「レイヴ・カルチャー」と一致するもの

Andy Stott - ele-king

 すぐ隣で踊っているのがゲンイチで、その隣には渡辺健吾が......って、こ、これは......いったい、そしてライヴの最後にスピーカーからはジャングルが飛び出す。
 おい、いまは何年だ!? 1992年? 2013年だ。が、しかし......。
 ここにあるのが実はポスト・ハードコア・レイヴだと言ったら君は一笑に付すだろう。1991年~1992年のUKハードコアすなわちレイヴ伝説はもう過去こと。だが、レイヴの亡霊はブリアルのエレジーを介して、まばゆい太陽から寒々しい暗黒に姿を変えて甦った。それをインダストリアル・ミニマルと人は呼んでいる。アンディ・ストットはこの動きの火付け役であり、キーパーソンだ。昨年の『ラグジュアリー・プロブレムス』は日本でも異例のヒット作となって、リキッドルームという大きなキャパでライヴをやるくらいの注目と人気を集めるにいたったわけである。オリジナル世代もいたが、フロアには若い世代も混じっていた。

 まずはこの現象に関して簡単に説明してみよう。たとえば1991年~1992年あたりのテクノの作品のジャケを並べてみる。ジ・オーブでもサン・エレクトリックでもエイフェックス・ツインでも良い。初期のオウテカでも〈トランスマット〉のコンピでも、その時代にものなら何でも。続けて、アンディ・ストットの「パスド・ミー・バイ」「ウィ・ステイ・オールトゲザー」あるいはデムダイク・ステアやブラッケスト・エヴァー・ブラックあたりのジャケを並べてみる。ほら、20年前の色彩豊かなアートワークは灰色の美学へと、太陽の物語は血みどろの惨劇へと転換されたのがわかるでしょう。
 この新しい世代の美学に近しいものが20年前にもある。初期のジェフ・ミルズや初期のベーシック・チャンネル、あるいはアンディ・ストットのフェイヴァリットのひとつであるドレクシアなど......(ストットの初期の影響とマンチェスターのシーンについては紙ele-kingのvol.9に掲載の彼のインタヴューを参照)。

 かつて花田清輝が指摘しているような、風俗化したアヴァンギャルドのなれの果てとしてのホラー映画、『死霊のはらわた』のごとき、おぞましい映像の断片をバックに、スローなピッチのミニマル・ビートが脈打っている。ベーシック・チャンネルをマイナス8でミックスしながら、上物はアインシュツルツェンデ・ノイバウテンめいた不吉極まりない音響が飛んでいる。『ラグジュアリー・プロブレムス』で聴けるあの女性の声がなければ世界は永遠の闇に閉ざされていたかもしれない。が、この誇張されたアンダーグラウンド感覚は、今日の明るいクラブ文化が失ったものかもしれないな......と思った。そう、この怪しさ、このスリル、この不健全さ。ビートルズからブラック・サバスへ、ピンク・フロイドからスロッビング・グリッスルへ、23スキドゥーからシャックルトンへ、レイヴからインダストリアル・ミニマルへ......。

 会場で会ったベテラン・クラバーのY君が言った通りだった。これはサイケデリック・ミュージックであり、レイヴ・カルチャーであり......、いや、もちろんメタファーとして言うが、異教徒のそれ、亡霊として生き延びているそれだった。筆者も生ける屍体(社会から抹殺された者たち)のひとりして踊った。なるほど、身体が勝手に動く。これはマンチェスターからのアンダーグラウンド宣言だった。ゴシックでもインダストリアルでもなんでもいいではないか、そこにレイヴがあるのなら。もうこうなると、デムダイク・ステアも行きたい!

みんなサイボーグ

もう若い子にとっては音楽は何らかの付帯情報、映像だったり、写真やイラストだったり、サンプリング・コラージュだったり、そういった情報要素が混ざった集合体として捉えられていくのかもしれませんね。(佐々木)

サンプリング自体、90年代から00年代のある時期まで、厳しい著作権の監視下によって表に出れなかったんですけれど、ネットの普及とともに、サンプリング文化自体がまた盛り返しているのも面白いですね。(野田)


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
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初回盤 通常盤

野田:ダークスターという、ダブステップ・シーンから登場したバンドが2009年に出したシングルに“エイディズ・ガール・イズ・ア・コンピュータ(エイディの彼女はコンピュータ)”という曲があります。当時ヒットしたし、評論家受けもしたエポックメイキングな作品なんですけど、これが初音ミク的にコンピュータのソフトウェアに歌わせた曲でしたね。それまでダブステップに歌がのる場合、たいていはR&B調のヴォーカルだったんですが、ダークスターはコンピュータのソフトが合成する声に、アンニュイなシンセポップを歌わせたんですね。
 今回、佐々木さんにお会いするので、僕なりにミク的なものを考えてみたんですけど、いろいろありました。そもそも、エレクトロニック・ミュージックのこの10年は、「声の10年」だったとも言えるかもしれないんです。たとえば、ジェイムス・ブレイクの“CMYK”、この曲の元ネタがケリスの“コート・アウト・ゼア”とアリーヤの“アー・ユー・ザット・サムバディ”だということはいまでは知られていますが、最初は誰の声かわからないほど加工されていました。
 こうした声ネタ加工が流行した発端は、レイヴ・カルチャーだったんじゃないかと思います。たとえばプロディジーは、声ネタのサンプリングを子どもの声になるようなハイピッチでやって、そのまま使って馬鹿馬鹿しさを出した。DJスクリューはまったくその逆で、速度を落として再生して、お化け声みたいものを面白がった。ダブステップ世代になると、たとえばブリアルなんかは、バカみたいな甘々のラヴ・ソングR&Bの言葉を幽霊のような声に加工しているんですね。00年代以降のポップスの主流はR&Bなわけですから、日本で言えばエグザイルみたいな連中の曲の歌の断片をリエディットして、意味まで別にものにしているんですね。そのいっぽうで、R&Bの泣き虫(ウーピー)系は、カニエとかドレイクとか、オートチューンを使いまくっていました。ポップスのサボーグ化とういか、ポップスのなかで声の加工という領域がここまで盛んだったことは過去になかったように思います。昔は、ギターが生から電気になっただけで騒がれたほどで、声は生にとって最後の領域だったと思いますが、それがいよいよ大々的にサイボーグ化している。
 そういうなか、メデリン・マーキーは最新型です。彼女は、ヴォコーダーを使って小鳥のさえずりのような音を出すんです。かつて戦争兵器として使われたなんて考えられない、というようなすばらしい使い方です。僕なりに初音ミクに繋がるような、いろいろレコードやCD持ってきたんですが、これがまずその1枚です。
 もうひとつ、音楽作品というのが、ソフトウェアとなったというか、ソフトウェアとしての音楽作品というのを実践したのが、ビョークが去年リリースした『バイオフィリア』でしたね。これは、アプリとしても制作・販売しています。それによって1曲1曲をインタラクティヴに楽しめるというのが彼女のコンセプトでしたが、これは、ソフト開発というものが技術屋ではなくて、アーティストの仕事になっていくという事態を象徴する作品だったと思うんですね。この道ではそれこそモノレイクが先駆的に、ソフトウェアの開発者でありIDMの作家であり続けていますが......。そういえば、昔、ローランドの909の発案者に取材で会いに行ったことがあったんですが、開発者はふつうに社員なんですよね。でもこれからはそうじゃなくて、909を作った人がアーティストになるようなことです。
 それから、もうひとつ、ヴェイパーウェイヴという新しいジャンルがあって、これもある意味初音ミク的というか......、いや、ミクのジャンク・ヴァージョンのように思います。アメリカ人ですが、日本語を多用していて、それも適当な翻訳ソフトで翻訳したであろう、壊れた日本語になっています(笑)。
 ヴェイパーウェイヴのサンプリング・ネタのほとんどはユーチューブであったり、ネット上に落ちているものです。作品自体は凡庸で、とくに新しいわけではないんですが、ネット上の海賊盤の交流会みたいな感じが新しいんです。ヒップホップのミックステープと違って、自分の音楽の売り込みのためにやっている感じではないんです。むしろ売る気がぜんぜんないというか、まったくやる気がないというか、「がんばれば君もポップスターになれるかもしれない」という夢をいかがわしい虚妄として見せているようにも解釈できるので、反資本主義などと評価されたりするような、デジタル時代のカオスがあるんですね。しかも、外から見た日本のイメージがかなり偏ったカタチで流用されています。ヴェイパーウェイヴでは、日本のアニメやオタク文化は、健全なアメリカ社会がもっとも望まないであろう、忌まわしきアイコンとなっているようなんです。ミクはアニメじゃありませんが(笑)。とにかく、やってしまえという感じでやってしまって、いまいちばん意味を求めているシーンです。
 もう1枚紹介させてください。メイン・アトラクションズです。クラウド・ラップというジャンルに分類される、USのラップ・グループです。この「クラウド」という言葉はサウンド・クラウドとかのクラウドです。やはりいろんなところから音を引っぱってきて、ルーピングしたりする。ギャングスタなのに、パフュームなんかも使っているほどです(笑)。〈タイプ〉というUKのアンビエント系のレーベルからも1枚出てるんですけどね。
 サンプリング自体、90年代から00年代のある時期まで、厳しい著作権の監視下によって表に出れなかったんですけれど、ネットの普及とともに、サンプリング文化自体がまた盛り返しているのも面白いですね。

佐々木:声から受ける情報は、人間にとって他の音とは比較にならないほど大きいし、重要ですから、エレクトロニック・ミュージックにしろ『声を扱える可能性』を持っていた時点でこうなる運命だったのだと思います。ヒップホップとか、ドラム+語りですしね(笑)。野田さんが言及されている声にまつわる音楽は自分にとっても興味深いです。ダークスターなどダブステップの拡散の中で、声の効果的な活用法というのは先鋭化されているのは音楽の流れとして必然と思いますし、メデリン・マーキーなどドローンのソースとしての声は、「動物の鳴き声」を掘り下げるような試みで、意味深に聴こえます。声の応用でサウンドメイクしているという情報と、波長が強調された音像が相まって身体的・肉感的な音楽に聴こえますね。まぁ妄想ですが(笑)。
 ヴェイパーウェイヴなど動画共有サイト時代のサンプリング感覚に関しては、おっしゃるとおりにもう時代は変わってしまっていて、情報=音源に関する認識も変わっていっているなと思います。もう若い子にとっては音楽は何らかの付帯情報、映像だったり、写真やイラストだったり、サンプリング・コラージュだったり、そういった情報要素が混ざった集合体として捉えられていくのかもしれませんね。それが「初音ミク的」と呼ばれるのであれば、同時代的なのだろうなと。親戚みたいな感じでしょうか。

野田:高周波数のサンプリングが一般化していく一方で、ロービット・サウンド熱も高まっていますよね。チップチューンとかね、一部の人たちがゲームボーイで音楽を作りはじめました。むしろ8ビット・サウンドがかっこいいんだという。その種の反動というのは必ずあるもので、もしかしたら初音ミクを用いる人にも無意識にそうした傾向があるのかもしれないですね。エイフェックス・ツインがジョン・ケージをカヴァーするいっぽうで、ガバをやるようなものです。

佐々木:そうですね、そこは表裏になっているなという感じもしていて、ロービット・サウンドの前にも、パトリック・パルシンガーのバキバキに歪んだテクノとか、エリック・Bのモコモコしたビートとか、そこまで音を悪くしなくていいでしょう? というくらいダンゴになったようなサウンドの人たちがいましたよね。昔はそれ自体が作家オリジナルであり異端でした。ユーチューブからのサンプリング・コラージュも、たぶん15年前だと〈ロス・アプソン?〉とかが世界中から集めて売っていたような、変態的な(笑)人々の音楽、というような認識しかなかったわけで、変わりましたよね。昔は、アナログ作業的でマイノリティでしかなかったものが、いまだと別の意味性を帯びてコラージュされたりしているわけですから。
 とにかく、変な音とか、気になる音とか、音に対して行き過ぎた興味を持っていくと、どういうふうになるんだろう? という好奇心が自分のなかにはあって。自分はそもそも音に対する捉え方が狂っていたなと思います。そういうなかで、初音ミクというのは、それまで自分のなかでイメージしたことのなかった「機械による可愛い声」を目指したものでもあったんです。でも、その「可愛い」自体がちょっとズレていたんですけどね。自分がアニメなどのカルチャーに詳しい人間だったらいちばんには選ばないような、基本「歌わない」人をセレクトしたし、自分が声優ファンではないからこそ、テンションの低いディレクションをしたんだろうなとは思います。
 余談ですが、自分が聴いた声の加工のなかでいちばん怖かったのは、エイフェックス・ツインが竹村延和の『チャイルズ・ヴュー』のリミックスでやってたものですね。あのなかで、声のピッチをグニャグニャにいじってすごく綺麗でロリータっぽくしている部分がありますが、あれは狂気です。綺麗で可愛い声を、暴力的に扱っている感じが怖かったですね......。

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『D.o.A.』、ポルノ、初音ミク

(藤田咲さんの声は)「個人性=我」の強い声だなと思ったんですね。濃いと思ったわけです。それを録って、ぶった切って、ボーカロイドに入れて、ボーカロイドの声として出てきたときはその自己主張のところがバラバラに崩れて、「そもそも自己主張が強かったもの」の残骸として出てくるんですよね。(佐々木)

次のボーカロイドは、モチーフがDX-7からEOSになっていたので、肌が白くて金髪だったんですけど(鏡音リン・レン)、アメリカ人から見れば、ロリータ声でこのヴィジュアルだと道徳的にあまりにひどいから、すぐにやめてくれと。(佐々木)


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野田:なるほど。女性の声を選ぶときに、セクシーな大人の声か、ロリータかという選択肢があったと思うんですけど、少女っぽいほうにしたのはなぜなんですか?

佐々木:ロリータ系の声というのは、いっぱい聴いたんですよ。要は声優さんの声って、ロリータのヴァリエーションの宝庫だったりするわけなので......。いろんな声を聴きましたが、この藤田咲さんというのは、ある種、演じるというより少々感情的に声を前に出すのが強い演者さんで。「個人性=我」の強い声だなと思ったんですね。濃いと思ったわけです。それを録って、ぶった切って、ボーカロイドに入れて、ボーカロイドの声として出てきたときはその自己主張のところがバラバラに崩れて、「そもそも自己主張が強かったもの」の残骸として出てくるんですよね。それが個人的にはおもしろいなーと思っていて。ある意味では、素人性みたいなものにフォーカスしたところがよかったなと思っています。

野田:そこに挑発はなかったですか? たとえばイギリスは、ロリータに対して厳しい国です。イギリスの友人が日本に来てモーニング娘。を観たときに怒り狂ってました。「ありえねえよ!」って(笑)。多くのイギリス人はAKBにも怒るでしょう。マッシヴ・アタックの3Dが反イラク戦争のデモに参加して、反ブレアを訴えていた頃、当局は彼を幼女ポルノ画像を集めていた罪で逮捕しましたからね。ドラッグよりもロリータのほうがスキャンダルなんです。

佐々木:初音ミクの次、2作目(鏡音リン・レン)を作っていたときに、頻繁に電話をかけてくる人はいましたね。次のボーカロイドは、モチーフがDX-7からEOSになっていたので、肌が白くて金髪だったんですけど、アメリカ人から見れば、ロリータ声でこのヴィジュアルだと道徳的にあまりにひどいから、すぐにやめてくれと。真剣に何度も説得されました。そんな電話対応の記憶もありますね(笑)。

野田:佐々木さん自身はどうなんです?

佐々木:それこそモーニング娘。があり、その前の東京パフォーマンスドールがあっておニャン子クラブがあってという流れ、「若さ」とか「生命力としての鮮度」を誇張するトレンドのなかで、ロリータというのは重要な記号にどんどんなっていっているんだろうなとは思います。コンビニエンス・ストアなんかに行くと、アダルト雑誌のコーナーなんてとんでもないことになっているわけじゃないですか。のどかな田舎も含めた日本全国。そういうものがすごくノイジーだなとは思いますね。自分が中学生の頃にレンタルビデオ店でデスファイルってのが流行ってたんですけど酷い国だなと思いましたね......(苦笑)。

野田:スロッビング・グリッスルの『D.o.A.』もそうですよね。あのジャケットは、当時イギリスではずいぶんと物議を呼んでいるんですよね。幼女のパンツ姿が映っていたからです。タブーだからこそ彼らはやったわけです。

佐々木:スロッビング・グリッスルって「脈打つ男根」って意味でしたっけ(笑)。小難しい空気もありつつ、小学生男子のスカートめくり的というか、直感的におもしろがってやっている風というか、彼らはファンキーですよね。それを喜ぶリスナーも、まぁ子供っぽいというか直感的ですよね(笑)。ストック、ハウゼン&ウォークマンで、おもちゃと性器がコラージュされているような、いたずらの感覚に近いと思いますね。そもそもノイズやコラージュと、ファッションやロリータ、エロって親密じゃないですか。カエルカフェの白石さんや、嶽本野ばらさんや、ディアステージの喪服ちゃんとか、皆さんそんな要素を持っている方が、90年代~00年代の東京アンダーグラウンドに根付いていた。
 たとえば実験音楽のCDショップに行ったらもっとひどいものあります。部屋のなかにレコードをざーっと敷き詰めて、その上で猫とか豚とかを殺しまくって返り血を浴びせまくった返り血レコードだったり、豚の頭の剥製で鼻ところにカセットテープがポコッとはまっていたり、っていうジャケットとかですね。刺激的で目立てばなんでも良い世界(苦笑)。自分は、10代の頃にサウンドアートにハマってしまった関係で、それはそれで表現の極北っていう感じがあったので......。全部、人間の所業として存在するものと感じます。 
 ただ、アートとしてのエログロと、コンビニでエロマンガだとかDVDだとかが無造作に並んでいるような状況は、それはまたべつの次元ですごいものだな、とは思っていて。そのあたり、インターネットで気軽に検索してはいけないワード(惨殺動画~グロ動画)とか、xvideos(何でもありのエロサイト)とか、いろんなものをキャーキャー喜んで見ることができるというような状況が一般的になっているのはアングラ文化ではないわけで。もしくは世界中がアングラを気にしないようになったんですよね......。特に日本は性的な興味関心の部分ではずっと先取りしていたんじゃないかなというようなことは感じます。CD-ROMが安くなった時点からコンビニにはハッキングまがいの裏ツール本とか、エロデータ本とか、そういうものが並んでいたわけですから。
 それに、日本のエロマンガとかのデフォルメの仕方もそうですよね。日本のなかの性的暴力と幼児退行みたいな感覚は、物心ついたころからそのへんに兆しがあふれていたし、音楽でもマゾンナやゲロゲリゲゲゲ、もしくはへーターズ的なアートもノイズ文化として一部で支持されていました。自分のなかでは、そうした極端な表現や破滅的な表現の傾向は、個人の好き嫌いに関係なく、すでに世のなかにあるものとして考えています。だから自由という暴力がまかり通るインターネットの時代に「目立てばなんでも良い表現」がクローズアップされてしまうのも、現状しょうがないし当たり前のものになっていくのだろうな......としか言いようがありません。

YouTube(=海)の向こうの初音ミク

インターネットで、世界同時にいろんなものが見れてしまうという環境のなかで、いまの10代の子たちの感覚っていうのは、けっこうクォンタイズされてきているという気もします。みんな似たような感覚で、似たようなものに注目している。(佐々木)

野田:初音ミクは海外でもかなり多くの人に受け入れられていると聞いています。ライヴでも、アメリカや台湾ですごい人数の現地の人たちが日本語で歌っているとか......。

佐々木:これはほんとにショックですよ。日本のライヴよりも、アメリカや台湾のライヴのほうがお客さんが熱狂してるんですよ。日本人は比較的冷静というか、精鋭のファンたちが集まってるといった感じになってるんですけどね。日本では、みんなで作ってみんなで選別してっていう、ウェブ上でみんなが育てた実感のあるインタラクティヴなカルチャーが、台湾や西海岸の人たちには変なバイアスがかかってハイパークールジャパン(笑)みたいに受け入れられている。日本からとんでもないカルチャーが出てきた、みたいな感じですね。それに、インターネットで、世界同時にいろんなものが見れてしまうという環境のなかで、いまの10代の子たちの感覚っていうのは、けっこうクォンタイズされてきているという気もします。みんな似たような感覚で、似たようなものに注目している。ユーチューブの再生数であるとか、ものの注目のされ方、ネットの構造みたいなところにそれが表れている。みんながどういうふうに時間を使っていくのか――学生は時間があるわけじゃないですか、そんな子たちが見ているものが、似てきていると思うんですね。世界同時に。自分もたまにユーチューブのアクセス解析みてみるのですが、初音ミクはやばいです......。

野田:やっぱ、エクストリームなものとして受け入れられてるんでしょうね。ホントに『D.o.A.』ぐらいに、キリスト教的な縛りから解放しているのかもしれませんよ(笑)。向こうのマッチョイズムは日本なんて比較にならないぐらいすごいから、その分、ナードなものがカウンターとして機能して、熱狂を生んでいるのかもしれませんね。

――いま佐々木さんがおっしゃったなかには、日本の中高生も海外のティーンの子たちも、ウェブで見聞きする情報に対しては同質な視線やリアクションを持っているのではないかという問いが含まれていましたが、そのあたりはどうですか?

