「ZE」と一致するもの

ECD - ele-king

 これは朗報だ。転機を迎え、猛烈に時代とリンクしたECDの名作、イラク戦争のあった2003年にリリースされた『失点 in the park』が、ついにアナログ化される。ミックスは盟友 illicit tsuboi。ごりごりのサウンドに仕上げられているとのこと。メッセージがこめられたアートワークを眺めながら、じっくり聴きこみたい。

ECDが2003年に自主制作で発表した2000年代を代表する不朽の名作『失点 in the park』がリリースから約19年の時を経て奇跡のアナログ化! 盟友illicit tsuboi監修のもと2枚組/33回転でのプレスとなりオリジナルCDを再現した紙ジャケ仕様かつ拘りの見開きジャケット/シリアルナンバー付き/初回完全限定生産でのリリース!

◆ メジャーレーベルとの契約を終了して完全インディペンデントとなり、ECD自身で全てを制作したアルバム『失点 in the park』。それまでに身に着けたスキル、ギミックなどを一切排し、生身のECDが淡々と感情を吐露する衝撃的内容は発売当初、困惑と戸惑いをリスナーに巻き起こしたものの、従来の狭いカテゴリーから脱却して新たなる音楽荒野を目指す、その姿勢がやがて大きな共感を呼び、口コミによってHIP-HOPリスナー以外にもその存在が知られるところとなり、現在ではJ-POPの名盤としても語り継がれている名作中の名作。2003年のオリジナル・リリースから約19年の時を経て奇跡のアナログ化が実現。
◆ 盟友illicit tsuboi監修のもと全8曲をあえて2枚組/33回転で製作することで作品のイメージをさらに増幅させるゴリゴリなサウンドに仕上げられている。
◆ 2003年に杉並区の公園の公衆トイレで起きた落書き事件の写真を用い、リリース当時大きな話題となったジャケットはオリジナルのCD/紙ジャケ仕様で再現し、かつ拘りの見開きジャケット/シリアルナンバー付き/初回完全限定生産でのリリースとなります。

ECD 2003年の傑作アルバムがいよいよLPにて復刻!
メジャー契約も切れ彼1人で出来ることといえば、PORTA ONEの4トラックカセットMTRで録音することだけ。
サンプラーキーボードRoland W-30を叩いてラップするスタイルは、正にアコギ弾き語りスタイルのHiphop版そのものであり、彼史上最もシンプルかつ鋭い内容に自他共に「これを超えることは不可能」と言わしめたアルバムでもある。
個人的にもエポックメイクだと思っており、しかるべきフォーマットで出さないと意味がないと思い収録時間度外視で2LPフォーマットでリリースさせて頂くことになりました。これはECD本人の夢でもあり、こうして2022年に叶ったことは大変意義があるなと。
これでまたECDに足りなかったピースが埋まった。
感謝。
──The Anticipation Illicit Tsuboi

[商品情報]
アーティスト: ECD
タイトル: 失点 in the park
レーベル: Final Junky / P-VINE, Inc.
発売日: 2022年4月20日(水)
仕様: 2枚組LP(見開きジャケット仕様/シリアルナンバー付き/完全限定生産)
品番: FJPLP-001/2
定価: 5,940円(税抜5,400円)
Stream/Download/Purchase:
https://p-vine.lnk.to/wn4VUH3v

[TRACKLIST]
A1 FREEZE DRY
A2 EVILE EYE
B1 迷子のセールスマン
B2 1999
C1 Island
C2 DJは期待を裏切らない
D1 貧者の行進 (大脱走Pt.2)
D2 Night WALKER

DJ Stingray 313 - ele-king

 これは嬉しいニュース。昨年の「Molecular Level Solutions」リリース時に予告されていたとおり、DJスティングレイのファースト・アルバム『F.T.N.W.O.』が、彼自身の主宰する〈Micron Audio〉から4月11日にリイシューされる。アートワークも刷新された模様。
 もともと同作は2012年にベルギーの〈WéMè〉からリリースされていた作品で、長らく入手困難な状態がつづいていた。これを機に、ドレクシアの魂を継承する第一級のエレクトロを堪能したい。

 なお今回のリイシューに先駆け、〈Micron Audio〉からはコペンハーゲンのプロデューサー Ctrls によるEP「Your Data」もリリースされる。2月28日。そちらもぜひチェックをば。
 

Broadcast - ele-king

 90年代半ばから10年代初頭にかけて活躍したバーミンガムのバンド、ブロードキャスト。1995年にヴォーカリストのトリッシュ・キーナン(2011年1月14日急逝)とベーシストのジェイムズ・カーギルによって結成された同バンドは、翌96年に〈Wurlitzer Jukebox〉からデビュー、ステレオラブの〈Duophonic〉からもシングルを送り出している。
 その後〈Warp〉に移籍した彼らは、97年に初期シングル集『Work and Non Work』をリリース。以降、3枚のオリジナル・アルバムと1枚のコラボ・アルバム、1枚のサウンドトラックともう1枚の編集盤を残している。そのポップかつサイケデリックな音楽は、ボーズ・オブ・カナダとともに憑在論の文脈においても語られてきた。
 そんな彼らの主要作は2015年に一度リイシューされているのだが、このたびさらなるリイシューとレア音源のリリースがアナウンスされた。
 タイトルは三つ。ひとつは、03年と05年に発表されたシングル尺のCDを合体した『Microtronics』。もうひとつは、09年にツアー会場のみで販売された『Mother Is The Milky Way』。最後は、96年10月から03年8月にかけて録音されたBBCラジオのセッション音源集『BBC Maida Vale Sessions』。いずれもリマスタリングが施される。発売は3月18日。フォーマットはそれぞれCD/ヴァイナル/デジタルの3形態が用意されている。
 現在『BBC Maida Vale Sessions』より “Sixty Forty” が公開中。かつて〈Warp〉20周年のコンピにて初公開された、ニコのカヴァー曲だ。シューゲイズなギター・アレンジと「べつの機会はあるの?」という歌詞が、せつなすぎる……。予約・試聴はこちらから。

