Home > Columns > P-VINE 50th Anniversary Interview- Pヴァイン50周年対談
談:髙地明×水谷聡男 (司会・構成:野田努) Sep 10,2026 UP
「会社のドアを開いたらすぐのところに、マルコムXの、めっちゃデカいポスターが貼ってあった」
■僕が初めてPヴァインに行って取材させて貰ったのは、じつを言うと、ゴッドスピードだったんですよ。初来日のとき。2000年ぐらいだったと思うんですけど、Pヴァインはまだ富ヶ谷にありましたね。
水谷:なんでロックやろうとしたんですか?
髙地:端的に言っちゃうと、ブラック・ミュージックだけをやってて会社が成り立つワケがないと、マーケット的に。Pヴァインって、最初は、ほとんどブラック、黒人音楽じゃない? 雑誌の『ブラック・ミュージック・リヴュー』にしても、河内音頭とかはたまに扱ってはいたけど、基本、黒人音楽に特化したメディア。それが基本的な姿勢だった。81年に『ザ・ブルース』が終わって、『ブラック・ミュージック・リヴュー』がスタートしたとき、その雑誌名を言ったのは俺なんだよ。そのときに日暮さんは、反対じゃないんだけども、「ブラック・ミュージック」って限定していいのか? ってことを言ったの。日暮さんのなかには、黒人音楽だけに限定するのではなく、もっと広がりをもたせたいというのが、当初からあったんだろうね。
■『ブルース受容史』を読むとよくわかるんですけど、初期衝動というかね、最初期の情熱というのがあって、ブルースの啓蒙というか、とにかくブルースを広めるんだ、日本でブルースを理解しもらうんだっていう明確な目的意識が描かれています。しかし、水谷さんが入社された頃には、ブルース・インターアクションズのPヴァイン・レーベル自体、だいぶいろんなものを出すようになっていましたよね? ブルース以外の音楽を。
水谷:そうですね。もうたぶん、クラシック以外、全ジャンルあったと思いますよ。
■初期の、ブルースに特化したレーベルから、そうした拡張していく路線になっていくうえで、何かキッカケというか、転換期みたいなものっていうのはあったんですか?
髙地:それは、ブルースから他の音楽へっていうことだよね? それはね、他のジャンルも得意なディレクターたちが入ってくるようになったことが大きい。たとえば、やがてサルサの〈Fania〉レーベルをやったり……。
水谷:でも、日暮さんや髙地さんだってワールド・ミュージックは好きだったし、ラテンも。
髙地:ただ、こっちはその音楽を好きか嫌いかは別にして、「おもしろいからやってみたらどうだ?」っていうのがあっただけだったりするんだよ。
水谷:「そんなのやるの?」というか、「おもしろいからやってみな」というか、そこが分かれ目なんでしょうね。だって(当時のシーンのことを思えば)、「白人音楽なんてやるのか?」っていう人もいそうじゃないですか。
■そう。ガチでシーン、コアなリスナー文化と付き合ってたワケじゃないですか。名前が「ブルース・インターアクションズ」なワケで。そういうシーンと一緒に、ミュージシャンなんかも巻き込みながらやってくなかで、ブルース以外をやるっていうとなかなか反発もあったんじゃないかと思うんですが。
水谷:いや、だからそこがやっぱり日暮さんとか高地さんの、多様性とか言いたくないですけど。いろんな血を入れてって……。
髙地:ただ、たとえば、〈Matador〉なんかは大きいカタログがあったから、(契約料が)すごい高かった。かなりの金額が必要だったけれども、そうじゃないインディのロックで、「こういうの、おもしろいからやりたい」ってことが出れば、コケてもそんな大した損失はないし。でもね、Pヴァインの基本としては、契約においてはお互いに納得した数字とその評価を大切にしたよ。こっちはアーティストへの評価、向こうはレーベルがどれぐらい日本で売ってくれるか、広めてくれるか、それが合致することが重要で。お互いに納得したからやれる仕事なんで、レーベルとしては基本的にはその考えだと思うんだよね。
■では、ブルース以外のもの出すっていうときの、何か葛藤みたいなものは最初からなかったんですね?
髙地:よほど、とんでもないものではない限りね。たとえば、ある時期、売れるからトランスを出さないかという話もあったんだよね。たしかに売れれば会社のためになるけども、やりたかないな、っていう。
水谷:でも、高地さん、そういうの、ありますよね? ここは手を出さないでしょう、ウチは、っていうのが。そういうプライドというか。こう言うとカッコつけすぎですけど、みなさん矜持を持って、やっぱり自分の聴いてきたものを自信を持ってセレクションしてるつもりなんで。そこに合わないものは、やっぱり頑固ですよね。
髙地:その一方で、それがすごく当たってくれればすごく(会社が)ラクになるからいい、みたいなのもあるし(笑)。でも、俺がやったって無理だよ、できないよ、というのもある(笑)。
水谷:経営者的には、良いなと思えるけど、しかし俺たちがやっても力入らないし、みたいな。
■おふたりとも経営者でもあるんで、理想と現実っていうものにつねに引き裂かれると思うんですけど。
水谷:うん、そうだよね。
■ちなみに、水谷さんが入社されて、社のフィロソフィーみたいなものっていうのを髙地さんや日暮さんから聞かされたりしたんですか?