野田:初音ミクがこの先、どこまで広まっていくのか興味がありますね。テクノは、00年代以降もさらに国境を横断しています。ジャカルタとか、イスタンブールとか、サンパウロとか、イスラエルのガザまで。ケン・イシイが海外のレーベルから出て、「テクノは国境を越えた」なんて言ってましたけれど、まだまだ欧米文化圏のなかでの話でした。それが最近はさらに多様な文化圏を横断しています。僕は初音ミクのグローバリゼーション......というと語弊がありますが、その広がりに期待したいですけどね。あれで世界中を腑抜けにさせるとか(笑)。

佐々木:まぁ、腑抜けという表現は鋭いですね(苦笑)。自分の立場でいうと、逆に従来のロックやテクノがいまとなっては真面目な硬いカテゴリー過ぎるんだと思うところがあります。今後、大多数の電子音楽が気になるような若者たちは、ゲーム音楽とテクノと初音ミクのエレクトロニカ風ポップスを区別しないでしょう。テクノには、チルアウトなアンビエントがありますが、リラックスする聴き方はあっても、ユーモラスだったり、ジョークだったり、もしくはプリティだったり、日常的な表現は少なかった気がしますね。 昔、電気グルーブがプッシュしていた、ポンチャックっていう、韓国のテクノ歌謡がありましたが、あんなテイストは本当に少なかった。ポンチャックのような、日本で言うところの嘉門達夫もしくは昔の電気グルーヴやスチャダラパーの言動のような「緩さ」や「日常のなかの感覚」は、いまの他のジャンルの音楽に本当に少ないですよね。それが、ニコニコ動画や初音ミク・カテゴリーではすごく上手く取り上げられていて、他のエンタメにない魅力の一部として確立されつつあります。ただただ、ひたすらに需要があったのだと思います。

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音楽カルチャーの敷居

同人音楽やボーカロイドなんかは、とっかかりの敷居が低い上に、コミュニティへの入り方も整備されているので、新しいファンやクリエイターへの受け入れ態勢があるんだと思います。これからの若い子が、アートをリアルに思えるかどうかって、自分「たち」との距離感で決まると思いますね。(佐々木)

だから、初音ミクを好きな若い人にも、いつかデリック・メイやオウテカを聴いてほしいと思っています。それで、「なんでこんな音楽に昔の人は涙したのだろう」と不思議に思ってくれれば幸いです。(野田)


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野田:佐々木さんの昔のインタヴューを読んでいたら、ムスリムガーゼという名前まで出てくるからびっくりしましたよ。その名前はよほどのハードコアなリスナーでないと出てこないです。「この人のテクノ愛はハンパじゃない」と思いました。彼らはマンチェスターのIDM系の人たちですよね。10年以上前ですが、イラン女子卓球チームのテーマ曲を作っています。イスラム文化の女性の服装規制に抗議するためにね。

佐々木:ムスリムガーゼは、本当にイスラムという文化的なコンセプトを最後まで貫き通していてカッコ良かったです。ヒーローですね。あの多作性も含めて個性が強すぎて、シーンとか、テクノ・カルチャーから切り離されているのもイイ。やっぱり自分はY.M.O.やクラフトワークからテクノを聴きはじめたわけではないんで、電子音楽の歴史観はちょっと狂ってますね。まず、『アンビエントワークス』とか、ピート・ナムルックとか、『ガーデン・オン・ザ・パーム』とかから超個人的な妄想っぽい音楽から出発していて(笑)。ベットルーム・テクノというより、夢のなかのグニャグニャしたエフェクト音を聴いていた気がします(笑)。「これは何なんだろう?」という驚きのようなものが根元にあるんですね。『高城剛X』って深夜番組でタンツムジークを聴けた変な時期(笑)。抽象的なものが尖っていてカッコイイんだなぁとも思ったし。クールにぶっ飛んでれば、作家として認められるんだーとも思いましたね。いま思うと結構勘違いですが(笑)。ともあれ、自分としてはテクノは自由で、発展途上の可能性があって、カッコイイ! とすんなり思えたんですね。これはとても重要だった。
 いまの若い子たちは、物心ついた頃からジャンルも細分化していて、いろんな名称で呼ばれるいろんな音楽があるわけですよね。しかも新しい手法的は結構出尽くしていて、テクノにしても『音の新しさ』『新しい流行』みたいな単純な評価軸は少なくなっている。しかもテクノやハウスのコア・ファンやメディアはコマーシャルな音や、ポップ過ぎる音を無視する風習もあるじゃないですか? なので、敷居の低いテクノ風のゲーム音楽やジブリのリミックスなんかから入った子が、気軽にジャンルにのめり込める環境がなかったりする。
 同人音楽やボーカロイドなんかは、そういうとっかかりの敷居が低い上に、コミュニティへの入り方も整備されているので、新しいファンやクリエイターへの受け入れ態勢があるんだと思います。これからの若い子が、アートをリアルに思えるかどうかって、自分「たち」との距離感で決まると思いますね。既成のシーンのような、すでに確立されてしまっているムラ社会に入りこんでいって評価されるのは難しいよね、っていう気持ちもあるでしょうしね。で、敷居が低くて、かつ面白い音楽やショートムービーが、動画サイトなんかで世界の一般向けに増幅されて伝わっていくという流れになっているのではないでしょうか。
 結局、アニメ・ソングだって、みんなが知ってるものだからみんなで盛り上がれるというだけであって、ジャンルではないです。初音ミクの曲だって、実際のところ初音ミクに歌わせなければならない曲なんていくつあるか知れたものではないんですが、ミクが歌っているという共通意識があればそこから入っていきやすくなります。それに初音ミクの曲は無尽蔵にありますから、それを網羅している評論家や、決定的な評価軸がないんですね。ですから、ミクを語るということについてはすごくゆるい状態があります。ミクについて、ボカロについて、自分の知っている断片的な情報から好きなことを言えばいい。そこが、若い人にしてみれば「ウザくない」ということになるんだと思います。その傾向が発展していけば、AKBがJ-POPビジネスを破壊したように、ボカロが20世紀ルーツの音楽評論の一部を破壊することにもなってしまうんですが。とにかく、若い人にとっては初音ミクの声が気に入らなくても、この音楽を聴くことはウザくないんです。それはもしかすると日本でも海外でもいっしょなんじゃないか。僕はそういう部分を「アリかもな」と思いつつ、一方ではさびしいなと感じています。

野田:商業的には大成功なわけですから、佐々木さんのなかにその葛藤があるのは、変な話ですが、良いですね(笑)。ヴェイパーウェイヴなんか、ポストモダン的な面白さはあるけど、音楽の快楽性ということで言えば、まあ、聴いてとくに面白いものでもないんです。僕の父は修行を積んだ板前だったこともあって、ずぶの素人でもマニュアル通りやれば料理として売れるファミレスのような文化には抵抗があります。だから、初音ミクを好きな若い人にも、いつかデリック・メイやオウテカを聴いてほしいと思っています。それで、「なんでこんな音楽に昔の人は涙したのだろう」と不思議に思ってくれれば幸いです。もちろん、だからといって、素人がモノを作るってことは、絶対に否定できないもので、僕も下手の横好きでしたが、音楽を作るのが好きでした。サッカーだって、観るのもいいけれど、下手でも自分でプレイすることも楽しいわけで、初音ミクのヒットは創作の快楽ともうまく結びついているんじゃないかと思います。

佐々木:テクノの価値基準は特殊で、オウテカなんかは現代音楽的だったり芸術的とも言えるわけですが、一般的な商業音楽って、いつしかTVドラマのタイアップで恋愛を彩るように仕組まれているものが多くなり、CMとか、アニメの主題歌や、メジャーなゲーム音楽は、ある種プッシュ型で大勢の耳に届くように構造設計されている。「よく聴く音楽って、どこかの企業が、リスナーというか消費者に聴かせるもの」になっているわけです。若者にとって刺激的でカッコイイとされてきた音楽が、メディアや代理店の都合で調整されているなんて、音楽とプロモーションの歴史的な難しい事情を知らない若い人からしたら、酷い話じゃないですか。自分はボーカロイドの音楽とリスナー、支持者の心理はそういったTVを中心としたメディアギミックへのアンチテーゼなのかと思う所もあります。強いて言うなれば、ニコニコ動画の音楽は、皆で雰囲気を楽しむお祭りの音楽や、皆で合奏して踊ったり騒いだりするラテン系の音楽にも近い。視聴者が受け身になる商業音楽に対して、ネットの音楽は視聴者のストレス発散要素が高い。ボーカロイドの周辺のムードというのは、良い意味でしきたりが無いと思うんです。既存の音楽ジャンルでは上の世代の耳や先輩のアーティストを気にしながら、ジャンルに入っていこうとしても入口は狭いし、まず、先駆者や功労者が飯を食えるようなピラミッド型の仕組みになっている。それでいてメジャーなスポーツほど後続を育てて引き立てる仕組みになっていない。はっきり言っていまの若い人って才能があっても既存の音楽ジャンルの枠で活躍していくのはかなり難しいですよね。音楽に限らず、ダンスでも映画でも同じ。スポーツみたいに「身体の衰え」が表面化しないジャンルは、そういう傾向だと思います。
 ただ、ボーカロイドというのは、シンガー自体が虚構ですから、それを取り巻く付き合いがなく、しがらみが弱く、若い発想で何か表現をしたい人たちが、何かに入っていくためのポイントとして、可能性を見せてくれていると思っています。過去と未来を歴史的につないでいくような、積み上がっていくものじゃないもの――断片化して集合化して、それでもジャンルいうかテリトリーとして成立するような見え方・あり方というのは、今後重要になっていくのかなとは思います。

「コンセプチュアル」ではない、コンセプトを

ボーカロイドの音楽とリスナー、支持者の心理はそういったTVを中心としたメディアギミックへのアンチテーゼなのかと思う所もあります。強いて言うなれば、ニコニコ動画の音楽は、皆で雰囲気を楽しむお祭りの音楽や、皆で合奏して踊ったり騒いだりするラテン系の音楽にも近い。(佐々木)

ロックやポップスというのは、極端なことを言えば、「そいつがどんなことを言っているのか」という文化だと思います。テクノというのは、聴覚の愉しみを追求した文化です。では、テクノの 次に何があるのかと考えたときに、コンセプトじゃないかと思ったんですね。(野田)

野田:三田格と『TECHNO definitive 1963-2013』を書いたんですが、テクノって何だろうって考えて、僕は、それは「聴覚の歴史」じゃないかと結論づけたんです。クラシックは譜面(作曲家)の文化、ジャズは演奏者の文化ですよね。レコード店でも演奏者別に区分けされています。ロックやポップスというのは、極端なことを言えば、「そいつがどんなことを言っているのか」という文化だと思います。テクノというのは、聴覚の愉しみを追求した文化です。では、テクノの次に何があるのかと考えたときに、コンセプトじゃないかと思ったんですね。いま、ロンドンにハイプ・ウィリアムスという男女のふたり組がいます。インガ・コープランドというロシア系の白人女性とディーン・ブラントというアフリカ系の男性ですが、まず、ハイプ・ウィリアムスという名前は、すでに実在する有名な映像監督の名前なんですね。で、インガ・コープランドとディーン・ブラントという名前も偽名、昨年、『ワン・ネイション』というアルバムを出していますが、真っ白がレコードがあるだけで、タイトルも曲名は一切なし、盤にも「818/1000」といかにも限定版を思わせるシリアル・ナンバーが入っていますが、これもたぶん大嘘なんですよ。

佐々木:そこまで行くと徹底的ですね(笑)

野田:2012年は『ブラック・イズ・ビューティフル』というアルバムを出したんですが、そのタイトルはどこにも書かれていないんです。代わりに「エボニー」と書いてあります。すべてデタラメなんです、ひとつもたしかなものがないんですね。アイロニーとも解釈できます。彼らは、音楽性がどうかというより、コンセプトが面白いんです。さっき言ったヴェイパーウェイヴにも似ています。音自体やスタイルではなくて、コンセプトに新しさを注ぐというやり方は、これからもっと出てくるんじゃないかと思います。
 さっき佐々木さんがいまのテクノは敷居が低くないって意味のことを言ってましたが、たしかにその通りで、出てきたばかりのテクノは敷居がもっとも低いジャンルでした。それが20年経って、熟練の域にさしかかってしまっています。「うまい」「下手」というのが、素人にもわかるようになっているんです。敷居が低すぎるのも、古本屋がブックオフみたいになって嫌なんですが、テクノがブルースのギター教室のように制度化されたら、それはそれでマズいと思います。エイフェックス・ツインがガバをやるのも、いちどそれを破壊しないと、昔のような自由な感じにはなれないということをわかっているからでしょう。ホアン・アトキンスが、エレクトロにディストピアというコンセプトを加えたことでデトロイト・テクノが生まれたように、いまは新しいコンセプトが求められているんだと思います。

佐々木:パンクとか、ダブとか20世紀的なジャンル・コンセプトは確実に真新しさが無くなってますよね。定着したので当たり前ですけど。コンセプトは必須ではないと思いますが、どんなジャンルのエンタメでも一定条件を満たす「コンセプト」がないと新しい世代の若者にどんどん無視されていくような気がして気になります......。昔はテクノと言っただけで、一般の方もコンセプトは認識してましたよね。「低音がドンドンドンドンってやつ」みたいな。そういえば、当時聴いていたもので、日本で作られた、はっちゃけたコンセプチュアル・ミュージックとしては、アステロイド・デザート・ソングスっていう......

野田:あははは、すごい、よく知ってますねー(笑)。

佐々木:はい(笑)。あれは自分のなかで大きなショックのひとつなんですが、好きか嫌いかで言えば、最初はすごく苦手だったんですね。フリージャズなんかもそうですが、コンセプトが強すぎてクオリティが低い気がした。無音のレコードとかなると、もう訳がわからないし(笑)。

野田:決して新しいとは言えませんけどね。「コンセプチュアル・ミュージック」ということになると、それこそジョン・ケージは先駆者だし、マイルス・デイヴィスやPファンク、レジデンツやアート・オブ・ノイズ、ザ・KLF、それこそ今回の『増殖』もそうだと思います。

佐々木:ええ、ええ。なんというか、アステロイド・デザート・ソングスの話をさせていただくと、あれってすごくぐちゃぐちゃで、テンポも合っていなければ、バランス無視でベートーヴェンにエレクトロビートを勢いだけで乗せる、その上でチビ声ラップが乗る、でもグルーブ感は結構ヨレてる、みたいな音楽でしたよね(笑)。バンドとしては、ライターさんとかの集合体だったわけですけども、あのかたたちは、いろんな音楽を聴いてきた結果としてああいう音を鳴らしていたわけではなくて、おもしろいと思ったアイディアをごちゃまぜにしていったという側面のほうが強かったと思うんです。それは昨今で言うところのニコニコ動画的なものというか、2ちゃんねる的なものと、いまから考えればけっこうな類似性があったんじゃないか。コンセプトということをきいて、いまそんなふうに思いました。

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音楽とルーツの関係

DTMでも、リズムやテンポの扱いが、ソフトウェアによってもっと感覚的になっていったら、日本人ぽいズレや、リズムのヨレのような、民俗音楽的な部分を含めての身体感覚に落ちていく可能性はあると思うんです。(佐々木)

カンやタンジェリン・ドリームに比べて、クラフトヴェルクはあまりに愛国的に過ぎやしないか、っていう。でも、海外から見たときにそれはドイツのイメージにぴったりはまっていた。初音ミクも、海外から見たときの日本のイメージにぴったり収まるところがあるんじゃないですか?(野田)


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
U/M/A/A Inc.

初回盤 通常盤

佐々木:思えば過去にあったよねというアイディアはいくらでもあって、いまの音を新しいと思う瞬間は少なくなっていると思います。DTMでも、リズムやテンポの扱いが、ソフトウェアによってもっと感覚的になっていったら、日本人ぽいズレや、リズムのヨレのような、民俗音楽的な部分を含めての身体感覚に落ちていく可能性はあると思うんです。逆に本格的に、DTMによっていろいろな楽器の音が、無秩序に自由になり、奏法を無視して扱うのが当たり前になったりすると、それはそれで可能性ではありますが、いろいろな音がデジタル・ツールの操作の中でのクリシェや、グリッドという範囲のなかで、印象が似てきてしまうというか、その人のルーツや血につながる空気感や身体感覚で合奏しているようなグルーヴの違い方というのは余り出てこないんじゃないかなという気がします。国境やルーツ、そもそも自分が根ざしていたという部分への意識が、今後薄くなっていくんだろうなと。そして、民族が薄くなっていくからこそコンセプトを欲してしまうというか。積極的にコンセプトを欲しがるのか、それとも自分のなかにルーツが無くなるから別立てしてコンセプトを持たなければならないのか、そうなるとしたら、ひょっとしたら初音ミクみたいなものに依っていかざるを得なくなるのか......ともかく、音楽ジャンルが、歴史で積み上げられた音楽内容や民族性ではなく、もっと個人の趣向的なコミュニティや、コミュニケーション・スタイルを指し示すワードになる気がします。

野田:ルーツっていうことで言えば、この先雑食化は進みつつも、なくそうと思っても失えないものもあるんじゃないでしょうか。変わってゆく同じモノは黒人音楽だけのものではないと思います。弘石君(U/M/M/A Inc.代表)みたいに、ロンドンに住んでもカツ丼を食べたがるのと同じようなものです。たとえばMIAってスリランカでしたよね。8歳でイギリスに亡命して英語を覚えても、スリランカ訛りだけは消えなかったというように、音節なんかにもそれは残るでしょう。
 クラフトワーク――本当はクラフトヴェルクなわけですが――とか、タンジェリン・ドリームとか、アシュ・ラ・テンペルとか、カンとか、あの頃のクラウト・ロックのバンドの名前は、みんな英語の名前ですよね。曲名も英語のタイトルが多い。そのなかでクラフトワークは、全部ドイツ語の曲名だし、デザインは思いっきりバウハウスで、いかにもジャーマンでインダストリアルなスタイルを持っていた。それで当時はドイツ国内からの批判もあったそうですね。カンやタンジェリン・ドリームに比べて、クラフトヴェルクはあまりに愛国的に過ぎやしないか、っていう。でも、海外から見たときにそれはドイツのイメージにぴったりはまっていた。初音ミクも、海外から見たときの日本のイメージにぴったり収まるところがあるんじゃないですか?

