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何かわからないものを出したい、というのはおもに外側の話であって、中身はたんに演奏しただけなんです。つねにただ演奏するだけです。まだそれに飽きてないんです(牧野琢磨)
![]() NRQ のーまんずらんど マイベスト!レコード |
湯浅:NRQって誰が聴いていると思う?
牧野:わからない。誰だろう。
湯浅:実感ある?
牧野:ライヴハウスでやっているから、そこに来てくれるひとは聴いてくれていると思います。
松村:毎回くるお客さんもいるでしょ?
牧野:いたりいなかったりです。そんなに人気ないんです(笑)。でも、誰が聴いているんですかね。
中尾:知り合い(笑)。よく見かけるひとはたいがい知り合いだよね。
湯浅:知り合いになっちゃうんじゃないかな。NRQって簡単なことやっているわけじゃないけど、敷居が低い気がするんだよね。
牧野:敷居は低いですが、それは歌がないからだと思いますよ。
湯浅:そんなことないよ。
牧野:歌がないから、なおのことそういう風にみえるんですよ。
湯浅:俺さいきん、twitterをチェックしているんだけど「湯浅湾は歌詞はくだらないけど、ギターは最高だ」っていう意見あるからね。
松村:それはいまの話と対になる話じゃないですよね。
湯浅:でもそれはすごく核心を突いた反応だなと思って。どっちかといえば、湯浅湾は演奏を聴いてほしいからね。
牧野:バンドをやっているひとだとそう思うんじゃないですかね。そんなこともないかな。けど、湯浅さんは歌の歌詞とか聴きます?
湯浅:聴くよ。俺それが気になるからイヤになっちゃうんだよ。
松村:私は聴かないな。
牧野:僕もぜんぜん聴かないんですよ。中尾さん聴きますか?
中尾:よほどのことがないと入ってこないかな。歌に力があるとイヤでも入ってくるけど。
牧野:誰ですか力のある歌って?
中尾:そんなのいちいち憶えてないよ。
牧野:ヴィクトル・ハラ(チリのシンガー・ソングライター。"耕す者への祈り"はコンポステラもとりあげ、"平和に生きる権利"は大友良英からソウル・フラワー・ユニオンまで多くのカヴァー・ヴァージョンがある)ですか?
湯浅:何いいだすんだよ。
中尾:歌に耳を引っ張られることはあるけど、基本的にはあまり興味がない。
牧野:キャンディーズの"微笑がえし"に「おかしくって なみだがでそう」って歌詞があるじゃないですか。たしかに歌詞では「可笑しくって、涙が出そう」とあるのだけど、演奏と曲の調性と歌声といっしょに聴いたらどう考えても「可笑しくって、涙が出そう」なわけじゃないんだな、とわかる。本当はいいようのない別離の哀しみがあるのだろう、と。僕は今回"ノー・マンズ・ランド/アイ・ワズ・セッド"という歌ものをつくったとき、そういう効果を期待したんです。コードとかメロディとか調性とか歌詞とか、そういう情報が一体化してはじめてわかる歌のおもしろさってあるじゃないですか?
中尾:いやー牧野くんの意見には感心しますよ。私は「不味いお菓子を食ったんだな」って思ってましたから(笑)。リアルタイムで。「お菓子食って、涙が出そう」と。
牧野:「ハバネロ」的なお菓子食べてね(笑)。......だけど普段は歌詞をあまり聴かないからよくないですよね。
湯浅:そう?
牧野:ここだけの話、演奏するときは歌詞はあまりちゃんと聴いてないんです。たとえば、歌詞に「青い花」とあっても「青い花」的な演奏することなんて絶対ないじゃないですか。ただ単にその曲がどういう曲なのか、それを自分の過去と参照して演奏するだけだから。参照しない場合もありますけど。
中尾:言葉にいちいち対応して演奏がちがっても困るからね。自分は自分でいいんじゃないかな(笑)。
牧野:歌手の方は、自分の歌声で判断される場合もあるでしょう。歌っている内容どうこうじゃなくて音像として、つまり好きな音色かどうかで良し悪しを判断される場合もあると思うんです。だから歌手のひとはたいへんだとも思います。そのような意味もあって、我々の敷居は低かろう、と。
松村:そもそも今回はなぜ歌ものをいれようと思ったの?
牧野:この曲は大友良英さんたちのやっている〈プロジェクトFUKUSHIMA!〉の支援金募集のためのサイト、〈DIY FUKUSHIMA!〉に「提供してください」といわれて提供した曲です。〈doubtmusic〉の沼田さんからオファーがありました。オファーがあって、何をしようかなと思ったときに......、この曲のサビのメロディはずっと頭の中にあったものなんですよ。でももしかしたら、自分がつくった曲じゃないのかもしれない、という気がしています。
松村:どういうことですか?
牧野:僕はFENが好きで、昔よく聴いていたんですけど、こういう曲調のカントリーがいっぱいかかるんですよ。それでもしかしたらこういう曲の記憶が残っていたのかもしれない。ともかく、頭の中にメロディがあったからあとは和音をつけて歌詞をはめて、自分で歌うのはイヤというかムリだから、誰か英詞で歌って説得力がある、しかも歌声が好きなひとと考えて、mmm(ミーマイモー)にお願いしたんですよ。
湯浅:歌詞は誰が書いたの?
