Home > Interviews > interview with Shugo Tokumaru - 会話をはじめた音たち
トクマルシューゴ In Focus? Pヴァイン |
素敵なメロディのポップ・ミュージックとして気軽に楽しむこともできるし、次々に変化していく緻密な音の組み合わせや謎めいた歌詞をじっくり味わうこともできる。トクマルシューゴの『イン・フォーカス?』はそんなアルバムだ。
80年代末から90年代の前半にかけて、既成の音楽の要素をサンプリングして再構成する作り方が広まったとき、編集感覚という言葉が脚光を浴びた。しかし既成の要素を再構成するだけでは、批評的な機能は果たせても、新しい音楽は生まれにくい。方法のいかんにかかわらず、創造的であるかないかを分かつのは、意識的にせよそうでないにせよ、作り手の音楽的意志の存在ではないのか。手法の目新しさが一段落したとき浮上してきたのは、やはりそのような伝統的な原則だった。
とはいえ、いったん編集感覚を体験した後で、それ以前の世界に戻ることもできない。トクマルシューゴの音楽は、そんな時代の悩みと喜びの渦の中から登場してきた。
制作や記録方法のデジタル化が進むにつれて、音楽の制作や流通でサーヴィスやおまけ化と、アート志向への分極が進んでいるが、彼の音楽はそのどちらでもない。彼は自分で楽器を演奏して多重録音するという、いまでは伝統的となった方法のひとつで音楽を作っている。『イン・フォーカス?』でも彼は世界のさまざまな文化から生まれたアコースティックな楽器を数多く演奏している。そこには響きが出会い、交錯しては、別れていく豊かな空間と時間がある。それでいて音楽全体はデジタルな時代の編集感覚に包まれているのだ。
ぼくにとっては不思議なところをいっぱい持っている彼に会える機会をいただいて、話を聞いてきた。
自分のなかの世界に閉じこもって作っちゃっていたからかもしれないですが、曲たちが勝手に人格を持ちはじめたというか......キャラクターのように見えてきたんですね。それぞれの曲が自我とおのおのの意見を持つようになったという感覚が生まれてきて(笑)。
■今回のアルバムのレコーディングはどんなふうにしてはじまったんでしょう?
トクマルシューゴ(以下トクマル):前作を2年半ほど前に作り終えて、そのあといろんな種類の曲をいっぱい作りたいなと思いまして。好きな音楽を聴き直して、こんな音楽をやりたいなというのをもういっかいあらためて試して、録りためていったという感じですね。そうやってはじまりました。コンセプトを決めて作ろう、と考えていたわけではなくて。わりとファースト・アルバムとか、初期のアルバムを作るような感覚に近いかもしれないです。
■最近はデジタルの配信なども多くなってきていて、アルバム単位ではなくて楽曲単位で発表される方が増えていると思うんです。でも今回のアルバムは、1曲1曲もとても丁寧に作っていらっしゃいますが、間にインストの曲がはさまっていたり、エンディングも工夫があって、アルバムとしてのまとまりを意識されているのかなと。
トクマル:世代的には、まだ音楽はアルバムで聴くという習慣があったほうですし、性格的にもそうなんです。でも1曲単位で聴いたり、適当につまんできて聴いたりする時代でもあるのは事実なので、欲張りに(笑)、どちらにも対応したくなってしまいますね。1曲にもものすごく時間をかけて、1曲でも聴けるように。さらにアルバムにしたときにアルバムっぽくも聴こえる、っていうのが理想だとは思っていて。それを追求してるんですけど、まだまだ先は長いですね。
■いやいや。バランスがとれていて素晴らしいなと思いますよ。曲順やアルバム・タイトルは、ある程度曲がたまってから決められたんですか。
トクマル:そうですね。そういうパターンが多いです。
■その場合、たとえばこの曲を1曲めにしようとか、ここにインストゥルメンタルを入れようとかっていうのはどんなふうにして決まっていくんですか?
トクマル:そうですねえ......それが今回いちばん難しくって、曲を作りすぎたというのもあるんですけど、まずアルバムにしたときに聴きやすい時間――自分がいつもアルバムを聴いてちょうどいいなと思うくらいの時間なんですけど――に収めようとすると、だいたい15曲ぐらいかなと。それで、ほんとは歌ものとインストゥルメンタルを半々くらいで入れたかったんですけど、やってみるとあんまりうまくいかなくて、インストゥルメンタルが、歌もののあいだにちょっと挟むっていうアクセント的な扱いになってしまったところはあります。曲順は迷いながらですね。
■インストゥルメンタルのほうも同時進行ですか?
トクマル:同時進行です。インストの楽曲の方ができる確率が高くて。「歌ものを作ろう」っていうふうにはやってなくて、インストっぽいかたちを作ってから歌を乗っけるほうが多いからかもしれないです。
■タイトルの『イン・フォーカス?』というのは、「?」がついていますがこのタイトルに込められているのはどんなようなことなんでしょう。
トクマル:自分のなかの世界に閉じこもって作っちゃっていたからかもしれないですが、曲たちが勝手に人格を持ちはじめたというか......キャラクターのように見えてきたんですね。それぞれの曲が自我とおのおのの意見を持つようになったという感覚が生まれてきて(笑)。それで、見ているうちにそれらが揉めだすというか、争いだすというか......(笑)。それがなんか、現実世界と似たような感じになってきまして。ひとつの国ではないですが、たとえば日本とかアメリカとか、同じひとりの人間が作った曲なのにキャラクターがわかれて争いだして、けれどそれで成り立っているという感じが出てきたんです。いいのか悪いのかちょっとわからないんだけど、そのままで進んでいるっていう。これが正しいのか正しくないのか、焦点が合っているのか合っていないのか、というところで「?」がついています。「フォーカス」という言葉をつかったのは、ジャケットの写真のように、螺旋階段に虫眼鏡をあてて、フォーカスがあっているのかな? っていう感じにしたかったからです。
■そういうアイディアは昔から自然に湧いてくるほうだったんですか?
トクマル:そうですね、わりとひとりで考えて想像しているタイプではありましたけど......創造的なタイプ、という感じではないと思うんですけどね。
■ぼくも閉じこもってぼんやりしていることが多いんですけど、文字通りぼんやりとして、空白のままなんですね。
トクマル:(笑)
■だからいろいろイメージが湧いてくる人がうらやましいですけどね。あと、夢を見てすぐ忘れる人と覚えてる人がいますが、ぼくはたぶん見てるはずなんですけど、すぐ忘れちゃうんです。だから夢を見てノートをつけている方は、素晴らしい記憶力と才能だなあと。
トクマル:はははは。無理やり起きて、日記をつけてる感覚なんで、記憶力より意地でつけてる感じはありますね。
文:北中正和(2012年11月07日)