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HOPEFUL MUSIC

―ひとりの音楽ファンが経験した東北関東大震災―

桂川洋平 Apr 12,2011 UP

 2011年3月11日、東北関東大震災によって僕たちを取り巻く状況は一変した。多くの人命が失われたのはもちろん、生き残った人たちにも、以前の生活を取り戻すこと、物資や燃料の確保、家族の捜索、放射能との不本意な共存...、あるいは、的確な情報を選びとることも大事だし、生き延びた後ろめたさや、何かしたいが何もできない自分にいかに折り合いをつけるか......といった課題が残されている。
 僕の住む街は岩手県の沿岸に位置しているのだが、線路や家屋や船舶は津波によって破壊されたものの、人的被害はゼロだったことは奇跡と言っていいだろう。月並みだが生きていることに感謝したし、相撲の八百長やカンニングで騒いでいた頃がいかに平和だったか思い知った。被災した人たちには本当にかける言葉がない。ただ、無事と健康を祈らせていただくばかりである。戦後最悪の災害となったわけだが、ここで得られた経験は永遠に重宝されていくだろう。そうでなければ死んだ人たちが浮かばれない。

 地震の日の朝、僕はドアーズの『ストレンジ・デイズ』を聴きながら仕事に行った。14時46分、地震と同時に職場の電気は止まり、自家発電に切り替わった。「漁港が浸水した」などといった情報が飛び交い、あたりは混乱した。僕は恐怖したというよりも、あまりの事態の性急さに呆然としてしまった。災害用の毛布の運び出しを手伝っているときも、心ここにあらずといった感覚だった。2001年の9.11のときのような、一瞬で海の向こうのすさまじい情報量を受け取ったスピード感はそこにはなかった。地震直後は、何もかもが遮断されてしまったからだ。
 帰り道、僕の住む町は不気味に様相を変えていた。すべての家からは灯りが消え、普段使っている道路は津波を警戒して封鎖されていた。活動的な雰囲気が消え失せ、僕の見た世界は静まり返って淡々としていた。カーステレオから流れるジム・モリソンの歌が妙に暗示的だった。

不思議な日々が俺たちを捕らえた
不思議な日々が俺たちを追い詰めた
俺たちのちょっとした歓びを壊そうとしている"ストレンジ・デイズ"

 他者、あるいは人間という存在に言及した歌詞だが、そのときの僕にはなんだか預言めいた響きに感じられた。作り話ではない。実話である。
 僕の主な被災体験は、停電生活である。震災当日の夜から、発電機や薪ストーブ、同じく薪で沸かす風呂といった設備が使える祖父の家に身を寄せた。海岸付近に住む人びとは家を津波で破壊され避難生活を強いられたが、それを考えるとこのような恵まれた環境に自分がいたことをまずは感謝せねばなるまい。食べ物もあった。しかし発電機に使う軽油は限られていたし、毎晩余震に起こされ、錯綜する情報を一方的につきつけられるのは、(僕の住む地域は電気の復旧がかなり遅れたこともあって)なかなか堪えた。だが家族といる時間が増えたし、祖父母や叔父と普段はしないような話をした。そのことが単純に良かったとは言わないが、久しぶりに人の営みというものを感じた気がした。
 音楽を聴けるのも通勤の車内だけになってしまった(ちなみに祖父の家と僕の家はかなり近く、CDだけ取りに行くという芸当ができた......なんたる幸運)。そのあたりに僕が聴いていたのは意外にもビギーだった。『ライフ・アフター・デス』。知っての通り、本作のリリースを目前に控えた1997年3月、ビギーは凶弾に倒れてしまう。彼は死をテーマにした曲が多いことで有名だが、ここでは「死後の人生」というよりも「いちど死んで生まれ変わった」と解釈したい。震災で生き残った僕たちも、ある意味ではいちど死んで、またもらった命だろう。感謝し、そしてこれから自分が出来ることを考えなければならない。
 震災後のこの国を包んだ沈痛な自粛ムード。政府や電力会社の事後の対応の不手際、あるいは物資の買い占めに走る人たちへの、ネット掲示板での正義感なのか憂さ晴らしなのか計りかねる苛立ちに満ちた非難。そんな鬱屈とした空気のなか、欲望をむき出しにしたビギーのラップは勇ましく、力強く響いた。僕はビギーに鼓舞されたし確実に元気をもらったといえる。