牧野:自分で書きました。それで〈DIY FUKUSHIMA!〉に提供したはいいが、mmmと録音をやってくれた片岡(敬)くんに、チャリティだったからギャラを払えなかったんですね。それでお礼をしたいと思って、歌とギターのファイルにNRQでオーヴァーダブしてアルバム・ヴァージョンにしたんです。そこに組み込めば少し払えるようになると。
湯浅:還元するために再録したんだ。
牧野:そうです。
松村:曲があったから入れたということですね。
牧野:曲があって、プロトゥールスのファイルもあった!
湯浅:10曲目に(この曲が)出てくるのはいいよね。
牧野:それは中尾さんのおかげです。
中尾:放っておいたらこの曲が最後になりそうな雰囲気だったら、それを回避させようと私はがんばったんです(笑)。
牧野:曲順については、ほんとうに何も思いつかなかったんです。どうすれば耳が集中して聴き続けてくれるのかもアイデアが湧かなかった。だからメンバーのみなさんの意見は重要でした。
松村:曲名とか、言葉に関してはNRQはとくに気にしてはいないですか?
牧野:僕はその都度興味のあることをモチーフに曲名をつけますね。
松村:曲は書いたひとがタイトルをつける?
牧野:そうです。吉田さんの"ボストーク"とか"イノメ"、服部さんの"春江"はわからないですね。
中尾:"春江"は土地の名前だといっていたよ。昔バイトでいった先の土地らしいよ(笑)。
牧野:そういえば、そこで鼻歌で生まれた曲だっていってました。そのメロディにあとでコードをつけたって。
中尾:春江さんを思い浮かべてはいない(笑)。
牧野:僕はさいしょ女のひとだと思いましたけどね。
湯浅:春江なんて名前の女性はいまどきいないよ。仲居さんにいそうな名前だよな。「春江さんビール3本!」みたいなね。
松村:でもNRQには言葉が暗示するものがあるでしょ?
湯浅:ナゾかけみたいね。
松村:それがインストバンドの利点ともいえるかもしれないけど。
牧野:そうなるしかない、のかもしれないですよ。
松村:じっさいそういう消極的な姿勢でもないでしょう。
牧野:そうなっちゃうんですよ、どうしても。
湯浅:タイトルがついていると聴く方が勝手に風情を感じるじゃない。
松村:そういう風情はファーストから変わらずありますよね。
牧野:それはファーストのころは知らなかったです。
松村:知らなかった?
牧野:言葉によって曲に風情がくっついている、ということですね。ただたんに演奏していただけだから。あとからひとに、たとえば豊橋の小川(真一)さんの書いたライヴ・レヴューを読んで、聴くひとはそういう風に感じるんだなと思ったんですよ。
松村:曲名が言葉を呼ぶきっかけにもなりますからね。
牧野:なればいいと思いますけどね。吉田さんの"ボストーク"はたぶんパンの名前ですね。
松村:「ロシアパン」みたいなものなんだろうか?
牧野:(吉田さんは)曲名にロシアのモチーフが多いですね。
松村:そういうところもバンド内で共有しているわけではないんですね。
牧野:してないです。だからたまたまパッケージングしただけともいえますね。でもこの曲はポンチャックのつもりだったらしいですよ。吉田さんはポンチャックが好きなんだって。
湯浅:変わってるね。
牧野:デモはもっとポンチャックっぽかったんですが、ほら、中尾さんにフュージョンのたしなみがあるから(笑)。
中尾:ないよ(笑)! 私はポンチャックのつもりでやってました。
牧野:中尾さんクルセイダーズのコピーバンドやってたじゃないですか! なんでウソつくの!
中尾:コピーバンドはやっていません。曲をとりあげたことがあるだけです(笑)。多重録音バンドで題材にとりあげたことがあるだけです!
牧野:以前、フュージョン・バンドで演奏していたら「そのスットコトントントンってフィルやめてくれ」っていわれたっていってませんでしたっけ?
中尾:フュージョン・バンドじゃないよ。大学の軽音サークルにいって遊びでやっていたら「そのお囃子みたいなフィルインはやめてくれ」っていわれたの(笑)。
松村:ある世代から上はフュージョンのたしなみはありますからね。
中尾:たしかに高校3年のときにカシオペアのコピーバンドはやっていました(笑)。でもそれだけです(笑)。
牧野:こう見えても中尾さんは驚くほど16分音符がはまるんですよ。
中尾:やっていたから、というより、いち時期どっぷり聴いていたからじゃないかな。
牧野:だから聴いていたんでしょ?!
中尾:高三まではフュージョン青年でした。
牧野:でしょ!
中尾:そのとき「この先には未来はない」と思ってやめました(笑)。「フュージョンは終わった!」って、それでSPに行きました(笑)。
牧野:もともと子どものときはSPだったんですよね。
中尾:小一のときに親戚からいくらかもらって聴いていたから素養はあったんですよ。全面的にそっちにしようって決めたのは高校を卒業してからですね。
牧野:フュージョンは当時みんなが聴いていたからということですよね?
中尾:70年代の終わりから80年代のはじめはいちばん盛り上がっていましたからね。
牧野:だから"ボストーク"もラリー・カールトンみたいなコード進行になる瞬間がありますよ(笑)。
中尾:わかんないよ!
牧野:それは桜井(芳樹)さんにもいわれましたよ。「あのマイナーの"ルーム335"みたいな曲いいじゃん」って(笑)。
中尾:師匠にそういわれた!
松村:お墨付きをもらってこの曲がシングル的な位置づけになった、と。
牧野:それはですね、VIDEOTAPEMUSICくんっていうPVをつくってくれた人と、この曲は親和性が高いだろうと思ったからです。映像がつけやすいリズムが(この曲には)ある。
取材:湯浅学、松村正人(2012年3月12日)