「Wire」と一致するもの

Meitei - ele-king

 先日G7サミットが開かれたばかりだが、その広島を拠点に活動し、日本文化をテーマに音楽制作をつづけているプロデューサーが冥丁だ。彼が飛躍するきっかけになったファースト・アルバム『怪談』の5周年記念盤が7月21日にリリースされる。ボーナストラック2曲を追加、初のCD化だ(LPも再発予定)。さらにツアーも予定されているとのこと。詳しくは下記より。

広島を拠点に活動するアーティスト・冥丁の2018年傑作デビューアルバム『怪談』が、ボーナストラック2曲追加した5周年記念盤として初CD化!
※LPヴァージョンは後日カラーヴァイナルで再発予定。

アーティスト:冥丁
タイトル:怪談(5th Anniversary Edition)
フォーマット:国内流通盤CD・デジタル配信
発売日:2023年7月21日(金)
品番:AMIP-0330
レーベル:Evening Chants / KITCHEN.LABEL
ジャンル:ELECTRONIC / AMBIENT
流通:Inpartmaint Inc. / p*dis
本体価格:3,000円(税抜)

TRACK LIST
01. 漣
02. 骨董
03. 塔婆
04. 地蔵
05. 青柳
06. 魍魎
07. 山怪
08. 障子
09. 筵
10. 九十九
11. 涙 (*Bonus Track)
12. 海峡 (*Bonus Track)

日本の幽霊話のジャンルの1つである怪談。その怪談の持つ闇の中の美しさや「Lost Japanese Mood」(失われた日本のムード)と称する雰囲気を、精巧な作曲構成に落とし込んだ冥丁の1stアルバム『怪談』(2018年)は、Pitchforkの「Best Experimental Albums of 2018」への選出をはじめ、Bandcamp、The Wireなど様々な海外メディアから賞賛され、世界のアンビエント~エクスペリメンタルシーンに冥丁の名を確立し、その後リリースされる『小町』『古風Ⅰ』&『古風Ⅱ』などの「Lost Japanese Mood」を主題にしたシリーズの最初のアルバムであり、冥丁独自の音世界と卓越した音楽性を示した重要作。

日本各地に伝わる伝説や幽霊話に独自の解釈を加えて文学作品に昇華させた小泉八雲の名作『怪談』は、本作の方向性に大きなインスピレーションを与えており、「漣(さざなみ)」「骨董」「障子」「筵 (むしろ)」などの楽曲は、小泉八雲作品へのオマージュと言える。また、漫画家・水木しげるからも影響を受けており、「塔婆」や「地蔵」は水木氏の漫画『ゲゲゲの鬼太郎』へのオマージュとして制作された。

このように、日本の重要な芸術から影響を受けた本作には、明らかな不気味な要素だけではなく、ユーモア、情緒、そして哀愁も、まるで霧で濡れた苔のように視覚的に表現されている。さらに、ローファイ・ヒップホップの新しい波に興味を持った冥丁はその要素を再編して絶妙に織り混ぜ、繊細なバランスで怪談の持つ和の雰囲気を構築した。

本5周年記念盤は、オリジナルリリース元のEvening Chantsと、『古風』シリーズをリリースしているKITCHEN. LABELという2つのシンガポールのレーベルによる共同リリースとして、ボーナストラック2曲を追加したCD盤が先行発売、その後、カラーヴァイナル(スモークヘイズ) の発売も予定されている。冥丁本人の曲解説が掲載された8ページブックレットも付属。マスタリングはテイラー・デュプリーが担当。

★7月後半より『怪談(5th Anniversary Edition)』のリリースを記念したジャパンツアーも各地で開催。(※詳細は後日発表。)


【冥丁 / MEITEI】
日本の文化から徐々に失われつつある、過去の時代の雰囲気を「失日本」と呼び、現代的なサウンドテクニックで日本古来の印象を融合させた私的でコンセプチャルな音楽を生み出す広島在住のアーティスト。エレクトロニック、アンビエント、ヒップホップ、エクスペリメンタルを融合させた音楽で、過去と現在の狭間にある音楽芸術を創作している。これまでに「怪談」、「小町」、「古風」(Part I & II)などによる、独自の音楽テーマとエネルギーを持った画期的な三部作シリーズを海外の様々なレーベルから発表し、冥丁は世界的にも急速に近年のアンビエント・ミュージックの特異点となった。日本の文化と豊かな歴史の持つ多様性を音楽表現とした発信により、The Wire、Pitchforkから高い評価を受け、MUTEK Barcelona 2020、コロナ禍を経てSWEET LOVE SHOWER SPRING 2022などの音楽フェスティバルに出演し、初の日本国内のリリースツアーに加え、ヨーロッパ、シンガポールなどを含む海外ツアーも成功させる。ソロ活動の傍ら、Cartierや資生堂IPSA、MERRELLなど世界的に信頼をおくブランドから依頼を受け、イベントやキャンペーンのためのオリジナル楽曲の制作も担当している。

 すごい面子が揃ったものだ。ロンドン発のイヴェント「MODE」が5/25から6/2にかけ東京で開催されることになったのだが、エクスペリメンタルな実力者たちのオールスターといった気配のラインナップとなっている。5/25はイーライ・ケスラーカフカ鼾ジム・オルーク石橋英子山本達久)、パク・ジハ。5/28は伶楽舎。5/30はベアトリス・ディロンルーシー・レイルトンYPY(日野浩志郎)。6/1はメルツバウスティーヴン・オマリー。6/2はFUJI|||||||||||TAと、初来日のカリ・マローン+オマリー+レイルトン。貴重な機会のアーティストも多いので、下記詳細を確認してぜひとも足を運びましょう。

[5月23日追記]
 上記イヴェントにふたつのプログラムが追加されることが決まりました。ひとつは、エイドリアン・コーカー&渡邊琢磨、アキヒラ・サノによるサウンド・インスタレーション(「MODE」の初回プログラム・ディレクターを務めた故・坂本龍一と、デイヴィッド・トゥープによる作品も同時上映されます)。もうひとつは、ポスポス大谷、リキ・ヒダカ、エイドリアン・コーカー&渡邊琢磨ほかが出演する下北沢SPREADでの公演。強力なランナップがさらに堅牢なものとなりました。実験音楽に浸る初夏!

[5/23追加情報]

MODE LISTENING ROOM & POP-UP at DOMICILE TOKYO

Adrian Corker & Takuma Watanabe、Akhira Sanoによるサウンドインスタレーションがドミサイル東京・ギャラリースペースにて発表。

また同会場にて、MODE 初回プログラムディレクターを務めた坂本龍一氏への追悼企画として、Ryuichi Sakamoto & David Toop のパフォーマンス映像(2018)が、NTSとの共同企画により放映される。

詳細:
実験音楽、オーディオビジュアル、パフォーミングアーツを紹介するイベントシリーズ『MODE』 のプログラムの一部として、5月29日~6月3日の期間、原宿のコンセプトストア「DOMICILE」(渋谷区神宮前4-28-9)に併設するギャラリースペースにて「MODE LISTENING ROOM」と題し、Adrian Corker & Takuma Watanabeによる新作インスタレーション『The Impossible Balance』、Akhira Sanoによるサウンドインスタレーション『Magnify Cyte』が発表されます。またストアでは、先行して5月26日より、MODE関連アーティストの音源やTシャツなど限定アイテムを集めたPOP-UPが開催されることが決定しました。

さらには、MODEの初回プログラムディレクターを務めた坂本龍一と、David Toopによる当時のパフォーマンス映像『Ryuichi Sakamoto & David Toop (2018)』をロンドン拠点のラジオプラットフォーム「NTS」との共同企画により放映することが決定いたしました。同企画は先日 逝去された坂本龍一の意志を引き継いだ、氏の所属事務所や家族によって立ち上げられた植樹のためのドネーションプラットフォーム「Trees for Sakamoto」への寄付プロジェクトの一環として開催されます。

【開催日程詳細】

MODE LISTENING ROOM
会期:5月29日(月)- 6月3日(土)12:00‒20:00
会場:DOMICILE TOKYO 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-28-9 チケット料金:入場無料

参加アーティスト:Adrian Corker & Takuma Watanabe (エイドリアン・コーカー & 渡邊琢磨/UK,JP)
Akhira Sano(アキヒラ・サノ/JP)(
上映作品:Ryuichi Sakamoto & David Toop (2018)

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実験音楽、オーディオビジュアル、パフォーミングアーツを紹介するイベントシリーズ 『MODE』の追加プログラムが、
5月31日に下北沢SPREADにて開催決定。 Posuposu Otani、Riki Hidaka、Takuma Watanabe & Adrian Corkerが出演。

Posuposu Otani/ Riki Hidaka/
Takuma Watanabe & Adrian Corker ‒ The Impossible Balance
feat. Atsuko Hatano (vn), Naoko Kakutani (va), Ayumi Hashimoto (vc), Tatsuhisa Yamamoto (ds), Takuma Watanabe (cond)

スロートシンガーソングライターで口琴演奏家、倍音印象派のPosuposu Otani(ポスポス大 谷)をはじめ、ギタリストのRiki Hidaka(リキ・ヒダカ)、映画音楽を数 多く手掛け、デイヴィッド・シルヴィアン、フェリシア・アトキンソンらなど海外アーティストと の協業でも知られるTakuma Watanabe(渡邊琢磨)と、音楽家であり、レーベルSN Variations、Constructiveを運営するAdrian Corker(エイドリアン・コーカー)の新プロジェ クトThe Impossible Balanceが発表されます。ライブには、波多野敦子(バイオリン)、角谷奈緒子(ヴィオラ)、橋本歩(チェロ)、山本達久(ドラム)、渡邊琢磨(コンダクト)が出演。

【開催日程詳細】
公演日時:5月31日(水)19:00開場/19:30開演 22:00終演
会場:SPREAD 〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-12-6 リバーストーンビルB1F
チケット料金:前売3,000円 当日3,500円 U23 前売・当日 2,000円[全自由・スタンディング] ※ZAIKOにて販売中

出演者:
Posuposu Otani(ポスポス大谷/JP)
Riki Hidaka(リキ・ヒダカ/JP)
Takuma Watanabe & Adrian Corker (渡邊琢磨&エイドリアン・コーカー/JP, UK)
波多野敦子(バイオリン)、角谷奈緒子(ヴィオラ)、橋本歩(チェロ)、 山本達久(ドラム)、渡邊琢磨(コンダクト)

33-33 x BLISS present MODE TOKYO 2023
2023年5月25日 - 2023年6月2日

実験音楽、オーディオビジュアル、パフォーミングアーツをフィーチャーする
ロンドン拠点のイベントシリーズ「MODE」が東京にて開催。初の来日公演となるカリ・マローンはじめ、スティーブン・オマリー、イーライ・ケスラー、ベアトリス・ディロン、カフカ鼾、伶楽舎、FUJI|||||||||||TAなど、全5公演、11組のラインナップを発表。

ロンドンを拠点とする音楽レーベル兼イベントプロダクションの33-33(サーティースリー・サーティースリー)が贈る、実験音楽、オーディオビジュアル、パフォーミングアーツを紹介するイベントシリーズ『MODE』が復活。
2019年ロンドンでの開催以来となる2023年のエディションが、日本を拠点として実験的なアート、音楽のプロジェクトを展開するキュレトリアル・コレクティブBLISSとの共同企画により、東京都内複数の会場にて開催します。世界のアート、音楽シーンで評価を受けているアーティストたちが集結し、9日間にわたって国際的なアートプログラムを実施します。
今回の東京開催の背景には、主宰の33-33と日本の芸術や音楽との長年にわたるコラボレーションがあります。2018年にロンドンで発表された第一回のMODEでは、日本の作曲家、ピアニスト、電子音楽のパイオニアであり、先日3月28日に惜しまれつつ逝去された坂本龍一氏がプログラムキュレーターを担当しました。敬意と追悼の意を込め、MODEは今回のシリーズを氏に捧げます。

※公演チケットは各プログラム限定数での先着販売となっております、追加販売予定はございませんのでお早めにお買い求めください。


【開催日程詳細】

@The Jewels of Aoyama *Co-presented with Bar Nightingale
公演日時:5月25日(木)18:00開場/19:00開演 22:00終演 
チケット料金:前売6,000円[スタンディング]※ZAIKOにて販売中
出演者:Eli Keszler(イーライ・ケスラー/US)、カフカ鼾(Kafka's Ibiki/US, JP)、Park Jiha(パク・ジハ/KR)
会場:The Jewels of Aoyama 〒107-0062 東京都港区南青山5丁目3-2

一連のイベントシリーズの幕を開けるのは、NY拠点のエクスペリメンタル・パーカッショニストEli Keszler。Jim O’Rourke(ジム・オルーク)、石橋英子、山本達久によるトリオ、カフカ鼾。そして初の来日公演となる、韓国の伝統音楽を主軸とした現代音楽家 Park Jihaが出演するプログラム。また、このプログラムは世界中のアーティストらに支持される会員制の実験音楽バー「Bar Nightinegale」との共同企画で開催される。

