Home > Interviews > interview with Goth-Trad - 真打ち登場
アルバムの音源を----当時はグライムとかダブステップで知り合いもいないから----アンダーグラウンドのヒップホップとかのいままでで知ってるやつに渡したら、そこから「グライムとかいま来てる音楽だから」みたいな感じのDJにさらに渡してくれて。そしたらけっこう広まったみたいで。
■セカンドって、『ジ・インヴァーティッド・パースペクティヴ』(2005年初頭)のことだよね。
GT:そのときもちろん〈レベル・ファミリア〉もやってたじゃないですか。ごくたまにBBCのラジオとか聴いてたんですよ。2003縲鰀4年にネット・ラジオで聴けたんですよね。そのときにたまたまUKガラージのショウか何かで。またすごく面白いんですけど、MCが「pump up the jam」ってテクノトロニックのリリックをガラージに乗せて歌ってた んですよね。
■へえー(笑)。
GT:「これすげーカッコいいー!」と思って(笑)。「何だ、ここ繋がんのか!」って。で、ガラージを聴くようになったんですよね。それでちょうど2004年ぐらいからグライムがかかって。まあディジー・ラスカルとかも出たじゃないですか。「おもしれえなー」と思ってよく聴くようになった。2003年には〈リフレックス〉が『グライム』ってコンピ出すじゃないですか。それも持ってたし。「あ、これグライムなんだ。でもBBCで聴くのとちょっと違うしなー」と思いながら、でもたまにそういうのを聴いて、ビートも作ってたんですよね。ノイズも作ってたんですけど。
■あの頃のグライム・サウンドは図らずともゴス・トラッドの世界と似てるところがあるんですよね。荒々しい質感とかね。それこそグライムって、ワイリーにしてもそうだけど、パンクなところがあるでしょ。〈リフレックス〉のグライムのコンピレーションも2枚ともまったく愛想がないし(笑)。ただ、『2』のほうのメンツをいま考えるとすごいけどね。コード9、デジタル・ミズティックズにローファでしょ。
GT:やっぱいままでにないビートの打ち方だったし、「変なビートだな、前つんのめってるし」っていう。まあベース・ミュージックという感覚はあんまなかったんですけどね、そのときは。やっぱりいちばん衝撃だったのはワイリーのトラックで"モーグ(The Morgue)"っていうのがあるんですけど。いま聴くと「まさにダブステップだな」って思うんですよ。ハーフで打ってるトラックで、俺からするとアブストラクト・ヒップホップに近い音色で、ベースラインも「ドドド、ド、ド、ドドド、ド、ド、」みたいな感じでずーっとミニマルで。
■へー、それって、ワイリーのいつぐらいの作品? アルバムに入ってる?
GT:2003年とかですね。アルバムに入ってないですね。12インチでリミテッドで出てたとか。
■それをよく聴いてたねー。
GT:どっかのネット・ラジオか何かをダウンロードしたらそれが入ってたんですよね。「これ超やっべー」って。
■ワイリーの影響受けてる人って多いよね。ゾンビーやラスティーみたいな人も最初はワイリーだったみたいだし。向こうの人はワイリーのビートを「エスキー・ビート」って言うけど。
GT:そうですね。それがほんと初期のグライムで、そのドープな部分プラス、もうちょっとがちゃがちゃした変なリズム感、(BPM)70で打ってるんだけど140で乗れる感覚って自分のなかに近いものがあるなと思ったんですよね。ファーストにもそういう曲を入れてます。ハーフで打ってるけど倍で乗る感じとか。「自分が表現したかったことをやってんな、こいつら」とか思って。
■リズム的に、ビート的にシンパシーを抱いたんだね。それでは、あのダークさっていうのは?
GT:ダークさはもちろんですね。それありきで、あの空気感。あとあのMCのテンパった感じ、切迫感。で、「レイヴ」と言ってる部分とか。あの音で「レイヴ」って言うのが超カッコいい、新しいと思ったんですよ。そうあるべきだと思ったんですよね。自分が初期で聴いてたレイヴ・ミュージックっていうのは全部バラバラだったし、全部新鮮だったし。ジャングルにしても、プロディジーが出たときも、KLFも、ナイトメアズ・オン・ワックスも。あの辺の音ってスゴクバラバラだけど、全部カッコよかった。そういうものが自分のなかで「レイヴ」だと思っていたんですね。「これがほんとのレイヴ・ミュージックだ」って思ったんです。
■そういう考えだったんだね。
GT:でも、日本だとレイヴ・パーティっていうとトランスっていうのが基本ですよね。
■そうなんだよね。
GT:「レイヴ・パーティあるから行こうよ」って誘われて行っても、だいたい4つ打ちで、人も似たような格好してて、みたいな。「カッコわりーなー」と俺は思ってた(笑)。そういうのが強くあって、『マッド・レイヴァーズ・ダンス・フロア』(2005年末)を作ろうと思ったんですよね。あとは自分の楽器とエフェクターを使いつつ、ノイズっていうダイレクションで表現する音楽はセカンド・アルバムである程度やり切ったっていうのはありましたね。
■なるほど。それでどうやって現地に行くことになるの?
GT:サードはアイディアがたくさん詰まってたんで、半年ぐらいで終わったんです。ストックしてた曲もあるし。で、それを持ってイギリスに行って、友だちのアンダーグラウンドでヒップホップやってるやつとかに渡したんですよ。
■それは初の海外?
