Home > Columns > P-VINE 50th Anniversary Interview- Pヴァイン50周年対談
談:髙地明×水谷聡男 (司会・構成:野田努) Sep 10,2026 UP
「Pヴァインが継続性を持たせるためには独立するのがいいと思った」
■ちなみに、ブルース・インターアクションズにとって、クレイジーケンバンドの商業的な成功っていうのはPヴァインにとってどんな意味があったんですか?
髙地:まだクレイジーケンバンドが自分たちで作ってて、それの配給を引き受けるっていうことではじまって。日暮さんも「やろう、やろう」っていうことで。ほんとに日暮さん、気に入ってたからね。
■ああいうふうに、インディペンデントな会社で、メジャー・ヒットが生まれてしまうと会社のあり方であったりとか、いろんなものが揺らぐじゃないですか。海外はだいたいそこで揺らぐんですけども。
髙地:それ、まったくと言っていいほどなかったね。インディの範囲で考えたら大きかったけど、そこまでではなかったし。それに横山剣さんも黒いものが好きで。Pヴァインがそれまでやってきたことを認めてくれていたと思うんだよね。
水谷:だからなんとなく社員なりに感じてるのは、もちろん、剣さんは大切だけど、髙地さんと日暮さんは、オレらPヴァインがやってるものを大切にしてくれてるっていうか、そこもスゲェ感じてたから。そこがやっぱブレなかったから。その根幹って、ふたりがそういう音楽がやっぱ好きだから。で、社員もそれが好きだし、それを大切にしてるっていうのを感じたから、やっぱバランスが取れたんじゃないですかね。
■Pヴァインは、エイベックスやトイズファクトリーと違って、小室哲哉やミスチルで成功した、じゃあ次はそこから浜崎あゆみを出すっていう発想にはならなかったんですね?
髙地:でも、それはやろうと思ってもできなかった(笑)。
水谷:はははははは(笑)。
■ところで髙地さん、クレイジーケンバンドのヒットから数年後、日暮さんとともに、何で退社されて、会社をスペースシャワーに譲渡するという流れになったんですか?
髙地:うーん。やっぱり、日暮さんもオレも、これからも続けて日本の音楽のマーケットでやってくことはもう無理だと。自分たちの能力的に。理解のある会社に任せて、自分たちも良い条件で身を引ければっていうことで。スペースシャワーの当時の会長、中井(猛)さんは、元々ワーナーでスターキング・デリシャスっていう大阪のリズム・アンド・ブルースのバンドを担当したり、黒人音楽がすごく好きな人なんですよ。ぼくにとっては大先輩格で。良い形でPヴァインの面倒を見てくれるんじゃないかな、というので決断できたっていう。
■なるほど。水谷さんどうでした? その当時。
水谷:いや……やっぱり、日暮さん、髙地さんについてきたと言えばついてきたんで。
■ですよね。
水谷:ただ、いきなりじゃないから。助走期間があって。
髙地:そうだね。1年ほど?
水谷:これ、「明日からオレら辞めるから、スペシャっていうところで、後よろしく」、ってなったら、「ちょっとちょっと、高地さん待ってくださいよ」ってなったかもしれないんですけど。そのタイミングで役員にしていただいて。で、これからはプロパーの人間としてちょっと頼むぞ、みたいな感じはやっぱあった。任命されたと思ったんで。しかもまだ、高地さんも日暮さんもなかにいる。その助走期間があったからまだ良かったですね。それでも最終的には不安でしたけど。
髙地:ほんとに何度も言うけどね、スペシャから水谷が全部引き受けて一本立ちしてくれたってことは、ホント感謝しているよ、ほんとに。
水谷:ありがとうございます。結局、こうなっていま高地さんと。日暮さん、残念ながらお亡くなりになっちゃいましたけども、50周年でこうやって話せてますからね。
■ちなみにスペシャ時代って2007年から2019年。12年間?
水谷:はい、そうですね。10年強ですかね。
■水谷さん、スペシャ時代はどうだったんですか?
水谷:Pヴァインが、ホームランは打たないですけど、コツコツと売上を積んでくみたいなところに対して評価してくれてて。こっちはこっちで辛い時代ですけど、積んで黒字も出してたんで。「もうそんなのやるなよ」みたいな、そういう話はほとんどなかったし。だから、いままでどおりのことを。ただ、CDがダメになってくなかで、いろんな工夫は必要でしたけどね。
■水谷さんがあらためてスペシャから独立したいちばん大きな要因って?
水谷:2011年は、スペースシャワー傘下のPヴァインの社長という立場にしていただいて、チャンスをいただいた。で、次の10年後、2020年は、スペシャとの話し合いのなかで、独立のチャンスをいただいた。だって、これって僕がしたいと思っても、スペシャのほうでもOKしてくれないとできないことじゃないですか。お互いの将来を考えるなかで、僕に株を売っていただいたっていう話なんですけど。それってやっぱり、スペシャにしたら、いままでのPヴァインにはないところを求めていたでしょうし、僕は僕で、譲れない部分ってあるワケじゃないですか。オルタナティヴなPヴァインとしてのあるべき姿。それで僕は、Pヴァインに継続性を持たせるためには独立するのがいいと思ったし、スペシャもそれを認めてくれたっていうことだと思いますけどね。
■なるほど。
水谷:僕が独立したの2020年の2月なんですけど。4月にはコロナなんです。なので。この話が1年遅れてたらなかなか難しかったと思います、いろんな面で。
■株式会社Pヴァインと社名を変更したのは2011年ですよね。
水谷:そうです。それは僕が(スペシャの子会社として)社長になったときに、日暮さんにもお話させてもらいました。リリースしてるのが、ブルースだけじゃなかったし、だけど、どうしてもブルース・インターアクションズっていうとブルースのイメージが先行しちゃうんで、そういう意味でウチはオルタナティヴの総合レーベルとして再始動したい。とはいえ、結局、Pヴァインという名前もブルースの曲から採っているんですけどね。そんなワケで、僕は社名をPヴァインにさせてもらいたいっていうのを日暮さんにお伝えして、で、日暮さんからもOKいただいて。
■すごいですよね、水谷さんのその行動力。
髙地:ほんとにそうだね。ホント大したものだと思ってる。現役だった頃の俺でも及びもつかないね。