@四谷区民ホール ※関連プログラム
公演日時:5月28日(日)15:30開場/16:00開演
チケット料金:前売3,000円・当日3,500円[全席自由]
https://reigakusha.com/home/sponsorship/4403 参照
出演者:伶楽舎(Reigakusha/JP)伶楽舎雅楽コンサートno.40 〜芝祐靖作品演奏会その4〜
会場:四谷区民ホール 〒160-8581 新宿区内藤町87番地

1985年に発足した雅楽グループ伶楽舎による『伶楽舎雅楽コンサートno.40 〜芝 祐靖作品演奏会その4〜』をMODE 関連プログラムとして紹介する。伶楽舎は現行の雅楽古典曲だけでなく、現代作品の演奏にも積極的に取り組み、これまでに湯浅譲二、一柳慧、池辺晋一郎、猿谷紀郎、伊左治直、桑原ゆうなど多くの作曲家に新作を委嘱。日本を代表する現代音楽家、武満徹作曲の雅楽作品『秋庭歌一具』の演奏でも複数の賞を受賞。長らく音楽監督を務めた芝祐靖は雅楽の世界に新風を送り続けた人物で、MODEで紹介される現代音楽表現のルーツの一部を体験できるプログラムとなっている。

@WALL & WALL
公演日時:5月30日(火)19:00開場/19:30開演 22:00終演
チケット料金:前売4,000円[スタンディング] ※ZAIKOにて販売中
出演者:Beatrice Dillon(ベアトリス・ディロン/UK)、Lucy Railton(ルーシー・レイルトン/UK)、YPY(ワイ・ピー・ワイ/JP)
会場:WALL & WALL 〒107-0062 東京都港区南青山3丁目18−19フェスタ表参道ビルB1

実験的電子音楽に焦点を当てたこの日のプログラムは、前作『Workaround' (PAN, 2020)』が、The Wire紙によって’Album of the Year’に選ばれた、ロンドン拠点の作曲家・サウンドアーティストのBeatrice Dillonと電子音楽レーベル「NAKID」主宰し、バンド「goat」の中心人物で作曲家・音楽家の日野浩志郎によるソロプロジェクトYPYが共演。イベントのオープニングを飾るのは、先日オランダのフェスティバルRewireにて世界初公開され反響を呼んだ アーティスト・詩人のパティ・スミスによるプロジェクト『Soundwalk Collective & Patti Smith』や、今回初の来日公演となるKali Maloneの作品にも参加する、イギリス人チェリスト・作曲家であるLucy Railtonの日本初公演。

@Shibuya WWW
公演日時:6月1日(木)19:00開場/19:30開演 22:00終演(予定)
チケット料金:前売4,500円[スタンディング] ※ZAIKOにて販売中
出演者:Merzbow(メルツバウ/JP)、Stephen O’Malley(スティーブン・オマリー/US, FR)
会場:WWW 〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町13−17 ライズビルB1F

20年以上にわたり、SUNN O)))、 KTL、 Khanateなど数々のドローン/実験的プロジェクトの構想や実行に携わってきたStephen O'Malleyと、説明不要の世界的ノイズ・レジェンドであるMerzbow a.k.a. 秋田昌美によるダブルヘッドライナーショー。

@淀橋教会
公演日時:6月2日(金)18:00開場/19:00開演 21:00終演 
チケット料金:前売6,000円[全席自由] ※ZAIKOにて販売中
出演者:FUJI|||||||||||TA (フジタ/JP)、Kali Malone(カリ・マローン/US, SE) presents: 『Does Spring Hide Its Joy』 feat. Stephen O’Malley(スティーヴン・オマリー/US, FR)& Lucy Railton(ルーシー・レイルトン/UK)
会場:淀橋教会 〒169-0073 東京都新宿区百人町1-17-8

今シリーズのフィナーレは、新宿区大久保の多国籍な街中に位置する淀橋教会にて開催される。パイプオルガンによる作品で知られる作曲家・サウンドアーティストのKali MaloneがStephen O'Malley、Lucy Railtonとともに、国際的に高評価を得て、Billboard Classical Crossover 4位を獲得した最新作品『Does Spring Hide Its Joy (2023)』を日本初公演にて披露する。ダブルヘッドライナーとして、近年日本を拠点にヨーロッパ、アメリカで高い評価を得ている自作のパイプオルガン奏者でサウンドアーティストFUJI|||||||||||TAが登場。

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About 33-33:
33−33(サーティースリー・サーティースリー)は、ロンドン拠点のレコードレーベル兼イベントプロダクション。年間を通してイベントプログラムを企画制作するだけでなく、33−33レーベルからのレコードのリリースや、アーティストとともに個別のプロジェクトを制作するなどしている。
33−33は、イースト・ロンドンの教会にて2014年以来開催されているイベント『St John Sessions』を機に発足。過去にはガーナ、東京、ベイルート、カイロでイベントを開催している。2018年には音楽、アート、パフォーマンスを紹介するフェスティバル『MODE』を設立。2018年には坂本龍一氏がキュレーションを行い、2019年にはLaurel Halo(ローレル・ヘイロー)がプログラムを構成した。

About BLISS:
BLISS(ブリス)は、2019年に日本を拠点として設立されたキュレトリアル・コレクティブ。アートと音楽の分野において、実験的な展覧会、イベントなど行う。抽象性が高く、実験的な表現を社会に発表、共有し続けることが可能な環境をつくることを目的としている。主なプロジェクトに、Kelsey Lu at Enoura Observatory (2019)、INTERDIFFUSION A Tribute to Yoshi Wada (2021)など。

Works of BLISS:
Kelsey Lu at Enoura Observatory
INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada

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SUPPORTED BY
アーツカウンシル東京
グレイトブリテン・ササカワ財団
大和日英基金

PARTNER
EDSTRÖM OFFICE

Ishmael Reed - ele-king

 ジョージ・オーウェルの『1984』といえば、誰からも貶されない小説のひとつだと思っている人も多いだろう。モダンSFの金字塔、左翼のためのディストピア小説、あるいはまた、あれは反共産主義者や新保守主義者にとってはロシア(ソ連)を描いたものだと解釈されてきた。全体主義にビッグ・ブラザー、そして思想警察──まさにスターリズニム、東洋的専制政治そのものじゃないか、というわけだ。しかしながらひとり、その栄えある『1984』の功績を認めつつも、完璧に批判した人がいる。イシュメール・リードは1984年、かいつまんで言えばこう突っ込みをいれたのだ。あのなぁ、あんたらエリート白人にとっては1984が来るべき暗黒郷かもしれないが、私らアメリカの黒人は、かれこれ300年間も1984の世界を生きているんだがね。ぞっとすような全体主義にビッグ・ブラザー、そして思想警察に狙われてな。監視され、個人のプライヴァシーは暴かれ、マルコムXやキング牧師はFBIから自殺を勧められている。オーウェルにはそれを見通す力がなかった。こう言い放ったのである。
 イシュメール・リードはまた、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの不朽の名作『2001年宇宙の旅』についても、彼らにとっての未来にはマイノリティの男性や女性がいないらしいと、40年も前に皮肉っている。アメリカからトランプが大統領として出てきたとき、1972年にリードが『マンボ・ジャンボ』で描いたとおりになったと指摘したのは、英『ガーディアン』だった。同書がいうように「アメリカは、自らのどん欲さをニューフロンティアと呼び、気紛れで、落ち着きがなく、暴力的だ」と。

 ジョージ・クリントンが映画化を望んだどころか、いまでは最高の小説のひとつとみなされ、ペンギン・クラシックス(すなわち歴史的古典)に認定されている『マンボ・ジャンボ』が日本で翻訳されたのは原書が出てから25年後のことだったが、古びていなかったし、予言的でもあった。当時はそれこそ平岡正明が同書に感銘を受けて、さっそく自らの論説に組み込んでいるのだが(『黒い神』を参照されたし)、それもまたよく理解できる話だ。コラージュめいた実験小説とも言えるその物語(寓話)は、ジャズを讃え、ジャズで踊る黒人たちを讃え、早い話「ジャズより他に神はなし」を神話化し、白いアメリカの思い上がった歴史を、黒い世界史をもってコミカルに相対化しているのだ。
 あんな芸当は、よほどの知性とガッツがなければできるものではないのだが、リードは文筆のかたわら、音楽家としても活動している。NY前衛ラテン・ジャズの旗手キップ・ハンラハンのプロデュースによる『Conjure』(1988)は、彼の詩の朗読を交えたアルバムで、長い間、イシュメール・リードの唯一の音楽作品として認知され、そして耳の肥えた連中から評価されていた。なにせこのアルバムは、参加しているミュージシャンの顔ぶれがすごい。アラン・トゥーサン、デイヴィッド・マレイ、スティーヴ・スワロウ、ビリー・ハート、カーラ・ブレイ、アート・リンゼイ、レスター・ボウイ、タジ・マハール……そしてキップ・ハンラハンと。だから、その実力者たちの洒脱な演奏によって評価されたきらいもあり、彼はそれを快く思わなかった。イシュメール・リードだからこそ集まったミュージシャンたちなのだが、この熱血漢ときたら、自分の実力で評価されたわけではないというわけだ。

 私が刑務所に行かなかったのはジャズのおかげだ。ジャズに夢中になりすぎて、悪さをする時間がなかった──これほどジャズを愛するリードが、本格的にジャズ・ピアノを学びはじめたのは60歳を過ぎてからだった。そして80もなかばに迫った昨年、リードは彼自身のピアノ演奏をフィーチャーしたソロ・アルバムを完成させ、発表した。10代前半でギターを覚えた人が20代前半でロック・バンドでデビューする、幼少期よりピアノを習っていた恵まれた人が20代前半でデビューする、こうした話は溢れている。だが、60を過ぎてからピアノを習い、70手前で癌が見つかった小説家が84歳になって正式なデビュー・アルバムをリリースするなんていう話は、なかなか希有ではないだろうか(もうあと数週間で85だ)。
 もっともこうした前情報は、本作を聴くうえで弊害になるおそれがある。作者の特別な物語が幻想を膨らませるだろうし、それが音楽的な成果として表れるとは限らないからだ。が、心配はご無用。それを思えばなおのこと、本作は感動的に思えてくる。つまり、60からジャズ・ピアノを学んだリードにしか作れない作品という意味で、まずは素晴らしいアルバムなのだ。こんな自由な発想は、幼少期からピアノを習っていたら逆に難しいだろう。

 本作『The Hands of Grace』の表題曲は、2021年に発表した戯作のために書いた曲で、アルバムのオープナーはその題材になったジャン=ミシェル・バスキアの名が曲名にある。『Wire』によればその舞台劇は、「NYのアート界を動かしている白人至上主義における資本主義の力学を、独特の痛快さとウィットをもって検証し、バスキアに寄生して利益を得ている人物たち(アンディ・ウォーホルも含む)を特定するもの」だという。落ち目だったウォーホル並びにNYアート界は、商品としてのバスキアをちやほやし、人間としてのバスキアを犠牲にした。じつを言えばリードは、この舞台劇の資金不足を補うために、本作の発売を思い立ったのだった。アルバムに収録された前半は、その戯作「キャビアを愛した奴隷(The Slave Who Loved Caviar)」のために書いた曲が収録されている。
 リードによるピアノの独奏を録音したその前半6曲は、唖然とするほどシンプルで、遊び心がふんだんにある。実験的と言ってもいいだろう。生演奏をそのまま録って、なんの加工もなくそのまま収録しているので、とうぜんミスも、鍵盤を叩く音やリズムを取る足の音なんかもそのまま録音されている。坂本龍一の『12』のように演奏者の呼吸まで聞こえる作品だが、こちらは一本のマイクで録ったのだろう、総じてローファイで、初期シカゴ・ハウスのように粗く、荒々しい。ジャズである。
 解説によればチャールズ・ミンガスの『ミンガス・プレイズ・ピアノ』を意識したようではあるが、あんな流暢な演奏はない。だが、じつに独特な雰囲気が創出されている。最初は、人を食ったようなあまりにも簡素な反復を、テンポが不安定なまま、エラーも込みで展開している。道化てみせながら相手を油断させるかのごとく、アルバムの中盤からはジャズの常套句を時折混ぜつつ、リスナーをいつの間にかこの音楽の虜にする、そんな感じだ。『マンボ・ジャンボ』で描かれた、誰もが踊ってしまう疫病「ジェス・グルー」、この演奏のなかにもそれがリンクしているんじゃないかと、同書を読んでいる人ならアートワークを見て察することだろう。
  “How High the Moon(月はいかほど高いか)” という詩の朗読もある。光沢あるジャズ・ピアノをバックに、曲のなかで月の高度(23万8900マイル)が計算される。その曲から最後までの4曲はほんとうに美しい。とくに最後の2曲は、いまは亡きパートナーと娘に捧げた曲で、アルバムの終わりには、娘ティモシーがリードの留守電に残したのであろう次のヴォイスメッセージで終わっている。「今日、外は綺麗。それだけを言いたかったの(It’s beautiful outside today, and that’s all I wanted to say.)」

 演奏によって語ることの意味を考えた小説家の、怒りと愛、瞑想と躍動、それから微笑みのこもったこのアルバムがリリースされたのは昨年末のことだが、これはもう、まったく予期しなかった嬉しいプレゼントをもらったような気分だ。こうしたソロ演奏主体の作品は、よくよく「親密的」などと評されるが、とてもじゃないけれどこれは「親密的」ではない。ぼくには遠い、ずっとずっと遠いところにある、なんというかある種の憧れだ。『Conjure』の1曲目のタイトルにもなった「ジェス・グルー」とは、そう、ジャズ/ブルース、世界を変えた黒いスピリットの根本原理、西洋的なるものを滅ぼす革命的種子を指している(たぶん)。『マンボ・ジャンボ』がいう。「黒人たちがやることはわけがわからん。で、わかったときには次のことをおっぱじめているんだ」。ちなみにイシュメール・リードについて「マイメン」とラップしたのは、ケンドリック・ラマーも尊敬するトゥパック、曲名は “Still I Rise(それでも俺は立ち上がる)” という。

(2月7日追記)イシュメール・リードに関しては、後藤譲の『黒人音楽史』にも詳しい。興味のある方はチェックして!

