Home > Interviews > interview with Goth-Trad - 真打ち登場
いちばん衝撃だったのはワイリーのトラックで"モーグ"っていうのがあるんですけど。いま聴くとまさにダブステップだ。ハーフで打ってるトラックで、俺からするとアブストラクト・ヒップホップに近い音色で、ベースラインも「ドドド、ド、ド、ドドド、ド、ド、」みたいな感じでずーっとミニマルで。
■秋本くんとはどうやって出会うんですか? 彼は僕と会うたびにゴス・トラッドのことを心底評価していたよ。
GT:その当時、バクくんとコラボしたときにライヴやってたんですよ。そのときにドライ&へビーのセッションでバクくんがスクラッチ入れて......っていう企画もあって。そのイヴェントに出て、ひとりでライヴやってたんですけど、サンプラーとミキサーでね。ほぼいまと同じスタイルです。ダブ・ミックス。フードかぶってお面とかしてライヴやってたんですよね。
で、秋本くんもたぶんそのときにいたんですよね。「超ダブ・ミックスやってるやつがいる」みたいになって(笑)。それで観に来たみたいで。それからイベントやってたひとづてに話が来て、「1回会って話したい」みたいな感じで。「ちょっとセッションしようよ」みたいな話になったんです。
■そのときもまだ大学生だったんでしょ?
GT:そうですね。
■いきなりじゃあ、東京でもっとも熱い男と会ってしまったっていう。
GT:はははは、そうですね(笑)。でも俺もその頃はすごく生意気だったんで......別にどうでもいいってわけではないけど、「俺は俺の音でやるから」みたいな感じだった。ぶっちゃけて言うと、ドライ&ヘビーに関しても特別興味があったわけじゃなかったんですよ。クオリティはとても高いのは理解できるんですけどね。でも、「自分のやりたい音ではないな」っていうのは正直あったんです。
■〈ワードサウンド〉だもんね。
GT:初め会ったときに俺は秋本くんにひたすら「〈ワードサウンド〉ってやばいレーベルがあって」みたいなそういう話をしてました、全然わかんないのに(笑)。で、「ビル・ラズウェルも参加してるんですよね」っていうところで、「えっそうなんだ!?」って感じでちょっと盛り上がりつつ(笑)、で、「やろうよ」みたいな感じでスタジオ入って。
■それで〈レベル・ファミリア〉のファースト・アルバムが生まれてくるんですねー。そういう風に自分で打ち込みはじめて、2003年に『Goth-Trad 1』を出すじゃないですか。で、さっきも言ったように、サウンド・プロダクションもさることながら作品全体から出ている雰囲気みたいなものっていうのに関して言うと、けっこう強いものを感じたんですよね。反抗心みたいなものっていうか、だからああいうことを書いたんだけれども。で、もし僕がそのとき感じた反抗心みたいなものが当たってるんだとしたならば、どういうところからあの感情は来てたの?
GT:自分のダイレクションが、たとえば「ゴッドフレッシュがカッコいい」とか〈ワードサウンド〉だとか、「メルツバウやべえじゃん!」とか、そういうところに向かってたんですよね。当時から自分はいろんなパーティ観に行ったりもしてたんですけど......、まあ、「みんな似たような音作るんだな」って思ったりしてたのもあるんですよね。もっと自由になれんじゃないかな、みたいな反抗心というか。
あの、〈リバース〉って盛り上がってたじゃないですか。いま思うと、すごくカッコいい日本を代表するレーベルだと思うんですけど、俺当時はたぶんそうじゃなかったんですよ。「似てんな、みんな音!」みたいな、そういう感覚だったんですよね。いま思うとすごくカッコいいシーンだし、すごくカッコいいレーベルだし、アーティストもそれぞれいいアーティストだと思うし。いまもまだまだ活動しているアーティストもいるし。だけどその当時はひねくれてたので、「もっと俺は違うものを作ってやろう」とか「もっと面白い打ち出しをしたいな」と思ってました。
■じゃあ最初から他と違うものを目指すんだっていうのがあったんだね。でも、ただたんに違う音を作るんだっていう以上の気持ちみたいなものを感じたけどね。「なにくそ」というようなものというか。まさに「GOTH-TRAD」っていう名前にふさわしい、パンク的なものを。
GT:それはもしかしたら育ち方なのかもしれないですけど。あの、全然音楽に関係ないのかもしれないですけど、うちは......親はすごく教育熱心だったんです。少し居心地悪かった部分もあったし。高校卒業のギリギリまでずっとサッカーやってたんですけど、親は「勉強しなさい」とか「公務員になりなさい」とかそういうのを望んでいましたね。アニキは高校卒業してイギリスのアートの大学に行って、自分はひとり残ってそういうなかでいて。でもそれが日本の社会だし、そうじゃないと生活できないっていうのはわかってるし、親からも聞かされてるし。当時だけかも知れないですけど、そういう世界じゃないですか。そういうのはすごく感じてたし。東京行くんだったら条件としてこの大学、国公立行きなさいって言われて、俺は「わかったよ、じゃあここ受かったらあとの人生俺の好きなようにさせてくれ」って言って(笑)。でもこれって実はすごく恵まれている環境なんですけどね。
だから俺は親はすごく尊敬してるんです。ただ、親っていうのは世間に対する見栄があったりとか、とくに日本はそういう世のなかじゃないですか。で、そういうのがすごく居心地が悪かったのがあって。そのときはすごく勉強して受かって(笑)。で、それから大学がはじまってからはほんと好きなことをやらせてもらって。大学の卒業研究は、音と脳波との関連を題材にして、ちゃんと卒業しましたし。そのおかげで、サッカーにしても、受験にしても、大学の卒業研究にしても、自分の立てた目標や、いちどはじめたことを達成するまでの根性は身に付いたと思います。これは自分がたとえ音楽をやっていなかったとしても、大切なピリオドだったと思いますよ。
■偉いなー。
GT:その反動でやっぱり音楽へののめりこみ方っていうのは強かったんですよね。そこまでして入った大学で、普通にいけば就職できてたかもしれないっていうのを、そうじゃない方向に行くっていうぐらいだからそれぐらいのエネルギーがたぶん自分にはあって。でも食おうっていうイメージはなかったです(笑)。
■それはじゃあ、もっとがむしゃらにやってる感じだったんだろうね。
GT:実はファースト以前にもっとアブストラクト・ヒップホップとかブレイクビーツ的なトラックが10曲以上あったんですよ。ファーストには入れなかったんですけど。それを出すっていう話もあったんです。2001年とかに出したいって話だったんですよね。でも俺は頭のなかでは妄想がデカくなって、海外のここから出したいとか、頭ばっかでかくなっちゃってて。
■でも......何でそこまで〈ワードサウンド〉に惹かれたの?
