ミイは、にやにやしていいました。
「あんたのことで、おそろしいことをきいたわ。あんた、じぶんのご先祖を、戸だなから追いだしたんだってね。あんたたち、にているそうじゃないの。」
「えい、やかましい。」と、ムーミントロールはどなりました。
トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の冬(1957)』山室静 訳
美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみの「三人娘」が主演した1956年制作の映画『ロマンス娘』の中で「女学生」江利チエミは痩せるために始めた柔道がめきめき上達して男を投げ飛ばしたり、3人で応募したデパートのバイト先で1人だけ風呂ガマ売り場に配属されたり、お呼ばれした豪邸でウィスキー飲んで泥酔した挙句に森繁久彌(詐欺師役)に猛アタックしたり、と露骨なまでのオチ要員でしたが、それぞれのボーイフレンドと自転車に乗りながら変わるばんこに持ち歌を披露するラストシーンでは“黒田節(~酒は呑め呑め)”を熱唱したりと、3人並べてみれば江利チエミがオチなのは無難な選択とはいえ、そもそも何故この3人がセットなのだろう、という根本的な疑問は何も解決しない。
その『ロマンス娘』から2年後の1958年、当時21歳の江利チエミは「第十三回芸術祭参加」と併記された『チエミの民謡集』という10インチ盤アルバムを発表する。バックバンドは見砂直照と東京キューバン・ボーイズ。以降1964年【東京オリンピック開催年】までにかけて5枚の「民謡集」10インチ盤が出ることになるこの民謡シリーズではキューバン・ボーイズ以外にも原信夫とシャープス&フラッツなど、一流のジャズメンたちを従えたチエミが何をするのかと思えば「ジャズ民謡」で、しかも全力投球。何と言うか、あの娘ダッシュで100メートル先まで走ってった、と思ったらこれまた猛スピードで99メートル戻ってきて「これ!!!」と(ほとんど『ちはやふる』における広瀬すず)眼の前で報告されているような眩暈を憶える楽曲群と、そして頭がおかしいとしか思えないほどのパッションがある。
いまの感覚からすると、しかしキング・レコードもよくこんなの出したな(この頃ならまあ出したか)、と思うのですが、ただ当時かなり売れたらしい、と言うのはオリジナルのアナログ盤がヤフオクなどで安く(数百円~)で出回っているからで、数量としては結構な枚数をプレスされたのではないかと思われる。ただしここに収録されている音源(とりわけモノラル録音だった1~3集)はほとんどデジタル化されていないので、時間とレコードプレーヤーのある方は是非入手してみてください。あるいは実家の物置に仕舞ってある段ボール箱を引っくり返したらひょっこり1枚くらい出てくるかもしれません。
なかでも強烈なものを10曲、挙げておきます(アナログ音源のみのものも含む)。
“おてもやん”……文句なしの1曲。後に再録されたヴァージョンはまんまジャズ・ボッサ。
“ナット節”……「淡く哀しみを帯びた軽さ」という離れ業。
“相馬盆唄”……スウィングしまくりながら「米が穫れた」と歌う一曲。
“会津磐梯山”……吃驚しているうちに終わってしまう2分弱。
“田原坂”……服部克久編曲によるストリングスが沁みます。
“草津節”……まるでコントの出だしのように始まる傑作。
“伊那節”……『ナット節』と同じく、歌詞の言葉遊びが秀逸です。
“金毘羅船々”……マンボのこんぴらさん。
“安来節”……このヴァージョンで泥鰌すくいを踊るのは困難なバラード。
“チエミのドンパン節”……あまりの脳天気ぶりに腰が砕けます。
江利チエミがここで演ったのはあくまで「ジャズ調の民謡」であって「民謡モチーフのジャズ」ではない、というのは頭に置いておく必要がある。そもそも和声も伴奏もへったくれもない(アカペラでも充分成立してしまう)日本民謡を再現するフォーマットの提案としてのジャズ、またはラテン、もしくはストリングスを使って仕上げたのが「チエミのムード民謡」シリーズなのであって、本人(達)もこれでジャズやラテン音楽界に何らかの変革を迫るつもりは無かっただろうし、この場合の音楽の「スタイル」は個々の楽曲の良さを最大限に引き出すためのツールでしかなく、そしてそれはどうにも正しい。
リアルタイムでも果たしてこの言い得て妙な「ムード民謡」というジャンルが成立していたのかどうかも怪しいのですが(ザ・ピーナッツが1963年に同じくキング・レコードから『祇園小唄~ピーナッツのムード民謡』というアルバムを出しているものの、質量ともにチエミの音源のほうが圧倒する)結局、「ムード民謡」はほぼ江利チエミに始まって江利チエミに終わったジャンルなのだろうし、そして21世紀の日本でこれを聴いた人間が「何故いまこういう音を聴かせる人がいないのか……」などと嘆くには当たらない(もしいまの音楽家が当時の譜面に忠実にこれを「再現演奏」なり「新解釈」なりをしてみても恐らく陳腐なものになってしまうだろう)。その時でないと出せない音、というものは確実に存在する。
たとえ何百曲の「民謡」を掘り起こして録音したところでそれは「我が日本国」の存在理由を何ひとつ証明したりはしないのですが、逆に言うとこれだけバラバラな、例えば“おてもやん(熊本県民謡)”とか、関東育ちの人間には何を言っているのかよく判んないけど超かっこいい曲やってる、といった部分が辛うじて繋ぎとめているのが明治維新後の日本であって、とうの昔に葬ったはずのご先祖様(とは言え遡れるのはせいぜい徳川時代くらいまででしょうが)は、何故か江利チエミ(1937-1982)が蘇らせ、そして遺してしまった音源の中で「ご先祖様ズ」がまあ、踊るか?などと言いながら現代に生きる自分たちの着ている服の裾を引いてくる。歌った人が居なくなった後にも歌唱は残る──そして現在、ほぼそういったものだけが「正しくクニを愛する」という、言ってみれば健全な精神を支えもするのだろう。
あたしァあんたに ほれちょるばい
ほれちょるばってん いわれんたい
“おてもやん(熊本県民謡)”
【追記】ちなみに『ロマンス娘』と同じ1956年にスタートした江利チエミ主演の映画『サザエさん』シリーズ(~1961年)はムード民謡シリーズの制作とほぼ重なる。庭を箒で掃きながらラテン・ポップス(“陽気なバイヨン”とかだったような)を歌う、というアニメ版からは想像もつかないくらいにアグレッシヴなチエミのサザエさんを見るにつけ(本家に比べればものすごい地味ではありますが)ああかつてジャパンにもカルメン・ミランダ(1909-1955)がいた時代があったのだ、と再確認する。