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Ellen Arkbro

DroneExperimental

Ellen Arkbro

Nightclouds

Blank Forms Editions

Bandcamp

デンシノオト Jul 08,2025 UP

 スウェーデンの作曲家/サウンド・アーティスト、エレン・アークブロは、カリ・マローンサラ・ダヴァチと並んで、近年のドローン・ミュージックの中でもひときわ存在感を放つ人物だ。そんな彼女がリリースした新作『Nightclouds』は、これまでのキャリアを通じて最も完成度の高い一作であり、その質の高さに驚かされると同時に深い納得を覚える作品となっていた。鍵となるのは、2021年のヴォーカル・アルバム『I get along without you very well』を経た経験だ。その作品を通じて彼女が獲得した「音楽」と「音響」の統合感が、本作『Nightclouds』で見事に昇華されている。

 『Nightclouds』のマスタリングを手がけたのは、アンビエント界の重鎮にして優れたエンジニアでもあるシュテファン・マシュー。リリース元は、ザ・シャドウ・リングのボックス・セット、フローリアン・ヘッカー、7038634357、キャサリン・クリスター・ヘニックスなどのアルバムをリリースし、いまや現代エクスペリメンタル・ミュージックの最重要レーベルのひとつに数えられる〈Blank Forms Editions〉である。同レーベルからは、アークブロが参加するユニット Lippard Arkbro Lindwall の新作『How do I know if my cat likes me?』も同時にリリース。こちらはモダンな構造と音響でミニマリズムを展開する意欲作となっている。

 アークブロは2017年の『For Organ and Brass』以降、パイプオルガンや管楽器など伝統的な楽器を用いたドローン作品を継続的に発表し、「ハードコアなドローン」とも呼ぶべき音楽性を築いてきた。感傷を排した硬質な響きは、同時代のマローンやダヴァチと比較しても、明確な個性を持っていた。それは、ストックホルム王立音楽大学で電子音楽を学び、学位を取得した彼女の音楽的素養に裏打ちされた成果でもある。楽器に対する深い理解と、音の物理的特性に対する精緻な感覚が、彼女の作品には常に息づいている。
 その一方で、アークブロはもともとジャズ・ヴォーカリストとしての訓練も積んでおり、ヨハン・グラデンとの共作による『I get along without you very well』では、そのヴォーカリストとしての側面が色濃く現れていた。従来のドローン作品とは異なる、歌と感情を繊細に結びつけた意欲的な試みだった。そこでは、和声の余白や、残響の隙間に「うたごえ」が揺らめくように立ち上がり、彼女の新たな可能性が垣間見えた。
 こうした異なるベクトルを持つ作品群は、決して相反するものではない。むしろ、音楽という時間芸術においては、ミニマリズムもドローンも、そして歌も、すべてが多層的な時間のレイヤーとして重なり合っている。『Nightclouds』は、そうしたアークブロの内的多様性が統合された結果として誕生したアルバムだ。そこに聴こえる響きは、これまでにない豊かな音響の発見である。その意味では2019年にリリースされたカリ・マローン『The Sacrificial Code』と双璧をなすアルバムといえよう。

 『Nightclouds』に収録されているのは、2023年から2024年にかけてヨーロッパ各地の歴史的教会や演奏空間で録音された、パイプオルガンによる5曲の即興演奏だ。即興とはいえ、構築的でコンポジション的な側面が強く、「リアルタイムで作曲された演奏」と言って差し支えない。空間そのものを含んだ演奏は、あたかも建築と対話するかのように響き、その空間の記憶をも刻印する。アークブロの演奏には、感傷を排した冷静さが通底しているが、その音の向こうには、あたかも「うたごえ」が立ち上がってくるような錯覚すら覚える。もしかすると彼女は、演奏中に頭の中で歌を響かせていたのではないか。
 1曲目 “Nightclouds” は、霧の中から立ち上がるようなオルガンの響きで幕を開ける。ドローン的な持続音かと思いきや、頻繁にコードチェンジが起こり、響きは抽象と具象の境界を往復する。無調の響きのようなクールさを持ちつつも、微かな調性感が保たれ、独特の和声が立ち上がってくる。耳を澄ませていると、遠くから誰かの「声」が聴こえてくるような錯覚に襲われる。どこにも声なんて鳴っていないのに。そう、ここには、彼女が長年磨いてきた即興と構成の絶妙なバランスが存在しているのだ。
 2曲目 “Still Life” では、“Nightclouds” と同じくパイプオルガンが用いられているが、やや高音から始まり、コード・チェンジは抑制されている。和声というより音色の変化に比重が置かれ、よりドローン的な構成となっている。倍音が空間を漂うことで、聴覚だけでなく身体感覚にも訴えるような揺らぎが生まれている。ハードコアなドローン作品に比べて音像は柔らかく、筆者にはここでもやはり幻の「うた/こえ」が聴こえてきた。
 3曲目 “Chordalities” は低めのトーンで始まり、控えめなコード進行がドローン的な質感を強調する。中盤で突如、高音が鋭く鳴り響く展開は意表を突き、終盤では微細な音から低音への移行が何度も繰り返される。アルバム中でも最も無機的な印象を与える楽曲であり、その硬質さはアークブロ初期の作風に近い。
 4曲目 “Nightclouds (variation)” は、その名の通り1曲目の変奏曲だが、“Chordalities” の再解釈にも聴こえる。1分38秒という短さながら、次の5曲目への橋渡しとしての機能を果たしている。ある種の「呼吸」として機能しており、アルバムの時間構造において重要な意味を担っている。
 5曲目 “Morningclouds” は、アルバムの掉尾を飾る18分58秒の長尺曲。“Nightclouds” から “Morningclouds” へ、夜から朝への移ろいを暗示し、作品全体の円環構造を締めくくる。持続と変化、即興と構築、音楽と音響の「あわい」。その彼岸に浮かぶ「うた/こえ」の幻視。本作の音楽的・哲学的な結実点がここにある。“Morningclouds” のタイトルが示唆するように、柔らかく微かな光を含んだ明るさが、音の全体に差し込む。

 本作の収録時間は約36分。決して長尺ではないが、時間の線的な感覚に囚われる必要はない。夜から朝へ、そしてまた夜へと循環する大きな時間軸がこのアルバムには刻まれている。繰り返し耳を傾けることで、その響きは少しずつ変容していくだろう。オルガンによる独自のコード感は極めて個性的であり、新たなミニマル・ミュージックの理想形を提示する作品と言える。2025年のエクスペリメンタル・ミュージックにおいては、本作『Nightclouds』は、エセル・ケイン『Perverts』、ルーシー・レイルトン『Blue Veil』と並び、確実に2025年を代表する重要作のひとつとなるだろう。

デンシノオト