「PIL」と一致するもの

P.E. - ele-king

 青黒い煙の見えるサックスの音に電子音、ダンスビートとモダンなインディ・ロック、詩とパンク、P.E. が 2nd アルバムのなかで行き来するもの。ブルックリンのバンド P.E. が醸し出すアンダーグラウンドの匂いにどうしたって惹かれてしまう。アンダーグラウンドの匂いとは具体的にどんな匂いかと説明するのはまた難しいものだけど、明るい道から外れた香り立つ尖った匂いを持った音楽があることは間違いない。それはたとえば写真からですら何か普通ではないことが起きていると伝えてきたロンドンのデュオ、オーディオブックスだったり(“Dance Your Life Away” のキレ具合の衝撃)サウス・ロンドン・シーンの始祖たるファット・ホワイト・ファミリーの持つあの雰囲気だったりするけれど、このブルックリンのバンド P.E. からも負けず劣らず強烈な匂いが漂ってくる。

 ニューヨークを拠点に活動していたふたつのバンド、ピル(Pill)とイーターズ(Eaters)が合わさって出来た P.E.(Pill / Eaters)。ボデガがライヴをおこなおうと企画してピルとイーターズふたつのバンドに声をかけたが、ピルのメンバーのひとりとイーターズのメンバーひとりが参加することができなくなった。そこで残ったメンバーで一緒に演奏することにしたというのがこのプロジェクトの成り立ちらしいがこの話だけでもなんだかワクワクしてくる(偶然が必然を生み出す、バンドの結成にはしばしばこのようなエピソードがある)。はじめはその場限りの予定だったようだが、そこで何かを感じたふたつのバンドのメンバーはこのプロジェクトを継続しようと試みた。次々とアイデアが浮かび、これはやらない方がいい、こういう感じのフレーズを入れてみたいとテクスチャーにテクスチャーを重ね、感性のすり合わせがおこなわれ、そうして即興性と遊び心に溢れた凶暴なビートを持った 1st アルバムが生み出された。

 そこで活動に区切りをつけても良かったのかもしれないが P.E. は歩みを止めなかった。1st アルバムのリリースから2年たった後に発表されたこの二枚目のアルバムはその攻撃性が洗練され陶酔感のある刃として姿を現している。
 電子音楽、ノーウェイヴ、エクスペリメンタル、様々な要素のなかを P.E. は行き来する。信じられないくらいに大仰でそれでいながら感傷的なムードを生み出す “Magic Hands”。サックスの音をアクセントにして電子音が心を引っかき回し混乱した対処できないような状況を伝え、ヴォーカルは主張せずにその状況のなかを漂い続ける。“Tears in the Rain” もやはり同じように感傷的で、暗闇のなかで歩みを進めるビートの上でサックスがムードを描き出す。夢のなかのお告げのように響くヴェロニカ・トーレスのヴォーカルとそれに加わるゲスト参加のパーケイ・コーツのアンドリュー・サヴェージの歌声も同様に曲のなかでガイドラインを引くようにして流れていく。ネオンの軌跡を示すようなそれは濃密で陶酔感を生み出すようなもので、より一層にムードを伝える。そうかと思えばけたたましくサックスが暴れだし、“Contradiction Of Wants ” のような曲はスクイッドが次のアルバムの路線で採用してもおかしくないような繰り返しの波があり(つまりはノイ!をLCDサウンドシステムでかき回した感じだ)、“86ed” というアンビエント・ピアノの曲を挟み “Majesty” で再び感傷を尖ったビートや電子音のざらつきのなかに溶け込ませる。それは痛みのなかの甘さのようなもので、P.E. のこのアルバムはエディットと生の音を行き来してどんよりとした鈍い陶酔感と舌がシビれるようなスリルを同時に味あわさせるのだ。いずれにしてもそのイメージは地下であり夜であって、その匂いに引き寄せられてしまう。

 アンダーグラウンドの匂いというものがあるとしたらそれは繁華街の路地裏や地下から漂ってくるその匂いなのだろう。それはある意味で体が求めるジャンクフードのようなもので、健やかな肉体を育む栄養素とは無縁のものだがこうしたいというアイデアと欲求に突き動かされたその匂いに僕らはどうしよもなく惹かれていく。惹かれ、何の匂いなのかを考え、匂いの元を探し、そうな風にしてその匂いに取り憑かれるのだ。そうやって家に帰って体に染みついた残り香に気がついてシーンやムードについて思いを巡らす。空間を切り裂くサックスの音はいつから響いていったいいつまで続くのだろう? アルバムのなか、電子音と混ざったこの音はそれでもクールで変わらず新鮮に響き続ける。そのなかで僕たちは人の気配を感じそうやってまた次の音楽を待ち続けるのだ。
 P.E.『The Leather Lemon』はとても刺激な匂いがする。

Abraxas - ele-king

 PiLのマスターピース『Metal Box』(79)に収録された“Radio 4”はキース・レヴィンがひとりで多重録音したもので、2016年のデラックス・ヴァージョンに収録されたレコーディング・テイクを聞くと、当初はカウボーイ・インターナショルのケン・ロッキーがドラムを叩いていたことも明らかになった(尺も倍近い→https://www.youtube.com/watch?v=se-Z6EO5pfA)。ベースもわざわざジャー・ウォッブルをマネて弾いたものだとレヴィンは述懐していて、広いスタジオでポツンと作業していた「冷たさ」が曲のムードに反映されているという。そして、最終的にドラムを抜いて短くエディットしたものが『Metal Box』のラストに収められ、それはまるでビートルズ“Good Night”と同じくチル・アウト効果をもたらすことになる。『Metal Box』という複雑怪奇な迷宮に鮮やかな出口を用意してくれたというか。“Radio 4”はビニール袋のようなものが膨らんだり縮んだりするようなイメージを繰り返す。それはオーケストラが短いコードしか弾かないとどうなるかというアイディアから出発した結果だそうで、ドラムを抜くことでその効果は最大限まで引き上げられた。『Metal Box』はどの曲も印象深く、いまだに得体の知れない感じがあり、とりわけ“Radio 4”はミステリアス度が高い。

 チリからフアン・マッジョーロ(Juan Maggiolo)とドイツ系らしきヴェルナー・ハインツ(Werner Heinz)によるデビュー作を聴いた時、それはまるで“Radio 4”が8つのヴァリエーションに増幅されて蘇ってきたという印象を僕は持った。かすかにジャー・ウォッブルのようなベース・ラインが聞き取れる曲もある。スピーディーなアンビエント・ドローンを基本にポップな味付けが多種多様に施されたカラフルな展開。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが“Radio 4”をカヴァーしたり、リミックスしたり、様々な手法を用いてカスタマイズしたような……。ドローンといっても大して持続せず、細切れになっているせいでそう感じるだけかも知れない。とはいえ、キース・レヴィンのいう「冷たさ」も似通っているし、頻繁に転調するのも一因をなしている。何度も聴き込んでいるうちにやはり違うとは思うものの、初期イメージから脱却したくない気分も手伝って、いまのところ『Abraxas』は僕にとっては43年後の“Radio 4”である。アブラクサスとはちなみにグノーシス思想における偽神で、選ばれし者を天国に連れていくというニューエイジのフェイクのような存在。その姿はヒトの体にライオンの頭と下半身は蛇。



 南米のアンビエント・ミュージックはどうも得体が知れない。フアン・ブランコであれ、トマス・テロであれ、アカデミックな手法を使ってもその様式美に呑み込まれないという共通点があり、アブラクサスの2人がアカデミックなキャリアを持っているかどうかも想像がつかない。ついでにいえばアロンドラ・デ・ラ・パーラのようなクラシックの人でさえ、指揮をしながら踊りだしたり、パリの観客が手拍子を始めるなどアカデミックの枠組みは崩壊している。アブラクサスの背景にはなんとなくクラブ・カルチャーが横たわっているような気もするけれど、ヴィラロボスやアトム・ハートが撒いてきた種が花開いたにしてはタイミングが遅いし、そもそもドイツ資本とつながりがあるのかないのかよくもわからない。ここにあるのはイメージ豊かな曲の数々と曲の雰囲気には悪い予感のかけらもないこと。チリは一時期はコロナによって危機的状況を呈したものの、現在では南半球でもっともコロナの危険から遠い国という評価を受け(新自由主義に基づく税制に改められたことで連日のようにデモが起こったコロンビアとは対照的)、フランツ・エデルマン賞まで受賞している。そういった国の気分が感じられる作品でもある。つーか、『アンビエント・ディフィニティヴ 増補改訂版』を校了した10日後にリリースされやがった。く~。

interview wuth Geoff Travis and Jeannette Lee - ele-king

 以下に掲載する記事は、2021年7月に刊行された別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』に掲載の、〈ラフ・トレード〉の創始者、ジェフ・トラヴィスと共同経営者ジャネット・リー(『フラワーズ・オブ・ロマンス』のジャケットで有名)、ふたりへのインタヴューです。現在のUKインディ・ロック・シーンに何が起きているのか、UKインディに起点を作った人物たちがそれをどう見ているのか、じつに興味深い内容なのでシェアしたい思い、ウェブで公開することにしました。
 〈ラフトレード〉については日本でも多くの音楽ファンがその名前と、だいたいの輪郭はわかっていると思う。しかしながらこのレーベルが、マルクス主義とフェミニズムを学んだ人物によって経営されていた話はあまり知られていない。このあたりの事情については、ele-king booksから刊行されたジェン・ペリー(ピッチフォークの編集者)が書いた『ザ・レインコーツ』に詳述されている。ま、とにかく、彼=ジェフ・トラヴィスには彼が望んでいる未来がありました。彼の志はおおよそ正しかったのですが、未来とは予想外の結果でもあります。さてさて、彼がポートベローに小さなレコ屋を開いてから45年、“UKインディ・ロック”はどこに向かってるのでしょうか。どうぞお楽しみください。


