ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. interview with Larry Heard 社会にはつねに問題がある、だから私は音楽に美を吹き込む | ラリー・ハード、来日直前インタヴュー
  2. The Jesus And Mary Chain - Glasgow Eyes | ジーザス・アンド・メリー・チェイン
  3. 橋元優歩
  4. Beyoncé - Cowboy Carter | ビヨンセ
  5. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第2回
  6. CAN ——お次はバンドの後期、1977年のライヴをパッケージ!
  7. interview with Martin Terefe (London Brew) 『ビッチェズ・ブリュー』50周年を祝福するセッション | シャバカ・ハッチングス、ヌバイア・ガルシアら12名による白熱の再解釈
  8. Free Soul ──コンピ・シリーズ30周年を記念し30種類のTシャツが発売
  9. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第1回  | 「エレクトリック・ピュアランドと水谷孝」そして「ダムハウス」について
  10. Columns ♯5:いまブルース・スプリングスティーンを聴く
  11. claire rousay ──近年のアンビエントにおける注目株のひとり、クレア・ラウジーの新作は〈スリル・ジョッキー〉から
  12. 壊れかけのテープレコーダーズ - 楽園から遠く離れて | HALF-BROKEN TAPERECORDS
  13. まだ名前のない、日本のポスト・クラウド・ラップの現在地 -
  14. Larry Heard ——シカゴ・ディープ・ハウスの伝説、ラリー・ハード13年ぶりに来日
  15. Jlin - Akoma | ジェイリン
  16. tofubeats ──ハウスに振り切ったEP「NOBODY」がリリース
  17. 『成功したオタク』 -
  18. interview with agraph その“グラフ”は、ミニマル・ミュージックをひらいていく  | アグラフ、牛尾憲輔、電気グルーヴ
  19. Bingo Fury - Bats Feet For A Widow | ビンゴ・フューリー
  20. ソルトバーン -

Home >  Reviews >  合評 > NORIKIYO- Hello Hello ~どうしたいの?~

合評

NORIKIYO- Hello Hello ~どうしたいの?~

Oct 01,2012 UP 二木 信、野田 努

文化的混交、音楽に国境はない 文:二木 信

 またもや中国や韓国との領土問題がマス・メディアを騒がせているようだが、いったいどこの誰が喧嘩の火種をばらまいて、争っているのだろうか。せめて、一部の好戦的な人たちの争いを一般化しないで欲しいものだ。
 神奈川・相模のヒップホップ・ポッセ、SD・ジャンクスタのラッパー、ノリキヨが先日YouTubeにアップした「Hello Hello ~どうしたいの?~」は、2010年末にハイイロ・デ・ロッシとタクマ・ザ・グレイトが発表した「WE'RE THE SAME ASIAN」と同じく、多文化主義と平和主義のコンセプトで、好戦的なレイシズムや偏狭なナショナリズムに揺さぶりをかけている。この曲がユニークなのは、ノリキヨがジャックしているのが、韓国の人気グループ、ビッグバンのリーダーらの別プロジェクトGD&TOPの「ポギガヨ (Knock Out)」のトラック(プロデュースはディプロ!)で、さらにこの手の政治的な楽曲にありがちな堅苦しさがないということだ。要はコミカルで、遊び心があって、ノリがいいのだ。彼が、デビュー・アルバム『EXIT』(07年)の"Do My Thing"で、「仲間は日本人/ラテンにコリアン」とラップしていたのを思い出す。「Hello Hello ~どうしたいの?~」でも、ノリキヨの、町のあんちゃん的な人懐っこいキャラクターがいい味を出している。
 私たちはいま、シミ・ラボのようなマルチ・エスニックなグループの登場を目の当たりにしているし、映画『サウダーヂ』に出演したブラジル人ラッパーがスティルイチミヤとの出会いから、ポルトガル語だけでなく、日本語のラップに挑戦しているという話も伝え聞く。「音楽に国境はない」という物言いは、ある意味では奇麗事だけれど、文化的混交という観点から言えば、たしかに音楽に国境はない。
 ともあれ、このタイミングで、このような曲を素早く発表したノリキヨにリスペクト!!!

文:二木 信


物騒な世界への異議申し立て 文:野田 努

 昔、石原慎太郎が「第三国人」という言葉を使ってマスコミで叩かれたものだが、歓楽街育ちの僕には、この呼称は、善し悪しはともかく、馴染みのある言葉だった。敗戦直後のGHQ占領下において、屈強な「第三国人」はある意味ルードでいられた時期がある。たとえば、食い逃げされても警察は助けてくれないから自分で追いかけるしかない。そんな風な、言うなればラフな多文化的な状況にあったと年配の人たちから聞いている。
 戦前生まれの人間は、それまでの日韓の歴史を日常的な感覚レヴェルで知っているもので、古くは豊臣秀吉の朝鮮征伐、虎退治で知られる加藤清正、明治における西郷隆盛らの征韓論などなど、日本が朝鮮にちょっかいを出してきた歴史を、そして、労働力として彼らが日本に大挙してやって来たことも記憶している。敗戦直後の彼らのルードさも、いままでさんざんな目に遭ってきた歴史から来ていることを知っているので、まあしゃあないかと思えるし、韓国にとって領土問題がたんなる領土(漁業)以上の意味を持ってしまうことも感覚的にわかっている。そう考えると、ノリキヨがこの曲で使っている「ひとつの島」という言葉も微妙と言えば微妙だが、彼が切実に訴えたいことが平和であることは伝わってくる。彼はただ真っ当なことを言っているだけなのだ。

 曲のトラックでは、いまではすっかり国際的な音楽シーンで名が通っているK-POPからサンプリング・ソースを持ってきている。ノリキヨのこのアイデアは、音楽的な軽快さをもって、彼の理想主義的なヴィジョン(音楽によって人種や歴史的しがらみを超える)における友愛さを際立たせている。曲の主題自体はリスキーだし、カットアップされる映像もきわどいと言えばきわどいが、最終的にこの勇敢なラッパーは、物騒な国家主義に異議申し立てをしながら友好を呼びかけている。
 人種差別や国家主義の問題に関して欧米の音楽文化は、臭いものに蓋をするのではなく、ひとつには、激しく罵り合うことをむしろ笑いのレヴェルにまで持ち上げることで超越しているが(あるいは『NME』がダフト・パンクを表紙にするときにフランス人の蔑称であるカエルの格好をさせるとか、ドイツ人の蔑称であるクラウトを褒め言葉へと反転させるとか)、冗談が通じない日本でそういう国家主義をネタにした洒落が通じるかどうか......。ノリキヨが望む社会が来るのにはまだまだ時間がかかるかもしれないけれど、この曲を聴いて、歴史を紐解くのも無駄ではないでしょう。尖閣諸島はまた別の文脈で面倒くさそうだし。

文:野田 努