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ザ・スクエア 思いやりの聖域

ザ・スクエア 思いやりの聖域

監督 / リューベン・オストルンド
出演 / クレス・バング、エリザベス・モス、ドミニク・ウェスト、テリー・ノタリー
配給 / トランスフォーマー
2017年 / スウェーデン、ドイツ、フランス、デンマーク合作 / 151分
© 2017 Plattform Produktion AB / Société Parisienne de Production / Essential Filmproduktion GmbH / Coproduction Office ApS
4月28日(土)より、 ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ他にて全国順次公開
http://www.transformer.co.jp/m/thesquare/

木津毅   Apr 27,2018 UP
E王

 格差に対する危機感はヨーロッパ映画に深く浸透し、そのことが更新を促している。昨年のカンヌ映画祭のパルムドールを受賞した本作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』が表象するのはまず、その最新の成果といったところだろう。監督のリューベン・オストルンドは1974年生まれだが、 ヨルゴス・ランティモス辺りとともに下手したらミヒャエル・ハネケを過去へと追いやりかねない存在である。ここでのポイントは、格差の問題を (ケン・ローチやアキ・カウリスマキのように) 移民や難民、貧しき者たちの立場に身を置いて誠実に描くということでなく、むしろ中産階級やブルジョワの側に入りこんで風刺するということにある。
 オストルンド監督の前作『フレンチアルプスで起きたこと』(14)では、スキーリゾートにやって来た比較的裕福なスウェーデン人一家の父親が雪崩事故をきっかけに妻や子どもからの信頼を失う様が描かれていたが、海難事故などの緊急事態では「おんな子どもが先」とならない現実を証明したレポートから着想を得たものだそうだ。つまり、沈みゆく船はヨーロッパであり、「おんな子ども」は貧民である。雪崩から逃げようとした父親に悪気があるわけではない。危機に直面し、本能的に生き延びようとしただけだ。が、道義的に「正しくない」とされ、そのことで責められ、また自分自身が苦しむこととなる。

 『ザ・スクエア』ではそうした主題をさらにコンセプチュアルに押し進めている。舞台となるのは現代アート界。スウェーデンの現代美術館のキュレーターであるクリスティアンは新しい展示である〈ザ・スクエア〉を準備している。それは地面に正方形を描いただけの作品で、このような説明が付け加えられたものである――「〈ザ・スクエア〉は“信頼と思いやりの聖域”です/この中では誰もが平等の権利と義務を持っています/この中にいる人が困っていたら それが誰であれ あなたはその人の手助けをしなくてはなりません」。要は、クリスティアンは一流のキュレーターとしてアートを通して現代における道義を世に問おうとしているのだ。そこまでを背景として、物語は彼が財布とスマートフォンを盗まれるところから動き始める。GPS機能を使って犯人の在りかを突き止めるが、そこはおもに低所得者が暮らす集合住宅だった。部下にそそのかされたこともあり、全戸に脅迫めいたビラを配って盗品を取り戻したクリスティアンだったが……というところから彼の立場は危ういものとなっていく。しかも〈ザ・スクエア〉のキャンペーンはネットで炎上。これは現代の「正しさ」が皮肉な結果を生むことの典型的な例だが(正義を訴えれば訴えるほど炎上商法に加担してしまう)、クリスティアンが自分のことでいっぱいいっぱいなせいで「道義」のことが目に入っていなかったときに起きてしまったことだ。
 たとえばアンドレイ・ズビャギンツェフの『ラブレス』(17)やミヒャエル・ハネケの『ハッピーエンド』(17)がそうだが、近年のヨーロッパ映画の一部の作品では経済的にある程度以上の水準を保つには他者の犠牲に無関心になるしかない、という側面が強調されている。だが『ザ・スクエア』のクリスティアンはべつに無関心、なわけではない。キュレーターという立場からできれば何か世に示したいとすら思っている。が、それは現実の世界では――〈ザ・スクエア〉の外では実現できないのである。そこでは自分の立場や財産を守ることが最優先されるからだ。

 そもそも〈ザ・スクエア〉はそもそもオストルンド監督が実際に携わったプロジェクトである。そして、それ自体がエリート主義めいた小賢しさを孕んだ試みであるとじゅうぶん自覚している。要は自己批判なのだ。その上で、現代アート界の欺瞞や追いつめられていくクリスティアンの姿をドライな演出で滑稽に映し出していく。そう、クリスティアンに悪気はない。盗まれた物を取り返そうとしただけ。だけど、そこから導かれる行為には「信頼と思いやり」も「平等の権利と義務」も「手助け」もない……。彼もまた、資本主義リアリズムに囚われて身動きが取れなくなっている。
 映画は当然クリスティアンを批判的に描いているのだが、しかしながら、ハネケがブルジョワを冷血の権化として登場されていることに対し、オストルンドはどうにか彼の人間味のようなものを浮かび上がらせようとする。彼は間違いを何度も犯しながら、それでも真に人道的であるということはどういうことなのかを辛うじて学んでいく……もったいぶったアートのなかでなく、現実のものとして。これはその不格好な過程を見守る映画なのだ。〈ザ・スクエア〉の外にこそある思いやりを、そして、わたしたち全員の課題として持ち帰らせようとする。ギリギリのところで相互扶助の可能性に懸けているように見えるのである……というのは、僕の願望が含まれているだろうか?

 ところで、〈ザ・スクエア〉の四角とは何のことなのだろう。たぶんにスマートフォンの画面ではないし、よもや国境で区分けされた国家のことでもない。それはきっと、映画のスクリーンのことである……と言ったらそれこそ願望が入っているだろうが、しかし、本作――それが、アート映画というエリートの嗜みだとしても――を通してオストルンドが格差社会においてそれでも追求すべき「信頼と思いやり」を真剣に考えたことは間違いない。

予告編

木津毅