2021年はスリーフォード・モッズの素晴らしい『スペア・リブ』からはじまった。 by Alasdair McLellan

数多くのエキサイティングなバンドがいま浮上してきている、間違いなくそう思う。ただ、今回の違いと言えばおそらく、いま出てきている若いバンドの多くは本当に素晴らしいプレイヤーたちだ、ということでしょうね。テクニック面でとても秀でている。

ここ数年、日本から見て、UKのロック・シーンから活気が生まれているように感じます。スリーフォード・モッズのような年配もいますが、とくに若い世代から個性のあるバンドが何組も出てきて、このコロナ禍においてパワフルな作品を出しているように見えます。おふたりは70年代からずっとUKのロック・シーンの当事者であるわけですけど、いまぼくが言ったように、現在UKのロック・シーンは特別な状態にあると思いますか? 

ジャネット・リー(JL):ええ、数多くのエキサイティングなバンドがいま浮上してきている、間違いなくそう思う。ただ、今回の違いと言えばおそらく、いま出てきている若いバンドの多くは本当に素晴らしいプレイヤーたちだ、ということでしょうね。テクニック面でとても秀でている。若いバンドはたまに、数曲プレイできるようになり、髪型とルックスをかっこよくキメたらツアーに出てしまい、成長するのはそこから……ということもあるわけだけど(苦笑)、いま飛び出してきているバンドの多くは、テクニックの面ですでにとても優れていると思う。しかも彼らの多くはカレッジあるいは音楽校、たとえばブリット・スクールやギルドホール・カレッジ(ギルドホール音楽演劇学校)等に通った経験もあるから、ツアーに出る前に楽器演奏をしっかり学んでいる、という。いま起きていることの違いのひとつはそこだと、わたしは思う。

ジェフはいかがでしょう? ジャネットの意見に賛成でしょうか?

ジェフ・トラヴィス(GT):ああ、賛成。(苦笑)だから、わたしたちはいつだって意見が一致するんだ! 

JL:(笑)

GT:興味深いと思うのは我々が十代だった頃はいまのような音楽学校はなかったことでね。ブリティッシュ・ミュージック・シーンはある意味アート学校で生まれたようなものだ。実際に学生だった者だけではなく、アート校周辺に集まった連中も音楽をやっていた。それに、ピート・タウンゼントのように実際にアート学校に通った人びともいた。
 けれどもいまや、さまざまな音楽学校がそれに代わったわけだ。かつ、70年代には職がなければ失業手当の申し込みができ、政府からわずかのお金が給付された。飲食費に充てるのではなく家賃のためにね。
 ところが現在では、政府給付を受けるのははるかにむずかしくなっている。それに大学やカレッジといったアカデミックな道を望まない、あるいは義務教育以上に進学したくないキッズで、それでも音楽を本当に愛しているとか、何かをクリエイトするのが大好きという者たちは、先ほどジャネットが名前を挙げたような新たなタイプの音楽校に向かうわけだね。
 リヴァプールや南ロンドンをはじめ各地にそういった学校があり、彼らはそこに3年通ったり、専門校他の違ったタイプのカレッジに通い、音楽を学べる。実際、それが大きなサポートになっている。ミュージシャン同士がそうした学校で出会い、バンドを結成し、プロジェクトをやったり。たとえば、ミカ(・リーヴィ)の通った、キャンバーウェル(南ロンドン)にあるあの学校はなんだっけ? あるいは、ジョージア・エレリー(ブラック・カントリー・ニュー・ロード、およびジョックストラップ)が行ったのは……

JL:スレイド美術校? いや違う、ジョージア・エレリーが通ったのはギルドホール。

GT:ああ、ギルドホールか。ああいった面々は本当に才能あるミュージシャンであり、相当なカレッジに通ってね。

JL:でも、そればかりとは限らないし——

GT:たしかに、生まれつき才能のある者もいる。

JL:——ただ、彼らが基準を高く定めていく、と。

GT:ああ、レヴェルを上げる。違う世代ということだし、そこだね、70年代からの変化と言ったら。

JL:そう。

GT:思うに……それに70年代は、ある種60年代を引きずっていたとも言える。というわけで、カウンター・カルチャーの発想がいまよりももっと優勢だったのではないかな?

JL:(うなずいている)

GT:だから、若者はちゃんとした職に就こうとはしない、弁護士や医者になるつもりはない、といった調子で、親が子に望む生き方と逆の方向に向かったものだ。けれども、彼らはそういう考え方をしていないよね? いまのキッズは違う。

JL:ええ、それはない……。ということは、いまのキッズには反抗する対象があまりないということでしょうね、かつてのわたしたちと較べて(苦笑)。

GT:ああ。それにおそらく、まだ親と暮らしているだろうしね。

JL:でしょうね。

GT:なにせひとり暮らしをしようにも、家賃が高過ぎて無理だから。その違いは大きい。UKにおいて、音楽は歴史的に言っても、我々がいつだってかなり得意としてきたところでね。我々にいくらかでもある才能のうちのひとつだ。だからイングランドでは常に、新たな面白い音楽が生まれてくる。
 もっとも、ムーヴメントというのは正直、定義しにくいものでね。我々はその面は大概、社会学者やそれらについて書く音楽ジャーナリストの手に委ねておく。我々はとにかく、いま音楽をやっている人びとのなかで我々がベストだと思う者たち、我々全員がエキサイトさせられる連中を見つけようとするだけだ。
 とはいえ、うん、間違いなくひとつのムーヴメントがあるね。あの、歌うのではなくて、たとえばマーク・E・スミスやライフ・ウィズアウト・ビルディングスのスー(・トンプキンス)がやっていたような、歌詞を吐き捨てるごとくシャウトする一群の連中がいる。ドライ・クリーニングやヤード・アクト、スクイッドブラック・カントリー・ニュー・ロードといった連中、彼らがああいう風に「歌う」歌唱ではなく、「語る」調の歌唱をやっているのは興味深いことだ。

UKにおいて、音楽は歴史的に言っても、我々がいつだってかなり得意としてきたところでね。我々にいくらかでもある才能のうちのひとつだ。だからイングランドでは常に、新たな面白い音楽が生まれてくる。

これら新たなバンドがどんどん出てきているのには、何か社会/文化的なファクターがあると思いますか? それとも、じつはずっとこの手のバンドは存在し活動していて、シーンもあり、それがいまたまたメディアに発見され、脚光を浴びているのでしょうか? 

JL:新しいシーンはいつだって進行していると思う。常にね。そして、いつだってメディアがそれを取り上げ、命名するものだ、と。ただ、さっきも話したように、現在起きていること、おおまかに言えば南ロンドン&東ロンドン・シーンになるでしょうけど、それを他と区別している点は、新たなバンドのミュージシャンシップだと思っている。専門的な腕の良さ、彼らが技術的に非常に堪能であること、この新たな一群とこれまでとを画している違いはそこになるでしょうね。というのも、ほら、たとえばパンクの時代には、そこから離れていく動きがあったわけでしょう? 

たしかに。

JL:パンク以前は、人びとは技術的にとても達者だったし、(苦笑)ギターでえんえんとソロを弾いたり(苦笑)。そしてパンクが起こると、楽器が上手なのはまったくファッショナブルなことではなくなり、誰もそれをやりたがらないし、誰も聴きたがらなくなった。その側面は長い間失われていたけれども、こうしていま、人びとが再び音楽的な才能を高く評価する、そういうフェーズに入っているということだと思う。本当に、ちゃんと演奏ができる、という点をね。

GT:それもあるし、いま、ロンドンには非常に活況を呈しているジャズ・シーンもある。それは珍しいことでね。新世代の若い黒人のロンドン人たちが、ジャズを再び新しいものにするべく本当に努力を注ぎ込んでいる。それはずいぶん長い間目にしてこなかった動きだし、そこもまた、新しいバンドのいくつかのなかに入り込んでいる気がする。サキソフォンやホーン、ヴァイオリンなど、一般的なバンドでは耳にしないサウンドが聞こえるし、それも彼らにとってはノーマルな部分であって。そこはある意味興味深い。

たしかにジャズも勢いがありますし、新世代バンドのなかにはやや70年代のプログレが聞こえるものがあるのは、興味深いです。

JL:ブラック・ミディでしょ(笑)?