佐々木:言葉の音韻は影響しますよね。日本人である以上、ジャパニーズ・ヒップホップの呪縛ように、大勢の日本人に対して主義主張がそれと認められるには、分かりやすい日本語であることは決して避けられない。ポルトガル語の歌がどんなに音楽的に美しくても、歌が言葉である以上、声が綺麗なことより「意味が読み取れないデータ」ってことになっちゃいがちですから。初めの話に戻りますが、たとえば竹村延和さんは、ずっと子どもをテーマにしていくわけですけれども、そこには子どもや鳥の鳴き声のなかにしかない暴力性や無(無邪気)の感覚、あるいはアジアのにおけるイタコや巫女のようなもの、アメリカ等とは違うニュアンスでの処女みたいなものをどう見ていくかという。日本人は無意識の世界などにドラマを感じ続ける。考えても終わらない、むしろ妄想的になっていく日本人文化の流れを感じるんですね。 テクノで言い換えると、ケンイシイさんの『ガーデン・オン・ザ・パーム』で「え、何これ?」って思って、フレアを聴いて「抽象的なすごさは、何なんだろう?」、『グリップ』を聴いてテンポ・チェンジが激しい曲でさらにわけがわからなくなって、『リ・グリップ』を聴いて、竹村さんが出てきてグリップの音源を暴力的にスクラッチしてて「ああ、もうダメだ」と......

野田:はははは!

佐々木:そしたら『メタル・ブルー・アメリカ』になって、「ああー」と納得できた(笑)。とても頭のいい人が作った音楽で、商業音楽にもなるんだと。日本の音楽レーベルは前衛芸術家を育て続けるのかと思った(笑)。
 音楽と作家のルーツ文化という観点でインドで切り取ると、タルビン・シンなんかは直接タブラを持ち出すわけですが、ケンイシイさんが当時アンビエント作家として推薦してたベドウィン・アセントは、直接そこには行かないで、先にドローンやアンビエントをやって、〈ライジング・ハイ〉の流れでドラムンベースともドリルンとも言えない妙にパーカッシヴなビートを作っていて、「個性的過ぎるけど何なんだろうな?」と思っていたらインドの音楽がスパイス的に効いているんですね。DJオリーブ、ラプチャーなんかが実践してますけど、一段階、溶け込んだかたちでルーツが出てきているようなものが、これからもっとネットを通じて見えてくるようになるのかなと思います。あと、前情報でインドって強く思うとインドにしか聴こえないわけですよ、マハラジャみたいなイメージが付きまとう。日本人=芸者とアニメみたいな(笑)。オリエンタルが良い悪いじゃなくて、オリエンタル文化はインパクトが強すぎてイメージを支配をする。絶妙のバランスじゃないと料理できない。北海道の羊料理みたいな。

野田:いま、2012年に、ベドウィン・アセントの名前を聞くとは思わなかったです(笑)!

佐々木:はい(笑)。彼は「インド人でござい」と出てきたわけではないし、そういうふうにはならなかった。あくまでルーツのようなものがにじみ出ているというだけです。またそもそもインドの音楽の発想がアンビエントと似ているということもあります。

野田:ああ、それを言えばテクノ全般もそうですよね。クラフトワークの『マン・マシーン』のエンジニアって、アメリカの人で、たしか黒人なんですね。その人はクラフトワークの音を初めて聴いたときに、黒人だと思い込んでいたらしいんです。で、会ってみたら白人が来てびっくりしたと。あんな真っ白な音が、黒い耳には黒く聴こえてしまうという音のマジック。音楽の伝わり方はつくづく不思議ですよね。

佐々木:ええ。グルーヴやノリの話もとても深いですよね。でも逆にクラフトワークやベドウィンみたいな自身のルーツに対してストイックな音楽もあれば、一時期のビル・ラズウェルみたいに「とりあえずヤバい民族楽器のフレーズにディレイかけた音をカブせればいいじゃん。ワールド・ワイドで斬新な音楽じゃん?」というようなものもあって。音って、テンポやキーさえ合わせてしまえば混ぜられるというようなところがあると思うんですけど、そのなかでも音響に寄っていく律儀なやり方もあれば、にぎやかしを優先してエスニックな要素を入れていくというやり方もあるわけですよ。
 で、音楽ってかつて何度となくミクスチャーされてきたものだし、80年代のリヴァイヴァルなんかも、もうリヴァイヴァルとは呼べないようなレベルで溶けてしまっていますよね。僕はそういう意味で、ネット時代で、音楽が飽きられたり、再発見される......といった、リヴァイヴァルの2周め以降、限りなくミクスチャーが進んでいってグルグルグルグル混ざるのだろうなと思っています。実際に音や聴かれ方がどうなるということはわかりませんが、インターネットなんかを介して、感覚的にも、概念的にも、音楽を作る人のハードディスクにデータがどんどんたまっていって、時間が膨れ上がっていって、俯瞰してみるとひとつひとつ粒が小さくなっていく......そうすると最後にいったい何がもたらされるのか。それとも、文化を意識することと、音楽を楽しむこととは、近かったけど、また別のことなので、それぞれは別軸に進んでいったりもするのかな? とか。なんかTTPとかとも無関係じゃない時代の流れなのかな? とか。

いま、なぜ『増殖』なのか

坂本龍一さんはオヴァルが出てきたときに積極的に関わったりとかしてますが、こういう『増殖』的なコンセプト――デジタル的な意味でものごとが増殖していく、データが増えていくといったことにはとても意識的だったと思います。(佐々木)

サン・ラーがフリー・ジャズにいかなかった理由は、「笑いがないからだ」と本人が言っていますが、僕も笑いがない音楽は嫌いです。『増殖』にはそういう意味では日本らしからぬ、とてもドライな笑いがあります。(野田)

――最後に、この『増殖気味 X≒MULTIPLIES』では企画段階から佐々木さんも制作にご協力されていたということですけれども、いかがでしたか? ボーカロイド3(現在開発中の、Vocaloid3エンジンを使った初音ミク英語版βヴァージョン)も貸し出されているとのお話ですが。

佐々木:まず『増殖』に関してですが、そもそも坂本龍一さんなんかは一時的ではなく、70年代からいままでずーっとコンセプトに意識的な方ですよね。リアルな未来派と初音ミクって結合はそもそも面白い切り口なんだと思います。彼はオヴァルが出てきたときに積極的に関わったりとかしてますが、こういう『増殖』的なコンセプト――デジタル的な意味でものごとが増殖していく、データが増えていくといったことにはとても意識的だったと思います。それは彼が『未来派野郎』とかでやろうとしていたことなどに、おそらくどこかで結ばれている。しかも音像としてのぎこちなさがおもしろいというような感覚は、あのときに出揃っているというか、そのプロトタイプではあったんだろうなと思いますね。

野田:日本社会のネガティヴな伝統のひとつとして、なにかというと陰湿な、ウェットな方向に進みがちになるということがありますが、『増殖』には、そういう意味では日本らしからぬ、とてもドライな笑いがあります。しかもけっこう、ブラックで、危険な笑いです。だいたい、『増殖』とは、わかりやすく喩えれば、忌野清志郎にとってのタイマーズですからね。僕にとっては、唯一リアルタイムで買ったY.M.O.の作品でした(笑)。サン・ラーがフリー・ジャズにいかなかった理由は、「笑いがないからだ」と本人が言っていますが、僕も基本、笑いのある音楽が好きです。“アナーキー・イン・ザ・UK”は笑い声ではじまっているし、ドレクシアにだって笑いはあります。話は逸れましたが、『増殖』には当時としては画期的な笑いがあったと思います。

佐々木:はい。これは日本のポップスの枠で成立した実験音楽作品だと思います。そして笑いもニヒルさも含まれている。だから『増殖』は圧倒的に異端でヤバい。正直なところ僕はY.M.O.をそれほど好きだったわけではないんですが、何だったのかということを考えると、やっぱり時代を解きほぐした発想のセンスであったり、そういうものをうまく配して、コンセプチュアルに固めていたところかなと思います。HMOさんの『増殖気味』もその辺りは、SF作家の野尻抱介さんを迎えるなどしてアップデートされているのが、挑戦的で素晴らしいと思います。デトロイト・テクノとかのほうが黒人とか宇宙とかコンセプトがストレートだったなと思うんですが、こういう社会風刺的な部分もふくめた音楽のあり方というのは、初音ミクとも繋がってくるし、音楽に何か一枚、かぶせてるなと思うんですよね。いまはとにかく人を惑わせるものが多く、鬱屈していて先が読めないみたいな、情報社会の弊害が大きくなっていく時代で、『自分にとって楽しいコンセプト』を求めている人たちは、案外いっぱいいるのかなと思います。まぁ、AKBなんかも音楽中心かどうかはともかく、完全にそうですよね......。

野田:AKBとか、僕はホント、いまだによくわかっていないんですが、洋楽がいまほど売れない、聴かれないということは、当たり前ですけど、かなりの問題意識があります。音楽について書いている人やメディアが極端に邦楽に偏っている状況に問題があると思います。今回の司会をやっている橋元優歩なんかは海外旅行に興味がないそうですが、先進国で海外旅行に興味がない国といえば、アメリカです。多くのアメリカ人はまた、海外の音楽も聴きません。しかし、アメリカの若い世代はインターネットの普及で、上の世代が聴かなかったクラウトロックやテクノや日本のロックを聴いています。逆に日本の若い世代が古いアメリカのように、洋楽を聴かないようになってきているとしたら、なんだか内側で妄想に耽っているようで、すごくマズいんじゃないかと思います。僕の世代の女性の多くは、洋楽を聴いていれば、ほぼ間違いなく、大胆に海外に出かけています。女性が海外文化の紹介者でもあり、媒介者でもありました。DJのマユリちゃんなんかその代表格で、日本にテクノを紹介したのも、実は女性たちの力も大きかったんです。あの頃活躍した女性が、現代では、初音ミクになっているのでしょうね。だから今回、こうして、ミクの力を借りて、ちゃっかり洋楽をアピールさせてもらいました(笑)。

佐々木: 女性の大胆さと適応力は推進力になりますよね。弊社の海外担当もみな女性です。また、自分もいま、ソニー・ミュージックで〈ソニーテクノ〉の立ち上げに関与し、当時のアンダーワールドから〈ワープレコード〉までを相手に、様々な交渉や調整などを担当していたレーベル・マネージャーの女性の元でプロモーション戦略についての勉強させてもらってるんです。当時の音楽と洋楽の繁栄を成功体験として知っている人に学ぶところはいまだからこそ大きいと思います。
初音ミク現象については、2005年くらいからいまにかけて、ネットの進化と相まって、音楽の聴かれ方が大きく変わったと思っています。エレキングを0号から読んできて、テクノを軸に文化的なことや音楽に関する考察の面白さを教えてもらった人間として、テクノ専門学校の卒業生として(笑)、このいまのネットの状況には思うところがあるし、野田さんと対談させてもらって、趣味としてライフワークとして音楽×社会のことは意識し続けたいと、対談を通じてあらためてそう思いました。ボーカロイドや音声合成ソフトもリアルになるでしょう。それこそドラム音源ソフトのように一聴すると生か機械かわからないような時期が、早ければ10年後には来ると思います。声って複雑で感情的で神秘的ですらあったわけですが、それがデータになって揺らいできてる。音楽のなかの楽器やルーツ文化という記号が、もっと溶けてしまうこの時期に、楽器って何だったんだろう? 声って何なんだろう? ってことを、初音ミクを通じて考えたり、感じたりするのは来るべき時代の文化にとって予兆になりえると思います。それこそ90年代に、高橋健太郎さんらが、ハードディスクや音楽データを題材に語っていたわけで、日本人が未来を信じていた頃にサスペンスと思い込みたかったような予言が、初音ミクといっしょにちらほら現実化してきていると痛感しています。

 三田格+野田努が激しい議論の末に選出した約700枚にもおよぶテクノ作品を、全ページ・カラーで収録。これまでにありそうでなかったテクノの王道に迫るカタログとして、記念すべき一冊ができあがりました!

 本日から2日間、新宿タワーレコードのみの特設ブースで販売いたします! 編集部も参加、野田努もどこかのタイミングで現れますので、ぜひお声がけください!

 シュトックハウゼンからクラフトワークへ、クラフトワークからデトロイト・テクノへ、デトロイト・テクノからジャングル/ダブステップへ。アンビエント/ノイズ/インダストリアルからニューエイジへ。ムーグ・シンセサイザーからラップトップ・ミュージックへ......

 さまざまなジャンル名を横断しながら、この半世紀にわたって発展したエレクトロニック・ミュージックを追うスリリングな270ページ!
各年代ごとに最重要アルバムと最重要シングルを選んでいくスタイルなので、歴史を読み取りながらその発展を理解するには最適!
アート・ワークの変遷も、カラーなのでとても楽しく追っていくことができるのではないだろうか。

 毎日午前0:00くらいからバトルをはじめ、掲載作品の吟味を繰り返したという両氏。「載せられなかったボツ原稿も多いんだよねー」と、載らなかったさらに多くの作品を水面下にたっぷりと抱えた、熟議の末のベスト・チョイスであることをうかがわせる。

 「人から『テクノをわかりやすく説明してください』とたまに言われるんです。そういう時はかなり端折って『電子楽器で作った音楽』と答えているんですが、そうとも言えるかもしれないし、そうとは言えないかもしれない。(中略)長いあいだ使われてきたジャンル名にしてはあまりにも曖昧なんです。」というのは冒頭の対談からの引用だ。複雑に領域を拡大する電子音楽の起源や射程をどのようにとるか、このディスク・ガイドの前提となる対話が展開されている。
 応えて三田氏は、エレクトロニック・ダンス・ミュージックという「場」を異質なもの同士が共有したという歴史性にテクノの輪郭を捉え、「僕の場合はあくまでも軸足は90年代のレイヴ・カルチャーに置いておいて、そこから遡行できるものと発展したものとして認識できるものだけを対象にしたつもり。核になる時代がはっきりとあって、いかにも通時的なカタログのようにつくっているけれど、年代が持っている意味はまるで違う。」と述べる。
 二者の視点を反射しながら「テクノとは何か」ということから考え直す、重要作にして必携、保存版! このつづきはぜひお手にとって読んでください!


TECHNO definitive 1963 - 2013
テクノ・ディフィニティヴ 1963 - 2013

¥2,625(定価)¥2,500(本体)
三田格+野田努・共著
A5判 書籍:978-4-906700-62-2


Orphan Fairytale - ele-king

 この6月4日に急逝したジョニー吉長さんに非公式でインタヴューをしたときのこと。僕がまだ何も質問していないのに、彼がまず「ラヴ・チャイルドって知ってるか?」と訊くので、僕は平静を装いつつ「知っています」と答えた。シュープリームスのアルバム・タイトルに興味が湧いて意味を調べたことがあったのである。ラヴ・チャイルド=私生児。ジョニーさんは「なんてヒドい言い方なんだろう」と話をつづけ、彼の父親が日本に来ていた米兵で、物心ついた頃からアイデンティティに悩みつづけたことを話してくれた。ジョニーさんは途中で何度も声をつまらせた。その夜は僕も覚悟を決めて話をききつづけた。きくしかなかった。ミュージシャンとしてひとつの答えを出そうと、『ジョニー・セカンド』(78年)で"木曽節"を取り上げ、自分は日本人なんだという思いをそれに込めたつもりが、故・中村とうように酷評され、そのときの怒りがまだ消えないとも話していた。言葉数は少なかったけれど、その気持ちはダイレクトに伝わってきた。北沢タウンホールで行われたお葬式で、祭壇に組まれたドラム・セットを見たとき、僕は当然のことながら、その口調を思い出さざるを得なかった。いつもはとてもジェントルなジョニーさんがそのときだけは汚い言葉を口にした。

 グループ・サウンズから脱線していくようにして日本にロック・ミュージックが確立していくとき、ジョニー吉長のようなラヴ・チャイルドたちは少なからず役割を果たしている。そのような歴史性について系統だった研究はなされていないと思うけれど、彼らがやってきたことの上にバンド・ブームが花開いたことは誰にも否定できないし、それなりの敬意は払われていいはずである。そのような人たちに僕が接したり、話を聴かせてもらう機会を持つことができたのはすべて忌野清志郎さんのおかげであり、清志郎がそのような人たちから愛される存在だったのも、彼自身が実の両親に育ててもらえなかったこと、そのために孤児の気持ちを歌うことができたからではないかと思う。RCサクセション"ぼくとあの娘"の歌い出しは、♪あの娘はズベ公でぼくは身なし子さ とっても似合いのふたりじゃないか~ というもので、これは公式に発表されたものよりも、『ロック画報』の付録CDで聴くことを推奨したい。太田克彦氏が70年代にジャンジャンで密かに録音していたテープから清志郎自らセレクトしたヴァージョンである(この曲の話は尽きないけれど、まずはこれまで)。

 イーファ・ファン・ドゥーレン(本名で「ドア家のイヴ」の意)による「孤児の御伽噺」というユニット名を見てやたらなことを思い出してしまった。バイオグラフィが公開されていないので彼女自身がココ・シャネルやマリリン・モンローと同じように孤児かどうかは不明だけれど、その音楽はなるほど掛け値なしにフェアリーテールである(髪型もツインテール)。『彗星は生きている』と題された(CD-Rやカセットを除くと)ソロ2作めは、どの曲も幻想的で不思議な気分を掻き立ててやまず、通して聴いているとシャガールの絵に片端から音を付けていくような作業を思わせる。ラブクラフトめいたダーク・ファンタジー。めちゃめちゃ楽しくて暗い夜。線の細いシンセ・ポップによってプログレッシヴ・ロックを再定義しながらドローンも少々という感じだろうか。紙『ele-king』でいえば6号の「エレクトロニック・レイディランド特集」7号の「ノイズ/ドローン特集」に片足ずつ突っ込んでいるため、松村編集長によってどちらからも外されてしまうような音楽性というか。

 "最後の生きる伝説""流星群(メテオ・シャワー)""牧歌的な荒野"といった曲を聴きながら、どのようなイメージが脳内を駆け巡るのか。初めからそれは限定したくないので、個々の曲についてはとくに触れない。同じ〈ブラッケスト・レインボウ〉からフォーク・ドローンを垂れ流すイーゼングラン(『ele-king』6号P63)にも通じるところはあるものの、音作りの基本がシンセサイザーなので、なんというか、タキシードムーンからニューウェイヴの呪縛を取り去って、よりフリー・フォームに落とし込んだようなシンセーポップ・ドローンというようなものになっている。たぶん、テクスチャーを新しくしているだけでヨーロッパには古くからあるオブセッションの塗り直しであり、グルーパーモーション・シックネスといったアメリカ勢との対比で、なんとなく新鮮に聴こえてしまう部分も少なからずではないかと思われる。アメリカではドローンが一大ムーヴメントになったかのような印象があるけれど、それは100%商業的な需給関係に左右されるからで、ジム・オルークに言わせればヨーロッパではそうした種類の音楽に国家からの援助が絶えたことはいちどもない......つねにその存在は保障されているという(社会的に見て、やらなくていいことをやっていることの意味合いがアメリカとヨーロッパではまったく違うということでしょう)。あるいは、どこか遊びというか(よく見るとデザインのそこかしこにヘビちゃんがあしらわれている)。

