Home > Reviews > Album Reviews > Raime- Quarter Turns Over A Living Line
そもそも自分とはまったく違う人間(生き物)が相手なのだから、それなりの奇跡と思いがなければ恋愛などは成立しない、と僕は宇宙論的に、いわばサン・ラー的に、いわば足穂的に、いわばセックス・ピストルズ的に考えているので、無闇に恋愛を繰り返す音楽や年中発情しているような音楽に、自分が発情期だったときでさえ積極的な共感はなかった。もちろんごくたまに例外的に好きなものもある、が、基本はその路線だ。初期のサム・クックが素晴らしいのは間違いない......けれど、自分はやっぱり彼のライヴ盤、さもなければラヴソングを歌わないPファンクのほうが好きなのだ。そう易々とロマンを歌われたら、それはロマンではなくなる。
快速東京に"ラヴソング"という曲がある。「テレビを付ければラヴソング」という言葉ではじまるその曲は、世のなかどうしてこんなにラヴソングに溢れているのか不思議でなんないぜーと毒づいている、というよりも素朴な疑問をぶつけているだけの曲である。僕は彼らとは25歳以上離れているけれど、その気持ちを共有できる。
ブリアルの"アーチェンジェル"、ジェームズ・ブレイクの"CMYK"、ともにR&Bをサンプリングしている。"アーチェンジェル"が使っているソースは、ばっかみたいに甘々なラヴソングR&Bだ。俗的というよりも商売っ気で作られたような曲である。周知のようにブリアルは、そうしたばっかみたいなラヴソングR&Bを幽霊のような声に変換するのが得意だ。ラヴソングとは、恋愛しなきゃいけないというオブセッションに駆られた都会の空虚さの象徴だと言わんばかりに。
ブリアルがロマンティックなように、レイムも救いようがないほどロマンティックだ。これはロンドンの、インダストリアル調のミニマル・ダブの最新版で、ベーシック・チャンネルがゴシックに変換されたような音響を展開している。シャックルトンのようなサイケデリックなトライバル・パーカッションとは別モノだ。アンディ・ストットと似ているが、彼よりもさらに地下室めいている。ここにきてダブは、蝋燭の灯りをたよりに階段をさらにもう一段下りた感じがするのだ。70年代の少女漫画の星が10個ぐらい輝いていた瞳も、いまはこのカビ臭い湿った残響とともにあるのかもしれない......(というのは、はんぶん冗談だが)。
しかしまあ、〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉はイメージ作りが巧妙で、この音楽が意味するところは、ダンス・ミュージックを無邪気に、大勢で楽しむという価値観ではなく、世間から白い目で見られている連中がこっそり集まって、夢想するということだ。どっちが良い悪いという話ではない。ただ、それがいま起きていることのひとつという話で、まさかミニマル・ダブが、シアター・オブ・ヘイトやヴァージン・プルーンズの方にハンドルを切るとは思ってもいなかったよ。なんて陰鬱な、と同時に、なんて夢見がちな音楽だろう。絶妙なエロティシズムを醸し出しているアートワークも素晴らしい。
野田 努