Home > Columns > 『ザ・レフト──UK左翼列伝』刊行記念筆談(前編) - ブレイディみかこ×水越真紀
「大義なさすぎ解散」なのに、日本の人びとは「しゃーないなー」と受け入れてる印象を受けます。「英国社会はぶっ壊れているけどみんな『しゃーないなー』と許容して生きている」と前作でわたしは書きましたが、英国では権力者に舐めきられているときの「しゃーないなー」はない気がします。 ──ブレイディみかこ
水越 そうですね。日本にもとても大事なことだと思います。日本では再配分後に母子家庭などで貧困率が上がるとか、生活保護の支給捕捉率は2割と言われていたり、最低賃金は先進国最低だったり、「一億層中流」が前提の政策が長らく続いて来た結果、貧困対策というものがわけわからなくなっているんです。一方で、性別や世代間の利害格差は顕著で、とくに世代間格差についてはこの数年、それこそ階級闘争の様相を呈しています。たしかに全体には世代間の経済格差は開いていますが、貧しい若者が高齢の生活保護受給者を攻撃したりするのは、そこは対立するところじゃないだろうと……。自分が社会のなかでどんな存在なのかを考える指標のようなものが、階級意識なんて持ちようのない若者にも、総中流幻想が抜けない老人にもない。それから、昔から言われていることですが、日本の勤労層が自ら選んで、闘い取ったものがない。皆保険も生活保護も、社会党ではなく、自民党政権が整備して来たわけで、両党の支持層も経済的階層で分かれていたわけでもないですし。というように、英国と日本では環境はずいぶん違うのですが、この本はそうした違いを越えたところで考えさせられることがたくさんありました。
たとえばミスター・ビーンことロワン・アトキンソンの侮辱する権利、ヘイト表現に関する考え方や、ビリー・ブラッグのナショナリズムについての主張、それからケン・ローチがあえて“極左”政党を立ち上げる理由なんかも、いま日本にある問題を考えるヒントになると思います。モリッシーの揺らいでいるように見えるスタンスの根っこが謎解きのように明らかにされているところは本書の圧巻かと思いますが、最近、政治にあまり興味のない若い人たちに自分のことを「どちらかと言えば右かな」と言う人がけっこういるんですね。少なくとも昔はそんなこと言う若者には会ったことありませんでした。でもいろいろ話してみると、「どこが“どちらかと言えば右”なわけ?」だったりする。モリッシーとは正反対だけど、ジュリー・バーチルやベズも併せて、「自分は誰?」ということを考えるにはとてもいい列伝ですね。
これを読んで思い出したのですが、92年くらいにプライマル・スクリームのボビー・ギレスピーにインタヴューしたとき、彼は「僕はマルキストだ」と言ってました。彼の父親が炭坑労組の活動家でマルキストだったようですが、ソ連崩壊の翌年、世界の左翼が脱力しているさなかにきっぱりと「僕はマルキスト」と言われてちょっとひるみましたよ。その後もすごく昔ながらの左翼的なことを言う英国や欧州の若者に何人か出会って、あっちの若者は素朴だなー、なんでこんなにまっすぐにそういうこと言えるんだ? なんて思ってた時期もありました。この本を読むと、その解答にも出会えましたね。とはいえ、UKでもいまではそういう若者は少ないんじゃないですか?
ブレイディ 炭鉱、労働者、マルクスみたいなレフトは、やっぱサッチャーをリアルで経験した世代で、トニー・ブレアの時代がレフトをへろへろにした(労働党も含めて)ので、サッチャーを知らない若い世代はまた違う。と思ってたんですけど、どうもここ近年、保守党政権の政治が酷いですから、サッチャー世代のレフトのような考えが戻って来てます。若い世代がそれを発見している。オーウェン・ジョーンズというライターがいて、よくテレビにも出てる著名人ですけど、彼なんかは30歳ですが(ベビーフェイスで15歳ぐらいに見えるとっつぁん坊やですが)頭のなかは「70歳の労働党員」と言われるぐらいクラシックな左翼で、すごく本が売れてて人気があります。ああいう若者が、必要とされる時代にぽんっと出て来るのを見ると、たとえブランクがあっても脈々と流れて来たものは途絶えてないんだなあと思います。
モリッシーは発言だけを読むともう滅茶苦茶(笑)なので、一生懸命解説しました。でも、ああいう方向での解説は、英国に住んでいなければわたしにはできなかったと思います。ビリー・ブラッグは、実はスコットランド独立投票があったときに「民族的ナショナリズムと市民的ナショナリズム」という記事をYahoo!ニュースの個人ページに上げたことがあって、こんなの英国在住者しか読まんだろうと思っていたら、日本からのPVが多くて驚いたことがありました。だから、その辺は日本の人びとのヒントになればと思いながら書きました。聖ジョージが中東から来た人だったというのはとてもディープだし。
そういえば、スコットランドに関して言えば、独立反対派が勝ったのは高齢者が反対票を入れたからという後日談もあって、やっぱ「大義より年金」という切実な想いがあったようで、高齢化の進む社会ではもう何かが大きく変わることはあり得ないのか。みたいな議論もありました。日本の世代間の対立と通じるものがあるかもですね。
ポリティクスには大義が必要。というのも実はこの本のテーマで、選んだ人たちもみんな方向は違うにしろ大義がある(モリッシーみたいにあり過ぎて滅茶苦茶になる人もいますが)。折しも日本では「大義なき解散」とか言われているので、出た出た出たと思ってました。「大義なさすぎ解散」なのに、日本の人びとは「しゃーないなー」と受け入れてる印象を受けます。「英国社会はぶっ壊れているけどみんな『しゃーないなー』と許容して生きている」と前作でわたしは書きましたが、英国では権力者に舐めきられているときの「しゃーないなー」はない気がします。
