「Dom」と一致するもの

Tribute to Ras Dasher - ele-king

 「ONE BLOOD, ONE NATION, ONE UNITY and ONE LOVE」。LIVE はいつもこの一言から始まった。本作は昨年惜しくもこの世を去ってしまった“RAS DASHER”。彼といっしょに音楽を作ってきた仲間から、 最大限の感謝を込めて、それぞれのアーティストが現在進行形の音を天に響かせる追悼と音の祭典が開催される。

10/14 (金) 場所: 新宿Loft
Open:18:00-Til Late 27:00

REGGAELATION INDEPENDANCE & Special Guests from Cultivator & KILLA SISTA
MILITIA (SAK-DUB-I x HEAVY)
光風 & GREEN MASSIVE
UNDEFINED

BIM ONE PRODUCTION
LIKKLE MAI (DJ set)
MaL & JA-GE
外池満広 *Live
I-WAH & MARIKA
176SOUND
OG Militant B
山頂瞑想茶屋 feat. FLY-T
And more

Sound System by EASS HI FI

Food:
新宿ドゥースラー


Adv. ¥4,000
Entrance ¥4,500

前売りチケット情報
ZAIKO
https://tokyodubattack.zaiko.io/e/voiceoflove
ローソンチケット https://l-tike.com/order/?gLcode=72177
( Lコード:72177)

INFO
新宿LOFT 
tel:0352720382 


About Ras Dasher:
 80年代後半〜90年代初頭、SKA バンドのトランペットから始まったという彼の音楽キャリア、 その後 JAMAICA や LONDON を旅して帰国後、レゲエ・ヴォーカリストとして歌うようになった。 下北沢のクラブ ZOO (SLITS) で行われていたイベント「ZOOT」などに出演し、Ska や Rockstedy のカヴァー曲を歌っていた。
 その後、Mighty MASSA が始めた Roots Reggae Band “INTERCEPTER" の Vocal として参加、 Dennis Brown や Johnny Clark の ROOTS REGGAE を主に歌っていた。 95年頃、前述の クラブZOOT では、MIGHTY MASSA が本格的にUK Modern Roots Styleの SOUND SYSTEM を導入し、自作の音源を発表し始める。 発足よりシンガーとして参加し、97 年に MIGHTY MASSA の1st 12inch 「OPEN THE DOOR/LOVE WISE DUB WISE」 (Destroid HiFi) がリリース。 (Singer RAS DASHER として録音された最初のリリース) 後の MIGHTY MASSA 作品への参加 (2001 年 Album『ONE BLOW』、2003年 7inch 「Love Wise Dub Wise」) や DUB PLATE の制作に繋がっていく。 また、INTERCEPTER も音楽性の趣向がUK Modern Roots色が強くなり INTERCEPTER 2 として活動が始まり、 後の DRY & HEAVY の 秋本“HEAVY" 武士と RIKITAKE が加入し、その出会いが CULTIVATOR の結成に繋がっていく。

 CULTIVATOR は、何度かメンバーチェンジと試行錯誤を繰り返し 徐々にオリジナルの楽曲とサウンドアイディアで LIVE 活動が始まったのが90年代ももうすぐ終わる頃。 2000年に1st 12 inch Vinyl 「Promise Land/More Spilitual」を〈Reproduction Outernational〉レーベルからリリース.。この音源と DIRECT DUB MIX を取り入れた LIVE が注目される。
 2001 年 6月 1st CD mini album “BREAKOUT FROM BABYLON”をFlying Highレーベルから発表。 同年 FUJI ROCK FESTIVAL (RED MARQUIE)にも出演を果たした。また、 UK SOUND SYSTEM の重鎮 ABA SHANTI」の東京公演や、IRATION STEPPERS, ZION TRAIN の東京公演のフロントアクトを務めるなどLIVE も活発化し、2003年3月 2nd CD album 『Voice Of Love』 をリリース。 2004 年にこれらのシングル・カットとして 「Hear the voice love / In My Own / Freedom of reality」と 「Aka-hige /Spanish town」を発表した後、残念ながら活動を休止となった。


■Cultivator - 『Voice of Love』 レコードリリースについて
 Bim One Production / Riddim CHango Recordsの1TAによる、国産ルーツ/Dubの魅力を再評し新たな視点を深堀りするべくスタートするレーベル〈Rewind Dubs〉が始動!
 記念すべき第一弾は、2003年発表のCultivatorの名作CDアルバム『Voice of Love』 をLPアナログ用にリマスターした復刻盤! 本作は昨年惜しくもこの世を去ってしまった同バンドのフロントマン、Ras Dasherをトリビュートした限定300枚の再発作品である。
https://rewinddubs.bandcamp.com/releases

■ Voice of Love / Cultivatorオリジナルロゴ復刻T-シャツ販売決定
限定枚数販売!お見逃しなく!

Ras Dasher - Voice of Love T-Shirts (White / Black)
Cultivator Logo T-Shirts (Black)
M / L / XL / 2XL
¥3,000

R.I.P. Pharoah Sanders - ele-king

 2022年9月24日、ファラオ・サンダースが永眠した。享年81歳。昨年フローティング・ポインツとの共作『Promises』をリリースした〈ルアカ・バップ〉からのツイッターでニュースが拡散されたが、終の棲家のあるロサンゼルスで家族や友人に看取られて息を引き取ったということで、おそらく老衰による死去だったと思われる。享年81歳というのは、2年前に他界した交流の深い巨星マッコイ・タイナーと同じで、短命が多いジャズ・ミュージシャンの中でも比較的高齢まで活動したと言える。
 ジャズの歴史のなかでも間違いなくトップ・クラスのサックス奏者ではあるが、長らく正当な評価がなされてこなかったひとりで、日本においても長年あまりメジャーなジャズ・ミュージシャンという扱いは受けてこなかった。フリー・ジャズや前衛音楽の畑から登場してきたため、ある時期までは異端というか、アンダーグラウンドな世界でのカリスマというレッテルがつきまとってきた。ただし、1980年代後半からはクラブ・ジャズやレア・グルーヴの世界で若い人たちから再評価を受けると同時に、バラード奏者としても開眼し、かつてのフリー・ジャズの闘士という側面とはまた異なる評価を得ることになる。

 私自身もフュージョンとかを除いたなかでは、マイルス・デイヴィスでもジョン・コルトレーンでもなく、ファラオ・サンダースが初めてのジャズ体験だった。1990年ごろだと思うが、それまでロックにはじまってヒップホップとかハウスとかクラブ・ミュージックを聴いて、そこからソウルやファンクなども掘り下げていったなか、ファラオの “You’ve Got To Have Freedom” をサンプリングした曲から原曲を知り、それからファラオの世界にハマっていった。“You’ve Got To Have Freedom” はいまだ自分にとっての聖典であり、ジャズという音楽の尊さや気高さ、自由というメッセージに溢れた曲だと思う。
 フリー・ジャズというタームではなく、スピリチュアル・ジャズという新たなタームが生まれ、いまはカマシ・ワシントンなどがそれを受け継いでいるわけだが、その源流にいたのがファラオ・サンダースであり、現在のサウス・ロンドンのシャバカ・ハッチングスにしろ、ヌバイア・ガルシアにしろ、多くのサックス奏者にはファラオからの影響を感じ取ることができる。サックスという楽器にとらわれなくても、音楽家や作曲家としてファラオというアーティストが与えた影響は計り知れないだろう。

 改めてファラオ・サンダースの経歴を紹介すると、1940年10月13日に米国アーカンソー州のリトル・ロックで誕生。クラリネットにはじまってテナー・サックスを演奏し、当初はブルースをやっていた。1959年に大学進学のためにカリフォルニア州オークランドへ移り住み、デューイ・レッドマン、フィリー・ジョー・ジョーンズらと共演。その後1962年にニューヨークへ移住し、本格的にジャズ・ミュージシャンとして活動をはじめる。最初はハード・バップからラテン・ジャズなどまで演奏していたが、サン・ラー、ドン・チェリー、オーネット・コールマン、アルバート・アイラー、アーチー・シェップらと交流を深め、フリー・ジャズに傾倒していく。
 そうしたなかでジョン・コルトレーンとも出会い、1965年に彼のバンドによる『Ascension』へ参加。コルトレーンのフリー宣言と言える即興演奏集で、マッコイ・タイナーやエルヴィン・ジョーンズら当時のコルトレーン・グループの面々のほか、アーチー・シェップ、マリオン・ブラウン、ジョン・チカイら次世代が競演する意欲作であった。これを機にジョン・コルトレーンはマッコイやエルヴィンとは袂を分かち、夫人のアリス・コルトレーンやラシッド・アリらと新しいグループを結成。ジョンと師弟関係にあったファラオも参加し、1967年7月にジョンが没するまでグループは続いた。

 コルトレーン・グループ在籍時の1966年、ファラオは2枚目のリーダー作となる『Tauhid』を〈インパルス〉からリリース。“Upper Egypt & Lower Egypt” はじめ、エジプトをテーマとしたモード演奏と即興演奏が交錯し、自身の宗教観を音楽に反映した演奏をおこなっている。ファラオの演奏で特徴的なのは狼の咆哮とも怪鳥の叫びとも形容できる甲高く切り裂くようなサックス・フレーズで、高度なフラジオ奏法に基づきつつ、内なる情念や熱狂を吐き出すエネルギーに満ちたものだが、すでにこの時点で完成されていたと言える。
 コルトレーン没後はショックのあまり暫く休止状態にあったが、未亡人であるアリス・コルトレーンのレコーディングに参加するなどして徐々に復調し、1969年に〈ストラタ・イースト〉から『Izipho Zam』を発表。1964年に夭逝したエリック・ドルフィーに捧げた作品集で、ファラオにとって代表曲となる “Prince Of Peace” を収録(同年の『Jewels Of Tought』では “Hum-Allah-Hum-Allah-Hum-Allah” というイスラム経典のタイトルへ変えて再演)。シンガーのレオン・トーマスと共演した作品で、当時の公民権運動やベトナム戦争に対する反戦運動にもリンクするメッセージ性のこめられたナンバーである。ある意味でスピリチュアル・ジャズの雛型のような作品で、現在のブラック・ライヴズ・マターにも繋がる。

 レオンとのコラボは続き、同年の『Karma』でも代表曲の “The Creator Has A Master Plan” を共作。彼らの宗教観とアフリカへの回帰、アフロ・フューチャリズム的なメッセージが込められたナンバーだが、こうしたアフリカをはじめ、アラブ、インド、アジアなどの民族色を取り入れた作風が1960年代後半から1970年代半ばにおけるファラオの作品の特徴だった。1970年代前半から半ばは〈インパルス〉を舞台に、『Deaf Dumb Blind-Summun Bukmun Umyunn』『Black Unity』『Thembi』『Wisdom Through Music』『Village Of The Pharoahs』『Elevation』『Love In Us All』などをリリース。『Wisdom Through Music』と『Love In Us All』で披露される名曲 “Love Is Everywhere” に象徴されるように、愛や平和を表現した楽曲がたびたび彼のテーマになっていく。
 また、『Elevation』で顕著なインド音楽のラーガに繋がる幻想的な平安世界も、ファラオの作品にたびたび見られる曲想である。グループにはロニー・リストン・スミス、セシル・マクビー、ジョー・ボナー、ゲイリー・バーツ、ノーマン・コナーズ、ハンニバル・マーヴィン・ピーターソン、カルロス・ガーネットなどが在籍し、それぞれソロ・ミュージシャンとしても羽ばたいていく。彼らは皆スピリチュアル・ジャズにおけるレジェンド的なミュージシャンたちだが、ファラオのグループで多大な影響や刺激を受け、それぞれの音楽性を発展させていったと言える。

 1970年代後半にはフュージョンにも取り組む時期もあったが、〈インディア・ナヴィゲーション〉へ移籍した1977年の『Pharoah』では、1960年代後半から1970年代初頭に見せた無秩序で混沌とした演奏から変わり、水墨画のように余計なものをどんどん削り、ミニマルに研ぎ澄ましてく展開も見せている。時期的にはブライアン・イーノがアンビエントの世界に入っていった頃でもあり、もちろんファラオ本人にそうした意識はなかっただろうが、ある意味でそんなアンビエントともリンクしていたのかもしれない。
 そして1979年末に再びカリフォルニアへと拠点を移し、〈テレサ〉と契約して心機一転した作品群を発表する。その第一弾が『Journey To The One』で、前述した “You’ve Got To Have Freedom” を収録。フリー・ジャズやフュージョンなどいろいろなスタイルを通過したうえで、再び原点に立ち返ったようなネオ・バップ、ネオ・モードとも言うべき演奏で、かつての〈インパルス〉時代に比べ軽やかで、どこか吹っ切れたような演奏である。ピアノはジョー・ボナー、ジョン・ヒックスというファラオのキャリアにとって重要な相棒が、それぞれ楽曲ごとに弾き分けている。
 1981年の『Rejoice』は久々の再会となるエルヴィン・ジョーンズほか、ボビー・ハッチャーソンらと共演した作品で、女性ヴォイスや混成コーラスが印象的に用いられた。同年録音の『Shukuru』ではヴォイスやコーラスとストリングス・シンセを多層的に用い、ジャズに軸足を置きながらもニュー・エイジやヒーリング・ミュージックに繋がる世界を見せる。一方で1987年の『Africa』では、アフリカ色の濃いハイ・ライフ的な演奏からモード、バップ、フリーと幅広く演奏しつつ、バラードやスタンダードなどそれまであまり見せてこなかった世界にも開眼。穏やかだが情感溢れる演奏により、これ以降はバラードの名手としての評価も加わるようになり、1989年の『Moon Child』、1990年の『Welcome To Love』といったアルバムも残す。

 このように正統的なジャズ・サックス奏者としての地位も確立する一方で、1987年の『Oh Lord, Let Me Do No Wrong』ではレゲエを取り入れた演奏も見せるなど、つねに新しいことに対する意欲や探求心を持って演奏してきたミュージシャンである。1990年代以降はクラブ・ミュージックの世代から再評価されたことを自身でも受け、ビル・ラズウェル、バーニー・ウォーレル、ジャー・ウォブルらと共演した『Message From Home』『Save Our Children』を発表している。日本のスリープ・ウォーカーから、ロブ・マズレクらシカゴ/サン・パウロ・アンダーグラウンドなど、国、世代、ジャンルの異なるミュージシャンとの共演も盛んで、そうしてたどり着いたのが遺作となってしまったフローティング・ポインツとの『Promises』であったのだ。文字通り死ぬまでボーダーレス、ジャンルレス、エイジレスで自由な活動を続けた稀有なミュージシャンだった。

