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本作の話題性は、ひとつにはジャケットのアート・ワークにある。これがジャスティン・ビーバー"ビューティー・アンド・ザ・ビースト"のPVから借用して加工したものであるということに触れないレヴューはないだろう。当のビーブズの顔はフレアのような加工で消されているわけだが、わたしが読んだなかでこれを権利関係の問題として解題する記事はなく、もっぱら制作者がジャスティン・ビーバーに寄せる(オブセッショナルな)思いであるとか、ポップとエクスペリメンタリズムとの間の葛藤であるとかなかなか大層な解釈が加えられていた。うまいじゃないか......過大解釈を上積みさせる、クリティカルなジャケット。トイ・カメラのような色合いは久々に見るチルウェイヴ・マナーで、これをいまのタイミングで召還することも、ビーブズに掛け合わせることも、何か狙いがあってのことと考えざるをえない。それに、対象をぼやけさせるのは彼らの十八番であり、自画像でもあった。となれば、ジャスティン・ビーバーがぼやけていることにも意味を見つけ出したくなる。
チルウェイヴはドリーミーな自閉空間を、屈託や釈明なくきわめて自然に肯定する音であったし、そのことでもってベッドルーム・ポップに新しい局面を拓いた。その彼らがアンビエント、ハウス、R&B等々、思い思いに散開していったのちにどんなものに行き当たり、どんな在り方を示すのか。向後10年はずっとそれを気にしているはずのわたしのようなリスナーには、なにかとかしましいアート・ワークなのである。
さて、本作の制作者はシザー・ロックことマーカス・ホエール。オーストラリアはシドニーのプロデューサーで、もしかするとコラーボーンズというエレクトロニック・デュオの片割れとしてご存知のかたもいるかもしれない。本作はそのホエールのソロとして初めてまとまったかたちで発表された4曲だ。"チューン"は、彼の初のソロ・リリースとして昨年発表されている(トーマス・ウィリアムスとのコラボ作)。コラーボーンズ自体がすでにポスト・チルウェイヴ的ないくつかの方向性を含んだユニットで、2枚のアルバムにはクラウドラップやトリルウェイヴ、90年代風のR&B、ハウ・トゥ・ドレス・ウェルらのようなウィッチハウスの展開形、シンセ・アンビエント、ドローンなど多彩な音を聴くことができる。チル・アウトなフィーリングと切なげなエモーション、そしてビーブズへのこだわりも(!)ホエールズのソロと共通している(EP『タイガー・ビーツ』に"ワン・タイム"のカヴァーを収録)。
『チューン』は、全体としてはアンビエント作品ということになるだろうか。曲ごとにさまざまな工夫がなされながらも、声やヴォーカルというものに対する執着が感じられるのが特徴だ。スクリューを応用してジュリアナ・バーウィックの男性版ともいうべき声と光の祝祭的コラージュを編み出す"アウター・スペース"。インダストリアルなテイストをわずかにしのばせたノイズ・アンビエントに裸のヴォーカルが乗る表題曲"チューン"。"ナン"は、今度はメデリン・マーキーの男性版かというヴォコーダー使いのエクスペリメンタルなア・カペラ独唱。最後はチラチラというベルがパンサ・デュ・プリンスを思わせ、儀式的な唱和と土木作業かなにかのサンプリングが中世的な意匠をもって差し挟まれるドローン風のトラック。いみじくもタイニー・ミックス・テープスが「ヴォーカル・サイエンス」と名づけて遊んでいるが、言い得て妙である。
また、先鋭的な女流と方法を交えるところも興味深い。女性的という意味ではないが(彼女らもまた女性的と言えるかどうかわからない)、ジュリアナ・バーウィックやメデリン・マーキーらと並べられるしなやかでつよいエモーションがある。彼はコラーボーンズの楽曲解説においてゲイであることをほのめかすような発言をしているが、そうした彼の在り方に関係する部分もあるかもしれない。それから、理に勝るよりも情動に賭けたいというようなところが感じられる。そういう感じ方が理知的な精神から生まれることは疑いないが、情動について彼の音のディレクションは間違わないというか、瞬間瞬間の感情の動きを写し取ることに大きな注意が払われていることがわかる。声を重視するのも同じ理由ではないだろうか。"ナン"で大風のようにひときわつよい発声がなされるとき、われわれの心もその動きに合わせてとても感じやすく自由になるだろう。
最後にビーブズの本家PVについて。そこではまるでセレブなリゾートの狂騒が描かれるが、どことなくクリーンで他愛もない感じがするところには好感を持ったし、新しいフィーリングがあるようにも思った。そのことはホエールのなかでもおそらく肯定的に、共感的にとらえられている。どぎつい色使いなどもいっさいない。ネオンには透明感があり、画面をすべる光の感覚はシザー・ロックのジャケットの風合いともともとほとんど変わらないのだ。だが、このジャケットを見る前に同じように感じられたかどうかはわからない。その意味ではとくにお騒がせなアート・ワークではなく、ホエール自身の純粋な共感と解釈がこめられたものとして彼の音楽を補完するものであると感じられる。
橋元優歩