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There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

第10回 ビジホで混ぜる「1のこな」──映画『パラサイト』と家父長制

文:高島鈴 Feb 17,2020 UP

※このコラムには映画『パラサイト 半地下の家族』のネタバレが含まれています。

 洗面台の蛇口で水を汲む。小さいプラスチックのひしゃくは開けたときからべこっと折れていて、指でへこみを戻してから使った。足でドアを開け、こぼさないように気をつけながら水を「1のこな」の上に落とす。付属のおもちゃみたいなスプーンでよくかき回し、まとまってきたら淡い青色をした「2のこな」を加えた。1枚写真を撮ってから、さらにかき混ぜる。
 粘りけがじゅうぶんになったら、となりのトレイに「3のこな」を入れる。これはトッピング用のラムネだ。左で作ったとろろ芋状のものを右のラムネにつけて食べる。それがねるねるねるねである。口に入れる。ガムと同じソーダ味がする。
「うまい」
 そう口に出しながら隣を見ると、親友が別の友達と通話しながら通信対戦でゲームをプレイしていた。いわく「こうしないと勝てない」らしい。私はほとんど対戦ゲームをしないので、「へえ」と言ってねるねるねるねを食べる。テレビでは紅白歌合戦が放映されている。パソコンで1月半ば締め切りの原稿を書きながら、Foorin “パプリカ” が「大人が求める〈よい子ども〉像」の提示みたいで怖い、怖すぎる、怖えよ! と叫んで笑う。「すげえわかる」と言って親友も笑う。「この、なんだ、ちょっと民族っぽい衣装は一体なんなの……」そう言いながら親友はちゃんとゲームをプレイしているから器用だ。ときどきねるねるねるねを掬ったスプーンを親友の口元に差し出す。
「食べる?」
「食べる」
 親友はゲームから手を離さずに食べる。私も残りのねるねるねるねを食べて、またパソコンに戻る。
 ここ数年、私と親友はホテルで年を越すようになった。ビジネスホテルに篭ってだらだら喋る。何をするでもない一泊ばかりの会だが、これは我らにできる最大限の逃避だ。
 年末年始、家に「居る」ことができない。

 「年末年始の空気」は確かに独特である。あなたのことなんか何も気にしてませんよ、と言いたげな静かな乾きを伴って忍び寄りながら、その内側は巨大な心臓のようにどくどくと振動し、人を何かへ駆り立てる。ふと気がついた頃には見慣れた風景のなかに年賀状売り場や正月飾りが生じていて、私の意識にそっと割り込み/割り込み/割り込み/割り込み続ける/その連続の最中に「ああ、もう年末か」と思う。空が低く、息が白い。全てが遠ざかるような気がする。
 別に誰が悪いわけでもないのだ。ただ「そう」なっている。なぜ「明けまして」がおめでたいのかを問う人はいない。社会という巨大な儀礼空間に「年末年始の空気」が隅々まで注がれ、代わりにそれまで入っていた空気が押し流されていく。この空気の入れ替えが強制的に実施されるのが苦しい。私のなかにはまだある、年が明けても引きずらねばならないものがたくさんあるはずなのに、「押し流す」パワーに当てられずに生きるのは奇妙に難しい。他人が決めた暦でスイッチが押される。ぐべべべべべ。
 そして最大の問題は、年末年始の空気が「家族」の論理を増幅させることだ……これがとにかくキツい。実家にはさんざん迷惑も負担もかけているので、こういうことを「言ってしまう」のは本当に身勝手だと、思う、思うのだが……家にずっと人がいる、祝祭に備えた自宅の冷蔵庫がぱんぱんに身を詰まらせている、そういう諸要素に、毎年毎年ざわついている。お前はこの家の人間だと、強烈に突きつけられている気がする。それがものすごく怖くて、落とし所のない不安でいっぱいになる。部屋の中を歩き回っても落ち着かない。何も責められず、また責める必要も理由もないことはわかっている。ただ苦しくてきつくて、叫びながら走り出したくなるのだ。
 無理だ無理だ……頼む、ここから逃してくれ……うわああああ……と絶叫した結果が、ねるねるねるね・イン・ビジネスホテルだった。なんでねるねるねるねかといえば、年越し蕎麦なんか食べたくなかったからだ。