Moor Mother - ele-king

 1960年代後半から1970年代初頭にかけて、ドラマーのアーサー・テイラーは、当時を代表するジャズ・ミュージシャンたちにインタヴューを行い、後に著書『Notes and Tones』にまとめた。ジャズが商業的な影響力を失いはじめた時代を捉え、シーンにおける政治的な力学から、当時は「フリーダム・ミュージック」と呼ばれていた音楽の様式的な刷新に至るまでのさまざまな議論が交わされているわけだが、なかでももっとも論争を引き起こしたのは、ジャズという言葉そのもので、アート・ブレイキーがたいした問題ではないと主張した一方、マックス・ローチなどはニューオーリンズの売春宿を起源とし、文脈によっては“クソ”と同義的に使われることもある言葉を自分たちの音楽に押し付けられたことに不快感を示した。ニーナ・シモンはこの問いかけに異なる角度からアプローチし、テイラーに「ジャズはただ音楽であるというだけでなく、生き様であり、在り方であり、物の考え方。それは、アフロ・アメリカ系の黒人を定義するものだ」と語った。
 『Jazz Codes』を聴きながら、私はこのことを思い出した。ムーア・マザーの最新ソロ・アルバムは、亡き詩人アミリ・バラカの精神にのっとって、過去と現在(彼女の言うところの「パッド(メモ帳)とペンで瞑想する)」のジャズ・ミュージシャンたちのリズムをリフにすると同時に、音楽を埋め込まれた記憶や奥深い真実として、異界の領域への入り口のように扱っている。2020年の『Circuit City』では、「タイムトラベルや 内外の次元を追求することは不可能‏‏/フリー・ジャズなしには」と宣言している。また、アルバムと同じぐらいの長さのビリー・ウッズとのコラボレーション作「Brass」では、「ブルースは、国が忘れてしまった全てのことを覚えている」と注目曲のひとつで書いている。

 『Jazz Codes』では、ムーア・マザーの最近のソロ・ミュージックの瑞々しさというトレンドが引き継がれ、2020年のロックダウン時にリリースされた『Clepsydra』や『ANTHOLOGIA 01』、そして昨年の『Black Encyclopedia of the Air』で紡いだ糸を繋いでいる。彼女は再びスウェーデンのプロデューサーでインストゥルメンタリストのオロフ・メランダーと組み、ある種の明晰夢の状態にあるイリュージョン(幻影)と暗示の音楽を呼び起こしている。いくつかの曲は小品に過ぎないが、これらは人を酔わせる、宇宙的な作品だ。

 いちばん長く、人を惑わせるような“Meditation Rag”では、サン・ラからジェリー・ロール・モートン、フィスク・ジュビリー・シンガーズといったアーティストの名前を挙げながら、そのまわりをアリャ・アル=スルターニのソプラノのヴォーカルが分散する光のように浮遊し、まるで降霊術の会の様相を呈している。他では、ジェイソン・モラン、メアリー・ラティモアにアイワのインリヴァーシブル・エンタングルメンツのバンド仲間がインストゥルメンタルで貢献し、R&Bヴォーカルのフックやサイケデリックな煌めきや、不明瞭なトリップ・ホップのリズムを紡ぐ。コラボレーションの多いこのようなアルバム制作では、あえてフォアグラウンド(前景)とバックグラウンドを分けていない事が多く、重なり合うヴォイスのなかからリスナー自身が、どれに焦点を当てて聴くのかを選ぶことを任される。
 クロージング・トラック“Thomas Stanley Jazzcodes Outro”では、作家でアーティストのトマス・スタンリーがテイラーの著書のテーマを拾い上げている。

  多くの評者たちが
  ジャズはかつてセックスを意味したと言っている
  そしておそらく、
  ジャズはセックスを意味するものに
  戻る必要があるだろう
  性行為や交尾、
  ハイパー・クリエイティヴィティ、
  繁殖力、
  そして誕生と同一視されるように。

 『Jazz Codes』の気だるいグルーヴは、アイワがイリヴァーシブル・エンタングルメンツとともに披露する扇情的なフリー・ジャズとは別世界のように思えるが、どちらも音楽が解放の源となり得るという鋭い認識を共有している。

 それはまた、彼女と同じフィラデルフィア在住のDJハラムとのデュオ、700 Blissの『Nothing To Declare』でもときどき響いている。このアルバムは、ムーア・マザーの作品のなかでも、2016年の『Fetish Bones』に代表されるようなより挑戦的な側面が好きなファンには即座に魅力的に映るだろうが、ここではサウンドと怒りがある種の無頓着なユーモアのセンスによって抑制されている。
 とくにアルバムの前半は、〈Hyperdub〉レーベル・メイトのアヤ(ピッチシフトを好む傾向を含めて)と共通する何かがあり、後半ではクラブから遠くへ離れ、ときには毒気の少ないファルマコンにも似た趣となる。アイワの歌詞は徹底的にルーズで、歌うような韻と言葉のフィジカリティを楽しんでいるように聞こえる。“Bless Grips”で彼女がデス・グリップスのフロントマン、MCライドのリズムを真似る様子をチェックしてほしい。まるでコメディの寸劇のような“Easyjet”では、700 Blissをあきれ顔で批判する二人組をデュオが演じている(おいおい、これはそもそも音楽と言えるのか?)
 しかし、より深いところまで切り込んでいるのは、傑出した曲たちだ。“Capitol”でのアイワの冒頭のヴァースは、血で書かれた一般教書演説で(夢の成分をすすりたい/私たちを奴隷にした奴らの喉を切り裂きたい)、何時間でも没頭できる。ほぼインダストリアル・テクノのような“Anthology”では、20世紀半ばに人類学に基ずき振付を芸術に変えた〝ラック・ダンスの女家長〟として活躍したキャサリン・ダナムにオマージュを捧げている。
 さらに、数年前にリリースされた“Sixteen”は、このデュオのこれまでの最高傑作といえるかもしれない。アイワは、「もう戯言にはうんざりだ、世界はとても暴力的だ/自分だけの島が欲しい。でも奴らが気候を破壊した」と激しく非難し、ダンスフロアに自らを解き放つ前に「私はただ踊って汗をかきたい/踊って忘れてしまいたいだけ」と歌う。それは、世界がどれほどひどい場所かというのを無視することではなく、生き残るためのツールを見つけることだ。それは音楽であるというだけでなく、生き様や物の考え方のひとつなのだから。


by James Hadfield

In the late 1960s and early 1970s, the drummer Arthur Taylor conducted a series of interviews with some of the day’s leading jazz musicians, later collected in his book “Notes and Tones.” It captured a period when jazz was losing its commercial clout, while debates raged over topics from scene politics to the stylistic innovations of what was then still called “freedom music.” But one of the most contentious issues was the word itself: jazz. While Art Blakey insisted it was no big deal, others, such as Max Roach, were upset that their music had been lumbered with a term that originated in the brothels of New Orleans, and in some contexts could be used interchangeably with “shit.”

Nina Simone approached the question from a different angle. “Jazz is not just music, it’s a way of life, it’s a way of being, a way of thinking,” she told Taylor. “It’s the definition of the Afro-American black.”
I was reminded of this while listening to “Jazz Codes.” Moor Mother’s latest solo album finds her working in the spirit of the late poet Amiri Baraka, riffing on the rhythms of jazz musicians past and present (“meditatin′ with the pad and the pen,” as she puts it), but also treating the music as a source of embedded memories and deeper truths—a portal to other realms. As she declared on 2020’s “Circuit City”: “You can’t time travel / Seek inner and outer dimensions / Without free jazz.” Or, in the words of one of the standout tracks from “BRASS,” her album-length collaboration with billy woods: “The blues remembers everything the country forgot.”

“Jazz Codes” continues the recent trend in Moor Mother’s solo music towards lushness, picking up the thread from her 2020 lockdown releases “Clepsydra” and “ANTHOLOGIA 01,” and last year’s “Black Encyclopedia of the Air.” Once again, she works with Swedish producer and instrumentalist Olof Melander to conjure a sort of lucid-dream state: a music of illusions and allusions. Even though some of the tracks are barely more than vignettes, this is heady, cosmic stuff.
On “Meditation Rag,” one of the longest and most transporting songs, she seems to be staging a seance, name-checking artists from Sun Ra to Jelly Roll Morton to the Fisk Jubilee Singers as the soprano vocals of Alya Al-Sultani float spectrally around her. Elsewhere, instrumental contributions—including by Jason Moran, Mary Lattimore and Ayewa’s bandmates from Irreversible Entanglements—weave together with R&B vocal hooks, psychedelic shimmer and slurred trip-hop rhythms. In an album heavy on collaborations, the production often doesn’t distinguish between foreground and background, leaving listeners to decide which of the overlapping voices to focus on.
On the closing track, “Thomas Stanley Jazzcodes Outro,” author and artist Thomas Stanley picks up on a theme from Taylor’s book:

“Many observers have told us that jazz used to mean sex
And maybe it needs to go back to meaning sex:
To being identified with coitus and copulation,
Hyper-creativity, fecundity and birth.”

Although the languid grooves of “Jazz Codes” may seem a world apart from the incendiary free-jazz that Ayewa serves up with Irreversible Entanglements, both share a keen awareness of how music can be a source of liberation.
That’s echoed occasionally on “Nothing to Declare” by 700 Bliss, her duo with fellow Philadelphia resident DJ Haram. It’s an album that will instantly appeal to fans of the more confrontational side of Moor Mother’s work, typified by 2016’s “Fetish Bones,” though here the sound and fury is tempered by an insouciant sense of humour.

Especially during its first half, the album has something in common with Hyperdub label-mate Aya (including a penchant for pitch-shifted vocals); later on, it drifts further from the club, at times resembling a slightly less bilious Pharmakon. On many of the tracks, Ayewa’s lyrics sound downright loose, happy to delight in sing-song rhymes and the physicality of words; check the way she seems to mimic the cadences of Death Grips frontman MC Ride on “Bless Grips.” There’s even a comedy skit, “Easyjet,” in which the duo play a pair of eye-rolling naysayers talking smack about 700 Bliss (“I mean, come on, is this even music?”).
However, the standout tracks are the ones that cut a little deeper. You could spend hours picking apart Ayewa’s opening verse in “Capitol,” a state-of-the-nation address written in blood (“I wanna sip what dreams are made of / I wanna slice the throat of those who enslaved us”). On “Anthology”—over a track that’s practically industrial techno—she pays tribute to Katherine Dunham, the “matriarch of Black dance,” whose pioneering anthropology transformed artistic choreography during the mid-20th century.

Then there’s “Sixteen,” first released a couple of years ago, which may just be the best thing the duo has done so far. “I'm tired of the bullshit, the world's so violеnt / I just want my own island, but they destroyed thе climate,” Ayewa declaims, before finding her release on the dancefloor: “I just wanna dance and sweat / I just wanna dance and forget.” It’s not about ignoring what a fucked-up place the world is, but finding the tools to survive. It’s not just about the music: it’s a way of being, a way of thinking.

interview with Alexis Taylor (Hot Chip) - ele-king

 ホット・チップは、UKポップ音楽のお家芸と言える、ソウルやダンス・ミュージックを折衷するエレクトロ・ポップなロック・バンドで、そのサウンドには多幸感とメランコリーが交錯している。20年という彼らの長いキャリアにおいてバンドは着実に成長し、UKシンセ・ポップとしては、いわばニュー・オーダーの後継者というか、いまや今世紀における代表的な存在と言えるのかも。じっさい2019年の前作『A Bath Full of Ecstasy』は批評家から絶賛され、今作『Freakout/Release』も注目のアルバムとなった。
 以下、日本のファンを代表して斎藤辰也──ホット・チップ以外は、ほとんどクラシック・ロックばかり聴いているようだが──その彼にまずはファン目線の解説を書いてもらった。その後に続くインタヴューともどもお楽しみください。

 ミュージシャンがつまらない作品が出すと僕は追いかけるのをさっさとやめて悪態をつきがちなのですが、ホット・チップのことは14年近く追いかけています。僕がホット・チップをこんなにも好きでいるのは、彼らの音楽はつねに歌心を大事にしているからです。メロディとハーモニーを大事にしたやわらかい歌声でもって、ダンスビートの上で、人としての弱さや苦悩を明かしているからです。そうした歌を聴かせてくれるバンドは貴重です。LCDとかジンジャールートなんかでは、とてもじゃないけどダメなのです。この歌とハーモニーを実現できるバンドは、ホット・チップ以外にいないでしょう。
 新型コロナに罹患して部屋にこもることになって思いついたのは、好きなミュージシャンのレコードを、キャリアの初めから最後まで、1日中ぶっ通しで聴くことでした。ボブ・ディラン。ニーナ・シモーン。ヴェルヴェッツ。大好きなビートルズとビーチ・ボーイズも聴きました。しかし、僕のすべてだと思い込んでいたその2組は、決していまの僕のすべてではないことに気づくことになりました。
 部屋を侵食するレコードの山の中から10枚しか残せないとしたら、僕はまずホット・チップの作品から『ワン・ライフ・スタンド』を選ぶでしょう。5枚でもそうします。3枚でも、そうしましょう。1枚なら………シド・バレットのセカンドだと心に決めているので、大変な拮抗が生じます。だけど、いまな、ら、『ワン・ライ、フ・スタ、ンド』を、選、ぶ。かもし、れま、せん(大変な拮抗が生じています)。ホット・チップをこれから知る人にもこのアルバムを薦めます。タイトルどおり、彼らの音楽は一生の付き合いができそうな包容力があります。無理をしないで、いつでもありのままで向き合える、そんな気持ちにさせてくれます。弱いことは恥ずかしいことではないんだよと、そう言ってくれる気がするのです。ここでもし、そんなの要らないとあなたが言うのであれば、そもそも音楽なんて聴かなくていいと思います。
 2008年の『ワン・ピュア・ソウト』の可愛いけどなんか変なMVを観たとき、シンセ主体の音楽を忌避してロックとヒップホップだけを聴いてきた僕の中で、とんでもないレベルで、なにかが弾けました。折衷という言葉では説明できません。その音楽の中に、僕が好きなもの以外にも、なにかわからないけど色んなものがトロトロになって煮込まれているのを感じたのです。いま食べてるので喩えますが、未知の具材たっぷりのカレーの鍋を覗き込んだと思ったら、画面の向こうから鍋の中身が飛び出して、全身にぶっかけられた。そんな衝撃でした。それ以降、彼らの作品や足跡を追いかけて、それまで知らなかった数々の音楽の扉を叩くことになりました。ニューウェイヴ。テクノ。ハウス。ノイズ。エレクトロ。音楽の広さを音楽を通じて教えてくれるバンドなんて、他にはビートルズくらいしか思いつきませんが、ホット・チップが教えてくれたのは、僕の大好きなビートルズやビーチ・ボーイズが教えてくれなかったものでした。ホット・チップが現代のバンドで、それをリアルタイムで聴くことができるのは、とてもラッキーなことだと思います。
 ホット・チップは結成から20年以上が経ちました。ダンスフロアの流行り廃りに流されることもなく、メンバーの入れ替わりもないまま自分たちの地盤を固めることができたのは、アレクシス・テイラー&ジョー・ゴダードのふたりを核としたソングライティング、そして、それを彩るためのサウンド作りにメンバーが力を注いできた結果であると思います。まずもって馴染みやすいメロディと真摯な歌詞を大切にしながら、男性的な“強さ”を回避するアレクシスとジョーの優しい歌声が響いて、メンバーのハーモニーが重なり、それらをダンスのリズムとシンセサウンドが讃える。アレクシスとジョーのマイクリレーやハーモニーは、まるでブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴの掛け合いが現代に生まれ変わって、同じバンドにいるかのようです。こうしたヴォーカルワークの美しいバンドは、他に類を見たくても、なかなか見れないと思います(メンバーのアレクシスと初めて会ったとき、僕はビーチ・ボーイズの未発表アルバム『スマイル』のブートの箱を渡しました。「なんでこれを僕にくれようと思ったの?」と言いつつニヤついた彼の笑顔は最高に面白かった。それに、彼とジョーなら『スマイル』は没にしないでしょう)。
 今作、『フリークアウト/リリース』では、前作で強固になったダンスビートを引き継いでいますが、これまでのアルバムよりもシリアスなムードが通底しており、一聴すると重々しい印象が残るかもしれません。だけど、僕から述べておきたいのは、前述したようなバンドのあり方は変わっていないということです。明るい音楽で哀しいことを歌うように、人としての弱さや苦悩を隠しませんでした。そういったシンパシーを音楽の上で感じさせてくれます。ただただアッパーなダンスナンバーにもできたはずの“ブロークン”で「時々思う/僕は壊れている/もう壊れようがないほど」と歌うのを聴いて、僕は駅のホームで涙を流しながら歩いていました。いい大人が道端で目を赤くしているのは、通りがかった人にしてみれば不気味だったと思います。でも、不意にそういうことをさせてくる音楽なんです。(斎藤辰也)


右にいるのが質問に答えてくれたアレクシス・テイラー、その隣にいるのがジョー・ゴダード。

僕個人としては、大仰な政治的声明を打ち出そうとすることを楽しいとは思わないね。政治ってものは、自分の音楽にはほとんど入り込んでこない物事だ、そう感じる。ジョーの方なんじゃないかな、音楽にもうちょっと政治が入ってくるのは?