GT:いや、〈ワードサウンド〉もそうだし、あとUKの〈アバランチ〉だったかな、テクノ・アニマル周辺にも、ケヴィン・マーティンにもガンガンメール送ってたんです。カセット・テープのデモですね。
■ああ、テクノ・アニマルっていうのはわかるなー。なるほど、いまようやくあのアルバムの秘密がちょっとわかった。
GT:だからそういうレーベルから出したいっていうのはすごくあったんです。自分のなかではそこがすごく浅はかっていうか。まあそこが良かったのかもしれないし。それだけ思いが強くて。ただいま思うと、近道をしようとしてすごく遠回りしているっていう。海外に行きたい、海外でDJしたらカッコいいなってそういうイメージばっか大きくなっちゃって、足下見えてないというか、日本を見れてないなということに後ですごく気づいたんですよね。
いま思えば、最初にアブストラクト時代の作品を出していたら、早い段階で違う積み重ね方ができてたのかもしれないし。だけどそんな意識が強すぎて2年も3年も出さないで結局お蔵入りになっちゃって。で、〈イーストワークス〉で出すっていう、まあその道のりがあったからこそ、あのファーストが完成した訳だし、いまがあるのは間違いないんですけどね。
■〈イーストワーク〉も当時よく出したと思うよ、決してわかりやすい音じゃないでしょう。前半は〈ワードサウンド〉っぽい感じがあるけど、後半とか「なんだこりゃ」みたいな挑発的な展開だったし。それに当然まだ「ダブステップのゴストラッド」という評価もないし、本人が意識的に作ったように他にないものだったからね。じゃあ、今度はゴス・トラッドがどうしてUKのダブステップのシーンと結びついていったのかっていうのを教えてください。
GT:さっき話したみたいに90年代初期からUKの音楽っていうのにすごくハマってたんです。ただ好きだったんですよね。ブリストルの〈Vレコーズ〉、ジャングル、ドラムンベース。で、それ以降飽き飽きしてたんです、ドラムンベースに関して。当時はUKのアンダーグラウンド・ミュージックっていうとドラムンベースのことだったし、自分もチェックしてたんですけど、ちょうど90年代末はつまんなくなってて。
■みんな大人びてきたし、4ヒーローなんかも洗練の方向に進んでいたしね。
GT:2ステップなんかも聴いてはいたんですけど、「ただのポップ・ミュージックじゃん」って思ってて、とくに日本の取り上げられ方は。だからつまんないな、と思ってたんですよね。自分の音楽性はアブストラクトからインダストリアルの方向にどんどん行って。
■ じゃあ三田(格)さんが言ってたように、ほんとにノイズに行ってたんだね。※2005年、渋谷〈マイクロオフィス〉で、三田格、バク、筆者の3人でトークショーをやったときに出た話。
GT:そうですね。で、そこから「他に作れない音イコール、自分で音作ればいいじゃないか」っていくところまで行ったんです。てことは、自分で楽器作って自分でエフェクター作ってそれを鳴らしてループさせたら、超オリジナルじゃんとか思って、秋葉原まで行って、で、自分でネットで回路図を探して、全部書き出して----全然知識はないんですけど(笑)----そういうエフェクター工作本みたいなものをオークションで5000円とか出して買ったりとか(笑)。
■はははは。
GT:そういうの何冊も持ってて。そういうの見たり、ネットで海外のサイトでのリングモジュレイターのまったく同じ回路を見つけたり、それをコピーしてパーツを秋葉原で買って、ドリルも買って。
■すごいねー(笑)
GT:鉄ギリのニッパーとかも買って、それで自分で作って。で、ハンズとか行って金属を合わせて楽器を作って。テルミンの回路をどっかから探して見つけて、それをオブジェっぽくもっとカッコよく作ろうって思って組み立ててみて、「それを使ってライヴやったら超オリジナルじゃん」とか思って(笑)。でもそのときはやっぱり、ビート、ベース、上ものっていうのを残したかったんですよね。
たとえば、ファーストの後半のノイズっぽい展開、あれってやっぱノイズだけどループになってて、キック、スネアっぽい音になってると思うんですよね、まあ自分のなかではそういう構成で作ってるんです。で、上ものはこのシンセを通して作ってっていうのは頭のなかで回路を組み立ててライヴ・セットを組んでたんですよね。で、現場でダンス・ミュージックというかオリジナルの音を作りたいっていうのがあって、だんだん進化して「もうループじゃなくていいじゃないか」ってなって。表現できれば。そこでセカンド・アルバムまでいったんですよ。
取材:野田 努(2011年12月30日)