Home > Columns > Detroit Report- pt.3:interview with Jon Dixon
UR/タイムラインのメンバー、ジョン・ディクソンのインタヴューはサブマージでおこなわれた。ソファーに座り、出されたコーヒーを飲みながら展示物の書籍や機材を眺めていると、エントランスの扉が閉開する音が幾度となく聞こえてくる。アーティストやその家族などさまざまな人が出入りしている。この日も上映されていた"Protecting My Hiv"のPVに混じって、子供のはしゃぐ声が聞こえてきた。
サブマージの内部は小さな博物館のようになっている。そこにはデトロイト・テクノの歴史が展示されている(そのなかには、『ele-king』と『ブラック・マシン・ミュージック』も!)。マイク・バンクスは日本から来た私に片っ端から話してくれた。エレクトリック・ファイン・モジョにはじまり、ケン・コリアーのDJがデラーノ・スミス、ジェフ・ミルズやデリック・メイに与えた影響がどれほどのものだったのか。建物のなかには、URが深い影響を与えたインディアンのジェロニモやとブルー・スリーの写真もある。マイク・バンクスが資金集めのためやっていた路上カーレースの写真、TR-808、TR-909などの機材なども飾られている。
マイク・バンクスはガラスの向こうにある、レコードのカッティング・マシンの前で立ち止まり、故「ロン・マーフィー」について説明する。周知のように、デトロイト・テクノにおけるカッティング技師だ。マーフィーは、2001年の『デトロイト・メトロ・タイムズ』で、「カッティングっていうのは音楽というよりも、レコードへの愛だよ」とその想いを語っている。マーフィーが自身で改造を繰り返し使用していたこのマシンは、彼以外誰も扱うことができない。主人を亡くした寂しげなグルーヴ・マシンはまた溝を刻める日を待ちわびているようだった。
タイムラインは7年前にリリースした「Return of the Dragons」を最後に、当時のライムライトを残しつつ息を潜めていた。しかし、2011年にメンバーも入れ変わり、新生タイムラインとして「The Greystone Ballroom」をリリース。4曲収録されたそのEPではジャズやフュージョン、エレクトロなどの要素が交ざり合い、次のステージのはじまりを予感させてくれる。それから約2年の時を経て、この秋に新しいEPがリリースされる。
わたしが知る限り、デトロイトのアーティストは「怒って」いた。世の中にだったり、音楽業界にだったり、理由はそれぞれだが、感情が剥き出しの自身と合わせ鏡のようなそのサウンドは、言葉よりも強烈に問いかけてきた。そんななかでジョン・ディクソンは、まるで清流のようだった。ただただ音楽を楽しんでいる。前作ではタイムラインfeat.ジョン・ディクソン&デシャーン・ジョーンズとなっていたが、今作はそんな若手ふたりが中心メンバーとなっている。新しい世代の彼らは、これからどんな時間の軸を紡いでいくのだろうか。
今回「デトロイト・レポート」として、ジェイ・ダニエル、バックパック・ミュージック・フェスティヴァルのオーガナイザー、ジョン・ディクソンへのインタヴューをおこなったが、共通して言えこと事は、彼らが意識的に次の世代への繋がりをつくっているということだ。この業界の年齢層が全体的に上がってきているいま、この先も音楽を楽しみたいなら、こうした行動を「意識的」にやることは、無意識に自分を助けることになるのかもしれない。
この日、ジョン・ディクソンとデシャーン・ジョーンズは、平日のランチタイムに音楽を聞こうというコンセプトの元、Campus Martius Parkで開かれたライヴに出演して、サブマージに戻ってきたところだった。
マイク・バンクスから電話がきて、「世界中を廻って音楽をしたいなら、月曜の16時に来い。もしその気がないなら他をあたるけど、どうする?」って言われたんだ。「月曜16時に訪ねるよ」って答えたんだ。約束の日にマイク・バンクスを訪ねていくと、キーボードの前に座らせられて「なんか弾いてみろ」って言われてキーボードを弾いた。
■生まれはデトロイトですか?
ジョン・ディクソン(JD):生まれも育ちもデトロイトだよ。デトロイト西部、シティ空港の近くで育ったんだ。現在はプライヴェート機用の空港になっているところだね。学校もデトロイトだったよ。
■あなたの音楽のルーツは何ですか?
JD:音楽の影響というのが、どれほど凄いものか多くの人が理解しきれていないと思うほど、僕のルーツにとって、いままで体験してきた音楽の影響が重要なものだと考えてるんだ。僕の両親はどちらも楽器を演奏しているし、彼らの膨大なレコードのコレクションは最高なんだ。いろんな音楽が詰まっていて、ジャズ、ハービー・ハンコックからマーヴィン・ゲイら多くのヴォーカリスト、モータウンなどを持ってた。僕が生まれる前からすでに音楽の影響を受けてたんだと思う。他にもいろんなジャンルを聴いて、自分が音楽をはじめるずっと前から、いつも周りに音楽が溢れている環境で育った。すべてがいまの僕の音楽の土台になってると思う。
■昔からテクノは好きでしたか?
