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ジョーカー

監督:トッド・フィリップス
製作:トッド・フィリップス、ブラッドリー・クーパー、エマ・ティリンガー・コスコフ
出演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ、ビル・キャンプ ほか

2019年製作/122分/R15+/アメリカ
原題:Joker
配給:ワーナー・ブラザース映画
(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved” “TM & (C)DC Comics”
http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

坂本麻里子   Nov 23,2019 UP

 公開前から賛否両論で異例の盛り上がりが生じた、バットマンの有名な悪役ジョーカーのオリジンを描いた話題作。煽りだけで終わることなく封切ったら実際に大ヒットし社会現象化した感すらあるが、筆者は「これがヴェネチア金獅子? スキャンダラスで大胆?」と首を傾げずにいられなかった。
 R指定映画だけに、なるほど暴力描写は手加減なし。しかし、アメリカで「インセルたちのヒーローか」との声もあがった主人公ジョーカー/アーサー・フレックはコメディアンを夢見る派遣ピエロ。孤独なヴィジランテでも無差別テロリストでもないし、観て心がざわつく、本当の意味で物騒な作品でもなかった。悪運続きで崖っぷちに追い込まれた窮鼠であるアーサーは、危険なヒーローではなくむしろ憐憫を誘うだろう。
 監督トッド・フィリップスは本作を「独自の世界で起こるもので、過去および未来のDC作品とは一切繫がりがない」と位置づけている。しかしバットマンの文脈を物語に取り入れているので、既によく知られたキャラクターの知られざる前身を観る側に発見させるさりげなさには欠ける。こじつけっぽく含まれた社会派な背景音も、ひとりの人間の内面と変容をじっくり追った作品の主調と不格好にクラッシュする。今風な「貧困層対1パーセント組」の対立図式が含まれるものの、一方で台詞のある黒人キャラクター3名はいずれも「(白人)主人公をケアし、そのニーズに応える役柄」と、古いステレオタイプを踏襲しているのも後味が悪い。
 1970年代後期〜80年代のニューヨークを舞台に人間の狂気をサタイアも交えて掘り下げるのであれば、『ジョーカー』が色んな意味で多くを負っているマーティン・スコセッシの『タクシー・ドライバー』と『キング・オブ・コメディ』、シドニー・ルメットの『狼たちの午後』、『ネットワーク』を観ればいいかと。まんまとハイプに引っかかってしまった、己の野次馬根性の負けである。

 それでも、ホアキン・フェニックスは観るに値する。映像になっても減少しない強い存在感と性格俳優の面を兼ね備えた彼は、特に10年代以降スパイク・ジョーンズ、ポール・トーマス・アンダーソンら「作家」から引っ張りだこになってきた。会話は多くない、ページ数にしたらかなり薄そうな脚本を、ホアキン自身が経験値と想像力とで立体化し厚くし、可視化している。しかも『マシニスト』のクリスチャン・ベールばりの熾烈な減量も敢行していて、半裸シーンは観ていて痛々しい。役に合わせて体重を増減させルックスを変えるカメレオンと言えば『ジョーカー』にも友情出演(笑)しているロバート・デ・ニーロの十八番だが、ホアキンの身体性豊かな全身を使っての演技には吸い込まれずにいられなかった。
 眉や頬の筋肉の動き、目の微妙な変化といった演技は、演劇にないクローズアップが可能な映画メディアで発展してきたメソッドだ。だが今ほど自由自在にカメラが動けなかった映画史初期はアクターのアナログな肉体は重要な要素で、ここでのホアキンはフィジカルとサイコロジカルな演技の双方をブレンドしている。フレッド・アステアの『踊らん哉』、チャップリンの『モダン・タイムス』が画面にチラッと登場するのはダンスやスラップスティックな動きへの目配せであり、グリーン・スクリーンとCGでなんでも可能な現代映画へのアンチだろう(貧しい工員が近代資本主義の工業化に揉まれ狂気に陥る『モダン・タイムス』は『ジョーカー』の青写真でもある)。
 アーサーの孤独なダンスは非現実的でフリーキーでありながら妙に優雅で、映画の見せ場だ。取り憑かれたようなその踊りは、白塗りメイクと濡れたロン毛、ズボンの裾から覗く細い足首と相まってふとマイケル・ジャクソンを連想するほど。しかしそれらダンス・シークエンスの数々が、主人公のナルシシスティックな妄想の視覚化ばかりか制作者側のナルシシズムにも見えてきたのは鼻についた。筆者にはむしろ、映画の冒頭・中盤・ラストと何度か登場するアーサーの疾走の方が印象に残る。
 疾走の性質は「追跡」から「逃走・脱走」に変化していくので、自らのアイデンティティを探し追っていた彼が、逆にアイデンティティから逃げてそれを喪失していく過程のメタファーにもなっている。しかし『ザ・マスター』でのフレディ・クウェルの走り方とも違うドタバタした走り方はどこか滑稽で、どっちに向かってもアーサーはどんづまりの道化であることを感じさせ、とても切ない。ニューヨークを舞台にした犯罪人間劇の秀作であるサフディー兄弟の『グッド・タイム』もよく走る映画で、あれもどんづまりだった。

 トッド・フィリップスはホアキン以外にジョーカー役を想定していなかったそうだが、その決定に彼の過去の主演作『ザ・マスター』およびリン・ラムゼイの『ビューティフル・デイ』(主人公ジョーはPTSDに苦しむローナーで母親とニューヨークにふたり暮らし、とアーサーの設定と少々被る)がフィードバックしていると感じたのは筆者だけではないだろう。しかもフィリップスは「コミック映画ではなく、『本物の映画』を作る」が『ジョーカー』の基本コンセプトだったと明かしてもいる。コメディ映画をさんざん作ってきた人間に、「漫画映画はリアルな映画じゃない」と否定されたくはない。
 百歩譲って、監督自身が『ハングオーバー!』他で当てた自らのパブリック・イメージが邪魔になることを危惧してシリアスさを強調しているのだとしても、大人向けの本物の映画に脱皮する踏み台として、ハイブロウなアート/インディ系映画役者であるホアキンのハクと演技力が利用されたとの印象は残る。人間と社会を描く映画を目指しながらも、DCブロックバスターの枠組みに手を縛られ、そもそもオリジンがないキャラクターが生み出す余白を映画好きをくすぐるテクニックやリファレンスのオンパレードで埋めたことで中途半端になったこの作品、いささか「仏作って魂入れず」な1本だと思う。

『ジョーカー』本予告

坂本麻里子