水越 2001年のデータなのでちょっと古いですが、イギリスの若年層投票率は日本よりさらに低いようですね。90年代の終わり頃、実際の選挙時に模擬投票をするというイギリスでの小学校教育を紹介したテレビ番組を見たことがあります。ちょうど、卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱に反対する埼玉の県立高校生たちの運動が「子どもを政治に利用している」というような文脈で批判されていた時期で、子どもを政治から隔離しようとする日本社会の論調とは対極にあるなあと思ったんでした。日本の高校でも60年代には制服廃止運動などが成果を上げたこともあったのに、というか、そうした運動を契機にしてということでしょうが、未成年者が政治に関わることを悪とする社会的認識が広まってきた。でも、政治的な問題意識や感覚って、大人になったからって自然に身に付くものではないですよね。
ところで「大義」って、多くの日本人はあんまり好きじゃないんじゃないかな。大東和共栄圏なる大義のためと言われた戦争が、負けてみれば侵略の言い換えみたいなものだったというのが、いわば日本における「1945年の精神」ですから。大義が国を滅ぼすことを身を以て体験した“記憶”が途切れたところに、大義でっかちな右翼が出て来て、さらに大義アレルギーが進みそうかも。 今回の選挙の「大義のなさ」批判はメディアが言ってるだけで、それこそブレイディさんの視線の根っこともいえる「地べた」辺りでは「大義なんて恥ずかしい」くらいの感覚のように思います。でもこういうのを「しゃーないなー」と許しちゃう感覚は自民党派閥全盛時代終焉以降から次第に減退していて、いまはもうすっかり白けきっています。テレビでの選挙関連番組もこの15年で最低ということですし。白けと「しゃーないなー」という許容は、同じ帰結になるわけですが。白けにしろ諦めにしろ、日本社会の場合、ポスト大東和共栄圏時代の大義や正義についてとかそのための闘い方とか、政治のあらゆることから遠ざけられて育った世代がもうかれこれ50歳、ということがあると思うんです。ただ、こういうのは心の深いところで「継承」されるものがおおきいので、「大義」に裏切られた恨みが深い元軍国少年の子どもたち世代より、団塊ジュニアが言論界でも存在感を持つようになって来たことで変わることもあるかもしれないとも思っています。
ブレイディ 若者の投票率って、たしか前回の2010年の総選挙で50%だったと言ってたよなーと思いつつ国会の資料を見てみました。18歳から24歳で51.8%ですね。わたしはこれでも相当高いと思ってるんですが(笑)、資料を見るとブレアの時代はどんどん落ちて30%台まで行ってたんですね。英国はいまの日本みたいにしょっちゅう総選挙してるわけじゃないんで、2010年の次は2015年になるわけですが、今度はUKIP効果もあってたぶん上がると思います。
若い層で投票してないのはやっぱうちの近所にいるような子たちで、彼らは選挙なんてどこでやってるか知らないと思います。アンダークラスってのはそうなるように国から製造されたようなところもありますから。以前どっかのシンクタンクの調査結果で、若年層の選挙に行っていない人びとのグループ(要するにうちの近所にいるような若者たち)が、金銭換算するともっとも保守党の緊縮財政の影響を被っている額が多いってのがあって、18歳から24歳の層が投票するのは法的義務にするべきだという意見を言ってた人もいました。英国も若者の政治に対する「白け」というか、こっちはよくdisillusionedとか言いますけど、それは史上最高と言われています。でも、ぼんやり幻滅している君たちこそが一番ひどい目に合わされる層なんだよということを若者に言ってる大人たちはいますし、日本の安……、というのはやはりここではやめておきます。
実はさっきまでBBCでディベート番組を見てまして、UKIPのナイジェル・ファラージ党首とラッセル・ブランドが対決してて面白かったんですけど、ラッセルについては『ザ・レフト』でも書いてますし、今回のWEBエレキングの連載でも書いてるようにREVOLUTION系の人なので、やっぱちょっと発言が過激になったりして他の政治家とか観客とかに呆れたような顔をされてたんです、「やっぱお話にならないわ、コメディアンだし」みたいな感じで。そしたら客席に座っていた白髪頭の短髪のおばあさんが、「いやラッセルが言ってるのは……」とか言って理路整然と彼のエクストリームな主張を昔ながらのクラシックなレフトの論理に翻訳してみせたんです。見てて何かちょっと感動してしまって、ラッセル・ブランドも目を潤ませて拍手してましたけど、ひょっとして英国では若い世代と老齢者こそが通じ合う時代になってんじゃないかなと思って。ケン・ローチの世代は婆ちゃんもただ者じゃない(笑)。
英国も来年は選挙なんですけども、今度のは「イデオロギーの戦い」になるって番組中でも政治家や観客たちが盛んに言ってましたね。スコットランドの後なんで。ってのもあると思います。けど、やっぱ英国の人ってイデオロギーとかそういうのが基本的に好きなのかもしれないですね。どんなに幻滅しても、大義アレルギーはない。というかむしろいまこそそれを求めてるんだと思います。