4月からツアーが続いていますが、いまUKのライヴ状況は、いかがでしょうか? コロナ前の感じに戻ってきていますか?

アレクシス:そうだね、ライヴ/コンサートの状況について言えば、ほんとなにもかもが戻ってきている。会場も再開し規制もなくなったし。けれどもフェスティヴァル、たとえば何万もの人間が集うグラストンベリーのようなイヴェントは、結局数多くの感染者を出すことになった。だから、ある面では物事は「ノーマル」に戻ったけれども、やはりウィルスは依然消え去ってはいない。単に、人びとは感染しても以前ほど具合が悪くならなくなっただけであって、それはたぶんワクチン接種に少し守られているからだろう。
というわけで……たとえば自分たちがフェスでプレイして観客を眺めていても、以前みたいにCOVIDについて考えることはなくなった、そう言っていいと思う。というのも、みんなマスクを着けなくなったから。だから、カルチャーという意味では非常に変化したし、前より少し良くなったっていうのかな、規制が緩まったおかげで。けれどもそれと同時に、COVIDに感染するたび——僕自身、1ヶ月前くらいだったっけ? ウィルスに感染したし、その都度あれがどれだけ不快な体験かを思い出させられるっていう。

前作『A Bath Full of Ecstasy』に引き続き、今作『Freakout/Release』もじつにパワフルなアルバムになったと思います。まずはサウンドについてお訊ねしますが、先行発表された “Down”は、力強いファンクのリズムが強調されていますよね。LCDサウンドシステムなんかともリンクするファンク・パンクを彷彿させます。

アレクシス:うん。

それに表題曲の“Freakout/Release”や“Hard To Be Funky”にも強力なリズムがありますが、こうしたビート感、躍動感は、自然に生まれたものなのでしょうか? それともこれは今作において意図したことだったのですか?

アレクシス:リズム・トラック群やグルーヴ、あるいはファンキィな要素に関して言えば、自分たちはとくに「今回はこれまで作ってきた作品とは違う」とは考えていないと思う。過去の作品以上にそれらの要素が強調されていると人びとが感じるだろう、僕たちにそういう意識はなかった、と。けれども、うん、いま言われたように、僕たちは踊るのにすごくピッタリなものを作ろうとしていたね。そうやって人びとにエンジョイしてもらえるなにかを、音楽と人生と踊ることとを祝福できるなにかを人びとに与えたいと思っていた。ただ、思うに、いまの質問にあった印象/感想は――良い感想だけれども、僕たち自身はべつにこれといって、より「パンク・ファンク調」な方向を目指してはいなかったんだ。あれはとにかく、そうだなぁ、たぶん“Down”で使ったサンプリングに導かれたものだったんじゃないかな? あの曲で僕たちはファンク・チューンをサンプリングしたし、それが僕たちを音楽的にあの方向性に引っ張っていった、と。それもあるし、おそらく今回は、アル(・ドイル)があの曲やそれ以外のいくつかのトラックでも生演奏でベース・ギターをもうちょっと弾いているし、彼はLCDサウンドシステムでもプレイしているから、それもあったのかもしれない。彼がふたつのバンドでプレイするベースの奏法はやはり似通ってくる、と。

通訳:いま話に出た“Down”のサンプル、あれはUniversal Togetherness Bandのトラックですが——

アレクシス:そう。

斉藤:たぶん2015年あたりから、ソウルのレコードをサンプリングすることが新曲において増えてきている印象を受けます。これは意図的にそうしているのでしょうか? たとえば、70〜80年代のソウル/ディスコ/ファンク音楽の、そのルーツにお返ししよう、みたいな思いは大事でしょうか?

アレクシス:んー……もしかしたら、僕たちにもそうした思いはあるのかも? だけど、僕たちはずっとソウル/ファンク・ミュージックが好きだったからね。ファースト・アルバムを作ったときですら——あれはサンプリングではなかったけれども、たとえば“Keep Fallin’”のような曲をプレイしていたわけだし、あれはかなりこう、ファンク・ミュージックを作るためのプリミティヴかつ安上がりでローファイな試み、そういう風に聞こえる曲だと思う。とはいえまあ、ソウル・ミュージックからの影響はあるよね、僕たちのもっとも大きな影響源のひとつだと思う。おそらく……まあ、サンプル音源にソウル寄りな変化が起きているとしたら、それは要は、ジョー(・ゴダード)が買っているレコード次第なんじゃないかと思う。というのも、僕自身はレコードからサンプリングはしないし、ネタとして使えそうなセクションを探そうとしてレコードを聴くこともないから。
 でも、そうは言いつつ、この同じアルバムで僕は「ファンキィであることについて」の歌(=“Hard To Be Funky”)を書いたわけだし、ということは、うん、たぶんその同じスレッドがこのアルバムの曲の多くにも流れているってことなのかもしれない。でも、いま言われたように、2015年以来、僕たちが「ダンス/ソウル音楽のルーツに敬意を表して」みたいにサンプル音源を選んでいるとか、べつにそういう意図的な決定ではなかったんだ。ただ単に、僕たち自身がああいうスタイルの音楽をずっと好きだからああなった、そういうことだと僕は思う。でまあ、要は、ジョーがレコード屋でなにか発見して、「お、これはグレイトな曲! ぜひサンプリングしたい」と思いついたってだけのことじゃないかと。

斉藤:今回、マイク・ホーナーと、ソウルワックスと、Superorganismのメンバーであるトゥーカンをアルバム制作に抜擢した意図やきっかけはなんですか?

アレクシス:まあ、前作『A Bath Full Of Ecstasy』をやったときも、マイク・ホーナーと一緒に作ったからね。マイクはすごく、すごく優秀だし、とにかく一緒にスタジオで過ごしていても本当に気持ちの良い人で。僕たちが彼と一緒にやることにした理由はそれだったし、彼は僕たちの求めていたサウンドを掴むのを助けてくれた。
 ソウルワックスについては、……ジョーの思いつきだったはずだけど、彼が「ソウルワックスにこの2曲を送ってみないか」と言い出して。彼らに聴いてもらい、何を持ち込んでくれるか試しに見てみよう、と。そのうちの1曲は“Down”で、あれは結局彼らにプロダクションを手伝ってもらわずに済んで、ミックスだけやってもらった。もう1曲が“Freakout/Release”で、あれはこう、僕たちからすれば半分くらいまで出来上がっていた感じで――曲は書いたものの、サウンドがどうもいまひとつジャストに収まらない、と。それであの曲をソウルワックスに送り、共同プロデュースおよび追加プロダクションをお願いしたんだ、純粋に、あの曲をフィニッシュさせるためにね。
 ホット・チップではコラボに関してはかなりカジュアルに物事が進むんだよ。今作でプレイしてくれたほかのコラボレーター、たとえばドラマーのIgor Cavalera(イゴー・カヴァレラ)、彼はセパルトゥラ(※メタル・バンド)のメンバーだったことで知られる人で——彼は“Eleanor”でドラムをプレイしてくれたけど、あれはメタルっぽい曲ではないよね。それからCadence Weapon(ケイデンス・ウェポンaka ローランド・ペンバートン)については、僕たちはあの“The Evil That Men Do”でラップを入れたいと考えていて、ジョーが彼のことを思いついた。彼とは昔、一緒にツアーをやったこともあった仲だし、運良くタイミングも合って、彼はグレイトなヴァースをあの歌のために書いてくれた。それからシンガーのLou Hayter(ルー・ヘイター)、彼女は僕たちのスタジオの近所に住んでいて、知り合いだし僕たちと一緒にDJをやったこともあるんだけど、まだコラボはやったことながくてね。で、ある日、彼女に「この“Hard To Be Funky”という曲で女性ヴォーカルが必要なんだけど、トライしてみる気はある?」と訊ねてみて、それで彼女がスタジオまで来てくれて、2、3時間で録ったんじゃないかな。そんな感じで、なにもかも……そうだなぁ、かなりこう、フレンドリーな、集団型な音楽の作り方だね。
 トゥーカンに関しては、彼は以前、僕のシングルをミックスしてくれたことがあって。トゥーカンは良い要素を持ち込んでくれた。彼がミックスを担当してくれたトラックの多くは、シングルになっていったね。

“Down”は、曲はパワフルなディスコ・ファンクですが、その歌詞は、質者には「労働」について書かれているように思いました。

アレクシス:うんうん。

じっさいのところ、これは、どんなところから生まれた言葉なのでしょうか? 

アレクシス:COVIDのせいで、僕たちは長いこと集まって一緒に作業することができなかった。だからあの曲はほんと、「遂に僕たちも、スタジオで一堂に会することができた」ってことについて語っているというか……僕にとってはこの自分の「仕事」、僕にとっての仕事であるミュージシャンをやること、歌をクリエイトすることは大事なんだ、と再確認してるっていうのかな。いや、ある意味、僕の周囲にいる人びとやホット・チップの面々、プロデューサーとしてのジョーはそういう風に見ていないのかもしれないよ。ただ、僕たちは努力しなくちゃらないんだ、自らにムチをぴしゃっと叩いてがんばり、この音楽をできる限り良いものにしなければならない、と。
 というわけであの曲は、この曲を上手く機能させるために自分は自らを捧げるというか、自分はこの曲をできる限り良いものにするために努力したい、と言っている、そういう感じの曲で。うん、だからあれは一種の……「仕事」、そして「一所懸命働くこと」というテーマ、そしていかにしてこのとある恋愛関係に意味を見出すことができるかについて掘り下げたもの、というかな。ある面では音楽についての歌だし、ある面では誰かとのロマンチックな関係の意図的なメタファーにもなっていて、うん、そのふたつの異なる意味合いのある歌だね。だから、その意味ではかなり曖昧な曲と言えるけれども、一種こう、働くこと/なにかに取り組むことは楽しい行為になり得るってことを歌ってもいて……そうだね、がんばって働くことの肉体性という概念を、リズミックな働きぶりを祝福しているというのかな。だから1曲のなかにいろんなことが込められている。

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自分たちにはそんなに多くの規範/ルールみたいなものはないと思う。ただ、今作に関して言えば、たぶん1曲を除いて、作った曲のすべてはまずまずダンサブル、あるいはファンキィと呼べるものだったんじゃないかな。

あなたは、おそらく前作『A Bath Full of Ecstasy』から、意識的に政治や経済といったトピックを歌のなかに盛り込んでいるように思いますが、しかし音楽面においては、それがポップ・ミュージックであることにことだわっていますよね?

アレクシス:そうだな、意見や批判はダイレクトに表現していると思う。ただし、それらは多くの場合、政治的に声高ではない、という。そうは言いつつ、今作の“The Evil That Men Do”では、かなり政治的にはっきり意見を述べているけれども……。僕たちの歌の歌詞のいくつかは、聴き手が読み取り理解するのにちょっと手間のかかるものもあるとはいえ、逆にもっとダイレクトなものもあるし、その両方のケースがあるんじゃないかな。とにかく曲次第で違うね。でもたしかに、僕個人としては、大仰な政治的声明を打ち出そうとすることを楽しいとは思わないね。政治ってものは、自分の音楽にはほとんど入り込んでこない物事だ、そう感じる。ジョーの方なんじゃないかな、音楽にもうちょっと政治が入ってくるのは? 僕はお説教めいた、人びとに教えを垂れるような表現の仕方をやるよりも、もっと、あくまでパーソナルな視点から話をしようとしている。

そもそも今作『Freakout/Release』を制作する上でのいちばんモチベーションはなんだったのでしょうか?

アレクシス:まあ、僕たちはかなり長いこと、全員でそろって一緒になにかに取り組むことができなかったわけだよね。僕はその間もソロ・レコード(『Silence』/2021)を作ったとはいえ、あの作品では本当に、リアルタイムでのコラボレーション、他のプレイヤーに来てもらい自分と一緒に音を出すという作業を含めることができなかった。ロックダウン中に作った作品だったからね。
 だからたぶん、ホット・チップのレコードを作る段になった頃までには、僕たち5人が同じ空間に一緒に集まるのが可能になったし、とにかくなにかエキサイティングなものを作りたい、全員で一緒にジャムり、僕たちが音楽を演るのを楽しんでいる、聴き手にもそれが伝わるようなものを作りたいと思ったんだろうね。
 それ以外の点で言えば、僕たちはある種の生々しい、パンキーなエネルギーを音楽に持ち込むことにも興味を抱いていたと思うけれども、結果的に、それほどパンクっぽい要素は残らなかったね。ごく一部、たとえば“Freakuout/Release”には、いわゆる「ロック」っぽい感触があるとはいえ……。僕たちはディストーションにも関心があったとはいえ、レコードが完成する頃までには、制作当初に考えていたそうした事柄のいくつかは抜け落ちていった、というのかな。だから、とてもディストーションの効いたピアノ・パートを用いたトラックがひとつあって、“Freakout/Release”もあり、また“Down”でもディストーションは使ったし、それらの楽曲を繋げてまとめる要素はあったものの、最終的にそのディストーションのかかったピアノを使った曲はアルバムから落とすことになった。ゆえにその面、ディストーションの哲学というか、ディストーションに対して僕たちの抱いていた関心、という面は伝わりにくくなったね。
 うん……だから、僕たちには「これ」といったしっかりした計画はなかったんだ。とにかく、再び全員で一緒に音楽を作れることになってワクワクしていただけだし、それ以外で言えば、ビースティ・ボーイズのあの曲、“Sabotage”だけど、僕たちはあれをライヴでよくプレイしているし、どうすればあのエネルギーの一部を自分たちの音楽のなかにも取り込めるだろう、ということを考えていた。

通訳:あなたたちがライヴで“Sabotage”をカヴァーするのを聴くのは、ほんと楽しいです。すごく楽しそうに演奏しているのがありありと分かるので。

アレクシス:うん、そうだよね。

多くの人間にとって本当にきつい時期だったし、いまだにそれは続いている。そのせいで職を失った者もいるし、久しぶりに対人関係にさらされ、社交面でどう振る舞えばいいかの自信を無くした人だっていると思う。

斉藤:ホット・チップのアルバムを完成とするにあたって、最低限守っている規範意識、あるいは自分たちなりの基準のようなものはありますか?