Aaron Dilloway - ele-king

 モダン・ノイズのカリスマ、アーロン・ディロウェイが来日する。元ウルフ・アイズのメンバーにして、『Wire』誌にいわく「ノイズの扇動者」、そしてテープ・ミュージックの急進主義者、2021年にはルクレシア・ダルトとの素晴らしい共作『Lucy & Aaron』も記憶に新しいアーロン・ディロウェイが来日する。もちろんあの傑作『Modern Jester』(2012)や『The Gag File』(2017年)の作者です。
 ディロウェイは2013年に初来日しているが、そのときのすさまじいライヴ・パフォーマンスはすでに伝説になっている。今回は10年ぶりの再来日。東京の〈Ochiai soup〉と大阪の〈Namba Bears〉の2公演のみ。すべてのノイズ・ファンをはじめ、変な電子音楽/実験音楽/アヴァンギャルド好きは必見。

■Rockatansky Records Presents
Aaron Dilloway Japan Tour 2023

2/11 Sat at Ochiai soup
Open 6 pm, Start 6:30 pm
Door 3,500 yen
w/ Incapacitants
Rudolf Eb.er
Burried Machine
ご予約 | reservation:
https://ochiaisoup.com/?event=2022-02-11-sat-rockatansky-records-presents-aaron-dilloway-japan-tour-2023

2/19 Sun at Namba Bears
Open 6 pm, Start 6:30 pm
w/
Solmania
Burried Machine
Info: https://rockatanskyrecords.bandcamp.com
 
 なお、2月10日にはDOMMUNEにて、来日記念番組があり。アーロン・ディロウェイのほか、今回の競演者でもあるキング・オブ・ノイズこと美川俊治。初来日に続き今回の来日も主宰、Nate Youngの初来日も企画するなどWolf Eyes関連との交友を持つBurried Machineこと千田晋、そして編集部・野田も出ます。アーロン・ディロウェイってどんなアーティストなのかを知りたい方は、ぜひチェックしましょう!
 
Talk : Aaron Dilloway(Hanson Records)、美川俊治(Incapacitants)、千田晋(Rockatansky Records/Burried Machine)
ゲストMC:野田努(ele-king)
Live:The Nevari Butchers

不気味なものの批評を超えて - ele-king

 イギリスの批評家マーク・フィッシャーの『奇妙なものとぞっとするもの』の日本語訳が、先日 ele-king books の一冊として刊行された。本書は日本語に訳されたフィッシャーの著書としては『資本主義リアリズム』、『わが人生の幽霊たち』、『ポスト資本主義の欲望』に続く四冊目に当たる。これらのうちでおそらく最も有名な『資本主義リアリズム』は、ドナルド・トランプのアメリカ合衆国大統領就任と著者フィッシャーの自殺がほぼ同時期に起きたあの悪夢のごとき2017年の翌年である2018年に邦訳が出版され、資本主義とは異なる社会的組織化の原理をもった世界を想像することさえ困難になってしまった現在の私たちを取り巻く生と思考の諸条件をクリアに描き出してみせた絶望的なまでにリーダブルな書物として、日本でも大きな話題となった。それゆえ多くの人にとってマーク・フィッシャーの名は、『資本主義リアリズム』の著者として、同書における怜悧で核心を突くような政治的社会的考察の数々とともに記憶されているに違いない。彼の晩年の講義録であり最近邦訳が刊行されたばかりの『ポスト資本主義の欲望』は、2010年代に入ってからのフィッシャーがゼロ年代後半にみずから提示した暗鬱たるヴィジョンからの逃走線を、いやむしろ構築線とでも呼ぶべきものをいかにして引こうとしていたかを生々しく物語るものとなっており(ジェルジ・ルカーチの『歴史と階級意識』とヘルベルト・マルクーゼの『エロスと文明』があのような仕方で再評価されるなどといったい誰が予想できただろうか)、『資本主義リアリズム』に感銘を受けた多くの読者の期待に応えるものとなっている。「出口なし」の状況、個人主義的な快楽主義の規範のなかで見失われる集合的な享楽の可能性、「新しいもの」や実験への欲望に対して絶えず加えられる新自由主義的な抑圧──そのような条件のもとで実存的に窒息しかけながら、打開策を求めて必死で手探りし続けている人々に、翳りを帯びた表情で、しかしユーモアを忘れずに内在的な救いの手を差し伸べる。マーク・フィッシャーとはそのような人だった。現代大陸哲学の確かな知識にもとづき政治と社会を縦横無尽に論じてゆく左派のブリリアントな「理論家」としてのフィッシャーの姿が、そこには明瞭に記録されている。
 他方で、『わが人生の幽霊たち』と『奇妙なものとぞっとするもの』の二冊にはフィッシャーの別の相貌が映し出されている。すなわち、「理論家」としての政治的フィッシャーに完全に統合されているとは言いがたい、「批評家」としての美学的フィッシャーである。周知のとおりフィッシャーは90年代にウォーリック大学の哲学科で学び、博士号を取得している。当時そこでは異端のドゥルーズ&ガタリ派哲学者ニック・ランドが教えており、レイ・ブラシエやイアン・ハミルトン・グラントやロビン・マッカイといった、思弁的実在論と呼ばれる大陸系哲学運動の中核をのちに担うことになる人々も学生として籍を置いていた。フィッシャーは彼らと晩年まで友人であり続ける。彼が一見すると『資本主義リアリズム』での自身の立場と正反対に見えるもの、すなわち加速主義──イギリスではランドを通じて広められた、資本がもたらす認知的かつ技術的な生産のプロセスを徹底的に加速させることで資本主義そのものを内破させることができるとする立場──に積極的にコミットする姿勢を見せたのにもそのような背景がある。しかしフィッシャーは初めからウォーリック大学にいたわけではない。ランドとともにあの伝説的な CCRU(Cybernetic Cultural Research Unit)を立ち上げたセイディー・プラントが96年に同大学に移ってくるまでは、70年代以来カルチュラル・スタディーズの牙城であったバーミンガム大学で学んでいた。つまり彼はもともと、スチュアート・ホールやポール・ギルロイの系譜に属するカルチュラル・スタディーズの研究者(の卵)だったのである。94年には雑誌『ニュー・ステイツマン』にオアシスやブラーに代表されるブリットポップの反動性を批判した記事を寄稿する傍ら、D-Generation という「パンクの幽霊に取り憑かれたテクノ」をコンセプトとしたグループで「Entropy in the UK」というEPを発表し、音楽批評家サイモン・レイノルズの目に留まったりもしている。したがってフィッシャーの活動の中心には当初から音楽が、それも文化全体への批判的視点に貫かれたものとしてのパンク(もしくはポストパンク)があったのだと言われねばならない。
 以上のとおり「批評家」としてのフィッシャーは、ポピュラー文化が生み出した諸々の作品、あるいはより正確に言えば「文化的生産物」のうちに、解放的未来への政治的想像力を活気づけるようなエッジの効いた美学的ポテンシャルを探ろうとする立場をとっていた。資本主義リアリズム(サッチャー的な「この道しかない=オルタナティヴなど存在しない」)への政治的批判と、加速主義(パンク的な「未来などない=未来の幽霊の声を聴かなければならない」)への美学的コミットメントという二つのパースペクティヴの不安定な総合を試みるルート、抑鬱への傾斜をも含んださまざまな危険に満ちたルートを歩みつつあった彼の姿は、2000年代の前半から彼が自身のブログ K-Punk や『The Wire』などの雑誌に発表してきた音楽、小説、映画、テレビドラマといった多彩なジャンルの生産物を取り扱うテクストからなる『わが人生の幽霊たち』(原著は2014年に出版)においてとりわけはっきりと確認することができる。そこでフィッシャーは、ザ・ケアテイカーブリアルといったミュージシャンたちを「アンイージー・リスニング」の実践者、失われたユートピア的未来の亡霊を絶えず回帰させるような「憑在論」(哲学者ジャック・デリダの用語)の美学の実践者として、力強く支持することになる。この「憑在論」の美学に関して強調されねばらないのは、そこで念頭に置かれている聴取のタイプが、80年代リバイバルやヴェイパーウェイヴなどに見られるような明らかに自己慰撫的な「ノスタルジー・モード」(批評家フレドリック・ジェイムソンの用語)の聴取のそれとはまったく似て非なるものであるということだ。幽霊や亡霊の形象を動員することでフィッシャーが試みているのは、私たちの眼と耳を私たちの慣れ親しんだ世界のイメージから引き剥がして、見慣れないもの、よそよそしいもの、異邦的なもの(the alien)のほうへと向けなおさせることである。フィッシャーの美学的格率が述べるのは、私たちは自身の思考をつねに「外部(the outside)」へと方向づけておかなければならない、ということだ。
 『わが人生の幽霊たち』と同じく五井健太郎によって日本語へと訳されたフィッシャー生前最後の著作『奇妙なものとぞっとするもの』は、何よりもそのような「外部」の概念の具体的な練り上げを試みたものとして読むことが可能な書である。本書では、ホラー小説とSF映画と(広義の)実験音楽とが同じ概念的道具立てによって論じられるが、そこで基軸となるジャンルはホラーだ。このことは、ダルコ・スーヴィンの『SFの変容』が典型的であるように、批評的評価の観点からは伝統的にSFのほうがホラー(ファンタジー)よりも意義深いものだと見なされてきたことを踏まえるならば意外に感じられるはずである。さらにフィッシャーは、本書の序でみずから定義する「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」という二つの概念を用いることによって、ホラーやSFをめぐる批評的言説の世界でこれまで覇権的な地位を占めてきた「不気味なもの」という精神分析的な概念を乗り越えることを企てる。「奇妙なものやぞっとするものを「ウンハイムリッヒ」なもの〔=不気味なもの〕の一部と見なすことは、外部から世俗的なものへの撤退の徴候である。広範に見られる「ウンハイムリッヒ」なものにたいする偏重は、ある種の批判〔critique〕へと向かう衝動に対応するものであり、そしてこの批判はつねに、内部の穴〔gaps〕や行き詰まりを通じて外部を処理することによって作動する。だが奇妙なものやぞっとするものはこれとは反対の動きをおこなう。すなわちそれらは、外部の視点から内部を見ることを可能にするのだ」(邦訳、14頁)。外部を内部化し、幽霊をドメスティケートしてしまう精神分析および「不気味なもの」の概念を拒絶したうえで、内部をいかなる意味でもその相関項ではないような外部の視点から掴み返し、幽霊をオイディプス的三角形から解放して猛り狂わせるような戦略をフィッシャーはとる。これは批判/批評への反逆でもあるのだ。また、ここでのフィッシャーの「不気味なもの」概念の批判(あるいはむしろ「批判の批判」)には、先述した通り彼と近しい間柄であった思弁的実在論の哲学者たちが「相関主義」──カント以来の、したがって「批判/批評哲学」以来の大陸哲学に支配的であった傾向──への批判として展開した議論とよく似た点があることも指摘されるべきだろう。ホラーの概念的ポテンシャルを展開することで、外部を内部と相関させることなく、しかもあまりに難解な表現に頼ることなく、素面で思考する方法を彼は開発しようとしたのだ、と言ってもよい。本書におけるグレアム・ハーマンやレザ・ネガレスタニやベン・ウッダードへの参照は、フィッシャーが友人たちのそうした哲学的思弁の冒険に対してある種の親近感を抱いていたことの証左を与えている。
 さて、しかしそうなってくると問題は──なお、本書の訳者である五井が原語の多義性に配慮して「奇妙なもの」という包摂度の高い訳語を充てた “the weird” は、H・P・ラヴクラフトのクトゥルー神話や日本における怪談に相当するゴシックとの結びつきがはっきりと意図されている概念である以上、私個人は「怪奇なもの」あるいは「奇怪なもの」と強く訳すのが妥当ではないかとやはり思ってしまうのだが、それはともかく──「不気味なもの」の「批評/批判」を超えるための概念がなぜ二つあるのか、ということになりそうである。もっと踏み込んで言うなら、「外部」はなぜ二つ存在しなければならないのか、ということだ。それに関連することとして、フィッシャーが「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」を恐怖(horror / terror)の情動に必ずしも結びつくものではないとしている点も注目に値する(邦訳、10頁参照)。この二つの「外部」の存在様態は、恐怖へのゲートとしても十分に機能するが、そうならないように機能することもできる──それはなぜなのか。このような問いに納得のいく答えを与えることは、この短い紹介記事ではもちろん到底なしえない。しかし、「何にも属していないもの(that which does not belong)」というフィッシャーによる「奇妙なもの」の定義が、アラン・バディウの哲学における「出来事とは状況へのその所属〔appartenance; belonging〕が決定不可能であるような多のことである」という主張を思い起こさせるという事実から、少なくとも彼がどのような狙いのもとで、「奇妙なもの」は「モダニズム的な作品や実験的な作品」にしばしば見出されるものであり、「新しいもの」の指標となるものだと述べているのかを推測することはできる(邦訳18頁)。それは「理論家」フィッシャーの関心事であるポスト資本主義的世界の実現可能性という問題に、おそらく深く関わっている。すなわち、その世界は、いまだ資本主義的世界の想像力のなかに生きる私たちにとってはたいへん「奇妙なもの」と感じられるに違いないが、にもかかわらず、私たちはそれを享楽しようとするポジティヴな感情をもつことができる──そのような含意が、「奇妙なもの」に関するフィッシャーのさまざまな記述からは浮かび上がってくるように思われるのだ。
 他方で、「不在の失敗や現前の失敗によって」構成されると言われる「ぞっとするもの」が、運命論(fatalism)と行為主体性(agency)に関わるとされているのは、これもやはり『ポスト資本主義の欲望』における「資本には媒介する力(エージェンシー)があります」(邦訳174頁)という発言と関連づけて読まれるべきであろう。『奇妙なものとぞっとするもの』では資本自体がそもそもあらゆる点で「ぞっとするもの」であることが述べられている(邦訳15頁)。「ぞっとするもの」の概念は、いるはずなのにいない誰か(現前の失敗──遺跡)やいないはずなのにいる誰か(不在の失敗──幽霊)への回路を開く「ケア」的なニュアンスをもつものと解釈することもできるが、他面では、徹底的に非人称的で脱中心化された運命の車輪──私たち自身が始めたものであるはずなのにその終わりを想像することができなくなってしまったもの──としての資本主義という恐ろしいイメージに通じているものでもあるのである。「ぞっとするもの」という情動はそれゆえ、「外部」のネガティヴな存在様態としての側面をもつと言っていいだろう。むろん、ネガティヴであってもこの情動を通して私たちは、「外部」としての世界についての認知地図を拡張する機会を手に入れられることに変わりはないのだが。
 必ずしも恐怖に結びつくわけではないとはいえ、それでもジャンル・フィクションとしてのホラーとの結びつきが強固な二つの「外部」概念である「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」をどのように読み解いていくかは、読者に委ねられている。ここまでの紹介で誤解させてしまっていないことを願うばかりだが、本書『奇妙なものとぞっとするもの』は、難解な哲学書の類いではまったくない。取り上げられる作品や作家は具体的かつポップであり、フィッシャーの筆致はつねに明快でありヴィヴィッドでさえある。にもかかわらず、ここまでの紹介が示してきたとおり、フィッシャーの「理論家」的テクストと「批評家」的テクストを今後私たちが総合的に読もうとする際には、『奇妙なものとぞっとするもの』は間違いなく鍵となるような内容を含んでいると判断される書物なのである。「批評/批判」が前提とするようなジャンル間ヒエラルキーを疑いつつ、「不気味なもの」によってドメスティケートされない「外部」を思考すること、そのような普遍的(でおそらくは集合的)な理論的課題に取り組みつつも、個体的で特異的な作品や作家と向きあい、そこに表現されている幽かな行為主体性を言葉で掬いとることを、たとえその行為が淡々としすぎていてほとんど淡白に近いものになる瞬間があったとしても、本書においてフィッシャーは一切怠っていない。そこで賭けられているのは、自己の行為主体性を信じるのと同じくらい、運命の奇怪な力、あるいはむしろ運命のなさの不思議な力を感じつつ、世界そのものの行為主体性を信じることだ。それは決して簡単なことではないだろう。だからこそ、そのようなことが目論まれた書物は──ラヴクラフトが作り上げた架空の/ハイパースティショナルな書物『ネクロノミコン』がそうであるように──千年でも二千年でも、永遠に、読まれそして読みなおされることができてしまうのである。本書「も」また、そのような呪われた書物の一冊、ぞっとするほどにポップで、怪奇/奇妙なまでに希望に満ちた書物の一冊なのだということは、もちろん、言うまでもない。