GT:ああ。

(笑)はい。なので、いまの世代は、パンクだ、プログレッシヴ・ロックだ、ヒッピー音楽だ、という風にジャンルを分け隔てて考えていない印象があります。影響の幅が非常に広いな、と。

GT:その通りだね。我々が本当に驚かされてきたのもそこで、たとえばブラック・ミディの3人と話すとする。で、彼らの音楽的知識、その幅、そして歴史的な理解は全ジャンルにわたるものであり、とにかく驚異的だね、本当に。わたし個人の体験から言っても、あの年齢で、あれだけさまざまな音楽や知名度の低いアーティストについて詳しい人びとに出会ったことはいままでなかった。ジャズ・ギタリスト、フォーク・ギタリスト、カントリー&ウェスタンのプレイヤー、ロカビリーのギター・プレイヤー等々。それはまあ、インターネットが人びとの音楽の聴き方の習慣を変え、あらゆるものへのアクセス路をもたらしたからに違いないだろうけれども。

JL:しかも、彼らは音楽学校に入るわけで。そこでも教育を受け、音楽史等について学ぶ。

GT:ああ、そうだね。にしても、彼らの音楽への造詣の深さ、あれにはただただ舌を巻くよ。

若手のシェイムをはじめ、ゴート・ガール、ドライ・クリーニング、スクイッド、ブラック・ミディ、ワーキング・メンズ・クラブ、ヤード・アクト、ザ・クール・グリーンハウス、コーティング、ブラック・カントリー・ニュー・ロード、ビリー・ノーメイツスリーフォード・モッズやアイドルズなどなど……彼らをポスト・パンクと括ることに関してはどう思われますか? 


ゴート・ガールの『On All Fours』もよく聴きました。 by Holly Whitaker

GT:ルイ・アームストロングはかつてこう言ったんだ、「音楽には良いものか、悪いものしか存在しない。わたしは良い類いの音楽をプレイする」とね。

JL:(笑)その通り。

(笑)ええ。

GT:いやもちろん、わたしも理解しているんだよ。ジャーナリストは数多くの原稿を文字で埋め、何かについて書かなくてはならないわけだし、物事をジャンルへとさらに細かく分け、そこに名前をつけようとするのは理にかなっている。けれども、ミュージシャンのほとんどはそれらのカテゴリーのなかに入れられるのが正直好きではないし、とくにジャンルに関して言えば、これらのバンドたちは、別の世代がやったのと同じようにカテゴリーを認識してはいない。非常に多様でメルティング・ポットな影響の数々が存在しているからね。ポップをやることも恐れないし、かと思えば次はフォーク、今度はソウル・ミュージックをプレイする、という具合だ。たとえばブラック・ミディは今日、ホール&オーツのカヴァーをやってね。

(笑)なんと!

GT:あれはまさか彼らから?と思わされた変化球だった(苦笑)。

JL:(笑)それに、彼らはブルース・スプリングスティーンの曲もカヴァーしたことがあって。あれにも――かなり驚かされたわね。でも、個人的に言えば、わたしはカテゴリーは別に気にしてはいない。とにかく、いいものか、そうではないか。何かしら胸を打つものか、あるいはそうではないか。それだけの話であって。わたしたちの心に響き感動させられるもの、わたしたちが惹き付けられるのはそれ。これまで、わたしたちが「あの新しいムーヴメントのなかから誰かと契約しなくてはらない」という風に考えたことは一度もなかったと思う。そうした考えは一切入り込まないし、とにかく本当に才能があるとわたしたちの見込んだ人びとと会ってみるし、その視点から物事を進めていくことにしているだけ。彼らをグループとして一緒にまとめているのは、新聞のほう(笑)。

(苦笑)はい、我々の側ですよね。承知しています。

GT:(笑)。

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若い子たちはスリーフォード・モッズにあこがれていると思う。ちょっとしたヒーローだし、若い人たちの見方もそれだと思う。彼は自分の考えをはっきり外に向けて出しているし、しかも人生経験もちゃんとある人だから。

多くの若いバンドが2018年あたりに登場していることで、ブレグジット以降のUKの社会/政治状況が間接的に影響を与えているという解釈がありますが、あなたがたはどう思われますか? 若者の多くは未来に不安を感じているでしょうし、とても不安定な状況なわけですが。

GT:そこは非常に大きい部分を占めていると思う。たとえばゴート・ガール、彼女たちの書くこと、プレイしている曲、何もかもがそうしたことによって形成されていると思うし、彼女たちは社会の崩壊や、現在の世界の状態を非常に強く意識している。というか実際彼らのほとんどは、いまどういうことになっているかについてかなり強い意識があると思う。これらのミュージシャンの多くが演奏している音楽は、必ずしもストレートにコマーシャルだとは言えない類いのものなわけで、そういうことをやるためには、実は本当にやりたい音楽を「自分たちはこう感じている」とプレイし、言いたいことを言うしかない。人がどう考えるだろうか?と気にするのはある種の検閲であり、忌まわしいことと言える。
だから、(商業的ではなく)やりたい音楽をやっているということは、彼らがはただ単に保守的に順応するのではなく、いわば自分たち自身の道を進んでいる、その現れだね。ただ、いまの時代において、成功という概念はとても混乱させられるもので。

JL:そうね。

GT:やっていることを気に入ってくれるオーディエンスを見つけること、それがサクセスなんだろうね。かつ、音楽をプレイすることで生計を立てられる、それが多くのミュージシャンの夢だよ、実際。彼らがまず到達しようとする第一着陸地点がそこだろう。

JL:ええ。それにわたしは、このCOVIDのロックダウンやもろもろの後で、かなり大きなクリエイティヴィティの爆発が起こるんじゃないかと期待している。人びとは集まってクリエイトすることができずにいたし、おそらく彼らも、音楽を作りクリエイティヴでいるために何か別の方法を思いつかなければならなかったでしょうから。で、「必要は発明の母」なわけで、きっとここから何かが出てくると思う。大きな、クリエイティヴな爆発が起きるでしょうね。

シャバカ・ハッチングスの素晴らしい新作はロックダウン下で制作されたはずですし、おっしゃるように、今後UKからさらに多くの素晴らしい音楽が出てくるのを期待したいです。

JL:そうね。

〈ラフ・トレード〉では、ゴート・ガール、ブラック・ミディ(そしてスリーフォード・モッズ)を今回の特集のなかでフィーチャーさせてもらっています。どちらの新作も大好きなので、個別に話を訊かせてください。まずはゴート・ガール。このバンドこそぼくには70年代末の〈ラフ・トレード〉的な感性を彷彿させるものがあるように思います。ザ・レインコーツのような、独自の雑食性があって、しかも女性を売りにしない女性バンドです。

GT&JL:うんうん。

おふたりにとって、このバンドのどこが魅力ですか?

JL:彼女たちは……非常に音楽的だからだし、彼女たちの作っていた音楽をわたしたちが気に入ったのはもちろん、しかも彼女たちはとても意志の強い、興味深い、若い女性たちであって。彼女たちのような若い女性たち、強い心持ちがあり、自分たちが求めているのは何かをちゃんと知っている女性のグループと一緒に仕事できるというのは、わたしたちにとって非常に魅力的だった。というのも、ああいうグループは、決して多く存在しないから。

ええ、残念ながら。

JL:そう。だから、これまで彼女たちと一緒に仕事してこられて、こちらも非常に嬉しいし満足感がある。

ブラック・ミディはほとんどアート・ロックというか、なんでこんなバンドが現代に生まれたのか嬉しい驚きです。ブリット・スクールで結成されたのは知っていますが、だいたいダモ鈴木と共演していること自体が驚きです。彼らはいったい何者で、どんな影響があっていまのようなサウンドを作るにいたったのでしょう? 『Cavalcade』を聴いていると、エクスペリメンタルですが、XTCみたいなポップさもあるように思います。

JL:……(ジェフに向かって)この質問はあなたに譲る。

GT:(苦笑)えっ!

