Home > Interviews > interview with The Drums - 生きていることにゾッとする
サーフィン・クソ野郎──2008年当時のブルックリン=極彩色のサイケデリックとトライバリズム、そしてエクスペリメンタリズムが席巻していたインディ・シーンを、2分たらずのポップ・ソングによって軽々と刷新してしまったザ・ドラムスを、われわれはかつてまぶしく眺めていた。「クソ野郎」呼びに筆者は称賛と敬意とを込めた。起きてハニー、ビーチに駆け出そう。他愛もない夏と海と恋の歌をうたい、ボーダーのTシャツにジーンズといういでたちで砂浜を駆ける彼ら。しかしその姿は無邪気さとは無縁だ。むしろザ・ドラムスは、たとえば北欧のタフ・アライアンスなどがそうであったように、攻撃性と内向性と知性とロマンティシズムをいちどに放射しながら、世界をつめたい距離感で批評しているかのように見えた。けっして彼らの発明ではないヴィンテージ・マナーのサーフ・ポップは、だからある意味では2000年代風にプログレ化していったともいえるシーンの潮流に対して絶妙な肩すかしを食らわせるようでもあり、最小限の力で流行を塗り替えるクールさを印象づけたといえる。彼らがエディ・スリマンの寵を得たのは、なにも容姿や着ているものの上っ面のセンスのためばかりではない。
しかしいま、ザ・ドラムスは剣を手に魔の山をさまよっている。海から山へ。紆余曲折を経てバンドをジョナサンとジェイコブのふたりだけになってしまったザ・ドラムスの新作『エンサイクロペディア』は、彼らが鋭いだけではなく、いや、鋭いからこそ繊細でもあったことをまざまざと感じさせる。あの軽さが軽くなかったことをあらためて開示している。「アグレッシヴな気持ちを表現したかったから剣を選んだ。自分たちと同じような境遇のひとに向けたメッセージがこの曲には込められている」というジョナサンの言をかみしめながら聴くとき、いまのドラムスが展開する暗いサイケデリアには、ネガフィルムを通してこそ直視できる強い陽光が刻印されていることを感じるだろう。
今年12月某日、〈リキッドルーム〉に満杯のオーディエンスを大合唱させる大人気のジョナサン・ピアースとジェイコブ・グラハムから話をきけたのはたったの15分たらず。簡潔に要点をしぼってくれた通訳さんに心から感謝しつつも、正味10分もなかった。それだけが少し悔やまれる。2008年にブルックリンで結成されたバンド。2009年に発表された「レッツ・ゴー・サーフィン」「サマータイム!」等複数のシングルやEPが話題を呼び、2010年には〈もしもし〉よりファースト・フル『ザ・ドラムス』が、2011年にはセカンド・フル『ポルタメント』がリリースされた。4人のメンバーのうち2人の脱退を経て、現在はジョナサン・ピアースとジェイコブ・グラハムのふたりで活動している。
いまでも聖書的な制約は自分にとって大きいんだなって思うことはあるよ。雑誌が僕たちを表紙にしたんだけど、まったくうれしくなかった。それが自分のいる世界の出来事のように思えなかったからさ。(ジョナサン・ピアース)
The Drums Encyclopedia Minor / Tugboat |
■あなたがたがデビュー当時に「サーフィン」や「ビーチ」というコンセプトを掲げていた裏側には、何かしら反抗や反発の意志がありましたか?
ジョナサン:それはないね。振り返ってみれば、僕たちはどこにも居場所がなかったように思えるな。2008年とか2009年というと、アニマル・コレクティヴやイエセイヤーとかは本当に大きな存在だったし、〈DFA〉とかブラック・ダイスは実験的だったのにも関わらずとても人気があった。それに対して、当時、僕たちはフロリダの片田舎に住んでいて、3分で終わるシンプルなポップ・ソングを作りはじめたわけ。短いヴァースやコーラスなんかも組み合わせてさ。シーンの主流とちがうことをやっていたという意味ではパンクの精神に根ざしていたのかもしれないね。でも、それは意識的にというわけではなくて。僕たちはずっと田舎暮らしで特定のシーンに属していなかったし、自分だけの世界があった。だからやりたいことを自由にやっていただけなんだよ。
ニューヨークに引っ越してから、自分たちがやっていたことが反抗的だったって気づいたんだ。僕たちはそれなりには人気をつかんだわけだけど、多くのひとたちは「いまどき、これってアリなのか?」みたいな反応をしていたからね(笑)。
■あなたたちは実際に海や太陽や女の子たちに興味がなさそうなところがよかったです。
ジョナサン&ジェイコブ:ははは(笑)!
■あなたがたのティーンエイジャー時代の舞台はどのような場所でしたか?
ジョナサン:ビーチから遠く離れたとこだよ(笑)。僕の育った小さな街はニューヨークの郊外にある。ジェイコブはオハイオ出身。彼の地元は僕のとこよりも小さくて、地図にも載っていないような街だった。僕たちはふたりとも、狭い環境のなかで反復的な生活をしていた。両親は聖書にもとづいて行動する厳格なクリスチャンで、おまけにかなり過保護だった。みんなとは別の奇妙な世界に住んでいる感じだったよ。僕たちは教育も自宅で受けたから、同年代の友だちに会えるのは教会で週に一回きり。だから外の世界で何が起こっているのかを知るよしもなかった。だから、僕はかなり聖書的な人間かもしれないね。
いまでも聖書的な制約は自分にとって大きいんだなって思うことはあるよ。フロリダで閉鎖的な生活をしていたときもそうだし、ファースト・アルバムが出たときもそうだったな。雑誌が僕たちを表紙にしたんだけど、まったくうれしくなかった。それが自分のいる世界の出来事のように思えなかったからさ。だから子ども時代の宗教体験は現在の創作のプロセスに大きく影響している。いまだって孤独を感じるときもあるし、外の世界との境界線を自分で引いているんじゃないかって思うときもある。そのほうがが気楽だからそうしているんだけどね。
ジェイコブ:他からの影響を受けないように意図的にそうしている部分もあるけどね。
取材:橋元優歩(2014年12月26日)
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