Home > Reviews > Album Reviews > Metronomy- Pip Paine (Pay The £5000 You Owe…
ジョセフ・マウントの作る音は耳を笑わせる。それも、思わず身体の力が抜けてしまうようなささやかさで、それを聞く人間の顔を綻ばせてしまう。このアルバムなら、手っ取り早く6曲目の"ピーターズ・パン"を聴いてみるといい。オモチャのフライパンをいい大人がポコポコ叩いてるような滑稽な音の反復が、しかし妙な真面目さも伴いながら繰り広げられるものだから、ふざけているのかもよくわからなくなってくる。僕はアキ・カウリスマキの映画の、無表情の登場人物たちが醸し出す人を食ったようなユーモアを思い出す。そして、ああこれは、ほんの少しだけ笑うことがどれだけ大切なことかよくわかっているひとが作っている音だなとしみじみする。
このアルバムは、メトロノミーがジョセフ・マウントのベッドルーム・プロジェクトだった時代の記録であり、一躍世にその名を知らしめた『ナイツ・アウト』の前史である。ゼロ年代がはじまる前後から、田舎町のいくつかのバンドでドラムを叩きながらコンピュータでひとりでヘンテコなエレクトロニック・ミュージックを作っていたマウントは、やがてそれこそが自分の音だと気づくことになるのだが......ここにはまだその確信はない。とりとめもないアイディアが散らばって、それぞれがまだ不安そうにこちらの様子を窺っている。その当時の音源を集めたデビュー作をこうして再発盤で聴いいていると、もうなんだか、愛おしく思えて仕方がない。
おそらく〈ワープ〉のクラシック・カタログに多大な影響を受けているだろうIDMと、ディーヴォの脱臼感(諧謔)と、初期のゲーム音楽のロウビットな音質とファニーさを混ぜ合わせたようなエレクトロニカのコレクション。現在に繋がる控えめな佇まいやアンニュイなムードは共通するものの、そのサウンドはバラバラだ。
まず特筆すべきは、音そのものの圧倒的な語彙の多さだろう。ひとつひとつのシンセ音に明確な個性を与えんとばかりに、ノイズを混ぜたり、倍音を含ませたり、あるいは潰したり歪ませたり濁らせたりしながら、徹底的にそれらをいじり倒している。メトロノミーと言えばプロダクションの斬新さが何よりの特長だというイメージがあるが、『ナイツ・アウト』のコンセプチュアルな作りや『ジ・イングリッシュ・リヴィエラ』の洗練に向けてむしろ音を絞っていったことがこのアルバムを聴けばわかる。"デンジャー・ソング"でプニプニしたグミのような感触の音を聞かせたかと思えば、"ブラック・アイ/バーント・サム"では管楽器を音を外して吹いているような不協和音に力なく歌わせ、"ザ・サード"ではひしゃげたヒューマン・ビートボックスを模してみせる。そしてそれらが、足元が覚束ないビートの上ですれ違い、あまりにもゆるいグルーヴを漂わせていく。チルアウトでもない、とにかく情けなくて頼りないダンス・ミュージック。機能的ではないかもしれないが、意識の内側にはじわじわと染みこんでくる。
トラックによって出来のバラつきはある。だが、"ブラック・アイ/バーント・サム"で普段大人しい奴がどうにかこうにか感情を吹き出したようなエモーショナルなメロディや、周波数が安定しないラジオから聞こえてくるようなディスコ"トリック・オア・トリーツ"辺りには、マウントのポップに対する感性がすでに存分に発揮されているし、ラストの"ニュー・トイ"ではどこか厳かな響きもあり、その引き出しの多さを見せつけている。とにかく、マウントはベッドルームでひとり、膨大な音と戯れ続けたのだ。
それにしても、こんな風にひっそりとサウンド遊びをしていたマウントは、いったい誰を笑わせようとしていたのだろう? ここで彼が面白おかしく表現しているものは、しかしよく聴けば、切なさ、物悲しさ、情けなさ、もどかしさ、あるいは期待外れ......というようなものに感じる。ありったけのウィットとペーソスでもって、自分のカッコ悪さを慈しむようでもある。本作において唯一のヴォーカル・トラック"トリック・オア・トリーツ"では、女の子の目線を借りて新たな恋への期待と不安を虚勢を張りつつ歌っている......自分のみっともなさをチャーミングなものに仕立てるかのように。ただ何となく続いていく日常の、取るに足らない自分の情けなさや些末な感情に音を与えていたジョセフ・マウントは、自分のカッコ悪さを笑ってやることで許していたのだろう。だから、その音は自分のか弱さを知っているリスナーに......ダンスフロアの隅っこで遠慮がちに踊っているような人間に支持されることになったのだ。いま、ヨーロッパでメトロノミーが大いに支持されているのは、この頃から手軽な高揚に甘えなかったマウントの思慮深さによるものである。
ちなみに、国内盤にはボーナス・トラックが4曲収められていて、とくに"アー・マムズ・メイト"の間抜けさ、"イン・ザ・D.O.D."の妙なファンキーさ、"ヒア・トゥ・ウェア"のチープな響きには思わず笑ってしまう。"アナザー・ミー・トゥ・マザー・ユー"の軽さもいい。このささやかな笑いは、明日も繰り返される日常に向かっていくために存在する。
木津 毅