美しさに満ちたものだった。90年代の楽曲がひとつずつ演奏されていくにつれ、時間が逆流していくような錯覚を覚える。ジャーヴィスの表情や身振りが、いつしか過去の写真のなかの彼自身と重なっていき、ひとつひとつの曲が、ふたたび若さを帯びながら息を吹き返していくのだ。

 パルプの新作アルバム『More』は、こうした熟年期の彼らが生み出した作品である。そこには人生の静かな失望や諦念が、擦り切れた袖口のように滲んでいる。だがこのアルバムは同時に、過去の断片や未完の思考と緩やかにつながりながら、それらを現在へと開かれた「連続体」の一部として再構築している。過去と対話を重ねることで、それをいまなお生き続ける何かとして復活させている。

 オープニング曲 “Spike Island” は、1990年にザ・ストーン・ローゼズが敢行した伝説的な野外コンサートを参照している。この公演は、音響の不備や場当たり的な運営が問題視された一方で、インディ・カルチャーが時代精神を掌握した象徴的瞬間であり、パルプが1995年にグラストンベリーのメインステージに立つまでの流れを形成する上でも、重要な踏み石となった出来事だ。 “Slow Jam” に登場する「Cos I’m the resurrection man(だってぼくは復活の男だから)」という一節もまた、ザ・ストーン・ローゼズの代表曲 “I Am the Resurrection ” を想起させつつ、彼らが生み出した時代の空気がパルプの台頭を後押ししたという文脈をほのめかしている。
 アルバムにはその他にも、ポップ・カルチャーへの言及が点在している。 “Tina ” のなかの「Your lipstick on my coffee cup(コーヒーカップについた君の口紅)」という台詞は、90年代UKポップスの寵児テイク・ザットへのウィンクとして響く。そしてラスト曲 “A Sunset” では「I’d like to teach the world to sing(世界中に歌を教えたい)」というフレーズが繰り返される。これは、1971年に放映されたコカ・コーラのCM──海辺の夕焼けを背景に、若者たちが合唱するあの映像──に記憶の起源をもつかもしれないが、同時にオアシスの初期代表曲──ロジャー・クックとロジャー・グリーナウェイによる原曲 “I’d Like to Teach the World to Sing ” のメロディを流用していたことで知られている── “Shakermaker ” をも想起させる。

 もちろん、このアルバムにはパルプ自身の歴史も随所に織り込まれている。 “Got to Have Love ” でジャーヴィスが綴る「L-O-V-E」の綴り方は、1995年の名曲 “F.E.E.L.I.N.G.C.A.L.L.E.D.L.O.V.E. ” を明確に呼び起こすし、 “Grown Ups” における「Are you sure?(本気かい?)」という一言は、 “Common People” での印象的な語り口をなぞる。そして “Background Noise ” で告白される「Don’t remember the first time(最初のときのことは覚えていない)」という一節は、1994年の出世作『His’n’Hers』に収録された名曲 “Do You Remember the First Time? ” への静かな応答でもある。過去と現在、記憶と再演──それらはこのアルバム全体を通して繰り返し響き合いながら、パルプという存在の継続性を、静かに、しかしたしかに証明している。

 とはいえ、こうした過去のポップ・カルチャーにまつわるイースターエッグ[*復活祭に飾られるカラフルな卵/復活の象徴]の数々は、どちらかといえば時間の経過を示す通過点のようなものであり、このアルバムの核心にあるのは、ジャーヴィス自身による老いについての私的な黙想にほかならない。そしてそれは、かつて彼の楽曲を特徴づけていた、性的欲望や覗き見るような痛みを描いた物語の精緻な語り口とまったく同じ文体で遂行されている。
 2曲目 “Tina” は、 “Something Changed ” の構造を逆転させるような楽曲だ。あの曲では、語り手はまだ出会ってもいない女性との未来を夢見ていたが、 “Tina” では(おそらく既婚の)男が、実現しなかったもうひとつの人生──ある女性との長年にわたる幻想の関係──を回想するというかたちをとる。いや、より正確には、電車やカフェでふと目にする女性たちに向けて日常的に抱く、現実とは切り離された空想の象徴といった方がいいかもしれない。
 この曲の核心にあるのは、「老い」がいかにして人間から「別の人生」の可能性をひとつひとつ奪っていくか、という痛切なメタファーである。そしてそのメタファーは、女性の名前に込められた言葉遊びによって強調される。 “Tina” とは、マーガレット・サッチャーがかつて語った有名なフレーズ──「There Is No Alternative(他に選択肢はない)」──の頭文字なのだ。

“My Sex ” は、より近過去の記憶を反映している。ギリシャ悲劇のコロスを思わせる鋭く語りかけるようなバッキング・コーラスは、ジャーヴィス・コッカーが2019年に始動させたプロジェクト《Jarv Is...》の作風と語り口を彷彿とさせる。一方、 “Got to Have Love” は、別の興味深いアプローチを取っている。2000年前後に書かれたが一度はお蔵入りとなった楽曲を再構築し、いまのバンドの状況にふさわしいかたちで蘇らせているのだ。ディスコ的な律動が執拗に反復されるこの曲は、バンドの絶頂期の痛切な渇望──とりわけ “She’s a Lady” に通じるもの──をもっとも明示的に喚起するものだが、同時にジャーヴィスは、当時と現在とのあいだに広がる時間の隔たりを自覚的に見つめている。「It cannot be denied, I waited far too long / To believe, to believe in the words, I once wrote to this song(否定できない、ぼくはあまりに長く待ちすぎた/かつてこの曲のために綴った言葉を信じるために)」
 しかしながら『More』は、ブラーの近作『The Ballad of Darren』と同様、強いポップ性を前面に押し出すよりも、静かなテンポと内省的な憂いに重心を置いた作品である。ブラーのデーモン・アルバーンが“ダレン”という誰でもない架空の存在を媒介に老いについての思索を展開したのに対して、ジャーヴィス・コッカーはより直接的で、感傷に浸ることなく語りかけてくる。曲そのものも、しっとりとしたトーンのなかに、どこか切迫した緊張感を保っている。
  “Partial Eclipse” は、パルプがこれまで録音してきたなかでも屈指の名曲のひとつと言ってよいだろう。そしてアルバムを締めくくる “A Sunsets” は、すでにライヴでのハイライトとしての風格すら漂わせている。録音ではブライアン・イーノとその家族がバック・ヴォーカルに加わっているが、その響きはまるで、イーノの名作『Before and After Science』のB面に収められていても不思議ではないような、静謐かつ奥行きある余韻を残す。
 『More』に欠けているのは、作品全体を貫く強固な「音の輪郭」だ。少なくとも、それが『His’n’Hers』にあったような、きらめくシンセとグラム・ロック的華やかさで構築されたウォール・オブ・サウンドであったり、『This is Hardcore』のような、コカインの幻覚と偏執的閉塞感、そしてオーケストラルなギター・ノイズが渾然一体となった不穏な音響的スープであったりするような形では、ここには存在していない。

 もっとも、『More』も『This is Hardcore』と同じく、管弦楽的アレンジへの愛着を共有してはいる。だが本作を特徴づけているのは、むしろ過剰さを排した端正なプロダクション──それぞれの楽曲に必要な空間だけを与え、個々の曲が独立した輝きを放てるように配慮された、ミニマルで清潔な仕上げである。その意味で、アルバム全体の印象は『Different Class』に近い。じっさい、この『Different Class』との関係こそが、本作について考えるとき何度も立ち返ってしまう視点である。『More』は、90年代のあの名作の、老いを経た鏡像のようにも感じられる。年月に磨耗しながらも希望を失わず、どの曲も同じように独自性をもち、洗練され、控えめなながらしっかりとした自信をたたえた、もうひとつのポップの結晶としてそこにあるのだ。


Ian F. Martin

1995 is is distant in the past now as 1965 was then. When Pulp stepped onto the main stage at Glastonbury in 1995 as last-minute replacement headliners for The Stone Roses, it was a breakthrough moment for the band and a defining event in British pop life, cementing the position of their then-new single Common People as the iconic pop song of the decade. It felt like a triumph and vindication for the outsiders and the left-behind: the indie kids, the working class, the weirdos who got bullied at school and beaten up in supermarket car parks.

When they stepped onto that same stage for a (not very well kept) secret set in 2025, it was as an older, greyer, more weathered group. Jarvis Cocker always looked to me like an elderly man just waiting for his body to catch up, so he inhabits this ragged state well. This also means that he is remarkably unchanged, and Pulp live in 20205 is a thing of wonder and beauty: as the songs from their 90s unfold, time seems to flow backwards through them, Jarvis growing impossibly younger as the set goes on and one by one he begins to inhabit those photographs of another time.

Pulp’s new album, More, is a creature born of this older band — music that wears the quiet disappointments of life on its worn sleeves — but throughout, it connects to and runs with loose threads from the past, turning the past into part of a still-living continuum, in conversation with its older self.

Opening song Spike Island references The Stone Roses’ legendary 1990 outdoor concert, notorious for its poor sound and slapdash atmosphere but a key moment in indie culture’s seizing of the zeitgeist and an important stepping stone on Pulp’s route to that stage in Glastonbury. The line “Cos I’m the resurrection man” on Slow Jam also perhaps calls back to The Stone Roses and the role they had in shaping the atmosphere that enabled Pulp’s rise. Other pop cultural reference points dot the album too. The line “Your lipstick on my coffee cup” from Tina gives a wink in the direction of Take That. Meanwhile, closing song A Sunset repeats the line “I’d like to teach the word to sing”, which perhaps has its roots in a childhood memory of a 1971 Coke advert, featuring a choir of youngsters singing the line against the backdrop of a seaside sunset, but also summons the memory of Oasis’ early hit Shakermaker, which stole the melody of Roger Cook and Roger Greenaway’s original song.

Naturally, Pulp’s own history extends through the album too. The way Jarvis enunciates the letters “L-O-V-E” in Got to Have Love echoes F.E.E.L.I.N.G.C.A.L.L.E.D.L.O.V.E. from 1995, The line “Are you sure?” on Grown Ups nods to his famous delivery of the same phrase in Common People, and his confession of “Don’t remember the first time” in Background Noise calls back to Do You Remember The First Time? from Pulp’s 1994 breakthrough (and best) album His’n’Hers.

But all these little easter eggs from past pop moments are more like waypoints to symbolise the passage of time, while the heart of the album is Jarvis’ own personal meditations on growing old. This he does with all the storyteller’s attention to detail that characterised his early tales of sexual frustration and voyeuristic heartache. Second track Tina inverts the structure of Something Changed, where instead of the narrator dreaming of a future with a girl he hasn’t yet met, it takes the form of a (possibly married) man loking back over a decades-long fantasy of a life he never had with another woman — or more likely an avatar for all the other women he idly fantasises about in trains and cafés. The song underscores its metaphor for the way age closes down one alternative life path after another by making the woman’s name an acronym for Margaret Thatcher’s famous declaration of cancelled futures everywhere: “There Is No Alternative”.

My Sex reflects the more recent past, with its sharply delivered Greek chorus backing choir recalling the style and tone of Cocker’s 2019 Jarv Is project. Meanwhile, Got to Have Love takes another interesting approach, resurrecting an abandoned song from around the turn of the millennium and retooling it for the band’s current circumstances. With its insistent disco pulse, it’s the song that most explicitly summons the painful longing of the band’s heyday, particularly She’s a Lady, but with Jarvis noting the distance between the song’s roots and the band’s current lives as he sings “It cannot be denied, I waited far too long / To believe, to believe in the words, I once wrote to this song”.

Like Blur’s recent The Ballad of Darren, though, More leans less on bold pop statements and harder on its downtempo, melancholy side. Where Damon Albarn wrapped his own musings on advancing age in the distancing device of everyman Darren, though, Jarvis is more direct, less mournful, the songs still crisp and urgent in their own way. Partial Eclipse might be one of the best songs Pulp have ever recorded, and closing song A Sunset already feels like a live showstopper, the recorded version recruiting Brian Eno and most of his family on backing vocals for a tune that already feels like it could have sat comfortably on Side B of Before and After Science.