ジャズとアンビエントの境界で - ele-king

 最近のジャズ界の潮流を見て思うのは、アンビエントやチルアウト、もしくはニューエイジやヒーリング・ミュージック、メディテーション・ミュージック、音楽療法(セラピー)といった概念を取り入れたり、そうしたテイストや要素を感じさせるアーティストが増えていることだ。イスラエル出身のリジョイサーことユヴァル・ハヴキンはじめ、アメリカのジョン・キャロル・カービー、イギリスのキンカジューなどがそれにあたり、イギリスではアルファ・ミストイシュマエル・アンサンブルなどがそうした方向性の作品を作ることがある。楽曲単位で見ればほかにもいろいろなアーティストからアンビエントなどの要素を読み取ることができるし、昨年リリースされたファラオ・サンダースとフローティング・ポインツのコラボもこうした一例に上げられるだろう。

 しかしながらこうした試みを以前にもおこなっていたアーティストはいて、シネマティック・オーケストラはその最たる例であるし、その名もズバリのアンビエント・ジャズ・アンサンブルというグループもあった。カルロス・ニーニョは現在まで一貫してアンビエントなジャズを追求している。もっと遡れば、アリス・コルトレーンや一時期のポール・ホーンなどは大きくアンビエントやニューエイジの世界に入り込んでいったし、マリオン・ブラウンはエリック・サティに傾倒し、ハロルド・バッドの作品を演奏したこともある。演奏という側面を見れば、ビル・エヴァンスやキース・ジャレットのピアノにアンビエントの世界観を感じることもできる。瞑想的なスピリチュアル・ジャズは一種のメディテーション・ミュージックである。つまり、ジャズとアンビエントの融合は決して新しい潮流というわけではなく、そもそも現代音楽やフリー・ジャズが発生した時点で存在していたものである。ただし、ここにきてこうした方向性が再び見直され、それに取り組むアーティストが増えていることは興味深いことである。

 ナラ・シネフロもこうしたジャズとアンビエントの境界線にいるアーティストのひとりだ。ナラは現在はロンドンを拠点に活動するが、祖先をたどるとカリブ系のベルギー人で、マルティニークにルーツがあるという。フランスの海外県のひとつであるマルティニークは、ジャズの分野でもいろいろ優れたミュージシャンを生んでいて、彼らの演奏は独特のラテン風味を有しているところが特徴だ(もっとも、ナラ自身はそうした自分のルーツはあまり意識していないと思うが)。音楽好きの家に生まれ、幼少の頃から身近に音楽があり、ピアノやヴァイオリンなどの楽器に自然と触れていった。高校でジャズの理論や楽譜などを学んだが、基本的にはそうした楽理に則った音楽教育には馴染めず、耳や心で感じたままに演奏をしていくほうが性に合っていたそうだ。

 そして、彼女の音楽性を形成する上で重要な要素として、幼い頃より自然界の音が身近にあったことが挙げられる。子供の頃はベルギーのソワーニュの森でよく遊んでいたという彼女によると、「音楽好きの家庭だったから、生まれた時から常に音楽に囲まれて育ってきた。家の中にはCDも楽器も沢山あって、それを自然に吸収していたの。(中略)もう一つ私の周りにあったのは鳥の声。家の近くには森があって、鳥たちが会話をする鳴き声をずっと聴いて育ったの。私には、鳥の鳴き声の中に美しいメロディとリズムが聴こえる。庭に出るといつもそれが聴こえてきて、刺激を受けていた。鳥の声を聴くと、ホームにいると感じるのよね」(オフィシャル・インタヴューより。以下同)。アンビエントを環境音楽と捉えるなら、自然界にある音、日常の生活音などがもっとも身近な音となるのだが、そうした動物や鳥、虫たちの鳴き声が後の彼女のアンビエントな音楽性に結びついていったと考えても不思議ではないだろう。

 ナラは18歳のころから本格的に作曲をはじめ、22歳のときに作曲、制作、演奏、エンジニアリング、録音、ミキシングを全て自身でおこない、9か月間の制作期間を経て完成させたのが『スペース1.8』である。このアルバムでナラはモジュラー・シンセサイザーの他、ペダル・ハープも演奏している。ピアニスト及びオルガン奏者であり、ハープ奏者でもあり、そこにシンセサイザーを交えて音楽制作をおこなっていたアリス・コルトレーンを想起させるスタイルである。特に今回はシンセを用いたことが彼女にとって大きな鍵となっている。

今回のアルバムが一番影響を受けているのはシンセ。今までずっと使ってみたかったけど買えなくて、今回始めて手に入れたの。使い方を自分で考えたり、新しい発見が沢山あって楽しかったから、あまり他からの影響やインスピレーションは必要なかったのよね。シンセという特定のものを使ってどこまでディープにいけるか、一つのものを使ってどこまで広がりを持たせることができるかが自分の中で大きかった。何時間もシンセを触れることが嬉しかったのよね。

 アルバムはそうした彼女の独演や孤独な創作作業と、同時に友人のミュージシャンたちとのコラボやセッションを融合してできている。参加するのはヌバイア・ガルシア、シャーリー・テテ、エディ・ヒック、ジェイムズ・モリソン、ジェイク・ロングなど、いわゆるサウス・ロンドンのジャズ・シーンで知られる面々だ。ナラはサウス・ロンドンのジャズ・ライヴ・コレクティヴとして名を馳せるスティーム・ダウンのメンバーとして活動していたことがあり、そうした中で繋がりが生まれたミュージシャンたちである。こうしたミュージシャンたちが参加し、ナラ自身がカリブの血を引くとなると、サウス・ロンドン・ジャズに頻繁に見られる土着性の強いアフロ・ジャズ、カリビアン・ジャズ的なモチーフを想像しがちだが、『スペース1.8』に関してはそうしたアフロ・リズムやブラック・ジャズ色が前面に出た作品ではない。アフリカ音楽の要素があるとしても、それは瞑想性や牧歌性といった部分でのことで、むしろ一般的なサウス・ロンドン・ジャズ・シーンとは切り離して見るべきだろう。それよりもナラ・シネフロというアーティストの個性や作家性が強く表れた作品である。