アレクシス:フム、自分たちにはそんなに多くの規範/ルールみたいなものはないと思う。ただ、今作に関して言えば、たぶん1曲を除いて、作った曲のすべてはまずまずダンサブル、あるいはファンキィと呼べるものだったんじゃないかな。スローで静かな、全体のノリから浮いている曲は1曲だけだったってことだし、それはこのレコードに収録しないことになったんだ、バンドの他の面々はあの曲は今作の楽曲群にそぐわないと感じていたから。
 ただ、僕たちはとにかく、自分たちにとって「ベストな曲だ」と感じられるものを選んでいこうとしているだけだ。僕たちの作る音楽は相当に折衷的だし。最近の僕は、昔よく聴いていたバンドに立ち返っていてね。たぶん自分は20 年以上聴いていなかったバンドだと思うけど、ウィーンを。

通訳:おお、ウィーンですか(笑)! 

アレクシス:(苦笑)うん、彼らの作品を聴き返していたんだけど——

通訳:笑ってしまってすみません、意外だったので、つい。でも私もウィーンは好きです。

アレクシス:僕もだよ! でまあ、いまの自分がああしてウィーンの音楽を聴き返しているうちに、彼らのレコードってどれだけ折衷的で混ぜこぜかを思い出したんだ。彼らって、サウンド面で言えば、1枚のレコードのなかで別のバンドが20組くらいプレイしてるって感じじゃない?

通訳:(笑)ええ。

アレクシス:で、彼らはホット・チップの初期にかなり影響が大きかった存在だったことを思うと、ってことは僕たちも常にこの、幅広いスタイルの選択肢をもつことが許される地点にいたんじゃないか? と。だから、ひとつの曲から次の曲へ、そこでガラっと変わっても構わないわけ。

今回は自分たちで設計したスタジオでの録音で、あなた自身も完成度には満足していると思います。アルバム全体には、ある種の暗さが通底しているように思えるのですが。“The Evil That Men Do”やポップ・ソングである“Guilty”のような曲にも、もちろん最後のじつに印象的な“Out Of My Depth”にも。

アレクシス:そうだな……アルバム曲のなかでも、たぶんもっともシリアスに響くんじゃないかと僕が思う歌詞――っていうか、コーラスと曲名がいちばん重そうに聞こえるのは“The Evil That Men Do”だと思うけど、あれはジョーが書いた言葉なんだ。だから、それは僕には説明できないとはいえ、彼がああいう声明を打ち出す必要性を感じていたのは、僕にも見えた。だから、この社会における男たちの振る舞いについて、彼らは自分たちの行動にどんな責任を負っているか、そして僕たち誰もが自らの振る舞いにどう責任を負っているか、その点についてジョーは何か言わずにいられなかった、と。彼があの曲で述べている声明はそれ、我々はみんな、なんらかの償いをしなくてはいけないってことだろうし……これまでずっと続いてきたひどい振る舞いの数々、そしてそれらが他の人びとにどんな影響をもたらしてきたか、そこに対する一種の「気づき」が必要なんじゃないかな。

通訳:なるほど。

アレクシス:そうは言っても、これはなにも、「男性的な振る舞い」だけがネガティヴなものだ、そう言っているわけではないんだよ。ただ、多くの破壊的な行為やネガな振る舞いの数々、それらはなるほどたしかに男性的なもののように思える、そう、かなり主張はしやすいよね? というわけで、あの曲はその点について歌っているし、この時点で——だから、イギリス内ではいろんな物事が植民地主義を基盤に築かれてきたわけで、その事実が社会全体から疑問を浴びはじめている、そういういまの時期を認識している曲なんだと思う。要するにブリテンの土台は、この「植民地主義」ってものの上に成り立っているわけだし、そこでジョーは、「その点を我々は認識しなくちゃいけない」って言っているっていう。そうやって、思うに彼は、一からやり直そう、これまで続いてきた実にネガで、破壊的で、人種差別で、暴力的な振る舞いの数々から教訓を学ぼうじゃないか、そう言っているんじゃないかな。
 で、君の挙げた曲のなかで、僕が歌詞面でもっと多く貢献したもので言えば、あれらはとにかく……今回のアルバムを作っていた間に僕が感じていたあれこれに関して、もしくは自分の周辺にいる人びとが困難な時期を潜っていた姿を観察し描いたもの、そのどちらかじゃないかと思う。だから、彼らが体験し感じていたことを表現しようとした、というか……いや、どちらかではなくて、その両方だな、僕自身が感じていたパーソナルなこと、そして僕の周りの愛する、大事な人びとが状況に悪戦苦闘していた、その両方について歌っている。というのも多くの人間にとって本当にきつい時期だったし、いまだにそれは続いている。いやだから、なにもかもをいったん一時停止せざるを得なかったわけで、その余波/反動はやっぱり大きいよ。そのせいで職を失った者もいるし、それだけじゃなく、たとえばここしばらく隠遁者めいた暮らしを送ってきたせいで、久しぶりに対人関係にさらされ、社交面でどう振る舞えばいいかの自信を無くした人だっていると思う。そうした多くのもろもろが合わさって、物事は2年前以来困難なものになっている、と。だからだと思う、今回のアルバムでは君が言ったような、やや暗いテーマがあるのは。
 だけど、そうは言いつつ“Out Of My Depth”のような曲は、とくにいまに限らず、僕のこれまでの人生のどの時点で生まれてもおかしくないものだと思う。あの曲は……物事が自分の思うようにいかないと感じる、あるいは自分にはコントロールできないと思うときのことを、「深みからなんとか泳いで水面に出る(swimming out of your depth)」というメタファーを使って表現している。要するに、ネガティヴな側面にこだわってグズついているのではなく、その状況から自分を引っ張り出す手段をなんとかして見つけていかなくちゃならないんだよ、と。そういう、一種のモチベーション高揚っぽい感情があるし、その感覚はいまに限らず、どの時期でも通用するものだと思う。

UKには、OMDやウルトラヴォックス、ABCやヒューマン・リーグ、ニュー・オーダーやペット・ショップ・ボーイズなど、素晴らしい楽曲と言葉をもったシンセポップ・バンドが、ホット・チップ以前にいくつも出てきています。こうした歴代のUKバンドのなかで、あなたがとくに共感しているバンドがあったらぜひ教えてください。

アレクシス:ニュー・オーダー、ヒューマン・リーグ、それにデペッシュ・モードだね。

通訳:ああ、デペッシュもですよね、なるほど。

アレクシス:うん。でも……(軽くため息をつきつつ)いま名前の挙がった連中以外にも、グレイトな音楽を作ったシンセポップ・バンドはほかにもいると思うんだ、たとえばユーリズミックスとかは僕も大好きだし。ただ……いま言われたようなバンドは、まあ、これはちょっとおかしな話に聞こえるかもしれないけど、彼らの作ったレコードは——もちろんそれぞれファンタスティックな作品だとはいえ——僕自身にとっては、そのほかにもっと大切なレコードがある、という存在なんだよね。だからまあ、彼ら(英シンセポップ勢)の作品はホット・チップというバンドの基盤を成す作品群ではない、っていうのかな。僕たちが目指しているサウンドは必ずしもそれらではない、と。おそらく、僕たちがその手のバンドの音楽をいくつか聴くようになったのは、もっと最近の話じゃないかと思う。
いや、もちろんメンバーによって差はあるし、たぶんオーウェン(・クラーク)は、そういったバンド、OMDの音楽なんかには長く親しんできただろうね。でも、僕からすれば、いま名前の出たバンドのなかでよく知っていると言えるのはニュー・オーダーだけで、彼らの音楽は若い頃から本当によく聴いてきた。で、ヒューマン・リーグに関しては、そうだなぁ、15年くらい前に初めて少し聴き始めたし、アルバムまでは細かく知らないんだ。シングルをいくつか知っているくらいで、それらのシングルは素晴らしいとはいえ、自分にヒューマン・リーグについて詳しい知識があるとは、お世辞にも言えない。ABCはほんと、ラジオでかかる有名な曲以外は知らないし……ああ、それにスクリッティ・ポリッティ、彼らも僕にとってかなり重要な存在だと思う。でも、それらUKのシンセポップ系バンド以上に、僕にとって大事なのは——ソウル・ミュージックだと思う。たとえばスティーヴィー・ワンダーやカーティス・メイフィールド、マーヴィン・ゲイ。それにヒップホップ、プリンスのレコード、そしてUSのインディペンデントなローファイ系の音楽、それらの方がおそらく、僕個人の音楽の趣味という意味では、もっと大事だろうね。

HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS - ele-king

文:ジェイムズ・ハッドフィールド(訳:江口理恵)[8月19日公開]

 1960年代に入ってしばらくするまで、カヴァー・ヴァージョンというのはロック・バンドが普通にやるものだった。ビートルズの最初の2枚のアルバムに収録されている曲の半分近くは他のアーティストの作品だ。初期のローリング・ストーンズは、自らのソングライターとしての才能を証明するよりも、ボ・ディドリーを模倣することの方に関心があった。しかし、LPがロック・ミュージックのフォーマットに選ばれるようになると、ファンはアーティストにより多くの革新を期待し、レーベルもオリジナルの音源の方が金になることに気付き出した。カヴァー・ヴァージョンは、ありふれたお馴染みのものから、ロック・ミュージシャンがより慎重に意図を持って使うものになっていった。敬意を表したり、いつもの定番曲に新風を吹き込んだり、キュレーターとしてのテイストをひけらかしたり、あるいは完全に冒涜的な行為を行うための。

 『きみはぼくの めの「前」にいるのか すぐ「隣」にいるのか』の収録曲では、これらのことの多くが、時に同時進行で行われている。灰野敬二が70歳の誕生日を迎えたわずか数週間後にCDとしてリリースされたこの変形したロックのカヴァー集は、実質的にはパーティ・アルバムであり、クリエイターの音楽的ルーツを探る、疑いようのない無礼講なツアーのようだ。全曲を英語のみで歌う灰野敬二が、角のあるガレージ・ロック・スタイルのコンボ(川口雅巳(ギター)、なるけしんご(ベース)、片野利彦(ドラム))のヴォーカルを務め、ロックの正典ともいうべき有名曲のいくつかを、ようやくそれと認識できるぐらいのヴァージョンで披露している。

 灰野がカヴァー・バンドのフロントを務めるというのはそれほどばかげた考えではない。彼の1990年代のグループ、哀秘謡では、ドラマーの高橋幾郎、ベースの川口とともに、50年代・60年代のラジオのヒット曲の、幻覚的な解釈をしてみせた。ザ・ハーディ・ロックスの前には、よりリズム&ブルースに焦点を当てたハーディ・ソウルがあり、その一方で灰野はクラシック・ロックの歌詞を即興のライブ・セットに取り入れることでも知られていた。つまり、このアルバムが、一部の人間が勘違いしそうな、使い捨てのノヴェルティのレコード(さらに悪くいえば、セルフ・パロディのような行為)ではないことを意味している。

 2017年に、ザ・ハーディ・ロックスを結成したばかりの灰野にインタヴューしたとき、彼はバンドがやっていることを「異化」という言葉で表現した。これは英語では“dissimilation”あるいは“catabolism”と訳されるが、ベルトルト・ブレヒトの、観客が認識していると思われるものから距離を置くプロセスである“Verfremdung”の概念にも相当する。ここでは“(I Can’t Get No ) Satisfaction”のように馴染み深い曲でさえ、じつに奇怪にきこえる。キース・リチャーズの3音のギター・フックが重たいドゥームメタル・リフへと変わり、灰野が喉からひとつひとつの言葉をひねり出すような激しさで歌詞を紡ぐ。驚くべきヴォーカル・パフォーマンスを中心にして音楽がそのまわりを伸縮し、次の“Hey Hey Hey”への期待で、いろいろな箇所で震えて停止してしまう。

 あえて言うまでもないが、灰野は中途半端なことはしない。レコーディング・エンジニアの近藤祥昭が、不規則で不完全な状態を捉えたこのアルバムでの灰野のヴォーカルは、まるで憑りつかれているかのようだ。金切り声や唾を吐く音が多いにもかかわらず、何を歌っているのか判別するのはそれほど難しいことではない。バンドは重々しい足取りでボブ・ディランの“Blowin’ In The Wind”をとりあげているが、それはもっとも不機嫌な不失者のようでオリジナルとは似ても似つかないが、それでもディラン自身が2018年のフジロックフェスティバルで演奏したヴァージョンよりは曲を認識できる。

 注意深く聴くとたまに元のリフが無傷で残っているのがわかるが、音の多くの素材は、不協和音のコード進行や故意に不格好なリズムで再構築されている。このバンドの“Born To Be Wild”では、有名なリフレインに辿り着く前に灰野がジョン・レノンの“Imagine”からこっそりと数行滑り込ませている。“My Generation”では、崩壊寸前の狂気じみた変拍子でヴァースに突進していく。川口が灰野のヴォーカルに合わせて支えるように、しばしば、エフェクターなしでアンプに直接つないだ生々しいギターの音色を響かせる。なるけと片野は、様々なポイントでタール抗の中をかき分けて進むかのように演奏している。

 ビッグネームのカヴァーが多くの人の注目を引くだろうが、ザ・ハーディ・ロックスは、日本のMORでも粋なことをしている。アルバムのオープニング曲の“Down To The Bones”は、てっきり『Nuggets』のコンピレーションの収録曲を元にしていると思っていたが、YouTubeのプレイリストを見て、これが実際には1966年に「骨まで愛して」で再デビューした歌謡曲のクルーナー、城卓矢のカヴァーだと判明した。“Black Petal”は、水原弘の“黒い花びら”をプロト・パンク風の暴力に変えるが、日系アメリカ人デュオのKとブルンネンの“何故に二人はここに”については、灰野にかかっても救いようのない凡庸さだ。

 もっとも異彩を放つのは、アルバム終盤に収録されたアカペラ・ヴァージョンの“Strange Fruit”だろう。これは奇妙な選択であり、「Black bodies swinging in the southern breeze(黒い体が南部の風に揺れる)」という歌詞を静かに泣くように歌い、本当の恐怖を伝える灰野の曲へのアプローチの仕方には敬意を表するが、私はこの曲を再び急いで聴こうという気にはならない。しかし、アルバム全体は非常に面白く、このクリエイターの近寄り難いほど膨大なディスコグラフィへの入り口としては、理想的な作品である。



HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS


きみはぼくの めの「前」にいるのか すぐ「隣」にいるのか
(“You’re either standing facing me or next to me”)


P-Vine Records

by James Hadfield

Until well into the 1960s, cover versions were just something that rock bands did. Nearly half of the songs on the first two Beatles albums were by other artists. The early Rolling Stones were more interested in channeling Bo Diddley than in proving their own abilities as songwriters. But as the LP became the format of choice for rock music, fans began to expect more innovation from artists, while labels came to realise there was more money to be made from original material. Cover versions went from being ubiquitous to something that rock musicians used more sparingly, and intentionally: to pay respects, put a fresh spin on familiar staples, flaunt their curatorial taste, or commit acts of outright sacrilege.