 程度の差こそあれ、ファンタジーにはやはり反社会性がつきまとう。スティーヴン・ミルハウザーの小説をニール・バーガーが映画化した『幻影師アイゼンハイム』ではそれが具体的な脅威となるプロセスが描かれていて、とても興味深かった(レイヴ・カルチャーが社会を揺るがせた瞬間にもきっと同じことが起きていたのだろう)。『彗星は生きている』で展開されているファンタジーはあまりにも手作り感覚で、そのような入り口に立つことがせいぜいかもしれない。それでもこれは、反社会性へと開かれた扉なのである(ドゥーレンはさらにドルフィンズ・イントゥー・ザ・フューチャーのリーフェン・マルテンスともブロッブスというユニットを展開。ドルフィンズも今年は春先にいつもとは趣向を変えた『カント・アーキペーラーゴ』をリリ-スし、フィールド・レコーディングとフリー・ジャズを組み合わせたり、なんかヘンなことになってきた......)。

Flying Lotus - ele-king

 チル・ウェイヴが16ビートを取り入れるようになった→ダフト・パンクがブラック・ミュージックに近づく→ジェイ・ポールがソウル・ミュージックの文脈でそれをやったとき、「ジャスミン(デモ)」は2012年のベスト・シングルになることは決まっていた......のではないだろうか。

「ジャスミン(デモ)」はデビュー前から期待されていたシングルだった。昨年、プロモーションで撒かれた「BTSTU」をドレイクがさっさとサンプリングし、タナソーのように『テイク・ケア』を評価したリスナーには彼の名前は早くから浸透していたはずである。僕のようにドレイクはウェットでもうひとつだな......と、オッド・フューチャービッグ・クリットを好んだリスナーにもそれは伝わってきた。もうひとついえば、そんなことは何ひとつ知らなくても、どこからか「ジャスミン(デモ)」が耳に飛び込んできたリスナーにももちろんダイレクトにアピールしたに違いない。プリンスのファンであれば、それはもう、間違いなく。

 ドレイクの名前は意外なところでも目にした。ドミューンでもすっかりお馴染みになったオンラのレーベル、〈キャットブロック〉から「プレイグラウンド」でデビューしたフランスのビート・メイカー、アゼルのデビュー・アルバム『ザ・ロスト・テープス』でも彼はラップを披露している。
 アゼルのビートはどちらかというとデリック・メイを思わせる情熱的なもので、泣きのメロディに沈みたがるドレイクの趣味ではないと思えるものの、すけべの波長でも合ったのだろうか、2曲でさらっとしたフローをキめ、大物気取りのような嫌味は感じさせない(ドレイク以外にはイブラヒムが"ディス・イズ・ドープ"でふわふわと歌うのみ。ストリングスを厚く走らせたり、様々なメロディを細かく絡ませたがるアゼルもドレイク以外にMCを起用する気はさらさらないといった風情である)。

 基本的には淡々とビートが刻まれるだけ。ほかに特記できることはない。"アイズ・イン"でも"シチュエイション"でもデリック・メイを遅くして聴いているようなもので、スローモーションでスウィングしていく感じは古典的なメロウネスにも直結するものがある。それが夏のダレきったムードに合ってしまうことこの上なく、この夏はけっこう重宝した。フランスのヒップホップというと、基本的にはユニオンのような(二木好みの)古くさいファンク趣味や、デラのようなラウンジ系がほとんどで、アゼルのようなタイプは珍しい。そう、フランス文化にはそぐわないストイックな作風は、おそらくフライング・ロータスの影響によるもので、ハウスではシカゴ発のディスコ・リコンストラクションからダフト・パンクがブレイクするまでに4年ぐらいはかかった計算だとすると、ここでもフライング・ロータスがセカンド・アルバム『ロス・アンゼルス』で注目を集めてからも同じく4年が経過し、フランス人が手を出すにはちょうどいい頃合ともいえる。続くフースキースクラッチ・バンディッツ・クルーといった変り種も控えているけれど......(フランス人のヒップホップに興味が湧いた方はぜひ、ドッグ・ブレス・ユー『ゴースツ&フレンズ』のジャケット・デザインもチェック→)。

 世界中のビート・フリークが注目するフライング・ロータスことスティーヴン・エリスンの4作目は、しかし、かなり方向性を修正してきた。『ロス・アンゼルス』から『コスモグランマ』への発展を歓迎した人は腰が引けるかもしれないし、『ロス・アンゼルス』では過剰に封印されていたジャズを前作で解き放ったことの意味が明快になったと感じる人もいるだろう。「静けさが戻るまで」というタイトルから察するに、自分の身に起こったことがいかにも騒々しいことで、自分のペースを取り戻したいという願いから導き出された音楽性なのかもしれないし、「騒々しいこと」を正確に映し出したものとも考えられる。そのときにつくられたものが一大トリップ絵巻のようなストーリーテリングのそれであったことは、やはりレイヴ・カルチャーの渦に呑み込まれた90年代初頭のフランクフルトからスフェン・フェイトが『アクシデント・イン・パラダイス』でチル・アウトを希求したことを思い出させ、ほんの数ヶ月前にシャックルトンがやはり似たような組曲形式のものに『ミュージック・フォー・ザ・クワイエット・アワー』というタイトルを与えていたことを連想させる。いずれにしろ尋常ではないスピードで動いているものがなければ、それとは反対の概念に価値が求められることはない。きっと......嵐の中心は静かだということなのである。

 僕が『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』を聴きながら頻繁に思い出したのは90年代にラウンジ・リヴァイヴァルの先頭に立ったジェントル・ピープルである。オープニングから数曲はそれこそイージー・リスニングじみたフュージョンを思わせるテイストにまみれ、あまりに素直なバリアリック・モードにはしばらく不可知の未来に置き去りにされてしまう。すっかり陽気になり、ときにボトムが弱く、ティンバランドのようにハイハットで手繰り寄せていくビートはオフ・ビートが効きまくったエレクトロニカにも聴こえるし、『コスモグランマ』からの脈絡を重視していると、マジで時間軸を見失いかねない。『パターン+グリッド・ワールド』のスリーヴ・デザインで全開になっていた世界最強のドラッグとされるDMTを扱ったらしき曲はまさにジェントル・ピープルそのままに聴こえてしまうし......(DMTに関してはサイエンティック・アメリカンの副編集長だったジョン・ホーガン著『続・科学の終焉-未知なる心』を読むしかない!)。なぜかトム・ヨークがドラッグのディーラーについて示唆する曲もエアリアル・ピンクやコーラと同じくノスタルジックな意味合いでシクスティーズが裏側にべったりと貼り付いたようなところがあり、ロング・ロストのローラ・ダーリングトンによる艶かしいヴォーカルが聴こえてくる頃には、あたりの景色はすっかり『バーバレラ』のセットに様変わりしている(橋元さんがモバイル・スーツに着替えるタイミングですね)、エンディングはまさしく「空飛ぶ蓮」である。この陶酔感は実に純度が高い(古代ギリシャでは、想像上の植物であるロートスの実を食べると、浮世の苦しみを忘れて楽しい夢を見ると考えられていた)。

 フライング・ロータスの変化のスピード感は、現在のLAの様相をそのまま反映しているのだろう。それは内容的なものと同時に消費の速さでもあり、ムーヴメントの常識として荒廃の予感が押し寄せてくるという時間感覚との闘争でもある。それを単純にどこまで先延ばしにできるか。60年代のビートルズや90年代のジ・オーブに課せられたものと同じものに追いかけられるという幸福感が『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』には漲っている。さらなる飛躍をもたらすかもしれないし、たった1作で崩壊してしまうかもしれないLAの現在。あれが「終わりのはじまりだった」といわれる可能性だってあるし、そのすべてを左右する1作になる可能性は高い。フライング・ロータスは少なくともそれぐらいの冒険はしている。ジミ・ヘンドリクスやジーザス&メリー・チェインはあの後、どうすればよかったのかということでもある。現在のLAからは次から次へと才能が出てくるし、ジェレマイア・ジェイのように〈ブレインフィーダー〉と契約したミュージシャンだけでなく、同じシカゴからアン・アッシュやメデリン・マーキーまでがカリフォルニアに移住してくるなど、全米からミュージシャンが押し寄せているような印象があるなか、そのなかの誰かがフライング・ロータスの位置に取って代わってくれるわけではない。フランクフルトのレイヴ・カルチャーはスフェン・フェイトの失速とともに一度は崩壊している。それでも彼は静けさが回復することを願って、このような作品をつくった。ジェントル・ピープル版『アクシデント・イン・パラダイス』を。そして、それはエミネムがMDMAを摂りはじめたあたりからヒップホップ・サウンドが辿り付くべきものだったのかもしれない。カレンシーもウィズ・カリファも皆、そのための通過点だったと思えてくる。 

 同時期のリリースとなった『マーラ・イン・キューバ』は聴くたびに印象が二転三転した。ダブステップという明確な落としどころがあり、しかもオールドスクールの実験であることに思い至れば難しいことはなかったのだけれど、そのような基本を忘れてしまう仕掛けがあのアルバムには張り巡らされていた。『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』にも同じことがいえる。ヒップホップ・ミュージックで『サージェント・ペパーズ〜』をやろうとしたプロデューサーがいなかったのだから、梯子から落ちやすいのも仕方がないけれど、何よりも重視されているものが「流れ」であり、その強さに負けて、ほかのファクターが頭や耳からは抜け落ちやすい。かつてデイジー・エイジと称揚されたデ・ラ・ソウルにしろ、かのクール・キースにしろ、効果として狙ったものはあったかもしれないけれど、ヒップホップのグラウンド・デザインに深くメスを入れて、ここまでトリップ性を優先させるものはなかった。クリシェに倣っていえば「こんなものはヒップホップじゃない!」し、そう言わせるための作品だとしか思えない。面白いというか、『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』にもっとも似ていると思うのは、LAがまだ「静か」だった時期にダブラブが同地のプレゼンテイションとしてまとめた『エコー・イクスパンション』(07)というエリア・コンピレイションで(09年に曲を増やして再発)、カルロス・ニーニョにはじまり、フライング・ロータスやラス・Gを経て、デイダラス、ディムライトと続く「流れ」はなぜかラウンジ・テイストのものが多く、クートマやテイクを経て、クライマックスはマシューデイヴィッドによる強烈なアンビエント・チューンになっている。フライング・ロータスが考えている「静けさ」がここで展開されているサウンドを想定しているのなら、彼はまさにこの時期に戻りたいと(無意識に)願っていると考えてもいいのかもしれない。
 
 アトム・ハートに背後から膝カックン(=Using your knee to kick someone else in the back of their knee)をやられたようなフライング・ロータスに代わって、かつてのフライロー・サウンドを引き継ぎ、そこにワールド・ミュージックの要素を豊富に放り込んだのがガスランプ・キラーことウイリズム・ベンジャミン・ベンサッセンのデビュー・アルバム『ブレイクスルー』だろう。僕は発売前の音源を法律的に貸与されてレヴューを書くことはあまり好きではないのだけれど、そうはいってられない場合も増えてきて(つーか、そのような制度を採用しているのは日本だけらしいんだけど)、毎月2周目などはそういったものばかり聴かなければならないし......ということはさておき、そのようにして同時に手渡されたフライング・ロータスとガスランプ・キラーの音源がもしも入れ替わっていたら、後者を聴いて前者が『コスモグランマ』から『ロス・アンゼルス』に揺り戻す際にワールド・ミュージックやホラー・テイストを加えたものだと判断したのではないかという可能性がなかなか捨て切れない。ひとつにはフライング・ロータスにはどこか重厚なイメージがあって(多分に「テスタメント」のせい?)、それが『ブレイクスルー』にはあるけれど、『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』にはほとんどなく、どちらも華やかな印象にあふれているのは現在のLAのムードが反映されているからだとは思うけれど、それでも少しは引いた部分が『ブレイクスルー』にはあって、それもフライング・ロータスに(勝手に)投影していたイメージに近いからである。それだけ『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』が飛躍しているということでもあり、かつてのデトロイト・テクノのような通奏低音が現在のLAには流れているということでもあるだろう。

 最初期からロウ・エンド・セオリーのレジデントを務めていたというベンサッセンは、ゴンジャスフィのプロデューサーとして知名度を上げたのもなるほどで、似たようなカップ・アップ・サウンドをやらせても如実に都会的なリー・バノンとは違って、どこかヒッピー的なところである。『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』と同じく、トリップ・ミュージックとして構想されていることは明らかだけど、フライング・ロータスが執拗にシクスティーズをリファレンス・ポイトにしているのとは違って、時間軸はむしろイメージを混乱させるために悪用され、それこそウイリアム・バロウズの「時間旅行で乗り物酔い」を思わせる。アトラクションは次から次へと入れ代わり、デイダラスと組んだ「インパルス」など、いまのはなんだったのだろうとトリックめいた印象を残す曲が多く、『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』のように全体で何か訴えかけるような性格は持たされていない。ディムライトとはトラン・ザム以上バトルズ未満みたいなマス・ロックもどきに仕上がっているし、カルロス・ニーニョ率いるビルド・アン・アークからミゲル・アトウッド-ファーガスンとの"フランジ・フェイス"などはイタリアのホラー映画みたいだし......。

 ただし、サーラ・クリエイティヴからフサインとキースをフィーチャーしたボーナス・トラック「ウィッスル・ブロウアー(=内部告発)」は(紙エレキング6号にも書きましたけれど)国連がサラエボで傭兵のために売春婦を斡旋している組織と裏でつながっていたという史実を扱った映画『トゥルース 闇の告発』の原題と同じだったりするので(主演がレイチェル・ワイスだったにもかかわらず日本未公開。アメリカでも国連が圧力をかけたのかほとんど公開されず)、「サラエボ」とか「内部告発」といった歌詞が断片的に聞き取れたので、それについてのものだということはすぐにわかるし、これは、現在のLAを支配している気分やトリップ・ミュージックとはかなり異質のものである(だから、日本盤のみのボーナス・トラックなのだろう。それとも、これが現在のLAと何か関係のある曲だというなら、ここまで書いてきたことはすべて崩壊するしかない)。

 レイヴ・カルチャーが社会の表面に姿を現した当時、イギリスのマスコミがそれにセカンド・サマー・オブ・ラヴという呼称を与えたことを受けて、それをいうならアメリカで起きていることはセカンド・ロング・ホット・サマーと呼ぶべきではないかと書いたことがある(いまだにひとりも賛同してくれた人はいません~)。つまり、80年代後半のダンス・カルチャーはヨーロッパの白人とアメリカの黒人には正反対とまでは言わないけれど、社会的な意味はけっこう違ったということで(何度も書いたようにボム・ザ・ベースのように連想ゲームのようなことが起きた例もあるし、ア・ガイ・コールド・ジェラルドやチャプター&ザ・ヴァースのように裏目に出た例もある)、しかし、それが、現在のLAでは、白人にも黒人にも少なからず同じ意味を持つ音楽になっているのではないかということを『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』からは感じ取れるのではないかと。マーティン・スコセッシ監督『ヒューゴの不思議な発明』とともにどうしてアカデミー賞を取れなかったのか不思議でしょうがないテイト・テイラー監督『ヘルプ』のような映画を観ると(『ハート・ロッカー』に続いて『アーティスト』の受賞は本当にナゾでしかない)、60年代にもそのような事態は実際には部分的にしか存在しなかったのだろうということも想像はつくけれど、それでもモンタレー・ポップ・フェスティヴァルにはオーティス・レディングが出演し、聴衆に向かって「愛し合ってるかい?」と問いかけたことは、セパレーティスム(分離主義)を掲げていたパブリック・エナミーとは異なるヴァイブレイションの産物だったはずで、そのような融和が少しでも現在のLAには存在しているのではないかということが『アンティル・ザ・クワイエット・カムズ』と、そして、マシューデイヴィッド『アウトマインド』という2枚のトリップ・アルバムによる響き合いのなかから聴き取れるのだと僕は思いたい。そして、その青写真を与えたのはザ・ウェザーの3人だったのではないかと。デイダラス、バスドライヴァー、そして、レイディオインアクティヴの3人がはじめたことがここまで来たのではないかと。

 デイヴィッド・ベニオフの原作に同時多発テロを背景に加えたスパイク・リー監督『25時』はニューヨークを舞台にしながら、最終的にはLAを目指す心性が描かれていた。ブロークン・ウインドウズ理論を振りかざしたジュニアーニによるジェントリフィケイションも少なからず影響はあっただろう。それまでは、アメリカの各州から夢を抱いた若者が出てくる都会といえば、圧倒的ニューヨークだったのに、スティーブ・アンティン監督『バーレスク』でも、デヴィッド・フィンチャー監督『ソシャル・ネットワーク』でも、目指す都会はLAであり(かの『ボラット』も!)、あっという間にエレン・ペイジを過去に押しやったクロエ・グレース・モレッツがついに初主演を演じたデリック・マルティーニ監督『HICK ルリ13歳の旅』も最終目的地はLAに設定されていた。シリコンヴァレーからはじまる物語は音楽文化だけの話ではない。フランク・ダラボン監督『マジェスティック』やガス・ヴァン・サント監督『ミルク』は過去のLAを検証し直し、F・ゲイリー・グレイ監督『ビー・クール』、リサ・チョロデンコ監督『キッズ・オールライト』、アレクサンダー・ペイン監督『サイドウェイ』、中島央監督『Lily』......と様々に夢が語られる。いまさらのように『ランナウェイズ』の伝記映画までつくられ、もちろん、マーク・クラスフェルド監督『ザ・L.A.ライオット・ショー』やジョー・ライト監督『路上のソリスト』のようにダークサイドを描いた作品も力作が多い。

 そんな気運のなか(?)、信じられなかったのは2008年にLAタイムズが発表した「LAを舞台にした映画ベスト25」である。

1位「L.A.コンフィデンシャル」(カーティス・ハンソン監督)
2位「ブギーナイツ」(ポール・トーマス・アンダーソン監督)
3位「ジャッキー・ブラウン」(クエンティン・タランティーノ監督)
4位「ボーイズ'ン・ザ・フッド」(ジョン・シングルトン監督)
5位「ビバリーヒルズ・コップ」(マーティン・ブレスト監督)
6位「ザ・プレイヤー」(ロバート・アルトマン監督)
7位「クルーレス」(エイミー・ヘッカリング監督)
8位「レポマン」(アレックス・コックス監督)
9位「コラテラル」(マイケル・マン監督)
10位「ビッグ・リボウスキ」(ジョエル・コーエン監督)
11位「マルホランド・ドライブ」(デビッド・リンチ監督)
12位「ロジャー・ラビット」(ロバート・ゼメキス監督)
13位「トレーニング・デイ」(アントワーン・フークア監督)
14位「スウィンガーズ」(ダグ・リーマン監督)
15位「青いドレスの女」(カール・フランクリン監督)
16位「friday」(F・ゲイリー・グレイ監督)
17位「スピード」(ヤン・デ・ボン監督)
18位「ヴァレー・ガール」(マーサ・クーリッジ監督)
19位「L.A.大捜査線/狼たちの街」(ウィリアム・フリードキン監督)
20位「L.A.ストーリー/恋が降る街」(ミック・ジャクソン監督)
21位「To Sleep with Anger」(チャールズ・バーネット監督)
22位「レス・ザン・ゼロ」(マレク・カニエフスカ監督)
23位「フレッチ/殺人方程式」(マイケル・リッチー監督)
24位「Mi Vida Loca」(アリソン・アンダース監督)
25位「クラッシュ」(ポール・ハギス監督)

 『サンセット大通り』も『チャイナタウン』も『ブレードランナー』もなければ『エリン・ブロコビッチ』もないし、『モーニング・アフター』も入っていないではないか......。『ハードコアの夜』も『奥さまは魔女』も......どういうことなんだろう......

interview with The XX - ele-king

都市には秩序も空間も
そして場所もない
真実も信頼もない
インガ・コープランド“BMW”