 そういう性分なので、映画『パラサイト 半地下の家族』を見たときも、真っ先に気になったのは「なんでこの家族は崩壊しないんだろう」ということだった。私がギウ(兄)やギジュン(妹)なら、たぶん数ヶ月パク家で仕事をしてお金を貯めたあと、多少無理してでもひとりで家を出るだろう。しかし二人とも実家にいる。そして誰も父親のギテクを責めないのがそれなりに怖かった。仕事を探せとか、無責任だとか偉そうだとか、そういう文句が出ない。みんな「普通に仲がいい」のである。そんなことあるか? 気になって映画館を出てからレビューを検索したら、同様の感想を2件見つけることができた(注1)。1件はシェイクスピア研究者の北村紗衣さん、もう1件は社会学者の韓東賢さんの文章で、いずれも強固すぎる家族の絆を指摘している。本当に、他人の家で楽しく一家団欒するキム家の姿は、私にとっては鳥肌が立つぐらい怖かった。
 「それも含めて意図的に、批判としてやっているんだと思います」
 一方で映画好きの知人にはそのように言われた。言われた当初は「批判的な要素ってあったかなあ」と首を傾げたが、改めてストーリーを反芻してみると、確かに「批判」の軸が作中のキーアイテムによって立ち上がってくるのではないか、と思い至った。
 それが山水景石である。多分この石は、家父長制社会のしがらみを示しているのではないかと思う。

 山水景石とは、景色を表すものとして鑑賞される自然石、らしい。調べたが鑑賞方法はよくわからなかった。要は盆栽のような、「趣味」の物品ということになるだろう。
 冒頭、全ての発端となる「家庭教師のバイト」を長男ギウに紹介する友人・ミニョクが、何やら立派な箱を抱えてキム家にやってくる。この箱の中身が例の山水景石だ。陸軍将校だったというミニョクの祖父が趣味で収集していた逸品で、金運と学業運をもたらす縁起ものらしい。キム家の母・チュンスクは「食べ物がよかった」とぼやくが、父・ギテクは「この石は我が家にぴったりだ、おじいさんによくお礼を言ってくれ」と感激する。
 会話から察するに、ミニョクの祖父とキム一家は特に親交があるわけではないようだ。ミニョクの祖父はミニョクからキム一家の状況を聞いて当該の石を譲渡すると決めたのだろう。しかし「仕事がなく、切実に困窮している一家」に対して「財力と学業運をもたらす石」をプレゼントするのは、どう考えても現実的な援助ではない。山水景石は場所も取るし重いし、明らかに「趣味の世界」のものだから、他人に突然贈る品としては不適だ。一家の困窮に本気で心を寄せているのであれば、チュンスクが言うように食べ物を贈るほうがよほどよい。
 しかしギテクとギウは山水景石を大喜びで受け取ってリビングに飾り、生活費のために売り飛ばすこともせず、大洪水の夜にも大事に抱えて持ち出す。一方でチュンスクのある意味真っ当な不平は娘のギジョンからたしなめられ、「失礼」な言動として扱われる。
 この流れからして象徴的だった……山水景石は軍人であるミニョクの祖父、すなわち極めて男性社会的な権威をまとった存在から降りてきて、全ての発端となる偽家庭教師の誘いとともにギウに手渡される。ミニョク留学中の代理家庭教師に大学の同級生を差し置いてギウが選ばれたのは、ミニョクが教え子のダヘを「工学部の狼」に奪われたくなかったからだ。高校生の教え子に手を出すミニョクの(悲しいがな)平凡な「やばい男」ムーブに直面しても、ギウはなんの追及もせず、ギウ自身もダヘに流されていく。
 そして大洪水の夜、ギウは山水景石を持ち出した。重くて実用性のない山水景石は、あの緊急時に持ち出すものではない気がするが、ギウにとってはそうではなかったのである。避難所となった体育館の冷たい床に石を抱いて横たわり、父に話しかける。こうなったら自分が責任を取って全て終わらせます、と覚悟した表情で話すギウに、ギテクは言う。絶対に失敗しない計画とは、無計画のことだ。計画を立てるから失敗するのだと……。それまで自信満々に「俺に計画がある」と語っていたギテクは、実際には何も練っていなかったのだ。どう考えてもキム一家はピンチを迎えているのだが、ギテクはむしろ考えて行動することを放棄し、運に任せた行動を採択する。ギウはまた流される。
 例の山水景石はグンセ殺害の凶器としてギウに見出されるが、ギウは地下室へ伸びる階段に山水景石を取り落とす。石を落としたことでギウはグンセに反撃され、最終的に石はギウの頭を砕くための凶器としてその一生を終える。ギウは「責任を取る」機会を失い、それが全ての悲劇へ連結していく。