The songs on “You’re either standing facing me or next to me” are many of these things, sometimes all at once. Released on CD just a few weeks after Keiji Haino celebrated his 70th birthday, this collection of deformed rock covers is practically a party album, and a distinctly un-reverential tour of its creator’s musical roots. Singing entirely in English, Haino acts as vocalist for an angular, garage rock-style combo (consisting of guitarist Masami Kawaguchi, bassist Shingo Naruke and drummer Toshihiko Katano), who serve up just-about-recognisable versions of some of the most famous entries in the rock canon.

The idea of Haino fronting a covers band isn’t as absurd as it may seem. His 1990s group Aihiyo, with drummer Ikuro Takahashi and Kawaguchi on bass, did strung-out interpretations of radio hits from the ’50s and ’60s. The Hardy Rocks were preceded by the more rhythm and blues-focused Hardy Soul, while Haino has also been known to incorporate lyrics from classic rock songs into his improvised live sets. All of which is a way of saying that this isn’t the throwaway novelty record that some might mistake it for (or, worse, an act of self-parody).

When I interviewed Haino in 2017, not long after he’d formed The Hardy Rocks, he used the term “ika” (異化) to describe what the band were doing. The word can be translated as “dissimilation” or “catabolism” in English, though it also corresponds with Bertolt Brecht’s idea of “Verfremdung”: the process of distancing an audience from something they think they recognise. Even a song as familiar as “(I Can’t Get No) Satisfaction” sounds downright freaky here. Keith Richards’ three-note guitar hook is transformed into a lumbering doom metal riff, as Haino delivers the lyrics with an intensity that suggests he’s wrenching each word from his own throat. It’s a remarkable vocal performance, and the music seems to expand and contract around it, at various points shuddering to a halt in anticipation of his next “Hey hey HEY.”

As if it needed stating at this point, Haino doesn’t do anything by halves, and his vocals on the album—captured in all their ragged imperfection by recording engineer Yoshiaki Kondo—sound like a man possessed. But for all the shrieks and spittle, it’s seldom too hard to figure out what he’s actually singing. The band’s lumbering take on Bob Dylan’s “Blowin’ in the Wind”—like Fushitsusha at their most morose—may sound nothing like the original, but it’s still more recognisable than the version Dylan himself played at Fuji Rock Festival in 2018.

Listen closely and you can pick out the occasional riff that’s survived intact, though more often the source material is reconfigured with dissonant chord sequences and deliberately ungainly rhythms. The band’s version of “Born To Be Wild” eventually gets to the song’s famous refrain, but not before Haino has slipped in a few lines from John Lennon’s “Imagine.” On “My Generation,” they hurtle through the song’s verses in a frantic, irregular meter that’s constantly on the verge of collapse. Kawaguchi matches Haino’s vocals with a bracingly raw guitar tone, often jacking straight into the amp without any effects pedals. At various points, Naruke and Katano play like they’re wading through a tar pit.

While it’s the big-name covers that will grab most people’s attention, The Hardy Rocks also do some nifty things with Japanese MOR. I was convinced that album opener “Down To The Bones” was based on something from the “Nuggets” compilations, until a YouTube playlist alerted me to the fact that it was actually “Hone Made Ai Shite,” the 1966 debut by kayōkyoku crooner Takuya Jo. “Black Petal” turns Hiroshi Mizuhara’s “Kuroi Hanabira” into a bracing proto-punk assault, though the band’s take on “Naze ni Futari wa Koko ni,” by Japanese-American duo K & Brunnen , is a pedestrian chug that even Haino can’t salvage.

The most out-of-character moment comes near the end of the album, with an a cappella version of “Strange Fruit.” It’s an odd choice, and while I can respect the way that Haino approaches the song—delivering the lyrics in a hushed whimper that conveys the true horror of those “Black bodies swinging in the southern breeze”—it isn’t a track that I’ll be returning to in any hurry. But the album as a whole is a hoot, and an ideal entry point into its creator’s intimidatingly vast discography.

ジェイムズ・ハッドフィールド

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文:松山晋也[9月5日公開]

 9月7日に出るLPが届いた昨日だけで立て続けに3回聴いた。いま、そのハードさに改めて打ちのめされている。LP版は、11曲収録のCD版よりも2曲少ない9曲入りなのだが、「最初からLPを念頭に作ったアルバム」と灰野が語るとおり、サウンド全体のヘヴィネスと密度が強烈で、ハーディ・ロックスというユニット名に込められた灰野の思いもより明瞭に伝わってくる。5月に出たCDを買った人もぜひLPの方も聴いてほしいなと思う。ひとりのファンとして。

 ロックを極限までハードに表現すること──ハーディ・ロックスという名前に込められた灰野の思いは明快である。実際、ライヴ・パフォーマンスも極めてハードだ。灰野+川口雅巳(ギター)+なるけしんご(ベイス)+片野利彦(ドラム)から成るこのユニットでは灰野はギターを弾かず、ヴォーカルに専念している(曲によってはブルース・ハープも吹く)のだが、1回ライヴをやると体調が完全に回復するまで半年かかると本人は笑う。それくらい尋常ではないエネルギーを放出するわけだ。しかし、ハード=ラウドということでもない。バンドの演奏も灰野のヴォーカルもなるほどラウドではあるけど、彼らの表現の核にあるのは音量やノイズや速度では測れない何物かだ。原曲の歌詞やメロディに埋め込まれた思いや熱量にどこまで誠実かつ繊細に向き合えるのか、という “覚悟” が一音一音に刻み込まれている。その覚悟の真摯さ、強固さを灰野は「ハーディ」という造語で表明しているのだと思う。

 ハーディ・ロックスは、海外の楽曲(ロックや、R&B、ジャズなど)や日本の歌謡曲を英語でカヴァするためのプロジェクトとして数年前にスタートした。98年にアルバム『哀秘謡』も出た歌謡曲のカヴァ・プロジェクト=哀秘謡、2010年代にやっていたソウルやR&Bのカヴァ・プロジェクト=ハーディ・ソウルの延長線上というか、総決算的プロジェクトと言っていい。これら3つのプロジェクトに共通しているのは、“なぜ(原曲は)こんな演奏と歌い方なんだ!” という原曲に対する愛と不満だろう。
 今回のアルバム(CD版)に収録された曲目は以下のとおり。このうち⑤⑥の2曲はLP版ではカットされている。

① 城卓矢 “Down To The Bones(骨まで愛して)”
② ボブ・ディラン “Blowin’In The Wind”
③ ステッペンウルフ “Born To Be Wild”
④ エディ・コクラン/ブルー・チア “Summertime Blues”
⑤ バレット・ストロング/ビートルズ “Money (That’s What I Want)”
⑥ Kとブルンネン “Two Of Us(何故に二人はここに)”
⑦ ローリング・ストーンズ “(I Can’t Get No) Satisfaction”
⑧ ドアーズ “End Of The Night”
⑨ 水原弘 “Black Petal(黒い花びら)”
⑩ ビリー・ホリデイ “Strange Fruit”
⑪ フー “My Generation”

 ① “骨まで愛して” と⑥ “何故に二人はここに” は『哀秘謡』でも日本語でカヴァされていたが、今回の英語ヴァージョンと聴き比べてみると、20数年の歳月が灰野の表現にどのような変化/深化をもたらしたかよくわかる。“骨まで愛して” は『哀秘謡』版ではリズムもメロディも極限まで解体されていたが、その独特すぎる間合いと呼吸が今回はロック・バンドとしてのノリへと昇華された感じか。“何故に二人はここに” の『哀秘謡』版は灰野にしては意外なほどシンプルだったが、今回はそのシンプルさに拍車をかけたダイレクトなガレージ・ロック調。灰野の作品でこれほどポップな(演奏のコード進行もヴォーカルのメロディもほぼ原曲どおり!)楽曲を私は聴いたことがない。LPに収録されなかったのは、時間的制限という問題もあろうが、もしかしてシングル盤として別に出したかったからでは?とも勘ぐってしまう。ちなみに灰野が14才のとき(66年)に大ヒットした “骨まで愛して” は、発売当時から灰野はもちろん知ってはいたが、本当に惹かれたのは後年、前衛舞踏家・大野一雄のドキュメンタリー映画『O氏の死者の書』(73年)の中で、サム・テイラー(たぶん)がテナー・サックスで吹くこの曲をBGMに大野が豚小屋で舞うシーンを観たときだったという。また、第二のヒデとロザンナとして売り出されたKとブルンネンの “何故に二人はここに”(69年)は、『哀秘謡』を作るときにモダーン・ミュージック/P.S.F レコードの故・生悦住英夫から「歌詞が素晴らしい曲」として推薦されたのだとか。

 海外の曲の大半は、灰野が10代から愛聴してきた、あるいは影響を受けた作品ばかりだと思われるが、中でも④ “Summertime Blues” と⑧ “End Of The Night” に対する思い入れは強いはずだ。なにしろブルー・チアとドアーズは、灰野のロック観の土台を形成したバンドだし。70年代前半の一時期、灰野は裸のラリーズの水谷孝とともにブルー・チアの曲だけをやるその名もブルー・チアというバンドをやっていたこともあるほどだ。だから、曲の解釈や練り上げ方にも一段とキレと余裕を感じさせる。ジム・モリスンがセリーヌの「夜の果てへの旅」にインスパイアされて書いた “End Of The Night”(ドアーズの67年のデビュー・アルバム『The Doors』に収録)は短いフレーズのよじれたリフレインから成るドラッギーな小曲だが、原曲と同じ尺(約2分50秒)で演奏されるハーディ・ロックスのヴァージョンは、ドアーズが描いた荒涼たる虚無の原野を突き抜けた孤立者としての覚醒を感じさせる。灰野敬二の表現者としての原点というか、灰野の心臓そのもののように私には思えるのだ。

 その他、特に面白いのが、アカペラによる⑩ “Strange Fruit(奇妙な果実)” か。彼らは最初これを演奏付きで何度も試してみたのだが、どうもしっくりこず、最終的にヴォーカルだけにしたのだという。なるほど、この歌で描かれる凄惨な情景、木に吊り下げられた黒い躯の冷たさにここまで肉薄したカヴァはなかなかないだろう。あと、③ “Born To Be Wild(ワイルドで行こう!)” の途中で突然ジョン・レノン “イマジン” のワン・フレーズが挿入されているのも興味深い。ノー・ボーダーな野生児による宇宙との一体化という歌詞の共通点から挿入したのか、単なる直感や気まぐれなのか、そのあたりは不明だが。

 これらのカヴァ・ワークは、“何故に二人はここに” 以外はいずれも、ちょっと聴いただけでは原曲が何なのかわからないほどメロディもリズムも解体されており、ビーフハート作品のごとく極めて微妙なニュアンスに溢れた演奏の背後には、かなり長時間の集団鍛錬があったはずだ。抽象的な言葉を多用する灰野のヴィジョンをサウンドとして完璧に具現化するためだったら、すべての楽器を灰野自身が担当した方が録音もスムースだろうし、実際それは可能だと思うのだが、それをあえてやらないのがこのユニットの醍醐味だろう。誤解や齟齬によって生まれる別の匂いを楽しむこと、「わからないということを理解する」(灰野)ことこそが灰野にとっては大事なのだから。

 振り返れば、灰野の目はつねに “音楽の始原” という一点だけを見つめてきた。灰野のライヴでいつも驚かされるのは、どんな形態、どんな条件下であっても我々は音楽が生まれる瞬間を目撃できるということである。ここにあるのは、誰もが知っている有名な曲ばかりだが、同時に誰も聴いたことがない曲ばかりでもある。

松山晋也

Tonalism - ele-king

 きたる8月20日、渋谷PARCOの上階(SUPER DOMMUNE&ComMunE)で興味深いイベントが開催される。アンビエント・ミュージックとヴィジュアル・アートをオールナイトで楽しむ試みで、その名も「Tonalism」。ネットラジオ局のdublabが2006年から開催しているイベントだ。やけのはらやあらべえ、FUJI||||||||||TAらが出演、マシューデイヴィッドの収録ライヴ配信もあります。聴くもよし、観るもよし、寝るもよし、参加者各人思い思いの過ごし方ができるイベントのようだ(枕や寝袋も持参できる模様)。詳しくは下記をチェック。

LA発、オールナイト・リスニングエクスペリエンス「Tonalism (トーナリズム)」が日本初開催!

夕暮れから夜明けにかけて、風景画のように変化し続けるアンビエント・ミュージックとビジュアルアートの融合をロングセットで楽しむ「Tonalism (トーナリズム)」。渋谷PARCO10FのComMunEとROOFTOP PARK、9FのSUPER DOMMUNEの2フロアを往来しながら、異なる音響空間で瞑想的なライブミュージックを楽しめる、この日だけのスペシャルな環境となっている。前半は、SUPER DOMMUNEでのトーク、DJの配信も実施。LAからはSam Gendelらを輩出した〈LEAVING RECORDS〉を主宰し、dublabコミュニティの一員でもあるMatthewdavidのライブセットも収録配信が決定。ComMunEの特設会場では、日本屈指の才能を持つアーティスト、DJをキュレーション。ビジュアルは大阪が誇るビジュアルアート・ラボCOSMIC LABのColo Müllerが空間を変貌させる。Tonalismのコンセプトでもある、集団でのリスニングエクスペリエンスを実現する、初の試みに、ぜひ参加頂き、思い思いにフロアに座り、ときには寝ながら、夢と現実のはざまを行き交うマインドフルネスの世界に誘われてください。

参加アーティスト

AKIE
ATSUKO HATANO | 波多野敦子
COLO MÜLLER
FUJI||||||||||TA
MATTHEWDAVID(収録)
RAY KUNIMOTO | 國本 怜
SAKURA TSURUTA
TARO NOHARA
YU ARAUCHI+HIROKI CHIBA | 荒内佑+千葉広樹
YUSAKU ARAI | 荒井 優作
TOMOYA KISHIMOTO | 岸本 智也(ヴィデオエンジニア)

Tonalism
2022年8月20日(土) 20:00〜 8月21日(日)6:00
SUPER DOMMUNE + ComMunE | 渋谷PARCO
(〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷PARCO9F・10F)
一般(18歳以上)5,000円
https://tonalism2022.peatix.com
※完全限定販売、予定枚数終了しだい発売終了となります。

DOMMUE番組概要
2022年8月20日(土) 20:00〜 24:00
dublab.jp presents Tonalism「Collective listening experience」
at SUPER DOMMUNE(渋谷PARCO 9F)

<第一部> 「ユニークベニュー×アンビエント・ミュージックで創られる体験」
■司会 : 原 雅明(dublab.jp / rings)
■出演 : 齋藤 貴弘(弁護士、JNEA、dublab.jp)

<第二部> 「DJ for Tonalism 」
■DJ : TARO NOHARA、Akie

<第三部>「Special Live from LA」
■出演:Matthewdavid(収録)

主催:
株式会社トゥー・ファイブ・ワン
企画制作:
原 雅明(dublab.jp / rings)
玉井 裕規(dublab.jp / epigram inc.)
金子 和司(dublab.jp / epigram inc.)