What More doesn’t have is a strong overarching sound of its own, or at least not in the way His’n’Hers did with its shimmering, glittering, synth-glam wall of sound or This is Hardcore did with its paranoid, claustrophobic brew of cocaine-sleaze and orchestrally-augmented guitar noise. While it shares the latter’s love of orchestral arrangements, the overall sound it’s characterised more by a tidy, unfussy production style that gives each of the songs what they need to shine individually, and in this way it more closely resembles Different Class.

It’s that relationship with Different Class that I keep coming back to with this album, and in many ways it feels like an older mirror to its 90s counterpart: worn down by the years but still hopeful, and each song every much as unique, elegantly crafted and quietly confident a piece of pop in its own more understated way.

〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉 - ele-king

BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025

 ele-kingで絶賛執筆中のデジさん(緊那羅:デジ・ラ)、音楽活動も精力的にやっています。7月20日に東京のアンダーグラウンドの牙城、幡ヶ谷 FORESTLIMITにて、〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉を主催します。とても面白そう。参院選の日、夜は幡ヶ谷に集合です!

〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉
Artists :
Heejin Jang
Taro Aiko from M.A.S.F.
Kinnara : Desi La
DJs : Moemiki
Deadfish Eyes 2025/07/20
幡ヶ谷 FORESTLIMIT
adv ¥2300 w/1D /// door ¥2500 w/1D
Open 18:00

2025/07/10迄——予約はaimaidebakuzen@yahoo.co.jp
2025/07/10以降——当日券(door)になります。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf7KdhsC8wMDdjymQtYj9MKyDc2ahmMig0ibbD8gwOy0jqVEw/viewform

 みなさん、こんにちは。お知らせがあります。7年ぶりにBEAUTIFUL MACHINEが帰ってき ます——その名も「BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE」。2013年に初開催し、6年間 続けてきましたが、様々な限界にぶつかり、沈黙していました。
 ノイズ・ミュージックとレイヴ・カルチャーの融合、そして「マシン」そのものへのオマー ジュという二重の意図から生まれたBEAUTIFUL MACHINEは、クラブ・シーンで活躍する DJたちと先鋭的な電子音楽アーティストたちをつなぎ、日本の2つの強力なアンダーグラ ウンド文化を11回以上にわたりクロスオーヴァーさせてきました。

 〈BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025〉では、韓国から電子音楽アーティストHeejin Jangをヘッドライナーとして迎えます。彼女の来日は2018年以来初となります。さらに、 ノイズペダルメーカーTaro Aiko (M.A.S.F.)、ジューク・シーンやGqom愛好家のMoemiki、そ してイベント〈Ximaira〉よりロマンティックなインダストリアルセレクションを届ける Deadfish Eyesが出演。そして最後に、緊那羅 : Desi Laが、新作「Demons to some, Angels to others」からの最新セットを披露します。

 After a 7 year absence, BEAUTIFUL MACHINE is back — this time as BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE. First launched in 2013, the event ran for 6 years straight before going dark. Inspired by the idea of fusing noise music and rave culture with the parallel dual intention of paying tribute to the "machine" itself, Beautiful Machine brought together DJs active in the club scene and seminal electronic artists, cross mixing two of the strongest underground cultures in Japan over 11 times.
BEAUTIFUL MACHINE RESURGENCE 2025 is bringing together headliner electronic artist Heejin Jang from Korea in her first visit to Japan since 2018 with noise pedal creator Taro Aiko of M.A.S.F., heavy hitting djs juke and Gqom enthusiast Moemiki and Deadfish Eyes of event Ximaira serving up a romantic industrial selection, and lastly Kinnara : Desi La, playing a brand new set from his upcoming release ”Demons to some, Angels to others”.

■Heejin Jang
 ヒジン・チャン(Heejin Jang)は、韓国・ソウルを拠点に活動する アーティストです。彼女のライブサウンドパフォーマンスでは、即 興のコンピュータ音楽を披露し、日常的で些細な音の要素から着想 を得て、それらを再構成し、瞑想的な体験やデジタルによって引き 起こされるパニックのような現象的な空間を創り出します。ヒジンは、ザ・ラボ(The Lab)、ヤーバ・ブエナ芸術センター (Yerba Buena Center for the Arts)、ムムック・ウィーン(mumok Vienna)、ハーベスト・ワークス(Harvestworks)、ライズームDC (Rhizome DC)、ハイ・ゼロ実験音楽フェスティヴァル(High Zero Experimental Music Festival)、センター・フォー・ニュー・ミュー ジック(Center for New Music)、ダブラブ(DubLab)などでライヴパフォーマンスや作品展示を行ってきました。彼女の音楽は、 『The Quietus』、『NPR』、『The Wire』などでも取り上げられて います。
Heejin Jang is an artist based in Seoul, South Korea. In her live sound performance, Heejin presents a set of improvised computer music. She arranges and synthesizes sonic spaces that draw from the everyday and the trivial, re-forming them into phenomenal situations of meditation or digitally induced panic.
Heejin played live and exhibited her pieces at The Lab, Yerba Buena center for the arts, mumok Vienna, Harvestworks, Rhizome DC, High Zero Experimental Music Festival, Center for New Music, DubLab, and many more. Her music has been reviewed on The Quietus, NPR, The Wire and more.
Music:Bandcamp: https://heejinjang.bandcamp.com/
Website: https://heejinjang.com/

■ Taro Aiko from M.A.S.F.
 ノイズ・シーンから圧倒的な支持を得る音響ブランドM.A.S.F.の開発者にしてエレクトロニクス奏者。自身が設計制作した発振器やエ フェクターを用いた独自のハードスタイルを追求・展開してきた。 近年はモジュラーシンセサイザーを用いた演奏を取り入れ、より過 剰な音響演出を試みる。節度や常識を一切考慮しないそのオリジナ ルな創作は、音を生成する瞬間に演奏者と聴き手の境界を溶解させ る、自己生成する生物としてのノイズである。
A developer of the highly acclaimed sound brand M.A.S.F., which has earned overwhelming support from the noise scene, and an electronics performer. He has pursued and developed a unique hardstyle using self-designed and built oscillators and effects units. In recent years, he has incorporated modular synthesizer performances, pushing toward even more excessive sonic presentations. His original creations, unconcerned with restraint or convention, generate noise as a self-generating organism that dissolves the boundaries between performer and listener in the very moment of sound creation.

■ Deadfish Eyes
 ポスト・パンクやニューウェイヴ等の音楽から強く影響を受け、インダストリアルミュージックやノイズを織り交ぜた、耽美主義的な表 現を得意とするDJ。 マイノリティのためのクィアパーティー「Ximaira」を主催し、レジデントも担当。
A DJ heavily influenced by post-punk, new wave, and known for their decadent expression that blends industrial music and noise. They are the organizer and resident of "Ximaira," a queer party for minorities.

■Moemiki
 トリップ・ホップからクラブ・ミュージックの世界に入り、フットワークの洗礼を浴びて2018年よりパーティオーガナイズと DJ活動を開始。エクスペリメンタル/ゴルジェ/フットワークを行き来す る呪術的なアプローチが持ち味。好きなBPMは160。
Entering the world of club music through trip-hop and baptized by juke/footwork, she began organizing parties and DJing in 2018. Her signature style is a shamanic approach that traverses experimental, gqom, and juke. Preferred BPM: 160.

■Kinnara : Desi La(緊那羅:デジ・ラ)
 緊那羅:デジ・ラは、電子音楽家、3Dモーションアーティ スト、グラフィック・デザイナー、クリエイティヴコーダーとしてジャンルを 横断しながら活動する多才なクリエイティヴ・アーティストです。新たなテク ノロジーと建築的世界のリズムを芸術を通して表現することにフォーカスし た未来派のアーティストでもあります。緊那羅:デジ・ラは、ライヴ・パフォーマンス作品であるオーディオ・ヴィジュアルパフォーマンス《CHROMA》やアンビエントAV作品《SPHERE OBJEKTS》、漆黒の中で行われる没入型電子音響体験《DARK SET》、多層的なテーマを持つ音楽リリース、そしてWeb3上に構築された抽象的なミクス トメディアによる空間的ゲーム/ギャラリーなど、幅広いメディアと表現形 式を行き来しながら活動しています。
 彼のヴィジョンの核心にあるのは、「未来主義」であり、社会の進化を積極的 に受け入れること。それは、過去のすべてを再解釈・再構成・再構築し、現 在そして未来の世代のために進化させるという考えに基づいています。保存 ではなく、再構成こそが重要なのです。
緊那羅:デジ・ラのヴィジュアル作品は、渋谷や銀座のアンダーグラウンドな 空間で展示されたほか、シンガポール、マレーシア、インドネシアなど海外でも発表されています。彼の代表的イベント《BEAUTIFUL MACHINE》は 2013年に始まり、6年間で11回開催された後、いったん幕を閉じましたが、 現在《BM》は再び蘇りつつあります。
Kinnara : Desi La is a versatile Creative prolific as an electronic musician, 3D motion artist, graphic designer, and creative coder working across genres. A futurist focused on expressing the rhythms of the new technological and architectural world through his art. Kinnara : Desi La bridges his art between live performance works like his audiovisual performance CHROMA and ambient audiovisual SPHERE OBJEKTS, pitch black DARK SET explorations in intense electronic listening, multi-thematic music releases and his abstract mixed media spatial game / gallery in web3. Kinnara : Desi La`s total vision embraces futurism, the embrace of advancement in society as a cornerstone of his world view. All things of the past should be reinterpreted, remixed, reconstructed, and rebuilt for the advancement of our current and future generations. Reconfiguration versus preservation.
Kinnara : Desi La`s visuals have been shown in the depths of Shibuya and Ginza and internationally in Singapore, Malaysia, and Indonesia.
Kinnara : Desi La`s flagship event BEAUTIFUL MACHINE began in 2013 and continued for 6 years over 11 times before going dark. Now BM is resurrected.
https://kinnara-desila--afrovisionary-creations.bandcamp.com/

Terri Lyne Carrington And Christie Dashiell - ele-king

 マックス・ローチの『We Insist!:Freedom Now Suite』(61年)は最高だ。コールマン・ホーキンスの雄々しいテナー・サックス。ブッカー・リトルの力強いトランペット。アビー・リンカーンの説得力溢れるヴォーカル。そして、ローチの紡ぐ強靭なグルーヴ。それだけで、なんの説明も要らないほどである。だが、同作がアフリカン・アメリカンの自由と権利を求めた闘いの所産だと知ると、少し聞こえ方が変わるかもしれない。公民権運動のスローガンとして制作され、奴隷解放宣言100周年を記念して発表された同作は、強烈なメッセージのこもったプロテスト・アルバムなのである。同時代の作品に較べても、切実さが違うのだ。
 そして、このアルバムに敬意を払って作られたのが、グラミー賞を4度受賞したドラマー/プロデューサーのテリ・リン・キャリントンと、グラミー賞ノミネート経験のあるヴォーカリストのクイリスティ・ダシールによる『We Insist 2025!』だ。オリジナルが偉大すぎるが故に重圧も相当だったのではないかと推測するが、仕上がりは文句なし。ジャズ、ブルース、ソウル、ゴスペル、ファンクなどを折衷した闇鍋的なグルーヴが脈打っている。なんだ、こちらも最高じゃないか。

 キャリントンとダシールはいずれも女性ミュージシャン。圧倒的な男社会だったジャズ・シーンの風向きが変わりつつあるのを反映してか、ゲスト陣も、ベーシストのミシェル・ンデゲオチェロ、ハープ奏者のブランディー・ヤンガー、フルート奏者のニコール・ミッチェルなど女性が多い。61年の『We Instst!』でローチらがアフリカン・アメリカンの誇りを歌い上げたように、本作ではジャズ界隈でマイノリティである女性ミュージシャンならではの矜持が表出している。

 フェラ・クティのお株を奪うようなアフロ・ビートの“Driva‘man”、キャリントンのリムショットが響き渡るスロー・ファンク“Freedom Day,Pt.1”、凄みの効いた朗読に圧倒される“Triptych: Resolve/Resist/Reimagine”、アビー・リンカーンへのリスペクトが浮き彫りになる“Dear Abbey”など、ふつふつと湧きあがってくる熱情が、風通しの良いネオ・ソウル的なサウンドで中和され、聴きやすくなっているのも特徴だ。本作が生みだされた背景や文脈を知らずとも楽しめるところも肝要だろう。