 家族の空気は、本当に怖い。キム一家は追い詰められれば追い詰められるほどみごとなチームアップを見せる。そしてこの結束は最後まで終わらない。
 事件のあと、ギウは大金持ちになって家を買い取り、ギテクと再会する日を想像する。もし本当に決意ひとつで豪邸を買えるほどの金持ちになれるなら、そもそもこんな惨劇は起きなかっただろう。なぜまだそんな夢を見ていられるのだろう。
 『パラサイト』において、登場人物の社会的地位は最後まで変動しない。ギウとチュンスクはもちろん、稼ぎ頭の父親を失ったパク一家も、精神的なダメージはもちろん計り知れないのであるが、露頭に迷うことはおそらくない。遺産はヨンギョの手に入るだろうし、パク一家がダソンの誕生日をヨンギョの実家で過ごしていることから、ヨンギョの実家もかなり裕福、かつパク一家との関係が良好だと考えられる。
 そして「リスペクトおじさん」ことグンセは、明確にキム一家だけを狙って殺害に及んでいる。庭に出て最初に目につくパーティ客を殺さず、まっすぐにギジョンを殺しに行ったグンセは、発狂していない。パク社長への「リスペークト!」は自嘲でも狂乱でもなく、本気の尊敬なのだ。グンセの目的は自分以外の寄生虫を排除して、寄生虫としての安寧を得ることである。地上で金を稼ぐパク社長によって自分の生活──他人から見れば一見悲惨だが、グンセは生まれたときから地下にいたような気がするほどに馴染んでいる──が保たれている、その仕組みにグンセは納得・感謝しているし、変化を望んでいないのだ。「上の人」を「上にいる」という理由で「リスペクト」する、それが地下の住人・グンセなのである。
 ここまで立場が固定されているなかで、唯一格差を超えて振るわれた暴力は、ギテクによるパク社長の殺害だった。自分の息子を連れて逃げるために車の鍵を渡せと叫ぶパク社長と、まさに傷ついて命を落とそうとしている自分の娘を前にして、ギテクは殺傷に及ぶ。
 もちろん傷ついた娘を置いて逃げる状況が許せない父親は、一面には頼もしい人物だと思われるし、この態度自体がおかしいとは言わない。しかし、今まで格差に従順だったギテクがその方針を変えるきっかけが家族であるなら、家族の論理は格差の論理以上に個人を縛る強烈な問題として韓国社会に根付いているのだと読み取れはしないか。
 どんなに大変な状況になっても放棄されない「家族」という結合こそ、ある意味この惨劇の根本に根ざしているのだが、その問題には誰も触れない。それはおそらく意図的な沈黙なのだ。

 1月1日の午前10時にホテルをチェックアウトして、ぶらぶらと神社に向かう。親友はわりと形式的な振る舞いが好きなので、私も親友がそうしたいならそれがいいかなと思って初詣をする。人気のない商店街に、ぱん、ぱぱぱぱぱぱぱん……と「正月ミュージック」が流れている。
 神社のそばまでくると人の流れが多少できていた。交差点には政治家ののぼりが立っていて、支援者がビラ配りしている。自民党だ。選挙期間以外は見ない人だが、正月だからわざわざ出てきたのだろう。殊勝なことだ。こういう振る舞いが好きなんだろうな。
 神社の入り口には神社本庁のポスターが貼ってある。教訓だか名言だか、何か文句が書き付けてあって、毎月入れ替わるやつだ。なんだかなあ。昨夜の着替えをぱんぱんに詰め込んだリュックを背負って人間の列に紛れつつ、すでに私はホテルに戻りたいと思っていた。

注1……「絆」ってこれだよね~『パラサイト 半地下の家族』(ネタバレあり) https://saebou.hatenablog.com/entry/2020/01/23/223209(最終アクセス2020年2月15日)、家族を疑わない『パラサイト──半地下の家族』が、逆説的に示唆する格差社会の厳しさと家族という宿痾 https://news.yahoo.co.jp/byline/hantonghyon/20200115-00158962/(最終アクセス2020年2月15日)

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高島鈴/Takashima Rin高島鈴/Takashima Rin
1995年、東京都生まれ。ライター。
https://twitter.com/mjqag

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