Brian Eno - ele-king

 狙いは明確だ。ほとんどの曲にヴォーカルがフィーチャーされている。歌手としてのブライアン・イーノがここにいる。なぜか。言いたいこと、言わねばならないことがあるからにほかならない。
 近年は自身が主導的な役割を担うわけではない共作やサウンドトラック、アーカイヴ音源集などのリリースが続いていたけれど、ライフワークたるジェネレイティヴ・ミュージックの到達点を示した『Reflection』(2017)以来、5年10か月ぶりとなるソロ・アルバムがついにお目見えとなった。
 2022年は国内外問わず、ことばに力のある音楽が多く送り出されている。イーノの新作『永遠にそしてもはやない(FOREVERANDEVERNOMORE)*』もまたその潮流に連なるものと言えるだろう。
 ここ数年の最大の関心事が気候危機にあることは、昨年の「EarthPercent」(音楽産業が、気候問題にとりくんでいる組織をサポートできるようにするための慈善団体)の設立を見てもわかる。新作のテーマもずばりそれだ。

 といってもイーノは、「地球にやさしく」のようなありがちな感傷に留まることはない。冒頭 “Who Gives a Thought” に耳を傾けてみよう。この曲でイーノは「だれがホタルについて考えるだろう」「だれが線虫について考えるだろう/いまや考える時間なんてない/顕微鏡でないと見えないような虫について/研究もされないような細菌について/商業的価値がないから」と小さきものたちへ眼差しを向けたあとに、「だれが労働者について考えるだろう」と続けている。無視される小さきものたちと市井の民を重ねることで、いわゆるSDGs的なものが金持ちたちの新しいおもちゃにすぎないことを暴露する、痛烈な一節だ。
 気候危機について考えをめぐらせるとき、彼は資本主義がもたらす格差を念頭に置いている。三田格+坂本麻里子による『CINRA』のインタヴューをぜひ参照していただきたいが、気候変動の標的が低所得者層だということをイーノはよくわかっている。想像してみてほしい。家が流されるほどの土砂崩れだろうと、地獄のような猛暑だろうと、金持ちならいくらでも対処できるのだから。

 一方で、世のなかにはテクノロジーが問題を解決すると信じている向きもある。そういったおためごかしにもイーノは与しない。“Icarus or Blériot” では、傲慢のため墜落したギリシア神話のイカロスと、じっさいに堅実にドーヴァー海峡横断を成功させた航空技師ルイ・ブレリオが対比され、人類の強欲、やりすぎに警鐘が鳴らされている。絶対に沈まないはずだったのに沈んでしまったタイタニック号をテーマとすることで科学技術への過信をいさめた、『The Ship』(2016)を継承するレトリックだ。IT技術が万事を解決すると思いこんでいるシリコンヴァレー派への挑戦だろう。
 だがイーノ当人もまた、テクノロジーの恩恵にあずかってきた者のひとりだったはずだ。ロキシー・ミュージック時代のVCS 3しかり、ロバート・フリップとの共作におけるテープ操作しかり、数々のヴィデオ・アートにアプリに……じっさい今回も、ほとんどの曲がジェネレイティヴな手法で制作されているという。
 ここで興味深いのがAI技術のひとつ、ディープフェイクの活用である。メロディ・メイカーとしての才能が発揮された “There Were Bells” では鳥の鳴き声のような、しかし電子音のようにも聞こえるサウンドが存在感を放っている。この曲がそうなのかどうかはわからないが、『WIRED』のインタヴューによれば、本作ではディープフェイクで作成されたニセの鳥の鳴き声も用いられているらしい。参照元をあいまいにするこのアイディアは──宣伝も兼ねて言えば、マーク・フィッシャーが『奇妙なものとぞっとするもの』で指摘していたように──『On Land』(1982)に通じる試みと言えよう。テクノロジーはむしろわれわれが普段気づいていない、「ぞっとするもの」を出現させるためにこそあるのだ、と。

 レオ・エイブラハムズ、ジョン・ホプキンス、ピーター・チルヴァースといったなじみの面々とともに練りあげられた暗くも美しい音響は、『The Ship』の続編と呼ぶべき陰影を醸成している。“We Let It In” などで聞かれる低い低いイーノのヴォーカルは、老いたがゆえに出せるようになった声を思うぞんぶん活用しており、とびきりの余韻に浸らせてくれる。“These Small Noises” なんかは民謡のようにもクラシック音楽のようにも聞こえる曲で、彼の新境地と言っていいだろう。
 全体的に、声はエレクトロニクスとの融和を優先している。“I'm Hardly Me” や最終曲における音声合成は『Kite Stories』(1999)や『music for 陰陽師』(2000)、『Another Day On Earth』(2005)のころ──すなわちオートチューンが注目されはじめた時期──によく試みられていたもので、いまこれを持ってくるのは、まだぎりぎりポジティヴな未来を想像することが可能だった00年前後を喚起するためなのかもしれない。

 本作はストレートなアンビエント作品ではないが、といってスターが高らかに歌いあげるアルバムでももちろんない。分類するならやはり「アンビエント」ということになるだろう。メッセージありきとはいえ、保守党をおちょくった “トーリーなら万事順調” のような、いかにもプロテスト・ソング然としたたたずまいは影を潜めている。グラミーを利用し戦争協力を呼びかけたゼレンスキーのごとく、音楽をプロパガンダにすることは、イーノのもっとも嫌うところだ。
 彼はライナーノーツを「皆さんと同じように」という一句ではじめている。そして「感情」の重要性を強調している。シンガロングの類からは慎重に距離をとった楽曲群から推すに、彼は歌をわれわれの周囲にあるもの、われわれをとりまくものとして扱おうとしているのではないか。たとえばコインランドリーで出会う、おそらくは大変な生活を送っているにもかかわらず、どこまでも気さくに振るまう年輩の労働者のように、わたしたちの「まわり」にいる隣人のひとりとして、社会にたいする不満の「感情」を声にしているのではないか。
 だからこれは、おなじくことばが力を持った2022年の作品のなかでも、スペシャル・インタレストウー・ルーのような燃え上がる反骨精神ではなく、まわりにいるはずの「小さきものたち」にフォーカスすることで現代社会の歪みを浮かび上がらせながら、あくまで未来を見据えようとする、七尾旅人のアプローチに近いんじゃないかと思う。人民に寄り添い、おなじ目線の隣人として、気候危機への「感情」を吐露すること。
 アンビエント・マスターであることとシンガーソングライターであることを両立させたイーノが、ここにいる。

* このタイトルは、イーノがよく引き合いに出すソ連の学者アレクセイ・ユルチャクの本『すべては永遠だった、なくなってしまうまでは(Everything Was Forever, Until It Was No More)』(邦訳『最後のソ連世代──ブレジネフからペレストロイカまで』半谷史郎訳、みすず書房、2017年)を想起させる。詳しくは『ele-king臨時増刊号 コロナが変えた世界』72頁参照。

interview with Dry Cleaning - ele-king

 『Stumpwork』というのはおかしな言葉だ。口にしてみてもおかしいし、その意味を紐解くのに分解してみると、さらに厄介になる。「Stump(=切り株)」とは、壊れたものや不完全なもの、つまり枯れた木の跡や、切断された枝があった場所を指す。そして、そこに労働力(= work)を加えるのは奇妙な感じがする。

 「Stumpwork」とは、糸や、さまざまな素材を重ねて、型押し模様を作り、立体的な奥行きを出す刺繍の一種で、もしかしたら、そこにドライ・クリーニングの濃密で複雑なテクスチャーの音楽とのつながりを見い出すことができるかもしれない。しかし、まず第一に、この言葉が感覚的に奇妙でおかしな言葉であることを忘れないでいよう。

 フローレンス・ショウは、いま、英語という言語を扱う作詞家のなかでもっとも興味深い人物の一人であり、面白くて示唆に富む表現に関しての傑出した直感の持ち主である。アルバム・タイトルでもそうだが、彼女は言葉の持つ本質的な響きというテクスチャーに一種の喜びを感じているようだ。“Kwenchy Kups”という曲では、歌詞の「otters(発音:オターズ)」という単語で、「t」を強調し、後に続く母音を引きずっているのが、音楽らしいとも言えるし、ひそかにコミカルとも言える。また、「dog sledge(*1)」、「shrunking(*2)」、「let's eat pancake(*3)」といった言葉や表現には、「あれ?」と思うくらいのズレがあるが、言語的な常識からすると、訳がわからないほど逸脱しているわけではなく、ちょっとした間違いや、型にとらわれない表現の違和感を常に楽しんでいることがうかがえる。このような遊び心あふれるテクスチャーは、「Leaping gazelles and a canister of butane (跳びはねるガゼルの群れと、ブタンガスのカセットボンベ)」のような、幻想的なものと俗なものを並列させる彼女の感性にも常に息づいている。ドライ・クリーニングの歌詞は、物語をつなぎとめる組織体が剥ぎ取られ、細部と色彩だけが残された話のように展開する。何十もの声のコラージュが、エモーショナルで印象主義的な絵画へと発展していくのだ。