 影の主役は10曲中7曲に参加しているトランペッターのミレーナ・カサド。スペイン人の母とドミニカ共和国出身の父の間に生まれ、バークリー音楽大学で学んだ彼女は、つい先日、デビュー作『リフレクション・オブ・アナザー・セルフ』をリリースしたばかり。彼女はロイ・ハーグローヴの衣鉢を継ぐような――つまり、RHファクター的とも言える――ネオ・ソウル以降のサウンドを披露した。そのプレイにもぜひとも注目してほしい。それにしても、ブルーノートからデビューしたブランドン・ウッディーにせよ、黒田卓也にせよ、2018年に49歳で急逝したハーグローヴに敬意を示すトランペッターは数多い。この系譜も剋目に値するだろう。

Adrian Sherwood - ele-king

 先日少しお伝えしたエイドリアン・シャーウッド13年ぶりのソロ・アルバム『The Collapse Of Everything』がいよいよ8月22日にリリースされる。同作にはマーク・スチュワートやキース・ルブランへの追悼の意が込められているそうで、ルブランの演奏も使用されているようだ。さらには、ブライアン・イーノが書いた曲も含まれているとのことで、大いに期待できそうです。
 またこれにあわせて、今年もDUB SESSIONSの開催がアナウンスされた。11月19日(水)@六本木EX Theater、11月20日(木)@名古屋Club Quattro、11月21日(金)@大阪Gorilla Hallの3都市を巡回する。今回はシャーウッドが(新作にも参加している)タックヘッドのダグ・ウィンビッシュ──元々はシュガーヒルのハウス・バンド、つまりオールドスクール・ヒップホップの代表曲、グランドマスター・フラッシュ&フューリアス・ファイヴの “メッセージ” でベースを弾いていた人ですね。凄まじいテクニシャンなので必見です。ちなみにキース・ルブランはその時代のドラムです──をフィーチャーし、ライヴを披露するのみならず、マッド・プロフェッサー&デニス・ボーヴェルという、巨匠2組もステージに立つ予定。いやはや、なんとも強力な組み合わせだ。今年も見逃せない一夜になること間違いなし、早くも秋が楽しみです。

Adrian Sherwood

13年ぶりとなるソロアルバム『The Collapse Of Everything』を発表!!!

〈On-U Sound〉を率いるUKダブの総帥エイドリアン・シャーウッドが、13年ぶりとなるソロアルバム『The Collapse Of Everything』を発表! タイトルトラックが公開された。繊細かつ重層的なサウンドデザインと、ダブを基盤にジャンルの境界を越えて展開される冒険的な音響世界。マーク・スチュワートやキース・ルブランへの追悼の意も込められた本作は、シャーウッドの音楽人生と感情が凝縮された意欲作。ダグ・ウィンビッシュを中心に卓越したミュージシャン陣が集結。キース・ルブランの演奏やブライアン・イーノによる作曲を織り交ぜ、挑戦的かつドープなサウンドスケープを描き出す。
さらに国内盤CDには、アルバムに先駆けて発表されたEP作品『The Grand Designer』から、亡きリー・スクラッチ・ペリー参加曲「Let’s Come Together」含め3曲が追加収録される。


Adrian Sherwood - The Collapse Of Everything
YouTube https://youtu.be/KxDqK1QI6Yg
配信リンク https://on-u-sound.ffm.to/thecollapseofeverything

UKダブ界の名プロデューサー/ミキサーとして知られるエイドリアンだが、今回はミキシング・デスクの背後から前に出て、自身の冒険心に満ちたサウンドをこれまで以上に新たな領域へと押し広げている。そして、他アーティストのプロデュースと自身の作品との違いについて、次のように語っている。

「今まで何百枚も他人の作品を作ってきて、どれも誇りに思っている。でもソロ作品では、自分がすべての判断を下せるし、他の誰かを満足させる必要がない。今回のアルバムをライブでどう表現していくかも楽しみだし、多くの人が気に入ってくれると嬉しい。これは本当に良い作品だと思うんだ。」


新作完成を祝してUKダブの巨匠3人が、遂に一堂に会す!
20年目のDUB SESSIONSはマジカルな音の祭壇と化す!

ADRIAN SHERWOOD presents
DUB SESSIONS 20th ANNIVERSARY
THE COLLAPSE OF EVERYTHING
feat. ADRIAN SHERWOOD live with DOUG WIMBISH, ALEX WHITE, MARK BANDOLA

very special guests:
MAD PROFESSOR Electronic Dub Show

DENNIS BOVELL UK dUb MaNiAc (DJ SET)

東京 2025.11.19 (wed) EX Theater
名古屋 2025.11.20 (thu) Nagoya Club Quattro
大阪 2025.11.21 (fri) Gorilla Hall

open 18:00 / start 19:00
前売:8,800円(税込 / 別途ドリンク代)※未就学児童入場不可
info:[ http://www.beatink.com/ ] / E-mail: info@beatink.com

そんなエイドリアンの新作完成を祝して、UKダブ・シーンの3大巨匠たちが集結! 激熱ダブ・パーティーの開催が決定した!

長年にわたってUKダブの最前線を走り続けるエイドリアン・シャーウッドが手がけるシリーズイベント『DUB SESSIONS』が、今年ついに20周年を迎える。これまでに古くはリー・ペリーやザ・スリッツらを招き、近年では一昨年の大反響を巻き起こしたアフリカン・ヘッド・チャージとGEZAN、昨年はホレス・アンディと〈ON-U Sound〉の原点バンド=クリエイション・レベルが共演するなど、毎回毎回、錚々たる伝説級の出演者たちがシーンもフロアも大激震の熱い内容でソールドアウトを連発してきた。

今年のラインナップも超豪華だ。エイドリアン・シャーウッドが13年振りとなるソロ名義の新作アルバム『The Collapse Of Everything』を引っさげて、タックヘッド、シュガーヒルの伝説的ベーシスト、ダグ・ウィンビッシュら3名から成るバンドを引き連れライブDUBパフォーマンスを披露する。

さらに、80年代UKデジタル・ダブの先駆者としてその名を轟かせ、独自のサイエンスとユーモアでダブの表現領域を拡張し続けてきたMad Professorが、超絶ミキシング・テクニックを武器にスペシャル・ライヴ・ダブショウを披露。

そして、マトゥンビでの活動をはじめ、ポップ・グループやザ・スリッツなどの先鋭音楽においてもラヴァーズ・ロックにおいても数々の大名盤を創り出してきた真のレジェンドDennis Bovellが極上のDJセットで空間を揺らす。

UKで奇妙な進化を遂げたダブという音楽を根底から支え続けてきた3人のマスターが奇跡的に集う、まさに“DUB SESSIONS”。マジカルな音響と重低音に身を投げ、全身で体感せよ!

エイドリアン・シャーウッド待望のニューアルバム『The Collapse Of Everything』は8月22日(金)世界同時リリース。国内盤CDにはボーナストラック3曲と解説書を封入。LPは通常盤(ブラック・ヴァイナル)に加え、限定盤(クリア・ヴァイナル)が発売。限定盤LPは数量限定の日本語帯付き仕様(解説書付)でも発売される。国内盤CDと日本語帯付き仕様盤LPは、Tシャツ付きセットも発売決定。

【チケット詳細】
前売:8,800円 (税込 / 別途1ドリンク代) ※未就学児童入場不可
・東京:1F オールスタンディング / 2F 指定席
・名古屋・大阪:オールスタンディング

先行発売:
BEATINK主催者先行:7/2(wed)18:00~ (※限定枚数・先着、Eチケットのみ)
イープラス・プレイガイド最速先行受付:7/3(thu)12:00〜7/6(sun)23:59~(抽選)

[東京]
LAWSONプレリクエスト:7/7(mon)12:00〜7/8(tue)23:59~
イープラス・プレオーダー:7/7(mon)12:00〜7/8(tue)23:59~

[名古屋]
QUATTRO WEB先行:7/7(月)12:00〜7/8(火)23:59
イープラス・プレオーダー:7/7(mon)12:00〜7/8(tue)23:59~
ぴあプレリザーブ:7/7(mon)12:00〜7/8(tue)23:59~
LAWSONプレリクエスト:7/7(mon)12:00〜7/8(tue)23:59~

[大阪]
イープラス・プレオーダー:7/7(mon)12:00〜7/8(tue)23:59~
LAWSONプレリクエスト:7/7(mon)12:00〜7/8(tue)23:59~
ぴあプレリザーブ:7/7(mon)10:00〜7/8(tue)23:59~

一般発売:6月28日(土)10:00〜
[ イープラス ]
[ チケットぴあ ]
[ LAWSON TICKET ]
[ BEATINK ]

問合せ:
[東京] INFO: BEATINK 03-5768-1277 www.beatink.com
[名古屋] 名古屋クラブクアトロ 052-264-8211 http://www.club-quattro.com/
[大阪] SMASH WEST 06-6535-5569 https://smash-jpn.com/

公演詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15187

label: On-U Sound / Beat Records
artist: Adrian Sherwood
title: The Collapse Of Everything
release: 2025.8.22
商品ページ: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15197

01. The Collapse Of Everything
02. Dub Inspector
03. The Well Is Poisoned Dub
04. Body Roll
05. Battles Without Honour And Humanity
06. Spaghetti Best Western
07. The Great Rewilding
08. Spirits (Further Education)
09. Hiroshima Dub Match
10. The Grand Designer
配信: https://on-u-sound.ffm.to/thecollapseofeverything

CD+Tシャツセット

LP+Tシャツセット

CD

限定LP

LP

interview with GoGo Penguin - ele-king

 UKの新世代ジャズを代表するゴーゴー・ペンギン。クリス・イリングワース(ピアノ)、ニック・ブラッカ(ベース)、ロブ・ターナー(ドラムス)というピアノ・トリオ形式の彼らは、通常のジャズの枠では括り切れない存在だ。「アコースティック・エレクトロニカ・トリオ」とも評される彼らは、これまでのピアノ・トリオの概念を変えるスタイルで、クラシックや現代音楽はもとより、テクノ、ドラムンベース、ダブステップ、エレクトロニカといったクラブ・ミュージックの要素や概念を演奏や作曲に取り入れており、アプローチとしてはエレクトロニック・サウンドをアコースティックな生演奏で表現しているとも言える。2018年に『A Humdrum Star』リリース後の来日ツアー時に取材した際は、「あくまで演奏の軸となるのはアコースティック楽器。僕らのスタイルであるアコースティック楽器で演奏するエレクトロニック・ミュージックというのに変わりはない」と発言していた。

 そんなゴーゴー・ペンギンだが、2020年に自身の名を冠した『GoGo Penguin』を発表した後、世界はコロナ禍に見舞われる。そして、2021年にドラマーがロブ・ターナーからジョン・スコットへと交替し、2015年から契約を結んできた〈ブルーノート〉から離れることになった。そうして2023年に新生ゴーゴー・ペンギンは、〈ソニー・マスターワークス〉傘下の新レーベル〈XXIM〉から第1弾アルバム『Everything Is Going To Be OK』を発表し、コロナのために長らく封印されてきたワールド・ツアーも再開する。精力的にツアーをおこなうなか、2023年のフジ・ロック・フェスティバル出演をはじめ、日本でも何度か公演をおこなってきた。2024年には地元マンチェスターでのスタジオ・ライヴを収めた『From the North: Live in Manchester』をリリースし、スタジオ録音による音源がライヴでさらに変化や進化を遂げているところも見せてくれた。そして、このたびスタジオ録音盤としては2年ぶりのニュー・アルバム『Necessary Fictions』が発表された。あくまでアコースティック楽器によるトリオ演奏にこだわってきた彼らだが、今回はシンガーなどゲスト・ミュージシャンとの共演があるなど、いろいろと変化が見られる。もちろん3人の演奏という核となる部分はそのままに、新たに挑戦しているところも見られるアルバムだ。そんなところを含め、マンチェスターの自宅にいるクリス・イリングワースとニック・ブラッカに話を訊いた。

ゴーゴー・ペンギンはピアノ・トリオというとらえ方をされることもあるんだけど、実際にはそんなことはなくて、3人が平等な関係にあるグループなんだ。(クリス・イリングワース)

今回のele-kingのインタヴューは、2018年の『A Humdrum Star』リリース後の来日ツアー時に取材して以来となりますが、この7年間でバンドにはいろいろと変化がありました。2021年から2023年にかけてとなりますが、ドラマーがオリジナル・メンバーのロブ・ターナーからジョン・スコットへ交替し、〈ブルーノート〉から〈XXIM〉へ移籍しました。コロナ禍やパンデミックによる社会の変化にも重なっていたと思いますが、この頃バンドには何らかの変革があったのでしょうか?