水谷:いや。とくにはないんですけど、でも、会社に面接を受けに来たときなんですけど、会社のドアを開いたらすぐのところに、マルコムXの、めっちゃデカいポスターが貼ってあったんですね。ちょうどマルコムXの本(『マルコムX スピークス』)を出したときで、その販促用のポスターだったんですけど、もう、それがすべてというか。フィロソフィーというか。政治思想のマルコムXっていう意味で言ってるんじゃなくて、会社の玄関開けてすぐにマルコムXのポスターがあったことに感動したというか、日本にないじゃないですか。もう何か、ガーン! ってヤラレたし。
髙地:ふふふふ(笑)。
■水谷さんが入社された頃って何人いたんですか?
水谷:いましたよ、けっこう。
髙地:50人近くいたかもしれないね、編集部入れてね。
■僕がブルース・インターアクションズとお付き合いさせていただいたのって、90年代半ばくらいからなんですけど、2000年代に入って『remix』の編集長になってからは、毎月Pヴァインまで出向いてましたね。そのときの僕のなかの印象は、スタッフのみなさんが音楽ライター以上に音楽に詳しいってことだったんです。あの当時、輸入盤店に行って、唯一、たまに偶然会ったりするのがPヴァインの方だったりして。あの頃は、すごかったですね。カンも再発もやったり、邦楽でも、デートコース(・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン)やMSCを出したり。
水谷:90年代は、キング・ギドラとか和物ヒップホップも先駆けてましたね。ちょうど僕が入社した頃は、日暮さんはヒップホップに熱中してたんですけど、2010年代に、もう退社された日暮さんと待ち合わせしたときがあって、そのとき、日暮さんがレコード袋を下げていたんですね。それが、ユニオンじゃなくてマンハッタンの袋だったんです。
■なるほど(笑)。ユニオンで買い物するんだったらわかりますけど、かなりラップに特化したマンハッタンの。
水谷:もちろん、ヒップホップのレコードを買っていました。その時期にジェイ・Zのライヴに行ったら、会場では日暮さんが普通に見てて(笑)。
■ほう!
水谷:社長も辞めて引退してるんですよ。もちろん、基本はブルースやブラックにあるんだけど、新しいものも吸収していく感じがすごいなと。もしかしたら、自分のほうが頑固な気がする。Pヴァインであるべき姿を守りたいっていう、プレッシャーと言ったらカッコ良すぎるかもしれないけど。でも日暮さん、ちゃんと聴きながら、他のものを吸収してったから。
■でも、1990年代って日本でもブラック・ミュージックが売れたじゃないですか。そこは絶対にブルース・インターアクションズの功績もあったと思いますよ。
髙地:でも、1990年代以降で売れたっていうのはやっぱりメジャーのブラックじゃない?
■そうなんですけど。
髙地:だから、Pヴァインってほんと小っちゃい(笑)。でも、Pファンクなんかやったのも大きかったかもしれないね。
■僕の世代だと、Pファンクのイメージがありましたね。
水谷:ほかにも、ウェルドン・アーヴィン、いまではウチが全世界の権利を買い取りましたけど。いちばん最初にやったのだってPヴァインだったわけで。ウェルドン・アーヴィンは、最初は『bmr』の広告で知ったんですよね。当時まだ学生で、そんな音楽なんてわかってない自分にとっては、メジャーのウェルドン・アーヴィンのほうがポップですごいカッコいいし、Pヴァインが出してるものって白黒で、難しそうなウェルドン・アーヴィンに思えたワケです。でも、いまとなっては、ウチで出してる初期のアルバムのほうが名盤になっている。そういうところも含めて、みんなそれなりの審美眼というか。
■ちなみに水谷さん、入社されてから苦労したことって何かありますか?
水谷:いや、僕はヒップホップとちょっとネタモノぐらいは深掘りしてましたけど、それ以外のことを知らなかった。めっちゃ浅かったし。
■ほんとうに『bmr』しか読まなかったんですか?
水谷:『blast』とか野田さんの『remix』も読んでましたがロック系はまったくですね、基本はブラック・ミュージックだったのでそこはやはり『bmr』でした、ほんとに。
■ブルース・インターアクションズの申し子じゃないですか!
水谷:いやいや(笑)。
■仕事内容的には何が楽しくて、何が大変でした?
水谷:僕はね、ぶっちゃけ言って、大変と思ったこと、あんまりなくて。というのは、今日もそうですけど、会議で音楽の話をずっとしてて。「これでお金貰えるんだ」みたいなのはやっぱありましたよね。とはいえ、そんな楽しいばかりでもないんですが、でもメジャーとは違う、オルタナティヴなPヴァインの姿勢がかっこいいと思ってたし、そこに誇りとプライドもあり、そんな会社の一員として貢献したいという強い想いはつねにありました。Pヴァインはその点でいまでもそうですが、たんに音楽が好きで音楽の仕事をしたいみたいな方はなかなか厳しく、そのPヴァインの姿勢にコミットしないと難しいかもしれません。
経営という点では、たんに売上や利益の追求だけでなく、繰り返しになりますが、メジャーフィールドとは一線を画す形で音楽やカルチャーを紹介していくというPヴァインのあるべき姿を守らなければいけないということは苦労の連続でした。
ただ、そこを追求したことで、いまやPヴァインのレーベル事業のみならず、ele-kingメディア事業、VINYLVERSEアプリ事業そしてVINYL GOES AROUND PRESSINGというプレス工場までやっており、自分たちで良いアーティストを見つけて、アルバムを作ってプレスしてそしてメディアでプロモーションをして自身で世界に向けて販売するという川上~川下まで一連の機能を会社として有したのは、この時代、とても大きかったかなと思ってます。