*1: 正しくはdog sled(=犬ぞり)。「Sledge」はイギリス英語で「そり」なので、dogと合体してしまっているが、dog sledが正確には正しい。
*2: 正しくはshrinking(=収縮)。過去形はshrank、過去分詞はshrunk、現在進行形はshrinkingでshrunkingという言葉は存在しない。動詞の活用ミス。
*3: 正しくはLet’s eat a pancakeもしくはLet’s eat (some) pancakes。文法ミス。冠詞が入っていないだけだが、カタコト風な英語に聞こえる。

 音楽性において『Stumpwork』は、彼らの2021年のデビュー作『New Long Leg』(これも素晴らしい)よりも広範で豊かなパレットを露わにしている。ドライ・クリーニングのサウンドは、しばしばポスト・パンクという伸縮性のある言葉で特徴付けられ、トム・ダウズの表情豊かなギターワークからは、ワイヤーの尖った音や、フェルトやザ・ドゥルッティ・コラムの類音反復音を彷彿とさせるような要素を聴くことができるが、彼は今回それをさらに押し進めて、不気味で酔っ払ったようなディストーションやアンビエントの濁りへと歪ませている。ベーシストのルイス・メイナード、ドラマーのニック・バクストンは、パンクやインディの枠組みを超えたアイデアやダイナミクスを取り入れた、精妙かつ想像力豊かなリズムセクションを形成している。オープニング・トラックの“Anna Calls From The Arctic”では、まるでシティ・ポップのような心地よいシンセが出迎えてくれるし、アルバム全体を通して、予想外かつ斜め上のアレンジが我々を優しくリードしてくれる。このアルバムは、聴く人の注意を強烈に引きつけるようなものではなく、煌めくカラーパレットに溶け込んでいく方が近いと言えるだろう。

 だがこの作品は抽象的なものではない。現実は、タペストリーに縫い込まれたイメージの断片に常に存在するし、自然な会話の表現の癖を捉えるショウの耳にも、そして彼女の蛇行するナレーションとごく自然に会話を交わすようなバンドの音楽性とアレンジにも存在している。ある意味、このアルバムはより楽観的な感じがあって、人と人がつながる幸せな瞬間や、日常生活のささやかな喜びに焦点を当てているのだが、やはり、フローレンスの歌い方は相も変わらず、不満げで、擦れた感じがある。イギリスの混乱した政治状況は、曲のタイトル“Conservative Hell”に顕著に表れているのだが、私は、とりわけ混乱した状況の最中にトムとルイスと落ち合うことになった。イギリス女王は数週間前に埋葬されたばかりで、リズ・トラス首相の非現実的な残酷さが、ボリス・ジョンソンのぼろぼろな残酷さに取って代わったばかりで、リシ・スナックの空っぽで生気のない残酷さにはまだ至っていないという状況だった。

 3年ぶりにイギリスを訪れた私は、いきなりこんな質問で切り出した。

最近のイギリスでの暮らしはどのような感じですか?

トム:ニュースを見ていると、まるで悪夢だよ。しかも、すべてはいままでと同じような感じで進んでいる。新しい首相が誕生したことで、ひとつ言えることは、いまがまさにどん底だってことで、保守党政権の終焉を意味してるということ。12年間も緊縮財政を続けたのに、何の成長もなかったから、上層部の議員でさえ、もはや野党になる必要があるなんて言っているんだ。まあ、良い点としては、次の選挙で保守党が落選することだろう。デメリットは、保守党落選まで、俺たちは、彼らが掲げる馬鹿げた政策に付き合わなければならないってことだね。

ルイス:うちの妹みたいに政治に全く興味のない人でも、「ショックー! マジでクソ高い!」って言ってるんだ。 請求書や食料の買い出しなど、いまは本当にキツイ状況になってる。

トム:まさにその通りだね。もし次の選挙で負けたいなら、国民の住宅ローンをメチャクチャにしてやればいい!


by Ben Rayner(左から取材に答えてくれたギターのトム、中央にベースのルイス、そしてヴォーカルのフローレンスにドラムのニック)

ニュースを見ていると、まるで悪夢だよ。しかも、すべてはいままでと同じような感じで進んでいる。新しい首相が誕生したことで、ひとつ言えることは、いまがまさにどん底だってことで、保守党政権の終焉を意味してるということ。12年間も緊縮財政を続けたのに、何の成長もなかったから、上層部の議員でさえ、もはや野党になる必要があるなんて言っているんだ。

私の家族も同じようなことを言っていますよ。さて、この話題をどうやって新しいアルバムにつなげようかな......(一同笑)。先ほど、普段通りの生活をしながらも、現在の状況が断片的に滲み出てきているとおっしゃっていましたね。もしイギリスの政治情勢がアルバムに影響を与えているとしたら、それは日常生活のなかに感じられる、そういったささやかな断片なのだと思います。例えば、ある曲でフローレンスは「Everything’s expensive…(何から何まで物価は高いし...)」と言っていますよね。

トム: 「Nothing works(何をやっても駄目)」そうなんだよ。俺たちがフローの歌詞についてコメントするのはなかなか難しいんだけど、彼女は、ひとつのテーマについて曲を書くということは絶対にしない人なんだ。彼女の曲を聴いていると、脳の働き方がイメージできる。俺は以前、自転車に乗っていて車に轢かれたことがあるんだが、気絶する直前、不思議なことがいろいろと頭に浮かんできたんだ。でも、さっき俺が言った「いままでと同じような感じで進んでいる」というのは、「いままでと同じような感じで進んでいるけど、すごく抑圧的な空気が影に潜んでいる」という意味なんだ。それでも仕事に行かないといけないし、請求書も払わないといけないし、日常のことはすべてやらないといけない。ただ、政治情勢がね……俺たちは12年間この状況にいたわけで、少しでも好奇心や観察力がある人なら、その影響を受けていると思うよ。

ルイス:俺たちはいつもひとつの場所に集まって、一緒に作曲をする。フローは、自分の書いた歌詞を紙に束ねて持って来るから、それを組み合わせたり、繋げたり、丸で囲んだり、位置を変えたりしている。そうやって、様々なアイデアが集まるコラージュのようなものを作っているんだ。

(ドライ・クリーニングの音楽を)聴いていると、何かの断片が自分を通り越していくような感じがするんです。

トム:でも、ランダムってわけじゃない。彼女は、歌詞を一行書くと、次は、逆の内容を書くという性分みたいなものがあると思う。響き的にも、テクスチャー的にも、コンセプト的にも、まったく違うものを書くんだよ。例えば、絵を描くときに、すべての要素がうまく調和するようにバランスをとっているような感じかもしれない。

ルイス:俺たちが自分たちのパートを演奏することで彼女の歌詞に反応するという、会話みたいなことをたくさんやっているんだ。

(アルバムには)日常生活の断片のような一面もあるので、自分たちでアルバムを聴いていて「あ、この会話覚えてる……」と思ったりすることはあるんですか?

トム:ああ、たしかに俺たちの言ったこととか、自分がいた場で友だちが言ったこととかが、歌詞に入ってるよ。

ルイス:俺たちの演奏と同じように、彼女も即興で歌詞を書くことが多いし、あらかじめ考えたアイディアも持っている。バンドで演奏しているときは、その場の音がかなりうるさいから、ヴォーカルだけ別録りして、フローが言ったことを自分で聴き返せるようにしたんだ。今回のアルバムでは、ファーストよりも、レコーディングのプロセスで歌詞を変えていたことが多かったみたいだけど、それほど大きな違いはなかったと思う。

トム:それは、スタジオでの即興をたくさんやったからということもある。でも、だいたいの場合、フローは俺たちが曲を作り始めるタイミングと同じ時に作詞をはじめるんだ。曲を書きはじめる時はみんなで集まって、ルイスが言っていたように、フローがやっている何かが、俺たちのやっていること、つまりサウンドに影響することがよくあるんだよ。“Gary Ashby”を作曲しているときは、フローが、行方不明になった亀について歌っていると知った時点で、こちらの演奏方法が変わった。フローが言っていることをうまく強調する方法を探したり、フローの歌詞をもっと魅力的にできるように、もっとメランコリックにできるように工夫する。以前なら使わなかったマイナーコードなどを使うかもしれない。音楽を全部作った後に、彼女が別の場所で歌詞を書くということはめったにないよ。もっとオーガニックな形でやってるんだ。

ルイス:俺たちは、他のメンバーへの反応と同じような方法で、フローにも反応する。俺がドラムに反応するのと同じように、彼女のヴォーカルにも反応するし、その逆もしかり。(フローの声は)同じ空間にある、別の楽器なんだ。

初期のEPや、特に前作と比べて、(作曲の)アプローチはどのように変化したのでしょうか?

トム:作曲のやり方はいまでも変わらないよ。基本的にみんなでジャムして作曲するんだ。

ルイス:携帯電話でデモを録ることが多いね。みんなでジャムしていて、「これはいい感じだな」と思ったら、誰かが携帯電話を使って録音しはじめる。そして、翌週にその音源で作業することもあれば、半年間放置されていて、誰かが「そういえば、半年前のジャムはなかなか良かったよな」って思い出すこともある。ほとんどの曲はそんな始まり方だよ。今回はスタジオにいる時間が長く取れたから、意図的に、曲が完成されていない状態でスタジオに入ったんだ。

トム:そう、アプローチの違いは、基本的に時間がもっと使えたということ。前回は2週間しかなくて、なるべく早く仕上げないといけなかった。

ルイス:それに、ファースト・アルバムのときは、事前にツアーをやっていたから、レコーディングする前にライヴで演奏していた曲もあったんだ。今回は、ツアーができなかったから、アルバムをレコーディングし終わって、いまはアルバムの曲を練習しているところなんだ。

なるほど。曲を作曲している段階で、観客の存在がなかったということが、この作品のプロセスにどのような影響を与えたのか気になっていました。

トム: 実際に曲をライヴで演奏して試してみないとわからないから、何とも言えないね。その状況を受け入れるしかなかったよ。ライヴで曲を演奏することができなかったから、自分たちがいいと思うようなアルバムを作ることにしたのさ。

ルイス:(自分たちの曲を)聴くってことが大事だと思う。スタジオでは、また違った感じで音が録音されるから。スタジオで実験できるのはとてもいいことだし、俺たちの曲作りのプロセスには聴き返すという部分が多く含まれている、ジャムを聴き返すとかね。もし俺たちがレコーディングして、それを聴き直して編集するという作業をしていなかったら、ほとんどの曲は、演奏していて一番楽しいものがベースになるだろうけど、実際はほとんどそうならない。聴き返すということをちゃんとしているから。ライヴで演奏できなかったけれど、結局、同じようなことが起こったと思う。つまり、何が演奏して楽しいかよりも、何が良い音として聴こえるか、ということに重きが置かれることになるんだ。

トム:それと、1枚目のアルバムで学んだのは、あるひとつの方法でレコーディングしたからといって、必ずしもそれがライヴで再現される必要はないということ。だから、今回のアルバムをいまになって、またおさらいしているんだ。アルバムには絶対に入れるべき要素もあるけれど、また作り直していいものもある。『New Long Leg』のツアーでは、“Her Hippo”と“More Big Birds”に、新しいパートを加えたり、尺を長くしたりしていたから、この2曲は(アルバムヴァージョンより)少し違う曲になったんだ。

ルイス:偶然にそうなるときもあるよね。ツアーを通して、曲が自然に進化していくこともある。

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俺たちはいつもひとつの場所に集まって、一緒に作曲をする。フローは、自分の書いた歌詞を紙に束ねて持って来るから、それを組み合わせたり、繋げたり、丸で囲んだり、位置を変えたりしている。そうやって、様々なアイデアが集まるコラージュのようなものを作っているんだ。

今回のアルバムを聴いていてしばしば感じたことなのですが、曲が自然な形で完結し、これで終わりかなと思ったらまた戻ってきて、それが時にはそれまでとは全く違う感じになっているということがありました。それも、スタジオで色々と作業する時間が増えたからなのでしょうか?

トム:それにはいくつかの要因があると思う。まず、“Every Day Carry”を作ったときは、初めてスタジオで三つのパートを作って、そのなかでも即興演奏を加えたりした。“Conservative Hell”のときは、曲の最後の部分は、曲の最初の部分を完成させてから、何かが足りないと感じていたところに、ジョン(・パリッシュ、プロデューサー)が、何か作り上げようという気にさせてくれたから、出来たものなんだ。

ルイス:ファースト・アルバムでは、ジョンは曲を短くするのがとても上手だったけど、“Every Day Carry”では曲を伸ばそうという意図があった。ジョンにとっても、そのプロセスが実は楽しかったみたいだ。セカンド・アルバムのときも、ジョンはまた曲を短くするんだろうと覚悟していたんだけど、彼はもっと曲を伸ばそうとしていた。長くするのを楽しんでいたみたいだった。「曲は長い方がいいんだ!」とか言って。ジョンが曲を長くしてくれたことに、俺たちは驚きだったよ。

プロデューサーのジョン・パリッシュのことですね?