(笑)説明するのが楽ではないかもしれませんが。

GT:むずかしいね、というのも彼らは本当に風変わりで、とても型破りだから。たとえばジョーディ(・グリープ)、ギタリストでメインのシンガーのひとりである彼だけれども、彼は相当にエキセントリックなキャラクターだ。非常に個性的な人物だし、ああいう人間には滅多にお目にかからない。で、そこは本当に彼の魅力のひとつでもある。
まあ……我々はほかとはちょっと違う人びとを、普段出くわさないような人びとを常に讃えてきたよね。いい意味で、とは言えないような、やや興味深い人びとを。だがジョーディはとても教養があり、知識も豊富で、しかも実に素晴らしいミュージシャンだ。それに彼はとてもいい形で、自分のやっていることの本質を理解している、というのかな。彼は楽しいことをやりたい、スリリングかつ楽しいものにしたいんだ。それは非常にいい考え方だ(笑)。 

JL:たしかに。彼らのもっとも魅力的なところのひとつは、彼らには境界線が一切なさそうだ、ということで。とにかく彼らは、そのときそのときで自分たちの興味をそそることならなんだってやるし、自分たち自身を「我々はこういうバンドであり、やっているのはこういうこと」という風に見ていない。自分たちにとって興味深く、スリリングなものであれば音楽的にはなんだってやる。彼らは恐れを知らないわけ。

GT:しかも、それをやれるだけの能力も備えている。それは珍しいことだ(笑)。

JL:そう、そう。能力があり、恐れ知らず。彼らはほかの人間がどう考えるかあまり気にしていないし、自分たち自身を楽しませている。そこに、わたしたちは非常に魅力を感じる。

なるほど。でも、レーベルとしては、そんな風になんでもありで形容・分類できないバンドな、逆にマーケティングしにくいのではないか? とも思いますが。

GT:新しく、前代未聞ななにか、というね。それはその通りだし、だからこそエキサイティングなのであって。

JL:でも、その意見はおっしゃる通りで、彼らをマーケティングするのはとてもむずかしかったかもしれない。ところが実際はどうかと言えば、これまでわたしたちがしっかり付き合ってきたなかでも、彼らはもっともマーケティングしやすいバンドでね。なぜなら彼らには自分たちで考えてきたアイデアがあるから。自分たちをどう提示するかについて、本当にいいアイデアを持っている。その意味でもやっぱり、「境界線がない」という。彼らがとてもいい案を思いついてきて、こちらはそれらのアイデアをサポートしてきた。だからこれまでの彼らのマーケティングは、楽しかったとしか言いようがない。そもそもアイデアがちゃんとあるから、かなり楽にやれる、という。

質問にあった、ザ・フォールやパブリック・イメージのようなバンドは現在でも出てこれるか? に対するわたしの回答は、絶対に出てこれるだろう、そう思う。

今回我々が取り上げているような、ここ数年出て来たバンドのなかで、もっともいまの時代を言葉によって的確に表現できているバンドは何だと思いますか?

JL:それはもう、あなたが親であれば、彼らはあなたの子供であってみんな愛しいし、「この子」とひとつだけにスポットを当てるのはとてもむずかしい、というのがわたしの感覚であって(苦笑)。

(笑)すみません。

JL:(笑)でもまあ、スリーフォード・モッズには山ほどある。いまの世界の状況とUKの状況について、彼らには言いたいことがいくらでもある。だから、ある面では、たぶん彼らでしょうね。一方で、ゴート・ガールは、女たちにとって本当に大事なことを言葉にして歌っている。先ほど言ったように、ブラック・ミディは境界線も恐れも知らなくてアメイジングで――だから、この一組、という話ではない。そうやって選ぶのはこれからもないでしょうね。

GT:ああ。それに、我々全員が惚れ込んでいる、キャロライン(Caroline)という新人バンドもいる。8ピースのグループなんだが。

はい、知っています。

GT:うん。彼らのやっている音楽もわたしたちみんながとても、とても愛しているものだ。興味深いんだよ、あのバンドは共同し合い作業できる者たちによる一種の集団で、コミュナルな、恊働型でね。しかも8人と大規模なグループだから、その力学を見守るのも興味深い。それにこれらのグループはいずれも、もっとショウビズ的なロックンロールとしての価値も備えている。たとえばスリーフォード・モッズ、あるいはブラック・ミディの演奏を観に行くと、実際のイヴェントが、ショウとして、パフォーマンスとして、とにかくファンタスティックなんだ。それゆえに彼らのメッセージ、あるいは彼らの言わんとしていることに対して懐疑的になってしまうかもしれないが、とにかく素晴らしい一夜のエンタテインメントになってもいて。それもまた、彼らのやろうとしていることの一部なんだ。


内省的だった2021年に、場違いな騒々しさをもたらしたブラック・ミディ。

それではサウンドの面で、おふたりにとってもっとも斬新に感じるバンドはどれでしょうか?

GT:我々はいま、アイルランドのフォーク・ミュージックにとても入れ込んでいる。あの音楽は現在非常にいい状態にあるし、ランカム(Lankum)、リザ・オニール(Lisa O’neill)、 イェ・ヴァガボンズ(Ye Vagabonds)、ジョン・フランシス・フリン(John Francis Flynn)といった面々が大好きでね。新たな世代による伝統的なアイリッシュ・フォークの再解釈ぶり、あれはアイルランド音楽に久々に起きたもっともエキサイティングなことではないかと我々は思っている。実際、70年代初期以来のことだ。(※上記アクトはいずれも〈ラフ・トレード〉、もしくはジェフとジャネットが音楽ライターのティム・チッピングと始めたフォーク音楽を紹介するための傘下レーベル〈River Lea〉所属)

なるほど。

GT:それだけではなく、文学界も興味深くなっている。労働者階級や少数派文化の背景を持つ作家の作品がもっと出版されるようになっていて、それは出版界ではかなり久々のことであり、本当にエキサイティングな展開だ。他のレーベル所属アクトのライヴはあまり観に行かなくてね(苦笑)……

JL:ミカ・リーヴィ(Mica Levi/ミカチュー名義で〈ラフ・トレード〉から2009年にアルバム・デビュー)は、〈ラフ・トレード〉外ね。彼女も以前〈ラフ・トレード〉所属だったけれども、いまは自分自身で活動している。わたしたちは彼女が本当に大好きで。

同感です。最近はサントラ仕事を多くやってきましたよね。ものすごい才能の持ち主だと思います。

JL:ええ。彼女は本当にアメイジング。

いまの若いロック・バンドは、Z世代やミレニアルに属している子たちも少なくないと思うのですが、昔のロック・バンドのようにまずドラッグ(大麻は除く)はやらないし、酒に溺れることもないですし――

GT&JL:(苦笑)。

また、人種問題や環境問題、フェミニズムにも意識的だと人伝いに聞いています。おふたりから見てもそう思いますか? 70〜80年代のロックンロール・ピープルとは違う、と?

JL:間違いなくそう。わたしは確実に彼らから勉強させてもらっているから。彼らは食生活も健康的で、お酒も飲まないし、PC(政治的に正しい)でもあって(笑)。

(笑)口の悪いスリーフォード・モッズは除いて。

JL:(笑)その通り。ただ、あなたの言う通りで、若い人たちのアプローチの仕方は本当に違う。だから、むしろわたしたちの方が彼らから学べると思う(苦笑)。彼らの方が、かつてのわたしたちよりももっと妥当なルートをたどっている——というか、いまですらわたしたちはその面はダメかもしれない(笑)。

GT:フフフッ!

スリーフォード・モッズのようなバンドは、質問者のようなオヤジ世代にしたら堪らないバンドですが、UKの若い子たちはジェイソンのことをどう思っているのでしょうか? いまのバンドに彼らの影響はあると思いますか?

JL:若い子たちは彼にあこがれていると思う。彼はちょっとしたヒーローだし、若い人たちの見方もそれだと思う。彼は自分の考えをはっきり外に向けて出しているし、しかも人生経験もちゃんとある人だから。

階級闘争と文化闘争の問題についてはどう思われますか? つまり、いまのUKの文化、音楽はもちろんテレビ/映画界等の担い手から労働者階級が昔にくらべて激減し、文化が富裕層に乗っ取られているという話です。PiLやザ・フォールのようなバンドは現代では出にくい状況にあるという。

GT&JL:フム……(考えている)

ある意味、より複雑な状況のように思えます。たとえば先ほどおっしゃっていたように、いまバンドをやっている人びとにはカレッジやブリット・スクールに通った者もいて、親の学費負担もそれなりでしょうし。

GT:それは部分的には誤解だね。ブリット・スクールは実は学費を払わないで済む学校だから。

ああ、そうなんですか!

GT:あれは有料校ではないはずだし、それ自体があの学校の意義であって。入校するためにオーディションを受けるとはいえ、学費は払わないでいい。金持ちの子供のための、彼らが世に出る前に教養を積む学校だ、と思われているけれども実はその逆。才能さえあれば誰でも入校できるし、労働者階級の面々もブリット・スクールに通っている(※通訳より:ブリット・スクールに通ったことのある有名なアクトであるエイミー・ワインハウスもアデルも労働者階級なので、これは当方の理解不足です)。そこは思い違いだし、ブリット・スクールの側ももっとPRをやってその点をはっきりさせるべきだな。とはいえ、ファット・ホワイト・ファミリーのようなバンドもいるわけで……(ジャネットに向かって)彼らはどんな連中なんだい? 労働者階級?