 『スペース1.8』の収録曲は全て “スペース” という単語が付けられ、その1番から8番までの合計8曲が収められる。「アルバムを作っている時に、各トラックがそれぞれ一つの空間のように感じたの。異なった季節とか、昼とか夜とか。全ての曲が、それぞれの時間や世界、場所、フィーリングを持っていた。だから、トラックを “ルーム” と呼び始めたの。(中略)曲を空間だと考えることで、自分に自由が与えられた感じがした。(中略)スペースというのは、宇宙じゃなくて空間を意味するスペースなのよ」。具体的な単語による曲名はときに聴く前にリスナーに先入観を与えてしまい、結果的に自由な感受性を阻害することがある。抽象的な空間という “スペース” を使った理由はそこにあり、現代音楽や環境音楽の作曲家が用いる題名と同じような意味合いを持つ。

 アルバムは周波数の違いが人間の身体に与える影響にナラが魅力を感じたことからはじまったという。ナラはサウンド・エンジニアとしてキャリアを積んでいたこともあり、音の周波数に強い興味を持っていた。そして日頃の研究を通じ、錬金術的な音の力を探求するために様々な波長に調整した層をモジュラー・シンセによっていくつも重ねている。また、モジュラー・シンセやハープを演奏することは、彼女自身にとっても深いセラピー的な効果をもたらしているという。「シンセサイザーとハープが出す音のほうが優しく感じられるの。過ぎたるは及ばざるがごとしと言うし、人間ならではの不完全さがたくさんあるから」。音響心理学だけではなく、ナラの興味は物理学にも及んでいる。ペルセウス座銀河団のブラックホールから発せられる周波数という、人間が聴くことができる範囲をはるかに超える音についても学び、そうした概念を『スペース1.8』に取り入れている。

 音楽セラピーということについてさらに掘り下げると、ナラは20代の初めの頃に腫瘍を克服したという体験があり、そうした闘病生活から得られたものが『スペース1.8』の制作にも反映されているそうだ。シネフロ自身の言葉で言うと、このアルバムが見つめるのは、彼女が “傷を金へと変えたこと”、つまり、錬金術的プロセスであり、人生を変える力を持つサウンドの実験的探求だ。「アルバムのレコーディングには強い薬効があって、そのときに私の身体が必要としているものなの。身体の内的な働きにいっそう焦点を当てるようになったし、自分を治療するような音世界を作るようになったわ」。

 アルバムにはフィールド・レコーディングによる素材も盛り込まれており、そのひとつが鳥の鳴き声である。「鳥は私の最初の教師だった──鳥たちが呼んだり、応えたりする鳴き声や、その音程とリズミカルなフレージングが」とナラは言う。幼少期のベルギーのソワーニュの森や、彼女の祖先が住んでいたマルティニーク島のセント=ジョセフ、ブーリキにある緑豊かな山の尾根を、こうした鳥の鳴き声によって表現したのが “スペース1” である。こうした自然の中で遊んでいた記憶が『スペース1.8』の随所に見られ、それは彼女の音楽に対する姿勢にも表われている。つまり、音をいろいろいじって遊び、変化させて楽しむこと。モジュラー・シンセによる音の実験はまさにそれで、エディ・ヒック、ドウェイン・キルヴィングトンとの3時間に及ぶ即興セッションを切り取って短くした “スペース3” である。彼女はこの自由で制約のないセッションを心から楽しみ、ルールのない作品を作った。

 幼い頃の学校での音楽授業に対してナラはこう述べる。「音楽教育って何を教えるかとか、教え方が決まっているじゃない? 私はそれがあまり好きじゃないのよね。聴いて学習するのではなく、読んで学ばないといけない音楽は私にとっては窮屈。ヴァイオリンを習った2年間でそれを感じて、楽譜はもう読みたくないなと思った。脳じゃなくて、ハートや耳で音楽を勉強したいという気持ちが強くなったの」。そうした昔の自分といまの自分を比べて語る。

私は5歳から音楽をプレイしているんだけど、その時から変わってないことを祈る(笑)。私はいつも、あの頃のピュアな部分を取り戻そうとしているの。物事を判断しすぎたり考えすぎることなく、ルールもなかったあの頃。何が良いとか悪いとかはなく、フィーリングが全てだった。そうやって音楽を作るのはいつだって楽しかった。でも、音楽を勉強することでその情報を吸収しすぎちゃって(笑)。前はすごく純粋だったのに、音の決まりや譜面への収め方を知ってしまうと、それにとらわれるようになる。先生にダメだと言われて、なんでダメなの? と思ったこともよくあった。だから、知識を取り入れ過ぎてしまってもダメなのよね。今は、自分が学んできたことをそれにとらわれ過ぎずに自由に使って音楽を作りたい。知識をツールとして使っていけたらいいなと思う。5歳の時が自分のベストだったと思うの(笑)。ハートでサウンドをプレイしていたから。スキルや学習は、それに圧力をかけちゃうのよね