協力: 
epigram inc. / GENELEC JAPAN Inc. / DOMMUNE / ComMunE / 渋谷PARCO / infusiondesign inc. /株式会社ティーアンドイー

【dublab.jpとは】
アメリカ、ロサンゼルスの非営利ネット・ラジオdublabの日本ブランチとして有志により2012年に設立された。世界中に多くのリスナーを持ち、絶大な支持を集めてきたdublabの協力のもと、日本独自の視点から、音楽、アート、カルチャーを紹介する放送やイヴェントをおこなっている。
https://dublab.jp

 出る出ると言われてなかなか出なかった木津君の本がようやく刊行されて、楽しく読ませてもらった。おもに欧米のポップ・カルチャーを愛する彼は、音楽や映画から言うなれば人生論や世界の見方を引き出し、それを文章にして発表している。エレキングではもう、かれこれ10年以上アルバムのレヴューを中心に書いてもらっているが、彼の関心ごとには、彼の好きな音楽を介して見える「社会」や「生き方」とともに、ゲイとしての文化論やジェンダー論もあることは、もう長年の読者には周知の話だろう。
 木津君は面白い男で、彼はぼくと初めて会ったときに、会話もそろそろ終わりかなというタイミングで、突如、じつはぼくはゲイなんですと切り出した。渋谷の宇田川町にあるカフェの奥の方の席だった。ぼくはそれまで、高校卒業後に仲の良かったふたりの友人から目の前で告白されたことがあった。某企業で働いていたときに、高学歴の社員が自分はゲイだから出世できないので辞めるといって辞めていった話も聞いたことがある。しかし編集者として、初めて会った書き手からそんなことを言われた経験などなかったから、あのときはぼくも面食らった。本人にとっても初対面で言うのだから、意を決してのことだったはずだ。ぼくがゲイ文化(たとえばストーンウォールの暴動など)についても書いていることと、こういうことは最初から言っておいたほうが良いのではないかと思ったというのが彼の言い分だった。ぼくだってハウス・ミュージックとの出会いがなければ、ゲイ文化に対するリスペクトは持ち得なかったかもしれない。マシュー・チョジックが紙エレキング紙上で言ったように、文化は政治に先んじ、その影響力というのはひとが思っている以上に大きなものなのだ。
 
 それにしても時代は変わった。大きく変わった。ことに性的マイノリティーをめぐる言説に関しては、『仮面の告白』や『ベニスに死す』や『バナナブレッドのプディング』の時代とは別世界だ。80年代の新宿2丁目のいかがわしいアンダーグラウンドな匂いも(再開発のこともあって)いまはない。ましてや、ぼくと木津君とが初めて会ってからこのおよそ10年のあいだで、社会はめざましい速さで変化していった。人種、フェミニズム、そしてLGBTQといった人権をめぐっての人びとの意識は、まあ、少なくはないその反動を抱えながらも如実に更新されてきているが、そうした社会の変化に敏感だったのは、(ぼくは間違っても欧米至上主義ではないが、ひとつの事実として言えば)欧米のポップ・カルチャーだった。それにDJカルチャーにおいても欧州は、白人男性だけに偏らず、女性、黒人、アジア人を同時にブックするようになったし、エレクトロニック・ミュージック・シーンにおける女性とLGBTQの進出拡大については、ここであらためる必要などあるまい。いまではむしろ男はどこ? といった感じだったりする。
 こうした社会の激変期たる今日において、では自分たちはどうしたものかと難しい立場に置かれているのが「男性」だ。木津毅にとっての初の単著、『ニュー・ダッド』におけるひとつのテーマもそこにある。これは議論のしがいのある話だとぼくも思う。男は、旧来の社会が強制してきた男性性から必ずしも自由になれないまま、変革を強いられている。弱音を吐くわけじゃないが、これはきつい。政府が時代に逆行してきたここ日本ではとくにそうだろう。誰もがキュートな中年になりたいと思えるのかどうかも、難しい話だ。だが、社会は動いているのだし、家父長制の残滓とどう取り組んでいくのかは、未来を思えば避けがたい課題でもある。『ニュー・ダッド』の主軸となっているのは、映画や音楽あるいはゲームや漫画など主に欧米のポップ・カルチャーを題材にした「cakes」での連載原稿で、ここには男性性——木津君の言葉で言えば「あたらしいおっさん」——をめぐっての考察が展開されているのであるが、本書は難解なタームをバシバシと続けるような批評でない。著者があれこれ感じたこと/考えたことをつらつらと書いているエッセー集といった趣の本だ。
 ぼくが木津君の文章で好きなところは、なんでもかんでもロジックで白黒決めつけないところだ。ダメなヤツにだっていいところはある。つらい人生にも夢はある。ロジックだけでは割り切れない感情だってある。それを甘いと考えるか、それとも優しや寛容さと取るかは読み手次第かもしれないが、たとえばブルース・スプリングスティーンについての文章には、いかにも木津毅らしいヒューマニズムが描かれていると言えるだろう。スプリングスティーンの“ザ・リバー”をロック史上に残る名曲だと断言する彼は、同曲を器用には生きられない悲哀に満ちた人間ドラマとして評価する。アメリカンドリームの影であり、白人低賃金労働者の物語としての社会的な重みにフォーカスするのではなく、ひとりの男の人生における夢の叶わなさという普遍的な話として彼は受け止め、そして次のように自分の考えを加える。「ひとは器用に生きられないし、簡単にあたらしくなることなんてできない。それはどこかで、「男性性」の更新の難しさと重なっているように思える」。そうした「男性性」の更新の難しさを描くスプリングスティーンが、ではなぜアメリカのフェミニストからも評価されているのかという展開がこのエッセーの読みどころになっている。
 ポリティカル・コレクトネスは、歴史的な多くの物事にあらためて白黒はっきりさせている。それで良かったことはもちろん多々ある。また、同時にジェンダー平等の意識もじょじょに広がっているのだろうけれど、他方では、「正しさ」をもってひとを必要以上に叩き、多様性を主張しつつも逸脱を否定し、監視やパブリックシェイミングを促しているリベラル的なるものの暴走も見受けられるようになった。もっとも炎上しがちなやっかいな話題でもあり、要するに繊細なテーマなのだ。『ニュー・ダッド』の特徴のひとつは、こうした時代のなかで変化する意識(の本質)を基本的には肯定的に受け入れながら、過度なキャンセル・カルチャーには戸惑いを露わにしつつ、思いのうちに人道主義的なアプローチをためらいもなく導入している点にある。人間愛という、ともすれば古くさいと思われているであろう考えをいまの「あたらしさ」にぶつけているところが、木津君らしいというか、本書における政治性と言えるのかもしれない。これに近い感覚は、彼のお気に入りの監督であるケン・ローチやアキ・カウリスマキの映画にも見受けられるだろう。
 『クッキングパパ』を論じるところには、男性性を更新させていくにはまずはシャドウ・ワークを男がどれだけできるかだと思っているぼくには大いに共感できる。シャドウ・ワークとは家父長制が女性に強制してきたものなのだから、まあ、ひとを雇えるほどの収入でもない限りは、ぼく自身もふくめてこれは克服しなければならない課題だろう。『20センチュリー・ウーマン』は、彼からレインコーツの話が出てくると教えられて見た映画だったが、これもとらえ方によっては、女性の話を聞くということができない男性社会への批判にもなっている。ちなみに著者の気持ちが、強く述べられているのはここだ。いわく「男がフェミニズムを学ぶということは、立場の違いから完全に理解しえない(だろう)問題を、それでも理解し続けることだ」
 
 本書のなかでほかにぼくが好きなのは、木津君の愛情がたっぷりと注がれたボン・イヴェールについての原稿だ。話は逸れるけれど、『ヴァイナルの時代』というレコードについての本を9月に刊行することになった。同書はじつに示唆に富んだ内容の本で、レコード・リスニングをめぐっての哲学や社会学にまで考察が及んでいるのだが、その本のなかで、ひとつの型にはまった(悪しき)男女関係として、「ヘテロな恋愛関係は男性が女性を教育することを中心に回っている、という70年代のウッディ・アレンばりのアイディア」という一節が出てくる。この手の恋愛関係のあり方もそうだが、だいたい男性というものは硬直した人間関係から抜け出せないでいる。また、ぼく自身もそうだが、自分の感情を露わにすることをどこかで抑制しているようなきらいがいまでもあるものなのだ。そういうなかで、社会との関連性や理想とするヴィジョンもないのに、無闇やたら理屈っぽい文章を書いてしまうのも男性特有のマッチョさと言えるのだろうね。そこへいくと木津君の文章は、マッチョな文章からは振り向きもされない言葉で埋め尽くされているというのは言い過ぎだが、そんな風合いがある。
 
 まあ、気楽に読んでくれよと、そうことなのだ。そもそもポップ・カルチャーを語る言葉は、昔グリール・マーカスが高校の放課後における友人たちとの会話を喩えにしたように、好きだからこそ語られる言葉にはじまっている。そして、やがてなぜ自分はそれがこんなにも好きなんだろうということを追求していったときに、より深い言葉へと向かっていくものだったりもする。木津毅は、このプロセスにおける「好き」の力がかなり強いライターだ。それに、これは昔DOMMUNEでもいったことの繰り返しになってしまうが、ポップ・カルチャー、ことに大衆音楽を語ることの愉楽には、自分の人生と重ね合わせながらそれを語ることができるという点にもある。いわゆる自分語りだ。『ニュー・ダッド』において木津君の自分語りはほぼ全編に渡っているのだが、本書のもうひとつの軸は5つの書き下ろし原稿によるじつにエモーショナルな彼の自叙伝的な話にある。ここでは男性の好みをはじめ、性の目覚め、自我の葛藤、カミングアウトと家族のこと、現在の恋人のことなど彼の半生が赤裸々に綴られている。ユーモアを忘れずに書いてはいるが、著者の人生に対する真摯な向き合い方と優しさがにじみ出ているこれらの文章には素直に感動させられてしまった。とくに彼が初めて家族にカミングアウトしたときの話は、きっと多くのひとが心を揺さぶられるに違いない。 

 髭面の太った中年男性(つまり、外見的には典型的なマッチョな男性ですな)が彼の好みだという話は、これまで本人の口から耳にたこができるくらい聞かされている。彼の「好き」にも付き合いきれないところはあるし、序文を読みながら「またその話かよ」と思ってしまったのは、彼を知る人間の感想としてはまあ普通だろう(笑)。また、ひとをyoungとoldで分ける発想はぼくにはない。若者は将来のおっさんであり、おっさんはかつての若者だ。というか、そもそもぼくは中高年を「おっさん」とは呼ばない。商店街の顔見知りには「親父さん」と声をかけている。それにぼくは、見るからに強そうな男ではなく、見るからに弱々しい男にこそ期待している……とか、そんな風に細部においては同調しかねる箇所もあるにはあるのだが、基本的に『ニュー・ダッド』は心温まる本だ。とかく殺伐としたこの時代に必要とされているものが本書には詰まっているように思う。木津君には、人生とは楽しめるものなのだという確信がどこかにあって、そのオプティミズムは本書にも通底している。最後に収録されたバーベキュー・パーティの文章がそれをうまく物語っている。これは良いエンディングだった。

interview with HASE-T - ele-king

 ダンスホールのベテラン・プロデューサーの新たな挑戦だ。もともとパンク少年だった HASE-T は1980代後半からレゲエ・ディージェイとして活動を開始、『Sentiment』(1997年)、『SOUND OF WISDOM』(1998年)、『OVER & OVER』(2001年)という3枚の作品を発表後、プロデューサーの活動に移行する。その後、数多くのダンスホールのコンピレーションのプロデュース等を手掛けてきた。すなわち、プロデュース活動20周年を記念する『TWENTY』はサード・アルバム以来のソロ・アルバムとなる。レゲエを基盤としつつ、そこだけに留まらない多彩なリズムとメロディ、サウンドを取り入れ、自らも歌詞を書き、歌い、音楽における言葉の力に向き合った作品でもある。

 「ボブ・マーリーの曲がぜんぶ歌詞もわかって日本語のように頭に入ってきたら人生が変わる」と HASE-T は語る。これまで幾度となくジャマイカに渡り、そこで音楽を作り、ジャマイカの酸いも甘いも知っている音楽家の説得力のある言葉だ。が、ジャマイカとの距離が表現されているのも本作の肝だ。

 HASE-T のキャリアを振り返ることは、日本のダンスホール・レゲエの歴史の一端に触れることでもあり、個人的には日本におけるヒップホップとレゲエの発展史におけるミッシング・リンクを発見する経験でもあった。それこそ先行曲は、HASE-T が80年代後半から付き合いのあるスチャダラパーの3人と、シンガーの PUSHIM との共作曲 “夕暮れサマー” である。心地良いリディムに乗って BOSE がくり出す “サマージャム’95” のセルフ・パロディには、HASE-T が抱く時代への違和感と通じる真っ当な時代認識がある。アルバムの話を皮切りに、自身のバイオグラフィーやジャマイカでの経験をはじめ、大いに語ってくれた。

ランキンさんを出待ちして、自己紹介をして「手伝わせてください!」って直談判した。それからスピーカーを運ばせてもらうようになって、そのあいだに歌も歌わせてもらうようにもなって。最初にランキンさんに会ったときはまだ10代でしたね。

レゲエが基盤にありつつ、いろんな音楽が自然に混じった作品に仕上がっていますよね。

HASE-T:プロデューサー活動の20周年でどんなアルバムを作ろうかまず考えたわけです。自分がプロデューサーで歌わない前提でダンスホールのコンピレーションを作っていたときは、ジャマイカの新しいトレンドを意識したり、そこにヒップホップを混ぜたらどうなるかを実験もしたりしていた。けれども、いざソロ・アルバムでみずからも歌うとなると、最先端のリズムトラックが自分の表現に合わない。まず、そこのバランスを取ろうと考えましたね。

例えば、CDのみに収録されるボーナストラックの11~15曲めは直球のダンスホールですよね。

HASE-T:そうですね。ボーナストラックは過去自分のレーベルでリリースしていた曲のリミックス中心に収録しています。普通にダンスホール・レゲエのレーベルだったのでおのずと直球のダンスホールになってます。
 あと、RYO the SKYWALKER に歌ってもらった “Black Swan” はいまのジャマイカの最先端のオケに近いものですね。そういうイケイケなのは今回は自分らしくないなと。けれどバランスとしていまっぽいオケも入れたかったので、それに合うと思ったアーティストに参加オファーをして、自分が歌うオケはもうちょっとスカっぽい曲とか90年代っぽいレゲエにしようとか、自由にチョイスにしました。90年代のレゲエがお題の場合は当時使っていたドラムマシーンの音を使ったりとその辺はこだわって作ってます。そういう意味でも、このアルバムが現在のダンスホール・レゲエを表現するアルバムだとは1ミリも考えていなくて、あくまでも自分が好きな音楽をやった作品ですね。

多彩なビートやリズムがあるのが本作のひとつの特徴ですよね。

HASE-T:これは種明かしになっちゃうけれど、後半の “Walk On By” と “Go Around (Album Version)” はアフロですね。

たしかに。アフロビーツ/アフロフュージョンですね。

HASE-T:めちゃくちゃ聴いていますね。レマ(Rema)にまずハマりました。バーナ・ボーイ(Burna Boy)も。

僕はウィズキッド(Wizkid)のアルバム『Made in Lagos』が好みでけっこう聴きました。

HASE-T:ウィズキッドも好きですね。いまのジャマイカの音楽、レゲエはアフロビーツを、アフロビーツはレゲエを吸収して進化しているなという感じでいいなと思って聴いています。

スティクリが出てきたときは本当に斬新でした。機材もいまみたいなDTMがあったわけじゃなくて〔……〕プリミティヴだけど、音はデジタルという組み合わせですよね。スタジオに楽器を持たずに、キーボードを持っていく姿が未来的でカッコ良かったんです。

HASE-T さんは80年代後半からレゲエ・ディージェイとして活動をはじめられてから、その後ジャマイカに何度もわたり、00年代以降はプロデューサーの活動に移行されていきますね。最初にどのようにしてレゲエの世界に足を踏み入れましたか?