ニック・ブラッカ(以下、NB):確かに、そのとき起こっていることは人間わからないものだし、バンドに限らず人って日々ゆっくり成長したり、変化しているじゃないか。だから後で振り返ったとき、こんなにも変わったんだなって思うんであって、その真っただ中にいるときは変化に気づかないものだったりする。でも、言われたとおりに『A Humdrum Star』の後にコロナになって、コロナ以前と以降で世界が変わったし、個人的にも変わったところがあったと思う。それはドラマーが新しくなったりとかもあるけれど、いま変化を経た後、とってもいい場所に自分たちはいるなと思っている。

レーベルの移籍について掘り下げると、〈ブルーノート〉はジャズ専門レーベルで、一方〈XXIM〉はもっと幅広く音楽全般を扱うなかで、特にポスト・クラシカルなどに強いレーベルというイメージがあります。そうしたレーベル・カラー的なものがバンドの方向性に繋がったところはあったりするのでしょうか?

クリス・イリングワース(以下、CI):う~ん、それはどうかな……最初〈ブルーノート〉と契約したときはすごく誇らしいことだったし、大きなレーベルだったから自分たちにとって大事件だったけど、でも音楽的にはこういったものを作れというようなプレッシャーをかけられることは一切なくて、自分たちのやりたいようにさせてくれた。ただ、確かに〈ブルーノート〉と言えば世界を代表するジャズ・レーベルだから、自分たちのなかで知らず知らずのうちにそれに見合ったものを作らなきゃというようなプレッシャーをかけてしまっていたのかもしれないけどね。そして、〈XXIM〉に移ったからといって、自分たちがポスト・クラシカルなものをやっているかといえば、そうじゃないと思う。自分たちにはロックとか、ドラムンベースとか、もっとエレクトロニックなサウンドとか、そういった影響もあったりするわけで。何をするにしても、レーベルは100パーセントの力で我々をサポートしてくれて、やりたいことをやっていいと言ってくれてるから、本当に自由にできているんだ。バンドって僕ら3人だけじゃなく、マネージャーやレーベルなどを含めたチームだと思っているから、そのチームの全員がそれぞれの役割を果たしているんだ。日本だとレーベルは〈ソニー・ミュージック〉になるんだけど、世界中をツアーとかで回るときも、そうした各国のレーベルが僕らをサポートしてくれているからね。

ロブからジョンへのドラマーの交代は、バンドのサウンド面での変化をもたらしましたか?

CI:人間関係ってつねに動いたり、変化したりするものだと思うんだ。音楽に対する考え方だったり、もしくは仕事への取り組み方だったりとかに変化や違いが出てくることがあるんだけど、バンドを続けていくなかで僕とニックはより絆が深まっていって、一方ロブは離れることになってしまった。ゴーゴー・ペンギンは僕とニックによってある程度できあがっていた部分があるけど、そこに新たにジョンという個人が入ってきた。彼は僕らと音楽への考えや向き合い方をシェアできる人物だと思う。ゴーゴー・ペンギンは僕がピアニストということもあって、ピアノ・トリオというとらえ方をされることもあるんだけど、実際にはそんなことはなくて、3人が平等な関係にあるグループなんだ。グループによっては、メインがいて自分はサポート的な立場でいいと満足するミュージシャンがいたりする場合もあるけど、ジョンは決してそうではなくて、バンドの同じ3分の1を担うミュージシャンなんだという意識で挑んでくれる。一緒にやり始めて4年が経つけれど、もっとそれ以上に長くやっているような気にさせてくれるんだ。僕とニックの間には阿吽の呼吸みたいなものがあるけど、ジョンはそれを理解しようと努めるだけじゃなく、その上に新たなアイデアを出してくれることもあって楽しいんだ。僕ら3人は兄弟とか家族のように一緒にいて居心地のいい関係を築けていて、今後もさらにいいものになっていくんじゃないか楽しみだよ。

年をとるとこれまで辿ってきた道を振り返ることが増える。それは感傷的になってノスタルジーに浸るのではなくて、自分がこれまでやってきたことは一体何だったのだろう? 不要なものがあったのではないか? それは捨ててしまうべきではないだろうか? そんなことを考える時期で。(ニック・ブラッカ)

ここからは新作についていろいろ話を伺います。まず抽象的なタイトルの『Necessary Fictions』について、ニックのセルフ・ライナーでは「私たちができる限りオープンで正真正銘の人間であろうと努力し、幼少期に身につけた保護マスクを脱ぎ捨てることを意味している」と述べていますが、今回のアルバムには自身の振り返りや客観視があったということでしょうか? “Umbra” や “The Truth Within” など、自我や自身の内面を探求するような楽曲が多く見られるわけですが。

NB:直接的には『Middle Passage』という本を読んだことがヒントになっている。人が年をとって中年に差し掛かってきたころに感じることが書かれていて、たとえば若いときは先のこと、次のことばかり考えるものだけれど、年をとるとこれまで辿ってきた道を振り返ることが増える。それは感傷的になってノスタルジーに浸るのではなくて、自分がこれまでやってきたことは一体何だったのだろう? 不要なものがあったのではないか? それは捨ててしまうべきではないだろうか? ……などと自分も含めてそんなことを考える時期にきていて、それを『Necessary Fictions』という言葉に託した。そしてバンドに当てはめると、ある曲を書いて、これまでとは全然異なるタイプの曲ができたときに、周りのオーディエンスはそれを一体どう考えるだろうか? いままでと違い過ぎて受け入れられないんじゃないか? と頭に過ることがあるかもしれない。でもそうではなくて、いま自分たちが本当にやりたいこと、進むべき道を歩むことこそが大切だと思っていて、それが『Necessary Fictions』なのだと。

『Middle Passage』は誰かのエッセイ、もしくは何か心理学に関する本ですか?

NB:ジェイムス・ホリスという心理療法士の本だ。僕の妻も心理療法士で、彼女にもこの本をリコメンドしてあげたよ。僕はいろいろなことに興味があって、心理学もそのひとつなんだけど、毎週いろいろな本を推薦してくれるニュースレターに登録していて、そこからこの本を見つけたんだ。こうした具合に頭の中、心の中をいろいろな角度から読み解いていくことがとても好きなんだ。

いままでにない新しいタイプの曲によって人々が混乱するんじゃないかと仰いましたが、『Necessary Fictions』は “What We are and What We Are Meant to Be” という曲が象徴するように、過去のゴーゴー・ペンギンと現在の自分たちを対比させ、新たな世界を生み出していく姿勢が見られるのではないかと思います。その最たる例が “Forgive the Damages” で、ゴーゴー・ペンギンにとって初めてシンガーとコラボした楽曲となっています。フォーキーなムードの素晴らしい作品となっていて、これまでのゴーゴー・ペンギンのイメージを覆すものとなっていますが、どのような意図でこの曲を作りましたか?

CI:ヴォーカルを入れたり、シンガーとコラボすることは、ずっと昔から考えてはいたんだ。実際に他の人やシンガーの側からオファーを受けたこともある。そうした際には、僕らの音楽にとってそれが必要なものなら、必然性のあることなら考えるよと返事はしてきた。そうして、その必要がないままいまに至っていたんだ。今回 “Forgive the Dameges” の原型となる曲を書いたときには、ヴォーカル曲を作ろうと思ってスタートしたのではないんだ。ただオープンでまっさらの状態から始めたんだけど、作っていくなかで強く感情を揺さぶられるものが芽生えてきて、インストのままだと何かひとつ物足りないなと思うようになった。じゃあ何を入れようかってなったとき、最初はフィールド・レコーディング的に人の声や会話、ノイズを入れようとした。でも何か違う。次にスポークンワードを入れてみたけど、これもちょっと違う。じゃあ、ヴォーカルを試してみようかということで、やってみたんだ。だから、最初からヴォーカル曲を作ろうとしたんではなくて、いろいろと紆余曲折を経てできた曲なんだ。

NB:ヴォーカルのダウディは昔からの友人で、いまはスロヴァキアに住んでいるんだけど、昨年たまたまマンチェスターに来る用事があったから、そのタイミングでレコーディングに呼んだんだ。その日はマンチェスターにしては珍しく天気が良くて、スタジオにある庭でお茶を飲んで、アルバムの話とか、さっき言った心理学の本の話をしてあげた。曲のデモを彼に聴いてもらったら、歌詞を作って歌ってくれて、そうやってレコーディングしたんだ。

人間が住む場所や環境は人間にとってとても大事なものだし、僕らもツアーなどから家族や友人のいるマンチェスターに戻ってきて、いまの自分がいるのはこのホームあってのものなんだということを実感する。(ニック・ブラッカ)

ダウディ・マツィコはウガンダ人の両親を持つシンガー・ソングライターで、あなたたちとマネージャーが共通するポルティコ・カルテットのサポート・アクトを彼が務めていたときに知り合ったそうですね。彼が持つダークなムードは、ロンドンのアルファ・ミストが作るヴォーカル作品にも通じるイメージがあります。

NB:うん、わかるよ。

『Necessary Fictions』にはほかのアーティストとのコラボがいくつかあって、室内音楽楽団のマンチェスター・コレクティヴやヴァイオリン奏者のラーキ・シンと共演しています。その “Louminous Giants” や “State of Flux” では、彼らの奏でるストリングスがこれまた新たな化学反応を起こしているわけですが、こうしたストリングスとの共演はいかがでしたか?

CI:ゴーゴー・ペンギンのパートの録音は全て終わって、その録音素材を持ってストリングス用の録音スタジオへ行ったんだ。これまではつねに自分たちはスタジオで演奏して、録音していたけれど、こうした別録音は初めてのことだったよ。スタジオで自分たちの演奏が流れ、それを別のミュージシャンたちが聴いてストリングスをアレンジし、演奏していく光景を見るのはとても奇妙な感覚で面白かったよ。マンチェスター・コレクティヴはヴァイオリン4本、ヴィオラ2本、チェロ2本の8名で、ストリングス・セクションとしては小ぶりなんだけど、スタジオではとても大がかりに演奏していて、僕らの音楽がどんどん大きなものへ変化していくのが感じられた。ラーキも素晴らしいミュージシャンで、彼女ならではの個性を持つ人だよ。彼女のアンサンブルのリードの仕方がとても上手で、ゴーゴー・ペンギンにおける3人のコミュニケーションの取り方と、彼女やマンチェスター・コレクティヴのコミュニケーションの取り方はある種似ているところがあるなと感じられた。そして、僕たちの音楽を彼女たちが楽しんで演奏してくれていたこともとても嬉しかったね。音楽を通じて僕らと彼女たちが何かコネクトできた瞬間だったと思う。今回のコラボは僕たちにとってとても有益なもので、新たな可能性を示してくれた。今後もまたやるかもしれないけど、3人でやるスタイルに戻るかもしれない。いずれにしても選択肢はいろいろあって、自由なんだ。

アルバムのアートワークに用いられた写真はマンチェスターのファロウフィールドにあるトーストラックと呼ばれるビルで、ニックが撮影した写真をもとにクリスがデザインしているそうですね。このアートワークは楽曲の “Fallowfield Loops” にも繋がっていて、この曲はいまでは廃線となってサイクリングロードに用いられるマンチェスターの古い鉄道線路跡を示しています。極めてダンサブルな仕上がりとなったこの曲は、アルバム制作における最初期に作られたということですが、あなたたちがここに込めた思いを教えてもらえますか?