 『スペース1.8』はナラが心の赴くまま、自身を自由に開放して作ったアルバムである。

Ehiorobo - ele-king

 ソフィーラスティーで知られるフューチャー・ベースから分岐したバブルガム・ベースやカワイイ・フューチャー・ベースをメインにリリースする〈DESKPOP〉から2016年にデビューしたエヒオロボによるセカンド・フル(ほかミックステープ多数)。ニュージャージー育ちのナイジェリア系で、Seiho とはプリンスのトリビュート・カヴァーでタッグを組んだり、Tomggg との “Feel Ya” など日本のアンダーグラウンドにもすでに浸透しているプロデューサーである。とはいえ、『Joltjacket』からはこれまで日本に見せてきた顔とは少し異なる気配が漂い、レーベル・マナーに沿ってカワイイ・フューチャー・ベース全開だった『Limeade』から一転、完成に4年もかけたという『Joltjacket』にはもっと多種多様な音楽性が詰め込まれている。ブルックリンの実験的ソウル・シンガー、レイン(L’Rain)のセカンド・アルバム『Fatigue』(https://lrain.bandcamp.com/album/fatigue)にちょっと引きずられた感もあるけれど、全体にかなり破天荒で、とくに前半のポスト・ロックの導入は強引に耳を引っ張る。『Limeade』にはEDMをチープにしたような面も強くあったことを思うと、この変化はかなり大きく、「これはもうフューチャー・ベースではない!」といったカワイイ主義者の叫びがいまにも聞こえてきそう。確かにぜんぜんきゃりーがぱみゅってないし、カワイくもなんともない。レーベルも伝統と変化を等しく重んじるのがポリシーだという〈Grind Select〉に移り、デザインもカワイイは卒業。ちなみにテキサスのブラゾス(Braz_OS)とともに〈DESKPOP〉を運営するオハイオ(現ペンシルヴァニア)のフューチャー・ババが2015年にリリースした『Gamewave』がいまのところPCミュージックを抑えてヴェイパーウェイヴとバブルガム・ベースの接点に立つカワイイ・フューチャー・ベースの代表作とされている(https://floorbaba.bandcamp.com/album/gamewave)。

 冒頭からカッさばいてくる。ピタ『Get Out』が始まるのかと思ったらリズム・ギターだけで山下達郎ばりに歌い出す。途中からギターはソニック・ユースかダイナソーJr ばりに轟音を撒き散らし、ヴォーカルと演奏は分裂状態のまま曲は進む。基調はR&Bで、どの曲もこれまでと同じく丁寧に歌い上げながら、サウンドがとにかく荒々しい。時にリスナーを振り回すようなレインの疾走感もそうだけれど、2010年代のヒップスターR&BやサイケデリックR&Bとは明らかに手触りが異なり、どちらかというとクリッピングのようなミュジーク・コンクレート・ヒップホップをR&B化させたような感じだろうか。歌詞では♪愛が戦場なら君はバズーカ砲を手にしている~(“Fusion Bazooka”)とか、コーラスワークが冴える “Shit’s Creek” では♪ドアマットのように僕は精神を踏みつける~など日々の葛藤を洒落た言い回しで歌っている感じが多い(そういう意味では同じナイジェリア系のマイクに近い)。♪遺体安置所で過ごし、君の塊から記憶が霞んでいく~とか♪墓地でモノクロームに溶けていく~など複数の曲で親しかった人の死が示唆され、どの曲でもエヒオロボは暗闇に取り囲まれている。一方で、♪人生は豪華なものだ~とも歌い、さらに♪人生はバリー・マニロウのようにトロピカル~と、曲調も全体に暗いわけではない。コーネリアスのように明るく跳ね散らかす “Caramelized!” など、むしろ希望にあふれてもいるし、アルバムも終盤に差し掛かるとカワイイ・フューチャー・ベースのヴァイブスが戻ってくる。しかも、それがバカみたいに感じられることもなく、わりと普通に楽しい。♪君にケタミンは必要ない、ここに垂直のロールス・ロイスがある~というのはロード “Royals” に対する卑猥なアンサーだろうか。♪僕はもう戦いくない、争いはやめうようと君に言って欲しい~ ♪旅に行きたい~料理が好き~幸せが好き~好きな人のそばにいたい~と、FKAトゥイッグスの新作ミックステープとメッセージがほとんど同じ。

 ジェイ-Z が出てきた頃、よくこんなヘンなトラックの上でラップができるなと思ったものだけれど、エヒオロボの歌にもにたような違和感があり、それがとにかく楽しい。ほぼ全編スロッビン・グリッスルのようなトラックで攻めるワシントンのサーE.u+トゥース・クワイアやJペグ・マフィアなど奇天烈なトラックを売りにしているユニットはあれこれあるなか、ヴォーカルに力があって、トラックがどれだけ無茶苦茶でもきちんとヴォーカルに意識が向くようにつくられているのもいい。むしろ中盤は比較的大人しい展開で、いってみれば楽器演奏の比重を増したこともあり、音楽性の複雑なエモ・ラップをやってみたということなのだろう。


Luke Wyatt & Dani Aphrodite - ele-king

 ファッション・ブランド〈C.E〉の2022年春夏コレクション(明日1月14日(金)ローンチ)を記念し、ヴィデオが公開されている。
 ディレクターを務めるのは、トーン・ホーク(Torn Hawk)名義で〈L.I.E.S.〉や〈Valcrond Video〉、〈Rush Hour〉といったレーベルから音楽作品を送り出してきたルーク・ワイヤット(Luke Wyatt)と、ヴィデオ・アーティストのダニ・アフロディーテ(Dani Aphrodite)。ディストピックでストレンジな雰囲気の映像に仕上がっている。
 音楽を担当しているのは、Rezzett としての活動でも知られ、アクトレスの〈Werkdiscs〉からアルバムを出している Lukid(2019年のシングル「Drip」も素晴らしい1枚でした)。ヴィジュアルも音も、要チェックです。

C.E Spring Summer 2022 Video
Video: Luke Wyatt and Dani Aphrodite
Music: Lukid
https://000.cavempt.com/

DJ NOBU - ele-king

 パンデミック以降、海外のDJやアーティストの入国が困難になっているが、逆に言えば、国内の良いDJやアーティストのライヴを見れたりもする。コロナがなければ世界を飛び回っていたであろうDJ NOBUもそのひとり。1月の毎週金曜日はDJ NOBUのスペシャルな夜が待っています。