 なぜか日本の若い世代では昔ながらのシティ・ポップスが流行っているけれど、英国で流行っているシティ(都市)の音楽は、死刑台のように、ばっさりと冷たい。その象徴が僕にはディーン・ブラント&インガ・コープランド(ハイプ・ウィリアムス)だと思える。ブリアルを見いだし、自らもコード9+ザ・スペースエイプ名義の作品によって、都市になんざぁこれっぽっちの陶酔もないことを訴えていた人物が契約しただけのことはある。僕も彼らの感覚に多いに共感しているわけだが、ダブステップを好きになった理由もそこだった。

 ザ・XXは、ここ数年のロンドンの音楽が感じ取っている冷酷な都市感覚をより甘美なメロドラマに見立て、そしてスタイリッシュにブラッシュアップしている。デビュー時に何かと比較されたエヴリシング・バット・ザ・ガールのトレイシー・ソーンが自分のほうからザ・XXの曲“ナイト・タイム”をカヴァーしたほど、その洒落たセンスは認められている。特別何か強い主張があるわけではないが、ザ・XXには格別なムードがあるのだ。メランコリーをとらえるのが抜群にうまい。
 3人それぞれの個性がこのバンドを構成しているのはたしかだろう。が、ことジェイミー・スミス(ジェーミー・XX)という音作り担当の存在は大きい。リチャード・ラッセル(XLレコーディングスの社長)がギル・スコット・ヘロンの遺作のリミキサーに大抜擢したことはある。だいたいレディオヘッドとリアーナから仕事を依頼されるという文武両道ぶりはすごい。

E王
The XX
Coexist

Young Turks/ホステス

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 そういえばマッシヴ・アタックのセカンド・アルバム『プロテクション』の1曲目はトレイシー・ソーンが歌っていたなと、『コエグジスト』をホステスで試聴する前に思い出していた。満足度で言えば、ジェイミー・スミスのトラックに関してはほぼ満足している。思ったよりもダブステップ色は薄く、代わりにハウス(ディスコ)が注がれているが、R&Bやバラードなど、前作以上に幅をもたせているばかりか、品質はいっきに向上している。そして、どう考えてもジェイミーのクラブ・ミュージック愛が前作以上に滲み出ている。

 ザ・XXは深夜の音楽であるから必然的な展開だったと言えるが、あらためてそうなった。いわばトドラ・T(いや、ここはホット・チップと言うべきなのかな、斎藤君)の裏側、音数は少なく、密室的で、薄暗いその内省的なスペースは心地よく広がっている。あとは静かにして、音に集中するだけだ。


DJをして世界を回って肌で感じたのは、結局みんな行き着くところはハウスでありテクノであり、っていうところで。イギリスもいま、そういう風になってきてる。

いきなりですが、あなたがたがいまUKでベストだと思うレーベル/DJ/プロデューサーを教えてください。

オリヴァー・シム(以下、オリヴァー):僕たちがすごく恵まれてるなと思うのは、自分たちが所属するレーベル(Young Turks)は僕たちが好きな音楽をかなりのパーセンテージで出しているレーベルなんだよね。それにアーティストとしてすごく自由をくれていて、いい関係を築けているからこれ以上のレーベルはないと心から思っているよ。それから、ジェイミーがこの1年でやってきたソロ活動をいちファンとしてすごく楽しんできた。自分は関わっていないけど本当に素晴らしいと思うし、彼のことを心から誇りに思うよ。

今回のアルバムは、より今日のUKのクラブ・カルチャーを反映していますよね?

ジェイミー・スミス(以下、ジェイミー):自分たちのレーベルはいまでもインディではあるけれど、しっかりメインストリームのものも扱いつつしっかり限定されたいいものをすごくいいバランスでやってるっていう意味ですごくいいレーベルだと思う。DJやプロデューサーに関しては、みんなすごく注目されてまたすぐ消えて、っていう。ダンス・ミュージックっていうものはそういうことを繰り返して、進化と発展を遂げてきたんだと思うんだよね。だからいますごく気に入ってるっていうのはないけれど、フォー・テットに関してはすごく安定して活動を続けているし、何か作品を出す度に進歩的な音楽を作っているなと思うよ。

ロミーは現在のクラブ・カルチャーにどのような見解を持っていますか? あなたは歌っている立場ですけれども、今回はサウンド・プロダクション的にはクラブ・カルチャーの側面が強く出ていますよね。

ロミー・マドリー・クロフト(以下、ロミー):わたしは基本的に、ジェイミーやオリヴァーが「こういうのが面白いよ」って教えてくれるものを通してクラブ・ミュージックを聴いているの。イギリスだけじゃなくいろいろなものを聴いていて、ハウスやディスコもすごく好きだし、R&Bもすごく好きだったりする。自分からUKのクラブ・シーンに特別注目するっていうことはあまりないかな。

3人にとってUKのクラブ・カルチャーは誇れる文化だっていう意識はあるんでしょうか?

ジェイミー:うん。イギリスに根づいたものがいまのイギリスで盛り上がってるっていうことはあまりないけど、いろいろ出てきたものが世界的に大きなものになっているとは思うんだ。DJをして世界を回って肌で感じたのは、結局みんな行き着くところはハウスでありテクノであり、っていうところで。イギリスもいま、そういう風になってきてる。UKのサウンドだけじゃなくて、そこから出てもう少し広い意味での音楽で評価されるようになったっていうのは、逆にいいことなんじゃないかな。

なるほど。

ジェイミー:まあ、これは僕個人の見解なのかもしれないし、あらゆる音楽を聴いて考えてきた結果――まあ、考えすぎなところはあるんだけど――、結局「何がひとを踊らせるんだ?」と考えたときに、根本的な要素を追求したら、さっき言ったようにハウスやテクノなんだなって思ったんだ。

さっきからサウンド面についてばかり質問してしまっているんだけど、バンド自身では今回のセカンド・アルバムでもっとも重要なポイントっていうのはそれぞれどこだと思っていますか?

オリヴァー:事前にこういう作品にしようって打ち合わせをしたわけでもないし、ただひたすら曲単位で、みんなでまた一緒に曲を作る喜び、それを世のなかに発信する喜びを感じながら作っていたんだ。そのなかで、こういう作品を作ろうって目標を決めたわけでもない。僕としては、自分の抱えている気持ちや感情をしっかり出してそこに込めるておいうことだったんだけど。それ以外は、前もって決めたものではないんだよね。

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どんどんすごく悲しい歌になりそうなものは、正反対の対照的なものと組み合わせることで、また新しいムードを作り上げるっていう意味でだね。そのアイデアは気に入ってるんだ。

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The XX
Coexist

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前回のインタヴューで、「マッシヴ・アタックのアルバムで何がいちばん好きですか」って聞いたら、「自分たちはiTunes世代だから曲単位でしか曲を聞いてなくて、アルバムって言われてもアルバム名が浮かばないんだ」っていうようなことを言ってたんですけれども。その後時間が経ちましたけど、アルバムというものへの捉え方はどのように変わったでしょうか?

ロミー:ええ、変わったと思う。今回のアルバムを作って、やっぱり曲順とか全体の流れを――とくにDJなんかを聴いた影響もあると思うけど、すごく考えるようになった。どの曲とどの曲を繋げたら合うかってことをとても意識するようになったわ。1枚のアルバムを通して聴くっていうこともすごく意識するようになったわね。たしかにそれはわたしたちは子どもの頃音楽を聴いてきた環境とは違ってて。iPodでシャッフルで音楽を聴くってことをずっとやってきたんだけど、今回アルバムを作って通して聴くってことをすごく考えるようになった。アナログでも出すんだけど、とくにアナログとなると曲を飛ばしたりできないから、曲順もすごく気を遣ったの。いまの時代に、リスナーにアルバムとして聴いてくれっていうのは大きい要求かもしれないけれど、少しでも多くのひとがそういう風に楽しんでくれたらいいと思うわ。

アルバムとして意識しはじめたときに、他のアーティストでアルバム作品としていいなと思ったものはありますか?

ロミー:ポーティスヘッドね。最初から最後まで本当に素晴らしい作品で、1曲1曲も大好きなんだけど、全体を通して聴いても素晴らしいと思うわ。

ポーティスヘッドはサウンド面だけでなく、コンセプト的にも素晴らしいアーティストだと思うんですけれども、今回のあなたたちのアルバムにもコンセプトがあると聞きました。それが「失われし愛」という言葉を聞いたんですけれども、そのテーマについて説明していただけますか?

ロミー:コンセプトを持って作ったってわけではないんだけど、結果的にすべてラヴ・ソングになったの。それもラヴ・ソングにするって決めてたわけじゃないんだけど、純粋に書いてて楽しかったのがそれだったのね。

必ずしもハッピーではないラヴ・ソングばかりを書くのはなぜですか?

ロミー:もともと悲しい曲が好きだっていうのはあるわね。自分が幸せなときも悲しい曲を聴いて、それに浸るっていうのが。結局悲しい想いのほうが、歌で表現したときに説得力があると思う。幸せなものっていうのは得てして陳腐なものになりかねないし。ただ今回のアルバムでは、ただ悲しい曲ばかりじゃなくて、なるべく感情の幅を持たせようという気持ちはあったから、2、3曲ただ悲しいだけじゃないラヴ・ソングも書いたつもりなんだけどね。

なるほど。ジェイミーが作る音にふたりが言葉を合わせているわけではないんですよね?

ジェイミー:3人の個性の融合だね。自分のサウンドを押しつけるのではなくて、ロミーとオリヴァーが書いてきたことに合うもの、その世界観を引き出すものを意識してるんだ。それらを衝突させるよりも、ふたりが作ったものを生かすっていうことを僕は意識してる。

ちなみにダンス・ミュージックってことで言うと、レイヴ・カルチャーではブローステップみたいなものが大きくなってますけど。当然あなたたちはブローステップみたいなシーンとは距離を置いてるわけですよね。

ジェイミー:ブローステップ? (力なく)ああ……。

はははは。

ジェイミー:ダブステップがアメリカに行ってブローステップになってしまったっていうのは、ある意味悲しいよね。好きじゃないんだけど。ただ、去年1年はレイヴとかパーティとかには行ってないし、今回のアルバムの要素としてもクラブ・ミュージックやダンス・ミュージックが大きい位置を占めているわけではなくて、いろんな要素がたくさんあるから。これがダンス・アルバムだと捉えられては困るかな。

とはいえ、6曲目の“サンセット”は典型的なハウス・トラックで、4つ打ちというのはファーストにはなかったわけで。全体的にファーストよりはクラブ寄りに感じましたが。

ジェイミー:それはどんどんすごく悲しい歌になりそうなものは、正反対の対照的なものと組み合わせることで、また新しいムードを作り上げるっていう意味でだね。そのアイデアは気に入ってるんだ。踊ることもできるし、クラブじゃない環境で聴きこむこともできるっていうことをこの曲では目指したんだ。

ギル・スコット・ヘロンのリミックスをはじめ、昨年ジェイミーが〈ナンバーズ〉レーベルから出したシングルも良かったし、ファルティDLのリミックスも良かったし、UKベース・ミュージックの最新型として印象的に思ったんですよね。だから、あなたが次どんなトラックを作るのかっていうところに注目していて。4つ打ちをやったっていうのが、正直自分のなかでは驚きだったので。

ジェイミー:まずはダンス・ミュージックを聴いていたっていうのと、曲に合った一番いいものを作ろうっていう思いでプロデュースした結果なんだけど。XXの曲をプロデュースしたときっていうのは、プロデュースっていうのはひとつの要素でしかなくて、それがすべてではないんだ。自分の作品と比べるとね。4つ打ちっていうのはシンプルな8ビートのなかでいろいろなことができるっていう意味で実はすごく面白いんだよ。

なるほどね。じゃあ最後の質問にしますね。2回目の来日ですけど、それぞれ楽しみにしていることを教えてください。

オリヴァー:3回目だね。フジロックで来たから。

あ、そうか。

オリヴァー:やっぱりライヴだよね。新曲のリアクションがすごく楽しみなんだ。あとは、今回はけっこうたっぷり滞在期間があるから、東京の街中を味わうのをすごく楽しみにしてるんだ。

ジェイミー:買い物だね。

ロミー:田舎のほうを見てみたいわ。歴史的なものを感じたい。その時間があるかだけど。

Toddla T - ele-king

 「DJパイプスとロス・オートンは俺の最大のヒーローだ」と、トドラ・Tは話しているが、ふたりは彼にとって地元の先輩である。トドラ・Tが学校を辞めてシェフィールドのスケート場で働く「瞳孔の開いた」十代だった頃に、パイプスなる、怪しい名前のDJと会っている。このベース・フーリガンこそ地元クラブの顔役的なDJであり、そしてジャーヴィス・コッカー(パルプ)のDJチーム「ディスペレイト(絶望的な)・サウンドシステム」のメンバーでもある。彼らがオーガナイズするパーティ「ディスペレイト・ナイト(絶望的な夜)」において、トドラ・T、そしてパイプスとロス・オートンはダンスホール愛によって結ばれた。
 ロス・オートンは10年前の、エレクトロ時代のシェフィールドを代表するファット・トラッカーのメンバーであり、ジャーヴィス・コッカーのバンドのドラマーでもあり、アークティック・モンキーズやなんかの曲のプロデュース、MIAのリミックスも手がけるような名の知れた音楽人だった。トドラ・Tに作り方を教えた先生である。そういう地元の先輩ふたりが、トドラ・Tのセカンド・アルバム『ウォッチ・ミー・ダンス』を再構築したのが本作「アジテイティッド・バイ・ロス・オートン&パイプス」というわけだ。

 トドラ・Tは明るすぎるし、アホすぎるかもしれない。ビートたけし系のヒューマニズムに心底感動しているファッキン真面目な青年、竹内正太郎の文章を読んでいると、この国の湿度の高さが精神に与える影響もあるのでは……。「3.11以降」という彼の好きな言葉を使わずとも、昔から日本では、暗い風が吹くとファッキン内側に籠もりがちだ。島国だから? 現実が絶望的だから? 政治が大衆のために機能しないから? 『CRASS』の後書きでも書いたことだが、イギリスの若者文化は1978年の時点であたり一面の絶望に直面している。ノー・フューチャー、未来なんかない、俺にもあんたにも……ジョニー・ロットンはそう笑ってみせた。「ノー・フューチャー」を繰り返し聴かされたUKの若者文化はむしろ元気になって、ポスト・パンクの時代へと展開した。ポスト・パンクが何をしかったって? サッチャーという英国を愛する頑固なおばさんが絶対に許さない連中──たとえばジャマイカ移民に代表される──とつるんだ。英国らしさの真逆に突き進むことで、音楽も多様化した。結果、そうしたポスト・パンクの抵抗が「ノー・フューチャー」な英国に自由な領域を創造した。レイヴ・カルチャーはそのなかで生まれた。トドラ・Tがダンスホールと結ばれたのもそうした過去と無関係ではない。

 それにしてもトドラ・Tのふたりの先輩は、後輩以上にアホじゃないかと思われる。「アジテイティッド・バイ・ロス・オートン&パイプス」からは……いわばガンジャ節というか、ファッショナブルでポップ・ソングを意識した『ウォッチ・ミー・ダンス』をさらに深くクラブ・サウンドのほうへと変換している。アシッド・ハウスのフレイヴァーが全体を通底しているが、これは最近のモードだ。ショーラ・アマと一緒に作った最新シングル「アライヴ」も、まあ、お洒落で良かったが、僕は先輩がいじった本作のほうを推したい。ちなみに日本にも「ノー・フューチャー」で「未来を見せる」ことのできる人たちはいる。最近で言えばドタマとか、再結成したタコとか……。

(※)文中の「ファッキン」は竹内君に毒づいているというよりは、9月からはじまる編集部が大好きなライターの新連載の予告です。さて誰でしょう。こうご期待!

Gary War - ele-king

「セレブ」という言い回しは英語圏だと少しバカにしたニュアンスを含んでいるので、社会に影響力があると認められつつも、そこには様々な留保もつけられている。米フォーブス誌が今年のベスト・セレブに選んだのもジェニファー・ロペスだったし、アンジェリーナ・ジョリーやジョージ・クルーニーがそれほど高すぎない位置にいたのも、彼らの政治活動に対する評価があってのことだろう(3位にジャスティン・ビーバー、8位にケイティ・ペリーw)。そして、100位以内にけっこうな数を占めていたのが右派のディスク・ジョッキーで、なるほど、アメリカにはみのもんたがわんさかいるんだなーと(ボブキャット・ゴールドスウェイト監督『ゴッド・ブレス・アメリカ』に現代のボニー&クライドを気取るふたりがついでのように右派のTV司会者を撃ち殺すシーンがあった)。とはいえ、ラジオの強さは、欧米社会でははよく言われることで、クリア・チャンネル以後の音楽プログラムはともかく、ディスク・ジョッキーの地位が低下したという事実はないらしい。つまり、バグルスは間違っていた! 『ラジオ・スターの悲劇』でもなんでもなかった!(MTVが開局して最初に流した曲もこれでしたが)

 バグルスとしてのリリースが絶えてからも(解散はしていない)、アート・オブ・ノイズやイエスのメンバーになるなど、ミュージシャンとしての活動も諦めたわけではなかったトレヴァー・ホーンが31年ぶりに新たなポップ・グループを結成した。元デル・エイミトリのアシュリー・ソーンやロル・クリーム(元10cc)らと組んだプロデューサーズがそれで、それこそ非の打ち所のないポップスのオン・パレードである。どこかにまだ未来が残っているかのような屈託のなさと、それだけで前に進んでいたともいえる80年代を正確に再現した職人仕事。ポーズだけの苦悩や「感性」という言葉で人を差別できた過去があまりにも懐かしく蘇ってくる。50年代のアメリカ映画が極端に明暗を分けていたように、80年代のアンダーグラウンドにはそのすべてを疑う視点が広く偏在していた。しかし、メジャーはどこ吹く風で、ひたすら耳に優しいメロディを量産し、消費することが善だった。それに反発するのではなく、むしろ、アンダーグラウンドに引き入れたとき、レイヴ・カルチャーが急浮上したとも考えられる。だって、ここに再現されているような「屈託のなさ」を拒む理由はなかったから。1986年のクラブ・カルチャーを評して「それはマインドレスだった」という告発が僕の頭から離れたことがない。アンダーグラウンドがいつも正しいとは限らない。いまは......どうなんだろうか。

 現在進行形で同じように屈託のないポップ・アルバムをつくれるのは、おそらくエアリアル・ピンクしかいない。彼にはシッツ・アンド・ギグルズのような裏の顔があることも知っているだけに、なおさらその韜晦性と職人ぶりには驚かされる。『フェアウェル・アメリカン・プリミティヴ』改め『メイチュア・テーマ』(邦題表記は『マチュア・シームス』。エアリアルをアリエルと記すなら「メイチュア」を「マチュア」はわかるけど、「テーマ」だけはなぜ「シームス」と原音に忠実になるのか。教えてアエロスミス!)では「ピンク・スライム」のような社会問題も、それこそトレヴァー・ホーンを思わせる甘いメロディにのせて歌われていく(どんな神経なんだ......)。そして、エアリアル・ピンクのバックから独立したゲイリー・ウォーことグレッグ・ダルトンが(サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンのテイラー・リチャードスンと結成したヒューマン・ティーネイジャーとしてのデビュー作に続いて)リリースしたソロ3作目もポップ・アルバムの歴史に名を連ねようとするスノッブなヴァリエイションである。