NB:僕とクリスはマンチェスターに近いヨークシャー出身だけど、10代のときにマンチェスターに来て以来ずっと住んでいて、もう生まれ故郷より長く住んでいるから親しみがある。もちろん市政などいろいろ問題があるのも事実だけど、大好きな町であることに変わりはない。だからアルバムを作る際に、ちょっとした敬意を表する意味でマンチェスターについて触れるのは悪いことじゃない。人間が住む場所や環境は人間にとってとても大事なものだし、僕らもツアーなどから家族や友人のいるマンチェスターに戻ってきて、いまの自分がいるのはこのホームあってのものなんだということを実感する。トーストラックは1950年代末から1960年に建てられた古いビルで、いまは廃墟となって使われていないけれど、いまもそこにそのまま残されている。マンチェスターの町並みはいろいろ変わってきているけど、トーストラックはずっと変わらずにあり続けているんだ。見た目もちょっとユニークな感じで、一種のランドマークと言えるかな。僕も日課のランニングでその前を走るんだけど、いつも面白いしいいなと思うんだ。

クリス、ニック、ジョンという3人の組み合わせがゴーゴー・ペンギンで、たまたまそれがピアノ、ベース、ドラムをやっているということ。だから、あるときその楽器が変わることがあるかもしれない。(クリス・イリングワース)

今回のアルバムはエレクトロニクスの比重がさらに増した印象です。たとえば電子的なノイズを背景とした “Background Hiss Reminds Me of Rain”、アコースティックに始まりながら、中盤以降はシンセを多用して大きく変貌する “Naga Ghost”、その逆のパターンの “Silence Speaks” などがその代表ですが、こうした方向性の楽曲には新生ゴーゴー・ペンギンの姿が表われているのでしょうか?

CI:今後こうしたエレクトリックな作品が多くなるのかどうかは、もしかしたらそうなるのかもしれないけど、いまはオプションのひとつだとしか言えないかな。アルバムは発売されたばかりで、実際のライヴでは一度も演奏していないからね。今年の末くらいからアメリカ、カナダ、ヨーロッパ、そしてできれば日本、中国、オーストラリアなどをツアーしていくことになるけど、そこで演奏していくことで曲はどんどんとまた変わっていくと思うから、いまの段階で今後の方向性について言及することはできない。ひとつ言えるのは、これらの楽曲が自分たちの新しい扉を開けてくれたことは間違いないことだし、エレクトロニクスを使うことを自分たちはとても楽しんでできた。でも次のアルバムを作るときには、ひょっとしたらアコースティックに戻ってるかもしれないし、全く違う新たな楽器を使っているかもしれない。極論するならゴーゴー・ペンギンの本質はピアノ、ベース、ドラムという楽器の編成じゃないと思うんだ。クリス、ニック、ジョンという3人の組み合わせがゴーゴー・ペンギンで、たまたまそれがピアノ、ベース、ドラムをやっているということ。だから、あるときその楽器が変わることがあるかもしれない。僕はもともとクラシックを学んできたから言うけど、クラシックの作曲家はオーケストラのために曲を書くことがあれば、小さな弦楽アンサンブルのために書くこともある。でも、そうした異なる用途の楽曲でも、その作曲家の色や個性は同じなんだ。ゴーゴー・ペンギンもそうだと思っていて、アウトプットは違っても、その根底にあるものは変わらないと思うんだ。

“Background Hiss Reminds Me of Rain” に関してですが、東京都現代美術館で開催された坂本龍一の展覧会に行って、そこで受けたインスピレーションを絡めながらコメントしていますね。坂本龍一から受けた感銘や影響についてお聞かせください。

CI:僕らは坂本龍一の大ファンで、残念ながら生のライヴを観る機会はなかったんだけど、展覧会では教授が実際にピアノを弾いているかのようなインスタレーション展示もされていて、本当のライヴに近い体験もできた。“Background Hiss Reminds Me of Rain” については僕が家でシンセをいじりながら書いた曲で、それを携帯で録音してニックに聴かせたところ、音質があまりよくなかったから「まるでヒス音(シューッというような人工的な雑音)が雨音みたいだね」と彼が言って、それがタイトルになっているんだ。そのヒス音が音楽へと生成されていくというのは、ある種教授の作品に通じるところもあるんじゃないかなと僕は思っている。教授は水とか雨など自然の音を作品に効果的に取り入れて、彼の音楽からは自然そのものを感じられることがいろいろとある。彼のドキュメンタリー・フィルムでも、「耳を澄ませば世の中にはいろいろな音があることを感じられる」というようなことを言っていて、自分にとってとても腑に落ちる言葉だった。そうしたセンスは僕たちにも通じるものだと思う。

“Float” はニックが学校卒業後に海外旅行をしているなか、1年ほど滞在したタイのバンコクで見た祭りの風景がモチーフになっているそうですね。タイでは現地のミュージシャンたちとセッションし、ジャズを演奏していたとも聞きますが、文化や生活様式などいろいろ影響を受けたところもあるのでしょうか?

NB:僕の年齢がわかっちゃうかもしれないけど(笑)、大昔にガールフレンドと、いまの妻のことだけど、タイに住んでいて、本当に大好きな国だったね……食べ物もおいしかったし。“Float” のモチーフになったのはローイクラトンという水の神に捧げるお祭りで、バナナの葉で作った船にお供え物を乗せて、灯篭流しのように川へ流してお祈りをするんだ。“Float” を作曲しているころ、ちょうどこのローイクラトンについてのドキュメンタリー映像を観ることがあって、タイで暮らしているころを思い出しながら作ったんだ。僕自身は昔を振り返って曲を作ることはあまり多くはないんだけれど、この曲に関してはそうしたノスタルジーがいい具合にかみ合ったと思うよ。

タイに関連してですが、“Naga Ghosts” という言葉もタイでは蛇や龍の神々を指しているようですが、そうしたものをイメージしているのですか?

CI:いや、チリペッパーソースのことを指しているんだ。僕らは辛いもの好きだからね(笑)。

ええ、そうなんですか? “Naga Ghosts” の意味がわからなくていろいろ調べたところ、いま話したタイの神々の意味が出てきたので、てっきりそうかと。

CI:それは面白いね(笑)。

NB:うん、そうした意味があることは知っていたけれどね。僕らの曲はどちらかと言えばユングとかそうした心理学に関連するシリアスなタイトルをつけることもあるけれど、人生はそればかりじゃなくて、楽しいこともいっぱいあるわけだから(笑)。今回は深く考えずに好きなものをタイトルにしたんだよ。

6月のジャズ - ele-king

 今月はヴォーカル作品に良作が揃った。クリスティ・ダシールはワシントンDC出身で、ノース・キャロライナ州グリーンヴィルで育ったジャズ・シンガー。マンハッタン音楽院に学んでメリーランド州のストラスモア・ミュージック・センターで研究を行い、現在はハワード大学でジャズの声楽を教えている。ちなみに同大学で音楽学部長を務めるのはボビー・ワトソンのグループなどで演奏してきたベーシストのキャロル・ダシール・ジュニアで、クリスティの父親でもある。アルバム・デビューは2016年の『Time All Mine』で、セカンド・アルバムの『Journey In Black』(2023年)は本年のグラミー賞のジャズ・ヴォーカル・アルバムにもノミネートされた。兄弟のキャロル・ダシール3世がドラマーを務めるこのアルバムは、自身の出目であるアメリカの黒人やその歴史について掘り下げ、彼女の祖母をはじめとした祖先が歌っていた黒人の民謡も取り上げている。

Terri Lyne Carrington And Christie Dashiell
We Insist 2025!

Candid

 そんなクリスティ・ダシールが、現在のアメリカにおける女性ミュージシャンの党首的な存在にあるドラマーのテリ・リン・キャリントンと組んで『We Insist 2025!』を作った。『We Insist!』は1961年にドラマーのマックス・ローチが、妻であるジャズ・シンガーのアビー・リンカーンらと作ったアルバムで、作詞はオスカー・ブラウン・ジュニアが担当した。奴隷解放宣言100周年を記念した作品で、当時高まっていた公民権運動のスローガンにも掲げられた。ローチの叩き出すアフロ・リズムにアビーのメッセージ色の濃いヴォーカルが絡み、アート・ブレイキーのようなアフロ・キューバン・ジャズやハード・バップを土台にフリー・ジャズにも踏み込んだ演奏を見せ、後のブラック・ジャズやスピリチュアル・ジャズの土台になったといえる重要作だ。この作品をリリースした〈キャンディッド〉による企画で、その『We Insist!』の2025年版が実現した。楽曲は『We Insist!』収録曲のカヴァーほか、アビー・リンカーンへのオマージュを綴った “Dear Abby” など。演奏はモーガン・ゲリン、マシュー・スティーヴンスなど、テリのグループで演奏してきた面々が中心となる。

 ビリー・ホリデイの後継者の位置にあったアビー・リンカーンは、『We Insist!』では黒人霊歌や民謡、ブルースなどの要素を感じさせる歌を見せ、ポエトリー・リーディングからシアトリカルな演劇風、土着的なアフリカ民謡やフリーキーな叫び声など、変幻自在で前衛的なパフォーマンスを披露していた。『We Insist 2025!』でのクリスティは、アビーの歌に忠実に沿いつつも、そこにネオ・ソウルやファンクなどの要素も交え、現代的にアップデートした歌を見せる。黒人霊歌風のアカペラで始まる “Driva’man” はアフロ色が強い演奏で、ロイ・エアーズ風のヴァイヴも交えた中で、スキャットを交えたクリスティのアドリブも素晴らしい。現在であればカサンドラ・クロスからジョージア・アン・マルドロウに通じる歌と言える。1960年の南アフリカのシャープビル虐殺事件に対する曲である “Tears for Johannesburg” は、硬質でミステリアスなジャズ・ファンク調の演奏に乗せ、クリスティのワードレス・ヴォイスは怒りと悲しみが入り混じった感情を吐露していく。アビーの歌を下敷きにしつつ、あたかも亡霊のような歌声である。


Tyreek McDole
Open Up Your Senses

Artwork

 タイリーク・マクドールはハイチ系の黒人シンガーで、ニューヨークを拠点に活動する新進の25歳。ジョニー・ハートマンやレオン・トーマスなど男性ジャズ・シンガーの先人たちから影響を受け、2023年にサラ・ヴォーン国際ジャズ・ヴォーカル・コンペティションで優勝し、一躍注目を集めることになった。そうして作ったデビュー・アルバムが『Open Up Your Senses』。大ベテランのケニー・バロンはじめ、サリヴァン・フォートナー、ロドニー・ホイテカーといった経験豊富なメンバーが演奏に参加。比較的若手ではブランフォード・マルサリス・カルテットのジャスティン・フォークナーや、ファラオ・サンダースの息子であるトモキ・サンダースなども参加する。

 収録作品はカヴァー曲が多く、ニコラス・ペイトンの “The Backward Step”(禅思想に基づく作品で、クリスティ・ダシールが般若心経を取り入れた歌詞で歌っていた)、セロニアス・モンクの作品でカーメン・マックレーが歌詞をつけて歌った “Ugly Beauty” などをやっている。特に注目はタイリークが強く影響を受けたレオン・トーマスの作品で、ファラオ・サンダースとの共作となる “The Creator Has A Master Plan” と “The Sun Song”。“The Creator Has A Master Plan” はトモキ・サンダースのテナー・サックスを交え、まさにファラオ・サンダースとレオン・トーマスへのオマージュが散りばめられている。“The Sun Song” の牧歌的でフォーキーなフィーリングも素晴らしい。もうひとつ出色のできとなるのがホレス・シルヴァーの “Won’t You Open Up Your Sense”。原曲はアンディ・ベイの歌をフィーチャーしたブルージーなワルツ曲で、4ヒーローもカヴァーしていたことがある。そもそもタイリークのバリトン・ヴォイスは比較的アンディ・ベイに近い感じで、彼からもかなり影響を受けていることが読み取れる。サリヴァン・フォートナーのエレピ演奏も印象的で、タイリークもオリジナルのアンディ・ベイに倣ってブルース・フィーリングを出しつつも、自分なりの自由なスタイルで崩しながら歌っている。


Arjuna Oakes
While I'm Distracted

Albert's Favourites

 アルジュナ・オークスはニュージーランド出身で、最近はロンドンに拠点を移して活動するシンガー・ソングライター/ピアニスト/作曲家。2019年にデビューEPとなる「The Watcher EP」をリリースし、男性シンガーで言えばホセ・ジェイムズの路線を継ぐような歌を披露していた。声質自体はホセよりも高く、より中性的でソウルフルな魅力を持つ。そして、ギタリスト/プロデューサーのセレビーことカラム・マウワーとコラボしてエレクトリックな作品を作ったり、作曲家のジョン・プサタスとのコラボではアンビエントな側面を見せるなど、プロデューサー/トラックメイカー的な側面も持つ。そうした活動を経て、ファースト・アルバムとなる『While I'm Distracted』をリリースした。