1/14(金)
Trilogies - DJ NOBU - episode 1
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Open 10PM
¥1000 Under 23 / Before 11PM ¥2000 Advance ¥3000 Door
【前売】 https://contacttokyo.zaiko.io/_buy/1rWT:Rx:70e21
【お得な3日通し券】https://eplus.jp/sf/detail/3555380001-P0030001P021001?P1=1221
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Studio:
DJ Nobu (Future Terror | Bitta)
Occa (Archive)

Contact:
Tasoko (DRED Records)
Yuzo Iwata (Butter Sessions | Sound Metaphors)
machìna
Qmico (QUALIA)
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『盟友との相乗効果が誘う次の深淵』

DJ Nobuが自身のパーティFuture TerrorやGONG、NTS Radioのプログラムで度々招いていたOccaがシリーズ第1回、Studio Xでの共演に決定した。札幌に拠点を置くOccaからも、自身のPrecious HallでのパーティArchivにDJ Nobuを招致しており、お互いに音楽の交差を重要視する関係にある。その相乗効果は、互いの刺激を深化から深化へと発展させる、エレクトロニックミュージックの更新と最深部の模索であり、オーディエンスの観点からみると、最高から次の最高への移行の連続が起こる狂気的なまでの高揚を目の当たりにすることになる。Contactフロアでも電子音楽の深化は絶え間なく、昨年、同じく沖縄をルーツにもつIORIが立ち上げた〈VISIONARY〉からのEPや、John Osbornが主宰する〈DRED Records〉からのアルバムなど制作面でも注目されるTasokoや、ベルリンでの滞在や海外レーベルからのリリース、Cocktail d’Amore等の著名なヴェニューに出演してきたYuzo Iwata。さらに、Bicepのトラック「Hawk」への参加や〈Tresor〉のコンピレーションへの楽曲提供をする、世界的なプロデューサーとなったmachìna、QUALIAを主催するQmicoなど、クリエイター気質のラインナップがメインフロアとは異なる色鮮やかさと疾走感をともなう緻密さでデザインされる。
Trilogies DJ Nobuは、モダンなサウンドと、アーバンなグルーヴが交錯する、ハイクオリティのダンスで開幕される。

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1/21(金)
Trilogies - DJ NOBU - episode 2
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Open 10PM
¥1000 Under 23 / Before 11PM ¥2000 Advance ¥3000 Door
【前売】 https://contacttokyo.zaiko.io/_item/345829
【お得な3日通し券】https://eplus.jp/sf/detail/3555380001-P0030001P021001?P1=1221
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Studio:
DJ Nobu (Future Terror | Bitta)
YAMA

Contact:
悪魔の沼
AKIRAM EN
0120
Torei (Set Fire To Me)
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『ダンスミュージックの理想郷の幻影』

第2夜の共演は、BOREDOMSの∈Y∋とともに伝説パーティeepのオーガナイズや、語り継がれるレジェンダリーパーティFLOWER OF LIFEへの出演、大阪のクラブ、聖地MACAOのクロージングパーティのトリを務めるなど、拠点の大阪はもちろん全国のパーティフリークスに、カルト的な人気を博すYAMAの登壇が決まった。Future Terrorを始め、CDリリース時のコメントの提供などDJ Nobuとは度々活動を共にしている。DJ Nobuとともにハウスセットでの共演というまたとない今回の機会は、紛れもなく何かが起こる儀式的なまでの危険で甘美な予感をほのめかしている。そのカルティックなフロアメイクはもう一方のフロアでも徹底されており、Contactに久しぶりの登場となる悪魔の沼や、AKIRAM ENによる、知覚とダンスの活性を誘う深いリスニング・デバイス。AI.UとEMARLE、双方の高い音楽性が深層で交わるDJユニット0120、そして、ビートや展開に対して他とは全く異なるイマジネーションを持つToreiなど、高い次元でのエクレクティックなサウンドの交錯が、アヴァンギャルドな情景を描く。
Trilogies DJ Nobu episode2はシリーズで最も現実から離れ、ダンスミュージック・ファンの理想に最も近づく可能性を秘めている。

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1/28(金)
Trilogies - DJ NOBU - episode 3
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Open 10PM
¥1000 Under 23 / Before 11PM ¥2000 Advance ¥3000 Door
【前売】 https://contacttokyo.zaiko.io/_item/345828
【お得な3日通し券】https://eplus.jp/sf/detail/3555380001-P0030001P021001?P1=1221
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Studio:
DJ Nobu (Future Terror | Bitta)
Kotsu (CYK | UNTITILED)

Contact:
Kabuto (DAZE OF PHAZE)
k_yam
Akie
discopants
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『DJ Nobuによる音楽の歓喜の解放』

シリーズ最終章、ワンフロア、ツーマンでは初となるCYK Kotsuとの共演は音楽の快楽を余すことなく味わう祝宴になりそうだ。2020年、拠点を京都に移してからもその活躍は全国に響いており、昨年末までに国内14都市からの招致を受けている。本来主体としていたハウスを概念として膨らませながらオーディエンスのハートに確実にヒットさせる卓越したスキルと発想は、DJ Nobuとのどのような化学反応を起こすか期待を抱かざるをえない。
Contactフロアには、スペシャリストKabutoを筆頭に繰り広げられる、国内テクノ/ハウスの、進化形でシーンの現到達点とも呼べるフロアデザインが施された。さらに、自身のパーティのREMEDYの卓越したキュレーションや、トラックのクオリティの高さ、DJでのイマジネーションの飛躍など層の厚い世代の中でも際立つk_yamがラインナップ。discopantsのハウスとエレクトロニクスの刺激的なクロスオーバーや、Akieのオルタナティブなハウスサウンドも、大阪の聖地newtone recordsの出身を感じさせる情感とエレクトロニクスの複層的な交わりをみせる。人の熱をもったファンクネスやUKマナーを独自のイメージで鳴らしてきたオリジナリティが、ダンスミュージックのハードリスナーをもノンストップで踊らせうるエレクトロニック・ジャーニーを展開させる。
Trilogies DJ Nobu 最終章は、episode 1, 2とはさらに違う面でのDJ Nobuの解放を味わう、音楽桃源郷で幕を閉じる。