 前作『ホリブルズ・パレード』がエアリアル・ピンクをそのまま宇宙に連れ出したようなヴァージョンであったことを踏襲しつつ、かなり一本調子だったそれに強弱や変化をつけ、遊園地を駆け回っていくような音世界を構築していく。スピード感あふれるアレンジの連打はエアリアル・ピンクの磁場から飛び出そうともがいているかのようであり、エレクトロのリズムに新境地を見出している部分は〈ノット・ノット・ファン〉との共振も予感させる。ここでもいい意味で屈託のなさが功を奏している。リバーブではなく、単純なエコーが冴えているというか(底辺にはいささかクラウトロックが透けて見える)。ダルトンの屈託のなさは、アメリカにモーグ・シンセサイザーのブームが吹き荒れた60年代にも通じ、トム・ディッセルヴェルトブルース・ハークがこのところ活発に再発されていることとも符号は合っている。現実逃避するなら、これぐらい遠くまで行ってしまえよということなのだろうか。ズンズンタッタ、ズンズンタッタと機械的に刻まれるベースはとにかく先へ進むことしか考えていない。そう、アメリカのあさってに向かって......(いままでデタラメだったアートワークもようやく内容と一致してきた。クレジットを見てびっくりだったけど!)。

Factory Floor - ele-king

 ファクトリー・フロアがどうして不機嫌なのかは知らない。応援しているフットボール・チームの調子が良くないのだろう。とにかく機嫌が悪そうだ。連中が応用するのはジョルジオ・モロダー流の、くらくらするような16分音符のシーケンスだが、そのサウンドはいわば「I feel hate」、ひときわイラついている。「どこまで我慢強いんだ」と人間のマゾヒズムをあざ笑うかのように、ときにサディスティックで、残忍でもある。アンソニー・バージェスが描いた15歳の少年アレックスは喜ぶに違いない。
 名前も良い。ファクトリー・フロア......「デス・ファクトリー」とも似た胸くそ悪い響きがある。いま我々が生きている場所こそ強制収容所みたいなものであると言ったのは二木信でも――もうすぐ「水星」のレヴューを書いてくれるであろう磯部涼でもなく、自らのスタジオを「デス・ファクトリー」と命名したスロッビング・グリッスル(TG)だが、ロンドンで結成されたファクトリー・フロアもまた冷たい反復による一種のデス・ディスコを展開している。私的な夢を転覆する社会への復讐心を巧妙に刺激するかのようだ。

 とはいえ、これはパンクというよりもトランス・ミュージックである。ポスト・パンクにおけるインダストリアル・サウンド(TGやナース・ウィズ・ウーンド、キャバレ・ヴォルテール等々)が実際のところ"サイケデリック・ミュージック"の延長線上にあったように(60年代末にピンク・フロイドでトリップしている世代)、ファクトリー・フロアにもその気がある。2010年の『Untitled』に封入されたDVDの、1時間以上にわたって展開されるアブストラクト・ノイズを見れば一目瞭然だ。そうした観点で言えば、このバンドは、実はコーヘイ・マツナガのNHKyxとも決して遠くはないように思う。
 NHKyxとの大きな違いはダンスだ。ファクトリー・フロアは、レイヴ・カルチャーの現場が廃屋や工場であった時代を思い出させる。人気のない醜悪な場所を我々の桃源郷へと転換したところにあの文化の本質があったわけだが、ファクトリー・フロアはその頃の記憶をフラッシュバックさせる。敢えてみすぼらしい場所を見つけては、踊りながら、ポスト・パンクのインダストリアル・サウンドと初期のジェフ・ミルズのハード・ミニマルないしはドップラーエフェクトの病んだエレクトロとの溝を埋めている......そんな感じである。

 本作『JPN』は、2010年の『Untitled』をはじめ、アナログ盤でのみ作品をリリースしてきた彼らの主要シングルを編集した日本企画盤だが、これがけっこう売れているらしい。まあ、たしかにいまの日本にはない"音"である。
 『JPN』には〈DFA〉からの「Two Different Ways」のみが収録されていないが、この2年で発表してた曲やリミックス・ヴァージョンはほぼ網羅できる。〈DFA〉以外では、〈ミュート〉傘下の〈ブラスト・ファースト〉や〈オプティモ・ミュージック〉といったレーベル、スティーブン・モリス(ジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダー)やクリス・カーター(TG/クリス&コージー)といったリミキサーの名前からも彼らへの期待度の高さやその音のにおいをうかがい知ることができるだろうが、むしろこの手の固有名詞を知らない若い世代にこそ聴いて欲しい1枚。本作には収録されてはいないけれど、まずはこれを聴いてみましょう。


 
 ファクトリー・フロアのオリジナル・アルバムは年内には聴けるという話だが、今年の3月、メンバーのひとり、紅一点のニッキ・コーク・ヴォイドがクリス&コージーといっしょに1枚のアルバムを発表している。この盤に関しては、正直に言えば、目の錯覚を利用したアートワークに「おっ」と思ってのジャケ買いである。アナログ盤にはCDも封入されているでのお買い得と言えばお買い得だ。
 『トランスヴァース』は、世代を越えた共作としても本国では注目されている。モロダー的というよりもメトロノームで、ファクトリー・フロアよりもさらにまたマシナリーで、クローネンバーグ的で、J.G.バラード的で、温かみなぞいっさいない。単調きわまりない音が続いている。こちらはライヴ映像のリンクを貼っておきましょうね。

interview with DJ Kentaro - ele-king

 来るときは、気がつけば来ている、そんなものだ。たとえば昨年末の紙『ele-king vol.4』でも話題にしたブローステップ、あのとき日本ではまだ「何それ?」だった。が、いまではホット・チップが中目黒の部屋でねちねちと嫌味を言うほど身近なものとなっている。好むと好まざるとに関わらず、この時代のレイヴ・カルチャーが上陸しているのだ。


DJ Kentaro
Contrast

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 こうした新しいダンスの波を前向きに吸収しているのがDJケンタロウの『コントラスト』。若干20歳で世界の舞台に躍り出たDJによる10年目のセカンド・ソロ・アルバムで、彼が所属するロンドンの名門〈ニンジャ・チューン〉からのリリースだ。
 『コントラスト』にはDJクラッシュやファイヤー・ボール、キッド・コアラなど多彩なゲストが参加しているものの、アルバムに通底するのはベース・ミュージックやドラムンベースといった、今日のレイヴ・カルチャーに欠かせないエートスだ。DJケンタロウという人のカラっとした気質は、ある意味ブローステップさえも受け入れているが、彼の出自であるバトルDJの擦りの美学がなくなることはない。そこはさすが〈ニンジャ・チューン〉一派、ヒップホップを忘れてはいない。
 しかしあなた......よりよってこの時期に......、いくら国際的なDJとはいえ、いや国際的だからこそか、日本でこれだけダンスがポリティカルな話題になっているこの時期にダンスのアルバムを出すという心意気が、良い。レイヴ・オン! である。

アメリカでもダブステップがメチャクチャ盛り上がってて。L.A.だと、とくに。スクリレックスとかトゥエルブス・プラネットとか、やっぱりダンス・ミュージックっていうのは、いま、世界でバンドをしのぐ勢いになっちゃってる。

じゃぁ、よろしくお願いします。

DJ KENTARO:よろしくお願いします。

あのー、あれですよね。オリジナル・アルバムとしてはセカンド・アルバム(DJ KENTARO『Contrast』)になるんですよね。

DJ KENTARO:はい。

DJケンタロウっていうと、ミックスCDとかね、出されているんで。

DJ KENTARO:そうなんですよね。

意外とたくさんリリースしているような印象を持たれがち、思われがちなんだけど。オリジナル・アルバムとしては今回で2枚目なんだよね。

DJ KENTARO:そう。5年ぶり、なんですよね。

今回のセカンド・アルバムっていうのは、2012年の6月27日にリリースされるんだけど、「2012年6月」っていう、このリリースのタイミングみたいなものっていうのは必然性があったんですか? それとも、たまたまというか、流れというか。

DJ KENTARO:両方です(笑)。

ハハハハ。

DJ KENTARO:けど、ぶっちゃけ偶然のほうがデカいです。けど、いろんな偶然も重なって「その日にしよう」っていう風にはなって。あの、まぁ、そうすね。(偶然と必然の)両方あると思います、ぶっちゃけ。意図したものもあれば。けど、やっぱり、ちょっとリリースが遅れたんですよ。ホントは4月だったんですよ。

あぁ、そうなんですか。

DJ KENTARO:そこででき上がらなくて。

ほほう。ちなみに、その意図した部分っていうのは、どんなところなんですか?

DJ KENTARO:別に6月にとかって意味はないですけど。この時期に出したい。2012年の中頃には出したいなっていうのがあって。けど「日本盤だけでも4月に出してくれ」って言う話があって。2月中に作らなきゃいけないっていうのがあったんですけど。それはもう物理的に無理で。結局、まぁ、2ヶ月伸びちゃったんですけど。

その「セカンド・アルバムを出したい」っていうのは、やっぱり自分のなかで出したいものが、それだけ溜まってきたっていうこと?

DJ KENTARO:そうですね。去年もわざわざL.A.まで行って、2ヶ月間レコーディングしてきて。トラックもいっぱい溜まってきて。本当はそこで完成に持っていきたかったんですけど。やっぱ2ヶ月なんかじゃできないし。けど、そこで30曲ぐらいできたおかげで、コラボレーションしたラッパーに投げるトラックとか、いろいろできたんで。すごい成果にはなったんですけど。やっぱりアルバムをひとりで作るっていうのはスゴく大変で。たぶん、次にアルバム出すときも5年ぐらいかかると思う(笑)。

はははは。で、ちなみに、取っ掛かりというか、今回の『Contrast』を作る取っ掛かりみたいなものは何かあったの?

DJ KENTARO:えーと、やっぱ「アルバムを作りたい」っていうのは前からあったんですけど。最初に作ったのが、このクラッシュさんとの曲("KIKKAKE")で。これが1曲目っていうか、これで基盤ができて。2年ぐらい前なんですけど。

へぇぇ。

DJ KENTARO:これをいちばん最初に作ってから、いろいろほかの曲とか、"HIGHER"とか"FIRE IS ON"とかできてきて。

じゃぁ、そのクラッシュさんと一緒に作ったっていうのが、ひとつの取っ掛かりになったんですか?

DJ KENTARO:なりましたね。けど、そのときは"KIKKAKE"ってタイトルはまだ無くて。アンタイトルドだったんですけど、オレもクラッシュさんと世界で......例えば、ロンドンの〈KOKO〉っていう、伝統的なデッカいところで演ったりだとか(DJ KRUSH VS DJ KENTARO at KOKO/2009年10月3日)。セッションする機会が増えて。クラッシュさんのプレイも生で見る機会が増えて。スゴいやっぱりカッコイイなって。オレと全然違うスタイルなんですけど、やっぱりカッコイイなぁっていう風に思って。で、仲良くなってから、クラッシュさんが家に遊びに来たときに、こう、焼酎とか注ぎながら(笑)。

はははは。

DJ KENTARO:飲み会的な感じで(笑)。クラッシュさんとサシで飲むなんてなかなかないんで。で、そのノリで曲も作って。したら、その日のうちに結構基盤ができたんですよ。そっからメールでやり取りして。「どうですか?」って。あとは、じょじょに音足していって。この"Kikkake"ってタイトルは、オレがクラッシュさんのインタヴューをウェブか何かで読んで。「キッカケ」って言葉を見て。「あ、イイなぁ」ってボーっと。「クラブで『ケンタロウさん、キッカケでDJはじめました』って若いコとかいたなぁ」とかいろいろ考えて。オレもクラッシュさんキッカケでいろいろ知って......とか、そういうこと、いろいろ考えていて。

あー。

DJ KENTARO:で、まぁ"KIKKAKE"って。あと、「コントラスト」と「キッカケ」って、オレはイコールだと思ってて。やっぱりキッカケを作るにはコントラストが必要だし、コンストラストを作るとキッカケが生まれるし。何事もっていうか、ホント。抽象的ですけど。そういう意味では、今回の一種の核となってる曲ではありますね、この曲"KIKKAKE"は。

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前半戦がダンス・ミュージックで、後半はターンテーブリスト作品とか、ヒップホップっぽい感じとか。あとは、インスト物? っていう意味で、グラデーションのようにじょじょに変わっていくというか。


DJ Kentaro
Contrast

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なるほど。あの、聴いたざっくりとした印象なんですけど、すごくエネルギッシュなダンス・アルバムじゃないですか。

DJ KENTARO:はい。

で、とにかく、たぶん、このアルバムがもっとも強く伝えることがあるとしたら、ダンス・ミュージックってことかなっていう風に......。

DJ KENTARO:そうですね。やっぱり、クラブ・ミュージック......。

って解釈したんですけど。ここまでダンスにフォーカスしたっていうのは意図したものなんですか? 自然に出てきたっていう感じなんですか?

DJ KENTARO:けど、(アルバム全体を)ダンス・ミュージックだけにはしたくなかったんですよ。前半戦がダンス・ミュージックで、後半はターンテーブリスト作品とか、ヒップホップっぽい感じとか。あとは、インスト物? っていう意味で、グラデーションのようにじょじょに変わっていくというか。そういう流れは作りたくて。前半はイケイケではじまって。じょじょに曲調が転換していって、最後はスクラッチで終わるっていうところは意図して作りましたね。

もちろん、曲は本当にいろいろ。それこそドラムンベースからの影響もあるし。いろんな要素あると思うんだけど。まぁ、すごくダンスを強く打ち出したアルバムだなと思ったんですけど。

DJ KENTARO:あ、はい。

やっぱり、それは、いま、欧米ですごくダンス熱が上昇してるでしょ?

DJ KENTARO:ですね。

やっぱりそこに触発されたものっていうのはありますか?

DJ KENTARO:あ、でも、少なからずありますね。やっぱ、僕は、どっちかっていうと、ロンドンっていうか、ヨーロッパのシーンにドップリ浸かってたんですけど。アメリカとかツアーするようになってから、アメリカでもダブステップがメチャクチャ盛り上がってて。L.A.だと、とくに。スクリレックス(Skrillex)とかトゥエルブス・プラネット(12th Planet)とか、ビッグ・ネームがアメリカからいっぱい出てきてて。あとはデヴィッド・ゲッタ[David Guetta]とかアフロジャック(Afrojack)とか。四つ打ちの、もうジャンルを越えたモノが増えてきてるじゃないですか? 例えば、ヒップホップにハウス入れたり。アフロジャックだったら、ダッチ・ハウスにR&B入れたりとか。だから、やっぱりダンス・ミュージックっていうのは、いま、世界でバンドをしのぐ勢いになっちゃってる。それはたしかじゃないですか。

ホントそうですよね。

DJ KENTARO:で、逆に言うと、スクリレックスとかも、かつてバンドマンだったんですよ。バンドを辞めてパソコンに移った。っていうタイプが、いま、スゴく多いっていうか。

あぁぁ。

DJ KENTARO:バンドマンだった人、バンド畑だった人が、パソコン・ミュージックに行って。要は、お客さん的にも「音が鳴ればイイじゃん!」っていう概念になってきてて。バンドが生演奏しても、しなくても、スピーカーから出てくる音が良ければイイじゃんっていう感じで。そういうダンス・ミュージック、DJがスゴい欧米で人気出てますよね。そういう印象受けますね。

じゃぁ、やっぱり欧米のシーン、レイブカルチャーに触発されたっていう?

DJ KENTARO:そぉっすね。けど、やっぱり......僕もターンテーブリストとしてのアイデンティティがすごくあるので。(アルバムの)後半戦は、そういう感じに終わらせたいなっていうのあって。だから、全部洋楽、全部ダンス・ミュージックってアルバムにはしたくなかったんですよ。日本人だから、日本語の曲も入れたかったし。それこそ和のテイスト、和楽器入れたりっていうのもやりたかったし。最後のフランス人(C2C)と演った曲もある。ま、このまんまっていう感じなんですけど。これが素直な、オレのやりたかったことではあるんですよ。
 ドラムンベースの曲も1曲絶対入れたかったし。このメイトリックス・アンド・フューチャーバウンド(MATRIX & FUTUREBOUND)って、僕、スゴいファンで。彼らの曲しょっちゅうDJで使うんで。純粋にリスペクトしてるんすよ。彼らと一緒に、フューチャーバウンドが家に遊びに来て、3日間、一緒に曲作ったのが、これ("NORTH SOUTH EAST WEST")で。

最近は海外ではどのぐらいの頻度でDJ演ってるんですか?

DJ KENTARO:アルバム制作中はあんまり行ってなかったですね。で、次行くのは7月のヨーロッパとか、ぐらいですね。

だいたい1年のうち......

DJ KENTARO:年に2回ぐらいヨーロッパ行くんですよ。で、1回ぐらいアジア・ツアーとかオーストラリアとか。

その1回のヨーロッパってけっこう長いの?

DJ KENTARO:えー、2週間。2週間ぐらいですか? 1ヶ月とか2ヶ月か、そんなには行かないですけどね。

USなんかは?

DJ KENTARO:この前が2週間。で、あんまり1ヶ月とか演ったことないですね。アメリカ......アメリカがいま、スゴいベース・ミュージック盛り上がってるんで。

らしいねぇ。

DJ KENTARO:チャンスっちゃチャンスだし。けど、UKのヤツらはそれを見てあんまりよく思ってないとか(笑)。いろいろあるんすよ(苦笑)。

ハハハ(笑)。知ってる知ってる。あのー、ブローステップに対してね。

DJ KENTARO:ブローステップ。「ふざけんな! ファック・オフ!」とかスゲェ言ってるし(笑)。

DJケンタロウはそこはどう思うの?

DJ KENTARO:それを遠くから見てますよ。「「あぁ~」って。やっぱアメリカ人ってもうイケイケの人多いじゃないですか? 気質っていうか。「イッたれ! イッたれ!」みたいな。こう、大ノリっていうか。やっぱ、そういうノリではアメリカ人には勝てないし。けど、イギリスはイギリスで、長い歴史と、ダブステップとかベース・ミュージックとか曇り空な感じとか、いろんな要素がUKにはあるから。オレもそっちの要素はスゴい惹かれてて。
 で、やっぱUKから見て、ダブステップ、ブローステップが(アメリカで)盛り上がってるのを、よく思わないヤツらが、やっぱりいて。今度は逆に、イギリスとフランスもやっぱ仲悪いし。

ダンス・カルチャーの違い、みたいな?

DJ KENTARO:いや、もう国ごと。

それはまぁ、そうだよね。

DJ KENTARO:歴史的にもあるし。

それ言ったら、ドイツとイギリスだって仲悪いじゃん。

DJ KENTARO:そうっすね。で、ドイツとフランスは仲良いとか。なんか、そういう、白人内でも、また派閥があったりとか。

ふーん、なるほど。

DJ KENTARO:だから、どこでも一緒なんだな。日本でも一応民族っていうのがあるし。例えば、アジア諸国のね? 近所の関係とかもあるし。だから、どこでもある。ヨーロッパなら白人同士でもいがみ合ってて。アメリカとUKでもいがみ合ってて。ま、けど、認め合ったりもしてて。そういうの全体的に見ると、どこ切り取っても一緒っていうか。けど、やっぱりいまのトレンド、ダンス・ミュージックっていうのが完全にテイク・オーヴァーしてて。それをイギリス人、例えば、ドラムンベースにしちゃうと「今いまはシーンも下火」って言う人もいるんで。

え、そう? でも、なんか、ほら、でもスクリームとかさ、ああいうダブステップ演ってた人の一部は、最近、みんなドラムンベースになっちゃったじゃん。

DJ KENTARO:え? スクリームがですか? 