 『While I'm Distracted』の共同プロデューサーは盟友のセレビーが務め、ニュージーランドの音楽仲間がサポートする中で、1990年代より長い活動を続けるネイサン・ヘインズの参加が目を引く。ストリングス・セクションも交えた編成の中、アルジュナはヴォーカルのほかにピアノ、キーボード、シンセ、プロダクションを担当する。楽曲のプロダクションは極めて現代的なもので、“Won’t Let This World Break My Heart” はフライング・ロータスドリアン・コンセプトなどのビート・ミュージック調とも言える。“No Joke” はゴーゴー・ペンギン的な演奏で、“Catch Me” は有機的なストリングスによってコズミックな世界が作られていく。それらの上で歌うアルジュナのヴォーカルは非常に中性的かつオルタナティヴなもので、デヴィッド・ボウイがマーク・ジュリアナやダニー・マッキャスリンらとやった『Blackstar』あたりの世界を連想させる。こうした歌やジャケットからも伺えるが、アルジュナはジェンダーレスなアーティストのようだ。


Snowpoet
Heartstrings

Edition

 スノウポエットはロンドンを拠点に活動するローレン・キンセラとクリス・ハイソンによる男女ペア・ユニット。ローレンが作詞とヴォーカルを担当し、クリスがピアノ、キーボード、シンセ、ベース、ギター演奏などから作曲/プロダクション全般を担当する。2014年にデビューEPをリリースし、2016年にファースト・アルバムをリリースした後は、カーディフで設立されたジャズ・レーベルの〈エディション〉から作品をリリースしているが、一般的なジャズ・ユニットやジャズ・ヴォーカルものとは異なり、もっとオルタナティヴでエレクトロニックな要素を持つアーティストである。ローレンの摩訶不思議でフェアリーな歌声を含め、ビョークと比較されることもある。〈エディション〉から『Thought You Knew』(2018年)、『Wait For Me』(2021年)とリリースしてきて、『Heartstrings』は4年ぶりの新作となる。

 これまではエレクトロニックなスタジオ・ワークを軸にアルバム制作を行ってきたスノウポエットだが、『Heartstrings』は参加ミュージシャンを交えながら、スタジオでセッションや作曲を行ってできたアルバムである。そうしたライヴ・パフォーマンスの生々しさや即興演奏の妙味を入れて作られていることを含め、スノウポエットにとってもっともジャズらしいアルバムと言えるかもしれない。ダイナミックなドラム・ビートに導かれる “Host” では、ローレンの歌はポエトリー・リーディング調のクールな始まりから、次第に熱とエモーションを孕んで高揚していく。彼女の歌には英国のトラッドやフォークの影響を感じさせる部分があり、そうした点でも英国ならではのユニットだなと思う。“Our World” はスノウポエットらしい繊細で美しい楽曲で、アコースティックとエレクトリックのバランスが素晴らしい。ゆったりとしたテンポの “one of those people” は、スノウポエットならではの牧歌的でメロウなバラード。『Heartstrings』は人生における喪失や再生がテーマとなっているそうだが、そうした豊かでエモーショナルな世界観が込められた楽曲である。

Nazar - ele-king

 ナザールはこの7年間で、もっとも躍動的な新世代ブラック・エレクトロニック・ミュージックのプロデューサーのひとりとなった。彼は、インダストリアル・ノイズとアフリカン・ビートの神学とが直感的に衝突することに熱烈な愛を抱いている——それは、論理、政治、宗教、そしてアフリカ大陸の歴史の深層に根を持つものだ。ナザールの音楽的探求は、1980年代にアンゴラで生まれた大衆ダンス音楽クドゥーロの土壌から芽吹いている。アンゴラ発のクドゥーロはこの数十年のあいだ、地元アンゴラの無数のプロデューサーたち、あるいは欧州へと渡った移民、またはナザールやDJナルシソのような第一世代の息子や娘たちによって、鮮やかに再構築され、変容を遂げてきた。
 ナザールの眼を通して見れば、彼のクドゥーロは混成的なものだ。それは独自の領域にあり、伝統的なプロデューサーならば恐れて足を踏み入れぬような新たな環境のなかを、彼は自由に歩んでいる。「Enclave」EPと初のフルアルバム『Guerrilla』は、ヨーロッパ各地のダンス・ミュージック・プロデューサーのなかにおいて、彼独自の声を確固たるものとして示した。彼のアイデンティティにおいて決定的だったのは、アンゴラの戦争、そしてその戦争における家族の関与と、それに対する音楽を通じた内省だった。彼のデビュー作では、そのテーマ性と鋭利なビートが健康的に融合していた。

 あれから5年が過ぎ、ナザールは『Demilitarize』で再び姿を現した。これは明らかに、彼の出世作『Guerrilla』への「呼応」であり、前作同様にタイトルは声明である。ただし今回は、目の前の風景を予見するのではなく、むしろ内なる精神の解放を指し示している。ナザール自身もこれはより「個人的な」アルバムだと述べており、サウンドスケープはまさにそれを裏づけている。

 『Guerrilla』をパンデミック初期に発表し、続いてCOVIDの合併症により1年近く死の淵を彷徨うような病に苦しんだナザールは、すべてを経て自ずと別の視座に至った。オープニング・トラック“Core”は、彼の新たな美学への温かく誘うような導入部である。かつてのような耳を刺す粗さは影を潜め、厚みのある音像はなおも跳ねるが、より空気のように、スピーカー越しに漂い出る異質さが、アルバムの最後まで全曲を貫いている。『Demilitarize』は、非常に統一感のある、一貫したアルバムである。
 大きく異なるのは、ナザールが「個人的な」方向へと向かうなかで、アルバムの大半において自ら歌うという選択をした点だ。この選択こそが、『Demilitarize』の印象を大きく変えている。とりわけ印象的なのは、その歌声のほとんどが意味を捉えがたく、にもかかわらず前面に出て美しいアレンジを背景へと押しやることで、音像が平坦に感じられる点だ。楽曲の構造は主にヴォーカルを支えるものとなり、ビート・アルバムとは異なる時間感覚——より速く過ぎていくような印象——をもたらす。全体の尺が短く感じられるのはそのためだろう。

 これは、現在の「男性の感情の脆さを表現する」ソーシャルな波に対する、ひとつの参与とも読める。ビートは引っかかり、途切れ、また唐突に現れては消える——まるで時間自体が不安定になっているかのように。だからこれは、ダンス・レコードではない(踊りたくなる瞬間はあるとしても)。これはヘッドフォンで聴く音楽であり、よりポップへの希求に傾いた作品だ。歌詞はしばしば時間を攪乱する——旋律だけではなしえない方法で。歌詞、あるいは歌声の感触は、時間そのものを変容させる。このアルバムがインストゥルメンタルのみで構成されていたならば、印象はまったく異なっていたに違いない。
 そして、それが聴き手の求めるものであるならば、この作品はすばらしいだろう。ただし全体の尺は36分30秒。この簡潔さは、音のなかを浮遊したり、潜り込んだりする快楽に逆らう——というのも、身体がようやくその中に安住しかけた頃には、すでに音は過ぎ去っているからだ。『Demilitarize』は繰り返し聴くに値する作品だが、同時に、より大きな作品へと至るための「通過点」としてのアルバムでもあるのではないかと私は考えてしまう。デジタル的な音響の美しさは豊潤だが、2曲目以降、アルバムの流れは容赦なく突き進み、ほとんど呼吸の余地を与えない。36分30秒の終盤、9曲目“Heal”においてようやく、それまでの圧力から抜け出すように音楽は水面へと浮上する。海の底から現れるクジラのように——ここでようやく、楽器そのものが主導権を握る。アルバムのラストは、音楽のなかでの苛立ちと不確かさに対する、意図された吐息のようだ。

 けれど、私はまだ問いを抱えている。というのも、5年ものあいだ大きなリリースがなく、ようやく届けられた作品がEP程度の分量であることが、やはり気になるのだ。そんなふうに思いを巡らせていたら、ふと1920年へと思いが跳んだ。
 『春の祭典』が初演された年だ。あの伝説的な上演——新しい音響に対して聴衆が激しく反発したあの出来事。ストラヴィンスキーがこの全楽曲を書き上げるのにかかったのは、わずか1年半である。コンピュータなどなかった時代、すべての楽器パートの譜面を手書きしなければならなかった。しかも、まったく未知の楽曲の力学を、オーケストラに教え込まねばならなかった。そして、その演奏時間は33分だった。


Nazar has become one of the best producers of kinetic new black electronic music in the last 7 years. Fervently in love with intuitive clashes of industrial noises and African beat theology rooted deeply in the core of the continent`s history, logic, politics, and religion, Nazar grows his musical explorations from the soil of Kuduro, an Angolan popular dance music that began in the 1980`s. The music of Kuduro from the country of Angola has been over the last couple of decades vibrantly recalibrated and mutated by the numerous local Angolan producers and those who immigrated to Europe or were first generation sons and daughters such Nazar or Dj Narciso. Through Nazar`s eyes, his Kuduro is a hybridity, in its own realm, surrounded by new environments that free him to walk down new roads traditional producers would fear. The “Enclave” ep and his first full album “GUERRILLA” firmly established his voice among other producers of dance music across Europe. Key to his identity at this time, was the back drop of the war in Angola, his family`s participation in it, and reflections on it through his music. The subject and constant sharp beat merged healthily together with his debut.
5 years have passed and Nazar has re-emerged with Demilitarize. An obvious “response” to the “call” of his breakthrough album Guerrilla, the title is again a statement like his last but this time pointing toward the release of the inner psyche rather than forecasting the landscape before the eye. He has stated that this is more of a personal album and the soundscape of the release proves that true.
Nazar, having released Guerrilla directly at the start of the pandemic, having survived an almost year long near death sickness due to COVID complications, came out of all that naturally out with a different perspective. “Core”, the first track, is an inviting warm introduction to his new aesthetic. Previous abrasion lacking, soundscapes are still thick bouncing but more ethereal through your speakers emitting an otherness that connects all the tracks til the very end. Demilitarize is a very united consistent album.

What is different is that in turning toward the “personal” Nazar made the choice to sing throughout the majority of the album. This choice makes Demilitarize feel different. Namely cause most of the vocals are mostly unintelligible, the vocals take centerstage and end up pushing the beautiful arrangements to the background, and feel monotone. The music mainly supports the vocals and time itself feels different, faster than a beat album. It feels remarkably shorter. This is a push toward inclusion in the current social wave of expressing male vulnerability while beats jerk and stop, jerk and stop. Sometimes disappearing totally before they mysteriously reappear.
So to be clear, this isn`t a dance record (though you may be inclined to do so at times), it`s a headphone listen. And a lean toward more pop yearnings. Lyrics often disrupt time in ways pure melodies cannot. Lyrics or the feel of lyrical vocals changes time. This album would be viewed vastly differently if only instrumental.
And all this is good if that is what you are looking for. But the whole album is 36:30 minutes. The brevity works against the beauty of the floating and diving that you do when surfing on all the sounds cause they are over before you can relax within them. Demilitarize is worthy definitely of many listens but I also wonder if it is a stepping stone album, an album that is needed for an artist to reach an even greater work. The digital sonic beauty is luscious but from the 2nd track, the flow of the album plows right ahead not allowing for much breathing room. The tail end of the 36:30 feels more like a whale arising to the air. This emerging from the depths of the ocean in the 9th track “Heal” lets the instrumentation take charge. The end of the album a purposeful exhale for the frustration and uncertainty in the midst of the music.
But I still have questions. Because fives years of no major releases is a long time to only get a ep`s worth of music. Because in wondering many things, I have to ponder back to 1920 when

“The Rite of Spring” was performed. A quite legendary performance. Fierce discontent by the audience from the new sonorities. It`s a fact that it only took Stravinsky a year and a half to write all the music for the composition. There were no computers so all the sheet music for each instrument had to be painstakingly written to perform. And the orchestra had to be taught the dynamics of the unknown composition. And it was also 33:00 minutes.