Trilogies - Mars89 episode 1 - ele-king

 レコード店「Disc Shop Zero」の店主、飯島直樹氏が永眠してはや2年、今年の2月で3回忌を迎える。彼の功績に敬意を表しつつ、彼が志した低音の美学とその広大なヴィジョンを継承すべく、2月11日(金)渋谷のContact Tokyoにて、飯島氏がオーガナイーザーでもあったポッセ〈BS0〉がパーティを企画する。「Disc Shop Zero」に行ったことがない人も、ぜんぜんウェルカム。足を運んで、力強いベースを感じて欲しい。

断片化された生活のための音楽 - ele-king

※以下のイアン・F・マーティンによるコラム原稿は、web掲載した〈ラフトレード〉インタヴューと同様、別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』のなかの小特集「UKインディー・ロック/ポスト・パンク新世代」のために寄稿されたものである。今日の状況を知るうえでもシェアすべき原稿なので、ここに再掲載します。

Music for fragmented lives
断片化された生活のための音楽
イアン・F・マーティン(江口理恵・訳)
written by Ian F. Martin / translated by Rie Eguchi


ザ・スミスの再来とも言われ文学性が評価されているフォンテインズ D.C. by Vinters Pooneh Ghana

 UKは混乱した、幸せではない場所だ。貧困の拡大、ナショナリズムの高まり、ブレグジットから、選挙民が絶望しながら受け入れた狭量な保守主義まで、大量の新聞の見出しは何かがとんでもなく間違っていること、つまり、孤独な国がパニックに陥って自分自身を抱きしめ、粉々になり、断片となって崩れて行く様子をはっきりと示している。
 しかし、このような目に見える衰えの兆候の裏には、目に見えにくいたくさんの不安が隠れている。とくに若者にとっては劇場型のブレグジットによる玄関払いを喰らって、様々な機会が閉ざされるという感覚は、緊縮財政や21世紀の資本主義の不安定な労働条件のなかでもう長いこと続いてきたことだ。ミュージシャンたちにとっては業界が少数のデジタル・インフラの所有者たちのまわりで合体し、音楽がプレイリストのための、哀れなほどの報酬のコンテンツになり下がり、ブレグジットによって引き起こされた欧州ツアーへの財政的、官僚的な障壁もまた、閉ざされた扉のひとつだ。
 2019年9月、私はUKをエンド・オブ・ザ・ロード・フェスティヴァルのために訪れた。エンド・オブ・ザ・ロードは英国のインディーズ・フェスティヴァルの最高峰で、爽やかな、またはメランコリックなシンガーソングライターからアフロビート・オーケストラ、ジェンダーフルイドなグラム・エレクトロニカまで、様々なアーティストが出演する混沌とした世界のなかの芸術的でリベラルなバブルのような心地よさがある。しかし、2019年に印象に残ったのは様々なテントやステージから聴こえる音から立ち昇る怒りと、激しい無秩序ぶりだった。カナダのクラック・クラウド、アイルランドのフォンテインズD.C.から、ワイヤーのようなヴェテラン勢がエネルギーに満ちた音を立て、ビルジ・ポンプの粗い、惑わせるように旋回するリフ、Beak>のクラウトロック的なミニマリズム、そしてスリーフォード・モッズの意気揚々とした凱旋のヘッドライナー・セットなど、これらの、またこれ以外のアーティストたちの演奏もポスト・パンク的な緊張感と角のあるスレッド(糸)のようなものに貫かれていた。
 この日ラインナップされていた若手の有望株のなかでも、斜めからのポスト・パンク的なアプローチをする4つのバンド、ゴート・ガール、スクイッド、ブラック・ミディとブラック・カントリー・ニュー・ロードが話題になっていた。2年後、彼らが代表する奇妙で興味深い世代の新しいブリティッシュ・ミュージックが育ってきているが、彼らが実際に何を代表しているのかを特定するのは難しい。
 音楽史のなかで特定の時代に結びついたタームである、レンズの役割のようなポスト・パンクは、ここで起こっていることの幅を説明するには充分ではないように感じる。これらのバンドは少なくともブレヒトやワイルの伝統にまで遡る部分を持ち、エクスペリメンタル・ロック、No Wave、カンタベリーのサイケデリック・シーン、クラウトロックなど、すべての〝ポスト~〟のジャンル(ポスト・パンク、ポスト・ハードコア、ポスト・ロック)にまで貫かれ、同時にキャプテン・ビーフハート、ジズ・ヒート、ザ・カーディアックス、ライフ・ウィズアウト・ビルディングス他の挑戦的なインディヴィジュアルに活動するアーティストたちにも及んでいるのだ。
 しかし、ポスト・パンクをより抽象的に、パンクがイヤー・ゼロの基点からの短い爆発で残した断片をくし刺しにして繋ぎあわせる、音楽を取り戻すプロセスだと考えるならば、今の若いバンドたちは文化的な瓦礫をふるいにかけて規範を過激に覆された後にそれを理解しようとする点で、同じような立場にあるようだ。しかし、パンクの時代とは違い21世紀の文化的な混乱は、若者のカルチャーからではなく、政府と資本主義の構造そのものから来ており、ポスト・パンクや、〝ポスト・パンクド(嵌められた)〟の若いミュージシャンたちは、切断され、断片化された自分たちの置かれている環境下で、扇動者ではなく、犠牲者となっている。
 断片化された、断絶的な感覚は、多くの新しいブリティッシュ・ミュージックのなかから聴こえてくる。
 ブラック・ミディの音楽の突然の停止や開始、トーン・シフトの多用、1920年代から直近にいたるまでの100年にわたる時間軸から受けた影響などから、それを聴きとることができる。彼らは音楽業界が資金援助をするパフォーミング・アーツの専門学校、ブリット・スクールの卒業生で、学校が提供する施設で実験ができただけでなく、音楽史を学んだことで広い視野にたって音楽を探究する恩恵を受けている。バンド自身もこの背景が与えてくれた特権を痛感しているようで、自分たちが受けた音楽教育を遊び心と小さな喜びを感じながら活用している。
 ロンドンのバンド、ドライ・クリーニングの素晴らしいデビュー・アルバム『New Long Leg』には断絶を意味するような、もっとダウンビート(陰気)な感覚がある。控えめだが、微妙にゴツゴツした音をバックに、ヴォーカルのフローレンス・ショーが毎日を無為に過ごしている人の日常の疲れて断絶した、サンドイッチを食べる気力もない、何かを経験することに意義が感じられないという一連のスナップショットをため息交じりに歌う。シニフィアン(意味しているもの)とシニフィエ(意味されているもの)の間にある皮肉なギャップ──「あなたは、あれほど汚い裏庭をもつ歯医者を選ぶか?」とアルバムのタイトル・トラックで問いかけ、「選ばないと思う」と応えている。
 ブラック・ミディの折衷主義とドライ・クリーニングの倦怠感はまったくの別物に見えるかもしれないが、根無し草のような感覚を共有している。それは、どんなに教育を受けて意識を高めても、自分のしていることでは何も変わらないという無力感や権利の剥奪といった形をとることがあり、敗北の雰囲気のなかにも解放感が感じられたりする。誰も自分のしていることに関心がないのなら、やりたいことを好き勝手にやっていいという免罪符を持っているという感覚だ。
 やたらと個々のバンドの意図を決めつけたりするのは危険だが、リスナーとしてはこの世代のバンドの音楽の多くが英国の生活を貫く断絶感と共鳴しているように感じる。ゴート・ガールは政治的なものと生活での体験をさりげなく結び付け、スクイッドは無数の方向にむかって半狂乱で爆発し、シェイムは「自分のものではない世界」に向かって怒りを燃やし、優れたザ・クール・グリーンハウスは皮肉たっぷりの不条理な物語を延々と反復される2音のみのギター・ラインに乗せて表現している。それぞれのやり方で、世界を前にして笑ったらいいのか、泣いた方がいいのかがわからないリスナーの不安と心の急所に触れているのだ。


