Home > Reviews > Album Reviews > Various Artists- Indaba Is
「地球上でもっとも活きのいいジャズは、ケープタウンやヨハネスブルグそして国中から集まった南アフリカに拠点を置くプレーヤーたちが発している」──これは『Wire』誌のリード文だが、パクってしまおう。『Indaba Is』を聴いていると、悲壮感に満ちた北半球の音楽が嘘のように感じられてくる。いや、南半球とてもちろんCovidはまん延し、ロックダウンもしている。昨年末は感染力の強い変異種が確認されたばかりだ。しかし、『Indaba Is』は最終的には、“希望に満ちた喜びのジャズと即興の暴動”になっている。『We Out Here』に次ぐジャイルス・ピーターソンの〈Brownswood〉が手掛けた素晴らしいコンピレーション・アルバムだ。紹介しよう。
『Indaba Is』には南アフリカ産の現代ジャズが全8曲収録されているが、アルバムに参加したのは総勢52人。収録された8曲は、既発の曲ではない、すべてこのアルバムのために新録さている。ロックダウンの合間をぬって昨年6月の5日間で制作されたそうだ。南アフリカのジャズ・シーンで現在注目されているほとんどすべての若いプレーヤーは楽曲のいずれかでフィーチャーされている。
南アフリカにはジャズの歴史があるが、アパルトヘイト時代には多くのジャズ・ミュージシャンは国外に亡命した。1990年に釈放されたネルソン・マンデラが1994年に大統領に就任するとアパルトヘイトは廃止され、タウンシップ・ジャズ、クウェラ、クワイトといった彼の地の音楽が国際的にも知られるようになった。近年のゴムやアマピアノなどは欧米や日本の新しモノ好きたちのちょっとしたトレンドにさえなっている。しかし、『Indaba Is』はそうしたいま旬の最新情報集ではない。「(国外には)南アフリカにいまルネッサンスが起きていると考えている人が大勢いる。しかしそうではない。それは私にとって、起こり続けているものだ。継続されてきたもの。ずっと続いていて、その勢いがいますべてが起きているかのように見えているだけ」、本作にも参加しているピアニストでシンガーのタンディ・ントゥリ(Thandi Ntuli)は『Wire』誌の記事のなかでこう話している。
ヨハネスブルグのレーベル〈Afrosynth〉は昨年9月に地元のDJの選曲のもと、『New Horizons』と冠して『Indaba Is』とほぼ同様のコンセプトのコンピレーションを出している。だから『Indaba Is』だけが南アフリカの現代ジャズを伝えるものではない。ただ、本作はそのきっかけを作ったのがシャバカ&ジ・アンセスターズだったという点において必然の産物だった。ジ・アンセスターズがそもそも南アフリカのジャズ・ミュージシャンから成っているバンドだし、シャバカは以前から彼の地で演奏し、彼の地のジャズ・ミュージシャンたちと交流し、また彼らのほうでもUKで演奏する機会を得ていた。ジ・アンセスターズはもちろん本作に参加している。
ザ・ブラザー・ムーブス・オンなる集団のリーダー、シヤボンガ・ムセンブ(Siyabonga Mthembu)はタンディ・ントゥリと並んで本作のキューレター役を担っている。ザ・ブラザー・ムーブス・オンは、音楽のみならずDIYによる演劇やパフォーマンス・アートも展開し、しばし(本人たちの意志とは関係なく)サン・ラーのアーケストラと比較されがちだそうだ。ロゴの入った服は着ないと言い切るムセンブは、『Wire』誌が言うには、オーソドックスなジャズ物語とはほど遠く、大学でジャーナリズムや政治を専攻していたそうだが、このコミュニティには純然たる音楽家以外にも、ドラマーであり学者でもあるトゥミ・モゴロシ(ジ・アンセスターズ)のような人も混じっている。『Indaba Is』はたいした考えもなくショーケース的に曲が並べられた編集盤ではない、深い思考があったうえでの音楽が記録されている。
