Home > Columns > ルビー・ローズ、ガリポリ、安保法案
またしてもネットフリックスが当てた海外ドラマ『OITNB(オレンジ・イズ・ザ・ニュー・ブラック)』(囚人服のこと)の「シーズン3」で一般的にも完全にブレイクを果たしたルビー・ローズは、日本で人気のミランダ・カーと同じくオーストラリア出身のファッション・モデル。ローズの全身にはタトゥーが入っていて、ハイエイタス・カイヨーテのナイ・パームといい、さすがオーストラリア、『マッド・マックス』みたいなキャラが次から次へと出てくるなーと思っていたら、なんと、彼女はガリポリの戦いで生き残ったオーストラリア兵の子孫だという。オーストラリア軍は全滅したと思っていたので、生存者がいたことにも驚き、その子孫が「髪を切ったらジャスティン・ビーバー」などと言われて、いまやレズビアンのアイコン的存在になっているとはなかなか言葉もない。
100年前、イギリス軍がトルコに上陸するためにオーストラリア兵を人間の楯として使ったのが、いわゆる「ガリポリ」で、ハリウッド進出前にピーター・ウイアーが『MASH』や『キャッチ22』と同じ手法で映画化している。要するに前半は兵士たちがふざけているだけ(邦題はなぜか『誓い』)。『マッド・マックス』と同じ主演のメル・ギブスンは、最初は戦争に行くことを拒否している。「パッとしないから」という理由で志願する友人たちに非国民とそしられても彼は「僕たちの戦争じゃない」「イギリスが勝手に」といって取り合わない。しかし、「ハクがつく」という理由で彼も宗主国であるイギリスとオーストラリアの合同作戦に志願。しまいには「♪イギリスさんが困ったら~ 僕たちがかけつける~」と陽気に合唱し、自分たちがイギリス軍の下部組織であることに大した自覚は持っていない。そして、彼らを取り巻く事態は急変する。イギリス軍が全員無事に上陸し、「お茶でも呑んでいるころ」にオーストラリア軍は上官も含めて全部隊が敵の銃弾に向かってダッシュしていく。エンディングは凄絶なものがある(ブライアン・メイとジャン・ミシェル・ジャールの音楽がいまとなってはかなりダサい)。
衆参両議院で安保法案について審議されている間、僕の頭には「ガリポリ」が何度もよぎってしまった。前線と後方支援ではまったく意味が異なるし、自衛が人間の楯として使われるという局面が訪れるとはさすがに思わないけれど、実質的には自衛隊が米軍のパシリになるという法案にしか思えなかっただけでなく、最高責任者がどちらの軍に心を寄せているのかという部分でも「ガリポリ」と安部政権は正反対を向いていたとしか思えなかった。僕はずっと安倍は、イランでいえばホメイニ以前のパーレビみたいな存在だと考えていたこともあって、今度のことも独立性の面では右翼の方々が怒ってしかるべき法案ではなかったかと思えたし、スイスなど一国平和主義の国防意識を引き合いに出す賛成派も右翼の不在を過剰なレトリックとして使っていたに等しく、安保法案に関心を示していたテンションの高さに対して、それこそ安倍内閣の答弁はあまりにゆるゆるで、「♪アメリカさんが困ったら~ 僕たち皆がかけつける~」という鼻歌程度のものとしか考えていないような印象さえあった。日本が戦後の方針を大転換させるにしては、なんというか、理屈も弱いし、パッションも低いし、女性の口説き方でいえば「いいじゃん、ちょっとぐらい」とか「先っぽだけ」に近い感触で言い寄られたような法案だったというか。
政府ではなく、法案に賛成する人のなかには耳を傾けてもいい意見はあった。賛成派にも反対派にもバカな意見というのはもちろんあって、とくに賛成派でも保留派でもバカバカしかったのは個別的自衛権と集団的自衛権を取り違えているもの。影響力が大きい人では、松本人志や田村淳などお笑いで、それが目立ったのはちょっと気になった。アメリカのコメディアンにはリベラルが圧倒的に多く、とはいえ、政治家をからかう時には民主党であれ共和党であれ、とにかく容赦がない。近年で最大のヒットといえばティー・パーティ後ろ盾にして出てきたサラ・ペイリンをまずはティナ・フェイが完コピし、さらにはペイリンが言いかねない政策を先回りして吹きまくるというものがあった。