(笑)。

JL:……(考えている)

GT:あれは、また別の系統だ。

JL:彼らは彼らだけの無比階級(笑)!

GT:そうだね、たしかに他にいない。彼らは違う感じだ。ただ、とりわけいまのロンドンのミュージシャンにとって、彼らは非常に影響力の大きいバンドでね。まあ、いろいろな人間が混じり合っていると思うし、労働者階級の面々にもいずれ、リッチな層と同じくらい、音楽界に入っていく可能性が訪れると思う。

JL:でもわたしは、いまは中流〜中流よりちょっと上の階級の人びとがバンドに多い、その意見は本当だと思う(笑)。それは本当にそうだと思うし。ただ、人生における何もかもがそうであるように、物事はさまざまなフェーズを潜っていくものであって。たとえば70年代には、お洒落で高そうな学校に通ったことがあってバンドをやっていると、あざ笑われることがかなり多かったと思う。
けれども、とにかくいまはもうそんなことはないし、もっと人びとが混ざり合っている。だから、そうした類いのタブーが消えたんだと思う。もっと混ぜこぜだし、いまはもっと、しっかり教育を受けた若者たちがバンド活動と音楽にのめり込んでいる、そういうものではないかと思うし、とにかく時代は変化している、ということなんでしょうね。ある意味、わたしたちは向上した、というか。

なるほど。そうしたタブーは逆差別にもなりますしね。中流やそれ以上の階級の人間であっても、音楽作りが好きでバンドをやりたければやっていいわけで。

JL:でも、スリーフォード・モッズ、間違いなく彼らは、そうしたバックグラウンドからは出て来ていないし。それに、質問にあった、ザ・フォールやパブリック・イメージのようなバンドは現在でも出てこれるか? に対するわたしの回答は、絶対に出てこれるだろう、そう思う。仮にわたしたちが明日彼らのライヴを観に行き、素晴らしかったら、その場で契約しているでしょうし。要は才能があるかないか、それだけの話だと思う。

1970年代末のポスト・パンク時代にはサッチャーという大きな敵がいましたが——

JL:(苦笑)ええ。

いま現在のロック・バンドにとって当時のサッチャーに匹敵するものとは何だと思いますか? 

GT:たぶん、内務大臣のプリティ・パテルは国でもっとも人気が低いんじゃない? 

なるほど。

GT:彼女は嫌悪の対象だ。けれども、現政府が若者たちの多くに対して発してきた嘘の山々、あれはとにかく過去に前例のないひどさという感じだ。いやおそらく、過去にも同じだけの嘘をつかれてきたんだろうが、かつては秘密のとばりにもっと隠されていたのが、いまやもっとあからさまになっている、ということなんだろうね。
で、先ほど君が言っていたように、いまの若者はもっと政治に関して意識的だし、この国でいま何が起きているかについてとても詳しい。気象変動をはじめとするさまざまな問題に対するアクションの欠如も知っているし、それを我々も過去数年起きてきた大規模なデモ行動の形で目にしてきたわけで。

BLM運動など、いろいろありますね。

GT:そう。とはいえ、君の指摘は正しいよ、マーガレット・サッチャーがある意味、若者を団結させた存在だった、というのはね。「この政府はうんざりだ」と彼らも思ったわけで(苦笑)。

JL:でも、あの頃も保守政権だったし、いまも保守政権なわけで。

GT:そうだね。憂鬱にさせられるのは、この保守党政府がしばらく長く続きそうな点で。そこは最悪だ。

政治・社会状況が困難であるほどアートは活発になると思うので、それを祈りましょう。でも、ということはボリス・ジョンソン首相はサッチャーほどの「敵」として見られてはいない?

GT:ああ、彼もそうだけれども、うん……

JL:……いまは、保守党全体がそういう感じで(苦笑)。

何人ものサッチャーから成り立つ政党、と。

JL:そう。だから、単純に「このひとりを敵視する」という象徴的な存在はいない。

GT:でもミュージシャンにとっては、ボリス・ジョンソンはミュージシャンがヴィザ無しで欧州に渡り、ライヴをやり、現地でお金を自由に使うのを許可する協定をEUとの間で締結しそこねた、という事実があるわけで。まだ駆け出しのバンドが外に出て行ってプレイするのは不可能な話だし、ミュージシャンには深刻だ。若いバンドに限らず誰であれ、欧州で演奏するのが以前よりもっとずっとむずかしくなっている。現政府のアートに対する感謝の念の欠如、そこにはただただ、ショックを受けるばかりだ。

それもありますが、まずはCOVID状況の克服が先決ですよね。それが起きればライヴ・セクターも回復するでしょう。音楽界にとってもまだまだ困難な時期は続きますが、〈ラフ・トレード〉の活況を祈っています。

GT&JL:ありがとう。

(初出:別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』2021年7月刊行)


(追記)
 ついでながら、ぼく(野田)が気に入っているのは、ドライ・クリーニングとブラック・ミディ、次点でスクイッドです。2021年の洋楽シーンは良い作品が多かった、それはたしかでしょう。が、コロナ禍ということがあってだいたいが内省的だった。そんななか、ブラック・ミディから聞こえる場違いな騒々しさとスクイッドの“Narrator”には元気をいただきました。
 というわけで、ブラック・ミディ、スクイッド、ブラック・カントリー・ニュー・ロードの最新インタヴュー掲載の紙エレキング「年間ベスト・アルバム号」、どうぞよろしくお願いします。(ロレイン・ジェイムズの本邦初インタヴューもありまっせ)

MURO - ele-king

 ご存じディガー中のディガー、あの宇川直宏もリスペクトしてやまないキング・オブ・ディギンこと MURO の最新ミックスが発売される。
 今回は〈Pヴァイン〉手がける “GROOVE-DIGGERS” シリーズの膨大なカタログのなかから、珠玉のレア・グルーヴをセレクトした内容。そのままミックスを楽しんで欲しいとのことで、収録曲は明かされていない(商品には記載)。タワレコ限定盤のため、お早めにチェックを。

Pendant - ele-king

 フエアコ・エスとして知られるブライアン・リーズの別名義ペンダントの新作『To All Sides They Will Stretch Out Their Hands』がリリースされた。前作『Make Me Know You Sweet』(2018)から実に3年ぶりのアルバムだ。10年代のエクスペリメンタル/アンビエント・シーンの最重要アーティスト、待望の新作である。

 フエアコ・エス=ブライアン・リーズは2013年、当時OPNが主宰していた〈Software〉からアルバム『Colonial Patterns』をリリースした。アンダーグラウンドなハウス・ミュージック・シーンにいたリーズだが、『Colonial Patterns』のリリースによってエクスペリメンタル・ミュージックのリスナーから注目を集めることになった。このアルバムに影響を受けたエレクトロニック・ミュージック・アーティストは、ある意味、OPNと同じくらい多いのではないか。そして2016年には、ニューヨークを拠点とするカセット・レーベル〈Quiet Time Tapes〉から『Quiet Time』と、アンソニー・ネイプルズ主宰の〈Proibito〉からアルバム『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』の2作をリリースし評価を決定的なものとした。その霞んだ音響は不可思議な霊性のようなアトモスフィアを放っており、巷に溢れる凡庸なアンビエント作品と一線を画するような音だった。翌2017年にはブライアン・リーズは実験電子音楽レーベル〈West Mineral〉を立ち上げた。2018年には同レーベルから自身の別名義ペンダントのアルバム『Make Me Know You Sweet』を発表する。レーベルのキュレーションも格別で、例えばポンティアック・ストリーターウラ・ストラウスの『Chat』(2018)、『11 Items』(2019)などの重要作を送りだしてきた。本作もまた〈West Mineral〉からのリリースである。

 フエアコ・エス名義の作品は、現時点では2016年の『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』が最後だ(来年2月に新作が出る模様)。リットン・パウエル、ルーシー・レールトン、ブライアン・リーズらのユニット PDP III 『Pilled Up on a Couple of Doves』が2021年にフランスの〈Shelter Press〉から発表されいるとはいえ、ソロ作品は2018年リリースはペンダント『Make Me Know You Sweet』以来途絶えていたのだからまさに待望リリースである。とはいえ録音自体は前作がリリースされた直後の2018年に行われた音源のようだ。すでに制作から3年の月日が流れている。どうしてそうなったのかは分からないが、彼のサウンドの持っている時間を超えたような「霊性」を考えると、3年の月日が必要だったのではないかとすら思えてくるから不思議である。

 アルバムには全6曲が収録されている。アルバム前半に “Dream Song Of The Woman”、“In The Great Night My Heart Will Go Out”、“Formula To Attract Affections” の3曲、後半に “The Story Of My Ancestor The River”、“The Poor Boy And The Mud Ponies”、“Sometimes I Go About Pitying Myself While I Am Carried By The Wind Across The Sky” の3曲が収録され、合計6曲が納められている。アルバム全体は、大きなストーリーというか流れがあるというよりは、まるでアンビエントやドローンが次第に瓦解していくように音が変化していくようなサウンドを展開している。