interview with Rafael Toral - ele-king

 Bandcampに掲載されたラファエル・トラルのプロフィールによると、彼はそのキャリアを通して、‶サウンドのなかの音楽と、音楽を超越したサウンドのあいだを行ったり来たりしている〟という。このポルトガル出身の音楽家は、実験音楽の世界でもう30年以上も極めて重要な存在であり続けているが、目下のところ、昨年のアルバム『Spectral Evolution』をきっかけに再評価の波に乗っている。このアルバムは、トラルの尽きることのない探求心の溢れる実践のさまざまな要素——初期の『Wave Field』(1995)などで聴かれた液化したようなギターの音色や、2004年から2017年に取り組んだ「Space Program」時代に収集した、規則にしばられない自由なDIYの電子楽器の数々など――が融合された、記念碑的な作品なのだ。なかでも、鍵となる構成要素は、伝統的なジャズのハーモニーで、“アイ・ガット・リズム”や“A列車で行こう”の即座に認識可能な(ただし、氷河の形成のごとくゆっくりとした)コード進行が、アルバムに意外な情感の重みを与えている。
『Spectral Evolution』は、3年がかりの骨の折れる緻密な制作プロセスの結果であり、その間トラルは作品の56ものヴァージョンを制作した。アドヴァイスを求めて友人のジム・オルークに聴かせると、感銘を受けたオルークは、長年休止状態にしていた自身のレーベル〈Moikai〉を再始動させ、アルバムを発売するために動き出したのだった。
 2008年以来となる日本ツアーでオルークと石橋英子と共演する前に、トラルはEメールでのやりとりを通じて、音楽家としてのジャズとの関わり、ますます醜くなっていく世界のなかでの美の重要性、そして、『Spectral Evolution』をライヴで演奏した際に経験した‶愛のフィードバック〟について語ってくれた。
 この会話は明確さの保持と長さを考慮して編集されている。

ますます醜くなっている世界において、私たちは美しいもの、広い意味での美しさ、単に綺麗というだけではなく高潔さをそなえたもの、たとえば、誠実さなどから手を離すべきではないんだ。

『Spectral Evolution』についての昨年のトーン・グロウとのインタヴューで、あなたは「このレコードを作るために多くのことを学んで研究し、開拓する必要があった」と語っていました。これについて、もう少し教えていただけますか?

ラファエル・トラル(Rafael Toral、以下RT):まず、このアルバムにはたくさんのジャズ・コードが含まれているんだけど、それらを繋ぎ合わせるためには、自分が何をやっているのかを明確に知らなければならなかった。ひとつの音符が本来あるべき所からずれるだけで、和音が違う色調に変化する仕組みを理解する必要があったんだ。私にはその準備ができていなかったから、正しい形に仕上げるために説得力を持たせて、最終的に美しく仕上げるまでに相当な努力を要した。その過程でジム・オルークに助言を求めたら、彼がリリースを決断してくれたという経緯がある。

あなたとジムとの関係について教えてください。ふだんから、制作途中の作品を共有することはあるのでしょうか? それとも、今回だけが特別だった?

RT:ジムとは1995年頃からの大の仲良しで、最初に出会ったのはシカゴでだった。彼は常に忙し過ぎるぐらいだったから、私のことで煩わせようなんて思ったことはなかったんだ。でも、今回だけは違った。アルバムでやろうとしたことが自分の能力を超えてしまい、私はアレンジやハーモニーのことで苦慮していた。だから背に腹は代えられないと思った。ジムが私よりも音楽の多くの分野で知識が豊富だと知っていたから、友人として音を聴いてほしいと頼んだんだ。

ご自分の能力の限界を突破するのは、あなたの仕事では日常的なことのように思うのですが、このような挑戦を続けるための意欲はどこから得ているのでしょう?

RT:私はただ、自分がすべきことを理解しようと思っているだけかな。自分の力をどこに注ぐべきなのか、やりたいことの中核はどこにあるのか、その時の前向きな動きとは何か、何が言われているのか、そしてそれが私の名を冠してやる価値のあることなのかどうか。多くの場合、それは私が土台から築き上げなければならないもので、約束とヴィジョンを伴うものでもある。私はたとえそれで自分を追い込むことになっても、実行するしか選択肢がないことが多いんだ。もっと言えば、私たちはまだ進化が終わっていないことを忘れがちだけど、人間には進化する義務があると思っているんだよ。

あなたの仕事において、美の役割があるとすれば、それは何ですか?

RT:(考えながら)うーん、役割ではないかもしれないけれど……私は一方では、20世紀の文化に浸って育ってきた。つまり、大雑把にいえば、キュビズムからパンク、セリエリズムからグリッチまで、構造の解体や脱構築、破壊することで忙しかった。私が若い頃には、美しいものを真っ当な芸術として見なすべきではないとする風潮があったんだ。これは当然、ものすごく粗雑な一般論だけど、私はそういった束縛から自分を解放して、美を現代の芸術には不可欠な要素として受け入れる必要があると思った。これは延々と議論することができる話で、要約するのは難しい。もう一方で、美というのは、単なる文化的で美学的な話でもなくて、個人の好みを超えたところにあるものだ。好みと、私たちが目で見て、耳で聴くことへの生物学的、そして神経学的反応には、多くの重複する部分がある。例をあげると、完全5度の響きを美しく感じるのは、実は単純な数学的な比率の3対2の隔たりに基づく音程で、自然な振動現象だ。その振動が人の身体の細胞を共鳴させ、背筋が寒くなるぐらい良い音だと感じると、もう何が起きているのかわからなくなる。美とはそれほど深いところにまで届くんだ。最後にもうひとつ、ますます醜くなっている世界において、私たちは美しいもの、広い意味での美しさ、単に綺麗というだけではなく高潔さをそなえたもの、たとえば、誠実さなどから手を離すべきではないんだ。

ピタゴラスは正しかったというわけですね! この科学的な側面について、深く掘り下げたことはありますか?

RT:私は科学にはあまり入こんでいないかな。科学は文明の柱のひとつではあるけれど、測定できないものや、説明できないことを欠いている側面もある。むしろ私は、頭でそういったことを‶知る〟ことを避けている。私は直感で自分の動きを確認するようにしているんだけど、それは直感が脳よりも身体に根差した知識からくることが多いからだ。そして、何よりもその辺はリスナーが音楽を自分なりに取り込むことができるように、オープンにしておきたい思いがある。

あなたが言及された‶高潔さ〟という資質は、優れた芸術と凡庸な芸術を差別化する要素のひとつでもある気がします。美しさについての考えを再考することになった特定のきっかけはあったのですか?

RT:今日、醜さが飛躍的に増加していることや、文明の衰退……なんかであることはたしかだね。不思議なことに、美を守り続けるのは、生存戦略となりつつあり、精神の健全さを保つための意識的な努力にほかならない。それは、広義に理解された美しさのことだ。たとえば、嘘を広めるよりも、事実を認識する方が美しい。あるいは、対立する世界を結んで、対話を促すような美しさ。それが『Spectral Evolution』の核心なんだ。

『Spectral Evolution』に収録された最終ヴァージョンを制作するのに、それだけの労力がかかっていることを踏まえると、それをライヴで演奏したときの感覚はどのようなものだったのでしょうか?

RT:コンサートは、アルバムから構造的な恩恵を受けているので、非常に隙の無い構成になっていて、ライヴで聴く音の響きは、まるで物理的にサウンドフィールド(音場)に没入しているような感覚になる。ハーモニーの情感的な側面と、振動の物理的な体験が結びつけられているんだ。オーディエンスにとっては、とても強烈な体験になっているようで、たまに「泣きそうになった」と打ち明けてくれる人もいる。私にとって、リスナーを音に引き込むことが重要で、それによって愛のフィードバックが生まれるんだよ。

‶愛のフィードバック〟とは、素晴らしい表現ですね! これはあなたとオーディエンスの関係性についての多くを物語っていると思います。

RT:一部のコンサートでは、その感覚が非常にクリアに感じられるんだ。このアルバムとすべての音は愛を込めて制作され、オーディエンスもまた、愛を込めた聴き方で受け入れてくれ、彼らの積極的な関与と、感情の質がステージに送り返されてくるんだよ。

私は常にオーディエンスを敬愛してきたし、彼らの人生で活用できる何かを提供できることにすごく感謝している。何かを捧げて、それが良い受け取り方をされると、それ自体が自分にまた贈り物として戻ってくるんだ。私はいつも、彼らが自宅を出てチケットを購入し、私が演奏するどんな音をも聴くために時間を費やしてくれることを思うと、それに値するものを提供しなければいけないと、心に誓っている。

あなたのキャリアを通じて、オーディエンスとの関係性は、どのように発展してきたのでしょうか?

RT:私は常にオーディエンスを敬愛してきたし、彼らの人生で活用できる何かを提供できることにすごく感謝している。何かを捧げて、それが良い受け取り方をされると、それ自体が自分にまた贈り物として戻ってくるんだ。私はいつも、彼らが自宅を出てチケットを購入し、私が演奏するどんな音をも聴くために時間を費やしてくれることを思うと、それに値するものを提供しなければいけないと、心に誓っている。

『Spectrum Evolution』をライヴで演奏す際に経験されたという激しい感情的な反応は、
新しいことなのでしょうか? 過去の他のプロジェクトからも同じような反応を引き出したことはありますか?

RT:これは新しい体験なんだ。過去にやってきたことよりもずっと情感のこもった作品だし、ライヴではそれを激しい形で表現しているから。

アーティストのなかには、‶感情的(ルビ:エモーショナル)〟な音楽を、あなたが先ほど美しさについて述べたような、疑いの目で見る人もいると思います。あなたもおっしゃったように、これはあなたにとって新しい領域だと思いますが、どうやってここに辿り着いたのでしょう?

RT:はっきりとした感情を扱うのは、私にとっては新しいことだけど、決して意図的なものではなかった。私としては、感情をオープンにしながらも、抽象性を保つことで、リスナーが自分自身の感情を投影できるようにしたいと考えているんだ。これらのハーモニーには感情が組み込まれていて、そこから逃れることはできないと思う。でも、実は、私はそのサウンド自体により興味があるんだけど。

『Spectral Evolution』のライヴは、パフォーマンスごとにどれほど違うものなのでしょうか?

RT:ライヴ版は、拡張されていて、一部の移行部はよりゆったりとしたテンポで演奏している。当初、このアルバムは、ライヴ演奏をする前提で作ったものではなかった。だから、可能な限りライヴでは多くのギター・パートを実際に演奏し、そのいくつかでは即興している。それでも、全体的にはすごく一貫性を保っているよ。細部のヴァリエーションはあるけどね。会場の響きとPAの設定が決定的な影響を与えるから、毎回良い音にするために、何時間もサウンドチェックに費やしている。

あなたのサウンドチェックにはどういったことが含まれますか? その一連の流れを効率化するためのメソッドをお持ちですか? それとも毎回が新しい挑戦のようなものなのでしょうか?

RT:その両方だね! 良い会場で良いPAシステムがあれば作業は楽になることもあるけど、普通は、課題が見つかるものだ。もちろん順序立ったやり方をしていて、強烈でありながらも人びとを誘い込むような、サラウンドな、コクのある音を作るのを目標にしている。誰かを無理に押すようなサウンドではなく、引き込むような音。支配するのではなく、包み込むようなサウンドをね。会場ごとに全然違うから、綿密なチューニングが必要なんだ。

昨年末にあなたが『The Wire』誌で発表した「Wire Mix」を聴いていたのですが、あれはアルバムの素晴らしい補完物となっていますね。ケニー・バレルは本来、私の好みではないのですが、この文脈では完璧に理に適っています。興味本位でお聞きしますが、あなたと伝統的なジャズとの関係はどのようなものなのでしょうか?

RT:常に軌道上の衛星になったような感覚だね。ものすごく注目しているけど、自分は別の場所に立っているような。以前、フリージャズに影響を受けた私のエレクトロニクスのプロジェクト「Space Program」について、こう言及したことがある。‶音楽以外の、すべてがジャズだ〟と。それとはまったく異なる理由から、同じことが『Spectral Evolution』にも当てはまるんだ。ジャズにおける高い人間性には心からの敬意を抱いている。学ぶべきことも、感じるべきことも多い。(ジャズには)知性と心のための深い層が存在するんだ。

あなたのジャズへの理解と、先ほど挙げていただいたような特徴は、歳を重ねるごとに深まっていると思いますか?