 電気が復旧し、自宅に戻った。灯りを点け、PCを起動させながら思った。今回の原発の事故に関しては、僕たちが普段利便性だけを享受し、見て見ぬふりをしてきた部分がいっきに噴出したということだろう。原発周辺の住民は住む場所を追われ、野菜や魚の汚染によって多くの一次産業に従事する人びとが職を失った。このことを何らかの契機にしなければならない。やはり自販機の削減や営業・勤務時間の短縮といった節電方面の方策がとられていくのだろうが......。
 僕個人の原発に関する意見はというと、即時全廃は不可能にしても、じょじょに他のエネルギーに切り替え、順次廃棄していくべきだと思う。比較的近くに女川原発や六ヶ所村の再処理施設があるだけに他人事とは思えない。まったくの門外漢なのだが、割と大きな余震がこれだけ頻発するのは、太平洋プレートと北米プレートのズレがいまも進行しているということだろうから、文字通り地に足の付いていない環境で、これからも原発に頼るのはあまりに危険だし、福島原発の事故を教訓にしなければならない。原発による豊富な電力という恩恵。一度知った便利さを手放すのは難しいが、「Aを優先させればBが犠牲になる」という摂理からは生きている限り逃れられない。
 同時に考えなければならないのは、原発や再処理施設で働く人たちのことである。昨年10月のたばこの値上げの報道の時も思ったのだが、弊害ばかりが取りざたされて、その産業に従事する人びとにはまったくスポットが当たらないのである。原子力関連施設従事者の一般企業等へ優先的な斡旋。被曝とはどういうものかの詳細な説明。そうした透明性の上での新たなエネルギーの模索。遺物の撤去、新たなインフラの整備により雇用も創出できるかもしれない。困難を極めるだろうが、その過程での節電や省エネなら僕は喜んで協力するだろう。やはり太陽光発電の研究・開発にそれなりの予算を割くのが現実的な気がするのだが...。
 と、こんなことを考える余裕があるほど、現在では僕は普段の生活を取り戻している。岩手の沿岸部に住んでいながら、である。そして、そのことに負い目を感じるのである。津波で破壊された家屋の撤去作業を手伝ったり、被災地に物資を送ったりすることを(もちろん何か役に立ちたくてしたことだが)心のなかで免罪符にしていた自分が情けない。本当に無力感しかない。そのくせ僕はここ数日でレコードやCDを買ったし、映画も見たし本も読んだ。そんな人間だ。醜悪なことを書いている自覚はあるが、これはこれでリアルなのだとご理解いただきたい。この原稿も、自分の気持ちの整理のために書いているという理由も何%かはあるかもしれない。

 気を取り直して、僕の好きな曲で、こんな時にぴったりな曲がある。アルバート・アイラーの"ミュージック・イズ・ヒーリング・フォース・オブ・ユニヴァース"だ。そのままずばり、「音楽は世界を癒す力」である。タイトルのわりに、人を奮起させるような曲調だ。ジャズをはじめとする黒人音楽は、ルーツであるアフリカへの回帰が底の部分のテーマとしてある。安直かもしれないが、僕には震災で故郷を失った人びとと重ねあわせることができる。西欧列強に植民地化された故郷への帰還、ひいては母体回帰を目指す音楽と、震災とその二次災害により住む場所を追われた人びとがいつか元いた場所に帰りたいという願望とを。津波や放射能で居場所を失った人びと。報道を見ると、「それでもこの場所で頑張る」と話している人が結構多いことに気づく。こういう言い方が許されるのであれば、その姿は美しい。
 そんなわけで、音楽は無力だとはよく言われるが、落ち込んだ気分が音楽でパッと晴れるのはよくあることで、前述のような比較を持ち出すまでもなくアイラーのこの曲には普遍性が宿っている。これも希望を感じた1曲だ。

 さて、1日も早い復興のために(この文句を何度聞いたかな)、僕たちには何ができるだろうか。いろいろ考えたのだが、比較的余裕をもって暮らしている僕らがすべきことは、「なるべく震災前のように普段どおりに振舞う」ことだろう。節電・節約は大切かもしれないが、我々が冷静に行動することで、被災地に届く情報も整理され、物資も本当に必要とせれているものが選別されることだろう。経済の循環によって、抑圧された感情や自粛ムードもじょじょに解きほぐされていくと信じたい。
 いまだに多くの企業がコマーシャルを自粛し、TVからは妙に厳かな雰囲気で被災地にエールが贈られている。それ自体は善意によってなされているのだろうが、被災者にとって有益かどうかは正直首を傾げるところである。応援するにしてももっと具体的な、例えば「住む場所を失った人はうちの会社・施設に来て下さい! 衣食住を用意して待ってます!」というような呼びかけがあってもよさそうなものだが。ともあれ、何もできない自分を責めるのはそろそろ終りにしてもいいはずである。
 最後に、ドアーズの同じく『ストレンジ・デイズ』のアルバムに収録されている曲のこんな歌詞を引用して筆を置こうと思う。音楽が、僅かながらでも失われたものを取り戻す手立てにならんことを......。

とても優しい音が聞こえてくる
地面に耳を傾けると
僕たちは世界の再生を願っている、願っている、いま
いまだって? そういまだ "音楽が終わったら"

桂川洋平桂川洋平/Yohei Katsuragawa
1985年、岩手県生まれ。大学時代を仙台で過ごし、卒業後は地元で働きながら好きな音楽や小説を探求している。

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掛川洋平掛川洋平/Yohei Katsuragawa
1985年、岩手県生まれ。大学時代を仙台で過ごし、卒業後は地元で働きながら好きな音楽や小説を探求している。

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