 冒頭の “Dream Song Of The Woman” は白昼夢のようなドローンが展開するアンビエント曲だが、2曲め “In The Great Night My Heart Will Go Out” から細やかな物音のコラージュによって生まれるどこか荒涼としたムードのサウンドスケープである。曲が進むごとに音の霞んだ感触や荒んだディストピア的なムードが展開しつつも、アンビエントからエクスペリメンタルなコラージュ作品へと変化していく。そして17分45秒に及ぶ最終曲 “Sometimes I Go About Pitying Myself While I Am Carried By The Wind Across The Sky” でコラージュ/アンビエントな音響空間は頂点に達する。20世紀の残骸である音とその蘇生とリサイクル、荒涼とした光景そのものをスキャンするような持続、ノイズ、音楽のカケラ、幽玄性。それらの交錯と融解。まさにアルバム・タイトルどおり「四方八方に手が伸びる」ようなサウンドスケープである。

 最後に本作のマスタリングを手がけたは、エクスペリメンタル・ミュージックのマスタリング・マスターのラシャド・ベッカーということも付け加えておきたい。

ザ・レインコーツのファンも
ポスト・パンク・ファンも
ラフトレードのファンも必読の書で、
あなたの人生観を変えるかもしれない名著です

いま日本でようやく公開される1979年ロンドンのアナーキー&フェミニズムの世界へようこそ。ジョン・ライドンもカート・コベインも愛した奇跡のバンド、その革命的なデビュー・アルバムとメンバーの生い立ちからそれぞれの歌詞や彼女たちの思想について、『ピッチフォーク』の編集者がみごとな筆致で描く。

1979年、ロンドンで結成された女性4人組のバンド、ザ・レインコーツ。そのデビュー・アルバムは、新しい文化潮流の重要起点になったという意味において、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストやセックス・ピストルズの『勝手にしやがれ!!』などと同じ類いの作品であると21世紀の現代であれば言えるだろう。

この家父長制的な社会において、長いあいだ不当な扱いを受けながら、その後の多くの女性音楽家たちを勇気づけたそのバンドの名作の背景が、いまここに明かされる。

舞台は1979年のロンドン、拠点となったのは、マルクス主義とフェミニズム思想の影響をもってオープンしたレコード店〈ラフトレード〉。

店が立ち上げたレーベルからデビューしたザ・レインコーツは、当時ジョン・ライドンがもっとも評価したバンドだった。のちにカート・コベインがそのレコードを買うためにメンバーが働いていたアンティック・ショップにまで足を運ぶほどの熱烈なファンだったことでも知られる。

『ザ・レインコーツ』はポスト・パンク・ファン待望の一冊であり、いまだ家父長制的な文化が優位なままの日本の未来のためにも、まさにいま読むべき一冊だ。最高の読後感が待っています。

目次

収録曲 Tracklist
序文 Preface

1 One
2 Two
3 Three
4 Four

結びに Epilogue
謝辞 Acknowledgments
引用・参照資料 Works Cited
索引
編者による補足

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SUPER DOMMUNE Presents「DJ IN THE MIRROR WORLD 3」 - ele-king

 もうすぐ投票日だ。同10月31日はハロウィーンでもある。今年も渋谷区は「バーチャル渋谷」への参加を呼びかけている。「バーチャル渋谷」って何? それは、「cluster」というプラットフォームで体験することができる “ミラーワールド”。簡単に言ってしまえば、現実の渋谷をスキャンすることによって生み出された仮想世界だ。
 ということで、昨年のハロウィーンから「DJ IN THE MIRROR WORLD」という刺激的な試みを実践してきた “メタヴァースの使徒” SUPER DOMMUNE が今年もスペシャルな企画を用意してくれた。
 第1回ではエレン・エイリアン、サージョン、ケン・イシイ、ダーシャ・ラッシュが、第2回ではニーナ・クラヴィッツ、Rebekah、Licaxxx が出演している同企画だが、今回の「3」では、なんと、満を持して石野卓球が登場! 石野卓球がアヴァターとなり仮想のスクランブル交差点でDJ、これはかつてないイヴェントになるだろう。
 ちなみに10月29日発売の『ele-king臨時増刊号 仮想空間への招待──メタヴァース入門』では、SUPER DOMMUNE を主宰する宇川直宏氏のインタヴューを掲載しています。めちゃくちゃおもしろい内容のインタヴューですので、ぜひそちらもチェックしていただけると嬉しいです。
 10月31日、投票を済ませたら「バーチャル渋谷」へGO(参加方法などは下記を)。

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DJ IN THE MIRROR WORLD 3
実 施 概 要

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名 称:SUPER DOMMUNE Presents「DJ IN THE MIRROR WORLD 3」
日 時:2021年10月31日(日)22:30-24:00
DJ:石野卓球(電気グルーヴ)
VJ:DEVICEGIRLS
VRDJ:DJ SHARPNEL
VR STREAMING:UKAWA NAOHIRO(DOMMUNE)

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バーチャル渋谷 au 5G ハロウィーンフェス 2021
実 施 概 要

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名 称:バーチャル渋谷 au 5G ハロウィーンフェス 2021
日 程:2021年10月16日(土)~10月31日(日)
場 所:渋谷区公認配信プラットフォーム「バーチャル渋谷」
主 催:KDDI株式会社、一般社団法人渋谷未来デザイン、一般財団法人渋谷区観光協会
後 援:渋谷区
協力パートナー:東急株式会社、東急不動産株式会社、東京メトロポリタンテレビジョン株式会社、株式会社SHIBUYA109エンタテイメント、株式会社 ローソンエンタテインメント、ChargeSPOT、アドビ株式会社

公式サイト:https://vcity.au5g.jp/shibuya/halloween2021
公式SNS:<Twitter>‎@shibuya5g
<Instagram>@shibuya5g
<YouTube>渋谷5Gエンターテイメントプロジェクト

参加方法:
バーチャル渋谷は、VRデバイス、スマートフォン、PC/Macからご参加いただけます。
clusterの無料アカウント作成と、ご利用されるデバイス用のclusterアプリのインストールが必要です。
clusterアカウント作成:https://cluster.mu/
clusterアプリダウンロード:https://cluster.mu/downloads

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石野卓球(電気グルーヴ)
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1989年にピエール瀧らと"電気グルーヴ"を結成。1995年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリース、この頃から本格的にDJとしての活動もスタートする。1997年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行い始め、1998年にはベルリンで行われる世界最大のテクノ・フェスティバル"Love Parade”のFinal Gatheringで150万人の前でプレイした。1999年から2013年までは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ"WIRE"を主宰し、精力的に海外のDJ/アーティストを日本に紹介している。2012年7月には1999年より2011年までにWIRE COMPILATIONに提供した楽曲を集めたDisc1と未発表音源などをコンパイルしたDisc2との2枚組『WIRE TRAX 1999-2012』をリリース。2015年12月には、New Orderのニュー・アルバム『Music Complete』からのシングルカット曲『Tutti Frutti』のリミックスを日本人で唯一担当した。そして2016年8月、前作から6年振りとなるソロアルバム『LUNATIQUE』、12月にはリミックスアルバム『EUQITANUL』をリリース。2017年12月27日に1年4カ月ぶりの最新ソロアルバム『ACID TEKNO DISKO BEATz』をリリースし、2018年1月24日にはこれまでのソロワークを8枚組にまとめた『Takkyu Ishino Works 1983~2017』リリース。現在、DJ/プロデューサー、リミキサーとして多彩な活動をおこなっている。
https://takkyuishino.com

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DOMMUNE
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現代日本のアートシーンの中でも際立った存在感を放つ宇川直宏が、ソーソャルストリームの時代を見据えた新たな文化の発信拠点として、2010年に開局させた日本初のライブストリーミングスタジオ『DOMMUNE』!! SNSの夜明けと言われた時代に「ファイナルメディア」として忽然として現れ、百花繚乱のライブストリーミング番組の中でも、圧倒的な番組の質とビューワー数を誇り、開局以来、世界各国から様々なゲストが来日のたびに出演する唯一無二の文化プラットフォームとして存在し続けている。あのロンドンを拠点とするミュージックチャンネルBOILER ROOMにも影響を与え、BOILER ROOM TOKYOの日本支局もDOMMUNEが担当している。このように『DOMMUNE』は現在世界に溢れているサウンド&アートストリーミング、また、カルチャーストリーミングのほとんど全ての雛形を作ったと言っても過言ではない。現在まで9年間にわたって配信した番組は約4000番組 / 約7000時間 / 150テラ、トータル視聴者数一億を超え、従来の「放送」や「出版」そして「広告」という概念やそのフォーマットが破綻していく現代において、ライブにおける動画配信の実験を重ね、新たな視覚コミュニケーションの可能性を日夜革新的に炙り出し続けている。今もなおその影響力は衰えず、開局10周年を第二章とし、最前衛テクノロジーと共にUPDATEを図り、ファイナルメディア『DOMMUNE』の進化形態『SUPER DOMMUNE』へと展開した。2021年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
https://www.dommune.com/