シングルとかで。

DJ KENTARO:え、スクリームがドラムンベース出したんですか? それ知らないっす。へぇぇぇ。

ちょっと前だけど。ワイリーなんかもそうだし。それとはまた別に、わりと、ほら......新しいタイプのドラムンベース...とか、たぶん、それこそ〈ニンジャ・チューン〉とか、すごくいちばん好きな部分なんじゃないかなと思うんだけどさ。

DJ KENTARO:え、なんすか? 知らない。

Dブリッジ(D-Bridge)とかさ。

DJ KENTARO:Dブリッジ。あぁ、ハイハイ。あぁぁ、アイシクル(Icicle)とか。

面白そうののが出てきてるじゃない? なんか。

DJ KENTARO:あぁ、たしかに。そう、だから、ドラムンベースでも、やっぱり滅茶苦茶ドープな、孤高のシーンしかないんすよ。だから、いま、言ったようなDブリッジとアイシクルとか、いわゆる超ドープなドラムンベースこそが「リアル・ドラムンベースだ」って。例えば、オレが大好きなサブ・フォーカス(Sub Focus)とかペンデュラム(Pendulum)とか、「ああいうのはワックだ」って言っちゃうんすよ。だから、もう、ある意味、「Dブリッジ以外認めねぇ」みたいな。

ハハハハ(笑)。イギリス人はそういうところあるよね、昔から。良くも悪くも。

DJ KENTARO:ありますよね。「ドープなモノしかリアルじゃねぇ」みたいな。

みんなマニアだから。

DJ KENTARO:そう、マニア。ある意味、ダブステップもそうなんですよ。ポスト・ダブステップ。「ブリストル発の、ああいうサウンドじゃないと認めねぇ」って。もうちょっとローファイで、空間うまく使って、いわゆるオールド・スクールじゃないけど、こう......「ポスト・ダブステップ以外はクソだ」って。

なるほど。でも、まぁ、それは歴史は繰り返すじゃないけど。

DJ KENTARO:そうそう、ジャングルも、そうじゃないですか。

1990年代初頭のテクノのときもあったことで。

DJ KENTARO:そうですよね。レイヴからはじまって。

それこそ、もうアンダーワールドが「レズ(Rez)」っていうシングルを出した頃は、アンダーグランドでもすごい盛り上がってたんだけど。

DJ KENTARO:はい。

「ボーン・スリッピー」の頃は、もう「セルアウトしてるから」みたいな。

DJ KENTARO:(苦笑)なるほどね。

そういうイギリス人気質っていうのがあるから。

DJ KENTARO:プライド高いからね、イギリス人は。

ただ、逆に言えば、連中はそれだけ自分らの音楽文化に対して誇りを持ってるし、熱があるってことなんだよね。

DJ KENTARO:そうなんですよね。モチベーション、そんぐらい熱中してるから、言えるっていうのはあるんですけど。

でもさ、DJケンタロウとしては、〈ニンジャ・チューン〉っていう、すごい拠点もあるわけだから。

DJ KENTARO:でも、やっぱり〈ニンジャ・チューン〉っていうのも、イギリス人のレーベルなんで。彼らもプライド持ってやってるし。彼らの考えもあるし。日本人とは違うバックボーンもあるし。だから、そういう意味でも、オレが〈ニンジャ・チューン〉から出すっていうことの意義は、良くも悪くも、しっかりあると思うんですよ。

うん、そうだよね。〈ニンジャ・チューン〉って、日本にはあまり伝わってないけど、イギリス国内ではものすごく尊敬されているレーベルだし、〈ワープ〉と並んでイギリスが誇るインディ・レーベルだから。

DJ KENTARO:だから、やっぱり〈ニンジャ・チューン〉の社長も考えがあるわけで。で、やっぱセールスの人も考えがあるわけで。オレも日本人として考えがあるし。だから、そこでぶつかり合いみたいなものも多少あるんですよ。

あぁぁ、なるほど。

DJ KENTARO:けど、それを面白いって言ったら変だけど、「じゃぁ、やってやるよ」っていうトコで見てて。だからって相手に嫌がらせするとかじゃなくて。オレの意見をバンバン言う。ピーター(・クイック/ニンジャ・チューン・オーナー)も自分の意見を言ってくる。で、セールスの人も意見を言ってくる。そういうので、アルバムができて。例えば、こういうフィーチャリングのラッパーとかも、リリックは任せるんですよ。何言ってもいいから。まぁ、エディットするけど。で、そういうので生まれる化学反応をそのままパッケージしたりとか。

なるほどなるほど。面白いね、それは。

DJ KENTARO:で、「これを見てくれ、これがいまの世界だよ」っていうところも簡単にあるし。だから、今のアルバム、今しか出せないアルバム。自ずといましか出せない曲にもなるし......何て言ったらいいんすか、なんか、こう......

よりアクチュアルなというか。

DJ KENTARO:そうですね......これを日本の自主で出してたら、たぶんこんな音になってないし。〈ニンジャ・チューン〉から出して、マスタリングも〈ニンジャ・チューン〉お抱えでやって、とか。

うんうん。向こうのさ、そういうレーベルっていうのはさ、平気でダメ出しするじゃない。例えば、変な話、「いままでAっていうレーベルから出してたのに、何で今回はBから出したの?」ってアーティストに訊いたら、「Aから断られたから」とかね。

DJ KENTARO:はいはい。

そういう直球なダメ出しってアレだよね。日本ではなかなか無いっていうかさ。

DJ KENTARO:一応、これも3枚契約になってたんだっけな〈ニンジャ・チューン〉と。契約があるんですけど。何枚だったか......(笑)?

なるほど。まぁ〈ニンジャ・チューン〉にしてみたら、DJケンタロウは、かつて自分たちがいた場所みたいな存在じゃないですか。だってコールドカットなんていうのはさ、だって初期はまさにアレですよ、ターンテーブルによるサンプリングだけで音を作ってた人たちなわけだから。

DJ KENTARO:(万感込めて)そうっすねぇ。で、「忍者」が好きで〈ニンジャ・チューン〉って(レーベル名に)したわけだし。日本の文化も好きだったろうし。だから共感できる部分もあるんすけど。けど、やっぱりお互いの主張もあるし。

じゃあ、シンドかったりするわけだ。そういうやりとりが。

DJ KENTARO:まぁ、オレは楽しいですけどね。けど、やっぱりそういうのしっかり見据えて。(相手の意見に耳を傾けながら)「ウンウンウン」って考えますね。で、こう、フィーチャリング勢も色んな人がいるんで。例えば、イギリス人。メイトリックス・アンド・フューチャーバウンドもイギリス人で、例えば、フォーリン・ベガーズ[FOREIGN BEGGARS]も、イギリス人だけど、ひとりはドバイのヤツで、ひとりは黒人、で、バックDJは白人とか。

じゃぁ、そこはスゴくインターナショナルな感じなんだね。

DJ KENTARO:だから、黒人英語、白人英語、上流階級英語とか、イギリス訛りとか、英語圏の......小っちゃいコダワリっていうのもあるんすよ。だから、やっぱり黒人が言う英語を、白人の前で言うと「ハ?」ってなったり。オレもそこまでわかんないから。そういうのが知り合いにいて。黒人同士だったら「ヘイ」「ワッツアップ、ブロ」とか、上流階級同士の「ヘイ」とか、なんかあるんすよ、言い方が。オレもわかんないですけど、そういうニュアンスみたいなのが向こう行くと、日本以上にムチャクチャあって。だから、ロンドンって細分化しまくって、白人は白人で固まって、日本人は日本人、アジア人はアジア人って。

なるほどなるほど。イイ話だね。いま、ケンタロウ君が話してくれたような、猥雑な熱量みたいなものはスゴく出てるなと思いましたね。ダンス・ミュージックの良いところだね。

DJ KENTARO:だから、まぁ、何を作ってもいいんすよね。絶対、いまの音になるから。もうまかせていいっていうか。ラッパーにしても何にしても。ソイツが言いたいこと言えばいいっていうか。それをバーンってパッケージして、「ハイ、みんな、これがいまの地球だぜ」っていうところもあるし。

なるほど。

DJ KENTARO:そういう、狙い、じゃないけど。まぁ、そういうのも面白いかなとか。

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〈ニンジャ・チューン〉っていうのも、イギリス人のレーベルなんで。彼らもプライド持ってやってるし。彼らの考えもあるし。日本人とは違うバックボーンもあるし。だから、そういう意味でも、オレが〈ニンジャ・チューン〉から出すっていうことの意義は、良くも悪くも、しっかりあると思うんですよ。


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あの、変な話、じゃぁさ、具体的にいまの向こうのシーンって若いじゃない? ダブステップとかブローステップしても。

DJ KENTARO:ウンウンウン。たしかに。

ああいう若い連中、若いDJ、若いプロデューサーとかが出てくるなかで、DJケンタロウから見て「コイツはヤルな」って思ったヤツっている?

DJ KENTARO:若いのっすか? ジョーカーとか、あと、若くないけどサブ・フォーカス。オレと同年代、ちょっと上なんですけど。サブ・フォーカスとか、もうドラムンベースでは断トツ。群を抜いてますね、オレのなかで。

それはプロデューサーとして?

DJ KENTARO:そう。作る音楽が。サブ・フォーカスは断トツ1位ですね、オレのなかで。若いプロデューサーっていう意味では、それこそスクリレックスとか。ま、正直、オレちょっと飽きてるんですけど。まぁ、けど、いろいろ超盛り上げて。あんだけポップにしたって功績はスゴいし。ま、音楽的にはオレはちょっとよくわからないけど。ジョーカーとか、それこそジェームス・ブレイクとか、あと誰だろうな、若いの......若いの......あ、アメリカいっぱいいますね、若いのは。アメリカとUKだったらブリアル。ブリアルは、若くないのか。

まぁ、若くはないけどね。

DJ KENTARO:けど、ブリアルの音ってポップじゃないけど。オレけっこう好きで。なんか、あのチリチリした音で。空間っぽいテクノっぽい感じもあるし。

初期の、それこそ『STRICTLY TURNTABLIZED』とかの頃のクラッシュさんとも似た感性を思ってるよね。

DJ KENTARO:たしかにたしかに。リズム・パターンが2ステップとかUKガラージ、ブロークン・ビーツみたいな。ツン・ツン・タン・ツン・ツン・ツ・タンみたいな不規則な感じとか。暗ぁい、灰色な、ロンドンっぽい感じがブリアルがやっぱり......オレとやってることはぜんぜん違うけどスゴい好きなんですよね。

はぁ、なるほどねぇ。

DJ KENTARO:ブリアル、スゴい暗いけど(笑)、ムチャクチャクリエイティヴだと思います。

ちなみに、海外のそういう盛り上がりに対して、日本のシーンっていうのは当然気になるわけでしょう?

DJ KENTARO:ハイ。

DJケンタロウから見て、最近の日本のシーンって言うのはどういう風に見える?

DJ KENTARO:日本のシーン......けど、クラブ風営法とかっていう面ではいろいろ。例えば、オレも京都の〈WORLD〉で演ってるときに中止になったりとか。まぁ、ニューヨークで演ってるときもあったんですけど。

最近ね。ようやくそれがおおやけで文字になって、クラブ風営法に関する疑問っていうのは。

DJ KENTARO:法律っていうか。

『エレキング』のサイトにも載せたら、スゴく反響があって。あと、ちょっと前にね、朝日新聞の方にも載ったらしいね(朝日新聞2012年5月16日水曜日・朝刊・文化面|https://bit.ly/L4G2N2

DJ KENTARO:ほぇぇ。

何で日本では踊ると違法になるのか? っていう(苦笑)。

DJ KENTARO:これ面白いですね。「踊ると違法」っていう。バーだったらいい。バー営業だったらOK。

変な話、そもそも先進国で、ナイトクラビングがない国があるとしたら、おかしいでしょう? ファシズムかっていう。

DJ KENTARO:たしかにたしかに。ないですもんね、他には。そんな国。

現代の民主主義国家の都市として、ホントどっかに欠陥があるとしか思えないっていうね。オレ、昔、調べたことがあって、第2次大戦後のダンスホールが、売春斡旋を兼ねてたのね。

DJ KENTARO:あぁ。(現在の「クラブ」とはイントネーションの違う)「クラブ」みたいな。

それを取り締まるために「ダンスホール」という言葉が使われてるんで。それを、変な話......クラブを潰すために利用することもできる。あと、やっぱほら、クラブに対するすごくネガティヴなイメージがあるじゃない?

DJ KENTARO:「ドラッグやったり、ケンカして、なんか悪いことやって......」って。ウン。

だいたいクラブがなくてもドラッグの問題はあるからね。

DJ KENTARO:まぁ、夜の水商売ですから。結局クラブって。水商売、だけど、「やってることは音楽ですよ」っていうのは言いたいし。

ウン

DJ KENTARO:なにが原因なんですかね。ホント、オレ、よくわかんない。

ヒドい話ですよね。でも、さすがにこういう風に表立って議論されるようになった分だけ。

DJ KENTARO:マシっていうか。

イイかなと思って。少なくとも、クラブという場所自体は悪いことしてるわけじゃないから。文化を作ってるわけだから。

DJ KENTARO:うん。むしろ。

アートだからね(笑)!

DJ KENTARO:そうっすね。福岡の〈CLUB O/D〉もヤラれたらしくて。

そうそうそう。そういう意味では、いま、ダンス・ミュージックのアルバムを出すっていうのは、また別の、良い意味で前向きな意味もあって。

DJ KENTARO:そうですね。今回、そういう復興ソングみたいなものも、あえて入れなかったんですよ。世界から出すっていうのもあるし。全体的なメッセージを受け取って欲しいっていうのもあるし。そういう意味では、ダンス・アルバムとして、後はターンテーブリストとして、っていうか。オレもプロデューサーとDJ両方とも、二足の草鞋なんで。上手く落とし込みたいなっていう狙いは一応あって。

僕はもうここ数年、クラブにはあんま行ってないんだけど、たまに耳にするのは、人によっては、日本のクラブのエネルギーがね、海外に比べると下がってるんじゃないか? っていう。クラブ・カルチャー、下火なんじゃないかと。それはやっぱり感じますか?

DJ KENTARO:......どうなんすかね。オレ......例えば、ハウスってこと? テクノってことですか?

イヤ、全体的に。クラブ・ミュージックっていうことで。

DJ KENTARO:たしかに地方は、仙台の話すると、動員数は少なく。

まぁぁ、仙台は、さすがにしょうがないかなっていう気もするけどね。

DJ KENTARO:まぁ、そうっすね。けど、地方はどこもそういう感じがしますね。福岡とかもそうだし。京都とかでもクラナカさんとかも言うし。大阪はなおさらだし。東京もね。そんなにメチャクチャ入ってるってわけじゃないし。だから、まぁ、そういうのを深く考えると、こう、危機感を持たないとなって。そ東京のクラブ、それこそ〈HARLEM〉だ〈Asia〉だって、それも無くなりはじめたらとんでもない。そこまでいって動き出すっていうのはないけど。まぁ、そこまでなったら、さすがヤバいですね。〈Asia〉閉まって、〈ageHa〉閉まって、〈VISION〉(SOUND MUSEUM VISION)閉まってまでは......なんないですけど。もし、なったら。

DJブース越しのお客さんは、昔のほうがハジけてる感じがする? 

DJ KENTARO:あぁぁ......最近......こないだ岡山(岡山YEBISU YA PRO |2012年5月5日)でやったときはクソ盛り上がりました。アンコール3回ぐらい来て。

やっぱり場所によっては、ぜんぜんエネルギーがあるんだね。僕もたまに行くとそのクラブの熱さを感じて燃えることがあるよ(笑)。

DJ KENTARO:〈ageHa〉であった〈Sonar〉(SonarSound Tokyo|2012年4月21日、22日)とかどうだったんすかね。オレ行かなかったけど。

スゴい盛り上がっていたよ。3千人以上入ったっていうし。

DJ KENTARO:ね? 人もメチャクチャ入ったって。

そうなんだよね。クラブが元気ないっていう人もいるけど、ディミトリ・フロム・パリスとDJヘルで2千人近く入るとか、僕の時代では考えられない動員だから、そういう意味では盛り上がっているんだなーとは思う。〈Sonar〉なんか、アレだけ新しいメンツで盛り上がったんだから大したものじゃない? ラスティであんなに人が踊るとは思わなかったもん。

DJ KENTARO:あ、ホントすか。へぇぇ、ラスティ、ラスティ、ヤバいな。

音がちょっとね......DJはハドソン・モホークのほうが良かったですけどね。ああ、DJケンタロウの新作は、ラスティのアルバム(『Glass Swards』)とちょっと似てる感じもしましたね。

DJ KENTARO:あ、けど、それ、言われましたね。オレもラスティの音好きだし。彼と一緒にライヴも演ったし。ただ、彼、DJヘッタクソなんすよ。ライヴは上手いんだけど。

はははは(笑)。でもさ、ダブステップの人ってさ、DJ......オレもラマダンマンっているじゃないですか? ポスト・ダブステップのラマダンマンって知らない?

DJ KENTARO:いや、わかんないっす。

昨年末、日本に来たときに聴きに行ったんだけど、4つかけているんですよ。でもさ、ダブステップで4つ打ち掛けても、それって、テクノでやってるヤツらに敵わないから(笑)。ずーっとミニマルとか回してるヤツらに。だから、トラックは面白いんだけど、DJはまだまだかなとかって思ったりしたこともある。

DJ KENTARO:そうですね、たしかに。だってラスティとかもメチャクチャ若いですよね。まだ22~3歳でしょ、たぶん。

そうだねぇ。でも、あの情報量っていうかさ。1曲のなかにそれこそレイヴもあって、ダブステップもあって、グライムもあるような感じは、今回のDJ ケンタロウのアルバムと似てるというか。情報量の多さ、その圧縮した感じというか。

DJ KENTARO:ラスティ......マッドリブもそうだけど。マッドリブもDJ全然ダメで、昔、〈フジ・ロック〉で演ったときとか酷かったもん。自分で謝ってたもん。「ソーリー」って(笑)。

だったらイイじゃん(笑)

DJ KENTARO:そうそう(笑)。いや、でも、ピーナッツ・バターウルフに怒られてましたよ(笑)。「そんなこと言うな!」って。

ハハハハ! ケンタロウのアルバムは、カラーリングが絶対......いろんな色になりますよね。

DJ KENTARO:そうですね。けど、一応、「まとまりはついたかな」っていう気はしてます。前回と違って、マスタリング・エンジニアも今回超良くて。ケヴィンってヤツがイイ腕してて。

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オレはCDJ使わなかったけど、パソコンでセラートっていうのが生まれて。「自分の作った曲すぐ掛けれんじゃん」っていうので、オレも導入して。で、いつしか割合が、じょじょにデジタル増えて。


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さっき言ってた、自分の出発点というか、自分の出自であるコスリというかね、スクラッチを後半のクライマックスに持ってきてるわけだけど。DJ ケンタロウがどこらやって来たのかって言うと、いわゆる「DJバトル」って言われるシーンだから。

DJ KENTARO:そうですね、一般的に。

で、その「DJバトル」が日本でもすごく注目されて、みんなが夢中になったのって、1990年代末から2000年代頭......。

DJ KENTARO:そうですね。2003年、2004年ぐらいまでかなぁ。

......ぐらいまでで。そこからほんのわずか10年も経っていないにもかかわらず、エクイップメントであるとか、DJカルチャーを巡るツールが激変したでしょ。

DJ KENTARO:進化しまくってますね。

そのことに関してはどういう風に思いますか?

