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Dub Structure #9 POETICS IN FAST-PULSING ISLAND dive in! disc |
エメラルズからマーク・マッガイアが脱退したそうだが、東京からは昨年の12月ダブ・ストラクチャー#9という4人組のバンドがアルバムを発表、年末はドイツ・リューベックからDJ/プロデューサーのラウル・Kを招いて盛大なパーティを繰り広げている。
ダブ・ストラクチャー#9という名前のバンドが演奏するのは、いわゆるダブではない。彼らが打ち鳴らすのはモータリック・ビート、いつまでも動き続けるミニマルなグルーヴ、すなわちクラウトロックだ。そのアルバム『POETICS IN FAST-PULSING ISLAND』は、クラウトロックが普及したこの10年における日本からの回答とも呼べる作品だ。
しかも......アルバムにはリミキサーとして、ラウル・Kのほか、日本のクラブ・シーンのベテランDJ、アルツとCMTも参加している(ふたりのリミックス・ヴァージョンは12インチ・シングルにもなってもいる)。
結果、彼らのセカンドは、今日の日本ではもはや異端とも呼べるであろう、クラブとライヴハウスの溝を埋めるものともなった。ポーティスヘッドやファクトリーフロアのようなやり方は、果たしてこの国でも通じるのだろうか......昨年末、メンバーのひとりが成田までラウル・Kを迎えに行っているその日に取材した。
クラウトロックは大好きですね。とくにあの曲に関しては、「ノイ!」と呼んでいたくらいなので(笑)。
■アルバムを聴いて、まあ、ぶっちゃけ、すげークラウトロックを感じたんですね。とくに1曲目、"NEW FUNCTION"なんか、ここまで見事なノイ!もそうないというか......。
一同:ハハハハ。
■こんなバンドが日本にいたのかと思って。クラウス・ディンガー的なグルーヴというかね、日本ではかなり珍しいですよ。びっくりしました。やっぱお好きなんでしょう?
Canno(カンノ):大好きですね。とくにあの曲に関しては、「ノイ!」と呼んでいたくらいなので(笑)。
■ハハハハ。
Minami(ミナミ):いや、ホント大好きで。
■海外は多いけどね、クラウトロック系は。日本ではほとんどいないんですよ。
Okura(オークラ):たしかにそうかもしれない。
Minami:すっごく仲のいいバンドで、ノーウェアマンというのがいて。
■ノーウェア(nowhere)?
Minami:いや、ノーウェア(nowear)、何も着ないっていう。彼らは面白くて、ミニマルな8ビートですけど、ハンマービートって感じじゃない。でも、クラウトロックは大好きですよ。
Canno:そうだね、ノーウェアマンぐらいかな。
■ほかにも、"WHEN THE PARTY BEGIN"とか、"POETICS IN FAST-PULSING ISLAND"とか、クラスターの精神とでも言いましょうか......。
Minami:そのへんは好きっすね。
Canno:なんでも好きなんですけどね。ブリティッシュ・ビートみたいなものも、ジャズも、テクノも、いろいろ好きなんですけど、でも、ノイ!とかクラウトロックは自分たちにとって新しい発見でしたね。
Okura:衝撃だったよね。
Canno:これだ! みたいね。音楽って長いこと聴いていると、自分のなかでマンネリ化するものだと思うんですね。それで、新しい発見によって広がるっていうか。そのひとつだと思いましたね。
■バンドはどんな風に結成されたの?
Okura:ミナミとカンノは小学校が同じで、一個違いの幼なじみで、小中高と同じ。
■東京?
Okura:全員東京です。
Canno:僕らは世田谷、オークラとアライも小学校から一緒で、目黒ですね。
■世田谷のどこなんですか?
Canno:僕が下馬で、ミナミが梅ヶ丘。
Minami:(梅ヶ丘は)奇っ怪な街ですね。古いサックスを売っているお店があったり、超小さいギターのお店があったり、変な街ですね。
Canno:高校が、リズム隊が、白金台と麻布十番だったんです。
■けっこう、街っ子だね。ていうか、最新の東京っ子だね(笑)。
Canno:そうっすね。うちらは田んぼだったあたりの東京なんですけどね
■バンドは?
Canno:僕とオオクラは高校の頃からやってて、けっこう真面目にやってて、ライヴハウスなんかにも出てね。21歳のときに解散するんですけど、解散する頃にミナミが入ってきて。で、この3人で新しいバンドをやることにしたんですよね。最初はベース無しで。で、アライが入ってきて、現在の形になりましたね。
■ダブ・ストラクチャー#9というバンド名は?
Canno:言い出したのはミナミなんですけどね。
Minami:その当時、ダブということにすごく興味があって。格好いいな、と(笑)。
Canno:俺も、格好いいなと(笑)。
■その名前を聞くと、どうしてもダブをイメージするじゃないですか。「ああ、新しいダブ・バンドなのかな」って。
Minami:ダブってジャンルというよりも手法で。
■手法であり、ジャンルでもありますよね。
Minami:音を飛ばすっていう、僕としてはインダストリアルなイメージで付けたんですよね。
■ダブはずっと好きだったんですか?
Minami:そんなに詳しくないんですけど、ずっと好きです。キング・タビーのような、ハッピーではなく......哀愁、キング・タビーにもハッピーなのはあるんですけど。
■キング・タビーは基本、ダークですよね。
Minami:飛ばす方に耳がいってしまいますね。
Okura:結成当時は、まだクラブに行きはじめって感じでしたよね。20歳過ぎたぐらいで。
Canno:クラブ・ミュージックも、テクノ寄りのものを聴きはじめたり。
Minami:もとはロックですけどね。ツェッペリンとかね。
■レッド・ツェッペリン?
Canno:ドアーズとかね。
■へー。みんな20代半ば過ぎたぐらいでしょう? 古いのが好きなんだね。僕らの時代にはあり得なかった(笑)。レッド・ツェッペリンなんか......
Canno:だせーって(笑)。
■王子様みたいだしって(笑)。でも、いまの若い人は古い音楽に詳しいね。
Minami:僕らもガンズとかは聴けなかったですよ。
Canno:ツェッペリンとかになると一周しちゃってたから、再評価ブームとかもあって。昔のものが整理された感じはありましたね。
Minami:小中学校でギターをはじめようとして、『ギターマガジン』とか見ると、ツェッペリンとかクラプトンとか。
■いまでも?
Minami:いまでも。
■それはすごい。俺の時代から変わってないんだね。
Canno:ジミー・ペイジとか何回表紙になってるんだっていうね。
Minami:ソニック・ユースといっしょに聴いていたもんね。
■その感覚は僕の時代にはなかったな。とにかくロックだったんですね。みんなにとってロックは何だったんでしょう? なんでロックだったの?
Canno:少数派の価値を見いだせるっていうか。
Minami:それはあったね。
■でも、みんなの時代にはヒップホップだってR&Bだってあるじゃん。
Canno:世代的にはそうですよね。中学生のときまわりはBボーイだったし。
■ヒップホップは好きでしょ?
Minami:はい、ホントにハマったの最近ですけどね。
Canno:いや、でも、ホント、みんなロック少年だったから。夢がありましたけどね。ロックがすべてを変えるみたいな(笑)。
■ハハハハ。いまでもロックは力があるの?
Minami:クラブ・ミュージックのなかにもそれはあるじゃないですか。サイケデリックな部分だったり、アシッディな部分だったり。共通するところはあると思いますよ。
取材:野田 努(2013年1月10日)