ルイス:そう。

ジョン・パリッシュは、私の地元ブリストル近辺の出身なんです。彼は、私が大好きなアルバム、ブリリアント・コーナーズの『Joy Ride』をプロデュースしたんですよ……(一同笑)。彼が他にも、さらに有名なアルバムを手がけているのは知っていますけど、私はとにかくブリリアント・コーナーズが大好きなんですよね。

トム:それがジョンのいいところだよね。自慢話をするような人ではないし、あまり有名人の名前を出したりしないんだけど、一緒に夕食をとっているときに、何か言ったりする。ジョンがトレイシー・チャップマンのレコードを手がけたって言うから、俺は「何だって!?」と思ったよ。彼にはそういうエピソードがあるんだけど、それは自然に彼から引き出さないといけないんだ。

ジョンとの制作は2回目ということで、親しみもあり、リラックスした雰囲気で仕事ができたのでしょうか?

トム:そうだね、それにはいくつかの理由があると思う。まず、自分たちの状態が安定していたということ。『New Long Leg』が好評だったことも自信につながったし、あの時点では、もっと大規模な公演にも出ていたから、とにかく気持ちが楽だったんだ。最初のアルバムでは、テイクを重ねながら、「これは絶対に素晴らしいものにしないといけないから、俺は全力を尽くさねば!」なんて思っていたんだけど、実際には、そんなこと思わなくていいんだと後で気づいた。アルバムを制作するということはとても複雑なことで、本当に数多くの段階があるから、ミキシングとマスタリングが終わる頃には、自分がそもそも何をしようとしていたのかさえ、すっかり忘れているんだ。だから、今回のアルバムでは、ある意味、ありのままを受け入れた。良いテイクを撮ろうとはするけれど、ジョンが満足すれば、次の作業に移るということをしていた。

ルイス:それにファースト・アルバムでは、ジョンと会った直後にレコーディングしたんだ。彼に会って、ほんの数時間で“Unsmart Lady”を録音して、次の曲に移って、また次の曲に移ってという感じ。バンドとして演奏する時間があまりなかったんだ。

トム:そうそう、それに前回は、彼が「それは嫌だから、変えて」とか言うもんだから、耐性のない俺たちにはショックだったよな(笑)。

ルイス:そうそう、で、トムは「え、今からですか?」ってなってたよね。前回は、日曜日に休みが1日だけあって、土曜日にジョンに「それは嫌だから、明日の休みの日の間に変えてくれ。では、月曜日に!」って言われたんだ。

トム:でも、前回のセッションが終わるころには、俺たちはすっかり溶け込んでいた。ジョンの仕事の仕方が気に入ったし、彼のコメントを個人的に受け止めなくていいってことが分かった。それに俺たちの自信もついたし、バンドとして少したくましくなったから、彼のコメントにもうまく対処できるようになった。だから、2枚目のアルバムでは、もしジョンが何かを違う風にやってみろと言ったら、俺たちは素直に違うやり方を模索した。

ルイス:それに、今回は音源に何か変更を加えるためにスタジオ入りしたという感じもある。最初のアルバムでは、多くの曲を既にライヴで演奏していたから、みんな自分のパートやアイデアに固執してしまっていて、それを変えるのは難しかった。でも今回は、もっとオープンな気持ちで臨んだんだ。

今回のアルバムは、ファースト・アルバムに比べて音の質感がかなり広がった感じがあります。それは自然にそうなったのでしょうか、それとも何か意識的に音を広げる要素があったのでしょうか?

トム:俺たちの音楽の好みが広いから、そうなることは自然だと思うんだよね。もし、もっと時間があれば、俺はアンビエント系のプロジェクトをやりたいと思うし、ルイスと一緒にメタル・バンドをやりたいとか、いつも思うんだよ。ニックはきっと何らかのダンス・ミュージックをやるだろうな。

ルイス:ドライ・クリーニングは、そうしたすべてのアイデアをさまざまな方向にうまく展開させた、素敵なコラボレーションなんだ。

トム:ルイスが1枚目のアルバムから今回のアルバムへの移行を説明したように、1枚目のアルバムでは、様々な方向に進むための余白がほとんど残っていなかった。2枚目のアルバムでは、そこから少し先に進めたという感じ。そして、もし次のアルバムを作る機会があれば、できれば3枚目のアルバムでは、さらにそれを発展させたいと考えているんだ。いろいろな道を模索していきたいと思っている。だから、もう少しアンビエントな方向に行きそうなときでも、「いや、こういう音楽は作りたくない」とはならずに、その流れに乗ることができるんだ。俺たちは、すでにそういう音楽が好きだからね。

ルイス:それに、スタジオで何ができるかということもいろいろと学んでいる。最初のEPはデモみたいなもので、2、3時間でレコーディングした。スタジオで演奏する時間があまりないから、リハーサルルームでいい感じに聴こえたものを、自分のパートとして書き留めていくような感じだった。2枚目のアルバムでは、スタジオ用に曲を書いていたという意識が強かった。曲を書いていて、トムが「この上に12弦ギターを乗せるべきだ!」などと言い出したりね。キーボードのパートがあったとしたら、ニックが静かに演奏しながら「アルバムではもっと大音量にするけど、こうやって弾くとすごくいい音になるんだよ」と言ったりね。そういう実験がもっとできるようになったんだ。

そのアンビエントな感じがもっとも顕著に表れているのが“Liberty Log”ではないかと思いますが、スポークン・ワードが大部分を占める曲のために作曲することというのは、従来のポップ・ソングのヴァース、コーラス、バースという構成に比べて、別のやり方で音楽を構成していくことになるのではないかと思うのですが。

ルイス:メンバーの誰かが「じゃあ、そろそろコーラスを演奏してみるか?」と言うんだけど、他のメンバーが「どれがコーラスなの?」って聞き返すことが何度もあったよ。

トム:そうそう、「どれがコーラス?」って。

ルイス:それで、どこがでコーラスなのか、みんなで決めるんだよ。

トム:それは実は良い傾向だと思うんだ。俺たちは皆、それぞれ別の考え方をしているけど、そんななかでも音楽は成立しているんだってこと。これは俺も同感なんだが、ルイスは過去のインタヴューで、俺たちのアイデンティティの強さのひとつは、すべての中心にフローがいることだと言っていて、彼女の声が俺たちをしっかりと固定して支えてくれることだと言っていた。たしかにミュージシャンとして、いろいろなものを取り入れる余地が与えられているように感じられるね。“Hot Penny Day”を書きはじめたとき、俺が最初にメイン・リフを書いたんだが、それは、『山羊の頭のスープ』時代のローリング・ストーンズみたいなサウンドに聴こえたんだけど...。

ルイス:誰かが、それをぶち壊したんだよ!

トム:それをルイスに聴かせて、一緒に演奏し始めたら、スリープみたいなストーナー・ロックみたいなものに変わり始めて、よりグルーヴィーになったんだ。

ルイス:そこにフローが加わると、一気にドライ・クリーニングのサウンドになるんだ。彼女の声や表現が、俺たちの音楽に幅を与えてくれていると思う。

トム:ミュージシャンとして、このメンバーと5年間一緒に仕事をしてきて、みんなそれぞれ、音のモチーフがあると思うんだ。ルイスだとわかる音があり、ニックだとわかる音があり、彼らにも俺だとわかる音がある。でもフローは間違いなくドライ・クリーニングという世界で、すべてを錨のように固定して、支えている存在なんだ。

by Ben Rayner

俺たちは皆、それぞれ別の考え方をしているけど、そんななかでも音楽は成立しているんだってこと。これは俺も同感なんだが、ルイスは過去のインタヴューで、俺たちのアイデンティティの強さのひとつは、すべての中心にフローがいることだと言っていて、彼女の声が俺たちをしっかりと固定して支えてくれることだと言っていた。

あなたがたが過去に活動していたバンド、サンパレイユとラ・シャークの作品を聴いていたのですが、例えばサンパレイユは一見パンク・バンドですが、わかりやすいパンク・バンドではないし、ラ・シャークは少しインディ・ポップ・バンドっぽいですが、これまたわかりやすいバンドではないように感じます。常に予期せぬ角度から攻めている気がするんです。

トム:俺たちが過去にいたバンドをチェックしてくれたのはすごく嬉しいよ! ドライ・クリーニングを理解するには、俺たちが過去にやってきたことがルーツになっていると思うからね。あなたが言う通り、俺たちは音楽の趣味が広い。俺が最初に経験した音楽はパンクやハードコアのバンドだったけど、スタイル的にかなり限界があると思っていたんだ。速い音楽のカタルシスも好きなんだけど、REMのメロディも好きなんだよ。ラ・シャーク(の演奏)は何度か見たことがあるけど、彼らは、明らかに歪んだ感じのポップ・バンドだったけど、後期の作品はインストゥルメンタルなファンカデリックのようなサウンドだったんだ。そんなわけだから、自分たちのいままでの影響をすべてひとつのバンドに集約するには時間が足りないんだよ。

ルイス:俺は運転中に、ふたつのバンドを組み合わせたらどうなるかっていう妄想をいろいろするんだけど、トムやニックやフローに会ったときに、そのアイデアを話すんだ。すると、彼らは「それ、やってみようよ!」と言ってくれる。で、やってみると、やっぱりドライ・クリーニングになるんだよね。ニュー・アルバムからフローのヴォーカルを抜いたら、いろんなジャンルに落とし込めそうな素材がたくさんあると思う。

フローレンスはすべての中心にいて、バンドのアイデンティティを束ねているとのことですが、同時に、彼女は少し離れているようなところもありますよね。新作では、ミックスの仕方だと思うのですが、以前よりもさらに、バンドがどこかひとつの場所で演奏しているように聴こえるのに、彼女のヴォーカルが入ってくると、まるで彼女が耳元で歌っているように聴こえるんです。まるで、自分がステージ上のバンドを観ているときに女性が耳元で囁いているような。

ルイス:それを聞いて、フローがバンドに入った経緯を思い出したよ。たしか、トムがバンド(の音楽)を演奏していたときに、フローがそれにかぶせるようにしゃべったのがはじまりだったね。

トム:俺たちは一緒にヴィジュアル・アートを学んでいて、当時は二人とも漫画の制作をしていて、その話をするために会ったんだ。彼女が「最近は他に何してるの?」と聞いてきたから、「ルイスとニックとジャムしはじめたよ」と答えた。そのときにちょうどデモがいくつかあったから、彼女に聴いてもらった。彼女はイヤホンを取り外して、「ふーん、面白いわね」と言って、喋りを再開したんだけど、まだイヤホンから音が出ていて、音楽が聴こえてきて、彼女の声がそれにかぶさっていた。ジョンが俺たちのバンドのことで一番興味があるのは、どうやってフローの声をミックスするかと言うことだと思うんだ。このアルバムでは、彼女の息づかいがかなり感じられるようになっている。フローはとても繊細なパフォーマーだから、彼女がするちょっとした仕草、例えば舌の動きとか、そういったごく小さな音も、ジョンは確実に取り込もうとする。このことについて、ジョンがインタヴューで語っているのを読んだことがあるけど、彼女がやっていることすべてを聴かなければならないと言っていた。それが第一で、それをベースにしてミックスを構築して、バンドの音を加えているんだ。

ルイス:レコーディングの時はいつも彼女も同席して、同時に彼女のトラックも撮る。スタジオには、隔離された部屋がいくつもあるから、俺のアンプは1つの部離すためにかなりの工夫がされているから、バンドの音の影響をあまり受けないようになっているんだ。トムが言ったように、ジョンはその点にかなり重点を置いている。

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The texture of broken things

by Ian F. Martin

Stumpwork is a funny word. It feels funny in your mouth, and it only gets more awkward once you start breaking it down to untangle its meaning. A stump is a broken or incomplete thing — the remains of a dead tree or the place where an amputated limb used to attach — and it seems like a strange thing to dedicate one’s labour toward.

It refers to a form of embroidery where threads or other materials are layered to create an embossed, textured pattern, giving a feeling of three dimensional depth to the image, and perhaps in this we can reach out and contrive a connection with the increasingly rich and intricately textured music of Dry Cleaning. But we shouldn’t forget that it’s first and foremost a viscerally strange and funny word.

Florence Shaw is one of the most interesting lyricists in the English language right now, and she has a remarkable instinct for interesting and evocative phrasing. Just as with the title itself, she seems to take a sort of joy in the inherent sonic texture of a word — the way she hangs on the hard t and trailing vowels of the word “otters” in the song Kwenchy Kups is both musical and quietly comical. There’s a constant delight in the awkwardness of small errors and unconventional phrasings that reveals itself in words and expressions like “dog sledge”, “shrunking” and “let’s eat pancake” that deviate disconcertingly but never incomprehensibly from linguistic norms. This playful texture is also ever-present in her instinct for juxtaposing the magical and the mundane that results in lines like, “Leaping gazelles and a canister of butane”. Dry Cleaning’s lyrics play out like a story where the connecting tissue of narrative has been stripped out, leaving only the details and colour — a collage of dozens of voices that adds up to an impressionistic emotional tableau.