Moritz Von Oswald Trio - ele-king

 よく音楽は時間芸術だと言われる。が、音楽は空間芸術でもある。たとえばJポップには「Aメロ→Bメロ→サビ」の定型を保守した曲が多いけれど、音楽の魅力は展開=物語のみにあるわけではない。その対極にあるのが反復による音楽で、それは時間を宙づりにする。音は物語ではなく「場」になる。

 ミニマル・テクノの巨匠、モーリッツ・フォン・オズワルドひさびさのフルレングスがリリースされた。アルバムとしては4年ぶり、トリオとしては6年ぶりの新作だ。『Dissent』は、長いキャリアを誇るヴェテランの新作として申し分のないクオリティを具えた1枚に仕上がっている。ミニマル・テクノが生まれてから30年を経たいまとなっては大きな驚きはないかもしれないが、しかし若さだけでは創出できないだろう、素晴らしいサウンドがここでは鳴り響いている。

 オズワルドの音楽のキャリアは、1980年代に活躍したノイエ・ドイチェ・ヴェレを代表するバンドのひとつ、パレ・シャンブルグの後期メンバーとしてはじまっている。ホルガー・ヒラーとトーマス・フェルマンというふたりの個性が率いたそのバンドが、当初の前衛的サウンドからダンスへと移行した時期だった。
 けれどもオズワルドの名がテクノ・シーンにおいて大きな意味をもって記憶されるようになるのは、彼がベルリンでレコード店「ハードワックス」を営み、レアグルーヴとレゲエの研究家でもあったマーク・エルネストゥスと出会い、ベーシック・チャンネル(BC)を始動させてからだ。いや、正確に言えば、BCがシーンに衝撃を与えた初期の重要曲 “Phylyps Trak” をリリースした時点においても、オズワルドの名はまだ知られていない。というのも、デトロイトのURに多大な影響を受けたふたりは、当初は正体を明かさず徹底した匿名主義を貫き、取材もいっさい受けなかったからだ(編集長によれば、90年代なかばにUKのダンス系メディアがオズワルドの写真をすっぱぬいて、そのころになってようやく、どうやらメンバーに元パレ・シャンブルグのオズワルドがいるらしいと情報が広まっていったそうだ)。
 BCは、ジェフ・ミルズと双璧をなすミニマル・テクノのパイオニアだ。ミルズよりもさらに抽象的なそのサウンドは、当時としては革命的だった。ゆえに大量のフォロワーを生んでいるが、たとえばポールヴラディスラフ・ディレイはBCがいなければ登場できなかっただろう。

 革命を成し遂げたオズワルドとエルネストゥスは、90年代半ばになるとラウンド・ワン(~ラウンド・ファイヴ)名義でハウスにチャレンジ、90年代後半から00年代前半にかけてはリズム&サウンドを名乗り、よりレゲエ/ダブに寄ったアプローチを探求していく……が、やがてふたりは異なる道を歩むことになる。リズムを求めアフリカへと向かったエルネトゥスに対し、オズワルドはミニマル・テクノの可能性をさらに追求していった。
 その最初の成果たるモーリッツ・フォン・オズワルド・トリオ(以下MvOT)のアルバム『Vertical Ascent』が送り出されたのは、2009年のことである。MvOTからはその後『Horizontal Structures』(2011)、『Fetch』(2012)と立て続けに2枚のアルバムが送り出されているが、ほぼ同時期、彼はデトロイト・テクノの創始者ホアン・アトキンスとのスリリングなコラボ作品も発表している。2015年にはMvOTにトニー・アレンを招いて『Sounding Lines』をリリース、エレクトロニクスとアフロビートとの見事な邂逅は記憶に新しいところだ。
 ほかにもカール・クレイグとの『ReComposed』(2008)やノルウェイのジャズ・トランペッター、ニルス・ペッター・モルヴェルとの『1/1』(2013)、キルギスタンの民族音楽グループ Ordo Sakhna との共作(2017)など、クラシック音楽にジャズに民族音楽にと、00年代以降オズワルドの関心の幅はどんどん広がっているわけだが、そのすべてに通底しているのは、ミニマル・テクノはいかに拡張できるのかという発想である。新作『Dissent』も例外ではない。

 今回、オズワルド以外のメンバーは総入れ替えとなっている。ひとりは10年代エレクトロニック・ミュージックの重要な担い手たる、ローレル・ヘイロー。本作ではキーボードを任され、メロディの部分を担当している。もうひとりはドイツのジャズ・ドラマー、ハインリヒ・ケッベリンク。〈ECM〉からリリースを重ねるピアニスト、ジュリア・ハルスマンのクァルテット/トリオで活躍する人物だ。オズワルドによるダブ処理やシンセ、総合的なディレクションが本作の核をなしているのはもちろんなのだけれど、ヘイローの奏でる上品な旋律とケッベリンクによる生のドラムがこれまでのMvOTにはなかった新鮮な表情と、親しみやすさをもたらしている。
 たとえば “Chapter 2” で、からからと心地よく鳴るパーカッションにユニゾン的に重ねられるオルガン。あるいは “Chapter 4” や “Chapter 8”、“Chapter 9” などで聞かれるジャジーな和音~旋律は、MvOTの新機軸と言えるだろう(かつてニルス・ペッター・モルヴェルがトランペットで果たしていた役割を引き継いでいるとも解釈できる)。
 ドラムも聴きどころで、生楽器の躍動がヴィヴィッドなセッション感を演出している。とはいえ、おそらくオズワルドによって巧みにコントロールされているのだろう、けっして「ドラムでござい!」と暴れまわっているわけではない。前回のトニー・アレンしかり、オズワルドは凄腕のドラマーのプレイをある種の「機材」として扱うことで、自身のミニマリズムを更新しようと実験しているのかもしれない。
 かつてなくヴァラエティに富んでいるところも本作の特徴だ。前景に構える鍵盤&ドラムと、遠くでかさかさと音を立てるパーカッションとの絶妙な距離感を楽しませてくれる “Chapter 3” はアンビエント・テクノだし、具体音を活用した “Chapter 7” やナイヤビンギを想起させる “Chapter 10” なども興味深い。前半は抽象的ないしは落ち着いたムードの曲が並んでいるが、後半は4つ打ちも登場、アルバムはどんどん盛り上がりを見せていく。もっとも印象的なのはディープ・ハウスの “Chapter 5” だろう。おなじ昂揚はラストの “Epilogue” でも味わうことができる。

 アルバムを通してオズワルドは、未知の他者によるプレイをまさに制御することによって、自身のミニマリズムを堅守しつつ、そこに新たな命を吹き込もうと奮闘しているのだ。ミニマル・テクノは、はたしてどこまで進むことができるのか? その回答がこのアルバムには示されている。ヴェテランの気概にあふれる1枚だ。

Anthony Naples - ele-king

 夏も終わろうとしている。じょじょにではあるが気温も下がり、肌が冷たくなるのを感じる。UKとは違い、こと日本において「夏の狂騒」なるものはほぼなかった(というか禁止された)わけだが、それでもやはり、こうして季節の節目を予感すると、なにか僕のなかの気分も変わってゆくような……。クレイジーなクラブ・バンガーもおおいに結構だけれど、いまは少し落ち着きたい。良質なハウスを提供していたアンソニー・ネイプルズが、こうしてアンビエント、あるいはダウンテンポへ急接近したことは、まさにいまの移ろいにフィットする。『Chameleon』は来る秋のための、あるいは夏に失望させられたひとのためのサウンドトラックになりうる作品だ。

 ニューヨークのアンソニー・ネイプルズは、〈Mister Saturday Night〉や〈The Trilogy Tapes〉などからいくつかの12インチをドロップ。現在は自身のレーベル〈Incienso〉と〈ANS〉を拠点に、前者ではDJパイソンダウンステアズJのような才能を紹介しつつ、後者では自身の近年作をリリースしている。フォー・テットによる〈Text Records〉からドロップされた2015年の『Body Pill』にはじまり、自身の〈ANS〉における2019年の『Fog FM』までを俯瞰すると、彼のフルレングス作品はクラブ/フロアから得られた反応をアルバムへ落としこんだ印象が強かったが、『Chameleon』では大胆と言えるほどにダンス・ミュージックから離れており、彼にとって初めて、シンセサイザー、ギター、ベースやドラムといった楽器の生演奏を主軸に制作されたという。