GT:その前に、ノイズ・ミュージックとしては年に1回まわってたんですよ。
■パリかなんかで?
GT:そうですね。バトファーは2002年に行って、そのときたまたま日本の女の子がノイズのミュージシャンをプロモートする仕事してて、そこで知り合って、で、その翌年から毎年無理して行ってたんですよね。そういうノイズの世界ってちょっと閉鎖的じゃないですか。
■だからまさに三田さんが言っていたように俺はそんなにノイズ聴いてないからさ(笑)。
GT:ちょっと閉鎖的なんですよね。でも俺はすごく面白い音楽だと思ったから、ヒップホップのパーティでもノイズやったりしたし。俺は音楽をフラットに見たいので。だけどやっぱりすごく閉鎖的な部分もあるし、すごくDIYだから。そういうところに新参者で入るのはすごく難しかったりするんですよね。
でまあ、ちょっとはライヴとかやらせてもらってすごくいい経験にはなったし、すごく面白いシーンも見れたし。で、2003年から4年まで毎年チャレンジして、けっこうギグはやってて。
とくにフランスはそういうエクスペリメンタルとかインプロヴィゼーションにすごく寛容だから、市がすごく投資したりだとか、市主催の大きいパーティとかがあるとそういうところにうまく組んでくれたりとか。で、そういうのでやったのと同じテンションで、全然違うアプローチでやったら、ショウをちょっと何個かやりたいっていうのでフランスとかで何本かやらせてもらって。で、「この音楽はやっぱりイギリスでしょ」と思ってイギリスにも行って、そこで自分のアルバムの音源を----当時はグライムとかダブステップで知り合いもいないから----アンダーグラウンドのヒップホップとかのいままでで知ってるやつに渡したら、そこから「グライムとかいま来てる音楽だから」みたいな感じのDJにさらに渡してくれて。そしたらけっこう広まったみたいで。
■2005年だっけ?
GT:2005年の終わりですね、アルバム出た頃だから。そしたら2006年の頭に、誰かが「ダブステップ・フォーラムにGOTH-TRADのスレッドが立ってるよ」って言ってきて、「何それ?」っていう(笑)。それをリンク貼ってあって見たら、誰かが「GOTH-TRADってやつが日本でダブステップを作ってるんだよね」って書いてて。そのときちょうどマイスペースを立ち上げたときぐらいだったんですよね。そしたらけっこうメールが来るようになって。『マッド・レイヴァーズ縲怐xに入ってた"バック・トゥ・チル"って曲なんですけど。『マッド・レイヴァーズ縲怐xはどっちかって言うとインストでグライムを作ろうっていうアプローチだったので、ダブステップって言葉もよくわかってなかったし。
■じゃあ、『マッド・レイヴァーズ・ダンス・フロア』がほんとグライムの影響を受けてるんだよね。
GT:そうですね。で、イギリスのラジオのDJとかレーベルとかから、ちょうどダブステップが活性化し始めたときだったんで「新しくレーベルはじめるからリリースしたい」って話がどんどん来て。ラジオのDJには渡したり。ダブ・プレート切ったよとか。ラジオでかけたよ、とかそういうのもらって。「これダブステップっていうんだな、ダブステップのシーンがいますごいんだな」って思って。すでにBBCでは「ダブステップ・ウォーズ」もあって、シーンもどんどん大きくなってきてて。
■まさかこんなに大きいシーンになるとは夢にも思わなかったなー。
GT:そうですね、だからそのときはまた新しくトラックを作りつつあって、「今年も行くしかねえな」と思ってて。まあそのときはイギリスでも何本かギグがあって。で、イギリス行く前にマーラともマイスペースで話をしてたんですよ。「曲を聴いたけど、あれカッコいいね」みたいな。で、「じゃあ会おうよ、ロンドン行ったら」って、そして〈フォワード〉で会って喋って。「いつか日本にも呼びたいんだよね」って話をすると翌日マーラが「俺がプレイするから遊びに来なよ」って。それで遊びに行ったら〈DMZ〉のカタログとかホワイトとか持ってきてくれて。「これあげるから、かけてね」って言って、全部くれたんですよ。で、「ありがとう」って俺は言って帰るんですけど。
そのときはリリースするとかいう話も別になかった。別のレーベルとはリリースの話もあったんですよ。それは〈スカッド〉っていうレーベルですよ、"バック・トゥ・チル"をリリースしたレーベルなんですけど。その後もマイスペースに曲をアップしてたら、あるときマーラからコンタクトがあって、「何曲かサインしたい」って言ってくれて。「他の曲もすごく好きだからアルバムいつか出したいな」ってそのときから話してくれて。
■それは良い出会いだったね。
GT:そうですね。
■いまではダブステップの最高のキーパーソンのひとりだからね、マーラは。
GT:すごく嬉しかったのは、はじめに〈ディープ・メディ〉からリリースしたのが"カット・エンド"って曲なんですけど、マーラが「この曲は絶対に誰にも渡さないで!」って(笑)。「世界で俺とゴス・トラッドだけが持ちたいから、リリースするまで他に絶対渡さないでほしい」って言ってくれた(笑)。で、俺も「わかった」ってね。するとマーラが各地でDJやるときの1曲目にプレイして、みんなが知るようになったんです。そうしたらスクリームとかまわりのやつがみんなコンタクト取ってきて、「あの曲くれ」って言われて、そのたびに「ダメ」って返してましたね(笑)。
取材:野田 努(2011年12月30日)