JD:昔はあまりテクノのことは知らなかったんだ。テクノと出会ったのは1996~1997年の中学校の時代だね。毎週金曜にラジオでよくデトロイト・テクノが流れてて、その頃自分の持ってた小さなラジオとテープレコーダーでラジオを録音しては自分のミックステープを作ってたりしたんだ。他には、「Detroit Jit」って番組があって、それを録音しては翌日友だちとお互いのミックステープを聴かせ合ったりしてたよ。テクノに出会ったのはその時期だね。当時はよくローラースケートもしてたね。ホアン・アトキンスやサイボトロンを聴いて、その流れを感じながらローラースケートしてたんだ。自分にとってのテクノ・ミュージックとの出会いのなかでも大きな存在だった。
■ 初めてテクノを聴いたときの印象はどうでしたか?
JD:とっても気分がよかったんだ。サウンドはさらに良かった。心地が良くて、いいサウンドのパーフェクトなコンビネーションで、最高の気分でローラースケートをしてたのを覚えてるよ。デトロイト出身のミュージシャンはたくさんいるんだけど、彼らの音楽のサウンドの良さと、彼らがサウンドに込めるエモーションで、聴いている僕らの気分も最高にしてくれる。
■あなたは子供の頃から楽器を弾いていたのでしょうか?
JD:4歳から弾いてたよ。初めてのキーボードを持ったのが4歳のとき。父親は仕事に出ていて、家では母親が洗濯、家事をしているときにレコードをかけてたんだ。キーボードをレコードの側でよく弾いてたよ。レコードにあわせて弾こうとしたりね。それを見ていた父親がヤマハのキーボードを買ってくれたんだ。それからはドラム、トランペットも弾いてたころもあるよ。いろんな楽器を弾いてたね。
■どうやってURに出会ったのでしょうか?
JD:サックスのデシャーン・ジョーンズとは兄弟みないた仲なんだ。彼がある日ダウンタウンのジャズ・クラブでサックスを演奏するのを観に行ったことがあった。その日、URのコーネリアス・ハリスがデシャーン・ジョーンズに、あるバンドで演奏しないかってアプローチしてきて。そのときはそのバンドの詳細はあまり聞かなかったらしくて、デシャーン・ジョーンズが僕に「おまえ、アンダーグラウンド・レジスタンスって知ってるか? ギャラクシー2ギャラクシーって知ってるか?」って尋ねてきたんだ。僕もそのときはバンドのことを知らなくて。デシャーン・ジョーンズが言うには、そのバンドが公演を前にキーボード奏者も探していると。それで、じゃあ僕に連絡をとるように彼に話したんだ。
そうしたら翌日マイク・バンクスから電話がきて、「世界中を廻って音楽をしたいなら、月曜の16時に来い。もしその気がないなら他をあたるけど、どうする?」って言われたんだ。「月曜16時に訪ねるよ」って答えたんだ。約束の日にマイク・バンクスを訪ねていくと、キーボードの前に座らせられて「なんか弾いてみろ」って言われてキーボードを弾いた。それでマイクが「マネジャーに、おまえのパスポート申請するように言っといた」って返事をもらって。2週間後にはスイスのモントルーにバンドと一緒にいたね。人生が変わった瞬間だったよ 2007年のことだったね。
■サックスのデシャーン・ジョーンズとは同世代?
JD:デシャーン・ジョーンズは僕より4歳年下なんだ。僕はいま29歳、彼は25歳だね。とても気が合うんだ。彼との出会いは2003年。僕の友人が「ラスベガスから新しい子が街に来たらしいんだけど、高校生でサックス吹いてて、すごい上手いんだよ。絶対彼のサックスを聴きにいかなきゃ!」って話してたんだ。「高校生のサックスを聴きにいくのか?」って最初思ってたんだけど、彼の演奏をきいて、すぐに彼の才能を感じとったよ。彼のポテンシャルはとても大きいものだったけど、彼には彼の先生となる存在がいなかった。才能を開花させ、導びいてくれる人がいなかったんだ。だからその後僕らは──彼が高校、僕が大学だったんだけど、学校が終わったら、僕の家で何時間も演奏した。音楽のアイディアを交換し合ったり、音楽へのアプローチ、とにかくいろいろ語りあったんだ。こうしてお互い築いた関係から、一緒に演奏するときは彼が演奏をはじめれば、彼が何をしようとしてるのか、求めてるのか、言われなくても想像がつくようになった。僕らの相性、言葉を交わさなくてもお互いのことが感じ取れる仲になった。ライヴ中も言葉を交わさずにお互いの音が引き合ってひとつのものになってくのをオーディエンスは感じ取れると思うよ。僕にとっては弟みたいな存在なんだ。