 全編を通して落ち着いたアンビエンスが充満しているものの、それは聴き手の邪魔をしないサウンドに終始するのでなく、ベースとの絶妙な絡み合いを生み出しながら、ときにエレクトリック・ギターは躍動し、ドラムは有機的に働き、そして随所にシンセのデジタルな音が散りばめられている。そのなかでもとりわけ、エレクトリック・ギターを中心に作られたサウンドスケープが驚きをもって迎えられるべき点だろう。タイトル・トラックの “Chameleon” ではフェイザーをぐっとかけたギターの反復が重要な役割を果たしているし、“Massive Mello” におけるギターのストロークとベースのコンビネーションは素晴らしく、後半における短いギター・ソロでは、万華鏡のようなサイケデリアすら感じさせる。

 近い雰囲気を持つアルバムとして2018年の『Take Me With You』がある。しかしそれはクラブで踊ったあと、友人たちと誰かの家でくつろぐムードを表現した、アフターアワーのための音楽であった。むしろ『Chameleon』において、クラブやそれに付随するあれこれはもはや無関係と言える。インタヴューによれば、いくつかの曲はホルガー・シューカイやハルモニアなどのクラウト・ロックから影響を受けたと語るし、ロックダウンで長らくすみに追いやられていた過去のレコードをたくさん聴いたとも。そこにはA.R.ケーン、コクトー・ツインズ、コナン・モカシン、はてはニール・ヤングまでもが含まれている。この取り留めのない聴取の経験がサウンドそのものに影響を与えたとは感じないが、今作がフロアにまったく縛られていないことはこの事実からもひしひしと感じる。アンソニー・ネイプルズは今作において、DAWを立ち上げたモニターを前に座るハウス・プロデューサー然とした態度を選ばなかった。その代わり、小さなループ・ペダルと OB-6 のシーケンサーを手に取り、ひとりで自由なジャム・セッションらしきもの──本人はそれについて、楽器を嗜んでいた子どものころを思い出したと語る──をえんえんと続けた。その結実が『Chameleon』の音世界なのだ。

 また、『Chameleon』には言葉が見当たらない。もちろん歌詞はないし、それぞれのタイトルの多くがひとつの単語のみであり、音楽において一般的に具わる、言葉を通した聴き手への語りかけはほとんどない。いや、むしろ言葉がないからこそ、僕はこの音楽に耳をそばたて、ひとり目を閉じながら想像をふくらませるのかもしれない。しかし、それでもなお言葉に着目するならば、クローザーにおける “I Don’t Know If That’s Just Dreaming”、「夢を見ているのかどうか、私にはわからない」と。これはひとつの手がかりになるだろう。つまり、今作は夢見心地のアンビエントやダウンテンポではなく、夢にいるのかどうか、そのはざまで揺れ動き、聴き手の想像力を喚起しながら、いつのまにかどこかへ連れていってしまう音楽なのだ。写真家であり妻のジェニー・スラッテリーとダウンステアズJによるアートワークも示唆に富む。秋に咲く彼岸花の写真は意図的にゆがみ、ねじ曲げられている。それは少なからず音楽の危機を感じた今夏を経た僕(ら)にとって、これからのゆくすえを考えさせるような意味を持たせる。ほんとうに、聴いていると、思いもよらぬ考えごとや空想があれやこれやと押し寄せてくるじゃないか。

PDP III - ele-king

 PDP III はブリットン・パウエル、ルーシー・レールトン、ブライアン・リーズ (ホアコ・エス)の三人のユニットである。いまや絶好調ともいえるフランスのエクスペリメンタル・レーベルの〈Shelter Press〉からアルバム『Pilled Up on a Couple of Doves』がリリースされた。

 本作は、この三人の個性的なアーティストのコラボレーション作品として話題を呼んでいるが、制作工程としてはまずブリットン・パウエルがベースとなるトラックを作り、それをルーシー・レールトンとホアコ・エスのふたりが音を重ねてコンポジションしていったようだ。その意味でブリットン・パウエルを中心としたプロジェクトといってもいいだろう。
 アルバムには全5曲収録され、どのトラックも全リスニングへの没入度を高めるように入念に編集がなされている。電子音、環境音、ノイズなどがときに瞑想的に、ときにノイジーに展開し、硬質でありながらも、豊穣かつ複雑なサウンド・テクスチャーが圧倒的であり、実に濃密な音響作品である。

 ここで三人の経歴を簡単に説明しておこう。まずイギリスのルーシー・レールトン。レールトンはチェロ奏者であり、その音響を駆使したエクペリメンタルな音響作品で知られる。〈Modern Love〉からのファースト・アルバム『Paradise 94』(2018)でその名を知らしめ、〈PAN〉からリリースされた Peter Zinovieff との共作『RFG Inventions for Cello and Computer』(2020)や、 〈Portraits GRM〉からリリースされたマックス・アイルバッハーとのスプリット盤『Forma / Metabolist Meter (Foster, Cottin, Caetani And A Fly)』(2020)でもマニアたちの耳を唸らせた。2020年はオリヴィエ・メシアンの曲を演奏した『Louange à L’Éternité de Jésus』(〈Modern Love〉)もリリースした。

 ホアコ・エスはテン年代アンダーグラウンド・アンビエントの最重要人物である。2012年に〈Opal Tapes〉からリリースされた『Untitled』、2013年にワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(ダニエル・ロパティン)が運営していたレーベル〈Software〉からリリースされた『Colonial Patterns』、2016年にニューヨークのカセット・レーベル〈Quiet Time Tapes〉からリリースされた『Quiet Time』、そして同年2016年にアンソニー・ネイプルズ主宰のニューヨークのレーベル〈Proibito〉からリリースされた『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』など、どの作品もテン年代のアンダーグラウンド・アンビエントを代表するアルバムといっても過言ではない傑作ばかりだ。特に『For Those Of You Who Have Never (And Also Those Who Have)』は、アンビエント・マニアであれば名盤として聴き続けているような作品である。その意味でアンビエント・音響マニアからもっとも新作を期待されているアーティストのひとりといえる。とはいえ先に挙げたアルバム数からも分かるように非常に寡作な作家でもある。よって PDP III 『Pilled Up on a Couple of Doves』に参加していることは、本作の重要なトピックなのである。

 PDPⅢ の要ともいえるのがニューヨークのサウンド・アーティスト、ブリットン・パウエルだ。NYの〈Catch Wave〉から2020年にリリースされた『If Anything Is』は物音系・コンクレート作品として素晴らしい出来だった。パウエルのサイトに記された一文によると(https://www.britton-powell.com/About.html)、「エレクトロニクス、ビデオ、パーカッションを用いて、音響心理学的現象、ミニマリズム、非西洋音楽の伝統を探求している」音響作家である。インスタレーション作品でもあった「If Anything Is」は、「ハイパーリアリティと資本主義のテーマを、サウンドとマルチ・チャンネル・ビデオのためにデザインされたミクストメディア環境で表現したもの」らしい。加えて「If Anything Is」は、「急速に進むメディアと商業の世界に直面して、経験の恍惚とした交換を探求している」ともいう。「テクノロジー、儀式、都市の景観の交差点についての瞑想であること」をテーマとしているようだ。私見だがこの「儀式、都市の景観の交差点についての瞑想」は、そのまま PDP III 『Pilled Up on a Couple of Doves』にも通じるテーゼのように思える。

 PDP III 『Pilled Up on a Couple of Doves』には全5曲のトラックが収録されている。どの曲も電子音のテクスチャーが複雑にレイヤーされている。それもそのはずで、パウエルが2年の歳月をかけて編集に編集を重ねて完成させたのだ。なかでも3曲目 “Walls of Kyoto” から4曲目 “49 Days” のサウンドの変化がアルバム中でもクライマックスともいえるほどにドラマチックに展開する。
 ます “Walls of Kyoto” では瞑想的なサウンドが次第にノイジーな音響空間へと変化する。京都という古都/都市のなかにひそむ音と音が、次第にズームアップされていくかのような圧倒的なサウンドスケープだ。そして “49 Days” ではルーシー・レールトンのチェロと硬質な持続音が真夜中のざわめきのようにひっそりと変化を遂げていく。この曲もまた瞑想的であると同時に不安を引きだすような白昼夢のムードを放っている。実に濃密な16分間の音響空間を生みだしている。

 全5曲、すべてのサウンドが、まるで聴き手の聴覚を拡張するかのように進行する。その意味では非常にサイケデリックなアルバムともいえる。アートワークにニューヨークの詩人・写真家・映画作家アイラ・コーエンによるサイケデリックなイメージの1967年作品「Alien Intelligence」が用いられていることもその証左になるのではないか。
 都市の景観、都市の儀式、都市の瞑想、都市のノイズ。そこから生まれる意識の拡張。そう、『Pilled Up on a Couple of Doves』は、21世紀の都市に生きるわれわれの精神的な瞑想と拡張のために存在するような常備薬のような音響音楽である。2021年という不安な年だからこそ何度もそのシンセティックでノイジーなアンビエンスなサイケデリックな音響空間に没入したいものだ。自己と世界の関係性を音によって再考するかのように。

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