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Columns

都知事選直前に「東京都」のことを考えた

都知事選直前に「東京都」のことを考えた

──リベラルや左派は何年も何年も何に七転八倒しているんだろう?

文:水越真紀 Jul 27,2016 UP

 生まれて初めて、棄権しようと思った。都知事選のことだ。毎日失望が募る。
 されど都知事選。私は東京が好き。なんてぼーっと思う。で、あれ、私はなんで東京が好きなんだっけ? などと考え始めて思い出したことがある。
 都立高校の入学式のこと。まだ学校群制度が採用されていて、数校がグループとなった「群」を受験して、その中から抽選で合格する学校が決まるのだが、私は寄りによって、家からいちばん遠い学校に当たり、入学式の朝になっても高校進学はちっとも心弾む出来事ではなかったのだった。
 その入学式は、この10数年話題になってきた「荒れる成人式」なんてものではなかった。入学式なのに、新入生の登校前に数百人の上級生が講堂に既にいて、入場する新入生は「おめでとう!」の歓声とともに花吹雪で迎えられるのだ。さすが高校だなあなどとあっけにとられていうちに式次第は進み、校長が登壇する。すると、上級生たちは一段と盛り上がり、歓声や口笛は増し、紙テープが飛び交い始める。しわくちゃな顔の校長はその騒ぎが収まるのをニコニコと待ち、一通りの投げ物が落ち着くと、静かに話し始めた。詳しくは覚えていないが、その中にこんなくだりがあった──「君たちは今日から高校生です。この学校は東京都の税金で運営されています。君たち1人1人に、1年で90万円の税金が使われるのです。これは東京都の大人たちが、東京都の子供たちである君たちを育てるということです」
 15歳の私はなんだか分からないけれど、この話にとても感動したのだった。感動というか、なんだか自分が社会全体に歓迎されていると感じたのだ。金食い虫の厄介者としてではなく、「将来は恩返しを」などという交換条件もなく、ただ見知らぬ大人たちが「育てたい」とお金を出してくれる存在のように、先生は話してくれたのだ。電車とバスを使って通う、もう義務教育ではない高校生になった第1日目に、私は、上級生の紙吹雪ウェルカムだけでなく、東京都という広い世界の大人たちに歓迎してもらっていると感じられたのだ。そして、この学校の入学式にこんなにたくさんの上級生が勝手に出席し、校長の登壇に合わせて騒ぐ理由がよくわかった。みんなこの先生を愛していたのだ。
 この学校は、都立高校の中でも最も「自由な」学校だった。生徒手帳に記載されている校則はふたつ。その1、登校時には学校のバッジをつけること。そしてもうひとつが、校内では上履きを履くこと。他には何もない。服装はもちろん自由だし、髪型や化粧への干渉もない。1年の夏休み明けはすごいことになった。特に女子生徒の化粧やパーマ、服装もすごい。それでも教師たちは何も言わない。けれども二ヶ月も経つと、化粧が上達する者と飽きる者に分かれ、それなりに落ち着いてくる。(ちなみにそこでは、セーラー服は最もエロティックなコスチュームだったよ。)バイクで通う生徒もいた。遠足や修学旅行の行き先は生徒たちが決める。朝礼のようなものはなく、文化祭や体育祭への参加も自由。私はこの学校の校歌を知らない。入学式や卒業式でしか聞いたことがないから。それでも私はこの学校を懐かしく思い出す。時には、自慢気に人に話したりもする。
 しかしそれから時は過ぎ、1999年、国会は国旗国歌法を可決。そして石原慎太郎都政下、式典での国歌斉唱を拒んだ都立高校の教師たちが処分を受ける時代が始まった。あの「自由」な学校でもそりゃあひどいことがたくさん起きていた。さらに都立の養護学校で、先生たちが苦心して考案した、知的障害児たちへの性教育が都議会議員らによって破壊され、難関と言われる都立の中高一貫校では神話と歴史を混同した教科書が使われるようになった。

 もちろん30数年前の日本社会や教育がそんなにいいものってわけじゃなかったことも、そりゃあよく覚えてるよ。性差別にしても他の差別やハラスメントなどにしても、いろいろ考えたら今の方がずっといい。「自由」が何もかもを解決はしないことだって今では私も知っている。だけど、少なくとも高校生の私たちは、何をするにも自由の意味を考えることができていた。少なくともその高校の大人たちにはギリギリまでそれに口を出さずに見守る度量があった。私は、そこで、自由を信じるようになった。自由の途方もなさや自由がもたらす賢さを知った。失敗をも見守られる機会があれば、それを青年たちは学べると知ったのだ。