DJ KENTARO:まぁ、アナログ......をやって〈DMC〉とかも勝ったし。例えば、自分のオリジナル・ブレイクスも作って。っていう時点から、ちょっとずつ変わってきたっていうか。元々は売ってるランD.M.C.でも何でも、レコードに入ってる溝の範囲内でやってるからカッコイイって美学があったじゃないですか? そういうのでずっとDJバトルがあって。そのうちオリジナル・ブレイクスっていう概念が生まれて。自分でレコード・プレスする。その時点で、もうワックだなんだっていう話は出てきてたんですよ。「自分で逆算して作れちゃうじゃん」って。例えば、リズム・パターンも自分で決めて、作りたいルーティン、逆算してできちゃう、と。「そんなのワックだ」っていうのも初期からあったんすよ。だから、売り物のレコードだけでやんないと面白くないみたいな。
 だけど、だんだんそれ(オリジナル・ブレイクスありき)が主流に、主流まではいかないけど、オレも自分でオリジナル(・ブレイクス)出して優勝したし。それが過ぎて、今度はデジタル。オレはCDJ使わなかったけど、パソコンでセラート[Serato]っていうのが生まれて。「自分の作った曲すぐ掛けれんじゃん」っていうので、オレも導入して。で、いつしか割合が、じょじょにデジタル増えて、アナログがだんだん、3割、2割、とかなってきて。いまはもう数枚しか現場に持って行かない状況なんすよ。やっぱりオレも海外とか行くと、ロスト・バゲージとか細かい問題があったりして。レコード無くなるし。

重たいの運ぶから、最近は金取られるしね。

DJ KENTARO:金取られるし。10万とかかかる。「ギャラ全部なくなっちゃうよ」とか、いろいろ事情があるから。だから、海外はどうしてもセラートで。クラッシュさんもいまセラートで演ってるけど。ムロさん[DJ MURO]でさえ、海外は7インチ・セットでしか行かないと。やっぱりそれも......。

そこで7インチ・セットで行くところが、またイイね。

DJ KENTARO:カッコイイっすよね(笑)。だから、それをムロさんはアナログでしっかりやってる。あと、仙台のGAGLEのミツさん(DJ MITSU THE BEATS)も、ミウラさん[DJ Mu-R]もアナログで演ってたり。オレも少なからず、そこは感じてて。けど、オレはアナログ、いまでも家に。5000枚ぐらいあって。かなり売っちゃったんですけど、けど、それはもうプロモとか、ハッキリ言って要らないレコードで(苦笑)。オレの買ってきたレコードとかお気に入りは5000枚ぐらい家にあって。そういうアナログ・セットの、3時間、4時間っていうロングセットを、その棚ごと持って来て、今年どっかで演りたいなっていうのがあって。まぁ、漠然とですけど。そういうアナログ・セットをコンセプト的に演りたいなっていうのがあって。やっぱり、オレも、デジタルになると、もちろん便利だけど、溝飛ばすとか、もともと入ってる曲のアレとかっていうのが楽しかったのになぁ、とかって正直考えたりしてるし。

デリック・メイなんかは、もうDJと呼ばれている職業の......

DJ KENTARO:デリック・メイ。

そう、テクノの。彼がミックスCDを自分が出す理由は、そのDJという職業がもういなくなってしまうから、その記録として、オレは(ミックスCDを)出すって言っているんだけどさ。

DJ KENTARO:なるほどぉ。

DJケンタロウやクラッシュさんの時代だったら、すごく練習するわけじゃない。

DJ KENTARO:そうですね。ターンテーブリストたちとか、大会に出るDJとかは。

まずピッチを合わせる。「どうやったらピッチが合うんだ?」っていうところからはじまって。どうしたら上手く、カッコ良くミキシングができるのかとか。あと、バトル系なわけだからさ、当然、その速さであるとかね。リズム感であるとか。

DJ KENTARO:ジャグリングとか、そうですからね。

トレーニング、努力しなければできなかったことがさ、もう努力しなくてもできるようになっちゃったじゃない。

DJ KENTARO:スポーツ。〈DMC〉とか、スポーツとかって言われますからね。言われないですか? スポーツっぽいって。

スポーツ。アハハハ(笑)。スポーツっていうのはアートじゃないですか。

DJ KENTARO:まぁ、そうですよね。動き早いし、結構忙しいし。それがいまやボタンひとつだからね。

だから、なんかこう、思いがあるんじゃないですか? ターンテーブリストとして。いまのパソコンDJに対して。要はピッチはボタン、ポーンとかっていう新しく出てきた世代に。あまりにも便利になってしまって。

DJ KENTARO:そうですね......で、いまの若いコ、ターンテーブル、触ったこと無いっていうコ、いるんだなぁと思って(苦笑)。

けっこういる。

DJ KENTARO:けっこういるんですよね。「あ、いるんだ」って目の当たりにしたときに、「え、ピッチコントローラー、スゴォい」みたいな感じで(笑)。喜んでるコがいて。

一同:(笑)

DJ KENTARO:「そうなんだ!」って。

だって、DJ ケンタロウって、ハッキリ言って、まだ若いよね。

DJ KENTARO:30歳ですよ、一応。けど、まぁ......。

ぜんぜん若いよ! 

DJ KENTARO:ハハハハ。

時代の速度、速すぎない? 自分が歳を取っただけ?

DJ KENTARO:けど、正直オレもアナログからデジタルに移行してきたっていう流れもあって。セラートとトラクター(TRAKTOR)両方持ってるし。いまはセラート使ってやってて。オレもいま、デジタルの恩恵っていうのは受けてDJ演ってる。取り敢えず海外でツアーできて、自分の曲もすぐ掛けれて。例えば、「あ、今日はレゲエっぽいのいこう」、「今日はテクノ掛けてみよう」とかってパッとプレイリスト作ったり。ある意味、その場で〈ビートポート〉で買ったり。もうイヴェントの1時間前まで仕込めるわけですよ。だから、そういう便利さっていうのはあったけど。
 いままでは、持ってきたレコードのなかでどうにかストーリーを作るっていう制限があったから、逆に、オレっぽさが出ててたのかなぁっていうのも考えたんですよ。オレが買ってきたレコードしかないから、オレっぽさが出てた......とか、まぁ、だから、どっちがイイかわかんないっすけど。デジタルDJになってきてて、ピッチなんか合わせなくても、「ハイ、SYNCボタン。これだけ」みたいなっていうのは、そのうち、そこに人がいなくなるだろうな。それこそ遠隔操作でイイっていうか(苦笑)。ミックスCD掛けて終わりみたいな。そんなんなったらもうDJとかじゃないですけど。(改めて)たしかにそうっすわ......そう考えてみれば、DJって今後どうなっていくんだろう。あんま考えたたことねぇわ。

スタッフ:DJミキサー自体はもうWi-Fiの機能が積んであって。パソコン画面も付いて、要は、Wi-Fiでミキサー上からデータにアクセスにしにいくから、もうパソコンも要らなくなるように、いま......

DJ KENTARO:ミキサーだけってこと?

スタッフ:ミキサー内で全部完結できるようにしてるって言ってた。Wi-Fiを積んでデータにアクセスする。要は、手ぶらでクラブに行って、「あ、付いてる? じゃぁ......」って言って、ケンタロウの家のサーバにアクセスして、データから呼び出して。やっていくっていうところをいま(エンジニアは目指してる)。第2の......っていうか、この先はそこらしいですよ。

DJ KENTARO:だから〈ドロップボックス〉(Dropbox)にアクセスして。

スタッフ:そうそう。そういうこと。クラウド上にアクセスしにいくミキサー。もうパソコンだよね。

DJ KENTARO:やっべぇ......。

ケンタロウは、早熟だったから、デビューが若すぎたね。同世代のさ、友だちとかね。それこそアナログなんて、ほとんど聴いてないだろうし。

DJ KENTARO:アナログを? え? 同世代で? あ、DJ以外か。それはもう、そうですね。アナログっていうのはDJしか持ってないものだったんで。アナログ・フォーマットで音楽リスナーって、たぶんいないと思いますね。

いないよね。もうね。

DJ KENTARO:DJしか聴いてないと思います。

だからさ......ケンタロウがまだ30歳ってところが素晴らしいよね(笑)! 20歳で世界デビューですからね。

DJ KENTARO:そうっすかね。もう10年経った感じはあって。オレも世界チャンピオン(2002年・DMC世界チャンピオン)っていうのはイイけど、もうそろそろ10年経ったし、その肩書きをずっと引っ張る必要はないのかなって。

でも、やっぱり、正直言って、クラブ・カルチャーを知らないコたちは気の毒だなって思うこともあって。ロックしか知らないコたちってのはホント可哀想でさ。

DJ KENTARO:あぁ。

いちどクラブ文化を好きになった立場からすると、なんでそんなにスターを崇めながらって思ってしまうんだよね。クラブ・カルチャーっていうのはさ、自分たちが楽しむものじゃない。

DJ KENTARO:ホントっすね。主役はお客さんですからね。

欧米でクラブ・カルチャーが、新しい世代によってスゴく盛り返してきたでしょ。デジタル環境の普及、ソーシャル・ネットワークの普及と比例して、クラブが盛り上がっている。それってよくわかる話だよね。当たり前だけど、やっぱ身体性が欲しいんだよね。

DJ KENTARO:(満足できない)からライヴに来る。それはイイことっすよね。

スタッフ:僕、最近、SNSをピタっと止めたんですよ。そうしたら「アイツ生きてる?」ってウワサが(笑)。

まあ、たしかにSNSが果たしている役割は大きいけど、そこだけに依存しちゃうのは怖いね。

スタッフ:人とのコミュニケーションが、SNS基準になってて。

DJ KENTARO:でも、その感じ、オレにもわかる、わかるよ。オレもそうなる。そこだけになっちゃってて。とくに若い世代はそうですよ。20歳代はみんな(SNSが音信不通になったら)「え? 大丈夫??」みたいな。

そこで認識し合ってるんだね。

DJ KENTARO:ウチらの世代は、まだマシだよ。逆に言うと、どっかで誰かがFacebookにオレの写真を上げてくれてれば、「あー元気なんだな」ぐらいの。けど、20歳代、オレの妹とかの世代は、FacebookとかTwitterとかやってないと「大丈夫? 生きてる?」みたいな。

昔はね、それこそ、行きつけの飲み屋に顔出さないと「アイツ、生きてる?」みたいなね。電話に出ないとかね。

スタッフ:レコ屋で出会う人とかいましたからね。

そうそう。「アイツ、最近、レコード屋に来ないな」とかね。そういう意味では、クラブは音楽が好きな人にとって砦みたいなところがあるよね。ミレニアルズがクラブに走るのは、すごく理にかなっているよ。

DJ KENTARO:でも、そのいっぽうで......〈コーチェラ〉(Coachella Valley Music and Arts Annual Festival)で、2パックのホログラム、見ました? あれとかもね......コンセプトとかあったんだろうけど。2パック蘇らせて、横にスヌープ(・ドッグ)と(ドクター・)ドレーがいてみたいな。2パックがホログラムでライヴしたんですけど。「えぇぇ...」みたいな。

へー!

DJ KENTARO:だから、そのうちビギー(ノトーリアス・B.I.G.)とかもライヴやるんだろうなみたいな。

ハハハハ(笑)。死人だらけのフェスみたいな。

DJ KENTARO:ジミ・ヘンドリックスが出てきたり。ニルヴァーナのカート・コバーンが出てきたり。

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オレもいま、デジタルの恩恵っていうのは受けてDJ演ってる。取り敢えず海外でツアーできて、自分の曲もすぐ掛けれて。例えば、「あ、今日はレゲエっぽいのいこう」、「今日はテクノ掛けてみよう」とかってパッとプレイリスト作ったり。ある意味、その場で〈ビートポート〉で買ったり。もうイヴェントの1時間前まで仕込めるわけですよ。だから、そういう便利さっていうのはあったけど。


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はははは。ところでさ、DJ KENTAROみたいな人とかさ、クラッシュさんみたいな人、あるいはゴス・トラッドとかさ、日本人のDJっていうのは、海外と日本を往復しているわけだよね。その落差みたいなものをより......なかなか僕も最近海外に出る機会がなくなっちゃったんだけど。昔、1990年代は、そういう落差ってあんまり感じなかったんだけど。

DJ KENTARO:どういう落差ですか?

いや、もう文化的な。ユース・カルチャーのあり方の。欧米との格差みたいなもの。いまの日本のポップ音楽は90年代よりも内部に閉じている感じでしょう。内需も大切だけど、どんどん国際化していってる外国とは逆行しているというか。

DJ KENTARO:あぁ、ありますね。それに、やっぱり、クラブに関して言えば、向こうって、逆に、夜の選択肢が少ないっていうか。飲み屋とか無いし。クラブでしか酒飲めないから。みんな来るんですよ、クラブに。オヤジからオバちゃんから、若者はもちろん。
 何でかって言うと、酒飲みたいときに、バーが空いてるところもあるけど、バーは午前1時に閉まる。1時以降飲みたい時はクラブに行くしか無い。けど、日本って選択肢があって。飲み屋、カラオケ、ボーリング、クラブって。クラブなんて選択肢の1個に過ぎなくて。いくらでも酒飲んだり遊んだりできるから、けど、法律の関係もあって、向こうではクラブでしか酒が飲めないから。やっぱりいつでも来るんすよね。
 で、社交場にもなってて。みんなとくにその日のゲストに興味が無いから。取り敢えず飲んで。「あ、なんか演ってんな」、「お! いまの曲カッケェ」ぐらいで。けど、それで良いと思うんですよ、クラブって。で、(出演者側も)だんだん新しいファンをキャッチしたりとか。お客がいちばん楽しんでるっていう状況が目に見えるっていうか。オレの方、別に見てないヤツもいるし。フロアの真んなか見て踊ってる。それこそ自分が楽しんでる状況。日本はもう少し音楽的に真摯だから、やっぱりステージしっかり見て、ちゃんと聴いてる。それの良いところもあると思うんですけど。真摯過ぎて「ウァァァ」って感じにならない。

やっぱり、日本人ってコミュニケーション下手じゃない。外国の人に比べて圧倒的に。

DJ KENTARO:まぁ、英語を喋れないですからね。

コミュニケーション能力っていうかさ。苦手だし。だから、どっちかって言うと人と会うよりはさ。

DJ KENTARO:家でパソコンしてるほうが。

自分のベッドの上でパソコンしてるほうが楽だとは思うんだよ、たしかに(笑)。僕も若い頃は、電話出るのも抵抗あった人間だったから。でも、人間っていうのは、当然、ひとりでは生きていけないものであって。

DJ KENTARO:そういう集いの場みたいな。

そうそう。だからなおさら、クラブ・カルチャーに頑張ってもらいたいなっていう気がしてね。今回のアルバムっていうのは、日本がもしいま、欧米みたいにすっごくダンスが盛り上がってたら、違った内容になってたかもしれないよね。それはない?

DJ KENTARO:そう、ですね。けど、一応、このアルバムを〈ニンジャ・チューン〉、UKから出すっていうことは、やっぱり意識しました。日本語の曲も、ホントは「入れないでくれ」っていう風に言われて。

あぁ、そうなんだ。

DJ KENTARO:向こうも「日本語の曲出してもしょうがない。意味ないから」っていうのもあって。ファースト(『ENTER』)でもあったんですけど、今回も「1曲だけは入れさせてくれ」って言って。「わかった」って。だから、この曲("FIRE IS ON")っていうのは外人は皆飛ばすコーナーだ、と......ってぐらい言ってくるんですよ、やっぱり。

厳しいねぇ(笑)。

DJ KENTARO:「日本語の曲なんか入れるくらいなら、女ヴォーカル入れてよ」みたいな。「英語のヴォーカル入れようよ」みたいな。

けど、日本語の曲を入れたかったっていうのは、やっぱり日本人に聴いてもらいたかったっていうことだよね。

DJ KENTARO:そうですそうです、はい。だから、これ、日本先行で出てるのもあるんですけど、日本人の人もにも聴いて欲しいっていうのはデカいし。もちろん、これはイギリスでもアメリカでも流れるし。やっぱり、クラッシュさんの曲とかファイヤー・ボールの曲とか、日本の人に聞いて欲しいし。

ファイヤー・ボール。有名な横浜のダンスホール・クルーじゃないですか。

DJ KENTARO:そうっすね。

これは意外な感じがしたんだけど。

DJ KENTARO:あ、ホントですか。

いや、僕が単に勉強不足なのかもしれないけど。変な話、DJクラッシュとファイヤー・ボールが一緒に演るっていうことは、あんまり無いでしょう?

DJ KENTARO:たしかに。同じアルバムに、っていうのは。

それはどういう狙いがあったんですか?

DJ KENTARO:やっぱり〈レゲエ祭〉(横浜レゲエ祭)とかも出させてもらったり。ファイヤー・ボールのアルバムとか、DVD(『FB THE MUSIC VIDEO』)のDVJスクラッチ・リミックスみたいなのやったり。一応、仲良くさせてもらってて。

あぁ、そうなんだ。でも、前からレゲエとかもやってるもんね。

DJ KENTARO:で、マイティ・クラウンとかとも仲良くさせてもらってて。彼らの音楽も好きだし。オレ、メンバーのチョーゼン・リーさんのアレンジとかもやってて。その流れで「オレの曲にも参加してくださいよ」「あ、イイよイイよ」ってなって。で、今回アルバムのタイミングでやったんで。オレがやりたかったことがやっとできた。〈ニンジャ・チューン〉のアルバムに入れたっていうこともすごい意義深いし。日本語の曲なのに〈ニンジャ・チューン〉、UKから出して、欧米でも売られてっていうのもありますね。

シーンが細分化してるじゃない? そこをクロスオーヴァーさせたいっていう意図はあったの?

DJ KENTARO:ありましたね。来月演るイヴェント(BASSCAMP 2012| 2012年6月30日)もなんですけど、ベース・ミュージックがテーマなんですけど、ハウスのDJの女のコとか、ドラムンベースのアキさん、マコトさんみたいな第一線でやってる人、クラッシュさん、オレ、マイティ・クラウン、ファイヤー・ボールとか、みんな。ぜんぜん違うシーンの人たちが集まって。バトルっぽくもしたいんですけど、バトルっていうのもポジティヴな感じ。みんな刺激しあって、「すげぇカッコイイじゃないっすか」みたいなことが、お互い生まれて。いま、日本だけじゃなくて、世界中、スゴい細分化して戦いの場に立たされてるっていうか。どこもそうなんすけど、いろんなジャンル。イギリスとフランスの関係......わかんないけど、すっごいヒドいらしいし......。

ハハハ(笑)。でも、イギリスもさ、広い音楽業界っていうレヴェルで見ると、いまは細分化じゃなくて、むしろ混合っていうか、交じり合ってて。エラいなぁって思うのは、多少センスは悪かったかもしれないけど、レディオヘッドみたいな、ああいう大物、スタジアム・ロック・バンドが、あんなマイナーな人たちにリミックスさせたりとか。ビョークは、まぁ昔からやってるけど。

DJ KENTARO:ですよね。

J-POPの誰かがケンタロウやゴス・トラッドやオリーブ・オイルにリミックスを頼むなんてことはないわけでしょう。イギリスは、口悪いわりに、そこの所はしっかりしてる(笑)

DJ KENTARO:口は悪いっすよぉ......超上から目線(苦笑)。

上から目線(笑)! メチャクチャ上から目線だよね(笑)。でも、オレね、イギリス人で「スゲェなぁ」って思うところはね、自分たちの文化に誇りを持ってるでしょ。それはスゴいと思う。

DJ KENTARO:ビートルズって言われたらかなわないっすよ(笑)。

そうなんだよね。それはもう、ホントに悔しくてさ(笑)。

DJ KENTARO:だから、まぁ......しょうがない(笑)。

しょうがない(笑)。

DJ KENTARO:スイマセーンって感じで(笑)。

でも、ケンタロウとかさ、ゴス・トラッドもそうだし、最近はまた日本からも出てるじゃないですか、少ないとはいえ。インターナショナルな舞台へ。

DJ KENTARO:ま、一応、頑張ってはいる。でも、差別野郎はいますよ。それはいますよ、向こうにいっぱい。会った瞬間、「ジャップか」みたいな。税関でもそうだし、イミグレ(ーション)。で、Oビザ見せた途端に「お、人間国宝ぉ」とかって。コロッと態度変えるんですよ、ビザ見せた途端に。「なんだ、お前、そんな言葉知ってんの?」って。

なるほどね。わかりました。じゃぁ、そんな感じで。ありがとうございました。

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