Home > Reviews > Album Reviews > Keenan Meyer- The Alchemy Of Living
シャバカ&ジ・アンセスターズやタンディ・ントゥリ、マブタ、セバ・カープスタッドといったアーティストたちの活躍で、近年スポットが集まっている南アフリカ共和国のジャズやその周辺のシーン。今年2月にはジ・アンセスターズやタンディ・ントゥリも参加した『インダバ・イズ』というオムニバス・アルバムが〈ブラウンズウッド・レコーディングス〉からリリースされ、南アフリカのジャズの魅力がさらに拡散されている。『インダバ・イズ』には初めて欧米や日本などに紹介される南アフリカの若いミュージシャンたちの作品が収められていたのだが、ピアニストのキーナン・メイヤーも新しく登場した期待の星である。
現在25才という彼はヨハネスブルグ出身で、もともとクラシック・ピアノを学んできた。なかでもラヴェルやドビュッシー、ラフマニノフなどの影響を受け、彼らの作曲技法についても研究を重ねてきたという。ネルソン・マンデラとセシル・ローズを由来とするマンデラ・ローズ奨学金を得てプレトリア大学に進学したエリートで、2018年に音楽学士号を取得して卒業するが、音楽と共に南アフリカの歴史や西欧との関係、アパルトヘイトの変遷、「#FeesMustFall(フィーズマストフォール運動)」(2015年に南アフリカの大学生らが興した学費値上げに対する抗議活動で、低所得世帯出身の黒人学生たちが中心となっていた)などについても見識を広め、卒業論文は反アパルトヘイト運動やフィーズマストフォール運動と音楽の関連性についての考察だったそうだ。
こうして彼は人間の意識を活性化させる音楽の力についての理解を深めていくのだが、一方でクラシックの世界からジャズの世界へ歩みだす。故ヒュー・マセケラや、今年1月に亡くなったジョナス・グワングワなど南アフリカのジャズ界のレジェンドたちの音楽を学び、なかでも特にアブドゥーラ・イブラヒム(ダラー・ブランド)に深く影響を受け、その調性と精神性の繋がりに多大な感銘を受けた。また、ジ・アンセスターズのマンドラ・ムラゲニやセバ・カープスタッドのゾー・マディガなど同世代のミュージシャンたちとセッションに励み、レコード・デビューへ向けての準備を進めていった。
デビュー・アルバムとなる『ジ・アルケミー・オブ・リヴィング』は、こうしたキーナンの歩みや音楽と社会に対する研究と考察、経験がテーマとなっている。参加ミュージシャンはヴィウェ・ムキズワナ(ベース)、スフェレロ・マジブコ(ドラムス)、ステンビソ・ベング(ホーン)、セポ・ソテシ(サックス)で、ストリングス・アンサンブルも入るほか、ゾー・マディガ(ヴォーカル)とケオラペツェ・コルワネ(ヴォーカル)がゲスト参加している。スフェレロ・マジブコやスゼンビソ・ベングはタンディ・ントゥリのグループで演奏し、『インダバ・イズ』にも参加するミュージシャンだ。ゾー・マディガはセバ・ケープスタッドでの活動のほか、ニコラ・コンテの『レット・ユア・ライト・シャイン・オン』(2018年)にもジ・アンセスターズのメンバーたちと参加していた。
キーナンは世界のいろいろな国を旅しており、そうした旅からの着想も『ジ・アルケミー・オブ・リヴィング』に反映されている。“サンタ・テレサ” はブラジルを旅したときにリオデジャネイロでの印象がもととなっている。独特のリズムを生むスフェレロ・マジブコのドラムスや情感に満ちたホーン・アンサンブルも印象的だが、何と言ってもモーダルな美しいキーナンのピアノが素晴らしい。魂で奏でるようなそのピアノには、アブドゥーラ・イブラヒムの影響が見て取れる。
“ヒーリング” はヨーロッパを旅行したときにベートーヴェンの墓をみたことからインスパイアされた楽曲で、弦楽四重奏を交えた演奏となっている。芳醇なアフリカン・リズムを取り入れた楽曲で、中間でのストリングスとハンドクラップが交錯する瞬間はとても神々しい。アフリカ音楽と西洋音楽が調和した世界は、キーナンの音楽性と同時に南アフリカ共和国という国そのものも表わしている。“コマニ” はかつてクイーンズタウンと呼ばれた南アフリカの東ケープにある場所についての曲で、そこにはキーナンの母方の祖先であるレッドクリフ氏族が住んでいた。キーナンは幼い頃によくそこを旅行したそうで、自身を育んだルーツへの憧憬が込められたアフリカ民謡のような楽曲となっている。
“ムーンチャイルド” はケオラペツェ・コルワネの英語詩ヴォーカルをフィーチャーした美しいバラードで、楽曲自体も西欧のポピュラー音楽的な構造となっている。彼女は “ピース・オブ・マインド” でも英語で歌っており、こちらはソウルやR&B的なニュアンスを感じさせるダウンテンポ・ジャズとなっている。一方、“オザム” ではゾー・マディガが南アフリカの先住民族のズールー語で歌っており、アフリカ民謡を下敷きとした楽曲となっている。
このように『ジ・アルケミー・オブ・リヴィング』は西欧とアフリカが交わったアルバムであり、キーナンの音楽はアフリカ音楽や民謡から、西欧のジャズ、クラシック、ポピュラー音楽などが融合して作られていることがわかる。“Ikigai” という曲は日本語の「生きがい」を示していて、全体的に和や雅楽のモチーフに満ちている。ピアノの音色はどこか琴のようでもあり、フルートもどこか和楽器の横笛のようでもある。キーナンが敬愛するアブドゥーラ・イブラヒムは、京都の上賀茂神社でコンサートをおこなうなど日本の文化や精神を愛するピアニストでもある。彼が説く「生きがい」の哲学にインスパイアされ、そうした和のテイストや精神をも取り入れた楽曲となっている。アブドゥーラ・イブラヒムはゴスペルやクラシックをルーツに持つジャズ・ピアニストで、反アパルトヘイトを代表する偉大な音楽家でもあった。キーナン・メイヤーもタンディ・ントゥリもクラシック畑出身のジャズ・ピアニストだが、彼らはアブドゥーラ・イブラヒムの世界観を現在に受け継ぐ存在と言えるだろう。
小川充