Musically, Stumpwork reveals a broader, richer palette than the band’s (also excellent) 2021 debut full-length New Long Leg. The band’s sound has often been characterised with the elastic term post-punk, and you can hear elements that recall the choppy angles of Wire or the chiming sounds of Felt and Durutti Column in Tom Dowse’s expressive guitar work, but he takes it further this time, twisting it into queasy, drunken distortions or ambient haze. Bassist Lewis Maynard and drummer Nick Buxton make for a subtle and imaginative rhythm section that brings in ideas and dynamics from beyond punk and indie tradition. Smooth washes of almost city pop synth welcome you into opening track Anna Calls From The Arctic, and unexpected and oblique arrangements pull you gently one way and another throughout the album. It’s not an album possessed of an urgent need to grab your attention so much as a shimmering palette of colours to melt into.

It’s not an as disaffected and worn as ever. Britain’s confused political situation filters through, most explicitly in the song title Conservative Hell, and I catch up with Tom and Lewis in the middle of a particularly chaotic moment. The Queen has just been buried a couple of weeks prior, and the delusional cruelty of prime minister Liz Truss has recently replaced the ramshackle cruelty of Boris Johnson, but not quite yet given way to the vacant, lifeless cruelty of Rishi Sunak.

It’s been three years since I last had a chance to visit the UK, so I open with a big question.

IAN: So what’s it like living in Britain these days?

TOM: If you look at the news, it’s a living nightmare. Beyond that, though, things just carry on kind of as they were before, really. One thing that I think has happened now with the new prime minister is that this is the nadir: this is the endgame of Conservative politics. We’ve had twelve years of austerity and no growth, and even high ranking MPs are sort of admitting that they need to be an opposition party now. So one good thing about that is that the Conservatives are going to get voted out in the next election. The downside is that until that happens, we have to live with the stupid policies they have.

LEWIS:Even someone like my sister, who totally ignores it, even she’s like, “It’s shocking; it’s really fucking expensive!” — the bills, the food shopping, it’s getting really tough now.

T:That’s a really good point. If you want to lose the next election, fuck with people’s mortgages!

I:I’m hearing similar things from my family too, yeah. So seeing if I can segue this into the new album… (everyone laughs) What you were saying earlier about life going on as normal but with little pieces of the situation coming through, it feels like if the political situation in the UK informs the album, it’s in these little fragments filtering through normal life, like at one point Florence just remarks, “Everything’s expensive…”

T:“Nothing works.” Yeah, it’s quite difficult for us to comment on Flo’s lyrics, but she’s definitely the kind of person who wouldn’t make a song about one subject. Her songs remind me of the way your brain works. I remember being hit by a car on my bike once, and on the edge of the void there’s all sorts of strange things that come to your mind. But I should clarify what I said earlier about how everyone’s just getting on with things: everyone’s just getting on with things but under a very oppressive shadow. You still have to go to work, you still have to pay your bills, you still have to do all the normal things, it’s just that the political climate — we’ve been under this for twelve years, and if you’re an even slightly curious or observant person, it’s going to affect you.

L:We write together in the room at the same time, and she’ll have a stack of papers which will have lyrics that she’s written and will sort of combine and join together, and there’s lots of circling that and dragging it to that, making almost a collage where lots of different ideas come together.

I:When I’m listening, it feels like fragments of something flowing past me.

T:It’s not random though. When she writes a line, she has the sort of temperament to write the opposite line next — something completely different tonally, texturally, conceptually. It’s almost like when you’re making a painting or something, you’re trying to balance all the elements so it works nicely.

L:There’s a lot of reacting to us in the room playing our parts and us reacting to her, like a conversation.

I:There’s such an aspect of fragments of daily life to it and I wonder if there’s ever a sense where you’ll be listening to it and think, “Oh, I remember that conversation…”

T:Oh, there’s definitely things that we’ve said or things that friends have said when I was there and they’re in the lyrics.

L:And like ourselves, she improvises a lot when writing her lyrics as well as having some pre-formed ideas. We’ve had to get better at finding ways to record because the room’s quite loud when we’re playing, so a lot of times we’ll separately record the vocals so she can hear back what she said. I think on this record the lyrics changed more when it came to recording than on the first record, but not a huge amount.

T:That was partly because we improvised quite a lot of stuff in the studio. But generally, Flo will start at the same time we start writing the song. We’re all there at the start of it, and like Lewis says, a lot of the time there’s something Flo is doing that informs how we’re doing our thing as well — tonally, if that makes sense. When we were writing Gary Ashby, when I found out she was singing a song about a tortoise that’s gone missing, it changes the way you play; you find ways of punctuating what she’s saying, making it more charming or melancholy, you might use a minor chord or something that you wouldn’t have done before. It’s rare that we’ll write a whole song and then she’ll go away and write all the lyrics — that never happens, and it’s a more organic thing.

L:We’ll react to her in the same way we react to each other. I’ll react to the drums in the same way I react to the drums and the guitar, and vice versa. It’s another instrument in the room.

I:How has the approach changed, since the early EPs and the last album in particular?

T:We still write in the same way. We write by basically just jamming together.

L:There’s a lot of phone demos. We’ll be having a jam, think “This sounds OK” and someone just clicks on their phone and starts recording, and then sometimes we’ll work on it the next week or sometimes it’ll get lost for six months and someone will be like, “Hey, that jam from six months ago was quite good.” That’s how almost everything starts. This time, because we had more time in the studio, we intentionally went in with ideas less finished.

T:Yeah, the change in approach was basically that we got more time. Before we had two weeks to get it down as quickly as possible.

L:Also, with the first record, we were doing some tours beforehand, so we were playing some of that record live before we recorded it. This time we didn’t get a chance to do that: we recorded it and now we’re in the process of learning it.

I:Right, and I was wondering how not having the constant physical presence of the audience while you were developing the songs affected the process on this one.

T: It’s hard to say really, because without actually road testing the song, you never know. We just embraced it really: we couldn’t play live, so we just write the album the way we wanted to.

L:It comes down to listening, because things get captured differently in the studio as well. It’s quite nice to be able to try something in the studio and a lot of our writing process comes down to listening — like listening back to jams. It’s a nice way of doing it, because if we weren’t recording and listening back and editing from there, a lot of our songs would be based on what was the most fun to play, but that rarely happens because it’s all about listening. And I think that happens as well with not being able to play it live: it’s less about what’s fun to play and more about what sounds good.

T:I think also we learned from the first record that just because you’ve recorded a song one way, that’s not necessarily how it has to be live again, so that’s why we’re sort of relearning the album now. There’s things on the album that definitely need to be on there, but there’s also things that we can just make up again.Touring New Long Leg, there’s Her Hippo and More Big Birds where they just changed and became slightly different songs — added a new part to them, made them longer.

L:Sometimes by accident as well. Sometimes they kind of naturally evolve through a tour.

I:One thing that happens a few times on the new album is that a song will work its way to a natural sounding conclusion, I’ll think it’s ended, but then it will come back and sometimes as something quite different from what it was before. Was that something that came out of having more time to play around in the studio?

T:I think there’s several factors there. First, when we did Every Day Carry, that was the first time we did that in the studio, literally making three parts and kind of improvising some of them. When we did Conservative Hell, that whole last section of that song really came from the first part of the song down and feeling like there was something missing, and John (Parish, producer) was very good at motivating us to just go and make something up.

L:On the first album, John was quite good at making songs snappy, but with Every Day Carry we sort of extended it — and I think he quite enjoyed that process. When it came to the second album, we were kind of prepared for him to make things shorter again, but he seemed to extend stuff more. i think he kind of enjoys it, like, “It’s good when it’s longer!” He surprised us quite a lot by extending songs.

I:That’s John Parish, your producer, right?

L:Yeah.

I:He’s from around my hometown in Bristol. He produced one of my favourite albums, Joy Ride by The Brilliant Corners… (everyone laughs) I know he’s done way more famous albums than that, but they’re one of my favourite bands!

T:That’s one of the great things about John: he’s not the kind of person to brag about things or he doesn’t namedrop much, but when you’re having dinner, he’ll say something — he told me he did a Tracy Chapman record, and I was like, “What!?” He’ll have these stories, but you have to get it out of him naturally.

I:Was it more relaxing working with him this second time, with the familiarity?

T:I think in several ways. Firstly, we were more comfortable, just in ourselves; we’d been doing it longer and had more confidence. The fact New Long Leg did well gave us confidence, we’d played bigger shows by that point, and we were just feeling comfortable. I remember doing takes on the first record and feeling, “This has to be amazing, I have to give this everything!” and then you realise you don’t. Making an album is so complicated, there’s so many layers to it that by the time it’s mixed and mastered, you’ve completely forgotten what it was you were trying to do. So definitely on this one we sort of accepted things the way they were; you try to get a good take, if John’s happy, you move on to the next thing.

L:With the first one as well, we recorded it so quickly with John. We met him and within a few hours, we’d tracked Unsmart Lady, then we moved on to the next one and moved on to the next one. We didn’t have time to play so much.

T:Yeah. And it was a bit of a shock to the system last time when he would say things like, “I don’t like that. Change it.” (laughs)

L:And you’d be like, “Uh… now?” We had one day off last time, on the Sunday, and on Saturday, he was like, “I don’t like that. Change that tomorrow on your day off. See you Monday!”

T:But by the time we got to the end of that session, we were really onboard with it. We liked the way he worked and you just don’t take it personally. Because you’re more confident, a bit more robust, you can deal with it a bit better — you expect it and you welcome it. So with the second record, if he says to go and do something differently, that’s what you’re looking for.

L:And we’d go into the studio looking for things to change. With the first record, we’d been playing a lot of those songs live, so maybe people were a bit more fixed on their parts and their ideas, so that’s harder to change. This one was a bit more open to change.

I:The sonic texture of this album feels a lot broader than the first one. Did that come naturally, or was there some sort of conscious element to expanding the sound?

T:I think it’s natural in the sense that our listening tastes are so broad. I often feel that if I had more time, I’d do some kind of ambient project, or me and Lewis could do a metal band together. For sure Nick would do some kind of dance music, wouldn’t he?

L:And Dry Cleaning’s a nice collaboration of all those ideas pulling nicely in different directions.

T:The way Lewis described the transition from the first record to this one, it’s like the first record left little markers down for different directions to go in and on the second record we take them all a little bit further. And then hopefully on the third one if we get the opportunity to do another one, we’ll take it even further. It’s all about exploring different avenues. So when things seem to go a little more ambient, we’re already into that kind of music and we’ll go with it as opposed to being sort of, “Oh, I don’t want to make that kind of music.”

L:We’re learning more about what we can do in the studio as well. The first EP was really like a demo, recorded in a couple of hours. You don’t get much time to play in the studio, so you sort of write your parts for what sounds good in the rehearsal room. Writing the second record, we were writing for the studio more. We’d be writing a song and Tom would go, “There should be a twelve string on top of this!” There’d be a keyboard part here, or Nick would be playing really quietly and saying “On the record it’s going to be really big but it just sounds good the way I’m hitting it like this.” You get to experiment more like that.

I:I suppose it’s on Liberty Log where that almost ambient feeling is most pronounced, and I was wondering if writing for what’s mostly spoken word lends itself to a different way of structuring music compared to the traditional pop song structure of verse-chorus-verse-chorus.

L:There were a lot of times where one of us would say, “Should we do the chorus now?” and then we’d be like, “Which one’s the chorus?”

T:Yeah, “What’s the chorus?”

L:And we’d all have to agree on what’s the chorus.

T:Which I think was a good sign, actually. It shows how we’re all thinking in different ways but music is getting done. I think I agree: Lewis has said before in other interviews that one of the strengths of our identity is you have Flo in the middle of everything, and her voice anchors you, and certainly as a musician it feels that you’re given a lot of room to chuck things in. When we first started writing Hot Penny Day, initially when I wrote the main riff it sounded like Goats Head Soup-era The Rolling Stones to me…

L:And then someone fucked it up!

T:And then when I showed it to Lewis and we started playing it together, it started turning into something more like Sleep or stoner rock — made it more groovy.

L:And then Flo gets involved and it instantly sounds like Dry Cleaning. I think her voice and her delivery gives us a lot of scope.

T:I mean, as musicians, having worked with these guys for five years, I think we all have our own sonic motifs — I can tell it’s Lewis, I can tell it’s Nick, they can tell it’s me — but Flo definitely anchors things in Dry Cleaning world.

I:I was angles.

T:I’m really glad you checked our previous bands! I think if you want to understand Dry Cleaning, it has roots in what we’ve done in the past. Like you say, because we’ve got broad music taste, my first experiences in music were in punk and hardcore bands but I did find them stylistically quite limiting. I like the catharsis of fast music, but I also like the melody of REM. I remember seeing La Shark a few times and it was clearly a sort of skewed pop band but their later stuff sounded like instrumental Funkadelic, so it’s almost like there isn’t enough time to put all your influences into one band.