HASE-T:やっぱりランキン(・タクシー)さんですよね。当時日本で「ダンスホール・レゲエをやりたい、聴きたい」ってなったら、ランキンさんの TAXI Hi-Fi(ランキン・タクシーのサウンドシステム)のところに行くしかなかった。やっている人が他にいなかったんですよ。それぐらい少数派だったから。80年代後半の当時、ランキンさんは自分で作った小さいスピーカーをハイエースに乗っけて、いろんなクラブを回ってレゲエをかけていたんです。俺も歌いたかったから、ランキンさんを出待ちして、自己紹介をして「手伝わせてください!」って直談判した。それからスピーカーを運ばせてもらうようになって、そのあいだに歌も歌わせてもらうようにもなって。最初にランキンさんに会ったときはまだ10代でしたね。

そんな若かったんですね。HASE-T さんは元々パンク好きの少年だったと聞きました。

HASE-T:そうですね。イギリスの初期パンクから入って、ずっとイギリスのロックを聴いていましたよ。ザ・スミスまでは聴きましたけど、その後イギリスのロックには興味を失ってしまって。パンクを聴いていると自然とレゲエに行くじゃないですか。ザ・クラッシュのアルバム『サンディニスタ!』(1980年)で歌っているマイキー・ドレッドを聴いたりして。それからジャマイカの音楽を聴こうとしたけれど、ジャマイカの情報を当時日本で手に入れるのは本当に難しかったですね。「イエローマンって誰だろう?」とかそういうレベルですから。でも、とにかく聴き漁っていく。

同時期にヒップホップも入ってきていましたよね?

HASE-T:当時公開された『ワイルド・スタイル』(日本公開は1983年)も観ましたけど、自分はコンピュータライズドされていくレゲエの方に「なんだこれ!?」っていうメチャクチャ感を強く感じてそっちにドーンと行ってしまうわけです。パンク上がりだったのもあって、シュガーヒル・ギャングとかのディスコのノリが自分のなかで熱くなくて。

いわゆる「ブラコン」の延長に聴こえてしまった、と。

HASE-T:そういうことです。「ベストヒットUSA」とかをぜんぜん楽しめなかったタイプだったので、ヒップホップに関してはビースティ・ボーイズの『ライセンス・トゥ・イル』(1986年)や〈デフ・ジャム〉からハマっていった感じですね。で、二十歳のころに行ったニューヨークとジャマイカがカルチャー・ショック過ぎて。音楽をやりに行っているのに自分のちっぽけさを見つめ直してしまう経験でした。

コンピュータライズドされていくレゲエの虜になったということですが、HASE-T さんも多大な影響を受けたスティーリー&クリーヴィの魅力とは何でしょうか?

HASE-T:自分のなかでスティクリはダンスホール・レゲエを作った人たちという認識です(*)。当時、ジャマイカにもアメリカの音楽の情報は入ってきていただろうけど、とうぜんいまほど情報はなかったわけです。そういう情報がない状況でジャマイカの人らのアメリカへの憧れと感覚で作っていたのがあのオケだと思っています。スティクリが出てきたときは本当に斬新でした。機材もいまみたいなDTMがあったわけじゃなくて、テープを回して電子楽器をシーケンスなしで弾いてドラムとベースを作っていく。手法はプリミティヴだけど、音はデジタルという組み合わせですよね。スタジオに楽器を持たずに、キーボードを持っていく姿が未来的でカッコ良かったんです。

その後、ジャマイカのスタジオで音楽作品を作っていくぐらい現地の音楽の世界に入り込んでいくわけですよね。

HASE-T:最初はダンスホールのリディムを打ち込みでどうやって作るのかを知りたかったんです。ドラムマシーンを買って見よう見まねでやっていたけれど、どうしてもわからなくて。当時日本でダンスホールのリディムを作っていたのは、V.I.P. Crew の人たちをはじめ数人しかいなかったと思いますね。それで作り方を知りたくて90年代のはじめにジャマイカに行きました。ジャマイカのスタジオは「すみません、見せてください」って行くとけっこう入れてくれるんですよ。ジャミーズやペントハウスといった当時のジャマイカのスタジオを巡りましたね。当時のスタジオはほとんど全部行ったんじゃないかな。

本格的にプロデューサーとして活動しはじめるのが00年以降ということは、それだけノウハウや作り方を会得するまで時間がかかったということですか?

HASE-T:そうですね。わからないことだらけだったので時間がかかりました。けど、ジャマイカでエンジニアがミックスをする姿をみてなぞが解けたというか、目から鱗でした。エンジニアが卓の前に座ってミックスする姿がまるで楽器を弾いているみたいで驚きました。各チャンネルにそれぞれ楽器の音が入っていて、ベース、キック、スネア、ピアノ、シンセとかその複数のチャンネルを曲に合わせてミュートして、その場で曲を作っていく。エンジニアが曲を作っていることをそこで初めて知って。最初に観たミックスはスキャッタ(SKATTA)でした。そのときはまだ駆け出しエンジニア、トラックメーカーな感じでしたけど、その後彼はニーナ・スカイの大ヒット曲 “Move Ya Body” でも使われた “Coolie Dance” のリディムで世界的ヒットを出した人になりましたね。彼が卓を触る姿は神がかって見えて、またカッコ良くやるんですよ(笑)。卓のミュート・ボタンを押すときの決めポーズみたいのもあって。そうやってヴァイブスで曲を作っているのを見て、「これはすげえ」って思いました。

まさにダブですね。

HASE-T:そう。ルーツ・レゲエ、ダブからダンスホールまで、脈々と受け継がれて繋がってるんだなと。そういう伝統芸みたいな作り方をスタジオで目の当たりにして一気になぞが解けました。

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弱者に優しくないと感じます。それはすごい思う。強い人は何やっても強くて、弱い人は何やっても弱くて、誰も助けてくれない。そういうことを空気で感じていたら若い子らもどうでもいいやって、自分の未来が輝くように思えないんじゃないかな

2011年に 24x7 レコードにアップされたインタヴューを読みまして。そこで、スティーヴン・マクレガー(Stephen "Di Genius" McGregor)を面白いプロデューサーとして挙げています。彼はドレイクやジョン・レジェンドらにも曲を書いていますし、レゲエ、ヒップホップ、R&Bを横断していきますね。HASE-T さんも00年代に入ってから、さまざまなダンスホールのコンピレーションを手掛け、ヒップホップのラッパー、レゲエのディージェイ、シンガーの方々と制作していきます。

HASE-T:ジャマイカのダンスホール・レゲエはその音を世界で華咲かせるにはヒップホップを混ぜていくというのがあった。そうやって混ぜながらやっていて、ダンスホールだけでも行けるんじゃないっていう扉を00年代初頭に開いたのがショーン・ポールだった。彼がメジャーに行ってドカンとヒットして、そこからスティーヴンの世代につながっていく。ダンスホールの世界史ということで言えば、そのふたりの登場は大きかったですね。00年代初頭にジャマイカに行ってMTVを観ていると、レゲエのアーティストがたくさん出るようになって、ダンスホールがブレイクしたなと認識しましたね。

HASE-T さんがプロデューサーとして関わって記憶に残っているディージェイやシンガー、ラッパーにはどんな人がいますか?

HASE-T:本当にたくさんの人とやってきましたからね(笑)。ラッパーでは、KREVA がすごかったです。『TREASURE HOUSE RECORDS STREET RYDERS VOL.1』というコンピに収録された “醤油ベビ” でやっていますね。歌い直しなしの一発録りでしたね。そこまで気持ち良くスパッと終わる人はいなかったです。あと、ラッパ我リヤとは、『DANCEHALL PREMIER』というコンピの “MAJIKADEABINA” という曲でやりましたし、そのシリーズの『DANCEHALL PREMIER 2』の “湾岸BAD BOYS” には BOSE と ANI が参加していますね。
 さらに遡れば、自分のソロ・アルバム『Sentiment』(1997年)に収録された “この街でPart.2” は、MAKI(THE MAGIC)くんにトラックを作ってもらって、MR.DRUNK 名義で MUMMY-D にラップしてもらって、ミックスが(ILLICIT)TSUBOI くんで、ネタをスクラッチしたのが WATARAI くんでした。MUMMY-D は、“音の種族”(『SOUND OF WISDOM』収録)とソロ曲をリミックスしてくれましたね。

このあたりは日本のヒップホップとレゲエの関係について考えるときに重要な歴史ですね。

HASE-T:ジャンルの架け橋とかはあんまり当時考えてなくて、普段のクラブ活動の中にみんながいたというか、自然な流れというかそんな感じです。振り返ると重要な歴史とか言われるかもですが、自然な流れの結果ですかね。
記憶に残っているラッパーと言えば、今回のスチャダラパーもほぼ一発録りで終わりましたね。1時間で歌録り終わっています。

今回スチャダラパーと PUSHIM さんとの “夕暮れサマー” の共作はどのように実現したんですか? PUSHIM さんとの出会いについてもご自身の note に書かれていました。また、ドラム・パターンとサックスのアレンジのアイディアは SHINCO さんが出したそうですね。

HASE-T:スチャダラパーと PUSHIM がやったら合うんじゃないかなという感覚的なアイディアがはじまりです。PUSHIM と出会ったのが00年ぐらい。その頃の大阪では、PUSHIM、NG HEAD、RYO the SKYWALKER、JUMBO MAATCH、TAKAFIN、BOXER KID ら大阪のシーンを作る人たちが地下で集まってふつふつしていた時代。スチャダラパーとは80年代後半に芝浦のインクスティックであった「DJアンダーグラウンドコンテスト」で会っているからかなり古いです。そのコンテストは自分も出演してました。

“夕暮れサマー”で BOSE さんは、“サマージャム’95” のリリックをセルフ・パロディしている箇所もありますね。

HASE-T:そういうサーヴィスまでしてくれたからありがたいですよ。ANI さんの「棒アイス/ガリガリ齧り」もなかなか出てこないだろうし、やっぱりすごい人たちだなって思いました。SHINCO は繊細かつ大胆なセンスもあって、今回の楽曲の BOSE、ANI ラップ部分後半8小節は、彼のアイディアのサンプリング・ネタが大元にあって、それを自分が最終的にアレンジ、弾き直しているんですよ。

HASE-T「夕暮れサマーfeat. スチャダラパー&PUSHIM」

HASE-T:それと、今回は言葉重視のアルバムにするのを意識したんです。前半は直球の言葉で、後半にすこし何を言っているかわからないけれど、トータル的に感じてもらえるようにストーリー性も意識しました。例えば、“いいわけないよ” はすごく直球です。

「いいわけなんてないよ/世界が悲鳴をあげて痛いよ」からはじまり、「今まであった森が今無いよ/代わりににょきにょき伸びたビルばかりだよ」と続きますね。自然破壊と気候変動について言及されています。

HASE-T:歌詞を書いていて「いいわけなんてないよ/世界が悲鳴をあげて痛いよ」って言葉が出てきて、そこから頭の中にあることがぽろぽろ出てきたと言うか、初めからお題で「気候変動」について書こうとか決めて書いたわけじゃないです。あと、言葉重視と言うのは、かつてランキンさんと家が近かった時期にいっしょにタクシーで帰ったことがあるんです。そのときランキンさんが「音楽は言葉の力なんだよね」ってボソッと言って、そのことについて話したことをいまもよくおぼえています。その言葉に影響された感じです。自分はむかしからRCサクセションが好きで聴いていていま改めて聞くと言葉が生きてるなと。直球で歌詞を書けるようになったのは年齢も関係してるかなとも思いますが。

ボブ・マーリーの曲がぜんぶ歌詞もわかって日本語のように頭に入ってきたら人生が変わるような音楽だと思う。そういう消費物じゃない音楽がもっとあってもいいし、作ってもいいんじゃないかなって

歌詞には全体を通していまの時代に対する違和感が出ていると思うのですが、いまの時代の何にいちばん違和感を抱きますか?

HASE-T:弱者に優しくないと感じます。それはすごい思う。強い人は何やっても強くて、弱い人は何やっても弱くて、誰も助けてくれない。そういうことを空気で感じていたら若い子らもどうでもいいやって、自分の未来が輝くように思えないんじゃないかなって思います。このままじゃいかんよねと。自分は政治活動をするわけではないので、作品のなかで何かを伝えたいと考えて。音楽は半分は言葉ですし、それこそボブ・マーリーの曲がぜんぶ歌詞もわかって日本語のように頭に入ってきたら人生が変わるような音楽だと思う。そういう消費物じゃない音楽がもっとあってもいいし、作ってもいいんじゃないかなって。

含みのある歌詞ということで言えば、“深海魚” が面白かったです。

HASE-T:“深海魚” は正直レゲエ・マナーでもないし、ヒップホップでもないし、言葉数の少ない歌ですね。自分の中ではバラード感覚。

HASE-T さんがレゲエやダンスホールなどこれまで吸収してきた音楽を用いて自分の音楽作品に落とし込んでいく段階に入ったということですよね。

HASE-T:そういうことですね。音楽のジャンルごとに表現のルールみたいなものがあると思うんだけど、それを守りつつ、けど壊して自分のフィルターを通して自由につくる感じですかね。あと、作品を出してからライヴをやるつもりでもいます。やりたいことがあって、それをやるには練習のための準備期間が必要なんです。ただ単純にバンドでアルバムを再現するということではなく、それこそスティクリみたいなコンピューター・バンドというかメジャー・レイザーのようなサウンドシステムのラバダブセットを消化したエレクトロニック・ミュージックというか、そういうイメージです。どこまでやれるかわからないですが……

そこまで見えているんですね(笑)。メンバーは?