ヘタをすれば政治家のスタッフ・ライターになれる域である(ティナ・フェイのサラ・ペイリンが見たいばかりにティー・パーティに復活して欲しいぐらいだと思っていたらドナルド・トランプに呼応して、先週、「私がエネルギー大臣!」とブチあげてペイリンが復活してきました。いやー、お笑い的には面白くなるかも~)。
ティナ・フェイが辞めた後に「サタデー・ナイト・ライヴ」のヘッド・ライターに就任したセス・マイヤーズがホワイトハウスのディナー・スピーチでドナルド・トランプを叩き潰した瞬間もなかなかのものがある。カメラに抜かれたトランプの表情は完全に固まっていた。
ジミー・ファロンやクリス・ロックなど、この辺りは例を挙げれば切りがない。本誌15号でも取り上げたようにウィル・フェレルとスティーヴ・カレルが右翼報道で知られるフォックスTVを笑いのめす映画
『俺たちニュースキャスター』も最高でした。
お笑いが政治にコミットするというのはこういうことであって、一国民として政治に振り回されるのではなく、個別的自衛権と集団的自衛権の区別がついてから、それを笑いのネタにしてもらいたいものだと思うばかりである。
話を戻そう。賛成派のなかで耳に残ったというか、僕にもそういう気持ちがあるのは国際貢献である。かつて国境なき医師団(以下、MSF)はルワンダで武力行使を要請した事があり、それを聞いて僕は非常に葛藤を覚えたことがあった。MSFというのは目の前にケガ人がいれば黙々と救援活動を行うだけで、それ以上のことはしないと思っていたのに、最近の政治用語でいえば僕が思っていたよりも「積極的」だったのである。
そして、そのことによって多数を救うことができると彼らは早期に判断し、実際には国連が武力行使どころか、ほとんど黙って見ていたために、MSFが恐れていた通り、市民同士の虐殺はマックスへと登りつめていく。ジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督『ジョニー・マッド・ドッグ』(『憎しみ』のマチュー・カソヴィッツがプロデュース)のような展開を経て現在のルワンダがIT大国として飛躍的な経済成長を遂げたという後日談を知ると、これもまたなんともいえない気持ちにはなるけれど、100万人以上の死者を見過ごしたことはたしかであり、自衛隊がその主体になることはないにしても、国連軍が武力行使をする時に日本が何をできるのかということは、以来、気になり続けていた。
今回の安保審議では、論点が米軍との連携に集中し、PKOが具体的にどう変わるのか、僕にはよくわからなかった。政府が「国際情勢の変化」というならば、イエメンの内戦やムガベの横暴、あるいはネパールやウクライナでは今年、憲法改正をめぐって暴動や警官の殺害まで起きているし、ISISの空爆に踏み切ったトルコはついでにクルド人まで空爆し始めるなど世界のどの部分を見ても「国際貢献」をしたいという気持ちを掻き立てられた人は少なからずだったのではないだろうか。安陪内閣の答弁を聞いていると、40%前後の支持率のうち、どれぐらいを占めているのかはわからないけれど、そういった真面目に国際貢献をしたいと思う人の気持ちは完全に裏切られていると僕には思えたし、それこそアメリカのニーズに応えて日本政府が憲法を破るというなら、アメリカのニーズがあれば日本国民も刑法や民法を破っていいのかな~と、法に支配される国民としての方針も大転換させたくなってしまう。
多ジャンルで活躍するルビー・ローズはこのところDJとしてもめきめき評価を上げている。
ジェンダー・フリーを呼びかけるルビー・ローズからのメッセージ・ヴィデオ。