2021年はセカンド・アルバム『Drunk Tank Pink』も出したユーモアと勢いのシェイム by Sam Gregg

 これらのバンドはすべて、何らかの方法で自分たちを取り巻く断片的な世界を理解しようとしている。たとえ、その不条理さに浸って楽しむためだけであったとしても。多くの批評家がザ・フォールの影響の高まりを指摘しているが、それはある意味、ザ・クール・グリーンハウスのトム・グリーンハウスが2020年のDIY誌のインタビューで指摘したように、安易な比較ともいえる。「みんな自分たちをザ・フォールと比較するし、その理由もわからなくはない。それは妥当な比較だとは思うけれど、ザ・フォールはあまりにも多くのバンドに影響を与えてきた存在で、まるでラップのレコードをグランドマスター・フラッシュと比較するようなものだ。彼らはその道のゴッドファーザーだけど、ラップはとても豊潤な世界で、いまはみんながラップの要素を使ってたくさんのことをしているのが現実だ」
 彼の言うとおり、ザ・フォールの語りかけるようなヴォーカルと反復するクラウト=パンクのリズムは、本当にあらゆるクリエイティヴな方法で用いることのできるシンプルなツールである。ドライ・クリーニングやヤード・アクト、ドゥ・ナッシング、ガッド・ホイップとビリー・ノーメイツは皆、インディー系の言語を様々な方法で表現している。そしてこのラップとの比較が面白いのは、最近のインディー・ギター・バンドが注力していること、つまりヒップホップが伝統的に得意としてきた──人生における混乱を物語に織り交ぜて意味を持たせる──ことを表現するため、このゆるいヴォーカルの構造がじつにパワフルな方法になりうるからだ。ザ・クール・グリーンハウスはこれらの物語を音楽の中心に据えている。ブラック・カントリー・ニュー・ロードは、道にはぐれた生活のスナップショットを話し言葉による物語として、複雑で騒々しいマリアッチとスリント風のアレンジに織り込んでいるのだ。正式な意味での物語とは言えないかもしれないが、我々は皆、このような断片的な物語をソーシャル・メディアで創造し、フィードに流れてくるノイズを構造化された物語としてではなく、本能的に、感情の質感を読み取っている。
 物語は空間のなかにも存在する。「ブラック・ミディの前で、君に愛していると告げた」と、ブラック・カントリー・ニュー・ロードのアイザック・ウッドは〝Track X〟のなかで情景を描写するように言っているが、冗談のようでありながら、おそらくライヴ会場などの物理的な空間の重要性についても言及しているのだ。断片的な命を一か所に集めて観客がシェアできる経験を創りだすと同時に、バンドたちが共に発展して繋がっていく場所のことを。ブラック・ミディやスクイッドの曲の多くは長尺で、8分強あるものが多い。これらのバンドは、分割してSPOTIFYのプレイリストに組み込まれるための最適さは持ち合わせていない。彼らは、一度の機会にすべてを体験するためにあるバンドなのだ。
 独立系の会場がバンドの成長に欠かせないインフラであるとすれば、レーベルもまた役割を担っている。ブラック・ミディ、ゴート・ガール、スクイッドにブラック・カントリー・ニュー・ロードは皆、〈Speedy Wunderground〉レーベルのプロデューサー、ダン・キャリーとの繋がりを持つ。自宅のスタジオで、1日で7インチ・レコードを録音し、ミキシングしてマスタリングするキャリーの作業工程は、自発的でエネルギーにあふれた時代感覚を捉えているし、シングルを非常に限定的にしかプレスしないというレーベルの抜け目のないポリシー(フラストレーションはたまりそうだが)が、〈Speedy Wunderground〉のリリースを期待の高まるイベントにしているのだ。キャリーのような人びとの重要性はカルチャーのなかのノイズをふるいにかけ、新しい、エキサイティングなものに焦点を当て、我々が断片的なもののまわりに物語を組み立てることが可能になることにある。〈Rough Trade〉、〈Warp〉、〈Ninja Tune〉や〈4AD〉のような、影響力があって、いまも独立系であり続けるレーベルの存在がこれらのバンドを次のレヴェルに押し上げて、彼らの物語をさらに幅広いところへ届けることを確約するのだ。
 これらのバンドはいずれも、いま、UKで騒がれている豊富な人材のそろった幅広いポスト・パンク層の表面をなぞっているに過ぎない。ガールズ・イン・シンセシスやEsの怒りに満ちたスラッシュから、ハンドル、スティル・ハウス・プランツの実験的ミニマリズム、薄汚れたインディ・アート・パンクのカレント・アフェアーズとウィッチング・ウェイヴズ、心にとり憑く崇高なナイトシフトまで、周囲の混乱や断絶、断片化にもかかわらず、いや、だからこそ、UKから驚くほど豊かな音楽的なクリエイティヴィティが生まれているのだ。
(初出:別冊エレキング『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの世界』2021年7月刊行)