L:I’ll be driving and have little fantasies about combining two bands, and then I’ll meet up with Tom or Nick or Flo and I’ll say that, and they’ll be like, “We should do that!” And once again, it’s still Dry Cleaning. If you took Flo’s vocals off the new album, there’s so many different genres you could put stuff into.

I:You say Florence is in the centre of it all, holding the identity of the band together, but at the same time, she’s also a little bit separate from it in some ways. On the new album, even more than before, the way it’s mixed you hear the band playing, who sound like they’re in a room somewhere, but then her vocals come in and it’s like she’s right up against your ear. Like you’re watching a band on the stage and there’s just this woman whispering in your ear!

L:That reminds me of Flo’s story about her joining the band started with you playing the band and her talking over the top of it.

T:We’d studied visual art together — we were both making comics at the time, and we met up to talk about that. She asked, “What else have you been up to?” and I said, “I’ve started jamming with Lewis and Nick.” I had some demos and she listened to it. Then she took her earphones out, said, “Oh, that’s interesting,” and started talking, and I could hear the music still with her voice over the sound out of the earphones in the background. I think John’s key interest in our band is how he mixes Flo. On this record to a much greater extent you can hear bits of her breath. Flo is a very nuanced performer: just the little things she does, like the click of her tongue or something — very small sonic things that he’s very keen to make sure are in there. I’ve seen him talking about this in an interview, about how you have to hear everything she’s doing: that’s the first thing, and then around that, he builds the mix and brings the band in.

L:She’s always in the room when we’re recording, and she’s tracking at the same time. We’re lucky enough to have isolated rooms, so my amps can be in one room, Tom’s amps can be in another room, Nick could be behind some glass, Flo’s in the room with us, and she keeps a lot of those vocals. There’s a lot of effort put into isolating her vocals so there’s not too much bleed from the band. I agree with what Tom said, John puts a lot of focus on that.

DJ Stingray 313 - ele-king

 こいつはめでたい。デトロイト・エレクトロの雄、現在はベルリン在住のDJスティングレイ313は、ドレクシアの意志を継承する者である。2007年から2008年にかけベルギーの〈WéMè Records〉よりリリースされた彼の12インチ2作品「Aqua Team」「Aqua Team 2」──前者はスティングレイ名義のデビュー作にあたる──がリマスターされ、3枚組LPとしてリイシューされることになった。今回のリリース元は本人の主宰する〈Micron Audio〉で、11月28日に発売。なお同レーベルからは、それに先立つ11月14日にコンピレーション『MCR00007』のリリースも予定されている。あわせてチェックしておこう。

artist: DJ Stingray 313
title: Aqua Team
label: Micron Audio
release: November 28th, 2022
format: 3×12″ / Digital

tracklist:
A1. Serotonin
A2. Straight Up Cyborg
B1. Star Chart
B2. Silicon Romance
C1. Potential
C2. Wire Act
D1. Binarycoven
D2. NWO
E1. Mindless
E2. Counter Surveillance
F1. LR001
F2. It's All Connected

artist: Various
title: MCR00007
label: Micron Audio
release: November 14th, 2022
format: 12″ / Digital

tracklist:
A1. Galaxian - Overshoot
A2. LOKA - ENERGY WORK (ANYANWU)
B1. Ctrls - Transfer
B2. 6SISS - React

Kendrick Lamar - ele-king

はっきりさせておきたい。私たちがラッパーに求めるのは、政治的な一貫性、明快さ、方向性、指示などではなく、むしろ肌の色を超えたアメリカの日常生活の当たり前の泡沫の表面に、目に見える分裂病の亀裂を生み出している精神的圧力の本質なのだ。
——グレッグ・テイト

 BLM熱の余韻がまだ残る昨年の7月、『The New Yorker』に掲載されたイシュメール・リードの長いインタヴュー記事において、彼は現代の反レイシズムを「新しいヨガ」と、反骨とユーモアの作家に相応しい言葉で揶揄している。1938年生まれ、マルコムXにインタヴューしたことで60年代はNYに移住、しかしブラック・ナショナリズムともブラック・アーツ・ムーヴメントとも袂を分かち、黒人男性は暴君だというステレオタイプとも、カーセラル・フェミニズムとも闘ってきたこの一匹狼は、BLMによって非黒人社会に広がった「黒人を知りましょう」的な空気がどうにも気に入らない。そういえば、ケンドリック・ラマーの5月にリリースされた『ミスター・モラル&ザ・ビッグ・ステッパーズ』にも、「黒人のトラウマの何がわかるって言うんだ?」という言葉があった。

 じつを言えば本作のレヴューは、夏前にほとんど書いている。が、途中で煮詰まって、自分でもいまいちだと放置したままになっていた。それがいまこうして最後まで書こうとしているのは、ほんの数日前、三田格とケイトリン・アウレリア・スミスの新作の話題からなぜかケンドリックへと転じ、彼から最後まで書くよう言われたからという、ただそれだけのことだったりする。(たしかに今年の重要作ではあるし、レヴューしない手はないのだが)
 リリースからはもう4か月も経っているので、プロダクションに関する詳しい内容はすっ飛ばしてもいいだろう。手短に言っておけば、二部構成になっていて、ぼくには長すぎるアルバムだが、ラマーらしいファンクとソウルあるいはジャズの折衷に加え、ストリングスやピアノを活かしながら実験的なサウンドにも挑戦している。多彩な音楽性と連動するラマーの幅広い魅力が詰まった野心作だ。高速ドラムとファスト・ラップの“United In Grief”、あまりにもリズミカルな男女の口喧嘩“We Cry Together”がとくに気に入っているが、良い曲はたくさんある(なにせ20曲近くあるのだ)。ゴーストフェイスキラーが登場する“Purple Hearts”の引き締まったリズムとメロウなライムや、ポーティスヘッドのベス・ギブソンをフィーチャーした“Mother I Sober”が今回の目玉であることはいまさら言うまでもないだろうが、いまあらためてここで強調したいのは、先行公開された“The Heart Part 5”のMVだ。マーヴィン・ゲイの人気曲“I Want You”の大胆なサンプリングからはじまるこのファンクに合わせて、憂鬱な表情をしたラマーが最高に格好いいラップを披露するその映像はじつに興味深い。よく見るとラマーの顔は、カニエ・ウェストやウィル・スミス、射殺されたニプシー・ハッスルや悪名高きO.J.シンプソンなど、言うなればスキャンダルにまみれた過去を持ち、公にバッシングされた黒人男性セレブの顔に変幻する。

 ぼくがこのレヴューを煮詰まった理由のひとつは、コダック・ブラックの起用をどう評価したらいいのかわからなかったことにある。じっさい、英米のレヴューでは彼の参加がアルバムの評価を二分する大きな要因となっているわけだが、レイプや暴行などの容疑で逮捕されトランプによって減刑されたラッパーに関する知識がぼくにはない。ただ、『The New Yorker』のレヴューがいうように、この起用が「もっとも人目を惹くリベラルに対す挑発」だとしたら、それそれでポリティカル・コレクトネスに対しラマーの投げた問題提起として考える価値は、充分にある。
 それにまた本作には、同紙が言うように“Alright ”がプロテストソングとして採用され、2020年のブラック・ライヴズ・マターのデモの際にラマーが沈黙したとされることへの反発もあると思う。そういう意味では自分への評価に対してもラマーは疑いを見せてもいるわけだ(それが、自らの過去の欠点や汚点を赤裸々に陳述していることにも、自分は救世主ではない発言にも連なっているのだろう)。だいたい“Savior”において、黒人活動家よりも自分はコダック・ブラック派だという煽りは、友情というか今回のアルバムにおける“個人に立ち返ることで社会を見る”というアプローチにも関わっている話だが、意味を汲み取ればずいぶん勇気ある発言だ。しかもその後のライヴでラマーはコダック・ブラックをステージに上げているのだから、これは“挑発”以上の何かである(アメリカにおけるキャンセル・カルチャーは、日本よりもはるかに強烈だと聞いている。いまもっとも評価の高いアーティストがそれに抗うことは、それなりに意味があろう)。
 しかしながらコダック・ブラックの起用に関しては、『Wire』などははっきりと失意を述べているのだが(いわく「信頼していた友人と仲違いしてしまったような気分」)、多くのレヴューに見られる「天才」「ピューリッツァー賞」*という面白味のない賞賛よりは、今作について部分的には批判を向けているそれのほうが、作品を深く理解する上では役に立った。もっともピッチフォークのレヴューが「ケンドリックは明らかにリスナーを困らせることに喜びを感じている」というように、『ミスター・モラル〜』はなんとも捉えどころのない作品だとぼくも思う。もちろんラマーが意図的にそうしたという可能性も決して低くはない。ただでさえ曲数が多いうえに、自己解放であり社会批評でもあり挑発でもあり……この時代の、とくにSNS上で好まれるトピックにいちいち対応した孤独な独白めいている。
 売れれば売れるほどブルーズが歌えると言ったのはジミ・ヘンドリックスだが、ラマーもいまその真っ直中にいるのかもしれない。これは、人生の成功者が勝ちどきを上げている作品なんかではないことはたしかだ。ポップスターの内的葛藤に同情するほど感情移入していないリスナーにとっては、それはどうでもいい話なのかもしれないけれど、BLMの主宰者の金銭スキャンダルが報じられ、抗議運動の熱もいつしか冷めていったかに見える今日において、個人に立ち返ったケンドリック・ラマーのやり方は少なくとも誠実な選択だったのだろうし、アルバムはこの時代の(そして多分にSNS上の)喧々がくがくたる混乱と苦い思いをある意味巧妙に表現してしまっている。もっとも抗議運動のその後については、(それを反植民地主義へと転化させた)UKでは以前として継承されていると聞くし、アメリカにだって気骨ある反レイシズムは絶対に活きている。たんに「新しいヨガ」として騒いだ連中がいなくなったと、それだけの話なのだ。


* ピューリッツァー賞のはじまりは20世紀初頭だが、ラマーが前作『DAMN』で受賞したその音楽部門において、1965年に審査委員会がデューク・エリントンを賞にとって初めてのジャズ音楽家であり黒人受賞者として推薦した際、理事会はそれを却下したという汚点がある(ちなみに黒人ジャズ・ミュージシャンが最初に受賞するのは1997年のウィントン・マルサリスの『ブラッド・オン・ザ・フィールズ』まで待たなければならなかった。つまり、マイルスやコルトレーンでさえ受賞したことはない!)。近年はあの悪名高きIOCでさえ、ジム・ソープの1912年のオリンピック金メダルをあらためて授与したこともあって(ネイティヴの血を引くソープの記録は当時は無効にされた)、今年はデューク・エリントンにピューリッツァー賞を与えよという署名運動が起きている。ちなみにその署名者のなかには、スティーヴ・ライヒとテリー・ライリーの名もあったことをここに付記しておこう。

Prison Religion - ele-king

 なははは、愛の夏ならぬ怒りの夏だった。やかましい。なんてやかましいことか。これでは眠れないぞ。たたでさえ眠りが浅いというのに、本当に止めて欲しい。が、しかし彼らは手加減などしなかった。この夏、耳を塞ぎたくなるノイズを高々と鳴らしていたのは、ヴァージニア州リッチモンドのパーカー・ブラック(Poozy)とウォーレン・ジョーンズ(False Prpht)のふたり、UKのリー・ギャンブルのレーベル〈UIQ〉からリリースされた、牢獄宗教(プリズン・レリジョン)という名の彼らのプロジェクトによる最新アルバムだった。
 「プリズン・レリジョンを聴くことは、体制を転覆させるために必要な素早い反射神経を身につけるために神経系を鍛えるようなものだ」と書いたのは『Wire』誌だが、こやつらは、ディストピアであることがもはや当たり前になってしまっている現状から目をそらさず、それをよしとしている体制に本気で怒っているのだ。現実社会で人びとが強いられている制度的な苦しみに共鳴し、戦闘的なマシンガン・ビートを打ち鳴らす。超アグレッシヴな周波数を発信し、ノイズまみれのラップ……いや、もはやラップではない、ほとんど原始的な叫びに近い声で訴える。(しかも、複数の評者が指摘していることだが、クラブ・サウンドともリンクするこのサウンドは決してマッチョではないのだ)

 悪酔いしそうなこの圧倒的な音楽を、本人たちはアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの1957年のアルバム、『ハード・バップ』に重ねている。同じように、プリズン・レリジョンの『ハード・インダストリアル・バップ』も時代への挑発であると。あるいはまた、彼らはこの激ハードなエレクトロニック・ノイズ・アルバムを、避けては通れない、作らなければならなかった作品としても見ているようだ。まあ、なんとかなるでしょ、などと彼らはのんきなことを考えていないという、それを音で表現したらこうなったと。当たり前の話だが、怒りはとは愛と裏表の関係にある。ノイズ音楽を聴いて涙した経験がある人にはわかるだろう。だからこれは感動的な作品でもあって、いや、しかしそれにしてもやかましいんだが。

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