Home > Regulars > 光と闇がそなわり最強に見えるレヴュー > 『清盛紙芝居』続編!
大反響、金田淳子のあらすじザクわかり『清盛紙芝居』!!
噂のBSフジ新番組『世界の正義を探求するテレビ』での未使用部分をふくめ、続編を一挙大公開!
書き下ろしのグルーヴィーなナレーション・パートが加わって読み応え抜群、最終回までに押さえよう! (編集部)
■前回までの『清盛紙芝居』(文章パート付き!)
■フジテレビ(BSフジ) 世界の正義を探求するテレビ
放送日時 2012年11月 9日(金)24:00~24:55
■ニコニコ生放送
オタク女子文化研究所「いまから『平清盛』」
~「オタ女」的大河ドラマの愉しみ方~
紙芝居『平清盛』(番号と放送回とは一致していません)
»前回までの『清盛紙芝居』
16.平治の乱(1159)
平治元年、清盛の留守をついて源義朝が朝廷を制圧。信西は清盛の助けを祈るも追手に発見され、自死を選んだのでございます。清盛は「これがお前の出した答えならば受けて立とう」と奮い立ち、急に賢くなって権謀術数を駆使し、ついに義朝を追い詰めます。賀茂川を挟んで見合った清盛と義朝は、次の瞬間にはふたりだけの異空間に飛び、壮絶な一騎打ちを繰り広げます。清盛に敗れた義朝は、源氏重代の太刀「髭切」を置いて去ったのでございます。
17.さらば強敵(とも)
源義朝は手勢を従え東国へ落ちますが、追捕の手が及ぶと覚悟を決め、忠臣・鎌田正清と刺し違えて散ったのでございます。義朝の息子・頼朝は捕縛されておりましたが、この年若き頼朝の姿に、池禅尼(清盛の母)は病没したわが子・平家盛(清盛の弟)のおもかげを見出し、清盛に助命を嘆願いたします。清盛は、少年期から競い合った強敵(とも)=義朝をなくした悲しみに耐えつつ、頼朝に「髭切」を渡し、伊豆に流罪としたのでございます。
18.日本国の大魔縁
さて保元の乱後、流罪となった崇徳上皇は讃岐で写経生活を送っておりましたが、後白河院に反省文を着拒されたり、息子が病死したりという、さらなる不幸に見舞われます。さすがの崇徳上皇も堪忍袋の緒が切れて魔物と化し、折から経文を運んでいた平家一門の舟にイオナズンを浴びせかけます。あわや海の藻屑、と思われた清盛ですが、夜明けとともに崇徳上皇の魔力は消え、ぶじ経文を奉納することができたのでございます。
19.ふたりはズッ強敵(とも)
清盛と後白河院は微妙なツンデレ綱引きを繰り返しておりましたが、ここでキーパーソンとなるのが清盛の義妹・滋子でございます。滋子は後白河院と授かり婚(できちゃった婚)によって固く結ばれ、清盛との仲を取り持つのでございます。清盛が熱病に倒れたとき、後白河院は賀茂川の増水をものともせず見舞いに赴き、源義朝亡き後の清盛の「ズッ強敵(とも)」担当としての存在感を見せつけたのでございました。しかしこの蜜月ともいう時期に、清盛の体内ではすでに、亡き白河院の血、もののけの血がうずき始はじめていたのでございます。
20.平家にあらずんば
福原に移り住んだ清盛は、長男重盛に平家の棟梁を譲りわたし、表の仕事をさせる一方で、裏の仕事を時忠に命じたのでございます。時忠は自分の甥である宗盛が平家の棟梁になるべしと主張し、重盛を追い落とそうとする、なかなかに曲者の男でございます。重盛は先例に基づく正しい采配を行いますが、時忠は「正しすぎる判断は間違っているのと同じ」と断じ、秀(かむろ)という少年団を使役して、平家に仇する者たちを闇討ちにするのでございました。しかしいささかやりすぎだと思っているのでございましょうか、「平家にあらずんば人にあらず」と言い放ったときの時忠の表情は、苦悶に満ちていたのでございます。
21兎丸ェ...
大輪田泊の工期を何よりも優先するブラック企業=清盛は、人命をおろそかにし、腹心・兎丸と対立してしまいます。清盛の元を飛び出した兎丸は、秀に襲撃され、まるで募金のように赤い羽を全身に刺されて落命。兎丸組のあらくれたちはドスを持って清盛に詰め寄りますが、兎丸の魂が工事を見守ってくれるよねという謎の理屈でまるめこまれ、気づいたら大輪田泊も完成し、なんかいい話みたいになっていたのでございます。
22.鹿ヶ谷へ
清盛と後白河院のかすがいであった滋子が病没すると、にわかにふたりの対立が明らかとなり、後白河院は「もうここへは来ない」と、マンションの鍵を置いて去ったのでございます。後白河院の近臣である藤原成親と西光も、清盛と延暦寺への恨みは根深く、ここに世にいう「ひみつのボーイズ・トーク@鹿ケ谷」が開催されるのでございます。