Maika Loubté - ele-king

 いまにおいて、「洋楽」なるタームは非常に曖昧なものだ。そもそもある音に類似性を見出し、まとめてラベルを貼る行為自体に懐疑的な人もいるのではないだろうか。あらかじめ断っておくと、僕はある音に対してあるジャンル用語を付することは、好奇心が刺激されて嫌いじゃない。レコード屋のポップで見かける、その場限りで使い捨てられるようなタームも、逆に気になってしまうタイプだ。

 とはいえ、使い古された便利な「洋楽」というジャンル用語が、少し難儀な存在になりつつあるとも個人的に感じる。宇多田ヒカルクリス・デイヴやA.G.クックらと協業している時点で、何が「邦楽」もしくは「洋楽」かなんてかなり曖昧だ。「邦」ではないが、韓国に目を向けるとそれはもっと顕著で、コールドプレイとBTSがコラボレーション、あるいはカーディ・Bとブラックピンクが出会う時代だし、Kハウス(これもまた、使い捨てジャンル用語!)におけるヤエジは「K」ではあるものの、彼女は多くの人生をアメリカで過ごしている。つまり、色々な意味で国同士の境が融解しつつあるなか、必然的に「わたし」対「その他」と分けるようなやり方は無意味になってきている。

 マイカ・ルブテは、そんないまの時代だからこそ出現し得たミュージシャンだろう。幼少期を日本、パリ、香港で過ごした彼女は、サウンドにおいても「邦楽」とは言えない、しかし「洋楽」とも言えない実に面白い音楽を展開している。『Lucid Dreaming』と名付けられた今作は、シンセ・ポップ的なメロディアスさと実験的なエレクトロニクスが並存し、日本語、英語とフランス語を組み合わせながら、まさに彼女にしか作れない音楽に仕上がっている。「地元っていうのに憧れを持っていた」とも語る彼女だが、しかし地元がないゆえに、彼女は特定の空間や土地を想起させない、ある意味では現代的とも言えるサウンドを鳴らせたのではないか。

 テンパレイのメンバーでありソロでも活動するエイミー(AAAMYYY)を招聘した “It’s So Natural” は、もうすでに何度もリピートしている。足回りをハードなドラムンベースのリズムで固めながらも、メロディにはチャーチズやM83ばりのポップ・センスも垣間見える。非常に聴きやすいが、ただ右から左に流れる感じはなく、しっかり聴きごたえもある。無論、UKのジャンルであるドラムンベースに影響を受けた点で、少なくとも日本的な「邦楽」の感触はない。しかし同時に、日本のRPGゲームである『moon』に着想を得たとも語る。そのサントラにあったポップなビート・ミュージックも重要なインスピレーションだったと。やはり、純粋な「邦楽」ではないが、「洋楽」めいたものへの単なる模倣でもない。簡単なラベリングを拒むこの曲は、マイカ・ルブテのサウンドの面白さを表す上ではひとつの象徴と言えそうだ。

 エレクトロニクスを軸にしたそのメロディアスなポップ・センスにおいて、たったいま僕はチャーチズを引き合いに出したが、いやしかし正確を期するならば、マイカ・ルブテの音楽性はもう少し暗く、より実験的と言ったほうがいいかもしれない。ウェブや紙媒体においてチェックする限り、彼女はジャスティン・ビーバーだって聴くが、同時にポーティスヘッド、あるいはノイ!カンなどのクラウトロックも好んでいるのだ。実弟と共作した “Flower In The Dark” やクローザーの “Zenbu Dreaming” など、素晴らしいシンセ・ポップがアルバムの大半を占めているが、同時に、“Demo CD-R From The Dead” や “Broken Radio” など、ノイズを織り交ぜた実験的なインストのインタールードが時折挟まれてもいる。それは、『Lucid Dreaming』が決して一筋縄ではいかない作品だということも示している。

 『Lucid Dreaming』(明晰夢)とあるように、今作は、彼女が夢の中で聴こえた音楽を再現して作られたという。夢の中の想像的な産物であることを知ると、「邦楽」か「洋楽」、日本的であるのかそうでないのか、そんなジャンル分けやラベリングの類はもはやどうでもよく思えてくる。先ほど触れたドラムンベースがそうであるように、あるいは現在進行形のアマピアノもそうであるように、ある土地に根ざしたローカル発展型の音楽に名前が付与されることには大きな意味があるだろうが、同時に、そういったこととは真逆の音楽が生まれているのも事実なのだ。マイカ・ルブテがそうであるように、音楽は人の想像力が作り上げるものであり、つまりはmusic is musicだということ。

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