 思い出話はこのくらいにしよう。ともあれ今年の都知事選は左派リベラル層を失望させている。ようやく実現した「野党統一候補」には東京をどんな都市にしたいかというヴィジョンもプランも見えない。年齢や健康状態、引っ張り出されるスキャンダルよりも何よりも、彼に都政への夢や志があるのかと、幻滅は広がり、投票に行く気さえ失われていく選挙運動の終盤が始まった。
 とはいえ、自民党推薦候補や日本会議系候補に投票する気もしない。ここは鼻をつまんで息を止めてでも野党統候補に投票すべきなのか? かつて青島幸男に投票した汚点を省みて、私はまだ悩んでいる。
 いや、それ以前に、鳥越俊太郎、小池百合子、増田寛也という主要三候補の主張にはほとんど対立がないのはいったいどうしたことなのか? 主張する“ヴィジョン”が見えないのは鳥越俊太郎だけではない。
 
 そこで、3人のホームページで貧困に対する政策を探してみた。すると意外なことに、最も具体的で充実しているのは増田寛也だ。「子どもへの学習支援や食事の提供などを行う場所を創設する」「ひとり親世帯向け職業訓練の充実や保育料の無償化」とある。まあもともと健康保険や年金など、日本の福祉事業を作ってきたのは自民党政権なのだ。問題は、福祉政策の半分を担ってきた公共事業などでの利権が固定しすぎてきたことや、このところ、福祉各方面の切り捨てが加速していること、日本会議の影響力が強まるにつれなのか、国家主義や家族主義的な主張が台頭していることも、左派やリベラルには耐え難いことだろう。弱体化してきた町会や商店会など自民党支持基盤の再利用による地元共同体の強化を訴える小池百合子の政策にはそうした兆しがはっきりと見える。仕事のある女性や男性、すでに子供のいる人(か、その予定者)、“働ける”高齢者・障害者への施策はふんだんにあるが、「貧困」の二文字がそもそも1度もでてこない彼女のホームページに書かれた政策は、そういう意味では非常に一貫している。つまり、彼女の目には自立した個々の人間はいて、地縁が結ぶ古いタイプの共同体はあっても、そこからはみ出る人びとも含めて構成される「社会」という視点が一切ないのだ。まるで遅れてきたマーガレット・サッチャーそのものだ。
 
 そしてさて、“問題の”鳥越俊太郎。ホームページには「すべての子どもに学びの場を提供」「貧困・格差の是正に向けて若者への投資を増やす」「介護職の処遇改善」「特別養護老人ホームの確保」とあるが、とても抽象的で、方法も目標も見えてこない。
 東京のような大都市には、当然さまざまな土地から人がやってくる。農地も工場も持たない人や家族もいない人たちは、一寸法師の昔から、身一つで都市を目指してきた。都市にはそうした人たちが今日から暮らせる安価な宿があり、即日得られる賃仕事が転がっている。そこで拠点を得、なにかの仕事にありつけば、やがて出会いがあり、家族を作って暮らしていける。そういうたくさんの人生を丸ごと受け入れるのが、本来は都市という場所だ。今の東京は、そうした都市の機能をどんどん失っていることが問題なのだと私は思う。(「改革」と候補たちはいうが、私には彼らが、今の東京の何が問題で、どう改革していこうとしているのかが見えないのだが)
 たくさんの人がやってくれば、成功する人もいるし、しない人もいる。しない人の方がはるかに多い。そのような人たちのたくさんの多様な暮らしが存在することこそが、その場所を「都市にする」のだ。小池百合子の政策に一切出てこないその人たちがどう暮らせるか、が、いまの自民党政治に対抗する野党の主張のしどころではないのかと私は思う。つまり「社会」がなければ生きていけない人びとの問題だ。古い共同体式の抑圧なしに、その人たちの個人としての自由を守り、なおかつどんな「社会」を作っていくのかが、東京都には必要なヴィジョンなのではないんだろうか? 日本の左派は、ある意味ではソーシャルな政策を果たしてきた自民党に対抗するために、「リベラル」を押し出しすぎてしまったのだ、たぶん。鳥越俊太郎の主張がかくも抽象的で曖昧なのは、ソーシャルに対して臆病すぎるからじゃないか? 
 念のためだけれど、なぜ成功しなかった人びとを都市が養うことが重要なのか? それは例えばカナダの難民政策を考えてみるとわかる。シリア難民が最も行きたがるカナダは、なぜあんなにも難民に寛容なのか? もちろん人道主義もあるだろう。でもそれよりも重要なのは、多くの難民の中には知識人も金持ちも技術者もたくさんいるということを、彼らは知っているのだ。数千の貧しい難民を受け入れてなお有り余るほどに、社会を豊かにしてくれる人材が「来てくれる」のだ。そういう人たちに来てもらうには、門を開いておくしか方法がない。寛容な難民政策にはそんな打算だってあるんだ。
 東京も同じことだ。国内だけでなく、世界中から優秀な人、愉快な人たちに来て欲しいと望むなら、彼らがもしも失敗しても寛容に迎え入れてくれる街だと分かるように、門を開け続けなければならない。そしてそうした人たちが目指さないような場所は都市とは言えないのです。

Profile

水越真紀水越真紀/Maki Mizukoshi
1962年、東京都生まれ。ライター。編集者。RCサクセション『遊びじゃないんだっ!』、忌野清志郎『生卵』など編集。野田努編『クラブミュージックの文化誌』などに執筆。