HASE-T:それをこれから探そうとしているんですよ。例えば、アスワドの曲のインストをやったり、ダンスホールのインストをやったりしつつ、ゲストが歌って、俺もたまに歌う。MPCを使ってフィンガードラムでレゲエができる人がいたらいいですね。

それは面白そうですね。

HASE-T:ジャマイカに行くと、スタジオやディージェイや踊っている人、何を観ても「すげえ!」ってなるんです。最初はやっぱりジャマイカ最高ってなりますし、それぐらい魅力のある島なんです。すべてをわかったつもりじゃないけど、「ジャマイカ最高」からジャマイカの嫌なところを体験したりして、好き、嫌い、けどここは好き、ここだけは嫌いとか、好き嫌いの周期は3、4周はしたと思います。またあるとき、サウンドシステムを観に行って、朝方若い子らが輪になってワッショイワッショイ踊っているのを観たとき、「若いなあ」って引いて観ている自分に気づいて、それは「ジャマイカ最高」からのひとつの区切りになるきっかけになりましたね。自分も元々はハードコアなレゲエ野郎ではありますけど、いまはちゃんと自分のフィルターを通して音楽をやりたいんです。その延長で長らくやっていなかったセレクター(DJ)も自分のフィルターを通した選曲で復活したいと考えていますね。

*編註:じっさいは、ディジタル・ダンスホールの画期はウェイン・スミスの85年の楽曲 “Under Mi Sleng Teng”(通称 “Sleng Teng”)とされる。カシオのキーボードのプリセット音を用いたそのリディムを手がけたのは、プリンス・ジャミー。鈴木孝弥『REGGAE definitive』135頁参照。

Panda Bear & Sonic Boom - ele-king

 アニマル・コレクティヴのパンダ・ベアと、ソニック・ブームによるコラボレイション・アルバム『Reset』がリリースされる。両者はこれまでもパンダ・ベアの『Tomboy』以降、とくに『Panda Bear Meets The Grim Reaper』で親密な関係を築いてはいたが、連名でアルバムを発表するのは今回が初めて。デジタル版は8月12日、フィジカル盤は11月18日に発売。現在、収録曲 “Go On” のMVが公開中です。

Panda Bear & Sonic Boom

コラボレーション・アルバム『Reset』のリリースを発表!
先行シングル「Go On」がミュージックビデオと共に解禁!
8月12日にデジタル/ストリーミング配信
11月18日にはCDとLPが発売!

長年の友人であるアニマル・コレクティヴのパンダ・ベアことノア・レノックス、とソニック・ブームことピーター・ケンバーが、コラボレーション・アルバム『Reset』を〈Domino〉からリリースすることを発表した。8月12日にデジタル/ストリーミング配信でリリースされ、11月18日にCDとLPが発売される。

ソニック・ブームは高い評価を集めたパンダ・ベアのソロ・アルバム『Tomboy』(2011年)と『Panda Bear Meets the Grim Reaper』(2015年)に参加するなど、2人は互いの音楽を知らないわけではないが、『Reset』は初の共同リリース作品となる。ソニック・ブームが所有する50年代、60年代のアメリカン・ドゥーワップやロックンロールのコレクションからインスピレーションを受けたという楽曲群は、パンダ・ベアとソニック・ブームそれぞれの輝かしいキャリアを通してリリースされてきたどの曲よりもキャッチーで明るく、共同作業やコラボレーションの素晴らしさを証明するものとなっている。今回解禁された「Go On」は、ザ・トロッグスが1967年に発表した楽曲「Give It to Me」をサンプリングしており、ミュージックビデオと共に解禁された。

Panda Bear & Sonic Boom - Go On (Official Video)
https://youtu.be/_9_zoL7Jkr4

今から6年前、ソニック・ブームは故郷のイギリスを離れ、パンダ・ベアが住むポルトガルに移住している。パンダ・ベアがソロ作品『Person Pitch』のライナーノーツでソニック・ブームの元バンド、スペースメン3に対して感謝の言葉を述べたことをきっかけに、ソニック・ブームからも感謝の気持ちを込めて彼にメッセージを送るようになった。2011年の『Tomboy』以来、パンダ・ベアのリリース作品のミキシングと共同プロデュースを担当し、特に2015年の『Panda Bear Meets the Grim Reaper』ではより密な共同作業を行うなど、2人は継続的なパートナーシップを築いている。

『Reset』を制作する上で描いたソニック・ブームのヴィジョンはシンプルだった。ポルトガルまでレコードを運んだ後、新鮮な空間でターンテーブルにレコードを乗せ、何年も聴いていなかった古い名曲の魅力を再確認した。例えば、偉大なロックンローラー、エディ・コクランや、アメリカの素晴らしいハーモニーを奏でるエヴァリー・ブラザーズ。また他の発見もあったという。それらのスタンダード曲のイントロそのものが、それに続く楽曲のメインパートとはまた別のものとして、まるで舞台のステージカーテンのように魅力的だということに気づいた。ソニック・ブームはそれらをループさせ、金属を捻じ曲げるように変形させて楽曲のベースを作っていった。パンダ・ベアはその上で何を演奏し、何を歌うかを即座に理解し、それを完成した楽曲に仕上げた。

国際的なロックダウンが始まって間もなく『Reset』の核が形作られてきた。だから、これらの曲で一緒に仕事をする機会そのものが、ある種のメディケーションでもあり、憂鬱な現実を生き抜き、そこから未来へと向かう出発点となった。『Reset』は、暗い時代の中で、蛍光灯のような光を放つ40分の作品である。決して少なくない現実の苦難を見つめ直し、その反対側への道を提示すること。パンダ・ベアとソニック・ブームにとって『Reset』を作ることが一時的な薬になったとすれば、それを聴くリスナーにとっては永久的な存在になるだろう。友人と一緒に古いお気に入りの曲を演奏し歌うだけで、世界が少しだけ明るくなることをこの作品は教えてくれる。

label: Domino
artist: Panda Bear & Sonic Boom
title: Reset
release: 2022.11.18 FRI ON SALE

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12912

TRACKLISTING
01. Gettin’ to the Point
02. Go On
03. Everyday
04. Edge of the Edge
05. In My Body
06. Whirlpool
07. Danger
08. Livin’ in the After
09. Everything’s Been Leading To This


CD


通常盤LP(ブラック)


限定盤LP(イエロー)

ダブ・パトロール - ele-king

 昨年末の紙のele-kingの年間ベストにおける「ダブ」の続きという感じであります。うだるような夏にぴったりのヌケ成分多めの2022年上半期にリリースされたダブ系のリリースから10枚お送りいたしましょう(1枚昨年リリースでした)。なんだか振り返ってみると国産ダブものが異常に豊作だったイメージで、国産レーベルはもちろん、海外からのリリース(〈ZamZam〉傘下からUndefined)さらには海外勢とのコラボにはダッピー・ガンとエレメント、ちょいと別項で紹介する予定のミスティカ・トライブとまさかのダッチ・エレクトロのベテラン、レゴヴェルトとのコラボ=Noda & Wolfersなんてのも出ておりますがそちらは別途単体のレヴューにて近日。


Om Unit - Acid Dub Versions Self-released

 まずはベース・ミュージック方面から、ブリストルのドラムンベース~ダブステップのベテランのリミックス・シングル。サウンドそのままな身も蓋もないタイトルで、ザ最高な2021年のアルバム『Acid Dub Studies』を素材としてリミックス・シングル。本作との間に共作シングル「Root, Stalk, Leaf and Bloom」(こちらも最高です)をリリースしているデッドビート、ブリストルのニュールーツ・ユニット、ダブカズム、〈ボケ・ヴァージョンズ〉などからのリリースで知られる、シーカース・インターナショナル、そしてミニマル・ダブのベテラン、エコースケープの片割れ、ステファン・ヒッチェルがCV313とヴァリアント名義で解体。ローファイ・ダブなシーカース・インターナショナル、ステッパーなダブカズム、アップデートされたミニマル・ダブ~ダブ・アンビエントのデッドビートとエコスケープ方面と、ある意味でさまざまな方向に拡散している、現在のエレクトロニック・ミュージックのダブの解釈が楽しめる1枚。


Undefined - Defined Riddim Khaliphonic


ZamZam Sounds · UNDEFINED "Defined Riddim" LP + 7" Khaliphonic 15 vinyl blend

 こだま和文との10インチに度肝を抜かれた国内のダブ・デュオが、かねてからアナウンスされていた〈ZamZam〉系列の〈Khaliphonic〉(前者7インチ専科、こちらは10インチやLPなどそれ以外)からLPがリリース。ポール・セント・ヒラーレ、ヤング・エコーライダー・シャフィーク(参加楽曲は〈ZamZam〉から先行7インチでリリース)、さらにLPに付属するボーナス7インチには、日本人ルーツ・レゲエ・シンガー、故ラス・ダッシャーが参加。エレトロニックと生ドラムの編成で、ミニマル・ダブやアンビエントなどの手法を取り入れつつも、やはりルーツ・ダブのうまみを極限の引き算でむき出しにするソリッドなダブ・アルバム。彼らのなかでもオーセンティックなサウンドのボーナス7インチも、アルバムとの対比でおもしろい。


Duppy Gun × Element - Andromeda EP Bokeh Versions / Riddim Chango

 UK〈ボケ・ヴァージョンズ〉と日本の〈リディム・チャンゴ〉による共同リリース。〈リディム・チャンゴ〉を1TA(Bim One Prduction)と運営するタカクラヒロシことエレメントのプロダクションによる3リディムとダッピー・ガンのMC陣。タカクラが件のレーベルからリリースした「Freedom EP」(フィーチャリングされていたダブ・ポエッター、Nazambaは先日残念なことに急逝)は、ニュールーツ色強めでしたが、こちらはダンスホール方面というかダビーなグライムというか。最近「その手の音」といった感じで定式化してしまった感のあるテクノ方面などのダンスホールですが、こちらはそのグライム感の強さなど、くっきりとオリジナル。リディム解釈の角度の違いを聴かせている。


KEN KEN, ICHIHASHI DUBWISE, asuka ando - AMAI HIT KOUCHIE E.P. ARRROUND Wicked Sound Maker

https://arrround.thebase.in/items/55899471

 最近新たな勢いを見せている国内のラヴァーズ・ロック・レゲエ。ある意味で2010年代後半でその動きの突端を作ったとも言えるaska ando。彼女の『あまいひとくち』より、表題曲のニュー・ヴァージョニングでリカットとなる10インチがNoolio主宰の〈ARRROUND WICKED SOUND MAKER〉より。ヴィン・ゴーデン+リー・ペリーのトロンボーン・ダブ “5 Cardiff Crescent”(『Musical Bones』)を下地にした楽曲だったんですが、さらに先日坂本慎太郎物語のように』にも参加のトロンボニスト、KEN KEN(KEN2D SPECIAL / URBAN VOLCANO SOUNDS)がほっこりホーン・カヴァー、またKEN2D SPECIALのICHIHASHI DUBWISEがズブズブにダブワイズ、幾重にも重なるレゲエ・ヴァージョニングの妙味が味わえる1枚。スピーカーからは温泉気分の熱風が。そしてオマケのミックスCDがまた……ツッテッツテッテ。


Chakra & Ichiro feat. Tamaking Kozy / Chakra & Ichiro Dub Mix Hav - Rasta Woman / Rasta Woman (Chakura Dub) SF Recordings

https://drumandbass-rec.com/products/226434chakra-and-ichiro-feat-tamaking-kozy-ch

日本のダブということでいえばコチラは事件。2000年代の大阪ダブ・シーンを象徴するソウル・ファイヤーの〈SF Recordings〉がおそらく15年ぶりぐらいに突如シングルをドロップ。目を疑いました。詳細は不明ながらダブ・ミックスに〈SF〉のドン、HAVを迎えた体制のキラー・ルーツ。色っぽいダブル・ミーニングで、ある意味でスラックネスな歌詞ですがキラーなサウンドはレーベルの往年と変わらず。そしてB面は同オケにて、まさかのヴォーカロイド、初音ミクの音声をフィーチャーしたこれまたキラーなダブ。


MaL - Primal Dub HOODISH

 冷房効果もありそうなチルアウトなダブを。PART2STYLEとして欧州のベース・ミュージック・シーンにも食い込み、そして最近ではMACKA-CHIN、J.A.K.A.M.(JUZU a.k.a. MOOCHY)とのZEN RYDAZとしてのリリースも活発なMalのソロ。2021年に全治9か月の足の大怪我で、2か月半もの間、入院。そんな入院のさなかにラップトップで制作が進められたというアルバム。これが生活に溶け込むような滑らかにチルアウトなエレクトロニック・ダブ・サウンド。レーベルは彼が拠点にしている高田場馬にある九州料理店「九州珠(KUSUDAMA)」のレーベル〈HOODISH〉より。「Night on the Sidewalk」あたりは、なんというか高田場馬からDJパイソンへの回答というか。詳しくは大石始氏のnoteにて(https://note.com/oishihajime/n/n93d6ab00e9f2)。


Tapes meets Nikolaienko - Sunda School II Porridge Bullet

 エストニアのレーベルより、ここ数年のローファイなエレクトロニック・ダブの旗手とも言えるテープス、そしてヤン・イェリネックのレーベル〈Faitiche〉などからのリリースで知られるウクライナのドミトリー・ニコライエンコのコラボ・シングル。モコモコしたループ・サウンドがまどろみながらエコーに消えていく、チャーミングでローファイなダブ・アンビエント。どこかザ・ケアテイカー的なノスタルジーも。


Nocturnal Emissions - In Dub Holuzam

 インダストリアルのベテランがダブ・アルバムをリリースというか、2010年代よりスタートしていたというダブ・シリーズCDRをコンパイルしたもののよう(オリジナルは自身のBandcampで入手可能)。リリースはリスボンのレコードショップ〈Flur〉のスタッフ、マーシオ・マトスが運営する〈Holuzam〉(姉妹レーベルにDJニガ・フォックスなどをリリースする〈Príncipe〉がある)。初期ダンスホールをスローダウンしたというか、どこかメビウス&プランクの『Rastakraut Pasta』を電化ダブ化したような、決してグルーヴィーとは言えないチャカポコとしたドラムマシンのチープな響き、そしてカットアップされる電子音やらノイズやらギターやらが飛び交うサイケデリックなダブ・アルバム。マスタリングはニュールーツのマスター・エンジニア、〈コンシャス・サウンド〉のダギーが担当とのこと。


FROID DUB An iceberg crusing the Jamaican coastline DELODIO

 オブスキュアなエレクトロやインダストリアルをリリースしているフランスはパリのレーベルより、主宰ふたりによるロックダウン下に作られたダブ・アルバム。大阪は〈naminohana records〉のウェブショップで知り速攻で購入。実は2021年の作品ですがLPがやっと再発されたようです(A4インフォ・シートっぽい+レコード盤面風の印刷のジャケットが最高ですね)。内容は、これまた上記で紹介したノクターナル・エミッションズの作品にも通じるチープな脱力系エレクトロニック・ダブ・サウンドということでチャカポコとしたドラムの上を、電子音やらスクリューなヴォーカルやらがエコーでいったりきたり、DAF『Allest Ist Gut』をあたりを適当かつ無理矢理レゲエ・カヴァーしたらこんな音になるのではないでしょうか、とかいろいろ妄想が広がります。さらにダブ色を強めた『DUBS & BEATS FROM 'AN ICEBERG CRUISING THE JAMAICAN COASTLINE'』もあり。リー・ペリー “Dub Revolution” (アルバムではなく楽曲の方)を始祖としそうな、オールドスクールなドラムマシンっぽいサウンドのローファイなエレクトロ・ダブを、最近勝手にドンカマ・ダブと呼んでいるんですが、まさにそっち系の音。最近流行っているような気がするんですよね。冒頭で書いたNoda & Wolfersもまさにという音で。


Best Available Technology - Fixing Until Broke Accidental Meetings

 イギリス・ブライトンのレーベル〈Accidental Meetings〉より、テープでリリースされたオレゴンのアーティストのダブ・ダウンテンポ。これまたローファイ系なダウンテンポですが、本当に1人の怠惰な時間のために脳を揺らす音楽というか、ニューエイジだとリラックスできない自分としては、トリップホップ時代のフィーリングありなブレイクビーツとかもあったりで、これは世代的には抗えないんですよね。

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