RT:ああ、それは確かだね! 私が15歳だった頃、ジャズは理解できなかったし、興味も持てなかった。たまには良いと思えるものに出会うことはあったけれど、それを理解するための知識や経験がなくて、5年か10年経ってから、ようやくその真価を認められるようになった。それらの意味や価値は、それをどのように採り入れるかによって変化していく。例えば、初めてケニー・バレルを聴いたときには、彼がもっとも刺激的なジャズ・ギタリストだとは思えなかったけど(なんとも二〇世紀らしい考え方だね)、自分が演奏するようになってからは、彼をより尊敬するようになった。

あなたはジャズのギタリストとしての技術を持っていると思いますか?

RT:えーっ? いや、まったく! できるだけ学んで吸収したいと思ってやってはいるけど、それはジャズ・ギタリストを目指してやっていることではないし。私は実際の‶音楽〟ではなく、演奏される音に興味を持っているんだ。

「Space Program」時代には、完全にギターから離れていたのですか?

RT:15年間ギターに触っていなかったね。より多くを要求されるギター文化を受け入れるようになった今、まるで一から始めるような気持ちになる。学ぶべきこと、練習すべきことが多くてハードルも高いから、8歳ぐらいの子どもに戻ったような感じだ。困ったことに、自分はほとんどのギター特有の表現法に興味がないのに、それでも演奏はしたいから、どうやったらいいのかと考え中だ……。

あなたは最近、「Layers」という新作からの抜粋を発表しましたね。それについて何か教えていただけることはありますか?

RT:「Layers」は、持続音が蓄積されて、少しずつ互いを置き換えていくという作品で、調性音楽から無調に変化させながら演奏される。その後、とんでもなく複雑に変化し続けるハーモニクスを生み出す装置に通されるんだ。これは、完全にライヴで演奏するための新作だ。「Layers」は、創作過程としてのパフォーマンスを指向した、単一の作品であるのに対し、『Spectral Evolution』は、作曲における繋がりの広い領域を表している。「Layers」はすでに未来の一部であり、自分が愛することを実践している。未知と対峙するということを。


■ラファエル・トラル公演概要
Scaffold #1

2025.06.26
京都 Club METRO | OPEN 19:00 / START 20:00  
早割¥4,000 ドリンク代別途 [受付期間:5/19 17:00〜5/23 23:59迄]
前売¥5,000 ドリンク代別途
https://www.metro.ne.jp/schedule/250626/

2025.06.28
鳥取 jig theater | OPEN 18:00 / START 19:00  
前売 \ 5,500 (定員80名)
https://x.gd/WLRbt

2025.07.01
渋谷クラブクアトロ| OPEN 18:00 / START 19:00
前売 ¥6,000 ドリンク代別途
https://www.club-quattro.com/shibuya/schedule/detail/?cd=017126
出演者: Rafael Toral / Jim O‘Rourke×石橋英子

お問い合わせ:
京都Club METRO: ticket@metro.ne.jp
鳥取jig theater:mail@jigtheater.com
渋谷クラブクアトロ:03-3477-8750

主催 (Organize):PARCO
制作(Produce):DOiT / CLUB QUATTRO
協力(Cooperation):Club METRO / jig theater

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interview with Rafael Toral

Written by James Hadfield

As Rafael Toral’s Bandcamp profile puts it, he’s spent his career “bouncing between the music within sounds and the sounds beyond music.” The Portuguese musician has been a vital presence in the world of experimental music for over three decades, but he’s currently enjoying a renaissance on the back of last year’s “Spectral Evolution.” A landmark work, the album unites different strands of Toral’s endlessly inquisitive practice: the liquefied guitar tones heard on early releases like “Wave Field” (1995); the menagerie of unruly DIY electronic instruments he assembled during his “Space Program” period, which ran from 2004-2017. The key ingredient is classic jazz harmony, including the instantly recognisable (if glacially slow) chord progressions of “I Got Rhythm” and “Take the ‘A’ Train,” which give the album a surprising emotional heft.
“Spectral Evolution” was the result of a painstaking three-year process, during which Toral produced 56 versions of the piece. When he turned to his friend Jim O’Rourke for advice, the latter was so taken by what he heard, he revived his long-dormant Moikai label in order to release it.
In an email exchange with Toral ahead of his first tour of Japan since 2008 – where he’ll be sharing a bill with O’Rourke and Eiko Ishibashi – the musician discussed his relationship with jazz, the importance of beauty in an increasingly ugly world, and the “feedback of love” he’s experienced while performing “Spectral Evolution” live. The conversation has been edited for clarity and length.

Speaking about “Spectral Evolution” in an interview with Tone Glow last year, you said you “had to learn and study and develop a lot in order to make this record.” Can you expand on this?

Well, the album has lots of jazz chords and to connect these chords together you need to know what you’re doing. I had to understand why and how a single note out of place steers a chord into a different colour. I wasn’t prepared for that, so a lot of work went into having it done correctly, then convincingly, then beautifully. As I was struggling with that, I asked Jim for advice, and that’s how he decided to release it.

Can you tell me about your relationship with Jim? Do you often share your works-in-progress with him, or was this a special case?

Jim and I have been great friends since 1995 or so; we first met in Chicago. He’s always been way too busy, so it doesn’t occur to me to distract him with stuff. But this case was different: I was struggling with the harmonies and arrangements, because the album was beyond my capacities and I knew I didn’t have a choice but to climb up to that bar. I knew Jim has much more knowledge in many fields of music than myself, so I asked him to listen, as a friend.

Reaching beyond your capacities seems to be a regular thing in your work. Where do you find the motivation to keep pushing yourself like this?

Well, I just try to make sense of what I am supposed to do: Where should my energy go, and where is the nexus of what I want to do; what is a positive move in its time, what is being said, and whether it should bear my name. Very often, it turns out to be something I must build from the ground up and it entails a promise, a vision. I don’t really have a choice but to fulfil it, even if that means I’ll be pushing myself. Besides, I guess it’s easy to forget we’re not done with evolution: I think we actually have the obligation to evolve.

What role does beauty have in your work?

[Thinking] Well, maybe not a role, but… on the one hand, I’ve grown up immersed in 20th century culture, which, broadly speaking, was mostly busy with dismantling/deconstructing/destroying structures, from cubism to punk, from serialism to glitch. When I was young, anything that was “beautiful” was not to be considered seriously as legitimate art. This is a very gross generalisation, of course. But I felt I needed to claim freedom from that and embrace beauty as something integral to today’s art. We could discuss this forever – I can’t really put it in a nutshell. On the other hand, beauty is not simply cultural/aesthetic; it goes beyond one’s likes and dislikes. There’s a lot of overlap between preferences and our biological and neurological response to what we see and hear. Like, a perfect fifth sounds great and is beautiful, but it’s an interval from a simple mathematical proportion, 3/2, and is a natural vibrating phenomena that has the cells in your body resonating, and who knows what else is happening, when a sound gives you chills down the spine because it’s so good – beauty does go that deep. And lastly, the world is getting so ugly that we better hold on to what is beautiful – in a broad sense, not just pretty, but anything that contains elevated qualities, like integrity, etc.

Pythagoras was right! Have you delved much into the science of this?

I haven’t gotten into the science much. Science is a pillar of civilisation but also lacks everything it can’t measure and explain. I also try to keep away from “knowing” that sort of thing with my head. I try to validate my movements with intuition, often from a kind of knowledge that pertains more to the body and not so much to the brain. And besides, I always prefer to leave that open, for the listener to have their own way to integrate the music.

I think the elevated qualities you’re talking about are also often what separates great art from the mediocre. Was there any particular impetus that made you reconsider your thoughts about beauty?

Definitely today’s exponential increase of ugliness, the decline of civilisation… holding on to beauty is strangely becoming a survival strategy, a conscious effort towards sanity. And yes, beauty understood broadly. Like, acknowledging facts is beautiful, as opposed to spreading lies. Or the beauty of bringing opposite worlds together and having them talk to each other: That’s what “Spectral Evolution” is all about.

Given how much work was involved in producing the final version of “Spectral Evolution” heard on the album, what’s it been like performing it live?

The concert benefits from the album’s structure, which makes it very solid, and the way it sounds live is like being physically immersed in a sound field. It connects the emotional aspects of harmony with the physical experience of vibration. It seems to be intense for the audience; sometimes people tell me they almost cried. For me, it’s important to draw listeners into the sound and that creates a feedback of love.

“Feedback of love” is a great image – I think it says a lot about the relationship you have with your audience.

In some concerts, it can be felt very clearly. These sounds and this whole album have been made with love and it’s been met with a loving way of listening by the audience, and that engagement, that quality of feeling, beams back to the stage.

How has your relationship with your audience developed over your career?

I’ve always respected the audience very much and I’m grateful for how I’m able to contribute something they use in their lives. When you give something and it’s well received, that receiving is in turn a gift back to you. I always commit myself to deliver something that justifies their getting out of their homes and buying a ticket and spending their time listening to whatever I play.

Are the intense emotional reactions you’ve encountered when performing “Spectral Evolution” something new, or have you elicited similar responses with other projects in the past?

This is new, as it’s much more emotional than anything I’ve done before, and it’s delivered with intensity.

I think there are artists who'd view "emotional" music with the same suspicion you talked about earlier, in relation to beauty. As you said, this is new territory for you, but how did you arrive here?

Dealing with clearer emotions is new to me and is unintentional. I like to keep emotions open and abstract so that the listener can project their own. These harmonies have emotions built-in and it’s almost impossible to escape them. I’m more interested in their sound, however.

How much does “Spectral Evolution” vary from one performance to the next?

The live version is expanded; some transitions take a more relaxed time. The album was not originally conceived to be played live, so I play as many live guitar parts as possible, and a few of those are improvised. But it’s very consistent: The variation is in the details. The room acoustics and the PA configuration have a decisive effect, and that’s why I spend hours of soundcheck making it sound good every time.

What does your soundcheck involve? Have you found any ways to streamline the process, or is it always a challenge?

Both! I mean, sometimes a fine PA in a good venue makes things easier, but it’s usually a challenge. I do have a sequenced method and the goal is to create a surround body of sound that is intense but invites people in. A sound that doesn’t push you, but pulls you instead. A sound that isn’t there to dominate, but to embrace you. Every room is different, so the tuning has to be very precise.

I was listening to the mix you did for The Wire at the end of last year, and it’s a fascinating complement to the album – Kenny Burrell isn't normally my thing, but he makes perfect sense in this context. Out of interest, what’s your relationship like with the jazz tradition?

It’s always been like a satellite in orbit. Totally focused in but standing elsewhere. Once I said about the Space Program (my previous free-jazz inspired project of electronics), “It’s all jazz, except the music.” For entirely different reasons, the same applies to “Spectral Evolution.” I have a lot of admiration for the heightened humanity of jazz. There’s a lot to learn and a lot to feel. Layers of depth for the mind and heart.

Do you think your appreciation of jazz, and the qualities you mentioned, has deepened as you get older?

Oh yes, indeed! When I was 15, jazz just didn’t make sense to me and I didn’t have any interest in it. Sometimes, I’d come across something that I could acknowledge was good but I didn’t have the references or experience to process it, eventually becoming able to appreciate it only 5 or 10 years later. The meanings and values change with respect to how you integrate them. For example, when I first heard Kenny Burrell, I thought he wasn’t the most exciting jazz guitarist (there goes the typical 20th-century thinking). But when I started playing, now I’ve come to respect him a lot more.

Do you have jazz chops as a guitarist?

Gosh, no! I do try to learn and absorb everything I can, but it’s definitely not towards becoming a jazz guitarist. I’m interested in the sound of the guitar as it’s played, more than the actual “music”.

Did you completely step away from the guitar during your Space Program period?

I didn’t touch a guitar for 15 years. As I’ve embraced a much more demanding guitar culture, I feel like starting from scratch. There’s so much to learn and practice, because the stakes are so much higher, so it’s almost like I’m 8 years old or so. To make it more difficult, I find myself uninterested in most guitar idioms, but I still want to play – so I’m figuring out what…

You recently released an extract of a new piece called “Layers.” What can you tell me about it?

“Layers” is an accumulation of sustained notes, gradually replacing themselves, played with varying degrees of tonal intention. Then it goes through some gear that brings out incredibly complex and shifting harmonics. It’s a new piece to be played fully live. “Layers” is just one specific thing, more simple and completely oriented to performance as a creative process, as opposed to “Spectral Evolution” which is a broad field of connections in composition. “Layers” is already part of the future and doing what I love: engaging with the unknown.

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