アルバムはボツワナ生まれのピアニスト、ボカニ・ダイアーによる意気揚々とした美しい曲、“Ke Nako”にはじまる。セツワナ語で「The Time Is Now」を意味するこの言葉は、反アパルトヘイト運動のスローガンだったというが、これが本作のオープナーを務める意味は大きい。なぜならひとつには、「ネオアパルトヘイト」と呼びうる情況がいまは存在するのだとタンディ・ントゥリは説明する。制度としてのアパルトヘイトはたしかに廃止された。しかし1994年に感じていた楽天主義は年を追うごとに衰退し、結局のところ国からのサーヴィスを受けられる白人居住区と非白人が暮らす貧困なエリアとの分断は依然としてあると。
そしてもうひとつ、ゆえに、本作が2020年6月に録音されたことの意味も大きい。5月25日米ミネアポリスでジョージ・フロイド暴行事件が起き、それが発火点となってブラック・ライヴズ・マターなる歴史的な蜂起が世界のいたる都市で起きたまさにその真っ直中だったからだ。
『We Out Here』において、反植民地主義の先駆的思想家フランツ・ファノンによる有名な著作『黒い皮膚・白い仮面』へのオマージュ──シャバカ・ハッチングスの“Black Skin, Black Masks”────がアルバムに確固たる意志を与えたように、『Indaba Is』にもファノンの影響下による1曲──ザ・レチッド(The Wretched)の“What is History”──がある。話は逸れるが、スラヴォイ・ジジェクが新刊『パンデミック2』のなかでBLMについてなかなか多くを言及しており、ファノンの話も出てくる。そこでジジェクは、(あれだけヨーロッパの植民地主義を糾弾した)ファノンが決して現代の白人社会に17世紀の奴隷商人の責任を要求したりはしなかったことに着目している。白人の心の内側に罪責感を植え付けることが彼の目的ではなかった。
良いエピソードがある。『Wire』誌によれば〈Brownswood〉は、このアルバムの制作中(つまりBLM熱の最高潮のとき)、(白人である)自分たちは植民した側の人間であり、今回のこのようなコンピレーションは搾取になるではないかと、一時はリリースすべきではないと考えたそうだ。ムセンブに電話で、これが搾取にならないためにはどうしたらいいのかを訊いたという。結果、レーベルと彼らとの関係性は強化されることになった。契約内容は思いやりのある内容に改訂されて、作品はこうして世に出たわけである。
『Indaba Is』には、南アフリカのジャズのハイブリッドな魅力が詰まっている。UKジャズにレゲエやソカが混じっているように、こちらには当地の多彩なリズムがあり、また、伝統的でスピリチュアルなハーモニー、南アフリカのメロディとモダンなソウルとの融合、インド音楽との対話まである。ぼくのお気に入りは先に挙げた“Ke Nako”、マーティン・ルーサー・キングの暗殺が語られる、まるでCANめいたファンクの“What is History”、牧歌的なアコースティック・ギターが美しいシブシル・ザバの“Umdali”、ジ・アンセスターズによるグルーヴィーなジャズの“Prelude to Writing Together”、タンディ・ントゥリによるネオ・ソウルめいたメロウな“Dikeledi”……ザ・ブラザー・ムーブス・オンによる瞑想的な“Umthandazo Wamagenge”もいいし、ま、どの曲もいいす。
南アフリカのジャズ・シーンはいま、まったく楽天的ではない。Covidの真っ直中であり、それ以前から文化的なインフラを持たない同国のミュージシャンはますます窮地に追い込まれている。そこで彼らは現在デジタル・アーカイヴとそのネットワークを構築中だという。だが、昨年の6月にアフリカ大陸の最南の国にいる彼らの団結によって録音されたこの音楽──頭と身体と心のこもったジャズの変種──はいまこうして日本で聴ける/CDやレコードを買うことができる。
野田努